【春零】(8)
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やがて、真珠・舞花・晃がお店から出てくる。
「一緒に行こう。どうも目的地は同じようだ」
と彼女たちに声を掛けた。それで、千里・真珠、鏡海姉妹・高田姉妹の6人で“願い石”を探すことにする(6人中で純粋女子は舞花だけ!)。
「願い石から帰ってきた時、どのあたりに帰ってきました?」
と千里が明和に訊く。
「あ、そうか。そこから帰ってきた時のことを考えればいいのか」
「そうです、そうです」
それで明和は「こちらから戻って来た」と北の方角を指さす。舞花と晃も「そちらでした」と言った。
「カーマと全然方角違うじゃん」
と仁美。
「やはり何かおかしくなってたんだろうね」
曲がり角の度に3人とも悩む。しかし明和・舞花・晃3人で検討していると「こちらのような気がする」といって方向が定まる。特に晃がよく途中の建物を覚えていた。それで20分ほどで、その“石碑”のような所に辿り着いた。
「これです!」
と3人。
真珠は何てまがまがしいのだろうと思った。よくこんなのに祈る気になるものだ。たぶん本来はただの石だったのが、何かのきっかけで邪霊が住み着いたのだろう。“空の容れ物”には変なものが入り込みやすい。
「なんか字が書いてあるけど読めない」
と真珠は言った。
「まあ封印するね」
と言って千里は藤雲石の数珠を取り出すと目を瞑って何か唱えていた。石の周囲にバリアのようなものができる。さすが!と真珠は思った。でも数珠は何にも使ってない!ただの演出用の小道具のようだ。だいたい神社体質でお寺の敷地に入れないこともある千里さんが数珠とか使える訳無いと真珠は思う。
「後でまたきちんと処理しますが、取り敢えず封印しました」
と言ってから千里は
「ん?」
と声を出した。
「明和さん、あなたここから何か持ち帰りませんでした?」
「そんなことも分かるんですか!」
と明和は驚いて、その話をした。
「実はこの“願い石”を一部切り取ったのを自宅に持ち帰ったんです」
「よく取れたね」
「ここに来た時、男の人がいて、ハンマーで端っこを切り取ってたんですよ。『あ、いっぱい取れちゃった。君にもあげる』と言われてもらいました」
「ああ」
「何でもその男の人によると、この石は一部を切り取って持ち帰り、毎日お酒を供えると効果が倍増するらしいんです。私はお酒とか使えないから単に置いておいたのですが」
「なるほどねー」
「あの石、どうすればいいでしょうか?」
「私が自宅まで行って処理するよ。まこちゃん、私の代わりに高田姉妹を氷見まで送ってくれない?」
「いいですよ。明恵も到着したようですし」
千里は真珠にこの場所をスマホに記録しておくように言った。千里さんが自分でしないのは賢明だと真珠は思った。千里さんは電気機器との相性が悪い。真珠はこの場所をスマホに記録するのと同時に念のため緯度経度および近くの地図も紙にメモした。
それで全員ショッピングタウンに戻る。帰りは10分で辿り着く。真珠はこのルートも紙に書いていた、
ショッピングタウンに到着すると、真珠は明恵の車(ヴェゼル)の所に舞花・晃の姉妹を連れて行き、一緒に氷見まで行った。
千里はCX-5に明和・仁美を乗せて彼女たちの自宅に行く。千里は家の中に入った瞬間、家の中の雑霊・邪霊を全て消滅させた。明和が部屋から石を持って来る。
「じゃ処分するね」
「はい、お願いします」
「代わりにこれを置いておくといいよ。これは伏見稲荷さんの砂だから、石のせいで淀んだ部屋の空気を浄化してくれる」
と言って砂の袋を渡した。
「ありがとうございます」
「あまり変な物には関わらないように気をつけてね」
「はい!」
それで千里は明和と握手して家を出た。
まずは海岸に行き、鏡海家から持って来た石を左手で思いっきり遠くまで投げた。千里が全力で投げたから多分150-160m沖まで飛んだはずである。
それから千里はその風の強い海岸で、30分掛けてその車の車内を物理的および霊的にクリーンにした。最後は仕上げに洗車機に入ってからSショッピングタウンに戻った。少しして真珠たちも戻る。
「さあ、最終処理をしに行こう」
「はい」
それで千里は明恵たちが乗っているテレビ局のヴェゼルに同乗し、一緒に“願い石”の所まで行った。車は何の問題も無くその石に到達できた。
石碑の少し前で車を停める。
「駐車監視員とか大丈夫ですかね」
「近くには居ないよ」
「へー」
千里は石碑の前3mほどの地面に座り、明恵と真珠には“自分の後ろ”に座り、各々霊鎧をまとうように言った。明恵はすぐできる。真珠は霊鎧ってこんな感じかなという雰囲気で周囲にバリアを張る。
「うん、2人ともOK。大丈夫とは思うんだけど念のための備えね」
千里は左足の靴と靴下を脱ぐ。
先ほど千里自身が作った結界が解除される。数時間堰き止められていた禍々しい“気”が押し寄せてくるが、大半を千里が楯になって防いでくれる。僅かに漏れてくるものはあるが明恵や真珠の霊鎧は突破できない。「すごーい、利いてる」と真珠は思った。
千里が左手の親指と小指で左足の“薬指”(*48) を挟んだ。
周囲に多数の緑色の炎が出現する。その炎がとんどん強くなる。そして轟音のような激しい動物の鳴き声が多数聞こえた。なんか凄い術だなと思って明恵も真珠もその炎を見ていた。
斜め下、45度くらいの方向に緑色の光のトンネルのようなものが現れる。そこに多数の動物たちが吸い込まれていった。
そして緑色の炎はいつしか白い炎に変わり、少しずつ薄くなって消えて行った。
「終わったよ」
という千里の声で明恵と真珠は自分の霊鎧を解除した。
石碑の周囲に漂っていた“禍々しさ”は消え、そこはごく普通の空間になっていた。
「凄い浄化でしたね。あのトンネルの行き先は?」
「仏教で言う所の畜生道かな。これが人間の霊集団なら昇天させていた」
「へー」
まあ若干?人間の霊も居たけど、タヌキやムジナ(*47) と一緒になって悪いことしてた奴は一緒に畜生道でいいだろうと千里は思った。
(*47) タヌキもムジナも同じこと!でも千里は気付いてない。千里のこの手の言い間違いは日常茶飯事。真珠に「バイクかオートバイで来て」と言ったこともある。むろん真珠は四輪で行った!千里が貴司に「そちらのダンコン切って」と言ったら貴司は「はいはい」と言って大根!を切る。周囲の人たちはよく分かってる。
(*48) 千里の左足薬指に記録されているのは††観音の究極秘伝である。“小指”に記録されている**明王の究極秘伝の動物・妖怪版。使用するエネルギーも**明王の秘伝の半分程度で済む。それでも消費エネルギーは相当のものである。桃源や帰蝶(きーちゃん)はこの術の習得条件を満たしているが「そんな術使ったら自分が消耗して死ぬ」と言って学んでいない。
千里が明恵と真珠を連れて行ったのは、万一この術を使った後自分が倒れてしまった場合の用心である。今回実際には術を使った後、千里5からエネルギーを分けてもらった。
千里が靴下と靴を履き立ち上がった所で車の停まる音がする。ありゃあ駐車監視員かなと思って真珠がそちらを見ると、**テレビの車である。
「おはようございます、〒〒テレビさん。確か『霊界“探検”』の方たちでしたよね。そちらもこの石の取材ですか」
と降りてきた、テレビ局の腕章をつけている男性が笑顔で話しかけて来た。
「取材に来たんですけど、外れでしたね」
と千里が言った。
「外れですか」
「これはただの石碑です。願い事が叶うなんてのは嘘か思い込みだと思いますね」
「へー。効果無しですか」
「なんか噂では、この“願い事の石”をハンマーとかで少し切り取って持ち帰り、部屋に置いておくとその願い事が叶うというんですけどね。こんな物削り取って持ち帰っても何の効果も無いですよ。何か願い事が叶ったという人は、本人の努力によるものじゃないかなあ」
などと千里は言っている。
ハンマーで削り取るなんて話していいのかなあと真珠は思ったが、口は挟まない。
「へー。ハンマーで切り取るんですか」
と言って、向こうのディレクターさんはメモしてる!
「よくお地蔵さんの顔を削り取って飲めば御守りになるなんて話がありますが、あれと似たようなものじゃないですかね」
「ああ、ありますよね!」
「噂では、1個切り取って持って行っても利かなかったら次は2個切り取って持って行き前のは捨てればいいなんて言うんですげとね。こんな石何個持って行ったって何の効果もありませんよ」
と言って千里は笑っている。
「へー。1個で利かなかったら前のを捨てて2個ですか」
「きっと成分の薄い箇所と濃い箇所があるんですよ」
「有りそうですね!」
「でもこの石碑、何て書いてあるんだろう。崩し字でよく分からないなあ。“傾”かな」
「“零和”と書いてありますよ。右から左へ」
「ああ、元号ですか」
「きっと改元された時に作られたんじゃないでしょうかね。でも元号の“令和”ではなく、ゼロのほうの“零和”になってるから、これだとゼロサムゲームですね。それじゃ何かいいことがあったらその分悪いこともありそうで縁起が悪い」
「なんでそんなものが書かれているんでしょう」
「さあ。字を間違えたのでは」
「ありそうですね!」
「〒〒テレビさんはこれ番組で取り上げます?」
「普通ならこんなの取り上げないんですけどねー。実は金沢ドイルが多忙な上に妊娠して休養期間に入っちゃったから、こんなのでも仕方ないから取り上げようかという話をしていた所なんですよ」
「ドイルさん妊娠したんですか?」
「そうなんですよ」
「凄い高齢出産ですね。あの方、47-48歳ですよね?」
真珠と明恵は頑張って笑いをこらえた。
「でも本人はあと1人くらい産むと言ってますよ」
「凄いなぁ頑張るな」
「自然分娩の世界最高齢記録は57歳らしいですよ」
「よく産むなあ、というか閉経してないのが凄い」
「ま、それで『霊界探訪』では多数の小ネタのひとつとして取り上げますよ。放送は9月になりますが」
「そちら9月ですか?うちもこれ取り上げていいです?放送は来週の土曜(7/30)になりますが」
「どうぞどうぞ。そちらの放送のほとぼりが冷めた頃にこちらの放送になるかな」
それで千里たちは車に乗るが、千里は明恵に運転を頼んだ。**テレビのスタッフは石を撮影したり、女性レポーターを立たせて解説したりしていたようであった。
「ねえ、まこちゃん、あきちゃん」
「はい」
「私凄くお腹が空いて。CX-5の方に念のためお肉をたくさん積んでたから、まこちゃんちに連れてって焼肉でもして食べさせてくれない?」(*49)
「あの浄化はカロリー消費したでしょうね!」
「ついでに泊めて」
「泊まっていってください!」
それで明恵はとりあえずショッピングタウンに戻り、CX-5から荷物を移動して、放送局のヴェゼルで真珠たちのマンションに行った。結果的にCX-5と真珠のバイクが置き去りだが、明日回収することにする。
3人でマンションに入り、ちょうど帰宅したばかりだった邦生・瑞穂と一緒に、ホットプレートを出してお肉を焼いた。千里は1人で2kgくらい食べたので、瑞穂がびっくりしていたが、あの浄化の術は物凄くパワーを消費するんだろうなと真珠も明恵も思った。たぶん体力の無い人ならその場で倒れちゃいそう。
(*49) 本当は石の処理をしている間に小杉に買いに行かせた。動物霊の処理をするので、その現場を小杉に見せるのは可哀想なので見せないためもあった。
小杉は通常千里4の髪留めに姿を変えて常に付き従っている。
一息ついたところで真珠は幸花に電話で簡単な報告をした。
「なに〜!?千里さんと遭遇して、事件は解決しただと!?」
「はい。これでもう被害者は出ないと思います」
「それをぜひ番組にしよう」
「取り上げるのはいいですが、ガセネタだったということにして」
「なんで?」
「この事件ではかなりの被害者が出ているはずです。この石のせいだということになったら、石を持ち帰った人が責任を感じて自殺とかしかねません。それよりただの冗談だとして笑い飛ばしたほうがいいですよ」
と真珠は言う。
「うーん。せっかくのコイルさんの活躍なのに」
と幸花は残念そうだったが、幸花はこの後、夜にもかかわらず吉田のマンションまで来て、真珠・明恵から詳しい説明を聞いた。そして真珠たちの意見を了承してくれた。(千里は熟睡していた)
7月22日(金).
午前10時半頃、千里は青葉・幸花と3人で、墓場劇団の座長・梨原志望(ステージ名:泣原死亡)の自宅を訪ねた。〒〒テレビの名刺を見せ
「ちょっとご相談したいごとがあるのですが」
と言った。
「できれば奥様とかのおられない所でお話ししたいので、外に出ませんか」
と言ったが、志望は
「妻は別居中で、息子たちは学校に行っているので、うちでいいですよ」
と言う。
奧さんが別居中というのを聞いて、千里たちは顔を見合わせた。
世間では夏休みに突入した学校が多いが、ここの学校は今日が終業式らしい。青葉たちは午前中に来てよかったと思った。
そして中に入った途端青葉も、幸花でさえ『うっ』と思った。よくこんな空間で暮らせるものだ。奧さんが別居したのは絶対“この家に”住みたくなかったからだと思った。子供たちもきっと影響を受けている。青葉は笹竹に幸花の守護を命じた。
が!
次の瞬間マンション内の雑霊が消滅し、よどんだ空気も消えた。笹竹が困惑している。
千里姉は顔色ひとつ変えてない、こういうのを平然と処理するのがちー姉だなと思った。
持参した“柴舟小出”の生菓子を出す。
「すみません。あ、お茶でも入れますね」
と言って志望は緑茶を入れてくれた。
「私たちは『霊界探偵金沢ドイルの北陸霊界探訪』という番組なのですが」
「はい」
志望は、劇団の取材かと思ったのにそうではないようなので少し怪訝な顔をする。
「実はですね。私たちは金沢市内某所にあった“願い石”というのを追跡していたんです」
「はい?」
「それで座長さんがホーライTVで“願い石”にお願いして以来、運気が上がってきたとおっしゃっていたというのをお聞きしたもので」
「そうなんですよ。あれにお祈りして以来、劇団が東京の俳優さんに注目され、ネット中継してもらえる話も出て来て、おかげて月に1度している公演は毎回たくさんの人が見てくれて数十万円の出演料を頂いているんですよ。本当に運気が上昇した感じで」
「その一方で悪いことはありませんでしたか?」
「え?」
「実はこの“願い石”の噂を追いかけていたら、どうもきな臭くてですね。彼女と恋人になれるようお祈りしたら恋人にはなれたけど、会社をクビになり、アパートの家賃が払えなくなって一時的にホームレスになったとかですね」
「うわぁ」
「その人は結果的には彼女に振られたけど、そのあと親切な人に助けてもらい寮のある会社に雇ってもらって普通の生活に復帰できたらしいんですけどね」
「うーん・・・」
「宝くじ当たりますようにお祈りしたら高額当選したけど、うっかり使いすぎて莫大な借金が残り結局自己破産したし、親兄弟とも大喧嘩して絶縁状態になってしまったとかですね。まこれはありがちな話ではありますが」
「確かによく聞きますね」
「有名大学に合格できるようお祈りしたら合格はできたけど、親が保証かぶりでお金が無くなり、結局大学進学自体を断念したとか。子供ができるよう祈ったら子供は生まれたけど、火事で家が燃えて全財産失ったとか。取引がうまく行きますようにとお祈りしたら、その取引は成功したが、もっと大きな取引先から切られて会社は社員のリストラに追い込まれたとか」
「うーん・・・・」
そんなこと言われると、うちの劇団もある程度名前が通るようになったきたしぎりぎり黒字運営になってきたけど、団員が次々と辞めて今劇団自体が消滅しかねない状況だぞ、と志望は思った。
「何人かの被害者さんにお話を聞けたのですが、その“願い石”の場所がなかなか分からなくてですね。それをやっと昨日見付けて破壊しました」
「破壊したんですか!」
「霊的に破壊しましたから、もうあの石には何も効力はありません。本当にただの石になりました。ただ」
「はい」
「どうもその“願い石”のカケラを切り取って持ち帰るという行為が横行していたようで。そのカケラを持っている人には、この石の効力がまだ利き続けている可能性があります」
「何か良いことがあると何か悪いことがあるんですか」
と志望は尋ねた。
「はい。概してマイナスの方が大きいです。だから良いことと悪いことを足して-0.5くらいになる感じですね。しばしば本人の周囲の人が病気になったり大怪我したり、人間関係が悪化したり、あるいは経済的苦境に陥ったりしてるんですよ」
志望がいきなり泣き出した。
「実は・・・別居していた妻が3日前に倒れて、今、意識不明状態にあるんです」
「石のカケラを持っておられます?」
「はい」
それで志望は神棚に供えていた石のかけらを“3人の中でいちばんの年長者に見えた”青葉に渡した。
なんて大きなかけらだと青葉も千里も思った。
「これ処分していいですか?」
「はい」
それで千里がその石を持つと出掛けて行く。
「少しお待ち下さい」
「はい」
10分ほどで千里は戻った。
「処理してきたよ」
「梨原さん、呪いを解いていいですか」
「はい。お願いします」
青葉がローズクォーツの数珠を取り出し、般若心経を唱える。厳かな空気が部屋の中に広がっていく。浄化自体は既に千里がやってしまっているが青葉の心経によりその空気がより高いレベルに変えられ、雑霊は近付けない空間に変化して行く。志望さんの心の中の雑念まで浄化されていった。
浄化は青葉が最後の「羯諦羯諦・波羅羯諦・波羅僧羯諦・菩提娑婆訶。般若心經」と唱えた所で完了した。
「何か身体が軽くなったような気がする」
「かなりの大物でしたよ。あんなのを身体に憑けてたら重かったでしょうね」
と青葉。
「奧さんの病院に電話してみるといいいですよ」
と千里が言う。
「はい!」
それで電話を入れると、奧さんが今意識回復してこちらに連絡しようとしていたということだった。
「良かったですね」
「ありがとうございます、ありがとうございます」
と志望は泣いていた。
青葉たちはこの状態で志望が運転するのは危険と判断。彼を奧さんの病院まで送っていった。むろんコロナの折でもあり青葉たちは病室までは行かないが、青葉は紅娘に命じて志望に付き添わせ、病室に入ったところで青葉が預けた浄化の念を奧さんに作用させるようにした。
意識回復した梨原浅子(泣原戦死)は3日後退院すると志望から
「退院したばかりの君を1人にはしておけない」
と言われ、まあいいかと思い、取り敢えず志望のマンションに戻った。
「あら、何か居心地いい気がする」
などと言う。
トイレに行った後、浅子は小さな声で可能に訊いた。
「ね。トイレに生理用品置いてあるけど、お父ちゃん彼女とか居るの?」
「そんな人居ないよ。お父ちゃんは今でもお母ちゃんのこと好きだよ。お父ちゃんのスマホの待受け画面とか見てみなよ。トイレの生理用品はぼくのと有明のだよ」
「あんたたち生理ある訳?」
「まだ来てないけど、来るかも知れないから念のため持ってる」
「うーん・・・」
どこから生理が出てくるのよ!?まあいいけど。
でもこの子、どう考えても既に去勢してホルモンしてる。体臭が女の体臭だし。まあ本人がそれを望むのならいいか。有明も同じコースなんだろうな。
着替えや化粧品、パソコンなどをアパートから可能に持って来てもらった。“娘”が居るのは便利だという気もした。
それで志望や、もはや女子中学生にしか見えない可能が作ってくれる御飯を据え膳・上げ膳で食べて数日過ごしている内に“気が変わった”。
浅子は志望に
「サファイア(誕生石)の指輪買ってくれたら、離婚はやめてもいいよ」
と言った。
それで志望はカードの限度額ギリギリまで使って、浅子にサファイアの指輪を贈った。すると浅子は離婚届けの用紙を志望から返してもらいその場で破り捨てた。そして多分3年ぶりくらいのセックスをした。
浅子は退団の件もキャンセルすると言った。
浅子は
「昏睡状態だった間に凄い長い夢を見たのを物語に書いてみた」
と言って、テキストで5000行くらいの長い物語を志望に見せた。
『クラインの墓穴』という物語である。
志望は一気読みしたが
「面白い。これ劇団の公演に使えるよ」
と言った。
「でも夢に見た物語だけあって、あちこち辻褄の合わない所があるのよね。船の中に居たはずが、いつの間にか部屋の中に居たりとか。そこを調整しなくちゃ」
「いや、むしろ辻褄の合わないままの方がいい」
「そうかも!」
「映画の『終電車』で病院の中に居たはずがいつの間にかステージの上になってたじゃん」
「ああ、あれは凄い演出だったね。結局、マリオンのベルナールへの愛の告白は現実だったのかお芝居だったのかが曖昧になった」
「あれ僕はリアルだったと思ったけどね」
「夫が居るのに?」
「ルカはマリオンが多情な女であることを承知の上で彼女を愛しているのさ」
「・・・・・」
このシナリオについて、これまで戦死の台本の誤字・文法誤りなどを校正してくれていた草場影見が退団するので、志望は以前劇団の台本を書いていた四国大輔(地獄大佐)に「校正料を払うから校正してもらえないか」と頼んだ。
志望と浅子の2人で四国の家を訪問して依頼したが、3万円という低料金で校正してもらえることになった。
「ありがとう。助かる」
「でも影見ちゃん東京に行くのか。成功するといいね」
と彼は言っていた。
夢に見た内容なので辻褄の合わない所があるけど、それは放置した方がいい気がすると言うと、彼も「多分そちらがいい」と言っていた。
このシナリオは10月公演で使用することになる。
四国大輔との打合せが終わった後、志望と浅子が帰宅しようと駐車場まで歩いていたら道に迷った。
「あれ?おかしいな?ここはどこだ?」
と思っていたら、向こうに自分たちと全く同じ姿の人物2人が立っていた。
顔も志望と浅子にそっくりだし、着ている服や靴も同じ。持っているバッグまで同じである。
「だ、誰?」
「ちょっとこちらに来なさい」
「はい」
その自分たちそっくりの人物たちに誘われるように、志望と浅子は少し歩き、古ぼけた神社の鳥居をくぐった。
7月30日(土)に**テレビが報道した番組の影響で、例の石碑の所には自分もハンマーで削り取ろうとする人がたくさん押し寄せ、一時は列ができるほどになった。そして僅か1ヶ月後には削り取られ過ぎて石碑自体が消滅してしまった。
むろん石は浄化済みなので、こんな石を持ち帰っても、毒にも薬にもならない。
むしろ千里が邪霊を祓った代わりに石に注入した浄化の念により家の中の邪霊や雑霊が祓われる効果が出る。つまりプラスにする作用までは無いが、マイナスをキャンセルする程度の力はある。
千里はわざわざ「1個でダメなら前のは捨てて新しいのを持っていくといい」と言った。それで過去に願い石を持っていった人の多くが再度この石を持っていき前のは捨てたものと思われる。すると千里が仕掛けていた浄化の仕組みで、その石が過去に持って行っていた石の作用をキャンセルし、ほとんどの呪いを自動的に解いたものと思われた。
真珠は
「願い事の石、無くなっちゃいました」
などという後日のフォロー報道を見て、なるほど、千里さんはこれを狙っていたのか。自分たちの手は汚さずに“私有物”を破壊してしまったわけだと納得した。
この石のオーナーは既に亡くなっており、相続した息子は処分したかったものの下手に手を付けると祟られそうで放置していたらしい。しかしみんなのお陰で石が無くなったので安心して台座も取り壊し更地にしてしまったという。
真珠は思った。どうしても場所を見付けるのことのできなかったあの石碑の場所を見付けることが出来たのは多分晃さんが自分は願いごとをしなかったからではないかと。
そして千里さんが石を浄化してしまったので結界が消滅し**テレビのスタッフもあの石を見付けることができた。
基本的には晃さんの守護霊が凄く強いのだろう。
などと思っていたら、津幡姫様が真珠に言った。
「ああ、晃のちんちんは私が預かってるぞ。ついでに睾丸もな」
「あのぉ、それ返してあげるというのは?」
「卒業したら返してやる。高校時代は女子高生を楽しむといい。女子トイレも自由に使えるぞ。女子更衣室にも女湯にも入りたい放題だぞ」
「女子高生を3年間したらもう男に戻れない気がしますが」
「本人が望めば今すぐにでも完全な女に変えてやるぞ。あんな可愛いのに男にするのはもったいないではないか」
あはは・・・
でもそうか。あの石を破壊させたのは実は姫様か。神様は直接人間の世界のことには関われないから、自分や千里さんみたいなのを動かして処理したのだろう。
7月31日(日).
志望が浅子・可能・幸助・有明と一緒に墓場劇団の練習に行こうと車で近くのショッピングセンターまで行き、歩いて練習場所に行こうとしていたら、ひとりの女子高生が
「あれ?墓場劇団の方たちですか?」
と声を掛けた。
「あ、はい」
「私、歌音ちゃんのファンなんです。サインとかもらえません?」
などと言った。
「いいよ。色紙か何か持ってる?」
と可能は微笑んで言う。
「すごーい。本当に女の子みたいな声が出るんですね」
と感激したように言い、女子高生は
「これでもいいですか?」
と言ってスケッチブックとマーカーを出した。
それで可能がサインを書いて、日付を書き「名前は?」と聞いて「あきです」と言うので「あきさん江」という宛名書きまでした。
「ありがとうございます。感激」
などと言っている。
「今から公演ですか」
「ううん。練習。君も見学する?」
「いいんですか?」
「いいよいいよ」
それで女子高生は可能たちと一緒に練習場所に入った。
可能が他のメンバーに「ファンの人で練習を見学希望」と紹介すると
「おお、歓迎歓迎」と言ってくれた。
それで練習をしていたが、女子高生は練習を見ながら大笑いしていた。
この日の練習に参加したのは、泣原死亡・戦死、可能・幸助、夜野棺桶、黒衣魔女、極楽昇天、草場影見の8人である。可能・幸助の“弟”の有明はまだ出演しないので見学である。
「そちらは、歌音さんとコーラスさんの妹さん?」
と女子高生が有明に訊く。
「あ、はい」
と少し恥ずかしそうに有明が答える。なんか可愛い!
女子高生は「この子、凄い美人。舞台に出るようになったら人気出るだろな」と思った。
もう来週が本番なのでこの日は遠し稽古が3回行われたが、女子高生は大笑いしながらたくさん拍手していた。舞台で演じているメンバーも拍手があるのはいいなあ、などと思っていた。
練習が終わる。
「ありがとうございました。とても貴重なものを見せて頂きました。本番もホーライTVで見ますね」
「興味があったら、またいつでも見に来ていいよ。だいたい毎週土日にここで練習してるから」
本当は毎週土日にここで公演していたのをその延長で練習に使わせてもらっているのである。
「本当ですか。また来ようかなあ」
その時浅子が言った。
「なんなら、うちの劇団に加入する?」
「え?そんなことできます?」
夜野棺桶さんが
「ちょっと演技テストしてみよう」
と言って、台本を渡す。
「あ、これ『野ざらしの証明』の台本だ」
「見た?」
「見ました。大笑いして、それでこの劇団に興味持ったんです」
「ここの所を台詞を言いながら演じてみて」
「はい」
それで、彼女が演じてみせると
「うまいじゃん」
と声があがる。
「だったら君の親御さんの承諾が取れたら加入OK」
「許可取ります!」
実際に女子高生は親の許可を取り、連絡があったので死亡が自宅を訪問して契約書類を交わした。
「儲かってない劇団なんで基本はギャラ無しで申し訳ありません」
「でもかえって気楽でいいかもね。クラブ活動みたいで」
とお母さんは言っている。
契約書類に本人がサインする。彼女は「鏡海明和」と書いた。
「あ、いやそこはお父さんの名前ではなくてあなたの名前を書いて欲しかったのですが」
「すみません。私の名前です」
「そうでしたか、失礼しました。一瞬男名前に見えたので。読みは“あきな”かな」
「すみません。あきかずです。私男なので」
「え〜〜〜!?」
「男だとダメでしょうか」
「いや。歓迎。大歓迎。君、シナリオによって男役と女役の両方とかしてくれたりしない?」
「いいですよ。どちらもやります。ただ男の子みたいな声は出ないですけど」
男優と女優が1人ずつ辞めるから男女どちらもできる人が加入すると物凄く助かる。
「もしかして女性ホルモンとかやってる?」
「理由はよく分からないんですけど、唐突に男の声が出なくなって、こういう声になっちゃったんですよ」
「だったらその声のままでいい。君のステージ名は境界迷子とかはどうかな」
「それって、生死の境界と思わせて、実は男女の境界なんですね」
「そそ」
「いいですよ。私の性別は友だちみんな知ってるから今更だし。それに劇団には歌音ちゃんやコーラス君みたいな人もいるし。私、歌音ちゃんに憧れてたんですよ。男の子なのにあんなに女らしくできるって凄いと思って」
あはは、劇団の趣旨が変わってきたりして、と死亡は思った。しかし歌音は“ちゃん”でコーラスは“君”なんだなとも思った。やはり見た目問題か?
8月6日(土)にホーライTVで生中継された墓場劇団の演劇『どんだけ?カンフル』のラストで、座長の泣原死亡は
「視聴者の皆様にお詫びがあります」
と言って75秒間のメッセージを述べた。
「6月の放送の時に、私“願い石”にお願いしたら、その後、劇団が上昇気流に乗ったなどと言ったのですが、あれは大いなる勘違いでした。それをお詫びしなければと思い、この枠は私が広告料を御支払いして放送して頂いております」
「実は先日妻の泣原戦死と話していてその勘違いに気付きました。うちの劇団が上昇気流に乗ったのは、戦死が頂いてきた、この“神社”の御守りのおかげだったようです」
と言って、(実はつい先日)“某神社”で頂いた御守りを見せた。
“某神社”の御守が放送されるのは間違いなく初めてだろう。しかし実はこの映像を放送に乗せることが“依頼主”の要求だったのである。
テレビはわざわざその御守りの映像をCCDカメラで接写して流した。
「これは2020年2月の『セーラー服とニンジンジュース』公演直前に戦死が偶然立ち寄った神社で頂いてきたものです。劇団が上昇気流に乗ったのは、むしろこれのお陰だったようです」
「“願い石”の方は、全くのガセネタですね。あれは地元のお年寄りが建てた“令和”と書かれたただの新元号記念碑で“願い事を聞いてくれる”なんてのは、根も葉も無い噂だったようです。あの石を削り取って持っておくと良いことがあるなんて噂まで出来ていたようですが、それは間違いで、あの石を1ヶ月ほど家に置いておいてから“捨てると”、家の中の汚れが一緒に捨てられるというのが元々の噂だったみたいですね」
「逆にずっと置きっぱなしにしてると淀みが溜まりすぎて良くないらしいです。知人で、石を持って来てずっと置いていた人が、飼いネコが病気になり、夢枕でご先祖様にあの石をさっさと捨てろと言われて捨てたら、ネコは全快したそうです。まあこれも気のせいだと思いますけどね。そもそも器物損壊だし。汚れを吸収して捨てるのなら普通の神社で頂ける人形(ひとかた)の方がマシですよ」
実は死亡が視聴者に見せた御守りには、邪霊の作用をキャンセルする強力な念が込められていたのである。6月の放送を見て願い石の所に行った人の多くが、この日の死亡のメッセージも見たものと思われる。そしてこの護符を見ただけで、呪われていた人たちはその呪いから解放されるし、石を削り取ってきた人たちも死亡のメッセージに応えて石を捨ててくれる可能性が高い。
死亡は“自分たちそっくりの人たち”から、自分が引き起こした禍の種は自分たちで何とかしろと言われ、ホーライTVと交渉して、本当に広告料を払い、このメッセージを流した(広告料は浅子が払い、志望は借用書を書いた!)。
あの人たちは言っていた。
「本来なら邪霊の手助けをした君たちにも厳罰が与えられるべきだ。しかし多数の被害者を救えるのも君たちだけだ。だから今回は被害救済に貢献する条件で、それに免じて特別に許してやる」
と。
千里が仕掛けたものと、泣原のメッセージにより、今回の禍のほとんどが収拾されることが期待された。
少し時間を戻す。
7月17日の夜。朋子から結婚式と婚姻届け提出の日取りが決まったという連絡を受けた青葉は「とうとう私結婚するのか」と再認識した。
その日も21時まで作業をした所で「ごめーん、休むね」と言ってスタジオを出て本宅の自室に入る。一応パジャマに着替えて布団に入るものの「なんか全然眠れなーい」と思う。そこに彪志から電話が掛かってくる。
「19日朝一番に婚姻届けを出したいんだけど、青葉の住所変更はどうする?婚姻届けだけ出しといて、住所変更は後日やる?」
「え?住所変更せずに婚姻届けだけって出せるの?住所がバラバラなのに」
「それは問題無くできる。だからいっそ転出転入届け出さずにこのまま別居婚の状態にしておいてもいい」
「そうだったんだ!でも実質別居婚でも、登録上の住所はひとつにしたいなあ。夫婦になるんだもん」
などと言ってたら青葉の目の前に出羽の八乙女のサブリーダー・美鳳さんが出現する。
「ちょっと待って。後で掛け直す」
と言って、青葉はいったん電話を切った。
「すみません。ご無沙汰しております」
と青葉は言う。
前回美鳳に会ったのは・・・いつだろう?思い出せない!
(多分2016年5月2日に“水泳部部長連続怪死事件”で助けてもらった時以来6年ぶり)
「青葉、どうせなら婚姻届け、彪志君と一緒に提出したいだろ?」
「はい」
「私があんたを浦和に転送してあげるよ。だから婚姻届け出したらすぐに転入届を出しなさい」
「転入届けを出すには高岡市役所で転出届けを出さなければならないので、朝1番に高岡市役所に行っても、どうしても婚姻届けの提出が11時くらいになってしまいます」
と青葉は言ったのだが
「あんたマイナンバーカード作ってくるだろ?マイナンバーカードがあれば転出届けの提出は不要」
と美鳳は言った。
「そうだったのか!」
神様も時代の流れを把握してるんだな、などと思う。私全然知らなかった。
「だから『婚姻届けと同時に転入の手続きもしたい』と窓口で言えばしてくれるよ」
「分かりました。ありがとうございます」
「転送先に天野貴子がいるから、彼女の車で浦和に来たことにしなさい」
「天野貴子って、千里姉の秘書さんの?」
「あの子は元々T大神の配下の者たが、H大神の所に出向して千里を守護している」
なんかとんでもない大物の名前を聞いた気がした。
「天野さんって、まさか神様か何かですか?」
「そういうことはあまり詮索しないほうがよい」
「すみません!」
それで青葉は彪志に電話した。
「ちー姉のお友達の天野貴子さんが車で浦和まで送ってくれるらしい。それで一緒に届けを出そう」
「大丈夫?そんな大移動して」
「大丈夫、大丈夫、天野さん凄く運転うまいし、寝ていくよ。飛行機じゃないから気圧も変わらないし」
「分かった」
「18日夜にアルバムの作業を終えてから出るから、19日の朝、浦和に着くと思う」
「うん。無理しないでね。きつかったら休んで。少し届けるの遅れてもいいから」
「うん。無理はしないよ」
それで青葉は彪志との電話を終えた。
美鳳が言う。
「しかし青葉、仕事のほうは大丈夫なのか?」
「それが遅れに遅れててヤバいなと思ってます」
「どのくらい遅れているのだ?」
「元々が頼まれた時点で30日分程度の作業量があったんですけどね。でも頼まれたのが7月2日で。実際には7月3日までテレビ番組の取材で潰れたから作業を始めたのが7月4日だったんですよ。でもアクアの日程が今月いっぱいしか空いてないから、7月28日までには仕上げないと間に合わない」
「最初から無理があるな」
「それなのに私の作業時間に制限が掛かってしまって、まだ全体の48%しか終わってません。このままだと5日遅れになって8月2日まで掛かってしまうけど、そうなるとアクアが多忙になって、全然録音する余裕が無くなり、アルバムの発売が物凄く遅れる可能性が出て来ます。でも遅れると映画のサウンドトラックの発売時期と交錯して営業的にまずいことになるし」
「7月28日までに仕上げるには1日何時間作業しなければならないのだ?」
「えっと・・・」
と言って青葉はスマホの電卓で計算する。
「1日16時間ですね」
「ちょっと待て。それでは元々1日が14時間くらいで計算されていることになるぞ」
「30日分というのは1日12時間計算なのですが」
「それがそもそもおかしい」
「それを7月4日から28日までの25日間で仕上げなければいけなかったから、1日15時間計算で進めていました。だから7月10日までは朝10時から夜26時までで、その中で各々手が空く時にお風呂入ったり仮眠とかするようにしてました」
「食事は?」
「もちろん作業しながら食べます」
「音楽業界には労働基準法とかは無いのか?」
「クリエイターには無縁です。被雇用者じゃないし」
「無茶苦茶だな」
「妊娠が発覚してからは朝9時に始めて夜9時に私は退出しています。その後、容子と紀子の2人で23時くらいまでやってくれているようです。でも私の作業がボトルネックになって彼女たちに渡す作業を作れないんですよ」
「お前身体が2つあったら間に合うか?」
「そうですね。私が20時間くらい稼働できたら彼女たちは1日13-14時間程度の稼働で何とか間に合わせられるから私の身体が2つあったら2人で10時間ずつやればいいし。残った時間で更に楽曲をリファインできますし」
「よしよし。だったらお前の身体を2つにしてやろう」
と美鳳は楽しそうに言った。
「え〜〜〜!?」
青葉が声をあげた次の瞬間、青葉は目の前にも自分が居るのを見た。
「うっそー!?」
「これで間に合うだろう。頑張れ」
「ちょっとぉー、美鳳さん」
「ちなみにお前たちは鏡像的に生成したから、片方は右利きで片方は左利きだ」
「え?」
と言って2人の青葉は自分の手を確認している。
「あ、私は右利きだ」
「私は左利きだ」
「じゃ左利きが本体で右利きは鏡像ですか?」
「どちらも本体だけどな。仮に青葉Lと青葉Rとでも呼べばよい」
「分子の異性体みたい」
「まあ確かにお前たちは異性だ」
「え?」
と言ってふたりの青葉はお股を確認する。
「私女みたい」
「私女みたい」
「2人とも女だが、中に入っている女性器が違うのさ」
と美鳳は言った。
「どういうことですか?」
「青葉、よくお聞き。小学1年生の時のことを思い出しなさい」
「はい」
「小学1年生の5月、お前が最初に出羽に来た少し後、私が『睾丸を失った男の子がいるから、お前睾丸が要らないならあげてもいい?』と訊き、お前は『あげてください』と言うからお前の身体から睾丸を取らせてもらった」
「はい!」
「そしてその年の秋に、今度は『お前に女の組織を入れてあげる』と言って、卵巣・卵管・子宮・膣を入れてあげた」
「・・・そんな夢を見た気がします(“女の素(もと)”と言われた記憶があるけど)」
「夢と思ったかもしれないけど実際にそういう操作をした」
「じゃ私の身体には小学1年生の時から卵巣や子宮があったんですか?」
「お前、小学4年生の時に生理が始まったろ?生理があるということは当然卵巣と子宮があるということだよ」
「そうだったんですか!」
そんな話を7-8年前に千里姉から言われた気がするぞ。自分やケイさんに生理があるのは、卵巣・子宮があるからだって。
「ただ当時の青葉は、男の身体に女の性器が埋め込まれている状態だった。ところが千里の暴走でお前は3年前に女に性転換されてしまった」
「あ、はい」
「その時、お前は本当の女の身体になり、女の生殖器ができた」
青葉は考えた。
「それどうなるんですか?」
「だからそれ以来、お前の身体の中には2系統の女性器が併存していたんだな」
「え〜!?」
「そして今、青葉Rの身体には青葉自身の遺伝子を持つ女性生殖器、青葉Lの身体の中には小学1年生の時に埋め込んだ女性生殖器が入っている」
「え〜〜〜〜!?」
「妊娠しているのはどちらか分かるか?」
ふたりの青葉は自分のお腹に手を当ててみた。
「私妊娠してます」
と青葉Lが言い
「私妊娠してません」
と青葉Rが言った。
「つまり妊娠したのは、小学1年生の時に私が埋め込んだ方の生殖器だ」
と美鳳は言う。
「待ってください。これ本来は誰の生殖器なんですか?」
桃姉に「青葉に血の繋がった家族ができる」と言われたけど、今私のお腹の中にいる赤ちゃんは私とは無縁の子供?と青葉は思った。ところが美鳳の言葉は意外なものだった。
「それは銀杏の女性器だよ」
へ!?
「銀杏って誰か分かるか?」
「・・・彪志の亡くなったお姉さんですか?」
「そうそう」
「だったらこれって姉弟の間に出来た子供?」
「まさか」
「え?でも」
「小学1年生の時に交通事故で睾丸を失い、青葉の睾丸をもらった男の子というのが彪志なのさ」
「え〜〜〜〜〜〜〜!?」
「だから青葉のお腹の中に居る子供は遺伝子的には、青葉を父とし、彪志のお姉さんを母とする子供だよ。だからできる子供は、間違い無く青葉の子供だし、文月さんの孫なのさ」
「・・・・」
「だから近親相姦はしてないから心配するな」
「でも待ってください。私彪志とたくさんセックスしてるんですが、そしたら彪志は自分のお姉さんのヴァギナにインサートしていたのでしょうか」
「そういう事態にならないよう、実は膣だけ別の女性のものを使った」
「すみません。それは誰の?」
「桃香の妹だよ。流産した」
「あぁ・・・」
「桃香の妹ならそう問題はあるまい」
「じゃ私、身体の一部が本当に桃姉と姉妹なんですね」
「ま、そういうこと。だから安心してその子供を産むが良い」
「でもこの子、彪志の子供じゃないんですね」
「彪志からは姪になるな。でも子供が、おじ・おばに似るのはよくあること」
「そうかも知れない」
(↑さりげなく子供が女の子であることを教えたが青葉は気付いていない)
「まあ次回はちゃんと彪志の遺伝子的な子供になるらしいから」
「どうやって?」
「そうだなあ。彪志君に女になってもらって、青葉を父とし、彪志君を母とする子供にしたりして。いっそ彪志君に出産させるか?」
「うーん・・・」
結局私、お父さんなの〜?嫌だなあ(←彪志が女になるのは気にしてない)
「ま実は私も詳しくは知らんのだよ。知っているのは大神(出羽のH大神)様だけ」
と美鳳は言っていた。
「じゃ2人で手分けして頑張りなさい。夜間は妊娠してない青葉Rが担当するといいぞ」
「そうします」
それで美鳳は姿を消した。
「じゃLは寝ててよ。私が容子ちゃんたちと作業を続ける」
と青葉Rは言った。
「うん。じゃ、よろしくね」
と言って青葉Lは布団の中に潜り込んだ。
それで青葉Rは昼間の服装に着替えてスタジオに向い
「目が覚めちゃって」
などと言って夜中2時まで作業を続けた。
翌日の18日は次のように分担して作業した。
9:00-13:00 青葉L
13:00-17:00 青葉R
17:00-21;00 青葉L
22;00-26:00 青葉R
一応21時になったら『寝るね〜』と言って青葉L(妊娠中)がスタジオを出るが、1時間後に青葉R(妊娠してない)が『目が覚めちゃった』と言ってスタジオに姿を見せ、26時まで作業する。
青葉Lは朝4時頃起きて、早朝にロンドから送られてきたアクアの歌唱を聴き、意見を書いてロンドに送信する。青葉が自分で歌ってみせた録音なども送る。朝食後9時から13時までスタジオに入る。その後Rと交替してお昼寝し、17時から21時までスタジオ作業して21時に引き上げたら本当に寝る(実働12時間)。
青葉Rは朝8時頃起きて午前中は一応完成とした曲の最終調整をする。お昼を食べてからLと交替し、夕方までスタジオに入る。17時に離脱して夕食を食べ、少し仮眠してから、Lがスタジオ作業している間に次の曲の下準備をする。そして22時にスタジオに姿を見せ、容子たちと一緒に夜中2時まで作業する(実働16時間)。
合計1日28時間仕事してる!!
青葉Lはこれまで通り青葉の部屋で寝起きするが、青葉Rの方は、地下の資料保存室に布団を持ち込み、ここで寝泊まりすることにした。
資料保存室には千里の部屋にある隠しエレベータでしかアクセスできない。この部屋の存在を知っているのは千里と青葉だけである。
18日夜に朋子・桃香・千里が帰って来たが、スタジオは別棟なので、青葉が夜間そこで作業していることは気付かれない。“青葉”は“青葉の部屋”で寝てるし!!
19日は青葉Lが朝から転送されて浦和に行ったので、青葉Rの方がこの日は朝から夕方までスタジオでの作業を続けた。
朋子が
「結婚祝いに何か作るよ」
と声を掛けたので青葉は容子と紀子に
「夜中にも作業してることは叱られるからうちの母や姉には言わないでね」
と言った上で一緒にリビングに行き、鯛・鰤や鰹(今の時期は上り鰹)、甘エビなどのお刺し身を炊きたての御飯で食べた。
「私あまり上品な料理できないし」
と朋子は言ったが
「いや炊きたて御飯に新鮮なお魚って最高に贅沢な料理ですよ」
と紀子は言っていた。
グルメ番組などにも出て結構舌が肥えている紀子が
「このお魚ほんとに美味しい」
と感心していた。
この日(19日)は夕方青葉Lが戻って来たので、Rは夕方から21時までの作業をそちらに任せて仮眠した。そしてまた22時にスタジオに出て行き、夜間の作業をした。
20日は記者会見があったので、青葉Lを金沢に行かせ、その間はずっと青葉Rが作業をしていた。結果的にRは19-20日の2日間はほとんど休みなく働いた。
21日以降はまた18日と同じパターンで進めた。
22日は千里から
「午前中2-3時間“どちらか空いてる方”顔を貸して」
と言われたので、午前中スタジオに入っていないRが出て行った。
つまり千里は青葉の分裂を知っている訳だ!
容子と紀子は最初は「大宮先生、妊娠しているのに、ほんとにこんなに長時間作業して大丈夫なのかな」と思ったものの、2人はすぐに気がついた。
「大宮先生は、右手で字を書く時と左手で字を書く時がある」
そして2人は夜中に作業している時は、大宮先生が必ず右手で字を書くことに気付いた。それで2人は判断した。
「大宮先生って2人居る!」
「夜間作業するのは必ず“大宮万葉(右)”!」
「そちらが桜蘭有好(おうらん・あるす)先生かも」
「きっと右利きだから“アール”なのよ」
「なるほどー!」
↑美鳳もびっくりの説。
更に2人は、午前中の青葉の服装と夕方から21時までの青葉の服装が同じで、午後の青葉の服装と夜間の青葉の服装が同じであることにも気付いた(←青葉本人は服のことは、なーんにも考えていない)
「だってアクアが3人、醍醐先生は5人、コスモス社長は7人、ケイ先生は10人居るという噂だもんね」
「アクアは男の子M、男の娘N、女の子Fだよね」
「男の子M、女の子F、女の娘Gという説もある」
「女の娘って何?」
「よく分かんない」
「ケイ先生は、1番ケイがマリさんと夫婦、2番亜麻野蘭子が水沢歌月、3番紅石恵子が夢紗蒼依専務、4番秋穂夢久が木原さんと夫婦、5番若山冬鶴、6番岡原加奈、7番岡原世奈、8番柊洋子あるいはピコがヨーコージ、9番美冬舞子がサマーガールズ出版社長、10番唐本冬子が§§ミュージック会長。これ米本愛心さんの推理」
と容子。(←きっと米本愛心と花ちゃんが一緒に考えたもの)
「そうそう、私聞いたんだけど、醍醐先生は使っている車でだいたい見当がつくらしいよ。1番ブルーはヴィッツ、2番オレンジはオーリス、3番イエローがアテンザ、4番レッドがインプレッサ, 5番グリーンがRX-8 らしい」
と紀子(←色対応が丸山アイの推察と違うのできっと葵照子あたりの情報。でもどっちみち車の対応情報が古い!)。
「なんかダイゴレンジャーという感じだ」
と容子。
「それなら大宮先生が2人居てもおかしくない」
「そもそも1人でできる量を遙かに越えてたよね。水泳選手、アナウンサー、霊能者、作曲家。どれも1つだけで相当多忙になる仕事」
「水泳選手やってるだけで疲れ果てて他の仕事はできないよね」
ということで容子と紀子はそれ以降は青葉の身体を心配しなくなった。
そして2人の青葉がフル稼働で頑張った結果、予定より1日早い7月27日までに全ての楽曲を花咲ロンドに送信終えることができたのである。
容子・紀子・青葉は、コーラで祝杯をあげた。
「2人ともお疲れさん。本来の労働時間を越えてだいぶ頑張ってもらった」
「この業界では普通です」
「大宮先生も2人がかりでお疲れ様でした」
あれ!?
それでコスモスとも話し合いの上、容子と紀子は29-30日は休暇とした。2人ともほぼ寝てた。30日午後には真珠に頼んで、高岡大仏と海王丸を見せに連れて行った。31日のHonda-Jet で東京に帰還させた。
一方(妊娠していない)青葉Rは容子たちを伏木に置いたまま28日、美鳳さんに転送してもらって東京に乗り込み、アクアの歌唱を直接聴いて最終調整をした。結局『沖に娘だ』は、伴奏流用をせずに、エレメントガードに自分たちの解釈で演奏してもらい、それを聴きながら再度アクアに歌を乗せてもらった。最終的には元の『お気に召すまま』も録り直した。
また、青葉、ロンド、和泉さんの3人でアルバムの曲順を決めた。青葉が思った通り、和泉さんは『ごめんね。私女の子だったの』にかなり文句を言っていた!
それでアルバムの音源は7月31日(日)夕方までに仕上がり、技術者さんとわりと休んでいて元気な和泉さんの2人で夜通しでマスタリング。8月1日朝、工場に持ち込まれてプレスが始まった。
アルバムの制作が終わった後、青葉Rは
「美鳳さん、ありがとうございます。お陰でアルバムが予定通り完成しました。伏木に戻してもらえますか?」
と頼んだ。
それで青葉は転送してもらったが、どうも伏木ではないようである。
青葉がキョロキョロしていると。目の前に千里姉が居た。
「青葉、お疲れ様。丸1ヶ月泳いでないと、プールが恋しいでしょ。ここで遠慮無く、いくらでも泳いでね」
と千里姉は言った。
「ここは・・・もしかしてグラナダ?」
「そそ。美鳳さんから青葉をここに転送するからお世話よろしくと言われたから、受け入れ体勢を整えて待ってた」
この千里姉は・・・3番??
「確かにプールは恋しかった。時間の余裕が無くて伏木の家でも全く泳げなかったけど。妊娠が発覚してからは水泳自体禁止と言われたし」
「だからここで思いっきり泳ぐといいね。ここに“も”青葉がいるなんて誰も思わないから」
「分かった。泳いでこようかな。でも水着が無いかも」
「水着は普通の練習用水着を青葉の部屋に用意してるよ」
「サンキュー」
それで青葉はパソコンとキーボードの荷物を部屋に置くと、テーブルの上に置かれていた水着に着替え、地下2階のプールで泳ぎ始めた。
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【春零】(8)