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■春園(1)

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(C)Eriko Kawaguchi 2016-07-15
 
3月上旬。
 
溝潟が校門を出て下の大通りまで降りていこうとしていた時、目の前に何かが落ちてくるのを見た。
 
何だ?と思って見ると、折り紙を半分くらいにした感じの長方形の赤い紙である。思わず拾い上げてしまったが、紙には何も書かれていなかった。あたりを見回すものの、どこかこういうものが落ちてきそうな場所も見あたらない。どこかの飾りか何かが落ちてきたのかとも思ったのだが、飾りが付いているようなものも見あたらない。
 
溝潟はその紙を邪魔にならないように道端に移動して置くと、そのまま道を先に行く。そして20-30歩も行った時、脇道から出てきた22-23歳くらいの女が「すみません」と声を掛けてきた。
 
「はい?」
「すみません。このあたりに大きなショッピングセンターがありませんでしたっけ?」
「降りていった所にジャスコがありますよ。何でしたら一緒に行きましょうか?」
「あ、お願いします」
 
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それで溝潟は女と一緒に坂を下りていった。
 

3月下旬。
 
ホシとナミが心配そうな顔で待っていた所に、事務所の春吉社長は悲痛な表情で部屋に入ってきた。
 
「大堀さんどうでした?」
とホシが訊くと、社長は首を振った。
 
ホシとナミが息を呑む。
 
「彼女の実家に連絡した。すぐに上京するそうだ。お葬式をどうするかはお父さんが来てから決める」
と社長は言う。
 
「またこんなことが起きるなんて・・・・」
とナミが言う。
 
「私たち呪われるのかなあ」
 
ナミは半分何も考えずに言ったようだが、社長は腕を組んだ。
 
「一度お祓いに行ってみようか」
 

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4月下旬。
 
その日アクアは事務所社長の秋風コスモス、レコード会社担当の三田原課長と直前に迫ったゴールデンウィークのツアーの件で打ち合わせていた。
 
話が一段落した所でコスモスが言った。
 
「課長、北川奏絵さんの状況とか聞いておられます?」
「ああ。アクアは北川君にちょっと見てもらったこともあったね」
「ええ、それで子宮癌と聞いてびっくりして」
 
「私もまだお見舞いに行ってないんだけど、行ってきた何人かに聞くと本人はいたって元気らしい」
「そうですか」
「癌といってもごくごく初期段階だったらしくて。治療もわりと簡単らしい。ただ半年近く入院しないといけないらしい」
「あらあ。化学療法か何かですか?」
 
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「PDTとか言ってたかな。何か最新の療法らしいよ」
「へー」
 

「でも癌は怖いですね。気づかない内に進行している場合もあるし」
「うん。★★レコードの制作部のスタッフとか、忙しくて健康診断サボッてる人も多いから。私も新しく向こうの課長になった森元君に言ったのよ。こういう事態が出てきたということは、健康診断受けてない社員は出勤禁止くらい言って強引に全員受けさせた方がいいって」
 
「それ私も賛成」
とコスモス社長。
 
「制作部の方で癌で亡くなったりした方とかはおられないんですか?」
とアクアは何気なく訊いた。
 
自分自身が小さい頃に、難しい部位に出来た腫瘍で2年近い入院生活を送っている。もっとも、アクアの場合、病気の原因が分かるまでが大変だったのである。原因が腫瘍だというのが分からず「どこも悪くないみたいだし、精神的なものかも」などと言われて、向精神薬まで処方されている。(ただしその診断を信用しなかった(父親代りの)上島雷太が「この薬は飲むな」とアクアに言ったためアクアは飲まなかった)
 
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ただアクアの場合は腫瘍が良性で発病してから原因が分かるまで1年以上の時間があったにも関わらず、あまり大きくはなっていなかったし、転移なども無かったので、命拾いをしたのである。もっとも小学5〜6年生頃になってから支香おばちゃんに聞いたのでは、万一転移していた場合は覚悟していて下さいと医者からは言われていたので、手術が終わってから1〜2年の間は気が気でなかったいうことだった。
 
「去年梶鷹君という人が亡くなっている。まだ28歳でね。将来を期待していたのだけど」
 
「わあ」
「それもあって今年の検診は強引に受けさせましょうよという話を加藤さんと森元さんでしたみたいで。それで北川さんの癌も見つかったんだよ」
 
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「それは良かったです」
 

少し時を戻す。
 
2016年4月4日深夜。
 
「あらぁ。今日100歳のお誕生日だったのにね。うん。夕方100歳のお祝いをした時までは元気だったんだ?でも大往生だよねぇ。了解。桃香にも連絡して、都合が付けばそちらに向かわせる」
と電話に出た朋子は言った。
 
「おじいちゃん?」
と青葉は尋ねる。
 
「うん。高知のおじいちゃん、亡くなったって。青葉、大学はいつからだっけ?」
「7日が入学式だから、その日の朝までに戻ればいい」
「じゃ一緒にお葬式行こう」
「うん」
 
朋子が桃香に電話すると、桃香は明日朝から行くとの連絡であった。千里はまだ帰宅していないらしいが、訊いてみて都合が付けば一緒に行くと言っていた。
 
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青葉が桃香の祖父・和彦、祖母・咲子と会ったのは2011年に青葉が桃香たちに保護された年の9月であった。
 
朋子が震災で家族を丸ごと亡くした子を養女にした(実際には入籍せず後見人になっただけである)と聞き、一度会わせてという話はあったものの、その年は8月下旬まで青葉はコーラス部の活動が忙しく、なかなか高知まで行けなかった。
 
(ゴールデンウィークにも一度菊枝に会いに青葉は高知県に行っているが青葉の日程表を見てハードスケジュールなのに呆れ、朋子は同行しなかった)
 
それで9月の連休にやっと高知に行ったのである。これには桃香も同行し、桃香に強引に連れられて千里も一緒に行った。
 

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この時、和彦は95歳。高齢でやや足取りが怪しいものの、自分で家の中を歩き回れるし、カラオケでモーニング娘。を歌うのが大好きという、精神的には若いおじいちゃんであった(石川梨華と高橋愛のファンだと言っていた)。
 
また咲子は87歳だが、見た目も精神年齢も若く、まだ60代かなという感じであった。華道・茶道・着付けの講師免許を持っていて、実際に地元の公民館を使って茶道教室を開いていた。
 
「私も和彦もピンコロが理想だね〜、なんて言ってるのよ。寝たきりになって家族に負担掛けたくないし」
としっかりした口調で咲子は言っていた。
 

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なお、桃香がまだ25歳なのに祖父母の年齢が高いのは、桃香の父・光彦が兄弟でいちばん下で、和彦39歳・咲子31歳の年の子供であり、また光彦も結婚が遅れて、しかも最初なかなか子供が出来ず、桃香が生まれたのが光彦35歳・朋子30歳の年であったことによる。
 
光彦のいちばん上の兄・山彦は光彦の12歳年上で、この2011年当時でも山彦には5人の孫がおり、それが青葉と似たような世代である。
 
青葉が
「初めまして。朋子さんの娘にして頂きました青葉と申します」
と和彦・咲子に挨拶すると
 
「あんた、めんこいね」
と言った。
 
青葉は東北弁らしきものが出てきたのでびっくりする。
「おばあちゃん、東北のご出身ですか?」
「うん。私が生まれたのは八戸」
 
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「へー!」
「だから、あんたが大船渡だというのでちょっと楽しみにしてた」
 
「まあ同じ三陸だよね」
と桃香が言う。
 
「高園一族は放浪の民だからね」
「へー」
 
「そもそも和彦(にぎひこ)じいさんは内務省の役人してて、全国あちこち転勤して回ってるんだ。だいたい毎年引っ越していたというんだよね。青森で咲子ばあさんと出会って結婚したけど、結婚した翌週転勤の辞令があって宮崎に飛ばされた」
と咲子と一緒に住んでいる山彦(たかひこ)伯父が解説する。
 
「大変ですね!」
「どこか1ヶ所に数年滞在すればそこの言葉を覚えるんだけど1年単位での転勤ではいちいち覚えてられないから、結局おばあちゃんは南部弁で押し通していたらしい」
と山彦伯父の奥さん、珠子さんが補足する。
 
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「親が頻繁に引っ越しているおかげで、子供もあちこちに住んでいるのよね」
と咲子さんは言う。
 
「まあ、俺たちは日本一遠い距離に住んでいる兄弟だな」
と山彦さん。
 
「いちばん上の俺が高知、2番目の風彦(たつひこ)は北海道の稚内、3番目の洋彦(きよひこ)が千葉、4番目の聖火(みか)が沖縄の与那国島、5番目の光彦(あきひこ)が富山」
 
「本当に北の端から南の端までですね!」
と青葉は驚く。
 
「ついでにみんな読めない名前ばかり」
と桃香が言い、字を書いてみせると青葉は絶句した。
 
「まあ今でいうドキュン名前の走りかな」
などと山彦伯父は言うが《ドキュン》などという言葉を知っているのが凄いと青葉は思った(実は青葉も当時知ったばかりであった)。
 
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「自分の名前が和彦(にぎひこ)で、私の名前が咲子だから、邇邇芸命(ににぎのみこと)と木花咲耶姫(このはなさくやひめ)になぞらえて、子供に山彦・海彦と付けたかったらしいのよね」
と咲子は言う。
 
「へー」
「でも山彦はいいけど、海彦は衰えた氏族だから不吉だと反対されて2番目の子は風彦という名前にした。でも3番目はもう自分の父親が死んで反対する者がいないのをいいことに当初の予定通り海彦と付けようとして、でもそのままはまずいかなと思い直して字を変えて洋彦にした。4番目は女の子だったし、その年はちょうどヘルシンキ・オリンピックの年で、日本がオリンピックに復帰したので、それにちなんで聖火」
 
「そして親父はそこでふと気づいたんだな。これまでの子供の名前が山は地、洋は水、そして火に風。これは四元素になっているではないかと」
 
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「ほほぉ!」
 
「それで、地水火風光にしようと5番目は光の字を使って光彦にした」
 
「ちょっと待って下さい。地水火風空ではないのですか?」
と青葉は尋ねる。
 
「うん。そこが親父の思い違い」
 
「え〜〜〜!?」
 
「《くう》と《こう》って音が似てるから」
「いやあ、済まん。済まん。俺も光彦が3歳くらいになった時、気がついた」
と和彦は言っていた。
 

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なお、咲子や山彦たちには、青葉が戸籍上男であることは言っていない。桃香が「言う必要は無い」と断言したので、朋子としても迷っていたが、言わないことにした。
 
現地で山彦の娘・秋子さんに誘われ、桃香・青葉・千里は、秋子さんと娘の女子高生・安子(咲子の曾孫)と一緒に近くの温泉に行っていたが、別途珠子さんの買物につきあっていて、そのことを後から知った朋子は
 
「うーん・・・・」
 
としばらく悩んでいた。実際問題として桃香も当時若干悩んだものの、現場で千里と青葉のヌードを見て「まあ、いいか」と思った。千里は2011年3月に東北地方でボランティアをした時も堂々と女湯に入っている前歴があるし、青葉はこの年、しばしば「青葉鑑賞会」と称して、同級生と一緒に温泉に連れて行かれていた。
 
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「そういえば桃香ちゃんの隣に並んでいる美人さんのこと、聞きそびれた」
とお風呂の中で秋子は言ったが
 
「ああ、これは私の奥さん」
と桃香は明快に言った。千里は困ったなあといった感じの顔をしていた。
 
「桃香ちゃん、女の子と結婚したの?」
「まあ籍は入れられないけどね」
 
この時期、実は千里は貴司と撚りを戻していたこともあり(*1)、千里は桃香とはあくまで友人であると主張していたものの、寝るのはいつも一緒に寝ていたようである。ちなみに当時千里はまだ戸籍上の性別を変更していないので、実は千里と桃香は法的に婚姻可能な状態にあった。
 

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(*1)桃香にも色目を使っていた沢居研二が、貴司にしつこく絡んでいた緋那と婚約したことから1年半ほど続いた「四角関係」が終了して、2011年7月末に千里は貴司の妻の座に復帰したが、桃香もまた千里に熱心になった。ただし緋那は自分が婚約したにも関わらず、翌年春、研二の転勤に伴い九州に引越すことになり正式に結婚式を挙げて婚姻届けを出すまでは貴司への干渉を続けたため、一時期、千里・緋那・阿倍子の3人が競い合う状況が生じていた。
 

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