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■春代(8)
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4月中旬の金曜日。その日は雨だった。
朝は晴れていたので、傘の用意が無い子もいる。用意周到に持って来ていた子や学校に置き傘していた子と、適当に一緒に入ったりして駅まで行く。青葉が美由紀と一緒に傘に入り、日香理は自分の傘を持って3人で駅に向かっていたら、青葉たちと同じT高校の女子制服を着た子が、街路樹の下で雨宿りしている。
が、街路樹なのであまり雨を避ける効果は無く、かなり濡れているようである。
「大丈夫ですか?」
と青葉たちは声を掛けた。
「もし駅の方に行くのなら、私の傘に一緒に入りません?」
と日香理が言う。
すると彼女は戸惑ったような仕草をしている。それで日香理が近づいて
「遠慮しなくていいですよ。お互い様だし」
というと
「すみません。じゃ、お願いしていいですか?」
と彼女が言った。
その時、彼女の声を聞いて美由紀が「へー!」という顔をする。青葉と日香理はこの手の出来事に対してはポーカーフェイスである。
日香理が「どうぞ」というと、彼女は「すみません。お借りします」と言って日香理の傘の下に入ってきた。
「でも急に雨降ってきましたよね」
と青葉が言う。
「そうですね。学校を出てからちょっとぼんやりしてたら突然降ってきて、もうどうしよう?と思いました」
と彼女。
その時、美由紀が彼女の制服に付いている校章のリボンの色に気づいた。
「あれ?校章のリボンの色が黄色。私たちと同じ3年生?」
青葉たちの高校の校章に付けるリボンの色は学年ごとに違う。入学したら3年間同じ色を使うのだが(留年や留学で1年遅れた場合を除く)、青葉たちの学年が黄色、現在の2年生が赤、1年生は緑である。卒業した青葉たちの1つ上の学年は青だった。
「ごめんなさい。これ実は姉の制服なんです」
一瞬美由紀が日香理を見たが日香理は相変わらずポーカーフェイスである。
「実は私、姉の制服を勝手に借りて出てきて。今日、姉は高体連の大会に出て行ってて学校はお休みだったものだから。私、ほんとうはT高校1年生なんです」
すると、もう我慢できないという感じの美由紀が訊く。
「ね、ね、学校でもその服を着てたの?」
すると彼女はかぁっと顔を真っ赤にしてしまう。
「実は学校を出た後でこれに着替えたんです」
「なるほどー」
「でも濡らしちゃって、どうしよう」
「お姉さんには借りるって言ったの?」
「実は無断なんです」
「それは濡らしてしまって御免と謝るしかないと思う」
と日香理が言う。
「やっぱりそうですよね。でも何て言われるか気が重い」
その時、青葉が言った。
「無断で持ち出したこと、濡らしてしまったことは謝らないといけないけど、ちゃんとクリーニングしておけば、少しはお姉さんにも言い訳ができるんじゃないかな」
「でもクリーニングって3〜4日かかりますよね?」
と彼女。
「特別料金を払えば2時間でやってくれる店知ってるよ」
と青葉。
「ほんとですか?」
「よし、そこに行こう」
と言ったのは美由紀であった。
彼女には取り敢えず着替えた方がいいと言う。彼女はそれで通りがかりのスーパーの屋外にある、インスタント写真コーナーのボックスを借りて着替えてきた。ボックスから出てくると、ちょっと俯いている。男子制服姿を曝すのが恥ずかしいのだろう。
「男の子の格好していても女の子の格好していても、中身が同じなら、お友達になっていいよね」
と美由紀が言うと、青葉と日香理も
「同意同意」
と言う。
それでお互いに名乗り合った。彼女(彼)は1年生の篠崎希という生徒手帳を見せてくれた。「しのざき・のぞみ」と読むらしい。学生服の衿に付けた校章にも1年生を表す緑色の布が付けられている。
「篠崎萌ちゃんの妹さんか」
と日香理が言う。
「はい、そうです。すみません」
ここで「妹」と言ってあげるのが日香理の優しさだ。
「のぞみちゃんなら、男の子でも女の子でも通じる感じ」
「それでけっこう、女として登録してたりするんです。実は市の図書館の利用者カードは性別・女になってます」
「やはり、女の子になりたい男の子なの?」
「はい」
と言って、彼女は恥ずかしがって俯く。
「私たちそういう子には慣れてるから平気だよね」
「全く全く」
「特に青葉の周囲には同類が集まりやすい気がする」
と美由紀が言うと青葉は苦笑する。
「同類?」
「あ、この子は元男の子だったんだよ。もう手術も終わって完全に女の子になっちゃったけど」
「え〜?すごーい。高校生で性転換手術しちゃったんですか?」
「この子は中学三年生の時にしちゃったんだよね。何か超特例だったらしい」
「まあふつうは20歳以上、緩い所でも18歳以上でないと手術してくれないからね」
青葉が知っている、超特急でしてくれるクリーニング店に行く。2時間コースは何と通常の3倍の料金である。通常料金なら女子制服の上下は600円なのだが1800円になる。
「きゃー」
と希が言っていたら
「少しカンパしてあげるよ」
と言って青葉が百円玉を2枚出してあげる。
「じゃ私も」
「私も−」
と言って日香理と美由紀も100円ずつ出してあげた。
「済みません!ありがとうございます」
と言って残り1400円を本人が出して、超特急コースを頼んだ。
仕上がるまで近くのスーパーで待つことにする。店内で38円のジュースやワゴンに入った値引シールの貼られたをおやつを買って休憩コーナーで食べながら、おしゃべりした。
「やはり小さい頃から女の子になりたかったの?」
「はい。物心ついた頃からそうでした。お姉ちゃんの服を勝手に着てけっこう叱られていました」
「なるほどー。常習犯か」
「すみません。でも高校の女子制服を無断借用したのは初めてです」
「初めての出来心で、でもこういうトラブルが起きちゃうのか」
「まあそういう時に限ってトラブるものなんだよ」
と青葉は言う。
「青葉は幼稚園でも小学校でも女の子の服を着て通ってたんでしょ?」
「うん。うちは親から放置されてたから、親も咎めなかったのをいいことに」
「すごーい。いいなあ」
「でも女の子の格好で出歩くのって、周囲の目の問題もあるけど、一番大きな壁は自分の心だよ。自分の心の壁を乗り越えなるのがいちばん大変なんだ。だから希ちゃんも、これを機会に積極的に女の子の格好で出歩くといいんだよ」
と青葉は言う。
「そうですよね。なんか女の子の格好で出歩いてたら、知り合いに会わないだろうか、男とバレないだろうかとか考えちゃって」
「男とバレるわけがないくらい、きれいに女装すればいい」
と日香理が言う。
「ああ、やはりそうなのかな」
と希。
「でもそこまできれいに女装できるようになるには、たくさん女装外出することが必要」
と青葉。
「そうなのか!」
「でも女装は開き直りだよ」
と美由紀。
「そうそう。自分は本当は女の子なんだから、女の子の服を着るのが本来の姿だと思っていれば、他人にどう見られようと平気」
と日香理。
「女の子だって可愛い子ばかりじゃないんだから、何も可愛い女の子だと思ってもらえなくてもいいんだよ」
と美由紀が言うと
「そうですよね!」
と希も同意するように言う。
「部活なんかはわりと緩いし、理解してもらいやすいから、取り敢えず部活には女の子の格好で出ればいいよ」
と美由紀が言う。
「部活は入らなかったんです。中学の時はテニス部に入っていたんですけど、あくまでも男子選手としてしか扱われないから」
「スコート穿きたかったのね?」
「実はお小遣いで買っちゃいました」
「おお、上出来上出来!」
「でもついに人前で穿く勇気が無かったです」
「やはりそこのブレイクスルーが必要なんだよね」
と美由紀。
「うん。でもそれがいちばん大変なんだよ。あの子、女の子みたいな男の子だなとみんなが思っていても、いざ女の子として行動しようとすると、様々な抵抗が束になってぶつかってくるから」
と青葉は言う。
「それも怖くて」
「文化部の方がまだ垣根は低いかもね。肉体的に男子である以上、どうしても女子選手にはなれないだろうけど、文化部なら女子の服を着てたら一応女子部員として扱ってもらえる可能性あるよ」
と日香理が言う。
「うちの美術部に入らない?みんなに話を通してあげるよ」
と美由紀が言うが
「ごめんなさい。私、絶望的に絵が下手で。図工・美術の成績1以外もらったことがないです」
と希は言う。
「じゃ芸術は何選択した?」
「音楽です。でも合唱の組み分け、テノールに入れられちゃった」
「ほんとはアルトかソプラノになりたいのね?」
「はい」
「じゃアルトの声が出るように高い音域の練習をすればいいよね?」
と日香理が言う。
「うん。高い声ってわりと出るようになるんだよ。低い声を出せるようになるのは難しいけどね」
「へー」
「そうだ。うちの合唱軽音部に入りなよ。それでアルトに入れてあげるから、頑張ってアルトの声が出るように練習しよう」
「えー?」
「いいよね?合唱軽音部・部長さん?」
と日香理。
「うん。それならきっと、どこからか女子制服を調達してきて、希ちゃんに着せようとする子たちが絶対出る」
と青葉。
「ああ、出る出る」
「それ嬉しいかも」
と希は言っている。
「コンクールに出る枠ってあと1人余ってたから、9月までにアルト領域が出るようになったら、ちゃんとアルトとして出られるね」
と日香理。
「うん。最悪声が出なくても、女子制服だけ着てステージに並んでエア歌唱で」
と美由紀。
「その合唱軽音部って、私よく分からなかったんですが、軽音楽を合唱するクラブですか?」
「違う違う。元々合唱部と軽音部があったのが、人数が少なくて廃止するぞと生徒会から言われたんで、一緒になっただけ。だから活動内容はふつうの合唱部の活動とふつうの軽音部の活動」
「人によって、合唱に力点のある子と軽音に力点のある子がいるよね」
「ああ、じゃ楽器はしなくてもいいんですね」
「何かできる楽器ある?」
「私、リコーダーもまともに吹けないんですよ」
「ああ、割とそういう人はいる」
「あれ小学校の音楽教育に問題があると思うなあ。出来る子は褒め称える一方で上手にできない子にはひたすらコンプレックスを植え付けるだけの教師がよくいるから」
「丁寧に教えたら、誰でも吹けるはずなんだけどね」
「私ができるのって琵琶くらいかなあ」
「琵琶ができるの!?」
「はい。母が琵琶の師範なので小さい頃から姉たちのついでに習ってました」
「あ、萌ちゃんが上手なんだ?」
「いえ、萌姉は性格が荒っぽいから琵琶を3つも壊して、あんたはしなくていいと言われたらしくて。その上にもうひとり今年大学を卒業した香という姉がいるんですよ」
「ああ、そうだったんだ」
「うちの流派は女琵琶なので、女でないと名取りになれないんですよね。だから母は香(かおり)姉に自分の後を継がせたいみたいで。私はそのおまけです。実は結構女物の浴衣とか着せてもらって喜んでいた」
「なるほどー。女物の服着たさに練習にはげんでいたりして」
「実はそれ結構あったんです!」
「どのくらい弾くの?」
「香姉からは自分より上手いと言われるんですけど」
「握手」
と言って日香理が笑顔で希と握手する。
「何ですか?」
「今練習してる曲には琵琶奏者が欲しかったんだよ」
「え〜?」
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