【春零】(7)

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「ねぇお兄ちゃん」
「どうしたの?」
「最近学校でナプキンの話よく聴くけど、ぼくナプキンのこと分からないなあと思って」
「うん」
「自分でも1度使ってみたいんだけど、どれがいいか分からなくて」
「ふーん。じゃ一緒に買いに行こうか」
「うん!」
 
それで“兄弟”は一緒に近くのドラッグストアに行き。ナプキンコーナーに行った。
 
「このあたりがパンティライナー、ここに少し置いてあるのはタンポン。この付近一体がナプキンだよ」
「うーん・・・」
「パンティライナーは、どれかまず1個使ってみるといいよ。ぼくがユニチャームの使ってるから、お前はまずはロリエあたり使ってみる?」
「うん」
ということでロリエの“きれいスタイル”を買物籠に入れる。
 
「タンポンは取り敢えず考えなくていいよ。小学生でタンポン使う子なんてまず居ないから」
「へー」
「ナプキンは吸収する量によって、軽い日用、多い日用、特に多い日用とかあるけど、生理始まる前に念のため持っておくなら軽い日用でいいと思う。あと羽根つきと羽根無しがあるけど、羽根が付いていると下着にしっかり固定される。但しナプキン付けてることが、体育の着替えの時とかに分かる」
 
こうやって2人でナプキンを選んでいる所を人が見ても、中学生のお姉さんが小学生の妹に教えてあげている所にしか見えない!
 
「付けてるの知られるのは恥ずかしいから羽根無しにしようかな」
「あとは好みのメーカーだね」
「じゃパンティライナーをロリエ買ったから、こちらもロリエにしようかな」
「うん。それで幾つかメーカーを試行錯誤して好みの所を見付けるといいよ」
「そだね」
 
それで2人は、ロリエの“しあわせ素肌”軽い日用・羽根無しを買物籠に入れた。そのほか一緒におやつやカップ麺を買い、レジに行った。レジのお姉さんはナプキンとパンティライナーを黒いビニール袋に入れてから精算済み籠に入れてくれた。へー。生理用品を買うとこうしてくれるんだ?と弟は新しい知識を得た。お金は「ぼくが出すよ」と言って兄が払ってくれた。
 
かくして父親と3人の息子が暮らす家のトイレに、2種類のナプキンとパンティライナーのパッケージが置かれることとなった。
 

青葉の妊娠の記者会見の後、これは「おめでたい」ことなのか、不祥事なのか、判断に悩む人もあったが、“既に婚姻届けも出した”ということから
「おめでとう」
という声がネットでは支配的になった。
 
記者会見のあった20日夕方にはベビー用品メーカーから
「うちのCMに出てほしい」
という照会まであった。
 
青葉は水連に連絡して許可を取った上でこのオファーを受けた。このCMでもらうギャラについては、水連の取り分を除いて、子育て基金に寄付するということも表明した。
 

§§ミュージックでは、青葉の妊娠がもし“不祥事”と捉えられた場合、現在進行中のアクアのアルバムについても根本的に見直さなければならないし、羽鳥セシルに曲を書く人が居なくなるので、様子を見ていた。
 
しかし世間が「おめでとう」路線に行ったのを見て、アクアのアルバムはこのまま進めることを決定した。
 
「ただ大宮先生、妊娠中ならご無理できないだろうし、スケジュールの遅れが出るのを覚悟しないといけないですよね」
とコスモスは心配する。
「それは千里にサポートしてもらえば何とかなると思うよ」
とケイは言った。
 
それでコスモスも千里に再度電話して、今回のアルバムだけでもサポートしてもらえないかと申し入れ、了承を得た。
 

7月16日(土).
 
青葉たちが伏木の家で彪志と結婚に関する話し合いをしていた日、金沢ではビスクドール展が始まった。
 
オープニングには、渡辺薫館長、孫の川口遙佳副館長(いつの間にか任命されていた)と妹の歩夢、〒〒テレビの石崎部長、北陸霊界探訪の幸花、真珠・明恵・初海および双葉、また神谷内さん、それに邦生と瑞穂なども来ていた。
 
「千里さんはまたお昼頃来るのかな?」
「なんか今日は大会があるから欠席と言ってた」
「へー」
 
「代わりに秘書の天野貴子さんに顔を出させると言ってた」
「人形退避作戦の時にバスを運転した人ね」
「小学生の頃からの知り合いらしいよ」
 

ビスクドール展は、今回も前回同様、人形は春の小川、夏の浜辺、秋の紅葉、冬の子供部屋というのをイメージしたセットに並べている。前回客が石を投げ込む事件があったので、透明のポリカーボネイト板が2mの高さまで張られ、その上にはネットが張られている。また警備員が4つの区画各々に1人ずつ立つ。
 
ウォーキングドールのマリアンはこの4つの区画を通して歩く。歩く経路は緑の蛍光色のテープを貼って道を明示してある。
 
今回スイスイ1号が行ってないが、スイスイ1号が行かないと、マリアンが歩く時の同伴役が必要である。これは金沢市内J幼稚園の園児たちの中の希望者にお願いすることにしている。ちょうど夏休みにも入るし、1日に数回、園児に手を引いてもらってお散歩するという趣向である。マリアンが緩菜に手を引かれて歩いているビデオを見せて希望者を募ったら女児20人、男児6人が希望した。
 
実はスイスイ1号を使った場合、ショッピングブラザの会場で幸花たちの知らない内に勝手に人形のレイアウトが変更されていたような場合に、スイスイ1号が人形がたくさん居る所に突っ込む事故があってはいけないと幸花たちは心配した。それでロボットではなく人間が同伴したほうがいいという判断になった。
 
一応スイスイ1号はセンサーで感知するので、たとえ通路の指定があっても人形の居る所に突っ込むことはないはずではあるが、念のため用心する。幼稚園児とはいえ人間が同伴するのなら安全だろう。
 

さて、世界水泳に出る水泳日本代表をヨーロッパでサポートしていた千里2Bであるが(妊娠して浦和にいるのが2A)、グラナダの家とマルセイユの家をどちらも代表合宿に提供していたので、朱雀(すーちゃん)に身代わりを頼み、自身と朱雀が各々の家に居るようにした。実際は千里は青葉がいるグラナダにたいてい居て、マルセイユには朱雀が居た。必要な時だけ入れ替わっていた。
 
朱雀は、水連の遠征組の中で世界水泳(6/18-25)には出ない選手たちが帰国する飛行機(6.12)に同乗して帰国した。そして半月くらい休んでていいよと言われたのに6/19の人形退避作戦で呼び出されたので、千里って嘘つきだと思った。でもその後更に半月お休みをもらった。実際には7月末まで休んでいた。
 
千里2Bは、6月15日に水泳日本代表がグラナダを去った後、まずは青葉の部屋の改造をすることにした。
 
清川が5月の作業の後「お疲れさん一週間くらい休んでていいよ」と言ったら、6月9日まで遊んでて帰国しなかったので、今回は広沢を呼んで作業させた。
 
これが6月21日、人形美術館の退避作業をした翌日である。清川については、前回頼んだ作業を今回頼まなかったことが最大の罰だ。
 
この改造とは青葉の部屋が本来他の選手の部屋より広かったのを『青葉だけ広いのはアンフェア』と言って、仮の壁を設置してわざわざ狭くしていたのを取り外して本来の大きさに戻す作業である。ついでに、筒石とマラが使った部屋を取り外し、新しいユニットと交換させ、家具なども新しいのを入れた(こちらの方が大変)。
 
実際には壁取り外しは1時間、部屋の交換と家具の整備も1日でやってくれた。またグラナダの家のメイド2人と一緒に、他の部屋の清掃もしてくれた。可愛いメイドさん2人にデレデレして「マナさん凄ーい!力持ち!」とか褒められ、結果的に“いいように使われていた”気もするが!?
 
作業は掃除まで含めて3日ほどで終わったので、
 
「ありがと。また頼むね」
と言って、彼にはグラナダの家のドライバーさんに案内させてアルハンブラ宮殿やアジアン・マーケットを見物させた上で、スペインのお酒をたくさん持たせて日本に転送した。これが(日本時間で)6月26日だった。
 

グラナダの方が落ち着くと、千里は“青葉が来るまで”マルセイユに移動し、マルセイユの家に居候しているチームメイトのエヴリーヌとシンユウと一緒にトレーニングに励んでいた。
 
(↓以下の話は2022.11.11配信分で一旦書いていたものの配信直前に50KBオーバーでカットし、後で入れるつもりが忘れていた物。ゴミ箱の底から発見しました!自分ではこれを既に配信していたつもりであれこれ書いてました)
 
千里は2020年に主として感染防止対策のため、マルセイユ郊外に、小さな?家(実際グラナダやアメリカの家より狭い)を買って市街地のアパルトマンから引越した。正確には2軒続きの家を買って合体整備した。
 
千里はこの家を播磨工務店に建て直させ、日本規格の住宅部品(*45) を使用し、自分の部屋と青葉の部屋には畳!を敷き、メイド室・客室を含めて部屋は全てバストイレ付き、トイレはウォシュレットにした。
 
ついでに?地下1階に28m×15m のバスケット・フルコートやトレーニング室、地下2階には 50m×10レーンのプールを設置している。プールを設置したのは、青葉をその内、拉致してこようという魂胆である!千里はグラナダの自宅にも、同仕様のバスケットコートとプールを設置している(バスケットコート作りたい病!)。
 
チームメイトのエヴリーヌとシンユウは最初この家ができた時に招待して一緒に食事したりコートで汗を流したりしたのだが「ここ落ち着く〜」と言って、2人ともこの家に居着いてしまった。チームメイトには数人コロナにやられた選手もいるが、3人はこの家のお陰で、感染を免れている。
 

(*45) 住宅部品は“リレハンメル・ムーラン建設”(Lillehammer Moulin Bygge LMB) が制作した住宅ユニットを使用している。
 
この会社は、フェニックス・トライン・フランスと、ムーラン・ドイツが共同でノルウェーのリレハンメルに設立したものである。林業・建築業を主な業務としているが、子会社の“リレハンメル・ムーラン化学”(LMK K=kjemi) では、PPC用紙、トイレットペーパー、段ボールなどの紙製品、入浴剤、マスクなども作っている。設立の際、話をスムースに進めるのと行政側との橋渡しのため、リレハンメル市内の建築会社にも5%の株主になってもらい、役員も派遣してもらっている。
 
最初リレハンメルのそばにあるノルウェー最大の湖・ミューサ(Mjøsa)湖の中にある島・ヘルゴヤ(Helgøya)島にちなみ“ヘルゴヤ工務店”にする案もあったが、日本人の耳には“地獄小屋”に聞こえるということで没。素直に事務所の場所から“リレハンメル・ムーラン建築”にした。bygge(ビッゲ)というのはノルウェー語で建設の意味である。
 
ノルウェーは、日本と環境が似ていて、急斜面の森林が多く、またそこへのアクセス経路が存在しないような森も多い。人間の手では伐採・搬出が困難なところがたくさんあり、しかも個人所有の森が多い。それで高齢などにより作業が困難になっているオーナーと契約して現地の“ドラゲ”や“ケンペ”たちを使い木材を切り出し搬出して、同時に植林している。
 
日本のムーラン・ハウジングで使用している“型”のコピーを持っており、日本と同じ規格のPC(プレキャストコンクリート)や木製住宅部品を生産することができる。ヨーロッパの住宅規格に合わせた製品も作れる。
 

さて、青葉であるが、16日の話し合いで彪志と結婚することが決まったが17日の盛岡での話し合いには“妊婦を気圧の変わる飛行機には乗せられない”、“アルバムの作業がある”という理由で伏木の家に残ることになった。
 
実際、11日に妊娠が判明して以来、夜9時までしか作業してはならない、ということになってしまったので、作業が遅れぎみなのである。容子たちも青葉が居ないと作業が進められないので、だいたい23時くらいには作業を終えて休むようにしていた。
 
元々かなり厳しいスケジュールだったのに青葉に時間制限が付いて、作業は順調に遅れ始めていた。このままだと8月上旬まで掛かってしまい、8月になるとアクアが忙しくなることから、アルバムの発売が大幅に遅れる可能性まで出て来た。
 
青葉は「身体が2つ欲しい!」という気分になっていた。
 

7月17日の盛岡での話し合いで、結婚式は9月2日(金)11時、婚姻届けの提出は今回の連休開けの7月19日(火)と決まったことが、朋子からの電話で報された。青葉は石崎部長に電話して話し合い、水連への休養届は19日の婚姻届け提出後に行なうことが決まった。
 
青葉は「ああ。とうとう私結婚するのか」などと思いながら、容子・紀子と一緒にアクアのアルバム制作の作業を進めていた。
 
その日も21時になった所で青葉は「悪いけど休むね」と言ってスタジオを出た。残った容子たちは自分たちだけでできる範囲で作業を進めていたが、23時すぎ、これ以上は青葉の指示が無いと進められない状態になる。昨日は千里さんが指示をしてくれたので夜中2時頃まで作業をしたが、今日は千里さんが岩手に行っているので進められない。
 
「仕方ないね。寝ようか」
などと言っていたらスタジオのドアが開く。
 
入ってきたのは青葉である。
 
「どうなさったんですか?」
「なんか目が覚めちゃった。眠れないから、ついでに少し作業しようと思って」
「大丈夫ですか?」
「平気平気。何か困ったこと起きてない?」
「一応ここまで楽譜をまとめたんですが、大宮先生に試唱を聴いて頂かないと先に進めないなと思っていた所です」
「んじゃ聴こうか」
「はい」
 
それで結局青葉はこの日夜中2時まで作業をしたのである。
 

19日は彪志と一緒に婚姻届けを提出するので、朝、美鳳さんに浦和へ転送してもらうことにしていた。
 
8時頃、美鳳さんから「転送するよ〜」という直信が来て、青葉は浦和に転送された。目の前に天野貴子さんがいるので
「お世話になります」
と挨拶する。
 
実は、天野さんの車で浦和まで往復するという説明を彪志にはしていたのである。
 
「あんたも大変ね。乗って乗って」
と言われて彼女のホンダ・シャトルに乗り、浦和の千里邸に行く。ここで彪志と落ち合い、彪志のフリードスパイクで浦和区役所に行った。
 
窓口で婚姻届けと転入届けを同時に出したいと説明。処理してもらった。手続きは10時前には終わる。この日の月入が10:27なのでそれまでには出したかったが、ちゃんとその前に完了させられて良かった。
 
「この後、どうすんの?」
「天野さんには今夜伏木に送ってもらう」
「大変だね」
「だから彼女は今日は日中仮眠しているはず」
「わあ、大変そう」
「取り敢えず“休もう”よ」
「う、うん」
 
それで2人は浦和の家に戻り、自分たちの部屋で愛の再確認をした。実は婚姻後最初のセックスである!つまり初夜である!!彪志は青葉のお腹を圧迫しないよう後側位で入れてくれた。レスビアンで言うとダブルスプーンである。男女ならスプーン・フォーク??青葉は向かい合わないのは寂しい気がしたのだが、この体位が意外に密着度が高く(だからビアンカップルに好まれる)、物凄く気持ち良かった。それで彪志とひとつになれたんだ、というのを再認識できた。
 
でも青葉は1回しただけで眠っちゃった!
 
彪志はもっとしたかったが「疲れてるだろうから仕方ないよね」と諦め、青葉のお腹を冷やさないようにタオルを巻き付けた上で、自分もそばで仮眠した。
 

青葉が目をさましたのは夕方である!
 
「ごめーん」
「寝てれば子は育つというから」
「なんか少し違う気がする」
 
“こちらの千里”(千里2A)が、
「結婚祝い」
と言って、ステーキも焼いてくれたので、貴司さんが買ってきたケーキとサイダーも出して、京平・早月と一緒にお祝いの晩御飯を食べた。
 
そのあと19時に天野貴子が迎えに来てくれて、彼女の車に乗って千里邸を出た。少し走った所で
「この辺でいいかな」
と言って天野さんは車を停める。
 
「じゃ美鳳さん、お願いします!」
と言って、青葉は伏木の青葉の部屋に転送してもらった。
 
それで青葉はこのあとスタジオに入って21頃まで作業をしてから寝た。
 

梨原志望(泣原死亡)は突然K医大病院から電話を受けた。
 
「奧さんが倒れられて病院に運ばれたんです。至急来て頂けませんか」
「分かりました!えっとそちらどこでしたっけ?」
 
それで志望は病院の場所を聞いて車で駆け付けた。受付で聞いて病室に行く。ナースステーションで尋ねたら医師も来てくれた。
 
「妻は・・・どういう状態なのでしょうか。眠っているように見えますが」
「現時点では何とも診断名は出せません。意識を失っておられるようですがここまでの検査結果では遷延性意識障害いわゆる植物状態ではないようです」
「よかった」
 
「昏睡状態なのか最小意識状態なのか、閉じ込め症候群なのか、もう少し検査しないと判断が付きません」
 
「妻は意識回復するのでしょうか?」
「現時点では何とも言えません。ただできたら色々話し掛けてあげて下さい。この手の症状は、家族などがたくさん話しかけることで改善に繋がることもありますから」
「分かりました!」
 

7月20日(水).
 
H南高校で終業式が行われた。晃はもちろんスカートを穿いた女子制服姿で体育館に整列して校長先生のお話を聞いた。
 
学校は夏休みに突入した、
 

その日の夕方、バスケット部がファイアーバードで練習をしていたら、ふらりと千里がやってきた。
 
「地区リーグは終わった?」
「はい。2位になりました」
と言って、春貴は勝敗表・スコアを見せた。
 
「ふーん。凄いね。私はバスケのスコアは分からないけど、最後は得失点差だったんだ?」
 
バスケットのスコアが分からない?バスケットの女子日本代表さんが??それともこのスコアが読みにくいのかなあ、などと春貴は悩む。
 
「以前言ってたけど、愛佳ちゃん、舞花ちゃん、晃ちゃんと少し話したいんだけど。舞花ちゃんと晃ちゃんはできたらセットで」
「だったら愛佳と先に会ってあげてください。晃は今日までは男子の方で練習しているので」
「ああ、そうたったね。だったら愛佳ちゃんを先に」
 

それで春貴が愛佳を呼んだ。誰も使ってない2階の2号控室に行く。
 
千里は愛佳に通告した。
「君には呪いが掛かっている」
 
「え〜〜〜!?」
 
「最近何か変わったこと無かった?」
「変わったことですか?何だろう。あ、模試の成績が悪かったくらいかな」
「たぶんそれ呪いのせい」
「嘘!?」
 
「これを除霊していい?」
「お願いします!」
 
それで千里は愛佳を椅子に座らせ、自身は左足の靴と靴下を脱いだ。右手の薬指と左足の中指を接触させる。愛佳は自分の身体から何かが抜けていくような気がした。
 

「何か身体が軽くなった気がします」
「まあ、変なの憑けてたら重いだろうね」
「軽くなったらバスケの動きも良くなるかな」
「良くなるかもしれないよ。次の大会は?」
「10月にウィンターカップ予選があります」
「だったら活躍できるようになるかも知れないね。トレーニング頑張るといいね」
「はい!」
 
「成績のほうも良くなると思うよ。呪いを解いたから、次の模試とかでは点数が良くなるはず」
 
「そうなんですか?」
 

矢作瑠璃は唐突に目を覚ました。
 
私どうしてたんだろう?
 
それにここはどこ!?
 

千里は愛佳に尋ねた。
 
「君、どこかで何か変なものと接触しなかった?たぶん、愛佳ちゃん、舞花ちゃん、晃ちゃんの3人で。人形美術館に来た時に気付いたんだけど、あの場では余裕が無かったから後日会いに来ようと思ったんだよ。だから6月19日以前。多分それより一週間程度以内」
 
「6月19日より一週間程度以内・・・舞花・晃ちゃんと一緒に・・・」
 
愛佳は腕を組んで考えた。
「もしかしたら」
 
と言って愛佳は、人形退避作戦の前日、6月18日に金沢で一言主神社を探していて、結局見付からなかったものの石碑のようなものを見て、注連縄(しめなわ)も張ってあったので、何かの神様が祭られているのかもと思い、そこで『H南高校がウィンターカップに行けますように』とお祈りしたということを言った。
 

「それが原因だな」
「え〜〜!?」
「多分君がウィンターカップに行けるようたくさん練習するように大学進学は諦めさせようとして君の成績を落としたのだと思う」
 
「非道い」
 
「しめ縄が張られていても神聖なものとは限らない。世の中にはレベルの低い邪霊に欺されてお祀りする人がいるからね。そういうのに関わると、ろくなことがない。しばしばその手の低レベルの邪霊は、何か良くするとその倍くらいどこかを悪くしてゼロサムやマイナスサムにするんだよ。周囲の人にまで悪影響を与えたりする」
 
「きゃー」
 
「舞花ちゃんや晃ちゃんも何かお願いごとしてた?」
「舞花は『晃ちゃんが女の子になって女子選手になれますように』と祈ってました。晃ちゃんは何もお祈りしませんでした」
 
「もしかして晃ちゃん女の子になった?」
「病院で確かに女子であるという診断書もらって、7月8日以降は女子生徒として通学してるんですよ。それで女子生徒扱いになったから、昨日の地区リーグでも女子選手として出場したんです」
 
「ああ。遅かったか。まさかそんな急展開するとは思わなかったな。戸籍の訂正とかまでしてないよね?」
「もしかして性別が変わったのも呪いなんですか?戸籍については本人が唐突に女の子になって戸惑っているので、奥村先生の助言で、1年くらい変更は保留するそうです」
 
「それは良かった」
 
春貴が居てくれなかったらもう戸籍まで修正されてたなと千里は思った。
 
「晃ちゃん、男子に戻るんですか?」
「それは本人の気持ち次第だね」
 

練習が終わって晃が女子のほうに戻って来た所で千里は舞花と晃を一緒に呼ぶ。さっきと同様2号控室に入る。愛佳も付いてくる。
 
「君たち2人には呪いが掛かっている」
「え〜〜!?」
「愛佳ちゃんから聞いたけど、君たち先月金沢で変な石の所でお祈りしたでしょ?」
「はい、それまずかったですか?」
「大いにまずかったようだね。舞花ちゃん成績下がったんだって?」
「はい」
「それ成績を下げて、進学を諦めさせ、その分たくさん練習させようとしたものだと思う」
「えげつないですね」
「晃ちゃんが女の子になっちゃったのもそのせいだと思う」
 
「その件なんですが、ぼく実は女の子とかにはなってないんですけど」
と晃は言う。
 
「そうなの?」
「ぼくが女の子の身体に見えるのは本当は偽装なんですよ。胸はブレストフォーム付けてるだけだし、お股は“タップ”してるだけなんです。それなのにお医者さんから間違い無く女の子と言われて困惑しているのですが」
 
「“タップ”じゃなくて“タック”かな」
「あ、そうだったんですか?」
 

「取り敢えず2人とも呪いを解いてもいい?」
「はい、お願いします」
 
それで千里はまずは舞花を椅子に座らせ、さきほど愛佳にしたのと同様にして呪いを解いた。
 
「なんか身体が軽くなった気がします」
「まあ軽くなるだろうね」
 
続けて今度は晃を椅子に変わらせ、愛佳・舞花と同様にして呪いを解いた。
 
「晃ちゃん、トイレに行って来てごらん」
「はい?」
 
それで晃は第2控室付属のトイレに行ったが
「嘘ー!?」
などと声を挙げている。やがて晃はトイレから出て来たが、顔が青ざめている。
 

「ちんちんが無くなってる」
と晃が言うと
「何を今更」
と舞花は言う。
 
「おっぱいも本物でしょ?」
と千里が言うので晃は自分の胸を触っている。
 
「これ作り物ではない気がします」
「要するに、自分の身体が本物の女性の身体になっていることに呪いのせいで気付かなかったんだな」
「えーー!?」
 
「愛佳ちゃんも舞花ちゃんもこれで成績が上がると思うよ。次の模試はいつ?」
「11月にありますが」
「遅すぎるな。8月くらいに受けられる模試は無い?」
「他社のにならあると思います。個人申し込みになるけど」
「それを受けてごらん。絶対今回より成績がいいと思う」
「やってみます!」
 
「あのぉ、ぼくは女の子のままなのでしょうか」
と晃が訊く。
 
「晃は女子のままのほうがいい」
と愛佳も舞花も言う。
「え〜〜!?」
 
「でも晃君の身体の中に入っている卵巣や子宮は明らかに別人のものだよ。取られた人が困ってると思う。だから元の人の所に戻したいんだけどいい?」
「お願いします」
 

それで千里は再度晃を椅子に座らせると、藤雲石の数珠を取り出し、何か念じていた。
 
「あ」
と晃が声をあげる。
「身体の感触が変わったでしょ?」
「はい。今まで体内のこの付近」
と言って下腹部を手で押さえる。
「この付近に何か暖かいものがある気がしていたのですが、それが無くなった気がします」
「うん。卵巣・子宮が元の持ち主の所に戻ったんだね。そして代わりに前立腺が晃君のところに戻って来たんだよ」
「元の持ち主のところに戻ったのなら良かった」
 

黒井マミ(ステージ名:黒衣魔女)は唐突に身体の調子が良くなった気がした。
 
「あれ〜!?どうしたんだろう」
と呟くと布団から起き上がり、取り敢えずトイレに行った。
 
「うん。なんか調子がいい」
 
それでマミは服を着替えると、近くのコンビニまで行ってお弁当を買ってきた。なんか久しぶりにまともに御飯を食べた気がした。
 
「これなら会社にも行けそう」
と思うと、会社に電話を入れる。
 
「あ、課長ですか。長く休んで申し訳ありません。なんかだいぶ良くなったので明日から出社させてください。はい、ご心配お掛けしました」
 

ファイアーバード。
 
「じゃ晃は男に戻ったんですか?」
と舞花が訊いた。
 
「晃ちゃん、ちんちんとタマタマある?」
と千里が訊く。
 
「確認してきます」
と言って、晃はトイレに飛び込んだ。やがて出てくる。
 
「ちんちんもタマタマもありません。でもこのお股はタックされた状態です。一見女の子のお股に見えますが、よくよく見ると偽装が判るかも」
 

千里は腕を組んで考えた。
 
「晃君、女の子の身体になる前に何か変なこと無かった?夢を見るとか」
「夢だったら」
と言って、晃は一連の夢の話をした。
 
(1)6月18日に北信越大会に出た後、帰りに津幡アリーナで休憩した時、女子トイレに入っていたら、小さな女の子に咎められ、女子トイレを使う資格ができるようにペニスを卒業まで預かると言われてペニスが無くなった夢。
 
(2)その続きの夢と思われるが、ペニスが無くなったと言うと、父が粘土をこねてペニスを作ってくれた夢。
 
(3)その日の夜見た夢で晃は女子選手として試合に出ていた。そして学校の登録も女子に変更されて、生徒手帳も性別女と記載され、女子制服で写った写真が印刷されたものと交換された。
 
(4)その後、奥村先生が出て来て「睾丸があるのに女子選手として出すのは問題があるから卒業まで睾丸を預かる」と言われて手術され、睾丸を取られて何か保存容器のようなものに入れられた。
 
(5)その続きで、姉が自分の股間をタックしてくれた夢。
 
(6)その続きで、母が自分の胸にブレストフォームを貼り付けてくれた夢。
 
(7)一週間後の6月27日に見た夢で、医師に『お姉さんの命令で性転換手術をします』と言われ、手術されちゃった夢。
 
(8)その続きの夢で、豪華な部屋に寝ていて、メイドさんから「あなたは性転換手術を受けて女の子に生まれ変わった」と言われ、お化粧もされて自分でも可愛いなと思った夢。
 

「その7番目の性転換手術された夢が呪いだろうね」
と千里は言う。
 
「今思えばあの時『やっと見付けた』と言われたんです」
「君の居場所を見付けるのに苦労したんだろうね」
「あと手術される時に『睾丸は無いじゃないか』とか『このペニスはフェイクだ』とか言われたのですが」
 

千里は腕を組んで考えていた。
 
「君のペニスと睾丸が無くなったのは呪いとは別口だね」
「え〜〜!?」
 
「恐らくはね、君に呪いが掛かろうとしていたから、呪いから君のペニスと睾丸を守るために君の守護霊が隠してしまったのだと思う。奥村先生、お父さん、お母さん、お姉さんとかは複数の守護霊が関わっていて姿を各々借りたのかもね」
 
「だったらぼくはどうなるんでしょうか」
「夢の中では卒業まで預かっておくと言われたの?」
「はい」
「だったら多分卒業したら戻って来る」
「それまではもしかしてペニスも睾丸も無いままですか?」
「無いと不便ある?」
「不便は無いと思います。ぼくそもそも立っておしっこしないし」
「じゃそのままでいいね」
と千里は言った。
 

「質問なんですけど、晃はだったら卒業まで女子高生ですか」
と舞花が訊く。
 
「女子でもないね。女性器が全く無いから無性」
「女子の試合への出場資格は?」
「女性ホルモンをずっと摂取して体内のホルモン値を医療機関に記録してもらっていれば来年の秋くらいには出場資格が出来るかも」
 
「じゃ女性ホルモンを飲もう」
と舞花。
「女性ホルモン飲んでたら、おっぱいも大きくなって女の子のような身体になっちゃいますよね?」
と晃。
「まあそうなるよね」
「それ嫌です」
 
「君女の子になりたいんじゃないの?」
「なりたくないですー」
 
「女性ホルモン飲まない場合、身体のベースが男で女性ホルモンの数値が低いから女子としての出場資格は得られない」
と千里は言う。
「それは困る。女性ホルモンくらい飲みなよ。おっぱいは大きくしたいでしょ?」
と舞花。
「大きくしたくないよー」
と晃。
 

「でもホルモンニュートラルは良くないですよね?」
と愛佳が言う。
 
「女性ホルモン飲まないなら男性ホルモン飲む?」
 
晃は少し考えていたがやがて言った。
「あまり男っぽくもなりたくないです。ぼく男の子たちとは話が合わないし。そもそもちんちん無いと男子としても差し障りがあるし」
 
「晃は女子生徒になっちゃったんですけど、また男子生徒に戻るんでしょうか」
と舞花が訊く。
 
「難しいと思うよ。どうしても男子に戻りたかったら転校するしかないと思う。せっかく女子生徒にしてもらったのに、やはり男子でしたと言えば、学校は“女子だった”というのが嘘だったと考える。そして女子のふりをして女子更衣室や女子トイレに侵入しようとていた犯罪者と思われるかもね」
「え〜〜!?」
 

「つまり晃はもう今更男子生徒には戻れませんよね」
「うん。学校から犯罪者として告発される前に女子たちに半殺しにされるかもね」
「きゃー」
 
「だったら、晃、開き直ってもう女子生徒として高校生活を卒業まで送りなよ。卒業後のことはまた考えるとして」
と舞花は言った。
 
晃も少し考えていたが
「それしか無いか」
と言った。
 
「まあそれでも将来男の子に戻りたい気持ちがあるなら『恥ずかしくて女子トイレや女子更衣室を使えない』と言い続けて、3年間多目的トイレ・面談室での着替えをずるずると続けるかだね」
 
「その路線で行きます!」
と晃は言った。
 
やはり本人としても、少なくとも今の段階では女の子になりたい訳ではないのだろう。
 

「でもどっちみち、そのタックの状態はまずい。それ割れ目ちゃんだけでも私が本物に変えてあげるよ」
「結局ぼく女の子になるんですか」
「形だけ形だけ(だったらいいね)」
「ちんちんが付いてるの人に見られたら、翌日には刑務所行きたね」
と舞花。
「仕方ない。お願いします」
と晃も言った。
 
それで千里は晃の“性別軸”を調整し75度(*46)くらいに設定する“予約”をした。ただし75度ではバストがとても小さいのでバストだけ少し大きくするようにした。実際の性別軸の変化は2時間後に発動するように設定したので、晃にはすぐ帰宅して寝ているように言う。
 
「私が送ってってあげるよ。愛佳ちゃんも一緒に」
「済みません」
 
それで千里は3人を自分のCX-5に乗せ、まずは高田家に行って、舞花と晃を降ろした。その後で谷口家に行き、愛佳を降ろした。
 

(*46) 性別軸略図
 
筆者もわりと“感覚で”書いていたのだが、これまでの記述とできるだけ矛盾が“少ない”ように図にまとめてみた。
 

 
内側から、卵巣/睾丸、陰核/陰茎、陰唇/陰嚢、バスト、の状態。
 
0度が女性で180度が男性。270度は“ふたなり”でペニスもヴァギナもある。ペニスは立ちにくいが丸山アイは根性で立たせる。90度はペニスもヴァギナも無い“無性”。但し90度には陰裂がある。140度が外見的に何も無い“天使”状態。
 
デンデンクラウドは最初ペニスのある285度にしたがバストがあるのが困ると言われてバストの無い120度に再設定した。結果的に立って排尿できなくなった。
 
150度が男の娘の角度。未熟な男の子。150-210度が男性の範囲だが、180度を越える角度ではバストがあり、女性ホルモンをしているMTFさんと似ている。
 
邦生は175度になっていて、男性ではあるが男性機能も弱いし男性ホルモンも弱い。彼は胸だけ30度になっていて、わりとバストがある。更に津幡姫の手で勝手にヴァギナを作られてしまった。ヴァギナだけで卵巣や子宮は無い(と思う。多分)。
 
75度は未熟な女の子の角度。晃はこの角度に設定した。生理はあるが妊娠まではできない。千里は彼のバストだけ40度に移動した。彼のペニスは津幡姫が卒業まで預かる(と姫は言っている。後述。でも気まぐれな人なので危ない)。
 

7月21日(木).
 
高岡C高校では、緊急の会議が開かれていた。高岡C高校の女子バスケットボール部は7月26日から始まるインターハイに参加するため、24日には香川県高松市(石川県の高松ではない!)に移動する予定である。
 
ところが女子バスケ部の監督・矢作先生が、半ば壮行試合と思っていた日曜日の地区強化大会中に倒れて病院に運ばれ、18-20日も入院している。家族の話では意識不明の状態が続いており、原因も不明で回復の見込みも不明だというのである。
 
それで矢作監督が行けない場合、代わりに誰に引率してもらうかを、校長・教頭、男子バスケット部の天龍先生を含め、バスケットの少しでも分かる先生たちに集まってもらって協議していた。
 
ところが、その矢作先生から10時頃「退院できそう」という連絡が入ったのである。そして本人はお昼近くになって職員室に姿を見せた。
 

「矢作先生!お身体はどうですか?」
と教頭が訊く。
 
「どうもご迷惑おかけしました。何かよく分からないんですけど、昨日の夕方急に回復したんですよ。最初事態が把握できなかったんですが、あんた倒れてずっと意識不明だったと言われて『嘘!?』と思いました」
 
「大丈夫ですか?」
 
「私個人的にもどこも調子の悪い所が無いので、そのまま退院したかったけど、医者が朝になってから検査してからでないとダメと言って、今朝からあれこれ検査されました。でもどこにも問題は無いということになって退院許可が出たので、退院しました」
 
「原因とかは何だったの?」
「分かりません。でも体調は万全だからもう大丈夫ですよ」
「じゃ無理しないように」
「はい、ありがとうございます。終業式にも出られなくて申し訳ありませんでした」
 
学校では何かあった時のために、長柄先生にも同行してもらうことにした。長柄先生は以前の学校でバスケット部の指導をした経験がある。
 
インターハイの運営に確認したら、病気から回復したものの不安があるので同伴者を付けたいということなら、矢作先生の泊まる予定の部屋にエクストラベッドを入れて一緒に泊まってもらう対応は取れるということだったので、それでお願いすることにした。それで同室できる女性の先生で、できるだけバスケのことが分かる人にお願いということにしたのである。
 

7月21日(木)。千里は舞花・晃とファイアーバードで午前中に待ち合わせた。千里は2人を“道場”の方に入れた。
 
「身体のほうはどうなった?」
「千里さんに言われたように、20時半頃になって気分が悪くなって寝てました。1時間ほどで体調は戻りました。お股を確認すると、タックではなく本物の割れ目ちゃんになってました。これ生理来ます?」
 
「来ると思う。でも卵巣の機能が弱いから妊娠までは無理」
「卵巣があるんですか〜?」
「今度は他人からの借り物ではなく、君自身の卵巣だね」
「ひゃー」
 
「女のお股に触りたい放題だね。いいでしょ?」
と舞花。
「お姉ちゃんも性転換して女の子になる?」
と晃。
「興味はある。性転換しちゃおうかなぁ」
と舞花。
 
「それで晃は女子ですよね?」
と舞花が確認する。
 
「暫定的にだけど、間違い無く女子」
「だったら女子の試合に出られますよね」
「出られる。全く問題無い」
 
「よし。ウィンターカップには出てもらおう」
「え〜〜!?」
 
まあそのあたりは春貴が判断するだろう、と千里は思った。
 
「但し女子になったのに合わせてそれなりに運動能力とか体格は落ちているはずだからね」
「え〜〜!?」
 

千里は今度時間が取れる日でよいから、金沢に一緒に行ってその“石碑のようなもの”があった場所を教えてほしいと言った。
 
「かなりデタラメに歩いて辿り着いたから分からないかも」
「でも試してみよう」
「分かりました。今日でもいいですよ」
「よし今から行こう。」
 

志望は、意識を回復しない浅子の枕元で、ずっと語りかけていた。出会った頃の思い出、一緒に苦労した様々なこと、そして子供が産まれた時のことや、子供がこんなことしてくれて嬉しかったよなあ、などといった話、をたくさん語りかけていた。
 
妻は眠っているように見えて全く反応が無い。しかし語り続けていた。
 

霊界探訪編集部に電話が入る。一般の視聴者からの電話である。幸花が取る。
 
「はい『霊界探偵金沢ドイルの北陸霊界探訪』編集室です。はい。金沢ドイルにご相談ですか?大変申し訳ありませんが、個別のご相談事には応じられないんですよ。町のカウンセラーさん、占い師さん、また法的なことなら無料法律相談所など、病気や怪我なら病院に見てもらって頂けませんか」
 
実はこの手の電話は非常に多いのである。
 
「でもあまりにも不可思議なことで、こんなことに対処できそうなのって、金沢ドイルさんくらいしか思いつかなくて。病院とかに行ったら『ふざけるな、帰れ』とか言われそうで」
 
「不思議なことなんですか?」
「そうなんです。実は突然私が女になって、姉が男になってしまって」
「は?」
「普通、ふざけてるか頭がおかしいかと思いますよね。それで相談したいんです」
 
幸花は電話の相手に“狂気”のようなものを感じなかった。それで話を聞くだけでも聞いてみてもいいかと思った。
 
「じゃお話だけ助手がお伺いします。それで適当な相談場所を紹介することになるかと思いますが」
「それでいいです」
 
それで幸花は13時にS町のココスで会うことにした。
 

「青葉さんは、アクアのアルバムの制作をしてるから、今月いっぱいは全く時間取れませんよ」
と真珠が言う。
 
「うん。だから助手が聞いて来て」
「助手って?」
「金沢セイルと金沢パールだな」
「え〜〜〜!?」
 
「まあ2人も行く必要無い気がするし、2人の内どちらかでいいよ」
 
明恵と真珠は顔を見合わせる。
「じゃんけんポン!」
 
明恵はパー、真珠はグーである。
 
「負けた〜」
と真珠がそのグーを出した腕にぶらさがるような動作をする。邦生に対しては絶対的な勝率を誇る真珠だが、明恵とはイーブンである。青葉や千里には絶対勝てない。むろん明恵も真珠も幸花には全勝である。ちなみに幸花は一般的にはわりとジャンケンに強い部類である。
 

それで仕方ないので真珠は自分のバイク(本当は兄のバイク)Suzuki GSX250F に跨がると、S町のココスまで行った。Sショッピングタウンの中にあるお店だ。目印はローカルな月刊誌『金澤』ということだったが、出て来たフロア係さんに「連れが先に来ているかも」と言って客席を見回すもそれらしき人は居ない。
 
現在12:50である。約束は13時だ。まだかなと思い、真珠は4人掛けの席に案内してもらい、取り敢えずドリンクバーを注文してコーヒーを取って来た。
 
マスクを外さずコーヒーも飲まずに待機する。
 
5分ほどした所で、高校生くらいの女子が2人入ってくる。月刊『金澤』を持っている。真珠は立ち上がり手を振った。2人は会釈してこちらにやってきた。
 
「遅くなって済みません」
「いや、まだ約束の時間前だし」
ということで2人は着席する。
 
真珠はランチ3つとドリンクバーをあと2つ注文した。
 
「お初にお目に掛かります。鏡海明和(かがみ・あきかず)と申します。こちらは姉の仁美(ひとみ)です」
 
と左側に座ったピンクの服の女子が言う。右側に座ったライトブルーの服の女子も会釈する。
 
真珠は
「『金沢ドイルの北陸霊界探訪』編集部の伊勢真珠(いせ・まこと)です」
と言って、放送局の名刺を2人に1枚ずつ渡した。
 
「このお名前“まこと”と読むんだったんですか!」
右に座っているライトブルーの服を着た女子(仁美)が“男声”で言った。
 
「まあ大抵“しんじゅ”と読まれちゃいますね。ついでにホテルとかで署名すると『ふざけないで本名書いてください』と言われます」
と真珠は彼女?の声を聞いても顔色ひとつ変えず普通に答えた。
 
「大変ですね!」
 

ランチは、すぐに来た。それで食べながら話を始めるが、実際には左側に座る少女は食べもせずに話を始めた。
 
「それで相談事なのですが、信じてもらえないのは承知でお話しします」
 
「私は元々女の子になりたかったんです。だから身体が男性化しないように睾丸をいつも体内に押し込んで、ショーツにホッカイロ当ててたりして睾丸の働きを抑制してました。それでも中学2年の時に声変わりがきてしまって、ショックで寝込んだくらいだったのですが」
 
ああ、その気持ち分かる、と真珠は思う。自分も声変わりが来た時はショックだった。でもその後、女声の出し方を何とか再発見したけどね。
 
「ところがこの月曜日の朝起きてトイレに行ってみたら女の子のお股になってて。何が起きたのか分からなかったけど、凄く嬉しくて。願いがかなった!と思ったんですけど、それで凄く嬉しい気分で着替えていたら姉が青い顔して『どうしよう?』と言って」
と明和。
 
「ショックでした。なんでこんなものが私に付いてるの?と思って」
と仁美。
 
「つまり明和さんは前日まで男だったのに女になってて、仁美さんは前日まで女だったのに男になってたんですか」
 
「そうなんです」
 
「胸も私の胸がCカップサイズになってて、姉の胸は男みたいに平らになってました。声も私は女の子のような声になり、姉は男みたいな声になってたんです」
 

真珠は目を瞑って考えた。
 
「親御さんは?」
「実はこの一週間、祖父が亡くなったのの法事に行ってて留守だったんです。今日の夕方には戻ってくるはずで、大騒ぎになりそうで」
 
「この一週間学校は?」
「そのまま私は不本意に男子制服、姉はこれまでと同様女子制服で行きましたけど、姉は調子が悪いのでと言ってあまり声を出さないようにしていたそうです。私は女の子のような声で一週間過ごしましたけど『上手に女の子の声が出せるようになったね』と友だちからは言われました。2人とも体育は見学にしました」
 
真珠は目を瞑り腕を組んで考えた。
 
この2人の“感触”としては、嘘やジョークを言っているようには見えない。2人が入れ替わって、こちらをからかっている可能性も考えたが、それにしては話ができすぎている。また自称仁美はかなり困っていて、自称明和は自責の念にかられているような心の波動?が伝わってくる。
 
「ちょっと胸触っていい?」
「はい、どうぞ」
 
真珠が服の上から触る限りは、自称明和には胸があるように思われ、自称仁美は平らな胸のように感じる。
 

「何か予兆のようなものはありましたか」
 
「日曜日の夜、夢だと思うんですが、自分の部屋に入ったら部屋が手術室みたいになっていて」
「ああ」
「それでお医者さんが『君は女の子になりたいんだったね。今から手術するから』と言われて、手術台の上に乗せられて麻酔を打たれたんです。でも夢ですよね?手術されたんなら物凄く痛いはずだし」
 
「お姉さんのほうは何か夢とか見てませんか」
「夢の中に、なんかイタチかタヌキか、そんな感じの動物が出て来て『卵巣もらうね』と言われたんです。それで目が覚めたら、お股におぞましいものが付いてて」
 
「その夢を見る前、ここ1ヶ月くらいの間に何か特別なことありませんでしたか」
と真珠は尋ねた。
 
すると、明和のほうが妙にそわそわした感じになる、
 
「何かありました?ここで聞いたことは誰にも言いませんよ」
「もしかしたら、あれかな・・・」
と言っている、でも不安な感じである。
 

ちょうどそこに入口から3人連れの客が入ってきた。
 
「あ」と真珠は思ったが声には出さない。
 
向こうも驚いたような顔をしたが声には出さない。しかし明和は真珠の視線の動きを見て振り向いた。
 
「あ、金沢コイルさんだ」
と明和は言った。
 
真珠は仕方ないなと思って千里に言った。
 
「もし良かったら少しお時間取れませんか」
 

千里はどうもまずい所に来たようだと思ったものの、舞花と晃の姉妹には
「君たち好きなものを頼んでて。私が持つから」
と言って、フロア係さんの案内で少し離れた席に行き座る。真珠が横の席に移動して今真珠が座っていた所に千里が座った
 
それで真珠はここまで聴いた話をかいつまんで千里に話した。
 
千里は言った。
 
「あなたたちは呪いに掛かってますよ。これを解除すれば大半の問題は解決しそうな気がします」
 
「ほんとですか!」
と姉妹は驚いたように言う。
 

「先日から似たような事例が多発してましてね。そのきっかけになった出来事というのを詳しく教えて頂けませんか」
と千里は言う。
 
「実は6月にホーライTVを見ていたら“墓場劇団”という劇団の公演を中継していて」
「へー」
「最初の10分間だけ無料なんです。その先まで見るには課金しないといけないんですけど、その最初の10分で結構笑ったので、母に言ったら『いいよ』と言ってチケット買ってくれて、それで最後まで見たんですが、公演中継が終わったあと、座長さんのインタビューが流れて」
 
「うん」
「それで聴いてて、その劇団が金沢の劇団ということを知って」
 
「まこちゃん知ってる?」
「いいえ」
 
「私たちも知りませんでした」
と明和は言う。
 

「それで座長さんが言ってたには、2年くらい前に金沢の某所で“願い石”というものを見て、石碑みたいに見えるけど、その石の前で願い事を唱えると望みが叶うという伝説があるらしいんです。それでそこでお願い事したらそれ以来、劇団が注目されるようになってきたんだそうです」
 
「ほほお」
 
真珠はこれは初海の言っていた石のようだと思った。でもこれは明らかに“邪”の部類だ。千里さんの顔を見ると千里さんも同様に思っているようである。
 
「それで私、そんな所があるならそこで“女の子になりたい”と祈りたいと思ってたんです。それが2週間前にたまたまSショッピングタウンに来て少し時間があったので、カーマに行こうとしたのですが、道に迷ってしまって」
と明和が言うと
 
「カーマに行くのに道に迷うとかあり得ない。目の前にあるのに」
と仁美が言う。
 
真珠は千里と視線を交わす。
 
「たぶんそれ“呼ばれた”んですよ」
「ああ、そういうことか」
と明和は言っている。
 

「それで歩いている内に、石碑のようなものに辿り着いて、それでもしかしてこれが墓場劇団の座長さんが言ってた“願い石”ではと思って。その石の前で“女の子になりたい”とお祈りしたんですが・・・・やはり、そのせいですか?」
 
と明和は最後は質問で終わった。
 
「うん」
と千里も真珠も言った。
 

「やはりそのせいで、私は女の子になれたけど、巻き添えで姉が男になってしまったのでしょうか」
 
「そういうことのようですね」
「きゃー。どうしよう?何とか姉だけでも元に戻すことはできませんか」
 
千里は尋ねた。
「仁美さん、夢で見たイタチのような動物ということですけど、その絵とか描くことできません?」
「私絵が苦手で」
 
「じゃちょっと私の手を握ってください」
と言って千里は彼女に手を伸ばす。そしてふたりが手を握り合った所で千里は
「その動物を思い浮かべてください」
と言った。
 

そして10秒もすると
「ああ、分かりました」
と言う。
 
そしてバッグの中からスケッチブックを出すとデッサン用の鉛筆を持ち、一匹の動物の絵を描いた。
「こんな感じの動物ですか?」
「そうです!そうです!まさにこんな感じです」
と仁美。
 
「まこちゃん、これ分かるよね?」
「貂(てん)ですね」
と真珠は言った。
 
「てん?」
「イタチ科の動物です。昔から人をたぶらかす動物として有名です」
と千里。
 
「そんな動物がいたんですか。キツネやタヌキなら聞くけど」
「狐(きつね)七化け、狢(むじな)八化け、貂(てん)九化けといって、化かす動物の中では最もレベルが高いのが貂(てん)です」
「そうだったんですか!だったらもしかしてその“願い石”ってテンが化けたものですか?」
 

「それを確かめてみましょう。その“願い石”の場所に私たちを連れて行ってもらえませんか」
 
「場所が分かるかなあ」
「きっと行ってみれば分かりますよ」
 
千里は舞花たちが食事中であるのを見て「マイちゃんたちは少し待ってて」と言う。
 
「まこちゃん何で来たの?バイク」
「はい。自分のバイクで来ました」
「編集部に誰かいるかな?」
「幸花さんと明恵がいます」
「じゃあきちゃんにメッセージ送って放送局の四輪でこちらに来てくれるように言ってくれない?」
「はい」
 
それで千里は精算用に真珠に1万円札を預けると、仁美・明和の姉妹を連れてお店を出る。
 
「あ、支払いは私たちが」
と仁美が言うが
「高校生に払わせませんよ。ここは私のおごりで」
と千里。
 
「でも私たちがご相談したのに」
「お仕事するようになってからたくさん社会貢献してください」
「すみません!」
 

千里は仁美・明和の姉妹を自分の車に乗せた。そして車内で明和に掛かっている呪いを解除した。
 
「各々自分の身体を確認して」
「元の身体に戻ってます!」
「良かったね」
と言ったが、“男声”に戻ってしまった明和が悩むような顔をしている。
 
「明和さん、女声が出やすくしてあげようか」
「できるんですか?」
「ちょっと触るね」
と言って千里は彼の喉に触ると“喉の性別軸”を逆転させた。
 
「声を出してみて」
「はい・・・あっ女の子みたいな声だ」
「良かったね」
 
仁美が言った。
「すみません。このお礼はお幾らくらい払えばいいですか?私あまり貯金が無くて」
 
「謝礼はね、このことを他人には言わないこと」
「はい!?」
「金沢ドイルさんに頼んだら呪いを解いてもらえたなんて噂が広まると困る。基本的に個別の相談事は受けないことにしているから。でないと次から次へと相談されたら、とてもこちらの身が持たないから。今回は“願い石”を何とかしないといけないからその場所を見付けるのに協力してもらうお礼で処理しただけ」
 
「分かりました!見付けるの頑張ります!でも何も払わないのも何か心苦しくて」
「だったらコンビニの募金箱に財布や貯金箱の中の小銭を2000円分くらい入れてくるといいよ」
 
「そうします!」
 
 
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【春零】(7)