【春零】(5)

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鈴江文月はその日“娘”の命日なので、ベビーフードとベビー用ジュースを仏檀に供え、線香を立て鈴(りん)を鳴らして合掌した。
 
「銀杏、あんたが生きてたら、私も孫の顔を見れたかもしれないのにねー」
などと文月は呟いた。
 
彪志のフィアンセ・青葉には何も不満は無い。素直でいい子だと思う。ただ孫は諦めなければならないのが、辛いなあと文月は思っていた。
 

7月9日(土)の午前中、春貴は高岡C高校の矢作先生とC高校の面談室で話をした。昨夜メールをしたら、今日C高校でということだった。
 
「休みの日に済みません」
「ううん、大丈夫だよ。どうせ午後からはバスケ部の練習があるし」
「土日も練習してるんですか!」
「当然当然」
 
「やはり全国行く学校はさすがですね」
「そちらは土日は練習しないの?」
「基本的に朝練とか休みの日の練習は禁止です。夕方も18時までには下校しなければなりません」
「ああ、そのあたりは学校活動としての限界かもね。こういうのは本来は学校とは独立したクラブ活動にすべきかも知れないよね」
 
「バスケ協会の方向性はそちらになるっぽいですね」
「ただ学校の活動ということにすることで得られるメリットもある。練習場所とかも独自に調達しろと言われたらお金が掛かる」
「難しいですね」
 

「それで高田晃の起用について矢作先生は多分疑問に思っておられると思ったので」
と春貴は言った。
 
「うん。なぜ出さないんだろうと思ってた」
 
「ひとつはあの子、完璧な初心者なんですよ。バスケットどころかこれまで体育系の部活もしたことないという子で。ただ姉がバスケットしてたのと、身長が比較的あるから、シュート練習の妨害役を頼んでいたんですよね」
 
「ああ、それは感じてました。動きが初心者っぽいと。でも交替要員にも使ってないよね」
 
「それが実は性別問題があって」
「まさかあの子、男の子なの?」
「それが曖昧なんですよ」
「なるほどー」
 

「本人も入学当初は迷いがあったみたいですが、ここ半月くらいは女子制服で登校してますね」
「性分化障害ですか?」
 
と矢作先生は訊く。難しい用語を知っているなと思った。普通の人には半陰陽とか言わないと通じないし、性同一性障害との区別の付いてない人も多い。
 
「先日大学病院で精密検査を受けてもらいました。結果は完全な女性で妊娠出産も可能ということでした。それで実はまだ戸籍上は男になっているのですが戸籍上の性別を修正するための診断書も書いて頂きました」
 
「それで法的な性別を修正するの?」
「それは本人も心の準備ができないと言っていったん保留しているんですけどね。学校の書類は女子に修正して生徒手帳も新たに女子制服で写った写真に差し替えて再発行しました」
 
「なるほどー」
と言ってから、矢作先生は目を瞑って少し考えていた。
 
「バスケット協会の登録は?」
「実は戸籍上男子とは思いも寄らなかったので、最初から女子として登録しています」
「いや、私が見ても女子にしか見えない」
と矢作先生は言った。
 
春貴は言った。
「正直、性別を修正した選手をすぐ使っていいか悩んでいるんですよ。公式に協会に照会すると騒ぎになってあれこれ更に検査されて委員会で議論されたりして、本人も傷つくと思うし。取り敢えず1年くらい待ってから使うことも考えているのですが」
 
「確かに精神的に辛いですよね。そういうの」
 

「本人も自分はみんなの練習相手というだけでいいと言うから、マネージャーまたはアシスタントコーチの登録にしているんですけどね。実際ルールについてはよく勉強してくれて、今では私よりよく理解している感じなんです。だから参謀として貴重なんですよ」
 
と春貴は正直な所を言った。
 
「ウィンターカップ予選とかはまた考えるとして、取り敢えず今回の地区リーグには彼女出しましょうよ。本音を言うと、インターハイ前に、高田妹を入れたH南高校と対戦したい」
 
「そうですね。練習相手くらいにはなるかも」
 
「この地区リーグは“その学校の女子生徒”であれば、女子の試合に参加出る規定だから。高田妹さんは“女子生徒”なんでしょ?」
 
「確かに現在は女子生徒です」
 
「高田妹さんもH南高校の女子生徒なのだから、助っ人などと同じですよ」
と矢作先生は笑顔で言った。
 
「確かにこの大会はその学校の生徒であればいいから助っ人もOKだったんでしたね。昨年うちは助っ人3人入れて参加してますし」
 
「それで行きましょう」
と矢作先生は笑顔で言う。
 

「分かりました。だったら地区リーグで“高岡C高校さんとの対戦があったら”彼女を使うことにします」
「うん。当然対戦があるものと期待しているからね」
「頑張ります」
 
それで春貴は矢作先生と握手した。
 
高岡C高校とH南高校は予選リーグの別の組に入っているので、両者が対戦するのは両者が“同じ順位”になった場合のみである。C高校が予選リーグで1位になったら、こちらも1位でないと対戦は発生しない。
 
インターハイは26日からである。ちょうど一週間前に地区リーグがあるので矢作先生としても、できるだけ強い所と試合しておきたいのだろう
 

「泣ぐ子はいねが〜?ネダは、ね〜が〜?」
と霊界探訪編集部で幸花が言っていた。
 
「いよいよ“白いセダン”の話取り上げます?」
と初海が言う。
 
「あれはやはりただの気のせいだと思う」
と明恵(金沢セイル!)は言った。
 
明恵の呼称については、灯油缶を抱えて金沢オイル、登山の格好をして金沢ザイル、スフインクスみたいな帽子?をかぶり全身包帯巻き!にして金沢ナイル、ウルトラの母のコスプレをして金沢テイル、フライトアテンダントのコスプレをして金沢マイル、など様々な案があったものの、最近金沢セイルというので落ち着いて来ている。
 
「もし金沢ドイルさんが多忙すぎて番組降板した場合は、セーラー服を着てヨットのセイルを持って金沢セイルだな」
などと幸花は言っていた。
 
“白いセダン”というのは、10人ほどの人から寄せられた情報である。運転していると、ずっと白いセダンが自分の後を付いてくる気がする。仕事など終えて帰ろうとすると、帰り道も同じセダンが付いてくる。ずっと尾行されているみたいで気持ち悪いという話である。
 
“白いレクサス”とか“白いクラウン”という話もある。
 
昨年秋頃からくすぶっているのだが、それこそ“気のせい”としか思えない面もあり、なかなか本格的な取材まで発展しない。
 

「白いセダンなんて、石を投げたら白いセダンにぶつかるくらい沢山あるからねー」
と真珠。
「レクサスもクラウンも掃いて捨てるほどいっぱい走ってますよね」
と遙佳。
 
「これがN-BOXとかヤリスとかが後ろに付いてても誰も気にしないと思う。レクサスとかクラウンみたいに大きくて威圧感のある車だから気になるんだと思う」
と明恵は言った。
 
「やはりこのネタはボツかなぁ〜」
と幸花は残念そうだった。
 

なお、遙佳はこの日は近く金沢市内で開催予定のビスクドール展の下打合せと、家に置けなくなったビスクドールを“人形美術館金沢支部”で譲り受けた分の回収を兼ねて特急バスで金沢に出て来ていた。
 
譲り受けた人形の半数は“人形供養”をしているW神社から紹介されてこちらに来たというものだった。W神社はビスクドールについては供養を受けず、こちらを紹介してくれることになっている。諸事情でどうしてもお別れしなければならないものの色々想い出のあるお人形に“第二の人生”が与えられることで、オーナーたちは皆安堵していた。
 
人形たちは“金沢コイル”さんの手で浄化済みなので何の問題もなく、遙佳は10体全部受け入れることにした。コイルの手に余るほどのものは、金沢ドイルの自宅に運んで時間を掛けて浄化することにしているが、今の所そこまで酷い状態のものには遭遇していない。
 

「遙佳ちゃん、美術館の再建のほうはどう?」
「2月にバルコニー工事をしてくれた播磨工務店さんにお願いしたんですが、取り敢えず建物自体は昨日完成して引き渡しされました」
 
「もうできたんだ!?」
「さすが播磨工務店」
「今内装をそこの関連会社のムーラン・インテリアに工事して頂いてます。これは多分1ヶ月くらい掛かると言われています」
「それがまともな工期だなあ」
「いや1ヶ月というのも普通の内装工事屋さんに比べると凄く速いと思う」
 
「それで8月初中旬には退避先からお人形たちが帰還できると思います」
「金沢に来る子たちもちゃんと帰る先ができて良かった」
「はい。こんなに早く戻せるとは思いませんでした。1年くらいの休館を覚悟していたのに」
 
「じゃ今度の金曜日はVIPドールたちを迎えに行くから」
「よろしくお願いします」
 

7月9日(土).
 
この日、邦生と真珠は、ついに!“生(なま)解禁”となった。
 
ふたりは4月13日に結婚したが、生でセックスすると、すぐ妊娠した場合、ちょうど真珠が卒業直前の大事な時期に出産することになり下手すれば留年する、ということで、時期をずらすために避妊を続けていた。
 
しかし7月9日にセックスしてもし受精した場合、出産予定日は4月1日になるので、学業には影響しない。それでこの日から避妊は中断して生でセックスすることにしたのである。
 
「じゃ今日からは生で行こうね」
と真珠は言った。
 
「うん」
と答えて、そわそわするような素振りの邦生。
 
「じゃんけんしよう」
「今日もじゃんけんなの〜?」
「当然当然」
 

それでじゃんけんすると、真珠が勝った。
 
「わーい。今日はくーにんに生で入れちゃお」
「それこれまでも毎日のように、やられてる気がするけど」
 
じゃんけんは絶対的に真珠が強いのである。
 
「妊娠したらぼくの赤ちゃん産んでね」
 
それで生解禁後初?の生セックスをしたが、邦生はもし妊娠したらどうしよう?と不安を感じた。
 
ちなみに邦生は「25歳になる前に去勢しよう」と真珠から言われているが、その運命の?誕生日までは残り50日である!真珠が自然妊娠するかどうかはそれまでの間に、じゃんけんで邦生が真珠に勝てるかに掛かっている??
 
(邦生が自然妊娠したりして?)
 
邦生の精子は冷凍保存したものがあるので、もし邦生が去勢しても子作りには問題無い!?
 
なお真珠には睾丸が無く、邦生には子宮が無いので、真珠の種で邦生が妊娠する事態は常識的には!考えられない。
 

7月10日(日).
 
この日、晃と姉の舞花は、母と一緒に高岡市南部のイオンモール高岡まで車で出た。水泳の授業で使う水着を買うためである。
 
高校で水泳の授業がある所は少ないのだが、H南高校は職業科の中に水産コースがあり、このコースの生徒は卒業までに男子も女子も100m以上泳げるようにならなければならない。それで職業科の他のコース(農業科・ビジネス科)の生徒も、普通科の生徒も巻き添え?で水泳の授業が年間3回あるのである。
 
ただしH南高校にはプールが無いので、昨年までは氷見市民プールを使用していたのだが、今年は津幡町の火牛アクアゾーンを使うことになった。それは火牛スポーツセンターが送迎バスを運行してくれるからである。
 
プールの料金自体は公共のプールだけあって氷見市民プールのほうが安いが、交通費を考えると結果的に津幡町まで行ったほうが安くなる。
 
また氷見市民プールは7レーンだが、火牛アクアゾーンの地下プールは10レーンあるので、より粗の状態で授業をすることができる。
 

さて水泳の授業で着ける水着であるが、小学生ならスクール水着なのだが、中高生だとスクール水着では身体の線が出て、男女とも恥ずかしがる。それでH南高校は、水着は基本的に自由とする。但し下記のようなものは禁止される。
 
(1) ビキニ、Tシャツなど水泳に適さないもの。
(2) トップ水泳選手用の水着など、ひとりで着脱できないもの
(3) シースルーを含め、陰部・陰毛や女子の乳房が見えてしまうもの。
(4) ふんどし
(5) その他、常識的でないもの
 
女子のパレオはOKである。むろん男子がパレオを着けても構わない!女子が男子用水着を着けるのはバストが露出するので↑(3)違反になる。しかし男子が女子用水着を着けるのは構わない!
 
「うーん。どれにしようかなあ」
などと言って、舞花は凄く可愛い水着が並んでいる付近を見ている。
 
「こんなのどうかな?」
「それ絶対泳いでいるうちに外れると思う」
 
かなりのダメ出しがあり、最終的にはワンピースではあるものの、かなり可愛いタイプを舞花は選んだ。パレオ付きである。
 

舞花がかなり時間を掛けて選んだのに晃はまだ悩んでいる。
 
「君も優柔不断だなあ。私が選んであげよう」
「え〜〜!?」
 
姉は絶対“恥ずかしい水着”を選ぶ。
「お母ちゃん、お母ちゃんが選んで」
「そうだね。マイより私のほうがましかもね」
 
といって母が選んでくれる。いったん母が選んだのはスクール水着に毛が生えたようなデザインで、パレオ付きである。
 
「おかあちゃん、アキはパレオ無しのほうがいい」
と舞花が言う。
「なんで?」
「アキがパレオ着けてると、ちんちんをパレオで隠しているのではと思われる。堂々とお股のラインを見せたほうがいい」
「え〜〜!?」
と晃は言うが母は
「確かにマイの言う通りだ。堂々と女の子であることを見せたほうがいい」
ということで母は、パレオの無いタイプで、おとなの女性が水泳教室に通うのに使うような感じの水着を選んだ。
 
「あまり可愛くない」
と舞花はやや不満だったようであるが!
 

7月10日(日).
 
幸花、真珠、明恵、初海は特にすることも無いのにいつものように北陸霊界探訪の編集室で、おやつを食べていた。今日のおやつは中田屋のきんつばである。幸花は他の番組も担当しているがその仕事はだいたい平日なので、土日は“タイムカードを押さないまま”ここに来て、誰かしら来ている編集部のメンバーとおしゃべりしていることが多い。
 
今日のおやつは、さっき初海のお母さんが来ていて、持って来てくれたものである。初海の就職先が内定したので、その挨拶だった。初海の母と幸花の話し合いで、初海は今年の12月くらいをめどに番組を卒業することになった。
 
初海の妹の双葉は来年金沢市内の大学に進学“できたら”編集部に正式参加する話になっている。現在は明恵・真珠の後輩の間島和栄・米山舞佳などと同様の“協力者”という立場である。むろん放送局の入館証はもらっているので、いつでも自由にここに来ることができる。
 
明恵と真珠は編集部に残る予定である。真珠は正式に局のADになったし、明恵は“金沢ドイルの助手”という名目で出演料をもらっている。またふたりとも青葉のドライバーになっていて、青葉から毎月20万円の報酬をもらっているので、どちらかというとこちらの収入のほうが大きい。初海は青葉のドライバーも12月一杯で退任する。初海の後任ドライバーはこれから検討する。
 

「ネタなんですけどね。6月に一言主神社をレポートしたでしょ?そしたらそれとは別口で“願いを叶えてくれる石”があるという情報がネット上では流れているようなんですよ」
と初海は言った。
 
「石?」
 
「場所については情報が錯綜しててよく分からないんですけどね」
「誰か実際に行った人がいないか情報が欲しいなあ」
「ただ、この石、良くない噂もあって」
と初海は言う。
 
「ほほお」
「だから番組で紹介するのまずいかもという気もするのですが」
「そのあたりを詳しく」
 

7月10日(日).
 
その日の朝、唐突に泣原死亡(本名:梨原志望)の別居中の妻・戦死(本名:浅子)が死亡と3人の息子(可能・幸助・有明)の住んでいるマンションを突然訪れた。
 
「あ、お母ちゃん」
と可能。
「浅子がこんな朝早くに稼働しているというのは珍しい」
と志望。
 
「あんたたちなんで3人ともスカート穿いてるのよ?」
と浅子が言うと、可能がいち早く
 
「ぼくはスカート穿くのが好きだから穿いている」
と言った。
 
「あんた女の子になりたいの?」
「なりたい。いづれは性転換手術も受けたい」
と可能は言う。
 
「ふーん」
と言って浅子は可能の胸に手を当てる。
 
「おっぱいかなり大きくなったね」
「ただのブレストフォームだよ」
と言って、可能は母の手を自分の服の中に入れて触らせた。
 
「凄く精巧だ。これ高かったんじゃない?」
「モデルのお仕事とかもしてたくさんギャラもらったし」
 

「なるほどねー。幸助は?あんたも女の子になりたいの?」
「ぼくは別に女の子になりたい訳じゃ無いけど、舞台で女役するから、慣れるのに穿いてるだけだよ。役作り」
 
「それ嫌じゃないの?」
「全然。スカート穿くの涼しくて気持ちいいし。さすがに女になりたい訳じゃないからこれで学校に行ったりはしないけどね。スカートは結構好きだよ」
 
志望は内心驚いていた。幸助はいつもスカート穿くの嫌だと言っている。それなのにこんなことを言うのは、幸助が自分をかばってくれてるんだ。
 
「有明はどうしてスカート穿いてるの?」
「ぼくスカート好き。ぼく中学にはセーラー服で通いたいなあ」
 
いや、この子はきっと本気でそう思ってる、と志望は思った。可能が女の子下着を着けてたら「ぼくもそういうのがいい」と言って。自分で進んで女下着を着けるようになった。性格的にも凄く女らしい。この子はズボン穿いてても女の子にしか見えない。妻の美貌を最も強く受け継いでいる。
 
実際は3人とも「スカート穿くの嫌だ」と言ったら、母に連れ出されそうなので、「この母ちゃんと暮らすのは嫌だ」と思い「それよりは女装させられる方がマシ」と思っている。朝起こしてもらえなくて学校に遅刻しそうだし、ごはんなど全く当たらなそうだし(標準語で言うと「もらえなさそうだし」)。
 

浅子は言った。
 
「子供たち3人が無理矢理女性化させられてるんじゃないかと思ったけど、そういう訳じゃないみたいね」
 
「そりゃそうだよ」
と幸助が言う。
 
「分かった。子供たちが女性化を強要されてたら、私が子供たちを引き取って保護するつもりだったけど、そういう訳ではないのなら、子供たちはあんたの所に置いておく。でもこれにサインして」
と言って、浅子は志望に書類を渡した。
 
「離婚届け?」
「私、なんかあんたに愛想が尽きたからさ。別れてよ」
「そんな唐突に」
「劇団も辞めるから」
「え〜〜〜?」
 
「当面はホステス1本でやってく。コロナが終わりそうだからさ。お金を貯めて来年の春くらいに自分のお店を再建するよ」
「お芝居は?」
「当面しない。10年くらい経ったら考えるかもね」
 
「離婚届けは少し考えさせてくれ」
「いいけど2〜3ヶ月以内には署名してよ」
「考える。あと劇団はせめて8月の公演が終わってからにしてくれないか」
「そうだね。じゃ8月の公演が終わったら退団」
「分かった」
 
しかしこのままでは劇団に残るのは自分と黒衣魔女・夜野棺桶の3人だけになってしまう。しかも黒衣は病気で休養中である。つまり自分と棺桶しかいない。それにシナリオを書く人も居ない!
 

墓場劇団のメンバー・元メンバー
 
泣原死亡(座長)
夜野棺桶:4年前に退団/2021夏復帰
黒衣魔女:病気で休養中
泣原戦死(脚本)離脱表明
極楽昇天:離脱表明
草場影見:離脱表明
 
地獄大佐(元脚本演出)2021離脱(死国巡霊)
成仏霊子:2021離脱(死国巡霊)
死神大鎌:2021離脱(死国巡霊)
 
死国巡霊には、死国巡霊結成後に参加した涅槃安楽、三途川守も居て現在5人でやっている。一応劇場で生公演しているが、客はほとんど居ない!!毎回せいぜい2〜3人で0人の日もある(無観客と大差無い気がする)。
 

7月10日(日).
 
桜坂は悩んでいた。
 
(1) 銀行の許可を取り、レストラン琥珀の建っていた土地を1900万円で人形美術館の渡辺さんに売却したが、ローンは1950万円残っていたので、残額の50万円は通常の無担保ローンに切り替えている。このローンがわりと苦しい。
 
(2) 井原さんの家を新店舗として今改装を進めているが、この改装費用は実はサラ金(カードは放送局勤務時代に作っていた)から借りており、この後の返済がかなり苦しい。
 
(3) 亡くなった井原さんには退職金を払うべきである。長年貢献してくれていたから、相当の額を払うべき。昨年、父が入院して店がいったん閉鎖された時は、従業員には一律50万円(パートさんは20万円)の退職金を払っているが、井原さんについてはこの金額は、どう考えても少なすぎる。
 
(4) 地震の時に火傷した少女の治療は完了し、医療費は全額支払っているものの、慰謝料の支払いが必要である。
 
要するにお金が無い!!!
 

悩んでいたら妻が言った。
 
「宝くじでも当たったら全部払えるのにねー」
 
それで桜坂は思い出した。
 
そうだ!ドリームジャンボ買ったんだった!
 
最初に宝くじをどこに置いたか全く記憶が無かったので探しに探した。結局、妻が見付けてくれた。なんと崩壊した店舗から金沢コイルさんが手配してくれた工務店?さんが発掘してくれたカバンの中にあった。危ない所だった。
 
当選番号の表示サイトを開き、1枚ずつ確認していく。
 
「お父ちゃん、これ・・・」
「!? ちょっと待て。再度確認する」
 
桜坂は再度ひとつずつ数字を見比べて行った。
 
「当たってる」
「嘘みたい」
 
「明日にも金沢に行って交換してくる」
「うん」
 
桜坂は少し考えてから妻に言った。
 
「このことは誰にも言ってはいけない。特に親には絶対に言ってはいけない」
「分かった!今それ言われてなかったら、私、10分後にはうちの母ちゃんにしゃべってた」
「ぼくたち2人だけの秘密。宝石くらい買ってあげるから」
「うん。誰にも言わない。来年、磁器婚式だもんね」
 
忘れてたぁ!
 

それで桜坂は翌日(7/11 Mon)、車(既に10年乗ってるLexus GS)を運転して金沢に出た。みずほ銀行の窓口に行き、
 
「これ当たってると思うんですけど」
と言った。
 
「お調べしますね」
と言って、窓口の女性が調べてくれる。
 
「おめでとうございます!この金額が当選しています」
と窓口の女性は言って、メモに
 
《2等1000万円、6等300円》
と書いてこちらに見せた。
 
「今受け取れますか」
「少しお待ちください」
と言って、窓口の女性は席を立ち、奥の方に居た中年の男性を呼んできた。
 
「お客様、お話があります。こちらにおいで下さい」
 

それで応接室に通される。
 
桜坂は、定期預金でも作ってとかの話だろうかと思ったら、全く違った。
 
まず高額当選金の受け取りには1週間ほど掛かるということが説明される。
 
“【その日】から読む本”という小冊子を渡される。そして宝くじが当たってから、気をつけるべきこと、詐欺などに関する注意をたくさん言われた。
 
・当たったことはどうしても話さなければならない人(基本的には配偶者のみ)以外には、親兄弟子供も含めて絶対誰にも言わない。
 
・宝くじに当たったからと言って仕事は辞めない。
 
・借金があったら最初にそれを全部返す。
 
・その次に子供の学資や、子供が既に独立している場合は老後の資金を確保する。
 
・残りのお金の使い方は、配偶者とよくよく話し合って決める。
 

よくある投資詐欺などについても詳しく説明された。
 
「確実に儲かるという投資話は確実に詐欺ですから」
「そんな美味い話があるわけないですよね」
 
受け取りは口座振り込みでも可能ということだったので、みずほ銀行の口座を作ってもらい、そこで受け取ることにした。
 

朝から来たのだが、銀行での話はお昼くらいまで続いた。300円の当選金だけ受け取り、銀行を出る。桜坂は大和(だいわ)デパートのエスティローダで妻から頼まれた化粧品のセット、ミスドでお土産のドーナツを12個買い、コンビニでお弁当を買った。車に戻り駐車場を出て、ガソリンをカナショク(石川・富山に多数の店舗がある激安GS)で満タン給油してから金沢を出た。
 
途中の高松SAで休憩してお弁当を食べ一眠りし、その後、西山PA, 別所岳SA, 道の駅・桜峠、駒渡パーキングで休憩してS市に戻った。
 

さてアクアのアルバム制作準備を進めている青葉だが、
 
7月4日の内に「使うかどうかは未確定だけど」と断った上で、美由紀、美滝、春貴、邦生などに「プロ歌手の『天使』という仮題のアルバムに入れる楽曲に使えそうな未発表の詩が無いか」と照会した。また空帆には、明確に「既に1曲書いてもらったみたいだけど、アクアのアルバムに収録する曲の歌詞をあと1個提供してもらえないか。楽曲まで付けてくれたら、なおいい。ただしどちらも未発表のもので」とメールした。
 
その結果、美由紀から送られて来た『気まぐれな天使』、春貴から送られてきた『Walk on the wall』、美滝から送られてきた『白い雲』、“真珠”から送られてきた『光の舞』が全て使えると思った。各々にクレジットする作詞者名を指定してほしいとメールした。また制作段階で多少の歌詞の修正、またタイトルの変更をさせてもらうかもということで了承を得た。
 

空帆は
「既存曲ならいいのあるんだけど」
と言ったが、
「それは薬王みなみに渡してあげて」
と言っておいた。彼女は結局7月11日(月)になって
 
「きちんとした譜面はこれから書くけど」
と言って電話の向こうで新しい曲を自分で歌ってくれた。
 
「使えると思う。手書き譜面かCubaseのデータか、どちらか楽な方でメールして。編曲はこちらでするからギターコードだけ付けてくれればいいから」
 
ということでそれを数日中にまとめてもらうことにした。
 
これで楽曲は何とか足りそうである。
 
『お気に召すまま』加糖珈琲作詞・琴沢幸穂作曲(映画主題歌)
『緑の天使たち』森之和泉作詞・水沢歌月作曲(アルバムの実質タイトル曲)
『金色の太陽』翔太&リル子作詞・醍醐春海作曲(太陽光パネルCM曲)
『私を口説いて』阿木結紀作詞作曲(映画挿入歌)
『ごめんね。私女の子だったの』夢倉香緒梨作詞作曲(映画挿入歌)
『夢の余韻』波斯魔琴作詞北沢晶菜作曲(チューハイCM曲)
『沖に娘だ』未来居住作詞・琴沢幸穂作曲(先頭曲のパロディ。舞音がカバー予定)
『チェルシカの天使』青葉
『気まぐれな天使』美由紀
『Walk on the wall』春貴
『白い雲』美滝
『光の舞』真珠
『Secret Date』空帆
 

追加の曲の制作準備を進める中、既にできている曲の編曲も容子と紀子を助手に進めていたのだが、青葉が何か悩んでいるようなので、紀子が尋ねた。
 
「大宮先生、何か悩み事ですか?」
「いや仕事のことじゃないんだけどね。生理がなかなか来ないなと思って。やはり世界選手権が終わった所でここ半年くらいの疲れがまとめて出て、体調が乱れてるのかなあ」
 
「どのくらい遅れているんですか?」
「本来は7月6日くらいに来るはずだったんだけど。まだ予兆も無いんだよね」
 
紀子と容子が顔を見合わせている。
 
「先生、妊娠なさったということは?」
「え〜〜〜〜!?」
 
「だってね」
「生理が遅れてるというと、まず妊娠を考えるよね」
と2人は言っている。
 
「でもちゃんと避妊してたのに」
「避妊の失敗はよくあることですよ」
「それで女子高生が焦ることになる」
「私なんかも高校生時代けっこう“カンパ”しましたよ」
 
高校生は・・・大変だろうな、
 
「妊娠検査薬を使ってみられては?」
 
青葉は急に不安になった。
 
前回の生理があったのが6月8日である。その14日後の排卵予定日は・・・6月22日。彪志とセックスしたのは・・・6月20日の夜!マジで結構やばくない??
 

7月11日(月).
 
金曜日に自動車学校を卒業した春貴は、この日は朝から富山市まで行って、富山県運転免許センターで筆記試験を受けた。
 
これに合格して、春貴は無事大型免許を取得した。
 
免許をもらったことを取り敢えず校長・教頭・横田先生にメールし、すぐにH南高校まで戻り、あらためて大型免許取得を報告した。
 
「最短期間で取得できたね。頑張ったね」
と校長、教頭、横田先生から言ってもらった。
 

この日、先月注文していた女子バスケット部の追加ユニフォームが納品された。レモンイエローと赤のセットである。
 
これまで女子バスケット部は、ホーム用の白とアウェイ用の濃緑のユニフォームを1セットずつ使用していた。しかし1セットずつだと、ノックアウトトーナメントを勝ち上がって1日に複数試合した場合、ホームとアウェイになれば良いが、ホーム・ホーム、アウェイ・アウェイと続いた場合、汗を掻いたユニフォームを着替えられない!という問題があったのである。
 
昨年まではいつも1回戦で負けていたので、この問題は起きなかった!また総当たり戦の場合はだいたい着替えられるようにホーム・アウェイが設定されることが多い。
 
男子は白と紺を2セットずつ持っていた。
 
それで美術室を崩してしまったお詫びに播磨工務店からもらったお金の一部を使って、女子も、もう1セットずつユニフォームを作ったのである。
 

ここで新しいユニフォームを従来と同じ白と濃緑ではなくレモンイエローと赤にしたのは“色合い”の問題がある。バスケット協会の規定でぱ、ユニフォームは全員同じ色でなければならず微妙に異なる色合いのものが混じっていてはいけない。
 
しかし色というものは、たとえ同じ会社に頼んで、そこが完全に同じ生地に同じ配合の染料で染めたとしても、どうしてもロット間の微妙な差違が出る。更に何年も使っている内にユニフォームはどうしても変色している。だから現在のユニフォームと正確に同じ色合いのものを作ることは不可能である。
 
その場合、似た色だと紛れてしまい、誤って混ぜて大会に持っていってしまう事故が起きかねない。だったら紛れることがないように全く違う色で作ったほうが安全なのである。それで今回はレモンイエローと赤を使うことにした。
 
男子のほうは現在使用しているものは、同時に2セット作ったので、こういう問題が起きない。5-6年前にバスケ部出身のOBで仮想通貨で当てた!人が寄付してくれたらしい。
 

この日はその新しいユニフォームを部員たちにお披露目した。
 
そして練習が終わり、ファイアーバードからみんな退出しようとしていたら、そこにマイクロバスが入ってきて停車する。清川が降りてくる。
 
「奥村さん、このマイクロバス8月いっぱいくらいまで貸しておきますから、たくさん運転の練習に使って下さい、と千里さんの伝言です」
 
「ありがとうございます!だったら本当に練習します」
「トラックとバスでは結構運転感覚が違いますから、実際に運転するのと同じような車体で練習したほうがいいですよ」
 
「確かに違いそうですね!」
 
そんな話を自動車学校でも聞いたなと思った。
 
「この車体はあちこち傷や凹みがあるけど、よけい少々ぶつけても気兼ね無いし」
「そうですね!でも慎重に運転します」
「一応車検は通ってますから」
「分かりました」
 
この車体はホテルか何かの送迎用として使われていたようで、波とか岩とかの景色の絵が描かれているが、わりとあちこち剥げている。錆びている所ある。ホテル?の名前が入っていたのを消したと思われる。■型の塗装が並んでいる。
 
「普段はここに駐めとけばいいですし」
「そうですよね」
 
「では」
と言って、彼は一緒に来ていた広沢の Harley-Davidson Road-King 1753cc に同乗すると一緒に去って行った。
 
「ハーレーダビッドソン格好いい!」
と特に男子たちから声があがっていた。
 

青葉は妊娠検査薬に出た“−”の表示を見て、ガーンと思った。
 
うっそー!? 私妊娠しちゃった!? どうしよう???
 
青葉がボーッとしていたら桃香が珍しく居間に出て来た。
 
「あれ?青葉いつ帰国したの?」
「・・・6月29日だけど」
「そんな前なんだ?全然見なかったね」
「そういえば遭遇しなかったかな」
「この家広いもんだから時々迷子になっちゃって」
「そういうこともあるかもね」
「何持ってんの?体温計?」
と言って覗き込む。
 
「あれ?これもしかして妊娠検査薬?」
「うん」
「陽性じゃん」
「だよね?これ」
「青葉もしかして妊娠したの?」
「そうかも」
「それはめでたい。青葉に血の繋がった家族ができるじゃん(*34)」
「あ・・・」
 
そんなこと全く考えてなかったけど、ほんとにそうだ。
 
「いつ結婚したんだっけ?」
「まだしてないけど」
「それはすぐに籍だけでも入れなきゃ」
「え〜〜?」
 
「だって未婚のまま子供産むのは大変だぞ」
「だろうね」
 
桃姉はそれで結構苦労したんだろうなと思う。
 
(*34) “血の繋がり”問題については後述。
 

「彪志君、性別は変更したんだろ?婚姻できるよな?」
「彪志は別に性別直してないけど」
「だって男と女では結婚できないだろう?性別を統一しないと。彪志君、性転換手術は終わってる?」
「彪志は性転換とかしないし、普通結婚は男と女でするもんだけど」
「あれ?最近は性別が違ってても結婚できるようになったんだっけ?」
 
桃姉酔ってない?
 
「それで予定日はいつ?」
「予定日も何も今これ見てびっくりしたところで」
「じゃまだ病院行ってないの?」
「病院って?」
「産婦人科だよ」
「・・・私が産婦人科に行くの?」
「当然当然。青葉は妊婦なんだから」
「妊婦〜〜!?」
 
「赤ちゃんが胎内に居る女性は妊婦と呼ばれるのだ。まだ行ってないのなら私が付いてってやるから一緒に行こう」
 
「桃姉と一緒なら行ってみようかな」
「よし行こう」
 
こんな時は桃姉が凄く頼りになる気がした。だって2人の子供の母親で6人の子供の父親だもん!あれ?7人の父親だっけ??(*35)
 

(*35) 早月は父が千里で母が桃香なのだが、多くの友人たちは「桃香に卵子がある訳無いし」と考え、桃香の精子で千里が妊娠出産したのだろうと思っている。桃香の出産現場に立ち会った朱音でさえ、産んだのは千里と思い込んでいる!
 
人は概して記憶を自分が合理的に解釈できるように改変してしまうものである。「桃香が妊娠出産する」という事態は、朱音を含めて友人たちには非合理的に思える。
 

母は買物に出ている。
 
青葉は紀子たちに
「少し出掛けてくる。君たちは休んでていいよ」
と言い、緩菜にも
 
「ちょっとお姉ちゃんたち出掛けてくるからお留守番お願い」
と声を掛けてから、桃香と一緒に庭に出る。
 
緩菜は肉体的には3歳10ヶ月でも中身はおとななので、お留守番は全く問題無い。どうしてもおとなが必要な事態があったらスタジオに居る容子たちに頼るだろう。
 
青葉がマーチニスモをアンロックすると、運転席に桃香が乗ろうとしたので
 
「待って。私が運転する」
と青葉は言った。
 
「妊娠してるのに車の運転とか大丈夫か?」
「大丈夫。そのくらい平気」
 
桃姉が運転したら、どこかにぶつけられて私流産しちゃう!へたすれば病院じゃなくて天国に行っちゃう!
 
それで青葉が運転席に乗り、桃香が助手席に乗る。
 
「どこの病院に行けばいいんだっけ?」
「カーナビで最寄りの産婦人科を調べればいい」
「それでいいの〜?」
「どうせどこがいいかなんて知らないし」
「確かに」
 
取り敢えず妊娠の診断だけならどこでもいいかと思った。それで本当にカーナビで検索して車で10分ほどの所にあるQレディスクリニックという所に行ってみることにした。
 
コロナの折、病院はどこも予約が必要である。
 
桃香が電話を掛けてくれて妊娠したようなので受診したいというと、今ならOKというのですぐ車でそちらに行く。病院の駐車場に駐めたまま電話すると看護師さんが出て来て、まずはコロナの検査を青葉だけでなく付き添いの桃香もされる。検査を待つ間に問診票を書く。
 

名前・生年月日・結婚歴などを書くが、性別の記入欄が無いんだな〜と思った。まあ男が産婦人科を受診することは普通あるまい(*37).
 
結婚歴については「未婚」に丸を付けた上で、婚約中と書き添えた。
 
「妊娠の疑い」に丸を付けてから、市販検査薬使用、7月11日と記入して陽性に丸を付ける。
 
「出産について」では「出産希望/未定/中絶希望」の選択肢がある。中絶なんて考えられないから「出産希望」を選択したが、そこに丸を付けた瞬間、私、赤ちゃん産むのかと思い、軽いショックのようなものを覚えた。
 
(昔の産婦人科の問診票にはこの項目が無かった。1990年代頃から一部の病院の問診票に「出産希望か中絶希望か」という選択肢が設定されるようになり、その後そういう病院が増えた)
 
「不妊治療を受けましたか」は「いいえ」。
「当病院での分娩を希望しますか」は「未定」を選んだ。
 
「月経について」は初潮は10歳と書いておいた、実際股間から最初の出血があったのは、小学4年生の3学期最後の授業の日であった。あれが生理な訳無いけどとは思う。だって当時は卵巣や子宮は無かったはずだし!?(*36) 定期的に出血があるようになったのは、実は2011年、両親・祖父母・姉の葬儀をした時に瞬嶽師匠に“何か”されて以来。
 
そして、2019年、ちー姉(1番)の暴走で勝手に性転換された時に卵巣ができている。だから本当の初潮は2019.7のはずだが、初潮は22歳の時なんて書いたら絶対変に思われる。
 

月経は順調に来ますかは「はい」で28日周期と記載する。(*39)
前回の生理は6月8日と書いた。
今までに妊娠したことはありますかは「いいえ」。
今までに性交したことはありますかは「はい」である!
 
性交せずに妊娠したら凄いぞ。あ、性交未経験のまま人工授精したらあり得るかもしれないけど(*38).
 
今までの病気手術歴は面倒なので「無し」にしておいた。性転換手術を受けたなんて書いたら「あんたふざけないで。帰って」と言われそうだし!
 
1年以内に子宮癌検診を受けましたか:いいえ
アレルギー:無し
アルコールを飲みますか?:月に1〜2度
たばこを吸いますか?:いいえ
 

(*36) 青葉は小学1年生の冬に、出羽の美鳳の手により卵巣・卵管・子宮・膣といった女性器一式を体内に埋め込まれている。この時青葉は「女の素」を注入された夢を見た。だから4年生最後の授業の時の出血は本当に初潮だった。ただ青葉は当時親の養育放棄により栄養不足だったため、震災後伏木に来て食生活が安定するまで、生理も不安定だった。
 
(*37) 産婦人科の医師が書いたエッセイで、ズボンのファスナーにちんちんの皮がはさまってしまったのを取ってほしいと男性のクライアントが来たことがあるという話が書かれていた。通常は泌尿器科か、近くに無ければ外科ではないかと思う。なぜ産婦人科に来たのかが謎である。
 
この事故は“カムチャッカ半島”と言うらしい!?ケーシー高峰さんの命名である。
 
それで、ズボンを切りますか?ちんちんを切りますか?ちんちんを根元から切ると2度と引っかかることは無いですよ?
 
(*38) 性交はしたくないけど赤ちゃんは欲しいという女性がこういう選択をするのは、そう珍しいことではない。桃香の子供早月、季里子の子供来紗と伊鈴はいづれも子供の父親とはセックスしないまま人工授精で妊娠して出産したものである。実は京平もそれに近い。貴司と阿倍子は1度も性交してない。ただしあれは本当に妊娠したのは千里である。
 

青葉と桃香が駐車場に駐めたマーチニスモの中で待っていると
 
「コロナは陰性でした。患者さんだけお入りください」
と電話で言われる。コロナの折、厳しいよなと思う。
 
「おしっこを取って来て下さい」
と言われて紙コップを渡されるのでトイレで取ってきて提出する。
 
「車でお待ちください」
と言われるので車に戻る。そして10分くらいしてから電話で呼び出されるので、今度は桃香と一緒に病院内に入り、診察室に入る。
 
「妊娠してます」
と医師は明快に言った。
 
「予定日はいつですか?」
「最終月経が6月8日ということですので、280日後の3月15日ですね」(*39)
 
ああ、だったら短水路選手権だけでなく4月の日本選手権も無理だろうな、と青葉は思った。ジャパンオープンは微妙か。2023年の社会人選手権か短水路選手権あたりで復帰かなあ、などと青葉は考えていた。
 

(*39) 月経周期の日数は予定日の計算に影響を与える。最終月経が6月8日で月経周期が28日なら、予定日は6月8日の280日後で3月15日である。これは実は正確には推定排卵日である6月22日(6月8日+14日)の266日後である。
 
しかし例えば月経周期30日の人は、月経から16日経って排卵が発生し、その14日後に月経が来ると考えるので、6月8日が最終月経なら排卵日はその16日後の6月24日と考えられ、その266日後の3月17日が予定日になる。
 
(最終月経の300日後ではない!)
 

「未婚で婚約中ということですが、そちらが婚約者さんですか?」
と医師は尋ねた。
 
ん?
 
「あ、いえ、こちらは私の姉です。私の婚約者は現在埼玉県に住んでいるので」
「ああ、そちらは“お兄さん”ですか」
 
青葉は噴き出しそうになったが、こらえた。桃香は男と思われるのは慣れっこなのでこの程度気にしない。
 
しかし桃姉は自分より年上に見えるんだなあと青葉は思った。ちー姉と長幼を間違えられるのは、やはりちー姉が凄く若く見えるからだろう。
 
「では遠距離恋愛ですか」
「そんなものです」
「出産までに結婚なさいます?」
「結婚してくれると思います」
「すると出産も埼玉の方になるのかな」
「そのあたりも含めて話し合ってみます」
「うん。それがいいですね」
 
青葉が特に悩んだり暗い顔をしたりしてないので、医師も特に問題は無いのだろうと判断したようである。笑顔であった。それで妊娠診断書を書いてもらった。
 

病院を出る。
 
「でも桃姉に付いてきてもらって良かった。私、ひとりでは不安だった」
「まあ妊娠は結局はひとりでの戦いだけど、青葉には応援してくれる人はたくさんいるから困ったことがあったら何でも相談しなさい」
「うん」
「私はお金のことは支援できないけど。その時は千里を頼るといい」
「そうするかも」
 
それで桃香と一緒に保健所に行き、妊娠診断書とマイナンバーカードを提示して母子手帳を発行してもらった。まだ入籍前なので苗字は鉛筆で書いてほしいと桃香が言うと、そういう対応をしてくれた。
 
青葉は母子手帳をもらったことで、ほんとに私、赤ちゃん産むのかと再認識して、責任感を感じた。
 

保健所を出てから青葉は言った。
 
「苗字だけ鉛筆書きということができるんだ!」
「最近は結婚前に妊娠しちゃうケース多いからな。自治体によっては結婚相手の苗字を最初から書いてくれるところもある」
「へー!」
「でも本当にその相手と結婚するかどうかは分からんよな」
「確かに!」
「妊娠した後で別れて他の男と結婚してから出産したケースを知ってる」
 
「それ法的な父親はどうなるの?」
「結婚した相手が特に何も言わない限りその男の子供ということになると思う。結婚したことで事実上認知したことになる」
「いいんだっけ」
 
「妊娠している女と結婚するというのは、その子供を自分が引き受けるということだよ」
「凄く優しい人だね」
「うん。優しい男だと思うよ」
 
あ、そうか。大林亮平さんもそのケースだと青葉は思い至った。あの人、ほんとに優しい人だもんね。他の男の種で妊娠した女性を妻にした一方で本当に自分の種で妊娠したマリさんの子供もちゃんと認知して養育費を毎月送金しているから、あの人は本当に偉い。
 
と考えてから、青葉はマリさんの今の彼氏(百道大輔)のことを考えると憂鬱になった。彼は明らかに“クスリ”をやっている。でもマリさん、彼の赤ちゃん産むし、出産までには最低でも籍は入れるのだろうか。1人目も2人目も父親が結婚できない相手だったけど、今度は男性だし独身だし、法的に婚姻することが可能だ(*40)。ローズ+リリーも実質活動終了になるのかなあ、などと青葉は考えた。
 
やはりケイさんが最近機嫌悪いのはそのあたりかな(←何度も千里に出し抜かれたせいだと思う)。
 
でも青葉自身のことは棚に上げて、ケイさんこそ、歌手・作曲家・芸能事務所会長という3足のわらじはもう限界に達してたと思う。
 

(*40) マリの第一子あやめの父はケイ。相手が女性だから結婚できない。第二子大輝の父は大林亮平。他の女性(原野妃登美)と結婚しているからマリは結婚できない。百道大輔は青島リンナと結婚して子供(夏絵)も作ったが既に離婚しているので法的な婚姻が可能。
 
なお、夏絵は大輔がCOVID-19に罹ったのを機に、マリの実家に退避し、その後、あやめと仲良くなったこともあり、そのまま居座っている。大輔の母も「うちは大輔も兄も煙草吸うし2人の生活時間が不規則で環境が良くないからしばらくお願いします」と言っている。大輔の母としては“新しいお母さんに慣れさせる”意味合いもあった。現在恵比寿のマンションではケイが1人で暮らしている。
 

青葉と桃香が帰宅すると買い物に出掛けていた朋子が戻っていた。
「どこか出掛けてきたの?」
「産婦人科」
と桃香が答える。
 
「何かあったの?」
「青葉が妊娠した」
「嘘!?あんた妊娠できるんだっけ?」
「できるけど」
「なんでそうなってんの〜?」
「説明すると長くなる。これ母子手帳、こちら妊娠診断書」
「嘘みたい。彪志君と結婚して産むんだよね?」
「そのつもりだけど、彪志は仕事中だし、夜電話するよ」
「お刺し身買ってこよう」
と言って、母はまた出掛けて行った。
 

「あ、彪志?私妊娠したぁ」
と青葉は夜になってから彪志に電話して明ーるく言った。
 
「え〜〜〜!?」
「この後のこと話し合いたいから今週末くらいにこちらに来れない?」
「行く!」
 
それで彪志は7月16-17日に伏木に来てくれることになった。青葉は熊谷から往復の飛行機を手配した。
 

青葉は〒〒テレビの石崎部長に連絡して、妊娠したこと、〒〒スイミングクラブは出産後1〜2ヶ月後まで休部にさせてほしいと申し入れた。
 
「ああ、妊娠ですか」
「すみません。避妊失敗したみたいで」
「結婚するんでしょ?」
「彼とは今週末に話し合う予定ですが、結婚することになると思います」
「じゃ何も問題無いですよ。結婚した女性の妊娠は普通です。ただできるだけ早く婚姻届けだけでも出しましょう」
「話し合います!」
 
「水泳のほうは出産まで休部ということでいいですね」
「済みません。これ水連の方にも届けとか出さないといけないですかね」
「それは少し待って。僕がタイミングを見計らうから」
「はい、分かりました」
 

青葉はアナウンサー室の砂原室長にも電話をして妊娠したので、出産予定日の2〜3ヶ月前になったら産休が欲しいと申し入れた。
「いつ結婚したんだったっけ?」
「まだです。順序が後先になって済みません」
「ああ。まあよくあることだよね」
と室長は笑っていた。
 
青葉はまた妊娠したことの公表については、あちこちと調整が必要なので待って欲しいと言い、了承を得た。
 
「そのあたりは漆野部長と直接話してもらったほうが多分いい」
「はい。部長に連絡します」
 
それで青葉は漆野部長に連絡して、妊娠したので出産前後は『ミュージシャン・ファイル』を休ませてもらえないかと申し入れたのだが・・・
 
「ああ、赤ちゃんできたの?おめでとう。でもミュージシャンファイルは録画だから、出産間近になる前に撮り貯めしておけばいいよ」
と言われた。
 
あはははは。それって益々忙しくなるのでは?
 
妊娠の公表については調整が必要なのでまだ待ってほしいと言うと
「それは石崎さんと僕で直接話そう」
と言ってくれた。
 
正直、そのほうがこちらは助かる。
 

青葉は幸花に電話して、妊娠したので出産まで『霊界探訪』を休ませてほしいと申し入れた。
 
「あ?妊娠した?」
「はい」
「よし、金沢ドイルの妊娠日記を取材に行こう」
「え〜〜〜!?」
 
それで早速幸花・真珠・明恵が飛んできて、妊娠2ヶ月目のお腹の映像(普通の女性のお腹である)、そしてもらった母子手帳を撮影した。
 
「でも番組自体は出産までお休みということで」
「ドイルさんには安楽椅子探偵になってもらえばいいな」
「は?」
 
「霊的事件が起きたら、金沢セイル(明恵のこと)と金沢パール(真珠のこと)が現場に急行して詳細なレポをする。ドイルさんはその報告を元に安楽椅子に座ったまま事件を解決する」
 
「あはは」
 
「今はスマホがあるから、昔の“隅の老人”(*41) とかミス・マープルとかよりダイレクトな情報が取れるよ」
と幸花は言っていた。
 
(*41) “隅の老人”(The Old Man in the Corner) はオルツィ女男爵 (Baroness Orczy/ Emmuska Magdalena Rosalia Maria Josefa Barbara Orczy Barstow, 1865-1947) の小説に登場する探偵で、安楽椅子探偵の先駆けと言われる。
 
名前などは言及されない。“ABCショップ”の隅の席に座り、女性新聞記者ポリー・バートン(Polly Burton) を相手に事件の推理を語る。但し彼はその推理を裏付ける証拠を集めに行ったりして結構行動的であり、後年の“安楽椅子探偵”のステレオタイプからは外れる。
 
高木彬光はこれをもじって墨野隴人という探偵を登場させ『黄金の鍵』、『一二三死』、『大東京四谷怪談』など一連の墨野隴人シリーズを書いた。
 
辻真先の「味子シリーズ」に出てくる永坂進吾などが典型的な安楽椅子探偵である。彼は身体が不自由で出歩けないので恋人の味子を通して事件を解決する。
 
 
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【春零】(5)