【夏の日の想い出・止まれ進め】(1)

Before前頁次頁時間索引目次

1  2  3  4  5  6  7 
 
政子は唐突に、あやめ・夏絵・大輝の前で語り始めた。
 
「昔々ある所に、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんとおばあさんは、一匹の雀(すずめ)を飼っていました。ピー助という名前を付けて可愛がっていました」
 
ふーん。舌切り雀かな?と思って私は聴いていた。でもあの雀って男の子だったっけ??
 
「ある時、ピー助は障子のところでおしっこをしてしまいました。おばあさんは怒って『このちんちんか?悪いことをしたのは』と言って、ピー助のちんちんをはさみでチョキンと切ってしまいました」
 
そこへ行くのか!?だけど鳥にはペニスは元々無いのに、などと思う。大輝が自分のちんちんを手で押さえている。
 
「ピー助はちんちんを切られて痛かったので、どこかに飛んで行ってしまいました。仕事から帰ってきたおじいさんは話を聞くと驚いて、ちんちん切っちゃうなんて可哀想にと言って、ピー助を探しに行きました。はい、冬歌って」
 
「はいはい」
と言って私は歌った。
 
「すずめ、すずめ、お宿はどこだ?」
「チチチ、チチチ、こちらでござる」
 
「そこは『ちんちんちん、ちんちんちん』と歌って欲しかった」
「なんで〜?」
 

政子は話を続ける。
「それでおじいさんは、ピー助のおうちに辿り着きました。ピー助はとても可愛いお洋服を着ていました」
 
『まるで女の子みたいな服を着てるね』
『私、ちんちん切られちゃったから女の子になったんです。でもお陰で可愛い服を着られるようになって幸せ』
 
うーん。。。なんか教育に良くないなぁと思って聞いている。
 
「ピー助のお父さん・お母さんも『うちの息子を娘にしてくださってありがとうございます』などと言っています。ピー助は女の子らしく名前もピー子に変えていました」
 
「『女の子になれたお祝いです』と言って、ピー子と御両親はおじいさんにたくさんごちそうをしてくれました。はい、冬歌って」
 
「おじいさん、よくおいで。ごちそう、いたしましょう」
「お茶に、お菓子、おみやげ、つづら」
 
「そしてピー子たちは、お土産にと言って、大きな箱と小さな箱を見せました。『どちらでも好きなほうをお持ち帰り下さい』と言います。でもおじいさんは『私はあまり力が無いから』と言って小さな箱を選びました」
 
「ピー子は言いました。『おじいさん、家に着くまでは決して箱を開けないでくださいね』と。『うん、分かったよ』と言っておじいさんはピー子の家を出ました。はい冬」
 
「さよなら帰りましょう。ごきげんよろしゅう」
「来年の春に、またまたまいりましょう」
「さよなら。おじいさん。ごきげんよろしゅう」
「来年の春の花咲く頃に」
 

「それでおじいさんは小さな箱をしょって、決して中を見たりせずに、おうちまで帰りました。帰ってから箱を開けてみると、美味しいごちそうがたくさん入っていました。それでおじいさんとおばあさんは、たくさんごはんを食べました」
 
金銀財宝ではなくて、ごはんが入っていたというのは政子らしいなと思った。
 
「おばあさんは言いました。『大きな箱を選んでいたら、もっとたくさんごはんが入っていたろうに』と。それで、おばあさんは自分が行ってくるといって、おじいさんに道を教えてもらい、ピー子の家まで行きました」
 
「ピー子におばあさんは『ちんちん切っちゃってごめんね』と謝りましたが、ピー子は『ううん。それで女の子になれたからいいよ』と言いました。そしてたくさんごちそうでもてなしました。最後にお土産をもらいます」
 
「ピー子は大きな箱と小さな箱を見せました。『どちらでも好きなほうをお持ち帰り下さい』と言います。おばあさんは『だったら大きいのをもらっていく』と言って大きな箱を選びました」
 
「ピー子は言いました。『おばあさん、家に着くまでは決して箱を開けないでくださいね』と。『うん、分かったよ』と言っておばあさんはピー子の家を出ました」
 
「それでおばあさんは大きな箱をしょって、持ち帰りますが、あまりにも重たいので、座り込んでしまいました。その内、日が落ちて夜になってしまいます。おばあさんは心細くなりましたし、お腹も空いてきました。それで『帰るまでは決して開けないように』と言われていたのに『ちょっとだけ摘まみ食いしよう』と思って箱の蓋をあけてしまいました」
 
「すると、中にはまだ固まってないプリンがあって、箱を開けたので、ざぁっとこぼれてしまいました。それでおばあさんは何も食べることができなかったのです。だから、あんたたちも、作ってる最中のおやつのできあがる前を摘まみ食いしようとしたら、いけないんですよ」
 
「はーい」
 

政子らしいオチだなと思った。でも大輝が悩んでいた。
 
「わたし、ちんちんきられちゃったらどうしよう?」
「トイレ失敗したら切られちゃうかもね」
「いやだあ」
「だったらトイレもらさないように頑張ろう」
「うん、わたしがんばる」
 
大輝は自分のことを「わたし」と言う。姉たちが「わたし」と言うので、それを真似ているのだろう。政子は「ぼくと言いなさい」などと指導する子ではない!
 
「でも大輝、ちんちん無くなったら女の子になればいいんだよ」
「そうなの?」
「お姉ちゃんたち、女の子だからちんちん無くても平気だから」
「なくてもいいのかなあ」
 
と大輝は悩んでいた。
 
「大輝が女の子になったら“だいな”とか名前を変えればいいね」
「へー」
「“だいな”でも“だいちゃん”でいいね」
「ふーん」
 
「女の子になった時の練習でスカート穿いてみなよ」
「スカートはおんなのこだけなの?」
「でも大輝なら穿いてもいいよ。ほら、私の小さい頃のスカートあげる」
「ありがとう」
 
それで大輝は、あやめの小さい頃のスカートをもらってその日は穿いていた。
 
でもだいたい姉がいる弟というのは女装させられるものだもんなと思い、まあ小さいうちはいいだろうと思うことにした。
 

いつも「お金が増えて困る。減らしたい!」と言っている若葉が、その資産のたぶん1割ほどを注ぎ込んで建設していた“郷愁ライナー”は9月2日に正式開業(熊谷駅(JR熊谷駅地下)−嵐山駅(東武・武蔵嵐山駅そば))することが、嵐山町(らんざんまち)・熊谷市(くまがやし)との三者会談で決定した。
 
2020.12.25に、飛行場−大駐車場間が部分開業していた。また嵐山−飛行場間を郷愁飛行場・郷愁リゾートのスタッフだけが使用していた。また大駐車場の先に名前のない駅(これが平安ハウス駅になった)があり、ここに用事のある人だけが使用していた(社員証か入館証がないと降りられない)。
 
(“名前のない駅”の撮影にわざわざ来る鉄道マニアも居た:大駐車場から歩いて写真を撮りに来る)
 
この新交通システムは、2020年初から建設を始め、同年11月までに郷愁リゾート敷地内の建設が完了、2021年春までに嵐山−農大前の工事が完了していた。そして2022年3月に最も大変だった、荒川の下を通すトンネルが完成。6月には全線の工事が完了。工事ではひとりの死者も出さなかった。これは同業他社から称賛されていた。
 
国土交通省の検査を受けていたが、7月には無事検査合格した。
 
検査担当者はその高架の丈夫さに驚いていたし、トンネルも超音波検査で物凄くしっかりしていることを認めて驚いていた。運賃の認可も得て、8月19日(金・なる)に運行許可発効。この日には熊谷市・嵐山町の関係者や旅行業者・マスコミ関係者を乗せた記念列車が運行された。マスコミは、ムーランが無借金で建設したことに驚いていた。
 
そして9月2日(金・友引・ひらく)に正式開業することになった。
 
わざわざ夏休みが終わったところで開業するのは、もちろん密を避けるためである。コロナが完全に終息するまでは原則として定員の半分しか乗せないし、全席予約制である。
 
しかしこれで郷愁リゾート・郷愁飛行場がとうとう新幹線と直結されることになる。
 

その郷愁リゾートでは、映画のセットを展示しているエリアで『とりかへばや物語』のセット再編をしていたのだが、整備が“いったん”完了して6月に再公開されている。
 
今回再公開したもの
宣耀殿・麗景殿・紫宸殿・温明殿
左大臣宅の寝殿・東対・西対
参集殿・風祈社
 
元の広さの3割ほどに集約された。このほか、一部を『竹取物語』の撮影に使用した。
 
千葉に運んで竹取物語の撮影に転用したもの
 
清涼殿→清涼殿として使用
昭陽舎→帝とかぐや姫が双六をした所。出産後の光が居た所
 
宇治邸→かぐや姫宅に転用
右大臣宅の桐対→車持皇子の山の中の邸に転用
六条辺りの家→桃の家
 
二条御殿→石作皇子の家に転用。ここで大伴大納言が部下を集める所、石上麻呂が部下を集める所も撮影。
 

『とりかへばや物語』の撮影では、この他に大量の“ハリボテ”の建物があった。下記のようなものである。
 
弘徽殿・常寧殿・藤壺・梅壺
 
これらは外側・片側のみで中身が無かったのだが、これを利用して若葉は郷愁リゾート内の、§§ミュージック分室の近くに、“平安ハウス”というオペラハウスを建築した。高さ・幅・奥行きが全て14mという立方体のホールを“2つ”持つ。この2つのホール“玄武”と“朱雀”は間の壁を取り外して奥行き28m(+2m)のホールとしても使用可能である。
 
そしてこの平安ハウスの外装に、ハリボテの外装を転用したのである。それでこのオペラハウスは、見た目は古い平安時代の建物みたいに見えるのである。
 
「ここでライブやるの?」
「こんな所でやりたいと思う人がいるとは思えない」
「だったら何のために作ったの?」
「お金が減るから」
 
はいはい。
 
「それにムーラン建設の若い技師の教育も兼ねている」
「ああ」
 
千里も播磨工務店の若い技師に経験を積ませるためにあちこちに色々建物を建てさせているようである。
 
そしてこの平安ハウス近くにあった“名前のない駅”に“平安ハウス駅”という名前を付けたのである。これが6月だった。
 

映画『お気に召すまま』の“撮影”は、2022年6月5日に終了した。映画の制作はその後も、アフレコ作業が行われ7月1日まで掛かっている。
 
この映画は原則として、英語セリフ録音→クチパクで演技→日本語・ドイツ語・フランス語のアフレコという手順で制作された。一部演技と同時に英語セリフを録音したものもある。羊や山羊の放牧場場面などである。これは羊がこちらの意図通りには動いてくれないので羊に合わせて演技する必要があったため。他にラストの結婚式場面も衣装の耐久性などの問題で撮影のやり直しができないので、同時録音方式でおこなった。
 
そしてこの撮影が終わった翌日の6月6日から、セリフ録音に立ち会う監督・助監督を除く撮影チーム(矢本かえで・田崎潤也および助手の香田正和・西原マロン・平井紗耶香・吉原高広)は即、8月20日放送の『竹取物語』の制作作業に取りかかったのである。
 

制作は最初、作業の手順確認なども兼ねて“石作皇子”の“仏の御鉢”のエピソードから開始した。出演者は下記である。撮影は6/11-12の土日に千葉のララランド・スタジオで行われた。
 
石作皇子:弘田ルキア
石作皇子の父:スキ也
石作皇子の部下(→侍女)
土本:三陸セレン
砂山:山鹿クロム
土本の姉:立花紀子
清原中将:坂出モナ
市井の女:宮地ライカ・知多めぐみ
かぐや姫:(ボディダブルの早幡そら)
 
早幡そらは
「姫様の衣裳嬉しーい」
と喜んで着ていた。
 

この時点では看板係(7/20入団の麻生ルミナがすることになる)は入っていない。またこのエピソードは中将との結婚式を終え、初夜を前にした女装の石作皇子が「ぼくどうしよう?お嫁さんなんかになれないよう」と困った顔をする所で終わるシナリオだった!(「この後どうすんだ?」系)
 
またこの時点では、かぐや姫のお付きの女房や女童という役柄は想定されておらず、石作皇子が持って来た鉢は竹取翁が受け取ってかぐや姫の部屋に持って行くシナリオだった。この部分は後日、撮り直しになる。
 
このエピソードから始めたのは登場人物が少なくセットもあまり使わず、テストを兼ねた制作に一番ふさわしいと考えられたからである。
 
このエピソードは土曜日に一回撮ったのが様子を見に来た美高さんからダメ出しされ、完全に撮り直しになった。少し台本を調整してライティングやアングルも変えて、日曜日に全部撮り直している。
 
根本的に直されたのが
「奈良時代に牛車(ぎっしゃ)は無い」
という指摘だった! 脚本の桐生さんが
「知らなかった。ごめんなさい」
と謝っていた。この件はかなりの書き換えになったようである。
 
(このために熊谷から牛車を3台持って来て、輓いてくれる牛も用意していた)
 
また現代ドラマを撮るようなライティングだったのを、フィルターを掛けて青系統を抑えたライティングにして、懐古調の映像にした。
 
結局日曜日はずっと美高さんが付いてて撮影をおこなった。
 

6月18-19日には、中臣房子との問答、更に帝が竹取翁に位階をやると言うシーン、それでもかぐや姫は出仕を拒否するシーン、帝と翁で帝がかぐや姫の部屋に強引に押し入る相談をする所、を撮影した。ここは早幡そらがアクアのボディダブルを務めて撮影された、かぐや姫も帝も御簾の中に居るので、この映像がそのまま使える。声だけ後にアクアがアフレコした。
 
6月25-26日には白雪姉妹などを使ってかぐや姫の子供時代のエピソードを撮影した。本編部分と翁・媼以外登場人物が重ならないので先行撮影しやすい。これより先に石作皇子をしたのは、子供を使った撮影で撮り直しは子役の俳優が疲れてうまくいかないからである。
 
7月2日(土)には、車持皇子と従者が蓬莱を歩くシーンを撮影した。3人はブルーバックの前で演技しており、背景は撮影後にCGで描き加える。
 
7月3日(日)には石上麻呂のエピソードを撮影した。この撮影はXETIMAのスケジュールが厳しいので1日で撮影を終えている。また石上麻呂を演じる七浜宇菜が7月1日まで『お気に召すまま』のアフレコをしていたので、そちらが終わるのを待ってからの撮影となった。このエピソードも撮影後にCG加工する必要があるので早めの撮影が必要だった。
 

7月4-10日には、車持皇子の前半、玉の枝を製造するエピソードを撮影する。
 
このエピソードには、真珠調達の話が含まれるが、7月2-3日(土日)に、鈴原さくら、西宮ネオン、篠原倉光、およびPumpkin Coachのメンツと撮影助手の西原マロンをCRJ200で長崎空港まで空輸して、大村湾・武雄温泉で撮影している。
 
温泉で水道を隠したりアルミサッシを隠したりなどの作業は地元の協力テレビ局のスタッフにお願いした。
 
Pumpkin Coachのメンツは、さくらの“状態”に興味津々であった。
「もう性転換手術してるんでしょ?」
「してない、してない。玉を取っただけだよ」
「うそ。触った感触も完全な女の子なのに」
(と言ってベタベタ触る)
「でもちんちんは切ってるのね」
「そこ触るの禁止〜!」
 
彼女たちも映像には映ってないが(水着を着けて)温泉も楽しんでいた。
 
7月11-17日には、大伴大納言のエピソードを撮影した。ここでララランド・スタジオに作った船のセットを使用している。つまりこの船のセットは、ドラマ上では先に車持皇子の話で出てくるのだが、撮影順では大伴大納言のエピソードで先に使用した。(この後、船の外装を塗り直して別の船に見えるようにした)
 
7月18-24日には、阿倍御主人のエピソードで、最後にかぐや姫の部屋の前で火を点ける部分以外の撮影をしている。
 

『お気に召すまま』の編集作業は7月23日で終り、24日からは河村監督と美高助監督が制作に加わった。美高さんはこれまでも週に2回くらいこちらに顔を出していた。
 
7月26日にビデオガールコンテストで2位だった松崎典佳が東京に出て来たので長身の彼女に月城たみよという芸名を与え“銀色の女”の役に指名。銀色の女が翁を導いて金(きん)の入っている竹を採らせるエピソード、石作皇子をお嫁さんになれる身体に変えちゃうエピソードが撮影された。
 
(ここの時点ではまだ“金の銅鑼珠・銀の銅鑼珠”という考え方が無かった。ついでに闇夜のすぐ後のはずなのに満月が見えるのは矛盾していることに誰も気付かなかった!ここは時間が無いのでもう修正できなかった)
 
また彼女のお兄さんたちが撮影に協力してくれるということだったので、すぐに飛行機で迎えに行かせ、地理博士が「駿河国にとても高い山がある」と帝に申し上げるシーン、調岩暈が壺と帝の文を持って駿河国まで行き、頂上で燃やすシーンの撮影を行った。(御簾の中の帝は早幡そら)
 
このあたりで、かぐや姫のそばには女房と警護役が必要という話が浮上してシナリオが大幅に修正されることになる。当初指名されたのは下記である。
 
女房:花園裕紀・箱崎マイコ・広瀬みづほ・川泉パフェ・
警護役:夕波もえこ・川泉スピン
 
川泉パフェはいきなり大役だが、お姉さんと一緒なら心強いだうということでこの起用となった。ただしこの時点では桃はかぐや姫のそばに座っているだけの役だった。セリフはほとんど紫役の広瀬みづほに割り当てられていた。
 
7月29日-8月6日に掛けて、このドラマで前半最大の見せ場である車持皇子の航海エピソードが撮影された。この船の船頭役として、広瀬みづほのお兄さん、広瀬のぞみちゃんが参加してくれた。素人とは思えない熱演で、非常に楽しいエピソードとなった。
 

その撮影をしている最中の7月30日、ビデオガールコンテストの入賞者、吉川萌花がやっと東京に出て来た(なかなか出てこないので入団辞退かと心配していた)のだが、花ちゃんはその時引越を手伝っていたお姉さんの日和ちゃんに注目した。お姉さんだが幼い雰囲気でまだ小学生に見える。
 
ビデオガールコンテスト入賞者の入寮日
7.26 パフェ・たみよ
7.27 ヨルカ・イビザ
7.28 サリナ
7.29 -
7.30 ホルン
 
ここで花ちゃんはこの姉妹をセットで、かぐや姫付きの女童(めのわらわ)役で起用することを思いついたのである。すぐ2人を撮影所に連れていきたかったのだが、お姉さんは用事があるとかでいったん地元の富山に戻った。そして8月5日金曜日夜にやっと出て来てくれたので、ここから8月6-7日の2日間で、かぐや姫の部屋シーンの集中撮影を行なった。
 
入瀬ホルン(中学生)と入瀬コルネ(高校生だが小学生に見える)の姉妹は非常に息の合った演技をしてくれて花ちゃんの期待に応えてくれた。2人はまるで雛人形のように可愛くかぐや姫の御簾の左右に侍っていて、美高さんが「凄くイメージに合ってる」と喜んでいた。
 
それで五節舞の付添いは最初各々に女房2人のつもりだったが、女童2名と女房2名とすることにし、急遽他の舞姫の付添も4名に変更して配役の組み替えを行なった。この時点で信濃町ガールズ総動員の雰囲気になってきたので逆に積極的に役を増やして全員出るようにした。
 

ただ全員出すというのは制作が半分以上終わっている段階で出て来た方針だったので本人の実力に見合わない役になってしまった人(本当の意味での役不足)も多数あったが「今回は急に全員起用の方針になったので調整できなかった。申し訳無い。10月の時代劇では再調整するから」と言って理解を求めた。
 
五節舞の撮影は、やっとアクアがドラマ撮影に加わった8月8日にUFOをゲストに迎えて行われた。UFOの3人は衣裳がとんでもなく豪華なので
「この衣裳すごーい!」
と歓声を上げていた。
 
「この衣裳もしかして私たちの年俸より高い?」
「そういうことはあまり考えないほうがいい」
「やはり高いんだ!」
 
UFOは売れてるけどあまりギャラは高くなさそうだもんね。
 
五節舞を舞ったのはアクアM(みちお)だが、この撮影をしている間にF(ふじえ)はここまで早幡そらが演じてくれていた部分のアフレコ吹き替え作業を丸一日していた!ここから放送日までは2人フル稼働である。アクアが1人しか居ないなら絶対間に合っていない!本人たちも
 
「これ絶対ぼくたちが2人いることを前提にしてスケジューリングされてる」
と文句を言っていた。
 
例えば、早幡そらのかぐや姫とアクアFの帝で、かぐや姫の私室でのシーンを撮影しているのと同時進行!で、今井葉月の帝とアクアMのかぐや姫で宮中でのシーンを撮影していたりする。登場人物が重ならない?シーンはどんどん同時撮影する。
 

8月11日になったところで、突然エピローグでかぐや姫の赤ちゃんを受け取りに行くのが竹取翁ではなく、川泉パフェが演じる桃ということに変更になる。
 
「うっそー!?」
と川泉パフェが悲鳴に近い声を挙げる。
 
「だってかぐや姫の傍でずっと座ってればいい役だからと言われたのに」
「自信無い?」
「いえ、ぜひやらせて下さい」
「よし」
 
一方翁役の藤原中臣さんは
「いや無理のある展開だとは思ったけど、役者が監督に文句言っちゃいけないからと思ってた」
などと言っていた。やはり疑問は感じていたようだ。その藤原さんも
「パフェちゃんは大器だよ。アクア以来の大物かもね」
と彼女の演技を絶賛していた。
 
それで8月16日(火)の昇天のエピソードの撮影で彼女はかぐや姫のアクアに抱き付いて号泣するという熱演をしてくれた。彼女の演技でこのシーンが本当に感動的なものになった。
 

この昇天シーンで大半の役者さんが解放された。
 
出演者たちは記念品(かぐや姫衣裳のアクアの特製クリアフォルダー(帝の写真には需要が無い)、竹と竹紙で作った扇、玉の枝煎餅!、ΛΛテレビ饅頭!など)が入った紙袋をもらいララランド・スタジオを退去した。
 
入瀬コルネは制服に着替えて退去し、熊谷に送ってもらってその日の夕方、時間ぎりぎりのHonda-Jetで能登空港に飛んで帰宅した(能登空港の着陸時刻が制限時刻ギリギリ)。
 
え?コルネちゃんが着たのは高校の女子制服ですよ。だって女子高生だもん。見た目は女子小学生だけどね。
 

朝霞前半、昇天後の“使用人やお店の経営の再編”に関するエピソードは8月13-14日(土日)に撮影済みであった。阿蘇でのシーンは、13日に、月城たみよと平井紗耶香撮影助手がホンダジェットで熊本まで日帰りで撮影してきた。山村がパイロットを引き受けた。山村“の”監視役で千里も付いて行っている。千里は現地でのドライバーもしてくれた。
 

富士の章も既に撮影済みで、16日の後で撮影されたのは、朝霞・白銀の2章である。朝霞が17日に撮影されたが、ここでもパフェは熱演して感動的な再会シーンが撮れた。
 
帝と光の初対面シーン、光の出産後のシーンは、実は2人のアクアに演技させ、それに他の出演者を合成している!(正直2度撮影して編集する時間が無かった)もっとも藤原中納言役の本騨君には、今更なので2人のアクアを見せている。
 
子供たちが多数出演するシーンは8月18日に撮影された。夏休みだから撮れたシーンである。千里の子供の一部はまだ富山にいたのだが、この日だけ連れてきたということだった。
 
アクアのかぐや姫が3人目の子・花子を渡すシーン(ドラマのラストシーン)は、朝霞での邂逅と一緒に17日に続けて撮影されている。
 

アクアに関する撮影は8月17日で終了し、18-19日にこのドラマ内で歌う歌の録音をした。伴奏はこの日までにできあがっていたが、やはり歌唱録音していると問題点が出て来て、結構伴奏の手直しもした。
 
結局放送当日8月20日の17時の段階で「この時点のものをドラマに使おう」といったん確定させ、その後更に制作を続けてもうドラマの放送が行われている20時頃になってやっとアクアの歌唱はOKが出た。
 
そして翌日の昼からはもうオンラインストアで公開された!
 

アクアは解放された後、転送で八王子の自宅に2人とも戻ったが、この日は彩佳たちが開いてくれた誕生パーティーの途中で眠ってしまった!
 
竜崎由結が九重を呼び出して、2人を部屋のベッドまで運んでもらった。
 
21日を特別休暇にしてもらったので、21日夜までふたりはひたすら寝ていたらしい。
 

私もコスモスも番組放送当日にはΛΛテレビに詰めていたのだが、放送終了後、政子はわざわざ私に電話してきて訊いた。
 
「舞音ちゃんが『つばめ、つばめお宿はどこだ?』って歌ってたじゃん」
「うん」
「あれ、元歌は『すずめ、すずめ』だよね」
「そうそう。タイトルは『すずめのお宿』だけどね」
「あれって元々どこかの民謡?」
「元々はアメリカで、幼稚園の先生と子供の遊び歌だよ」
「アメリカだったのか。どんな歌?」
 
それで私は歌ってみせた。
 

"Children go To and fro"(*1)
 
Children go To and fro, (EGG EGG)
In a merry pretty row; (EGGG ADD)
Footsteps light, faces bright, (DFF DFF)
'Tis a happy, happy sight, (GFEDCBC)
 
Holding fast each other hand (CCCC CCC)
We're a little happy band (DDDD DDD)
follow me full of glee (EGG EGG)
Singing singing merrily (AGFD DCC)
 
Holding fast each other hand (CCCC CCC)
We're a little happy band (DDDD DDD)
follow me full of glee (EGG EGG)
Singing singing merrily (AGFD DCC)
 
Tra! la! la! Tra! la! la! (DAA GEE)
follow me full of glee (DDF EAG)
 
Tra! la! la! Tra! la! la! (ADD EGG)
Singing merrily Tra! la! la! la! (DDFFE GE GE)
 
↓より引用(アメリカ議会図書館)
Library_of_Congress
 
(↑にはピアノ譜が公開されているのでピアノで弾きたい人はどうぞ)
 

「すずめのお宿ってどんな歌だったっけ?」
 
それで私は歌ってみせる
 
すずめすずめ (EGG EGG)
お宿はどこだ (EGGG ADD)
チチチチチチ (DFF DFF)
こちらでござる (GFEDCBC)
 
おじいさんよくおいで (CCC CCCCC)
ごちそういたしましょう (DDDD DDDDD)
お茶にお菓子 (EGG EGG)
おみやげつづら (AAGG EDC)
 
さよなら帰りましょう (CCCC CCCCC)
ごきげんよろしゅう (DDD DDD)
来年の春に (EGG EGG)
またまたまいりましょう (AAGG EEEDC)
 
さよならおじいさん (CCCC CCC)
ごきげんよろしゅう (DDD DDD)
来年の春の (EGG EGG)
花咲く頃に (AAGG EDC)
 

「ほぼ同じ曲だ!」
と政子は楽しそうに言った。
 
「最初に冬が歌った英語の歌は、発表会用にアレンジしたって感じ」
「うん。たぶんそういうアレンジした譜面だと思う。展開部に和音の転回型とかを使ってるし」
「きっと今の『雀のお宿』に近い形の素朴な童謡があって、それをピアノの発表会用にアレンジしたのが冬が歌ったバージョンなんだよ」
「私もそんな気がする。でも『雀雀』になる前に『進め進め』というのがあったんだよ」
「何それ?」
 
というので私は歌ってみる(メロディは『すずめのお宿』と同じ)
 
進め進め、足疾(と)く進め
止れ止れ、一度に止れ
止るも行くも、教えのままに
立つも居(い)るも教えのままに
咲く花も、鳴く鳥も、面白き花園や
進め進め、足疾く進め
 
「“すすめ”が“すずめ”に変化したのか」
「以前『インドの山奥で』で“でんぽう(電報)”が“てっぽう(鉄砲)”に変化したんじゃないかってのやったね。言葉は濁点で大きく変わる。『ハゲに毛は無し、ハケ(刷毛)に毛あり』とか」
 
「そうか。パパが玉を2つ取るとハハ(母)になるようなものか」
「なんでそういう話に行くのさ?」
 

(*1) この歌には別のメロディも存在するようである。↓は別のサイトから引用したもの。多分こちらが古い。
hymnary.org
 
Children go To and fro, (CDE CDE)
In a merry pretty row; (DEDC BCD)
Footsteps light, faces bright, (CDE CDE)
'Tis a happy sight, (DCBAG)
 
Swiftly turning round and round, (BCDE DBG)
Do not look upon the ground (EFGA GEC)
Follow me, full of glee, singing merrily. (CDE CDE DCDEC)
 
(『咲いた咲いたチューリップの花が』にも少し似てる。未確認だが『ちょうちょぅ』に似たメロディーも存在したらしい)
 

さて、今回の『竹取物語』では信濃町ガールズたちの兄弟姉妹に出演をお願いしたケースが多かった。これは主として“端役の男性が足りない”という事情によるものである。
 
今回出て来てくれた人
 
月城たみよの兄たち
月城朝陽(2001)調岩暈
月城硯文(2003)地理博士
月城利海(2006)宅司
 
水巻イビザの兄
水巻アバサ(2006)熱田店長
 
広瀬みづほの兄
広瀬のぞみ(2004)車持皇子の船頭
 
入瀬ホルンの姉
入瀬コルネ(2006)女童
 
川泉パフェの姉
川泉スピン(2005)警護役
 

入瀬コルネちゃんは撮影が終わってすぐ帰った。彼女はバスケット部で練習があるからということだった。花ちゃんは信濃町ガールズに勧誘したが、ウィンターカップが終わってから考えるということだった。
 
広瀬のぞみ君は、8月末までこちらに滞在し、様々なアーティストの音源制作や伴奏に参加してくれた。あけぼのテレビ・地上波にも薬王みなみ・七尾ロマンなどの伴奏で参加してくれている。彼も花ちゃんは信濃町ガールズに勧誘したが、10月の時代劇の撮影の後で考えるということだった。彼は高校3年生だが、大学進学の予定はなく、進路が実はまだはっきり決まってないらしい。
 
水巻アバサ君は実は8月12日になって出て来たので、割り当てるべき役が残っていなかった。急遽かぐや姫紙工房・熱田店というものを設定して5秒ほど出てもらった。でも演技力はあるようだったので、10月の時代劇にも出てきてくれるようお願いした。
 
彼は“普通の男の子”のようだったので、撮影後もカデットに泊めて8月末まで、あけぼのテレビのドラマなどに出てもらった。結構うまかった。本人は『ぼくは信濃町ガールズになるには実力不足』と言っていた。歌わせてみると確かにガールズのレベルではなかったが。世間的には充分うまい部類だった。
 
彼は女声の発声には興味あるようだったのでボイトレに通わせてあげたら、月末までに女の子の声が出るようになり
 
「これいいなあ」
と感動していたようである。(10月に来た時はお姉さんになってたりして)
 

月城3兄弟だが、長兄の月城朝陽君は10月の時代劇でもお願いしますと言って撮影終了後すぐ鹿児島空港に送り届けた(鹿児島市内の大学に通っている)。
 
次兄の月城硯文君と三兄の月城利海君は夏休みが終わるまで東京に滞在することになった。高校生の利海君は8月31日まで、大学生の硯文君は9月30日までである。2人は『竹取物語』制作後、用賀の男子寮(の2階)に移動してもらった。2人は完全女装生活になってしまった。2人は男子寮の住人から、喉仏の上手な隠し方、タックの仕方なども教わったようである!タックには2人とも感動していた。
 
また3人とも上手な喉仏の隠し方を覚えたようで、喉仏が全然目立たなかった(←ほんとに“隠し”てたのかな?)。
 
男子寮の看護師・海老原さんが心配して、2人には精液の採取をさせた。8月末までに2回採取、兄の硯文君は9月に入ってから更に2回採取したが、結果的に2人はずっと禁欲することになった。これが最初の数日は物凄く苦しかったらしい。
 
また2人は妹に費用を出してもらって、顔のむだ毛と足のむだ毛のレーザー脱毛をした。また。利海ちゃんは元々女の子の声が出ていたが、硯文君もボイトレに通い、東京にいる間に女声が出るようになった。
 
硯文君は演技力がかなり高いようだったので、夏休み中、あけぼのテレビの番組に(男役で)結構たくさん出てもらった。眉毛フォームで眉毛を太く見せていた。彼は法学部の学生さんなので、信濃町ガールズへの勧誘はさすがにできない。でも彼も10月の時代劇に出てきてくれるということだった。多分彼の役の分を9月中に撮影して10/2(Sun)に福岡に送り届けることになる。
 

三兄の利海ちゃんは、男性的発達が遅いようで、女装姿が凄く可愛かった。彼は歌が上手いので音源制作にコーラスで入ってもらった。川崎ゆりこが「信濃町ガールズに入る気無い?」などと勧誘し、取り敢えず他の男子ガールズたちと一緒に歌やダンスのレッスンを受けさせた。そして8月下旬のネットライブのバックダンサーにも出した。
 
「制服はスカートにする?キュロットにする?ショートパンツにする?」
「(恥ずかしそうに)キュロットとか穿いてもいいですか?」
「もちろんもちろん」
 
(多分スカートで人前に出る勇気が無い)
 
それで彼はキュロットでバックダンサーに加わった。
 
妹のたみよは利海兄(姉?)のために全国の高校の制服をネットで注文できるサイトで、利海のサイズで現在通っている高校の女子制服を注文してあげていた!
 
「これで9月からは女子制服で通学できるよ」
「どうしよう?」
 

そして川泉スピンであるが、8月いっぱいは、あけぼのテレビの剣道の番組で司会をしていたのだが、8月下旬、コスモス社長から尋ねられた。
 
「どう?タレント活動も楽しいでしょ?」
「はい。1ヶ月楽しませてもらいました。『竹取物語』でも大きな役を頂きましたし」
「あれは薫ちゃんともども結果的に大きな役になったという感じだったね」
「はい、驚きました。最初頂いた台本ではほとんどセリフも無かったのに」
「でどうする?信濃町ガールズに入る?」
「入れて下さい」
「よし」
 
「ただ来年のインターハイに出られなくなるけど」
「それは構いません。大会は気にせず地道に鍛えます」
「うん」
 
ということで、スピンは信濃町ガールズに正式に加入することになった。これまで滞在していた女子寮の部屋A208が正式に彼女の部屋と定められた。
 
佐々木春夏が彼女を葛飾区のL高校に連れて行き、編入の許可を取る。それから9月上旬に実家と往復し、向こうの高校で転出の書類を作ってもらった。そしてL高校に編入した。ここは鹿野カリナや直江ヒカルなどが通学している高校である。単位制で登下校時間も無いし制服も無いという自由な高校で、他の高校を首になった子なども通う高校である。
 
本人の全国模試の成績を見た担任の先生が
「君はこういう授業を受けなさい」
と言って勧めてくれた授業に出ると地元の高校よりハイレベルだったので、凄くやる気が出た。この高校は本人の学力に応じた様々なレベルの授業が用意されているようである。
 
なお剣道部は今から加入しても“転校生の出場制限”に引っかかり、高校の大会にはもう出られないので、代わりに足立区内の道場を剣道番組に出ていた師範代さんに勧めてもらい、そこの朝練に出て鍛えることにした。
 

女性指向というと、広瀬のぞみちゃんもかなりそっちの方だった。
 
そもそも彼は妹の広瀬みづほの引越の手伝いに出て来た時、花ちゃんが
「お兄さんも女の子になって信濃町ガールズに入らない?」
などとジョークで(と思うが)言ったら
「どうしよう?」
などと迷うように言った。
 
今回のドラマ撮影で出て来てくれた時も
「性転換手術、ただで受けさせてあげるから出ておいでよ」
と連絡したら出て来た!
 
彼(彼女?)も撮影終了後は用賀の男子寮に移動してもらったが、そこで色々女装・女性化情報を仕入れていたようである。
 
「ここ女の子の服を着て部屋の外を歩いても恥ずかしくないからいい」
などと3人とも言っていた。
 
「まあみんな仲間だからね」
とクロムの弁。
 
「男の娘仲間、略してオカマ」
「え〜〜?」
 
男子寮にはナプキンの自動販売機などもあるので、3人ともドキドキ生理体験とかしていたようである。でもセレンが
「ナプキンは使っていいけど、タンポンはしないほうがいい。入れると出てこなくなって死ぬ目に遭うから」
などとアドバイスしていた(きっとセレン自身死ぬ目にあったことがある)
 
なおここの自販機にはナプキンやパンティライナーは売っているが、タンポンは“危険なので”置いてない。
 

広瀬のぞみは、色々な楽器ができるので、“女性楽器奏者”として8月末までの10日間、音源制作やライブに参加した。彼は女装でスタジオや放送局、ホールなどにも出て行っていた。
 
月城利海は歌がとても上手いので、コーラスに参加していた。彼は「ぼくアルトです」と自己申告していたが、こちらに居る間にボイトレに通って上のほうの声が3度誓い所まで出るようになり
「ここまで出たらソプラノを名乗れる」
と花ちゃんに言われていた。
 

「でも性転換手術とか受けたら、やはり2〜3ヶ月休養が必要ですかね」
などと広瀬のぞみが訊いた、
 
「それ凄く個人差があるんだよ」
とセレンが説明する、クロムも頷いている。
 
「1ヶ月ほどで普通の活動ができるようになる人もいれば、1年たっても調子悪いという人もいる」
「1年ですか!?」
 
「本人の元々の体力とか生活様式とか、血糖値・血圧とかも影響するのだと思う」
と鈴原さくらが言う。
 
「ちなみにさくらさんたちは、3人とももう手術済みですよね?」
「ううん。ぼくは去勢しただけ。セレンとクロムはまだ身体にメスを入れてない」
「うっそー!?」
「信じられない!」
 

(ここからしばらくは、この手の話が苦手な人は読み飛ばし推奨)
 
「やはりちんちん切った跡の傷が痛むんですかね」
「ちんちん切るのはそうでもない。やはりヴァギナ造ったあとの傷跡が治るのに時間掛かる。だって傷の表面積考えたら分かるでしょ?」
「あっそうか」
 
「性転換手術で女を男にするのに大変なのはペニスを作るところ、男を女にするのに大変なのはヴァギナを造るところ」
 
「なるほどー」
 
「いづれにしても無いものを造るのが大変。余分なちんちんは切っちゃえばいいし、余分なヴァギナは塞(ふさ)いじゃえばいい」
 
“切っちゃえばいい”とさくらが言ったのに3人ともドキドキしている。
 

「ヴァギナってどうやって造るんですか」
と最も知識の無さそうな利海が尋ねる。
 
「ヴァギナの作り方には色々ある」
とセレンは言う。
 
「最も古典的なのは膣のあるべき場所に器具を当てて、少しずつ押していって長い時間掛けて穴にする方法(Frank法)」
 
「そんな方法があるのか」
「この欠点は時間が掛かることだね」
「かかるでしょぅね!」
「月に1mmずつ押していったとして長さ15cmの膣を造るのに150ヶ月つまり12年半掛かる」
「それなら10歳から始めたら22歳までに15cmになりますね」
「うん。そういう意味ではあり得ないこともない方法だよね」
「ただずっと器具付けておくのが大変だし、元々皮膚を利用したものだから湿潤しないのが問題点。セックスにはゼリーが必要」
 
「ああ」
 
のぞみと利海は『ゼリーって何だろ?』と思っている。
 
「大腿部の皮膚を採取して、膣のあるべき位置に指とかで穴を開けて、その穴を採取した皮膚で覆うというやり方(McIndoe法)も古くから行われていた。これは充分な深さのある膣を得やすいけど、やはり皮膚だから湿潤しないし、大腿部に傷跡が残るという重大な欠点がある。しかも傷の治りが遅い」
 
「それ造った膣の部分と、皮膚を採取した場所と両方痛いですよね」
「そうそう」
 

「それで人工皮膚を使用する方法(McIndoe変法)というのもあったけど、性転換手術の場合は、どっちみち不要になる陰嚢や陰茎の皮膚を転用する方法が編み出された。有名なモロッコのジョルジュ・ブロー博士は最初伸縮性があるからというので陰嚢の皮膚を使っていたけど、伸び縮みしすぎて脱膣しやすいとか脱毛が難しいとか色々問題が起きたので陰茎皮膚を使用する方法に変えた。これが陰茎反転法といって、現在の性転換手術・術式の主流になっている」
 
「ちんちんの皮を反転して使うのか・・・」
と利海が驚いている。
 
「元々がちんちんだから、ちょうどちんちんが入るサイズの膣ができる。とてもうまい方法」
「なるほどー」
 
「ただこの方法も、所詮は皮膚だから湿潤しないというこの系統の術式全てに共通する欠点があった。でも15-16年くらい前から、どっちみち陰茎と一緒に切断していた、陰茎尿道を切り開いて、尿道の内側が膣の内側に来るようにして、それで膣を造る方法が生まれた。これである程度湿潤する膣が得られるようになった。これは凄い技術の転回点だった」
 
3人は熱心に聴いている。
 

「一方で、全く別の系統の術式もある。大腸の一部を切断して膣に転用する方法(Ruge法)。元々腸と膣って発生学的には同じ物なんだよ。腸の一部に仕切りができて、腸と膣に分かれている」
「へー」
 
「だから腸で造った膣は充分湿潤するしセックスで男性がペニスを挿入した時に、女性の膣ととても近い感触がある」
 
「なんかいいですね、それ」
とのぞみ。
 
「うん。ただ、腸の一部を切り取るからそれによって腸の消化能力が多少落ちる場合がある。また技術的には大腸癌の手術と同じレベルの技術が必要で、レベルの高い医師にしかできない。また湿潤があるのはいいけど概して湿潤しすぎて、常時ナプキンの装着が必要」
 
「へー。でもそれあまりデメリットに感じない」
と硯文が言う。
 
「あとどうしてもお腹に手術跡が残る」
「そのくらいは我慢しますよ」
 
「ふつう大腸の中でも“S字結腸”と呼ばれる部分を使うから、S字結腸法と呼ばれることが多い。ただ大手術だから、一般に陰茎反転法をおこなうには、陰茎が短すぎる人などが選択する」
 
「ぼくのちんちんでは無理かも」
と3人とも言った!!
 

「ところが最近、タイのカモン病院はまた別の術式を始めた。ほかの所に広がるかも知れない」
 
高校生の2人は「Come on 病院?」などと思っている。
 
「腹膜引出し法ともいうけど、これは元々膣欠損症の女性に以前から行われていた方法で、骨盤腹膜を引っ張ってきて膣の“奥部”として使用する(Davydov法)」
 
「腹膜?」
「膣欠損症の女性の場合は、器具を当てて少しずつ膣を深くしていく方法でまず数センチの膣を作っておいて、それを“入口”にした上で、お腹の中の腹膜を引っ張ってきてこれとつないでしまう」
 
「へー」
 
「腹膜も湿潤してるから適度に湿潤する膣が得られる。ただ身体の中のわりと深い部分を手術するから、これには腹腔鏡(ふくくうきょう)を使った手術が必要で、物凄い高いレベルの技術が必要。ただし腹腔鏡だからお腹の傷跡は小さくて済む」
 
「なるほどー。でも実は昔から行われていたんですか」
 
「性転換手術にはあまり使われていなかったけど、膣欠損症の女性には適用されていたんだよ。性転換手術の場合は、陰茎反転法で膣の“入口”を造った上で、奥のほうは腹膜を利用して造る。それを繋ぎ合わせるわけね。カモン(Kamol)病院では Penile peritoneum vaginoplasty "PPV" と呼んでいる (peritoneum=腹膜)」
 
「トンネルを両方から掘り進めてめでたく合流するみたいな感じですね」
「そういう方法だと思う」
 

男子寮ではこの期間、手術の話だけでなく、パスするにはどうすればいいかとか、女らしい仕草・男っぽい動きについて、女の視線と男の視線、お化粧の仕方、単純にファッションの話など、連夜熱い話が続いていたようである。
 
「男は刺すように見る。女は受け入れるように見る」
「意識してみよう」
「それだけで結構雰囲気も変わるけど、本人の視界もまるで変わるから」
「へー」
「同じ場所で暮らしていても、男と女は別の物を見ているんだよ」
「うーん・・・」
 
「いくら完璧に女を装っていても、マックで『ビッグマック2つとポテトLにコーラL』なんて注文したら『こいつほんとに女か』と思われる」
 
「ぼくそれ危ない気がする」
 
「女の子のオーダーは『ベーコンレタスバーガーにサラダ、爽健美茶のS』とかだよ」
 
「でもお腹空くよ」
 
「人前では少し食べて、隠れてたくさん食べるのが普通の女の子でも使うテク」
「そうだったのか!」
 

「物を拾うとき、男の人はわりと腰を曲げて上半身を折るようにして拾う。女の子は膝を曲げて腰を落として拾う」
「考えたことなかった」
「意識しよう」
 
「道路でお見合いになった時、男性は相手が女とみると自分が行こうとする。女性は意識して相手に譲るようにしたほうがいい」
「ああ男尊女卑だ」
「おかしな習慣だと思うけどある程度の迎合も必要」
 
「あと電車やバスでは必ず両膝をくっつけて座る」
「これ女の子たちは小さい頃から躾けられてるけど、ある程度男の子として育ってた場合、眠っても膝が離れないようにするにはかなりの努力が必要」
 
「それは頑張る」
と3人とも言っていた。
 

月城利海(松崎真和)は8月31日(水)に藺牟田飛行場に送り届けた。彼は帰路ではずっとスカートを穿いていたが、飛行場まで迎えに来た母から
「あら、あんたまるで女の子になったみたい」
と笑顔で言われて照れていた。
 
自宅で待っていたお父さん(少し酔ってる)からまで
「可愛くなったな。明日から女の制服で学校行くか?」
と上機嫌で言われる。
「ぼくほんとどうしよう?」
 
「でも女の制服が無いか?」
「あ、それはのりが作ってあげたって」
と母が言う。ちゃんとこちらに伝わっている!
 
「おお、あるなら着てみなさい」
「うん」
 
それで着てみせると全く違和感無い。普通に女子高生に見える。
 
「似合ってるね」
「可愛い女子高生だ」
 
「母さん、こいつの性別変更届け書いてやれ」
「分かった」
と言われて、こんな書類を母は作ってくれた。
 

性別変更届 1年1組松崎真和
 
性別が変わりましたので届けます。
 
旧性別 男
新性別 女
旧姓名 松崎真和 まつざき・まさかず
新姓名 松崎真和 まつざき・まな
 
保護者名 松崎泰治
 
父の署名・捺印付きである!
 
「うちのお母ちゃんも、お父ちゃんも、どこまでジョークでどこまでマジなのか分からないよぉ」
と真和は届けを手に思った。
 
(で、明日から女子制服登校?)
 
広瀬のぞみについては後述。
 

ところで『竹取物語』にはひじょうに多数の音楽が使われており、様々な歌手が歌っていた。それをまとめたサウンドトラックも9月7日に発売されたが、各々のアーティストも自分の作品として発売している。しばらくはその“発売ラッシュ”が続いた。
 
むろん一度に発売しないのは、各々が売上ランキングのトップを取りたいからである。ランキングを気にしない人、どっちみち上位にランキングされるわけがないと思っている人は適当なタイミングで発売する。
 

まずドラマ放送に先行して8月10日(水) には白浜イズミのシングル『平城京恋歌』が発売された、
 
白浜イズミ『平城京恋歌』
『平城京恋歌』
『平城山(ならやま)』
 
『平城山(ならやま)』は北見志保子の詩に平井康三郎が曲をつけた有名歌曲である。これまで瀧廉太郎『花』『荒城の月』、そして「ゴンドラの唄」、『浜辺の歌』と日本の歌曲を歌ってきた白浜イズミの実力がふんだんに味わえる名唱になっている。
 
この日はXETIMAのシングル『あなたの心が見付からない』も発売されている。
 
収録曲
『あなたの心が見付からない』
(+1:A版,B版,C版で異なる曲が入っている)
 

デイリー・ランキングは1.XETIMA 2.ローズ+リリー(赤い服) 3.ボニアート・アサド 4.白浜イズミ、だったがウィークリーではローズ+リリーが逆転した(ファン層の高年齢化!)。
 
ウィークリーの時点で白浜イズミのシングルは3万枚売れていて「嘘みたい」と本人は言っていたが、ドラマの放送後は売上が伸びて10万枚を越え、初のゴールドディスクとなった。
 
「ありがとうございます。ゴールドとか夢みたいです」
と彼女は涙を流しながら語っていた。
 
このシングルは9月19日に『ミュージシャン・アルバム』に白浜イズミが登場すると、更に伸びて15万枚まで到達している。
 

8月17日(水)には、UFOの『千人乗っても大丈V(ヴイ)』が発売された。下記の3曲入りである。
 
『千人乗っても大丈V(ヴイ)』
『101人で富士登山』
『サンタのルキア』(with弘田ルキア)
 
記者会見で3人は「アクアちゃんのドラマで凄い豪華な衣裳着て舞を舞ったんですよ」と興奮気味に話していた。
 
『101人で富士登山』は童謡『1年生になったら』を意識した曲である。「友だち100人できるかな」と言っているのに「100人で食べたいな、富士山の上でおにぎりを」って1人は仲間外れ?という昔からあるツッコミに対するアンサーソングである。
 
『サンタのルキア』は名曲『サンタルチア』に引っかけて、ルキアちゃんと一緒に歌ったもの。ルキアは女声で歌っている。そして当然サンタクロース・ガールの格好をしている!
 
全くヒットを狙ってない遊び曲だったのに、70万枚も売れて本人たちが仰天していた!
 
「真面目に歌った曲は40-50万枚しか売れないのに」
などとオクが言っていた。
 
UFOの過去ベスト3に入る売れ行きとなった。
 

UFOと同じ8月17日(水) には、品川ありさの『錦の嵐/Two thousand warriors』が発売された。下記3曲入り。
 
『錦の嵐』中山洋介作詞作曲
『Two thousand warriors』草薙みちる作詞・樋口花圃作曲
『千万人といえども我行かん』違崎電車作詞・松本花子作曲
 
『錦の嵐』は品川ありさが出演したスポーツ用品のCM曲。品川ありさは長身であることから、ここのスポーツ用品メーカーのCMをもう3年ほどやっている。
 
『Two thousand warriors』は『竹取物語』で帝(みかど)の軍勢2000人が月の使者を待ち構えるシーンで流れる曲。
 

『千万人といえども我行かん』は有名な孟子の言葉だが、冒頭に登場するのは「女は負けると分かっていても戦わねばならない時がある」という言葉とともに、品川ありさが、後姿の30人くらいのアクアとおぼしき敵(?)に向かっていく映像である。
 
これは一時期ネットで出回ったショッカーの覆面怪人が1人で30人くらいの仮面ライダーたちに向かって行くコラ画像を意識して造形したものである(向きが逆だが)。アクアっぽい後姿は本物のアクアだが、角度を微妙に変えて30枚撮影して展開している(円形レールに乗せたカメラから自動撮影)。
 
「なんて自虐的な映像だ」
「ブライドを捨ててるな」
「というより自分を捨ててるな」
 
「でもこれ品川ありさがやるから笑いが取れる」
「うん。真面目な高崎ひろかだと泣けてしまうけど、天然ボケ女の品川ありさだからお笑いになる」
 
などという意見が出ていた。
 
引き合いに出された高崎ひろかは
「ほんとありさちゃんって、いつも自分を捨ててるよね」
と感心したような呆れたような!コメントをしていた。
 

なお作詞者の“違崎電車”というのは品川ありさが主としてコミカルな曲の歌詞を自作した時に使用するペンネームである。
 
“茅ヶ崎(ちがさき)駅で違う先の電車に乗っちゃう”ということで、女子寮に入居する前の品川ありさがしょっちゅうやらかしていた間違いである。彼女の実家は海老名市である。茅ヶ崎駅で東京方面に乗り換えないといけないのに間違って熱海方面に行っていた。
 
「いつもこちら行きのに乗って間違うから」
と思って逆向きに乗ったつもりが、なぜか電車は熱海方面に行く。
 
方向音痴の人にはとてもありがちなパターンである。
 
新宿駅からアルタに辿り着けなかったとか、横浜で動く歩道に乗ったのに、みなとみらいに到達しなかったとか(なぜ?)、「五反野駅まで来て」と言われて“五反田駅”でずっと待ってたとか、渋谷から新宿に行こうとして内回り(品川方面)に乗り山手線を一周して辿り着いたとか(←本人は間違ったことに気付かず渋谷から新宿って時間掛かるんだなと思ってる)、数々の方向音痴伝説のある彼女の自虐的なペンネームである。
 

売上統計では、デイリー・ウィークリーともに、1位UFO, 2位ありさで、3位以下はファレノプシス、A/girl, 蓬莱男爵が入っていた。
 
『千万人といえども我行かん』はラジオや有線でのリクエストが非常に多く、尻上がりに売れていった。ダウンロード販売ではシングル内3曲の内、この曲が最も良く売れていたので2回目のプレスからはトリプルA面に変更された。
 
そして、この品川ありさのシングルは10月には累計で52万枚に到達して、なんと品川ありさ5年ふり(『マイナス1%の望み』以来)のダブルプラチナ曲となった。
 
「嘘みたい。まじめに歌っても15-16万枚しか売れないのに」
と本人が驚いていた。
 
 
Before前頁次頁時間索引目次

1  2  3  4  5  6  7 
【夏の日の想い出・止まれ進め】(1)