【夏の日の想い出・アルバムの続き】(1)

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あれはいつのことだったか記憶が曖昧である(*2)。私とマリはその日、神戸に居て翌日は朝から東京で仕事があるので最終の新幹線で移動しようと言っていた。その時ローズ+リリーのファンで難病と闘っている女性・麻美さんが危篤になったという連絡を受けた。
 
「行こう」
とマリは言った。
「それでは明日の仕事に間に合わない」
と私は言った。
 
その時、私たちと打ち合わせしていた食品会社の人が言った。
 
「今から沖縄に行って、明日の朝には東京に行きたいんですか」
「ええ」
「東京のお仕事は何時ですか」
「9時なんです」
 
「ああ、だったらプライベートジェット使えば間に合いますよ。ちょっと失礼」
 
その人がどこかに電話していたがOKが取れたようであった。それで彼が私たちを神戸空港に送ってくれる、そして私たちはそこに駐まっていた小型ジェット機に乗り込んだのである。
 

飛行機には20代の女性で前橋さんという人が乗っていた。この飛行機のオーナーの親戚か何からしい。
 
「オーナーが今日はちょうど大会に出ているので私が同乗します」
と言って、飲み物や軽食などを出してくれた。
 
マリはプライベート・ジェット機というのに、はしゃいでいて
「VIPになった気分だね」
などと笑顔で言いながら、ビザとかタコスとかを食べていた。でも満腹すると“赤い旋風”(*1)を使って詩を書き出した。
 
黙って見ていたが『空に祈る』というタイトルであった。マリは楽しそうにおしゃべりしながら食べ物を食べていても、麻美さんのことも心配してるんだな、と私は思った。
 
「病気の御友人の御見舞いなんですか」
「ええ。私たちの熱心なファンなんですよ」
「早く良くなるといいですね。御友人は女性ですか」
「はい」
「だったらこれ御守りに差し上げます」
と言って前橋さんは金色の鈴をくれたので私はありがたく頂いた。
 
「でも女性でなかったら何かまずいんですか」
とマリは訊いた。
「特に問題無いです。女性化するだけですから」
「ああ、だったら全く問題ないですね」
とマリは言った。
 
(麻美さんはこのあと生理が再開したらしいのでほんとに女性化作用があったりして)
 

1時間ほどで那覇空港に到着する。前橋さんがレンタカーを借りていて私たちは病院に送ってもらった。麻美さんは意識が無く友人の陽奈さんが心配そうである。私は前橋さんから頂いた鈴をベッドの4本の柱の内のひとつに付けた。
 
そして・・・夜中0時過ぎに、麻美さんは意識を回復したのである。
 
「麻美ちゃん!」
「陽奈ちゃん・・・」
「良かった」
 
「あっ。マリさん、ケイさん」
「あまり無理してしゃべらなくていいよ。意識取り戻せてよかったね」
「はい。ありがとうございます!」
 

(*1) “赤い旋風”はマリ&ケイが制作に使用しているボールペンのひとつ。ふたりが使用している主なボールペンは次の5つ。
 
赤い旋風:主としてマリが使う。セーラー製。ケイが高校に入った年に買った。買う時にお金が足りず、偶然近くに居た麻央からお金を借りた。“旋風”は麻央が剛速球を投げるピッチャーであることから。4725円もした。マリの使用ボールペンの中ではもっとも高価なもの。でもマリは「あ。このボールペン書きやすい。もらうね」と言って勝手にもらった!
 
マリはこのボールペンが一番のお気に入りで亡くなるまで使用し、その後はキララ(かえでの孫で、ケイとマリの曾孫にあたる)が受け継いだ。
 
青い清流:セーラー製。元々はケイが小学生の時に漫画コンテストの努力賞としてもらったボールペン。ヴァイオリンのお礼に高岡猛獅にあげたが主として夕香が使用した模様。ずっと後に支香がケイにくれて元の持ち主に戻る。このボールペンは後にあやめに渡される。
 
銀の大地:セーラー製。中学3年の時に合唱大会の入賞記念品にもらったもの。同型のボールペンを数人の友人が持っているが、並べて見ても銀の大地はこれだと分かる、特異な個体である。いわゆる "one of thousand" だと思う。量産品の中に希に出現する名品。
 
金の情熱:パイロット製。高校1年の時スキーに行った際に現地で買ったもの。お土産品として売られていた金ピカのボールペンでボディには金粉も使用されているらしい。
 

夜間飛行:秋穂夢久専用。実は赤坂の全日空ホテルでアメニティグッズとして(ホテル側の好意で)もらったもので、マリが使用しているボールペンの中で唯一の使い捨てタイプ。数年に一度更新している。ホテルの社長が、マリが使用していると聞き、ずっと生産を続けることを約束してくれた。
 
秋穂夢久(あいおむく)とは実は全日空→青組 aokumi → aio muk.
 
その後、ホテルの経営者は変わってしまったが、現在はローズ+リリーのファンクラブでも "Rose+Lily" のロゴを入れて販売しているので結果的に生産が続けられている。マリが使用するものだけ特に(許可を取って)ANAのロゴを入れている。
 
製造していた工場が経営危機になった時は工場自体をケイが買っちゃった!500円のボールペンを作ってもらうために3000万円支出した。更に1億円投入して大半の製品の製造を自動化したが、このボールペンだけは古い生産ラインで作られている。色違いの同等品が、アクア:水色、常滑舞音:金ピカ、ラピスラズリ:紫、薬王みなみ:浄瑠璃イエロー、白鳥リズム:スノーホワイト、姫路スピカ;スピカブルー、の地色に各々のロゴ入りで生産されている。
 
現在工場は黒字経営である。創業者は引退して娘さん(実は元息子)が社長になっている。彼女の性転換手術代はマリが出してあげた。なお、天然女性と結婚していて子供も居るので、法的な性別を変更する予定は無いらしい。
 
現在この工場は主として100円ショップに文具を卸しているが、上述のように§§ミュージック・タレントのアメニティグッズも生産している。舞音の招き猫ダイアリーもここで生産している。
 

この夜、結局私とマリは病院の休憩室で朝まで休ませてもらったが、麻美さんの体調は朝までにはかなり良くなっていた。朝4時頃(ホテルに泊まっていた)前橋さんが来る。前橋さんもその少女にお見舞いをというので一緒に病室に行った。
 
麻美さんはかなり回復したようで、陽奈さんとおしゃべりしていた
 
私は彼女を紹介する。
「私たちをプライベート・ジェットに乗せて連れてきてくださった方なんですよ」
「プライベート・ジェットって凄いですね!」
 
「私はただの代理ですけどね。でもだいぶ良くなったようでよかったですね」
「ありがとうございます」
「私も以前大きな病気で1年くらい入院したことあるんですよ」
「それは大変でしたね!」
「こんなこと聞いたらいけないけど帽子かぶっておられるのは、やはりアレですか?」
「ええっと・・・」
 
「実は私が大病した時も、髪が全部抜けちゃって、人に会うのが恥ずかしーって思ってました」
「あ、私もですけどだいぶ開き直りました」
「でも私、毛生え薬処方してもらってそれで入院中に少しは髪が復活したんですよ」
「あ、その手があるかな。私もお医者さんにお願いしてみよう」
 
(医師は「どうせあと数ヶ月で亡くなるだろう患者の願いだから」と思って、治療には良くないかもと思いながらも毛生え薬を処方した。しかし結果的にはこの毛生え薬の副作用?で麻美は難病から回復することになる。この日が彼女にとって難病との戦いの折り返し点になったのである。これが最後の危篤状態となった)
 

私たちは那覇空港を朝6時に離陸。7時半頃羽田空港に到着した。帰りの飛行機の中でもマリは楽しそうに軽食?をたくさん!食べていた。
 
「だけど麻美さん回復して良かったねー」
とマリは“とんがりコーン”を食べながら言っていた。
 
「きっとこのままどんどん良くなって退院できる所まで行くよ」
ともマリは言っている。
 
私はそうなったらいいなと思ったが、それは本当にそうなるのである。
 
またマリは飛行機の中で『スパイラルコーン』という詩を書いた。ジェット機が空の空気を押しのけて飛んで行く様子、などと言っていたがきっと“とんがりコーン”のこと!
 

私は前橋さんに言った。
「物凄くお世話になりました。このお代はお幾らくらい払えばいいですか?一応手元に100万円あるのですが、足りないと思うので差額は後で振り込みますから」
 
(何かの時のためにいつもこの程度の現金は用意している)
 
「あら、私がちょっと沖縄までフライトを楽しんだだけでそのついでですからお金なんか要りませんよ。オーナーはお金持ちですから気にしないでください」
 
「いやそんな訳には。燃料費だけでも40-50万掛かったと思うし」
 
「でしたらローズ+リリーの歌を1曲聴かせて下さい。それを代金ということで」
「分かりました!」
「これ録音してってオーナーに聴かせてもいいですか?絶対他には流出させませんから」
「どうぞ!」
 
それで私とマリは前橋さんの前で『夏の日の想い出』『神様お願い』『花模様』、『天使に逢えたら』『影たちの夜』など10曲程度を羽田に着くまで歌ったのであった。彼女はそれをmp3レコーダーに記録していた。
 

(*2) この緊急の沖縄行きは2011年11-12月頃と推定される。
 
・麻美さんの症状が一進一退を繰り返していた時期であること
・この時コートを着ていた記憶があること
・病院ロビーにクリスマスツリーがあったこと
・飛行機の中で『神様お願い』や『花模様』を歌った記憶があること
・2012年4月の沖縄でのシークレットライブに招待した時「病状がだいぶ安定している」と言っていたこと
・2012年12月に青葉を連れて行って麻美さんに会わせた時「ここ1年ほど快方に向かっている」と言っていたこと
 
しかし私の手帳にも書かれておらず、麻美さんの親友の陽奈さんの記憶も曖昧なので、それ以上は特定するのが難しい。
 
※歌った記憶が確かな曲の作成時期
『夏の日の想い出』2011.07.18
『神様お願い』2010.12.19
『花模様』2011.10.08
『天使に逢えたら』2008.11.27/2010.5
『影たちの夜』2010.03.23
 
『天使に逢えたら』は2008.11.27に手書きのABC譜を書いたものでマリは翌月に歌詞を書いた。これを2010年5月に(マリの部屋の押し入れから発見し!)きちんと編曲・清書してラジオで歌唱した。音源化したのは2012.06.20ではあるが2011年には歌える状態にあった。
 

※麻美さんの闘病とローズ+リリーとの触れあい年表
 
2007.11 麻美の病状が悪化して入院。(高校1年)
2009.11.21-22 陽奈から△△社への手紙で会いに行く
 
 「友人が難病と闘っていていつ死ぬのかも分からない状態。一度ローズ+リリーのライブを観たいなどと言っているが会ってもらえたりはしないか」というものだった。しかし結果的にローズ+リリーとの出会いが彼女の命を救うことになる。
 
2010.03 特例で高校の卒業証書をもらう。
2010.12.19-21 症状が悪化して緊急の沖縄行き
 この時マリが『神様お願い』を書く(マリの作詞作曲)。
 
2011.11-12月頃 この時の沖縄行き
 
2012.04.14 那覇市でのシークレットライブに招待。外出許可がおりる
 
2012.11.23-24 青葉を連れて会いに行く。
 
 この時青葉がこの病気に効くかも知れない薬をウクライナの医師が発見していることに気付く。この薬は追試の結果が芳しくなく医学的にはほぼ無視されていた。論文もロシア語で書かれたもので日欧米では知られていなかったが青葉は別件の関連で偶然見ていた。ロシア語がスラスラ読める青葉ならではである。
 
そして実は麻美が使用していた毛生え薬にこの薬と似た成分が含まれていた。結果的にこの薬が効いて麻美は退院に到達することができた。
 
2014年8月末 麻美退院。
 翌年彼女は大学に入り、看護師を目指すことになる(途中で作業療法士に進路変更)。
 
2019.03 麻美が大学を卒業(27歳)。作業療法士として発達障害の子供のケアをするようになる。
 

2022年8月の時点で§§ミュージックの女子寮には70人、男子寮には10人の寮生が住んでいたが、この人数をケアするスタッフは看護師が女子寮に1人(山口)と男子寮に1人(海老原)、そしてカウンセラーは1人(上野)しかいなかった。
 
コロナで自由に外出できない事態が続いており寮生のストレスはかなり溜まっている。CS放送が自由に見られるようにしたり、ゲームアカウントやカラオケのアカウントを無料で配布したりもしているが、お悩みごと相談は増えている。しかしカウンセラーは1人で男子寮と女子寮を往復して勤務しているので、不在の日は稲田姉妹、海浜ひまわり、花咲ロンドなどが相談相手になってあげていた。
 
山口・海老原・上野の3人はスタッフを増員してほしいとコスモス社長に申し入れた。
 
「足りないよね!」
とコスモスも認めてくれて、人員募集をすることにしたのである。取り敢えず看護師を+1,カウンセラーを+2である。
 

ただ、人選は慎重にする必要がある。普通に募集したり職安などに募集を出すとアーティストのファンなどが“潜入”目的で応募してくる危険がある。それで基本的にはコネで探した。
 
看護師の方はわりと早く見付かった。
 
海浜ひまわりの友人で広丘さんという27歳である。独身なので身軽である。彼女は§§ミュージックの社員寮に入れることにした。勤めていた病院でコロナの影響で看護師さんが随分辞めて結果的に残った人が多忙になり、さすがに限界を越えたので退職。しばらく宅配便の配達!で食いつないでいたらしい。
 
中学高校で水泳をしていたので体力はあるし、大の車好き。大型・牽引・大型二輪の免許を持っている。海浜ひまわりとは何度もツーリングしたことがあり、ひまわりが人格は保証すると言った。愛車はランサーエボリューションとワルキューレである。彼女はひまわりと違って改造の趣味は無いらしい。
 

カウンセラーの方は難航した。しかし10月になってやっとひとり見付かった。
 
実は高村マネージャーの従妹で、城ルシアさんという26歳。現在は!女性である。女声遣いだし。会っても女性にしか見えない。まるで芸名みたいだが現在の戸籍名らしい。前の会社が倒産して仕事を探していた。外周りの営業をしていたのでマネージャーができないかということで推薦した。それで玉雪係長が面接していたら、以前の会社でカウンセラーをしていたことがある(電話占いをしていたこともある)と分かり
 
「だったらあなたカウンセラーしてくれない?」
と言って採用した。
 
彼女は女子寮に入ってもらうことにした。今カウンセラーをしている上野美津穂がC108なので彼女はC107に入ってもらう。
 
「中高生の寮生が多いので、どうしても相談に来るのが夕方以降になるんですよ。だから基本的な勤務時間は16:00-23:00 ということで」
「ああ。それで構いません」
 
「もしそれ以外の時間帯でも相談に来た寮生にはできる範囲で対応して頂けませんでしょうか。残業手当は払いますので」
「全然OKです」
 

ローズ+リリーの“オリジナル・アルバム”はこれまで次のようなタイトルで作ってきた。
 
2013.07.03『Flower Garden』290万枚
2014.12.10『雪月花』340万枚 +17月
2015.12.02『The City』195万枚 +12月
2016.12.07『やまと』320万枚 +12月
2018.03.14『郷愁』148万枚 +15月
2020.01.29『十二月』320万枚 +22月
2021,12.22『ラブコール』280万枚 +23月
 
ここのところアルバム発売の間隔が長くなっているのはやはりマリの妊娠出産の影響が大きい。マリは2019.02.03にあやめ(郷愁と十二月の間)、2020.10.18に大輝(十二月とラブコールの間)、2022.08.03にかえで(ラブコールの後)と産んでいる。それでラブコールの次のアルバム制作がまだ停まっている状況である。
 
あやめ・大輝を産んだ後、マリの調子は比較的短時間で回復したのだが,今回はどうもなかなか調子が戻らないようであった。
 

それでも私(ケイ)は、新しいアルバム(仮題)『空』に向けて準備を進めていた。
 
12曲程度を想定し、マリの調子があまり良く無さそうなことから6曲程度を友人などにお願いする。これらの楽曲は9月頃までに仕上がってきている。
 
鴨乃清見『つばさを駆って』
森之和泉+水沢歌月『草原に寝転がって』
大宮万葉『雲と風の歌』
水野歌絵・醍醐春海『虹の隙間』
未来居住・福沢聖子『ソランラソラ』
蜂矢仁美・波斯魔琴『傘を忘れる法則』
 
その他に以前書いていた未発表曲を少し調整したのが下記2曲である。
『空に祈る』
『スパイラルコーン』
 
また私自身でこの春から夏に掛けて歌詞・曲共に書き下ろしたのが下記である。
『星のふるさと』
『気球に乗って行こう』
 

私は譜面の調整を進めた上で、10月からスターキッズに楽曲の練り上げを依頼した。
 
「取り敢えずこの10曲?」
「うん。楽曲は追加すると思う」
「了解」
 
楽曲を練り上げる時ボーカルが居ないとやりにくいので、仮のボーカルを信濃町ガールズの西浜ももこ・南里くりこ(ももくり)にお願いした。10月は大型時代劇の制作をしているが、この2人は出番が少ないのでわりと時間が取れる。
 
そのスターキッズは先のアルバム『ラブコール』を昨年12月に出した後は、7月にシングルの『Rain』を出した以外作業が無く暇?であった。それで実は彼らに薬王みなみの伴奏をずっとお願いしていた。
 
しかし薬王みなみが10月は大型時代劇の制作で取られる(前田利家役)のでスターキッズも時間に余裕が出てくる。ちょうどそこにこの作業をお願いした。
 

薬王みなみのバックバンドについては、私もコスモスも悩んでいた。関わりの深い空帆率いるホローズに専業になることは考えられないかと打診してみたものの、“結婚する気の無い”リーダーを除くと、2〜3年以内の結婚を考えているメンバーが多く、プロのミュージシャンになると婚期を逃すというので踏み切れないようである。
 
それで私とコスモスは新しいバンドを作ることを決めたのである。
 
その時ラピスラズリの町田朱美が来て言った。
 
「今うちの調理係をしてもらってる篠崎希(しのざき・のぞみ)ちゃんなんですけと彼女物凄く楽器ができるし歌も上手いから、調理係とかしてるのもったいないと思うんです。彼女にふさわしいお仕事とかありませんか」
 
私もコスモスもジャスト・タイミングだと思った。
 

本人と面談してみるとバンドは面白そうだし、ぜひやりたいということである。彼女は琵琶が専門だが、弦楽器はたいてい行ける。撥弦楽器だけでなく擦弦楽器もできる。ヴァイオリンや胡弓もとてもうまい。ピアノも
 
「女の子はピアノ弾けなくちゃ」
と母親に言われて!?ずっと習っていたので普通に弾ける。ただ管楽器が全般的に苦手ということだった。
 
彼女にギターかベースをやってもらうことにした。
 
ちなみに彼女は長年女性ホルモンを摂取しているのでバストはBカップサイズまで育っている、性転換手術はまだだが、去勢は2019年に済ませている。喉仏も削っている。常時タックしているから裸にしても女にしか見えない。
 
彼女には適当な後任者を朱美家の調理係に雇った上で§§ミュージックの社員寮(岩槻)に移ってもらうことにした。
 

三田雪代(本名:大西香緒 20)はコスモスのところに来て言った。
 
「実家から『あんたいつまで経ってもデビューできんのなら、実家に戻って来てお店の仕事手伝ったりしてくれんね』とか言われてるんですけど」
 
彼女は2017年のロックギャルコンテストで上位入賞(優勝は石川ポルカ)したから5年間目が出なかったことになる。
 
「辞めるの?」
「それでちょっとご相談なんですけど」
「うん。おうちは何のお店だったっけ?」
「お酒屋さんなんです。角打ちもしています」
「あ!20歳になったからお酒が飲めるんだ!」
「そうなんですけど、それより速攻で結婚させられそうな気がして」
 
「結婚したくないの?」
「してもいいけど、地元に帰って親の勧めというかほぼ強制で結婚させられる相手って絶対保守的な暴力男ですよ」
「まあありがちだね」
 
「社長、多分みなみちゃんのバックバンドとか作りますよね。私そこに参加させてもらえません?割とメインな楽器で。ハーモニカとかトライアングルとかなら誰でもできるだろ?と言われそうだから、ギターとかベースとかピアノとかで」
 
「香緒ちゃん、ギターもピアノも凄い上手かったね!なんか超絶プレイしてたし」
 
ということで彼女にギターを弾いてもらい、篠崎希にはベースを弾いてもらうことにした。
 
三田雪代はバックバンド発足のタイミングで信濃町ガールズは退団となり、自動的に(?)信濃町エルフに移籍となる。また年明けくらいに社員寮に移動することとなった。彼女が出演している番組についてはテレビ局との話し合いが必要だが、太田芳絵あたりに引き継ぐことになる。
 
私たちは引き続きドラムスが打てる人を探した。
 

ΛΛテレビの昔話シリーズは今年はここまで次のように撮影が行われた。右端は放送日
 
2.26-3.6『陽気なフィドル』(アクア)4.30
3.12-20『小公子』(織田淳二)5.14
3.26-4.3『注文の多い料理店』(UFO)5.28
4.9-17『裸の王様』(健康バッド)6.11
4.23,24,29『ブレーメンの音楽隊』(スパイスミッション)6.25
5.14-22『西遊記』(CCD9)7.09
5.28-6.5『小公女セーラ』(倉田ミチコ)7.23
6.6-19『アリババと40人くらいの盗賊』(ケンネル・白鳥リズム)8.06
6.25-7.3『牡丹灯籠』(岩本卓也・木田いなほ)9.03
7.9-10『大きなかぶ』(赤いトマト)10.01
7.16-17『星の銀貨』(加藤渡)12.10
6.11-8.20『竹取物語』(アクア)8.20
8.23-28『青の洞門』(松田理史)9.17
 
12月放送予定の『星の銀貨』を7月に撮影したのは、夏に撮らないと寒い!からである。主人公は加藤渡君(高3)が演じるが、加藤君に女装してもらう訳ではなく!(彼の女装は無理だと思う)主人公を男の子に変更したためである。女の子の裸をテレビで映すわけにはいかない!という問題からこうなった。
 
「裸になるんですか?全然OKですよ」
と加藤君はあっかるーく返事した。彼は空手二段を持っており、多分裸に自信があると思う。
 
「ちんちん映してもいいですよ」
「いやそれでは放送できない」
「映ったらいけないならちんちん取り外しておきましょうか?」
「・・・リムーバブルなんだっけ?」
「ジョークです」
 
実際はモザイクを掛けた。
 

映画並みの制作費を掛けて制作した『竹取物語』の制作が終わったあと、8月下旬には松田理史主演で『青の洞門』を制作した。これはとっても低予算で、登場人物も少ない。
 
禅海和尚:松田理史(24)
庄屋:大林亮平(35)
羅漢寺住職:揚浜フラフラ(42)
ハナ:岩旗月恩(9)
トリ:神田なるみ(9)
ハナの母:桜井真理子(21)
トリの母:立花紀子(20)
トリの父:月城すずみ(19)
庄屋の娘:安原祥子(20)
猟師:獄楽(42)
通行料を取っている人:水巻アバサ(16)
村の子供たち:劇団桃色鉛筆
村の女たち:Flower Sunshine・信濃町ガールズ
通行人:ΛΛテレビ社員
村人:ΛΛテレビ社員
作業員:ムーラン建設
禅海を得度させた僧:木取道雄(32)
奥平昌成(中津藩主):鳥山渚(42)!!
 
語り手:沢田峰子(29)
歌:Flower Sunshine
 

主題歌と挿入歌はFlower Sunshineが歌って9月14日に発売された。ラビスラズリの『月よりの使者』と同じ日の発売だが、Flower Sunshineはランキングなど気にしない!でもこのCDは14万枚も売れてデビュー曲以来、1年ぶりのゴールドディスクとなった。週間ランキングでもラビスラズリに続いて2位だった。2位もデビュー曲以来1年ぶりである(前回の時の1位は坂出モナ)。
 
「またゴールドディスクなんて嘘みたい」
「あんなの一生に一度と思ってたのに」
「私たちもしかして人気歌手?」
 
でもギャラは安い!
 
ちなみにFlower Sunshineの音源というのは桜井真理子と安原祥子だけで作る。他の5人はコーラスさえも入れない。この子たちがコーラスを入れるととても発売できない音源になる:コーラスを入れているのは信濃町ガールズ。そもそも彼女たちは音源制作しているスタジオにも行かないし、いつ制作してるかも知らない!!
 
テレビ出演やライブでは後ろに並んで踊っているが振付指導もされない!踊りは適当である。安いユニットはこんなものである。
 

今回のドラマ撮影の大半は、春日部の“ゆりかもめスタジオ”(§§ミュージック所有)で撮影されている。これは千葉のララランド・スタジオ(ΛΛテレビ所有)が『竹取物語』の制作でふさがっていてセットを組めなかったからである。代わりに千葉のララランド・スタジオで§§ミュージック制作の時代劇『ザ天下』の“川中島”の撮影をさせてもらった。(使用料相殺)
 
ただし一部ララランド・スタジオを使った部分もある(後述)。
 
また主要メンバーと撮影スタッフを§§ミュージックのCRJ200に乗せて大分空港に送り込み、現地でロケをしている。
 

松田理史は2人のアクアが『竹取物語』の制作を終えて8/20 20時過ぎに八王子の自宅に戻った来たのを南川彩佳と一緒に迎えた。そのあと八王子のアクア宅では葉月・ワルツ・桐絵・宏恵と一緒に誕生会を開いたのだが、アクアたちは2人とも途中で眠ってしまった。
 
九重に2人を寝室に運んでもらい、Mには彩佳が、Fには理史が添い寝していたが、2人は翌日21日夜までひたすら寝て、22日もセックスもせずにほとんど寝ていた。
 
実際はFは理史に「好きにしていいよ」と言われたが何もせずにただ寝ているFを愛撫だけしていた/Mの方は「寝るー」と言っているのを彩佳が勝手に“入れて”いた。アクアMには現在ちゃんとヴァギナがある。(本人の主張では)ペニスもある。
 
そして23日朝、千里がアクア家の庭に持って来たヘリコプターでふたりのアクアは兵庫県に連行され、写真集の撮影に臨んだ。
 
理史はアクアたちが飛び立ったのを見送り、自分の専任ドライバー・東名高さんに送ってもらって熊谷の郷愁飛行場に行った。そしてスタンバイしているCRJ200に乗って大分に飛び、耶馬溪ロケをした。
 

耶馬溪ロケに参加したのは下記である。
 
松田理史・大林亮平・揚浜フラフラ・桜井真理子・安原祥子・立花紀子・獄楽・沢田峰子
 
これに沢田さんの付き人と、理史のマネージャー・中央圭が加わる。彼女は雰囲気もソフトなので普通にマネージャーに見える。実はボディカードであることを知っているのは立花紀子くらいである。
 
この日の大分地方の天気は曇で、比較的過ごしやすく撮影日和だった。現在の青の洞門や山国川の様子を見学。羅漢寺までリフト(*3)で登ってお寺の風景も撮影。また羅漢寺が所有するいろいろな資料も見せて頂いた。ここで一部の撮影も行った。
 
沢田さんは撮影はされないのだが、語り手として現地を見ておきたいということで一緒に行った。
 

(*3) 羅漢寺は山の中腹にあるのでリフトが作られている。スキー場のリフトと同様のものである。現在の駅は3つ。
 
禅海堂リフト乗り場−羅漢寺駅−山頂駅
 
以前は“山頂駅”の所に“鶴の国”という鶴を中心とした動物園があったが経営難で倒産した。末期の頃は動物たちの世話がまともにされておらず、可哀想に見えるほど悲惨な状態だった。
 
なお羅漢寺までは歩いて登ることもでき、参道が整備されている。筆者はリフトで登って参道を歩いて降りたことがある。
 

そしてその日の夕方にはCRJ200で熊谷に舞い戻った!
 
「うっそー!?大分日帰りなんですか!?」
と沢田峰子さんが驚いていた。
 
「いつもこんなもんですね」
と大林亮平。
「しょっちゅうやってます。北海道も沖縄も日帰り」
と立花紀子。
 
「お前ら恐ろしい日程でやってるな」
と揚浜フラフラが呆れて言う。
 
「ローザ+リリンのグアム日帰りよりはマシ」
と亮平。
「きゃー!!」
 

「醍醐春海先生とか若い頃海外0泊が多かったらしいですね」
と紀子(青葉から色々聞いている)。
 
「雨宮三森先生が無茶振りしてたからね」
と理史(アクアから色々無茶な話を聞いている)。
 
「入国審査で宿泊先を訊かれて zero stay, day trip と言うと、係官がポカーンとするらしいです」
と紀子。
「普通あり得ないよね。地球の裏側から飛んできて」
と亮平。
「ドイツ0泊とかブラジル0泊とかやったらしい」
と理史。
「恐ろしい話を聞いた」
と揚浜フラフラ。
「でも俺も東京から北海道の離島へ日帰りやらされた」
「ああ。『黄金の流星』のロケですね」
 
「醍醐先生はそういうハードスケジュールをこなすのに飛行機買ったらしい」
「アメリカの大企業の社長並みだな」
 
「ケイ先生も醍醐先生もたいがい無茶なことやらされてますよね」
と紀子。
「あの2人が音楽界の中心になってきたのが分かる気がする」
と獄楽は言った。
 

そういう訳で9月17日(土)に『青の洞門』は放送された。
 
最初に5分も掛けて耶馬溪の美しい風景が流される。一目八景なども映された。村娘衣裳を着け、田舎の女風に髪を結った桜井真理子・安原祥子・立花紀子の3人がそれを案内しているので、チャンネルを間違えたかと思った人もあったようである。
 
やがて尼衣裳の語り手・沢田峰子が登場して語り始める。
 
「今日のお話は『青の洞門』です。この洞門、つまりトンネルは山国川沿いの危険な道を回避するために江戸時代に禅海上人が発案し、30年ほどの歳月を掛けて作った、日本最古の本格的道路トンネル(*5)です。長さ308歩(*4) とも記録されており、仮に1歩=1.3mで換算しても400mになりますが、現在の遺構から推測しても、長さ342m、内トンネル部分は144mほどはあったと思われます」
 

(*4) 1歩とは人が歩く時に左足・右足と出した長さで歩幅の倍の距離。西洋のパッスス(passus Eng=pace ペース, Fra=pas パ)に相当する。ただし近年では1歩=1間(けん 1.818m)と再定義されている。
 

(*5) 青の洞門以前のトンネルとしては、鎌倉市の釈迦堂口洞門(平安時代?)、横浜市の称名寺洞門(鎌倉時代?)の2つしか無い。どちらも10m程度の長さであり、少なくとも144mの長さがあった青の洞門の物凄さが分かる。
 
禅海上人も青の洞門も、もっと評価されていい。
 
青の洞門は明治末期に車が通れるように大改修が行われ、昔の洞門の姿はかなり失われているが、それでも結構な遺構が残っている。
 

「さてこの物語を始める前に、『青の洞門』に関する4つの誤解を解いておかなければなりません」
 
と沢田峰子は言って“青の洞門・4つの誤解”と書いたフリップボードを持ち、まずは最初のシールを剥がす。
 
(1) 禅海和尚は殺人者ではない
 
「青の洞門の話を有名にしたのは菊池寛の『恩讐の彼方に』ですが、この物語はあくまで小説であって、事実とはかなり異なります、別の物でたとえれば、織田信長は最初は山賊の頭だった、なんて小説を書くのと同じくらいかなりトンデモ作品なんです。その中でいちばん違うのが禅海さんが出家したきっかけです」
 
「禅海は江戸浅草に住む越後・高田藩の藩士の息子でしたが、20歳頃に両親が亡くなったことで世の無常を感じ、出家してお坊さんになりました。菊池寛の小説では人を殺して逃亡し、そのあと追い剥ぎなどしていたとありますが、全く事実無根です。そんな悪人ではありません」
 

(2) 禅海さんが1人で掘ったのではない
 
「マンガとかだと、禅海さんがひとりでノミを振るっていて、途中から中川実之助が手伝って2人で貫通させたみたいに描かれていますが、考えてみればすぐ分かることでこんな長大なトンネルを1人や2人で、しかも素人が掘れるわけないです」
 
「禅海和尚は、綿密な計画を立て中津藩主の許可を取り、職人を多数雇って掘っています。その資金は最初は禅海和尚が托鉢で得たお金を使っていました。初期の段階では村人たちは「できる訳無い」と思い「頭のおかしな坊主が変なことしてる」くらいに思っていたのですが、一部貫通した後は、村人たちが禅海和尚の計画の実現可能性を認識して多数の寄付をしてくれたり、あるいは自ら作業に加わったりして掘っています。この洞門は村人みんなの力で完成したものなのです」
 

(3) この道は元々難所だったわけではない。
 
「ここは本来普通の街道でした。それが難所になってしまったのは中津藩小笠原家の3代目・小笠原長胤がおこなった農業用水の開発に原因があります。この用水路は長さ60kmにも及び、広大な面積の水田を潤しました。しかし山国川に荒瀬井堰を築いて川の水を堰き止めたため、この付近の道路が水没してしまい、重要な幹線道路が通れなくなってしまったものです。今で言えば隅田川を堰き止めて東京の東側が通行不能になるようなとんでもない工事でした。つまりこれは完璧な人災なのです」
 
「小笠原長胤(おがさわら・ながたね)はこの工事に莫大な費用を掛けたため藩の財政を悪化させ、それが原因のひとつとなって小笠原家はお取り潰しになります。代わって丹後・宮津藩から移ってきた奥平家が新しい藩主になります。禅海和尚はその交替した新しい藩主・奥平昌成(おくだいら・まさしげ)から工事の許可を取って洞門を掘り始めました」
 

(4) 禅海は通行料で儲けたわけではない
 
「青の洞門は1730年に工事が始まり、1750年に第1期工事が終わり使えるようになります。ここでこの部分で“人は4文、牛馬は8文”の通行料を徴収しました。そのため青の洞門は日本最初の有料道路と言われることもあります。4文(もん)は今でいえば100円くらいです。昔はそばの代金が“二八そば”で16文(400円)でしたから、それからすると充分安い通行料だったと思われます」
 
「通行料を取っていたということから『禅海さんって商売人ね。通行料の利益でウハウハ』などと言う人もありまが、この通行料は残りの部分の工事のための資金とするために徴収したものです。また禅海は余った資金は全部羅漢寺に寄付しています」
 

映像は江戸で武士姿の福原市九郎(後の禅海/演:松田理史)が卒塔婆の前で手を合わせているところから始まります。彼は藩主に願い出て父の後は継がず浪人となる許可を取りました。そして法華経を書写します(書写している場面が映る)。そして書写した法華経を持ち、諸国を巡礼してまわっては各地のお寺に法華経を納めました(法華経を入れた“龕”(後述)を背負い諸国を巡っている様が映る)。(*10)
 
(挿入歌Flower sunshine『歩こう歩こう日本を歩こう』)
 
そして僧(木取道雄/友情出演(*6))の手で得度し「禅海」という名前を頂きます。そして僧衣を着けて再び巡礼の旅に出ました。(*7)
 

(*6) 友情出演とは、つまりノーギャラ!
 
「頭剃ります?」
「カツラでお願いします」
 
(*7) 松田理史の髪型は最初の武士の格好の時は一般に時代劇で見られる月代(さかやき)を剃った銀杏髷(いちょうまげ)である(*8)。法華経を持って諸国を歩いている時は日々の生活費も托鉢に頼っているので髪を結う余裕など無く、長く伸びた髪を後ろで束ねるだけの“総髪(そうはつ)”にする。時代劇ではよく学者や医者などがこの髪型をしている(*9). そして得度した後は坊主頭である。
 
理史は3種類のカツラを使用している。
 
「実際に剃ってもいいけど」
「遠慮します」
 
ちなみに“総髪”は男性については“そうはつ”と読み、女性については“そうがみ”と読む。現代なら“まげ”と“ボニーテール”の違いか?
 

(*8) 銀杏髷や粋な人が結った本多髷など、また現代の大銀杏などまで含めて“ちょんまげ”と呼ばれることがあるが、本来の“ちょんまげ”とは年を取ってしっかりした髷が結えなくなった、貧相な髷をからかって言ったものである。
 
“ちょん”とは小さいとか不完全とか一時的であることを言う古い言葉。
 
「雀が木の枝にちょんと留まった」
「紐をちょん掛けする」
「ばかだの、ちょんだの、のろまだの」(西洋道中膝栗毛)
 

(*9) 元々月代(さかやき)を剃ったのは武士が兜(かぶと)を着けた時に蒸れにくくするためである。医師などは戦場に動員された時に非戦闘員であることを示すためあえて月代を剃らない“総髪”にしていた。
 
また江戸時代の初期の庶民、特に田舎の百姓などは兜を着けないので月代を剃る必要性もなく総髪であった。しかし江戸時代後期には、本来武士の髪型である銀杏髷が「かっこいい」として庶民にも広がった。
 
今回のドラマでは江戸時代中期の田舎の話なのでドラマに出てくる男性たちは僧を除いて!総髪にしている。成人女性たちは髪を後ろで束ねて丸め、輪っかにする玉結びである。少女たちは禿(かむろ)つまりおかっぱ頭である。
 
これらの髪型はドラマでは自毛でできる人は美容師さんがそういうアレンジをしており、髪の長さが足りない人はカツラを使用している。
 

(*10) こういう巡礼をする人たちを“六十六部”と言った。法華経66部を書写し、その1部ずつを全国66ヶ国の霊場に納めて回るという巡礼である。略して六部とも。六部笠と呼ばれる笠をかぶり、納める法華経と御守りの阿弥陀如来像を納めた龕(がん)を背負っていた。
 
現代では日本は47都道府県に分けられているが、昔は66ヶ国(+2)に分けられていた。
 
(+2は壱岐・対馬)
 
龕(がん)とは今で言うとリュックのようなものである。四角い箱に背負えるように帯を取り付けたもの。
 
六十六部は当然のことながら高確率で行き倒れになるのでそれを埋葬してあげた六部塚というのが各地にある。また巡礼していた人がどこかの地に定住し、庵を結ぶこともあった。その人たちは後進のために霊場整備などをしたりして巡礼する人たちを支援した。
 
武家出身などなら字が書けるからちゃんと法華経を書写したと思われるが、庶民などは現在のお遍路さんに見られるように納経札で代用したと言われる。納経する霊場は初期には全国六十六国の国分尼寺であったが、これらはやがて多くが廃絶するため、一宮が使われたりして様々であった。
 

禅海が中津国・耶馬溪の樋田村に来た時、青野渡りという、崖の中腹を、渡したロープをつたって通らなければならないとても細い道がありました。しかも片側は山国川が堰き止められて作られた人工湖で、落ちたら死ぬと思いました。
 
禅海が近くのお寺・羅漢寺を訪ね、御住職(揚浜フラフラ)に話を聞くと青野渡りでは毎年何人も川に落ちて亡くなっているといいます。
 
「迂回路は無いのですか?」
「あそこは斜面が急だから深い山を越える必要がある」
「せめて道幅を広げるとかは」
「岩盤がものすごく堅くて、とてもそんな工事はできないのだよ」
 

禅海はしばらく羅漢寺に滞在していましたが、ある日の夕方、女の子(岩旗月恵)が泣き顔でお寺に入ってきました。住職が尋ねます。
 
「ハナちゃん、どうしたの?」
「トリちゃんが見当たらないの」
 
住職と禅海が顔を見合わせます。
 
「この近くで遊んでたの?」
「みんなでかくれんぼしてたの。私がオニで、みんな隠れてて他の子は見付けたけどトリちゃんだけ見付からなくて。トリちゃん隠れ方うまいねと言ってたんだけど、そろそろ帰ろうという時にもトリちゃんの居場所が分からなくて。それでみんなで手分けして探すけど、誰も見付けられなくて」
 
「それはいかん。禅海殿、村まで行って人手を集めてくれんか。私はこの子と一緒に探す」
「はい」
 

それで禅海は村まで走り、村の庄屋(大林亮平)に報せます。それで村人が多数集まって羅漢寺に向かい、行方不明になっている女の子を探しました。
 
どこかの崖にでも落ちてないかと、危険な場所の捜索などもしますが見付かりません。
 
やがて日が暮れるので子供たち(演:劇団桃色鉛筆)は各々の母親(フラワーサンシャイン・信濃町ガールズ)と一緒に家に帰します。でもハナだけは「私見付かるまで待ってる」と言うので、母親(桜井真理子)と一緒に寺で待機しました。庄屋の娘(安原祥子)が、ハナ母娘、そして泣きそうな顔をしているトリの母(立花紀子)に麦飯のおにぎりをあげて「きっと見付かるから」と励ますのでした。
 

やがて日が暮れてしまいますが、村の男たちは松明(たいまつ)を持って行方不明の子供を探し続けます。その時、庄屋(大林亮平)が言いました。
 
「もしかして鬼岩窟(おにのいわや)に入り込んだのでは?」
「可能性はあるな。あそこに入り込んだとしたらことだぞ」
と住職もいいます。
 
「“おにのいわや”とは?」
と禅海が尋ねます。
 
「羅漢山には多数の洞窟があって、その洞窟ごとに多数の羅漢様が安置されているのだが、ひとつとても深い洞窟があって、その果てを見た者は無いのだよ」
 
「そこを探しましょう」
「しかし中は真っ暗闇だから探しに入れば我々が出てこられなくなる。探検してみると言って入って行った者もいるが出て来られた者は誰もいない」
 
「諸国を巡礼している時、やはり洞窟の多い長門国(ながとのくに)で洞窟に入る時の方法を聞きました。誰か外側に立っていて糸巻の糸の端を持ちます。洞窟の中に入る者は糸巻から糸を出しながら歩いて行くのです。そうすればどんなに深く入っても、必ず戻れます」
と禅海は言いますが、村人は半信半疑です。
 
「その洞窟に入る役、私がやります」
と禅海は言いました。
 
「いや私にやらせてください」
とトリの父(月城すずみ)(*11)が言いますが
 
「父親なら本人を見付けた瞬間、喜びの余り糸巻を離してしまうかも知れません。そしたら2人とも戻れなくなります。あなたは入口で糸の端を持っている係をお願いします」
 
「それとどなたか、私と一緒に中に入り、松明を持っている係をお願いでききせんか」
と禅海が言うと
 
「それは私がしよう」
と和尚が言いました。
 

(*11) この部分は千葉のララランド・スタジオで撮影している。撮影時期は8月下旬で『竹取物語』に出演してもらった信濃町ガールズの兄弟たちが多数残っていた。特に月城すずみ・水巻アバサは多数のドラマに出演した。洞窟はセットである。内側に岩盤っぽいものを貼り付けた多数の段ボールのユニットを組んで作った。このあと『少年探偵団』でも使い回しする!(だから予算が取れた)洞窟の入口は実は『お気に召すまま』の“公爵の洞窟”のお下がり!
 

それで庄屋さんが糸巻の特に大きな玉を持って来てくれて、その端をトリの父親が持ちます。この糸の端は別の糸巻の端と結びました。こうしておくと糸がひっぱられた時にこの糸巻から糸を送り出してやることができます。
 
それで禅海が糸巻を持ち、羅漢寺住職が火を点けた松明、予備の松明3本を持って中に入っていきます。禅海は左手を洞窟の壁に付けており、分岐があった場合は原則として左側の道に進みました。
 
「左手法といって必ず左に進むようにしていれば迷いにくいのですよ。左手は常に洞窟の壁に付けていれば分岐を見落とすこともありません」
 
「へー」
と住職は感心していました。
 
(挿入歌Flower sunshine『迷い道暗い道』)
 
探索していると時々洞窟が行き止まりになっていて戻ることもありました。その時は糸をたぐりながら戻ります。そして分岐点まで戻った時は一度入った分岐には目印に壁に経文を貼り付けておきました。
 
洞窟内を歩いていて途中3体の古い人骨を見付けました。過去に入っていき出られなくなった人と思われました。2人は合掌して般若心経をあげました。
 

こうして洞窟内を探索して半時(はんとき=1時間)も経った頃、女の子の泣き声が聞こえました。
 
「近くに居る」
「おーい、今助けに行くぞ」
「そこから動かずにじっとしていなさい」
「はい、分かりました」
 
禅海と住職は二分(にぶ=現代の時法でいうと6分(ぷん)6 minutes)もすると泣き顔で座って待っている女の子(神田なるみ)を見付けました。
 
「トリちゃん、みーつけた」
と住職が言うと、トリは
「見付かっちゃった」
と少し笑顔になって答えました。
 

その後は体力のある禅海がトリを抱き、住職が2本目の松明を持って糸のある方角へ歩いて戻りました。糸巻はトりを見付けた場所に置去りです。帰りは一刻(いっこく 30分)ほどで出口に戻ることができました。
 
「お母ちゃん!」
「トリ!」
 
居ても立ってもいられずに洞窟の入口まで来ていた母親(立花紀子)がトリをしっかり抱きしめました。トリはそのあと、待っててくれたハナちゃんに
「トリちゃん見っけ」
とあらためて言われて抱き合って2人とも泣きました。(父は無視!)
 

その夜、禅海が寺で寝ようとしていた時、
「そうだ!」
と大きな声をあげました。
 
翌朝、禅海は自分の思いつきを住職に説明しました。
 
「山を越えるには険しすぎる。道を広げるには堅すぎるというのなら、岩の中に洞穴を鑿つ(うがつ)というのはどうでしょう?」
 
「それは原理的には可能かも知れないが1間(けん)や2間(けん)の穴を掘るのではない。恐らく100間(けん)ほどの長大な穴を掘らなければならない。人間わざで出来ることではない」
 
「でも1月で1尺掘ることができれば100間は600ヶ月、50年あれば掘り通すことができます」
「おぬし、それをやるつもりか?」
 
(1間(けん)=6尺。だから100間は600尺。1尺は30.3cm。しかし禅海も和尚も掛け算・割り算ができているのは偉い)
 

禅海は庄屋さんの所にも行って計画を説明しますが、50年掛けて掘るという話に「そんなの不可能だ」と言います。でも計画のための調査をすることは許可してくれました。
 
山の状況を把握するのに猟師(獄楽)を紹介してくれたので、彼と一緒に山の中を歩き回りました。歩いた歩数を数え、それを矢立(*12)を使って記録します。
 
(この場面を耶馬溪の実際の山の中で撮影した:現地の本職の猟師さんに協力してもらった。なお九州に熊は居ないが猪は居る。幸い危険な獣には出会わなかった。極楽の出番はここだけで彼はスタジオには入ってない!)
 
この調査のための費用は庄屋さんが出してくれました。禅海は対岸からも青野渡りの様子を観察したりして、この近辺のかなり正確な地図を作りました。そして固い岩盤がある地域を確認し、洞門を掘るための最適なルートを作成したのです。ここまでに2年ほど費やしています。
 
「しかし山に穴をうがつとして、掘っている内にきっと方角が分からなくなるぞ」
「はい。私もその問題を考えました。それで、現在の崖沿いの道の近くに掘り、だいたい5間(けん/5間=9m)くらいおきに横へ掘って外の道に繋ごうと思うのです。すると崖際の道を通る人の退避場所にもなりますし、洞門の明かり取りにもなります。また穴がどの程度曲がってしまったかも分かります」
 
「なるほどー。明かり取りが無かったら洞門内で迷子になるな」
 
(昔は電灯も無い!)
 

庄屋はそのような工事をするなら殿様の許可が必要だと言いました。それで、半年ほど掛けて詳細な計画書を書いた上で、庄屋(大林亮平)・羅漢寺住職(揚浜フラフラ)とともに中津藩主・奥平昌成(鳥居プロデューサー!)に工事許可を願い出ました。藩主は計画書を普請奉行に検討させた結果、半年後に工事の許可が出ました。
 
また殿様は少し寄付までしてくれました。
 
「これは藩としての工事費の下賜ではなく、あくまで余の小遣いからの寄進じゃ」
「ありがとうございます」
 
(殿様が寄付してくれた以上、工事が失敗したら禅海は切腹するしかない)
 

(*12) 矢立(やたて)は時代劇などにも出てくるが、筆と墨壺をセットにした携行用筆記具。鎌倉時代から使われ始め室町時代後期にかなり完成した。そして江戸時代後期に、現在の時代劇に見るような柄杓型の携帯性に勝れたものが現れた。禅海と同時代の松尾芭蕉は、扇のように蓋をスライドさせると筆と墨壺が現れるような矢立を使っていた。墨壺は保水性のある素材に墨を吸収させていて適宜水を追加した。禅海が使用したのもこのタイプと思われたので小道具さんが当時の絵などを見て制作した。
 

工事の資金は殿様ほか、庄屋さんや羅漢寺住職も少し寄付してくれましたが全然足りません。禅海は近隣の村まで托鉢に廻り、浄財の寄付を頂いて、その資金で職人を雇い、掘り始めました。お金が無くて職人を雇えない日は少しでも工事を進めようとして禅海自らノミを振るいました。トリの父(月城すずみ)も
 
「私は腕力無いけど少しでもお手伝いしますよ」
 
と言って手伝ってくれました。
 
(挿入歌Flower sunshine『一歩一歩』)
 

禅海の所に麦飯を持って来てくれたトリの母(立花紀子)が言います。
 
「お坊さん、大黒要らない?」
 
「は?」
「お相手してもいいよ」
 
禅海は一瞬何のことかと考えましたが、意味が分かると笑ってノミを振るいながら答えました。
「私は仏道修行の身。女犯(にょぼん)は自ら封じているのです」
「もしかして心に思う可愛い女性(ひと)がいるとか?」
 
ここに一瞬、アクア?と思われる女性の後姿が映る。
 
(視聴者には物凄く受けたが、このシーンはアクア(M)!の抗議で再放送ではカットされた。DVD版にも収録されていない。もちろん撮影されたのはF!(ノーギャラ・ノンクレジット)でもそれで鳥山は、やはりアクアは双子姉弟なんだなと思った)
 
「私は生まれて40年間女性とそのようなことはしておりませんし、今後もすることはありません」
「もしかして、ちんちん取っちゃった?お坊さんには、らせん(*13) とか言って、時々取る人いるらしいけど」
「ありますよー。ちゃんと立ちますよ」
「へー。それでしないって凄いね。うちの父ちゃんなんか毎晩するのに」
「仲がいいですね」
 
(このやりとりは立花紀子が理史をからかうのに発案した)
 

(*13) きっと「羅切(らせつ)」の誤り。主として煩悩(性欲)を滅するため自分で男性器を切断すること。羅は“魔羅(まら)”の略。
 
「禅坊主、羅切してから、無一物」(誹風柳多留)
 
日本でも修行僧で羅切をおこなう者はそう珍しくなかったという。
 

トリの両親やハナの両親など協力してくれる人は居ましたが、大多数の村人は「あの山に穴を空けるとかできるわけない」と言って、可能な範囲の寄進はしてあげるものの、笑っていました。
 
禅海の工事が進められる間にも毎年数人が青野渡りから足を滑らせて転落し亡くなっていました。その供養に参加しつつも禅海は作業を進めました。
 

しかし5年後、禅海が主導して掘り進めていた洞門が5間(9m)ほどの長さに到達し、青野渡りの途中につながった時、村人は
「ひょっとしたらこの洞門は可能かも知れない」
と思うようになります。
 
寄進する人たちが増え、作業の手伝いをしてくれる者も増えていきます。樋田村周辺の住民たちも寄進してくれて、中津藩主や更には中津藩周辺の領主からも寄進があり工事はスピードアップしました。
 
(挿入歌Flower sunshine『一歩一歩』)
 
ついに20年後、青野渡りの約半分をカバーするバイパス道が完成しました。そして今まで危険な道で命を落とした人を供養する法要が行われました。
 

ここで村ではこの半分までできたバイパス道で通行料を取ることにしました。通行料は「人間4文(100円)、牛馬は8文(200円)」という安価なものでしたが、この通行料で残りの工事を進めようというものです。
 
通行料を取っている人:水巻アバサ
通行人:ΛΛテレビ社員
 
この結果、工事のための資金は豊かになり、工事はスピードアップして、最初に掘り始めてから33年、計画を思いついてから36年ほどが経った年、ついにバイパス道路は完成しました。
 
できあがった400mほどの道路を見て、73歳になった禅海は万感の思いでした。(眉毛を白く染めている。またシワだらけの手袋!をしている)
 
(Flower sunshineが歌う『隧道(ずいどう)の向こうに』が流れて完)
 
 
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【夏の日の想い出・アルバムの続き】(1)