【春一】(1)

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薫はバスで病院に行ったのだが、診察を終えて病院を出ると雨が降っていた。
 
「折り畳みでも持ってくるべきだったな」
と思ったが、大したことない気がしたのでバス停まで走った。バス停には屋根があるので、雨をしのげる。
 
やがてバスが来るので整理券を取って乗り込む。座席に座りボーっと外の景色を眺めている。なんかここ1ヶ月ほどで起きたことが夢みたいだ。この後どうなるのだろうという不安はあるが、きっと何とかなると思った。
 
でも景色を眺めている内に眠ってしまったようだ。
 
「次は**町です。お降りの方はありませんか?」
という運転手さんの声で目が覚める。
 
嘘!?ひとつ乗り過ごしちゃった!?
 
薫は慌てて降車ボタンを押した。
 
バスが停まる。急いで降りる。バスは発車して行く。
 
雨がかなり降っている。
 
やだー!この雨の中、バス停ひとつ分歩かないといけないの?
 
(田舎はバス停とバス停の間が長い)
 
しかし他に手は無いので、薫はできるだけ早歩きで自分の家まで歩いた。
 

珠望はピンポンが鳴るので
「はーい」
と返事をしてドアを開けた。すると母がずぶ濡れになっている。
 
「お母さん!どうしたのよ?」
「傘持ってなくて」
「電話してくれたらよかったのに」
 
あっそうか。病院で娘を呼べば良かったんだ。なんでそのことを思いつかなかったのだろう。
 
薫はそのまま玄関で倒れてしまった。
 
そして薫は高熱を出して寝込んでしまった。熱が翌日になっても下がらないので病院に運ばれ入院する。
 
PCR検査を受けるが陰性である。
「単純な風邪でしょう」
とお医者さんは言ったものの、熱が下がらない。
 
薫はうなされながら、ビスクドールの夢を見ていた。
 

これは・・・パルマちゃん?
「寒いよぉ、冷たいよぉ」
と言っている。
 
この子はドイツに留学していた時代に最初に買った子だ。名も無いメーカーの製品できっと商品的な価値はとても低いのだろうが、当時は自分が買える限界だった。
 
別の人形も姿を現す。
「辛いよぉ、寒いよぉ」
と泣いている。この子はイエロ?
 
「お母さん助けてぇ」
と言っているのは・・・カナリアちゃんだ!
 
「お前たちよしよし」
と言って、薫は人形たちを抱きしめた。
 
3人とも凄い熱だ。冷やしてあげなきゃと思うが自分自身凄い熱が出ていて、どうすればいいか分からなかった。
 
「お前たち絶対助けるからね」
と薫は自身熱にうなされながら人形たちに言った。
 

そこで目が覚めた。
 
薫は自分の額に手を当ててみた。特に熱が出てる感じはしない。あたりを見回すが自分の部屋にいるようだ。隣の布団に夫の高が寝ている、
 
夢か!
 

“娘”と一緒に金沢市の大学病院に来ていた母は医師から
 
「ご安心ください。お嬢さんの性別には全く疑いの余地はありませんよ。卵巣・卵管・子宮・膣が問題無く機能しています」
 
と笑顔で告げられ、思わず溜息をついた。
 

7月22日(金).
 
H南高校の女子バスケット部は部としての練習をした。夏休み中は基本的に火曜と金曜に練習をすることになっている。
 
練習が終わった後、高田晃は、吉川日和に訊いてみた。
「ね、ひよちゃんの生徒手帳を見せてよ」
 
先日の地域リーグの時、日和は生徒手帳を見せて入場する際に性別のことで何も言われなかった。青木君と湖中君は「男子ですか?」と言われて「マネージャーです」「アシスタントコーチです」と申告して入ったのに。
 
「それ恥ずかしいー」
と日和は言いながらも自分の生徒手帳を見せてくれた。
 
女子制服姿の写真が貼られていて、性別も女と印刷されている。
 
「ひよちゃん、もう性別変更したんだっけ?」
と訊く。この子が大病院で性別検査を受けたら、きっと間違いなく女性と判定されそうな気がする。
 
「それなんですけど実は入学説明会で生徒手帳の写真撮りまーすと言われた時、ぼくの制服まだ出来てなかったから、それ言ったら『じゃこれ着て』って女子制服渡されて、いいのかなあと思ったんですけど、それで撮影されちゃって。でもその後、何も言われないし」
 
「うーん」
 
「やはりこれマズいですかね?」
「いや、ひよちゃんの場合、これで問題無い気がする」
 

日和と同じクラスの五月が寄ってくる。
 
「ひよちゃんは女子の生徒手帳で問題無いと思う。体育の授業でも女子のグループに入ってるし」
 
「男子と一緒に体育させるのは危険かもね」
「だと思うよー。男子と一緒にラグビーとかさせたら怪我するもん」
「むしろひよちゃんに怪我させまいと他の男子が無理して怪我しかねない」
「そそ。それ男女の体育委員で話し合ってたみたい」
「なるほどー」
 
「柔軟体操も私と組んでやってるんだよ。身体の感触が女の子の感触だから男子は女の子に触るみたいで嫌がるから」
「ああ、それはぼくも思った」
と晃が言う。
 
「春のマラソン大会でも女子のコースで5km走らせた」
「ひよちゃんの体力で男子コース10kmは無理だと思う」
と晃も言う。
「たぶん行き倒れになる」
と五月。
「ぼく女子の最下位でしたー」
と本人。
 
「身体測定とかどうしてるの?」
「保健室の先生との話合いで個別検査にしてもらってる。女子の間では、女子と一緒でもよいのではという意見も結構ある」
「ああ、それでいいかもね」
と晃は言ったが、本人は
「女子と一緒に身体測定とか恥ずかしいですー」
などと言っている。
 

「でも入学者説明会に制服が間に合わなかったって注文したの遅かったの?」
と晃は訊いた。
「それが頼んでた制服受け取ったら女子制服だったんですー」
と本人。
「ひよちゃんが制服を注文したらふつうに女子制服が作られる気がする」
と美奈子。
「それで改めて男子制服頼んだから」
 
「その女子制服は?」
「それはそれでちゃんと買いましたよ。だってぼくのサイズで作られてネームも入っているのにキャンセルとかできないもん」
「ひよちゃんのサイズの制服を着られる子は多分他に存在しない」
 
「男子制服は入学式の前日に出来たんですよ。もし間に合わなかったら女子制服で入学式に出ないといけなかった」
「それで問題無い気がする」
と全員の意見!
 
「そんな女子制服で入学式に出るとか恥ずかしいですー」
 
みんな顔を見合わせる。
 
「9月からは学校に女子制服で登校しておいでよ」
「男子が女子制服で登校したら叱られますよぉ」
 
「いや絶対叱られることはない」
と全員の意見。
 
「だいたいひよちゃんは本当は女の子なのではないかという疑惑がある」
と美奈子。
 

「ひよちゃん生理あるみたいだし」
と五月。
「え?そうなの?」
と晃は驚いた。
 
「今月初めにお股から4日くらい出血しただけですー。お母ちゃんにナプキン買ってもらいましたー」
「その時、男子トイレにナプキン捨てる所無いけどどうしよう?とか言うから、ひよちゃんなら女子トイレに入っていいよと言って連れ込んで捨てさせた」
と五月。
「女子トイレ恥ずかしかったですー」
「いやそれはさすがに嘘だ」
と晃も言った。
 
「今月初めに生理があったのなら、月末くらいに2度目が来るな」
「え〜?そうなんですかぁ?」
「ひよちゃん、生理が来た日をきちんと手帳にマーク付けといたほうがいいよ」
と弘絵が言う。
 
「出血があったのは金曜日で、月曜まで出血してた」
「月初めの金曜なら7月1日だな」
と美奈子が自分の手帳を見ながら言う。
 
「だったら次の生理は29日かもね」
と五月。
 

この日は誰も日和に、彼女のお股の形状については尋ねなかった。
 
普段の着替えの時に日和が女子用ショーツを穿いていて、しかも男子ならあるはずの膨らみが見られないことから、日和にペニスや睾丸が無いことは、女子たちの間では“既知のこと”とみなされている!
 
それに日和は声変わりしておらず、女の子のような声で音楽の時間ではソプラノで歌っている。それもかなり高い声まで出ており、コーラス部にも誘われた。でも
 
「ぼく男子だから女子のコーラス部には入れません」
などと言って断っていた。
 
「ひよりちゃんなら女子制服着てても誰も問題にしないと思うけど。女子制服持ってはいるんでしょ?」(誘導尋問)
 
「女子制服持ってはいるけど、そんなの着てみんなの前に出るとか恥ずかしいよぉ」
(美事に誘導に引っかかる)
 
しかし彼女の声の問題からも、睾丸が無いのは確実とみんな思っていた。
 

千里と青葉による“願い石”の処理が終わった7月23日、『霊界探訪』の編集部にはいつものメンバーが集まっていた。
 
「青山さん、来週から産休だって」
「おおそれはレポートに行こう」
「予定日が9月26日だから、2ヶ月前の7月26日・火曜日から産休になるのが本則だけど、月曜だけ出て来て火曜日から産休ってめんどくさいから月曜は有休取って、結果的に今日から休み」
「なるほどー」(*7)
 
“彼女”はともかくも9月に出産予定であり、番組では月に1度くらい取材に行っていて、赤ちゃんが順調に育っている様子をレポートしている。
 

「ところで、一言主神(ひとことぬしのかみ)ってどんな神様なんだっけ?」
と初海が訊く。
 
真珠は千里さんからの受け売りで説明する。
 
「雄略天皇(*1)の時代というから5世紀半ばの話なんだけど、天皇(正確には当時は大王(おおきみ)と言った)がお供を多数連れて葛城山に狩りに行ったら、山中で自分たちそっくりの一行に遭遇したんだって。それで天皇が、お前たちは誰だ?と訊いたら向こうは『吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり』と言ったんだって。それで天皇は恐れ入り、自分たちの着ていた服を全部差し上げて、拝礼したという」
 
「服をあげたら裸で帰ったの?」
「どうしたんだろうね?」
「ふんどしくらいは着けてたかも」
 
「でも自分たちとそっくりの姿で現れるんだ?」
 
「そういう示現の仕方をするんだろうね。そもそも神霊が人間の前に姿を現す時はこちらの服装の一部を借りることが多い。でも丸ごと借りるというのは大胆だね」
と真珠は言う。これは明恵も頷いている。
 
「でも山の中で自分そっくりの者の姿を見るというのは、何かの自然現象かもと言う気もする」(*2)
と初海。
 
「そういう自然現象に乗じて何らかのメッセージをくれたのかもね」
「ああ」
 

(*1) 雄略天皇は、中国の歴史書に出てくる“倭の五王”の中の“武”に比定されている。倭王武は、AD478年に中国南部の大国・宋と、AD479年には斉と交渉しているので、雄略天皇の時代も5世紀後半と考えられる。
 
浦島太郎が乙姫に出会って結婚したのも、雄略天皇の御代である。
 

(*2) 筆者の祖父は若い頃大分県の奥耶馬溪に住んでいたのだが、その頃は奥耶馬溪と日田の間には交通機関が無く、大分市などに出て帰る時は、日田駅から20km近い道を歩いて往復していたという。ある日、日田から帰ってきてもう夜遅くなり、暗い中をひたすら歩いていたら、向こうから自分そっくりの人物が歩いてきたらしい。
 
よく観察すると、向こうの人物は和服の合わせが左前だった。祖父は、これはきっとキツネかタヌキの類いが自分を化かそうとしているに違い無いと思い、気をしっかり持って(←ここ大事と思う)、その人物とすれ違った。これは多分雄略天皇が遭遇したのと同類の現象と思う。一言主の話はそのエピソードに後から付加されたものではないかという気がする。
 
神様関連の話というのは概して後から付加される。
 
私が葛城古道を歩いていた時、綏靖天皇宮跡を過ぎた所で“誰か”から言われたことば。
 
「神と出会えるのは記憶の中でだけ」
 

「時代が下がってくると、一言主の神というのは、その名前から、ひとつだけ願いを叶えてくれる神様という信仰が生まれて、御所市(ごせし)の一言主神社には、願い事を頼みに来る参拝客が多くなる」
と真珠は解説する。
 
「でもひとつだけってのは悩むね」
「その人にとって本当に切実な願いだと思うよ」
「今夜トンカツ食べたいなんてのは駄目だよね?」
と初海。
「叶えてくれるかもしれないけど、ひとつしか願えないのに、そんな願いで良いのかという問題はあるな」
と幸花は言った。
 

「その“ひとつだけ願い事を叶えてくれる”というのは後から出て来た話なんだろうけど、元々はどういう神様なのかなあ」
と初海が言う。
 
「味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ (*3))の別魂(べつみたま)ではないかという説もある」
と真珠。
 
「あじ?」
と初海はこの神様を知らないようである。
 
「だいこく様こと大国主神(おおくにぬしのかみ)の息子で、えびす様こと事代主神(ことしろぬしのかみ)のお兄さんに当たり、別名・加茂の大神」
 
「そう聞くと何か偉い神様っぽい」
 
真珠は(メモを見ながら!)ホワイトボードに書いた。
 
大国主神(だいこく様)の子供たち
 
母=奥都嶋の田心姫(*4)
味鋤高彦根神(高鴨神社)別名:加茂大神
下照姫(長柄神社)別名:あかる姫(*5)
 
母=邊都宮の高降姫(*4)
八重事代主神(下鴨神社)えびす様(*6)
高照姫(中鴨神社)
 
「こうなってて、この四柱の神がセットなんだよ。葛城でこの4つの神社がダイヤモンド状に並んでいる」
 
「賀茂神社というと京都のを思うよね」
「そそ。でも賀茂神社のルーツは葛城(御所市)にあるんだよ」
「へー」
 

(*3) 味鋤高彦根神の“鋤”の字は本当は右の“力”が無い文字“鉏”だがJISに無い文字なので同音同意の鋤で代用している。
 
この神は高天原を裏切ったために処刑された天若日子(あめのわかひこ:“あまのじゃく”)と容貌がよく似ていたという。むろん味鋤高彦根神は大国主神の息子で地の神の代表格のひとりであり天の神である天若日子とは全く別の神である。似ていたのは他人の空似。
 
味鋤高彦根神は土佐神社にも祭られているが、その土佐神社の神が一言主神との説があり、それで両神は実は同じ神の別魂では?とも言われる。現在土佐神社では2つの神名を並記している。
 
一言主神が現れた葛城は元々味鋤高彦根神を中心とする加茂四神の本拠地である。
 
(*4) 田心姫と高降姫は宗像三女神(むなかたの3めがみ:宗像大社や厳島神社の神)の内の2人である。三女神の内のあと1人は実は大国主神の先祖である!神様の寿命は物凄く長いから、こういうことも起きる。
 
(*5) 下照姫(別名あかる姫)はその名前から“下が明るい”という連想で、後にお産の神様としての信仰が生まれた。本拠地である御所市の長柄(ながら)神社のほか、鳥取県の“ハワイ”にある倭文(しとり)神社などにも祭られている。実は上述天若日子の妻でもあった。
 
要するに天若日子は美女を与えられて大国主神側に寝返ってしまったので高天原に殺された(“返し矢”)。
 

(*6) 伝承に大いに混乱がある、えびす様こと事代主神(ことしろぬしのかみ)だが、筆者の研究ではここ葛城が誕生の地と考えられる。その後、奈良北方の岡田(岡田鴨神社:現在は京都府)に移動し、ここから木津川・淀川を通って三島の溝咋姫(みぞくいひめ)の元へ通われた(三島鴨神社・溝咋神社)。ふたりの間に生まれたのが、五十鈴姫で、神武天皇の皇后である。
 
つまり高天原系の神武天皇と国津神系の五十鈴姫が結婚したことで、おそらく当時日本の2大勢力であった天神・地祇が合体したのであり、そういう意味で神武天皇の意義は大きい。
 
記紀に記された血統を見ると、その後も事代主の子孫が初期の天皇家の重要な外戚として存在感を持っている。後に蘇我氏や藤原氏がしたのと似たようなことを葛城一族が行っている。結果的に事代主神(えびす様)は皇室の祖先神のひとつであり、それ故、御巫八神のひとつとして現在も宮中に祭られている。
 

(*7) 青山広紀は『霊界探訪』の元助手であるが、大学が夏休みの間に学費を少し稼いでおこうと思い軽作業のバイトに応募したら、なぜか行った所はオカマバーだった。美しく女装させられ、それで女装に目覚め、就職する時に女装で勤務したいと言ったら認められ、立派な女性社員になった。そして女性だけの部署に異動された。後、性転換手術も受けて完全な女性になり、同僚の女性と同性婚。そして1月に妊娠したのである。(正確には妊娠が発覚してから結婚式を挙げた)
 
↑以上は幸花の理解している内容であり、きっと事実とは少し?違う!
 

明恵と真珠の理解はこのようである(多分これも少し違う)。
 
青山君は元々女装に興味があり、そのために髪も伸ばしていた(*8) が、卒業して就職したら髪を切らないといけないし、最後の記念にと思い夏休みにオカマバーでバイトした。(*9).
 
するとプロのオカマさんたちの手で美しく女装させられた自分に陶酔し、そのまま卒業までオカマバーでのバイトを続けることにした。うまく乗せられて顔や足のむだ毛はレーザー脱毛し、女性ホルモンも飲むようになって、おっぱいも大きくしちゃった。
 
それで大学卒業を機会に“普通の男の娘”に戻るつもりだったが、彼が女性にしか見えないしバストもあるし、女性下着を着けているので、入社した会社ではほぼ女性社員として扱われ、女子トイレ・女子更衣室の使用も許可された。そして秋に発足した女性だけの部署に異動され、結局女装で勤務することになる。
 
それで2年ほど勤務していた昨年秋、青葉さんの新居にソーラーパネルを取り付けに行った時、偶然千里さんの1番さんと握手してしまい、本当の女の子になっちゃった!その時、青山さんの彼氏(FTM)も本物の男性になっちゃった。それで2人は男女逆転した状態でセックスして、青山さんは妊娠した。
 
でも1番さんが勝手に彼女たちを性転換したことに気付いた別の千里さんが2人を元に戻そうとした(*10)。それで彼氏の方は女に戻ったが、青山さんはその時点で妊娠中だったので、多分胎児保護のため性別変更が保留された(*11).
 

(*8) 髪を伸ばしていたのは事実。本人は散髪代節約のためと言っていたがシャンプー代が高くつくはずだから全然節約にならない。
 
(*9) さすがに軽作業に応募したらオカマバーだったというのは嘘だろうと明恵たちは思う。行って見ればオカマバーというのは分かるはずだ。それに彼は“軽作業”ができるほどの体格ではない。とても華奢だし、20kgの荷物を持てない。
 
(*10) ほんとにふたりの性別を元に戻そうとしたのは緩菜。千里4は千里2か3あたりが戻してあげようとしたのだろうと思っている。
 
(*11) 千里さんの話では、以前1番さんに勝手に性転換されて妊娠した人の場合、出産してから1年後に元の性別に戻ったらしい。多分赤ちゃんに授乳してあげるため。青山さんも恐らく同様の道を辿るものと思うと千里さんは言っていた。
 
「でも青山さん、性転換前にむだ毛のレーザー脱毛とか、喉仏の除去とかしておっぱいも大きくしてみたいなんですけど、男に戻ったらそれも元に戻ってしまいます?」
 
「大丈夫。適度に女性化させてあげるから」
「だったらいいですね」
 
適度じゃなくて完全に女性化されたりして。
 
「ところでまこちゃん、邦生ちゃんそろそろ完全な女の子にしてあげようか?」
「本人はいやだー。俺は男だぁと言ってます」
「往生際が悪いな。でも去勢手術は予約したんでしょ?」
「去勢は同意しました(と真珠は思っている)。多分本人もあまり男っぽくはなりたくないんですよ(多分半分くらいは当たっている)」
 
「男子はみんな25歳までに去勢すべきだよね」
「日本の人口が激減する気がします」
 
そんな話をしたのが5月くらいであった。
 

「ぼく9月からはスカートじゃなくてズボンで登校しようと思う」
と高田晃は姉に言った。
 
「なんで?せっかく女子生徒として学校が受け入れてくれたのに」
と舞花。
 
「だって、やはりぼくは男の子だもん。現状は一時的に女の子の身体になっているけど卒業する時に男性器は返してもらえるという話だし(←ほんとに戻してもらえたらいいね)、後で男の子に戻るなら、完全な女子高生生活をしてはいけないと思うんだよね。だから体育の時の着替えも女子更衣室ではなくて面談室とかで着替える。身体測定も美奈子ちゃんに頼んで個別測定にしてもらう」
 
「ふーん。それでも3年間女子高生したら、今更男の子には戻れないと思うけどね」
と舞花は言った(全く全く)。
 
「ところで10月のウィンターカップ予選にはもちろん出るよね?」
「パス。男子が女子の試合に出てはいけないよ」
「パスは許さん。絶対出てもらう」
 

7月23日(土)の午後、編集部のメンバーは氷見の“きつねうどん”に行って取材した。
 
事前の取材申し込みで支配人の三島美耶さん、店長の雨晴日室さんが来ていて、お話を聞くことができた、
 
お店に行って、まずはきつねうどんとお稲荷さんのセットを注文する。この時、真珠はマイ丼・マイ皿・マイ箸をストッカーから取りだした。この様子を初海がカメラでが撮影する、明恵もこの機会にマイ丼・マイ皿・マイ箸のセットを購入。テプラで“AKIE”というシールを作ってもらい貼り付けた。ほかの2人は紙の容器と割り箸である。
 
支配人さんが説明する。
「現在感染防止のため容器は全て紙の容器と割り箸を使っています。紙の容器も割り箸も間伐材を使用したもので元々エコなんです。使用後は容器はボイラーの燃料にしていますので、ゴミは全く出していません、でもリピーターの方にはマイ丼の使用をお勧めしています。丼自体は300円頂いていますが、毎回30円引きになります。マイ丼は砥部焼の磁器製でとても丈夫なんですよ。箸は輪島塗です」
 
(陶器はどうしても割れやすいが磁器は簡単には割れない)
 
「ストッカーから取り出す所は銀行の貸金庫のシステムと同じですね」
「はい。あれと同等のシステムを導入しています」
 

トッピングを注文する。
 
幸花は牛肉天、初海はエビ天、明恵はまぐろ天を頼む。
 
「みんな取材費で落ちると思って高いのばかり注文してる」
と真珠は言って、自分は“半熟?卵”を頼んだ。
 
「この“半熟?卵”というのは、完熟になってたり生だったらごめんなさい、ということなんですよね」
 
「そうなんですよ。その日の気温とか水温とかにもよるので、うまく半熟になるかどうかは保証できないんです」
 
「今までこれ5回頼んで4回が半熟でした」
「それは運がいいですね」
と店長は言っている。
 

店長さんと、もうひとりの従業員さんがうどんを茹でている間に、支配人さんからお話を聞く。
 
「ここの従業員は元々そこの火牛氷見体育館の管理人なんですよ。でも体育館の管理人は、そこに居ることが仕事の大半なので暇だったことと、管理人の中にきつねうどんが好きな人が多かったことから、うどん屋さん作っちゃおうかという話になって、私が麺の茹で方とか味付けとかを指導することになったんです。ですから、ここは自分たちが食べるために作ったお店で、社員食堂みたいなものですね」
 
「それとお客さんの大半がそこの体育館の利用者みたいですね」
「そうです。近くの中学の剣道部とか、近くの高校のバスケット部とかがこの体育館を利用していますが、部活が終わってからここできつねうどんとお稲荷さんを食べて帰るというのが定着していますね。そういう中高生限定で定期券も発行しているんですよ」
 
「今流行りのサブスクリプションですね?」
「そうです。そうです」
 

初海が真珠と幸花が支配人さんにインタビューしているのを撮影している間に明恵は従業員さんがうどんを茹でている所や、稲荷寿司ロボットが動いている様子を撮影している。
 
「あの稲荷寿司ロボットも面白い動きしますね。器用にお稲荷さんを作っていくし」
「はい。従業員はうどんを茹でるのと御飯を炊くのに神経を使うので、お稲荷さんを作るのはロボットにやらせています。人間が作るとどうしても油揚を破ってしまうことがあるし、ひとつひとつの御飯の量も不均一になります」
 
「でもその御飯は手炊きですね」
「はい。石川県産“ひゃくまん穀 ”を水に充分浸透させてからルクルーゼを使ってガスで炊いています」
 

やがてうどんができてくるので、各自セルフサービスで店外に並べられたテーブル席の所に持って行く。カメラはそのきつねうどんを映す。
 
「このうどんは、麺より油揚げの方が多いのが凄いですね」
「それ従業員たち自身がたくさん油揚げ食べたいから、そういう比率になっちゃったらしいです。私も見て呆れました」
と支配人さんは言っている。
 
真珠が頼んだ“半熟?卵”はきれいに半熟になっていた。それも映す。
「きれいに半熟になってますね」
「当たりですね」
と店長さん。
「これで6回中5回が半熟でした」
「それは凄く運がいいです」
 
それでみんな食べるが幸花が
「これ本当に美味しいですね」
と言っている。
 
「出汁は北海道羅臼産の昆布で取って、醤油は地元の**醤油店の醤油です。油揚げは地元の##豆腐店のもので、材料は北海道美唄(びばい)市の契約農家の有機栽培大豆です。F1ではないものを使用しています」
と支配人さんが説明する。
 

「何でも中高生向けと一般向けで違うものを使っているとか」
「実はこの美唄市産の大豆は栽培に手間が掛かって生産量が限られてるんです。部活の中高生は食欲が旺盛すぎてそれでは足りないので、中高生向けは、同じ北海道産ですが、旭川の食品メーカーの特級大豆を使用しています。これもF1ではないものです」
 
「それ私食べ比べてみましたけど、確かに微妙に味合いは違うんですが、どちらも美味しいですよ」
と真珠は言う。
 
「F1というのは、一代雑種という奴ですよね」
と幸花。
 
「そうです。今日本の農産物の大半がF1になっちゃってます。農家は毎年種(たね)のメーカーから種を買わなければなりません。でもここで使っている油揚げに使われている大豆は固定種なので、その大豆を畑に播いて育てることで、ほぼ同等の大豆を作ることができるんです」
 
「醤油のほうは地元産の大豆ですね」
「そうです。地元の醤油メーカーの醤油ですが、その醤油屋さんが自家栽培している大豆が使用されています。これもF1ではない固定種です」
 
「このトッピングの牛肉天も美味しいんですが、この牛はどこの牛ですか?」
「牛は北海道美幌町の契約牧場の牛肉を買っています。豚肉は網走の契約農家のものです。他にも北海道産のものが多いです。ふくらぎ(ぶりの小さいのの北陸での呼び方 (*12) )は地元氷見産のものを契約鮮魚店から買ってます」
 
(*12) 北陸では鰤(ぶり)は、こぞくら→ふくらぎ→がんと→ぶり、と出世する。呼称は地域によって微妙なバリエーションがあり“こざくら”だったり“がんど”だったりする場合もある。
 
ふくらぎは体長30cm程度のもので、スーパーで700円くらいで売っているので三枚に下ろしてもらって買ってきて、初日は半身をお刺し身で食べ、翌日は半身を焼いて食べ、最後は中骨をお吸い物にして食べると、家族4人で3食分くらいあってリーズナブル。1匹丸ごとで買うと2万円くらいする鰤に比べて庶民的だし脂身も少なくてヘルシーである。
 

やがて食べ終わるが、真珠と明恵は丼・皿・箸を自分で洗っている。
 
「これマイ丼とかは自分で洗うんですよね」
と幸花が言う。
 
「従業員さんが洗うなら、紙の丼のほうが手間が掛かりませんからね。感染防止の観点からも、従業員さんは使用済み食器に触らないほうがいいんですよ」
と真珠が言っている。
 
それで食器を洗った2人はキッチンペーパーで水分を拭き取り、ストッカーに納めた。その様子も初海が撮影した。
 
「ちなみにストッカー内の“使用された”食器は毎日夜間に高温水で自動洗浄されて高温の風で乾燥させますので、万一洗い方が甘かった場合も衛生上の問題はありませんから」
 
と支配人さんは補足した。
 

23日夕方、吉川日和は、オーディションを受けに東京に行っていた妹の萌花から電話を受けた。
 
「5位に入賞したよ」
「すごーい!おめでとう!」
 
「これで私は8月からは東京暮らし」
「わあ、頑張ってね」
 
「でも私が5位だったんだから、お兄ちゃんが出てれば2位か3位だったと思うなあ」
「無理だよ、ぼくは高校生だし、そもそも男だし」
「でも優勝した人も男の子だったよ」
「マジ?」
「きっと男の子でも凄く優秀な人は採ってくれるんだよ」(←話をちゃんと聞いてない)
「そうなのか」
「お兄ちゃんも津幡の教室にレッスンに行ってみない?昇格試験で本部生になる道もあるよ」
「うーん。。。」
「レッスンは日曜日だから部活とぶつからないし」
「そうだなあ」
「取り敢えず歌を鍛えるのにはいいよ」
「それは少し興味を感じる」
 

7月26日(火).
 
1月に“人形供養”のW神社から保護した12体のビスクドールは、千里の眷属・大裳の手でメンテナンスされていたのだが、その作業が終わったので、千里は真珠・明恵と一緒にそれをS市の渡辺さんの所に持っていった。
 
千里のMazda CX-5 に、真珠と明恵、それに必要になる気がしたので、九重も連れて行った。むろん九重(徳都縦久)が助手席で明恵と真珠が後部座席である。若い女の子が2人乗っているので九重は饒舌で、2人も結構彼の話に笑う。それで九重もご機嫌だった。
 
S市の中心部から少し離れた所にある、渡辺さんの自宅に行く。この家には渡辺薫(1955)・高(1955)の夫婦、ふたりの娘の珠望(1978)とその夫・川口昇太(1978)、その2人の子供の・遙佳(2004)・歩夢(2009)・広詩(2011) の合計7人が住んでいる。
 

 
薫がヴァイオリニスト、高がピアニスト、そして遙佳と歩夢もピアノを弾くし、歩夢はフルートも上手い、という音楽一家なので、普通の家なら仏間がある位置にミュージック・ルームがある。
 
「私もハズも信心なんて無いから。死んだ時は坊さんとか呼ばなくていいし戒名とかも要らないからと娘たちには言ってる」
と薫は言っている。
 
音響のために、ここの一階は天井が3mほどもある。それでこの家は階段の傾斜がかなり急である(違法っぽい)。ミュージックルームは反響壁1枚と空気層を置いた防音壁2枚の三重構造になっている。この家は2000年代になって建て替えたものである。先日の地震でもびくともしなかった。
 

「もし受け入れできないということでしたら、持ち帰って金沢ドイルの家に置きますから」
と断ってから、千里は12体の人形を見せた。
 
「あら可愛い」
と言って薫は12体の人形をひとりずつ抱きしめた。
 
「みんなきれいな顔をしてますね。6万円という約束でしたけど、それでは悪いので30万円お支払いしたいのですが」
「大丈夫ですか?地震でたくさんお金が掛かっているのに」
 
「議員さんが元の美術館の土地を買い取ってくださったので今少しだけ余裕があるんですよ。その件も含めて色々お世話になっていますし」
「分かりました。いただきます」
 
それで薫さんは30万円の入った封筒を千里に渡す。千里は受け取りを書いて渡すと、お金の入った封筒は中も見ずにバッグにしまった。
 
「確認しないんですか?」
と夫の高が言うが、真珠がコメントした。
「千里さんは数えましたよ。封筒の重みで瞬間的に金額を計算しました」
「え〜!?」
「そういうネタバレをしないで」
と千里は笑って言っている。
 
「そして実際に1枚ずつ数えると高確率で数え間違う人なんです」
「それもバラさないでよ」
 
「面白い方ですね!」
 

「それと少し金沢コイルさんにご相談したいことがあるのですが」
「なんでしょう?」
「ちょっと2人だけで話したいのですが」
と薫が言うので、真珠・明恵・九重が席を立ち、高と一緒に仏間に移動した。
 
2人きりになったところで薫はこういう話をした。
 
多分6月中は疲れから熟睡していて夢も見なかったのだろうが、7月に入った頃から頻繁に夢を見る。様々なシチュエーションから進行して最後は自身がずぶ濡れになり高い熱が出ていて、同様に熱を出して震えてる何体かの人形が自分に助けを求める。
 
それで思うのだが、ひょっとして人形美術館の建物の中に取り残されてしまった子が何体か居て、その子たちが雨に濡れて助けを求めているのではないかと。
 
「助けを求めている人形の個体名は分かりますか?」
「はい」
と言って、薫は全部で10体の人形の名前を書いた髪を見せた。
 

「この子たちは輪島に運んだ子たちの中には居ないんですね?」
「分かりません。それを確認するには、輪島に置いている箱を全部開けて名前をリストと照合する必要があるので」
「ああ」
 
それは多数の人手と、膨大な手間・時間が掛かるだろう。
 
「金沢のドール展に出品した人形の名前と管理番号は記録したのですが」
「その中には居ない?」
「この子たちはそのリストには入っていません」
 
「だったらやはり埋もれている可能性ありますよ」
「やはりそう思われます?」
「あの時何度も確認はしましたが見落としがあった可能性があります」
「ですよね。それでどうしたものかと思って」
「掘ってみましょう」
「でもあの土地はN県議さんにお売りしたし」
「なに。落とし物をしたかも知れないと言って許可を取ればいいんですよ」
「取れます?」
「ちょっと電話します」
 

それで千里はN県議の事務所に電話した。
 
受付の女性が出るが、千里が〒〒テレビの番組制作に協力している会社の者ですがと名乗ると秘書さんにつないでくれた。
 
「どうもお世話になります。私は珠洲市の人形美術館の件で番組制作に協力している朱雀林業の代表取締役で村山と申します。あ、はい、お世話になります。実は先日美術館が崩壊する直前に中の美術品の搬出をした時に中に幾つか貴重な物品を忘れてしまった可能性がありまして。もしご許可を頂けましたら、ちょっと掘り返して探したいのですが、あ、構いませんか?ありがとうございます。作業した後は“きれいに整備”しておきますので」
 
それで千里は電話を切った。
 
「掘る許可を得ましたよ」
「凄い!でもあれを掘るには物凄い費用が」
「大丈夫です。ほとんど費用を掛けない方法がありますから。ただあまり人に見られたくないので今夜作業します」
「今夜ですか!だったら私今から少し仮眠して夜に備えますね」
 
「いえ。夜間に年配の方に無理されて、それこそ夢で見たみたいにお風邪でも引かれてはいけません。代わりに遙佳さんと歩夢さんを貸していただけませんか?たぶん一番見付ける力があるのは遙佳さんだと思います。歩夢さんもその手伝いに」
 
「はい。多分あの子たちならやってくれると思います」
 
この時薫は、コイルさんは何も言わなかったけど、悲惨な状態になっている人形があった時それを自分に見せないように自宅で待っていてくれと言ったのではないかと想像した。
 
それは半分正解だが、あと半分は館長の想像範囲外のことであった。
 

それで深夜0時、千里、九重、真珠、明恵、遙佳、歩夢の6人が人形美術館の跡にやってきた。
 
「んじゃこの土砂をどければいいんですね?」
と九重が訊く。
「うん。じゅうちゃんならマッチ棒細工を扱うのも同然だよね?」
「あれ苦手なんですけど。すぐ壊れちまうから」
「あはは。丁寧にやってね。たぶん人形が埋もれてるから」
 
「私たちは人形を見付ければいいんですね」
と真珠が確認する。
 
「そそ。君たち4人で見付けてほしい」
「了解です」
と遙佳も言った。
 

それで、じゅうちゃんはそこに堆積している土砂・岩石・樹木などをどけ始めた。石川県地方は、昨日の朝までは雨だったのだが今日は晴れている。土がやわらかくなっていて掘りやすいが、逆に崩れやすくもあるので注意して掘る必要がある。
 
じゅうちゃんは掘った土砂・岩石・樹木を取り敢えず駐車場の所に“投げ飛ばして”いく。真珠や明恵は驚かないが、遙佳と歩夢は「すごーい」という感じで眺めている。
 
1時間ほど掘った所で美術館の屋根が見えてくる、じゅうちゃんは、屋根もポイと投げ飛ばした。ああ、千里さんはこういうのをお祖母ちゃんに見せたくなかったんだろうなと思った。祖母が何十年も自分の住まいのようにしてきた美術館である。九重の作業は続く。彼は美術館の壁とかもポイと投げる。
 
「あ、徳部さん待って」
と真珠が言って九重が投げようとした壁に駆け寄る。
 
「ひとり挟まってた」
 
それは2月に作ったバルコニーと壁の間に挟まれていたのである。
 
「これはカナリアちゃんだ」
「でも身体がバルコニーの支柱に挟まってる」
「この支柱を曲げればいいな」
と言って、九重が曲げてくれたので、無事カナリアを救出できた。
 
「ボディは傷んでるけど顔は無事みたい」
「顔さえ無事ならなんとかなるよね」
「はい。身体は最悪再度作ればいいので」
 
救出した子は歩夢が保護することにした。簡単に土とかを払ってからプチプチで包み、段ボール箱に入れる。
 
その後も壁に挟まったりしていた子を全部で4体保護した。
 

壁が全部取れてしまったが照明やら空調やら展示ケースが破損していて現場はかなり危険である。しかし真珠・明恵・遙佳の3人は軍手をし、安全長靴を履いて、建物の中に入り人形たちを探す。その間、九重は崖が崩れてこないように、崖を“ぎゅーっと押した”。結構大量の水が出てくる。
 
「この崖は元々崩れやすくなってるなあ。水の出てくるルートが無いもん」
と九重は言っている。
 
しかしこの段階の探索で3体のビスクドールを保護できた。この子たちは土に埋まっていたので汚れが酷いし、ボディがかなり傷んでいるが、とにかくも顔は無事っぽい。
 
歩夢が顔を拭いてやり、プチプチで包んでさっきの子たちとは別の段ボール箱に入れる。
 

いったん全員退去し、九重の手で建物内の土砂がどけられる。床が次第に露わになっていく。この土砂撤去作業中に、真珠と遙佳が土砂の中に居たドールを1体ずつ保護した。これで全部で9体である。館長の夢に出て来たのは全部で10体だから残り1体である。
 
土砂が取り除かれた館内を全員で探索する。
 
「居た!」
と言って歩夢が、館長室跡の付近で1体見付けた。どうも崩れた壁と床の間に挟まっていたようだ。
 
「これで全部かな」
「まだ居るかもしれない。もう少し探そう」
 
建物の“外”になる場所で明恵が一体見付けた。
 
「やはり10体だけじゅないんだな」
 

「あゆ、これまで救出した子を見せて」
と言って遙佳が人形たちを見ている。見ながら名前を書いているようだ。人形を見ただけで名前が分かるのは遙佳と館長だけである。一応名札を付けているのだが、土砂で汚れてよく分からない。
 
「パルマが居ない」
と遙佳は言った。
 
「やはりまだ埋もれている子がいるのか」
 
それで再度みんなで探す。
 
「ひとり居たけど・・・」
と明恵が悲しい顔で言う。
 
その子は顔が砕けていた。
 
「あぁあ」
「これ絶対館長には見せられない」
「遙佳ちゃん、個体名分かる?」
 
遙佳もさすがに砕けた顔からは人形を識別できない。名札を何とか判読する。
 

「この子はメタスラのようです」
 
「パルマではない子か」
「千里さん、この子“生きて”ます?」
「凄く弱々しいけどまだ生きてる」
「だったら再生できます?」
「再生できる人は居る」
 
まあ“人”ではないけどね。
 
「だったら千里さんのポケットマネーで再生を依頼できません?」
「いいよ。頼んであげる」
と千里は笑って言った。まあ5000万円くらい寄付したらやってくれるかな。
 
「ところでこの子、男の子だよね?」
と千里は遙佳に確認する。
 
「はい。そうです。元は凄く優しい顔だったんです」
「顔は完全に再生するけど、ボディは女の子のボディ使ってもいい?」
「はい。きっとこの子、女の子になれたら喜びますよ」
「ではそれで」
 
女の子のボディならストックがあるが、男の子のボディは作るのが大変である。その分少し手抜きさせてもらおうと千里は思った。
 

探索を再開する。
 
どうしても見付からないので、九重に床も撤去してもらった。
 
「居た!」
「なんで床の下に?」
「怪我はしてないみたい」
「この子がパルマです」
「やっと全員見付かったかな?」
「念のためもう少し探そう」
 
それで探していたら更に2体見付かったのである。1体は顔は無事。もう1体は耳が取れていたが、九重が
「ちょっと貸せ」
と言って、取れた耳を顔の耳がある場所に“ぎゅーっと”押しつけたら、くっついちゃった!
 
「徳部さんすごーい。これ、この子の代わりのお礼」
と言って遙佳が徳部の頬にキスする。
 
九重は舞い上がって喜んでいた!
 
そして舞い上がった拍子に近くの電柱にぶつかったら、電柱の上から何か落ちてくる。千里が抜群の反射神経で飛び付いてキャッチした。
 
「こんな所にも居た!」
「なんで電柱の上に?」
「分からないけど無事みたい」
 
これで見付かったビスクドールは顔が砕けていた子まで含めて16体である。
 
九重が更に土砂を全部取り除くと更に2体見付かる。2人とも顔は無事である。
 
「夜が明けてきた。そろそろ撤退しないと」
「あと少し探そう」
 

それで探していたら、更に2体見付かる。
 
「駐車場に積み上げた土砂はどうする?」
「ああ。運ばせますよ」
といって九重が人(?)を呼ぶと、すぐに広沢ほか数名が運転する大型ダンプが来てあっという間に土砂をダンプに積み、走り去った。
 
「すごーい!」
 
夜明けが来る。九重は崖が崩れないように、広沢が持って来てくれた水抜きパイプを50本くらい崖に“差しこんだ”。
 
その間も探索班は人形を探し更に2体見付けた。1人は鼻が取れ、1人は首が折れていたが、どちらも九重がくっつけちゃった!
 
「首が折れてた子生きてる?」
「大丈夫。かなり苦しんでたみたいだけど今は『ありがとうございます』と言ってる」
「よかった」
 
完全に周囲が明るくなったところで引き上げた。結局保護した人形は全部で22体である。
 
「あの晩かなりチェックしたのになあ」
「現場は混乱してたからね」
 
人形は全部千里が預かり、メンテした上で持ってくるということだった。
 
今夜の探索に参加したメンツは全員昼過ぎまで川口家で寝ていた。ただし九重は“危険”なので車内で寝せた。
 
お昼には高さんがみんなにお礼と言って上等の能登牛のステーキを作ってくれた。九重が
 
「美味しーい!これ凄くいい牛ですね」
と言って10枚くらい食べていた。
明恵と真珠も2枚、遙佳も3枚食べた。
 
でも九重には、千里がご褒美で神戸牛を丸ごと1頭と日本酒1樽をあげた。彼はその牛1頭を1日で食べちゃったらしい。でも彼は今回ほんとによくやってくれた。
 
薫館長はその後、人形が震えてる夢を見なくなったので、どうもこれで全部回収できたようである。
 
千里は小杉に撮影させておいた作業の様子を撮したビデオを真珠に渡した。
「“放送に適さない場面”は撮影してない」
「多分本当に放送できない所ですね。ビデオありがとうございます」
 
 
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【春一】(1)