【春春】(1)

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3月31日(木・さだん).
 
夏樹は、その日、もう帰ろうとしていた時に、社長から呼ばれて社長室に行った。すると直接の上司である課長も居るので緊張する。まさか首とか?性別変更していることに、イチャモンでも付けられるとか?などと変なことを考える。
 
(夏樹は2020年3月に裁判所が夏樹の性別訂正を認めた通知書を提示して、正式に女子社員になっているが、それ以前(千葉水害後の2018.11)から、女子更衣室で女子制服に着替えて実質的に女子社員として勤務していた:水害で男物の服が無くなったので開き直って女物の服で通勤し始めたら受け入れられちゃった!)
 
「古庄君、急で申し訳無いのだけど、転勤してくれない?」
「はい。どこに?」
 
どこか辺境の地にでも飛ばされて自主的に辞めるよう仕向けるとか??南鳥島支店とか?(*1)
 
(*1) 南鳥島は自衛隊と気象庁の職員以外は立入禁止である!
 
昔サトウサンペイの『夕日くん』という漫画で、上司と喧嘩したら、男女群島の女島支店に左遷される、などというネタがあったが、女島に支店を持つ企業って凄いと思った。
 

「行き先は金沢支店なんだけどね」
「行きます!」
と夏樹は即答した。でも金沢に支店があったんだっけ?まさか横浜の金沢とかと思って確認する。
 
「それ石川県の金沢ですか?」
「もちろんそうだよ。秋田県の金沢町ではない」
 
秋田にも金沢があったのか・・・
 
「良かった。嬉しいです。私のパートナーと娘が今高岡市に住んでいるので近くだし」
 
高岡からは金沢市に通勤可能なはずと頭の中で考える。
 
「うん。それを聞いてたから、君が最適ではないかということになった」
と課長が言う。
 
「何かあったんですか」
「実は金沢支店長が先週急死して」
「え〜〜!?」
「どうも過労死みたいなんだよ。労災は出すつもり」
「はあ」
 
「それで悪いけど、君、その後任の金沢支店長に赴任してくれない?」
「支店長ですか!」
 
しかし過労死した人の後任というのは、なかなか恐い。私死なないよね?
 
「もちろん給料は今より上がる。だいたい課長待遇。引越の費用、こちらで余分に払わなければならない家賃とかも出すから」
 
一般に賃貸住宅では、退去の前月までに告知が必要で、その月に退去したいと言うと翌月分の家賃まで払う必要がある。しかしその分まで出してもらえるなら全く問題無い(契約内容によっては半年分くらいの支払いが必要なケースもある)。
 
「分かりました」
と夏樹は答えた。
 
「突然で申し訳無いけど、何日くらいで移動できる?」
「ひとり暮らしで大した荷物もないから、2〜3日でまとまると思います」
「だったら、4月7日くらいからの向こうでの勤務とかでもいい?」
「そのくらいなら、何とかなると思います」
「ほんとに急で申し訳無いけどよろしく」
「いえ」
 
でも金沢支店の勤務になったら、あまり海外出張とかしなくてもいいんじゃないかなあ、などと夏樹は考えた。
 

「なんか同じ言葉を繰り返す系ってあるよね」
とその日、美由紀が勤めているデザイン事務所、北陸造形の社長は言った。
 
「ああ、花*花とか、ケラケラとか、まふまふとか」
「プリンセス・プリンセスとか、デュラン・デュランとかバンバンとか」
「ドムドムとか、珉珉とか、きときと寿し(*2)とか」
「アイアイ(猿)、タムタム(楽器)、ウィリーウィリー(台風)」
 
「リンリン・ランラン」
「その系統ならシャオシャオとかレイレイとか」
「パンダの名前は大抵その系統だね!」
 
「ミュウミュウ(ファッションブランド)とか、アンアン(雑誌)とか、kyon2(小泉今日子)とか、ルリルリ(永田ルリ子)とか、ジュンジュン(久保純子)とか」
「BB(ベベ(*4))、カンカン(*6)、キンキン(愛川欽也)」
「キタキタおやじ」
「それは勘弁して」
「でも魔法陣グルグルもだ」
「ちんちん、たまたま」
「こらこら」
 
「ほくほくフィナンシャルグループ(*3)」
「おお!そんなお堅い所にもあったか!」
 
「微妙に違う言葉を重ねる場合もあるよね」
と美由紀は言う。
 
「フリップ・フラップとか、ORANGE RANGEとか」
「ダウン・タウンとか、ジャスティ・ナスティとか、アンドレ・カンドレ(*5)とか」
「コージー・コーナー」
「ガリレオ・ガリレイとか、ロマン・ロランとか」
「ハンプティ・ダンプティとか、フニクリ・フニクラとか」
 
「イヴァン・イヴァノヴィッチ・イヴァノフ」
「誰それ?」
「絶対そういう名前の人居るって。性転換したら、イヴァンナ・イヴァノヴナ・イヴァノヴァかな?(←筆者も自信無い)」
 
「甲斐海斗(かい・かいと)みたいな人だな」
「甲斐花糸と書けば女の子」
 

(*2) きときと寿しは富山県氷見市を中心とするお寿司チェーン。筆者としては、金沢を中心とする海天すしと並ぶお気に入りの寿司チェーン。元々“きときと”は新鮮であることを表す北陸方言。スーパーのお魚パックに“きときと”というシールが貼ってあったりする。
 
(*3) ほくほくフィナンシャルグループは、富山石川を基盤とする北陸銀行と、北海道を基盤とする北海道銀行の共同持ち株会社。こんな遠隔地の銀行同士が協力し合うのは異例と言われた。しかし北陸銀行はこの提携前から北海道に多数の店舗を持っていた。江戸時代の北前船による交易で、北陸と北海道は元々経済的な繋がりがあった。
 
(*4) BB(ベベ)はブリジット・バルドーの愛称。彼女の頭文字でもあるが、フランス語で“ベベ”は赤ちゃんを意味し、頭文字と赤ちゃんの掛け言葉になっている。
 
(*5) アンドレ・カンドレは、井上陽水の初期の頃のペンネーム。
 
(*6) カンカンは19世紀に流行した踊りで、フレンチ・カンカンとも呼ばれる。ダンサーが横一列に並び、足を高く振り上げる動きが有名(初期の頃は2人組で踊った)。元々は、募金活動の代わりに、ダンスを見せてお金や食べ物などをもらい、貧しい人たちに渡すというチャリティーが発祥とされる。現在では女性の踊りと思われているが最初の頃は男性の踊り手が曲芸的な振付で踊っていた。(ブレイクダンスのルーツだったりして!?)
 
『地獄のオルフェ』(日本ではなぜか『天国と地獄』という邦題が広まっている)の序曲第3部はそのまま“カンカン”というタイトルで、実際カンカンのリズムで作られている。運動会には必須の曲である!『文明堂のカステラ』のCM(長崎県外版)では、この曲に合わせて「カステラ1番・電話は2番・3時のおやつは文明堂」と歌いながら人形がカンカンを踊る様子が取り込まれている。
 

「まあそういう訳で」
と社長は言った。
 
「うちの会社の名前、春春(はるはる)クリエイティブに改名するから」
 
「え〜〜〜!?」
 
「だって“北陸造形”という会社名は5秒で忘れられる」
「確かにうちに掛かってくる電話って『北国造形さんですか』とか『北陸創建さんですか』とか『金沢形成さんですか』とか色々」
 
「春春クリエイティブなら、インパクトがある」
「確かにインパクトはあるかも」
「建物の表にボッティチェルリの『プリマヴェーラ』(イタリア語で“春”という意味)を描こう」

 
「インパクトあるかも」
 
翡翠が尋ねた。
「それ誰が描くんですか?」
「もちろんみんなで描こう」
「え〜〜!?」
「特別ボーナス付きなら」
「まあ薄謝はするよ」
「拍手だけじゃなかったら、やってもいいです」
 
「登場人物の顔は社員の顔を描いたりして」
「それ辞めた時はどうすんのさ?」
「在籍している他の人の顔に描き直す」
「人数足りなかったら?」
「複数回登場で」
「その内、全員社長の顔になったりして」
と、専務(社長の奥さん!)が言っている。
 
「それ僕1人になるということ?」
 
「どっちみち、真ん中のヴィーナスは社長だな」
「俺がヴィーナスなの!?」
「お化粧してモデルになって下さいね」
 
(結局、ヴィーナスには専務が起用された。でも社長はやはりお化粧させられて、クロリス(画面右手でゼビュロスにレイプされそうになっている女神)の顔に描かれた!)
 
美由紀は左端のメルクリウス(マーキュリー)の顔に描かれた。翡翠は花のドレスを着たフローラ(中央のヴィーナスと襲われているクロノスの間にいる人物)の顔に描かれた。ルリがキューピッドの顔になった。
 

奥村春貴は4月1日付けで、氷見市のH南高校に数学教師として赴任することになったが、事前に赴任校に呼ばれ、簡単な打合せなどをした。
 
「では1年生と2年生の数学と情報学の授業をお願いします」
「はい」
「それと1年3組の副担任をお願いできますか」
「分かりました。頑張ります」
 
初年度から副担任になるとは思っていなかったが、もう体当たりで頑張るしかない。
 
「3組は主担任が男性の広多先生ですが、職業訓練コースで女子が多いので、副担任には女性の先生を配したいんですよ」
「なるほどですね。分かりました」
 
そうだよね。私、女子だもん、と改めて春貴は思った(*7).
 
(*7) 春貴は女になって3年半ほどたつのに、まだ女性として扱われることに今一慣れていない。彼女がこうちゃんに“勝手に”性転換手術されてしまったのは、2018年10月13日である。彼女の身体に入っている卵巣が元々は誰の物なのかは、こうちゃんしか知らない。彼女が子供を産む時のことを考えれば、無関係の人の卵巣は使ってないはずである。
 

「そういえば、奥村先生は金沢のE高校のご出身だそうですね」
と教頭先生が笑顔で言う。
「はい。出身は高岡で伏木の◎◎中学に通っていたのですが、県立高校の入試当日に風邪を引いてしまって」
「ありゃぁ」
 
「それで落としてしまい、楽勝のつもりだったから、滑り止めも受けてなくて、結局、越県してE高校の二次募集で入ったんですよ」
「大変でしたね」
 
「でもそこからK大に入ったって凄いね」
と教務主任の先生が言っていた。
 
「努力の人だね」
と数学主任の先生が言う。
 
「E高校って、男子の野球部が有名だけど、女子でもサッカーとか陸上とか強いですよね。先生は運動はなさらないんですか」
「高校時代はひたすら勉強してて、部活はしてなかったんですよ。中学時代と大学時代は水泳部に入ってました」
「おお、水泳部ですか!」
「大会とか出ました?」
「インカレの400mで5位になったのが最高かなぁ。メダルには届きませんでした」
「全国の5位って凄いじゃないですか!」
 
もっとも400mで5位になったのは男子時代で、女子に移籍になってからは800mで8位になったのが最高である。やはり、女子になってから、物凄く筋力が落ちてスピードが出なくなった。男性ホルモンの影響って凄いと思う。
 

「うちの高校は水泳部は無いのですが、実は女子バスケット部の顧問の先生が転出してしまってですね。先生、見てあげてもらえません?」
 
水泳とバスケットじゃ全然違うしゃん!
 
「いいですよ。どの程度指導できるかは分かりませんけど、持久力を使うという点では水泳と共通する所もありますし、頑張ります」
「じゃお願いします」
 
バスケットは40分間ひたすら走り回るスポーツである。陸上や水泳の長距離とある程度共通する面もある気はした。
 

春貴は学校を出てから、奈々美に電話してみた。奈々美は現在女子バスケットのWリーグに所属しているが来シーズン(2022秋〜2023春)からはフランスのプロリーグLFB に参戦する予定である。
 
「寺島さん、いつフランスに行くの?」
「今ビザが降りるのを待っている所なのよね。たぶん大丈夫だろうと千里さんは言っているんだけど。たぶん5月頭くらいの渡航になるんじゃないかなあ」
「それなら準備とかで忙しそうだね、誰か後輩とかでバスケットについて短期間で私に教えてくれる人居ないかなあと思って」
 
「だったら、最適の子がいるよ。私の大学(東京のW大学)の時の後輩で、ハルちゃんって子が居るんだけどね」
「なんか自分の名前を呼ばれているみたいだ」
 
春貴も女子の友人たちからは“ハルちゃん”と呼ばれている。
 
「富山B高校の出身だよ」
「へー」
「今W大学で4月から4年生。女子バスケ部のキャプテン」
「凄いね」
「そのハルちゃんの飼いネコがアキちゃんと言ってね」
「ネコ?」
「ハルちゃんは今の時期、新入生迎える準備とかで忙しいから無理だけど、アキちゃんは大学行ってないし(*8) 、そちらに指導に行かせるよ」
 
「ネコがバスケットするの〜〜〜!?」
 
(*8) アキは本当は佐藤玲央美の影武者をしている(玲央美が日本に居る間、代役を務める。つまり秋から春に掛けては、日本が昼の間はフランスに居る)。フランスでチームの練習に出ることもあり、フランスの女子プロリーグの選手として遜色ないバスケの実力を持っている。アキは元々ハルより運動神経が良い。でも今の時期、まだフランスはリーグをやっているので実は忙しい。この代役については後述。
 
アキは、若い女の子(?)が仕事もせずに学校にも行ってないと何か言われそうなので「名も無い大学の女子大生」を主張していたが、どうも面倒くさくなって、女子大生を名乗るのは、やめたようである。そもそもネコを入学させてくれる大学は無いだろう(最近、駅長さんになるネコは居るようだが)。
 

邦生の妹・瑞穂は4月1日付けでH銀行に入社予定であるが、配属先は小立野(こだつの)支店の窓口係と決まった。伊川峰代が3月中旬から窓口係の主任として赴任している支店で、瑞穂はその部下になることになる。現在の邦生のマンションから徒歩で30分程度(出勤時30分、退勤時20分)で行ける場所なので、瑞穂は邦生のマンションから通勤することにした。
 
「スクーターか電動アシスト自転車でも買おうかなあ」
などと瑞穂は言っていた。
 
瑞穂は二輪免許を持っていないので、バイク通勤ができない。
 
「スクーターはもちろんヘルメット必要だけど、普通の自転車でもアシスト付き自転車にしても、ヘルメット着けろよ」
「うん。それはちゃんとする」
 
「でもあの坂を普通の自転車で登るのは私には無理」
「押して歩くしかないよね」
「それだとまだ普通に歩いたほうが楽な気がする」
 
「でも冬に雪が降ると自転車は電動アシスト付きでも使えないよ」
と真珠が指摘する。
「うっ・・・」
「雨の日も結構辛いよね」
「要するに11月から3月くらいは、二輪車は厳しい」
 
雪の上での自転車走行はほぼ不可能である(でも根性で乗ってるおじさんたちは居る)。また北陸では、だいたい11月頃から3月頃までは、毎日のように雨か雪が降り、1日中降水が無いという日はほとんど無い(この高湿度の気候が加賀友禅を生み出す)。
 
ということで、その後も色々議論したが、やはり二輪車での通勤は厳しいということになり、結局瑞穂は徒歩で通勤することにした。(四輪だと渋滞に掛かって歩くより遅いし、バスもバス停まで行くのに半分の行程を使う!)
 

瑞穂の引越は、3月19日(土)の午後に行った。ビスクドール展が始まった当日だが、午後は真珠もマンションに戻っていた。
 
Timeline
3.07 峰代・さくらの送別会
3.08 真珠がスペーシアを買う
3.14 深夜まで邦生と真珠がビデオ編集
3.15 瑞穂卒業式
3.18 真珠たち、人形の移動S市→金沢
3.19 ビスクドール展はじまる
3.19 PM 瑞穂の引越
3.22-23 明恵たちが再度S市取材。桜坂に会う。
3.30 夏樹が転勤を指示される
4.01 瑞穂入社式(7日まで研修)
3.30-4.2 白虎の件の処理
4.02 青葉が関東某所に移動
4.8 瑞穂、支店で勤務開始
 
瑞穂はこれまで金沢市内の大学寮に住んでいた(実は20日が寮の退去期限だったので、わりとギリギリ!)。
 
寮なのでこれまでは冷蔵庫やテレビも部屋に備え付けのものを使用していた。しかし邦生のマンションには400L冷蔵庫2台、50inchの液晶テレビ、7kgの縦型洗濯機+乾燥機、オーブンレンジ、ホットプレート3枚!、ルンバ!などが揃っている(*9)ので、ほとんど買い足す必要はなかった。単純に寮の中の荷物を父のノアに乗せて1度で運ぶことで引越は完了した。但し、荷物の整理に引越前1週間かかっている:最後は音を上げて母に手伝ってもらった。
 
マンションの部屋レイアウトは↓
 

__ _北NE東SE南SW西NW
邦生 震O▽OOO△XXX
真珠 乾▽○X△XXOOO
瑞穂 艮XO▽XX△OOO
__ _風_玄D_主妹_

 
(↑の表で見る限り、この戸はほぼ真珠のための戸である!邦生は自分の部屋に居るよりダイニングに居たほうが快適??:実際その時間の方が長いと思う)
 
3つの部屋の内、いちばん手前の部屋を邦生と真珠が使っているので、瑞穂にはいちばん奥の部屋を割り当てた。ひとつ部屋を挟むので、お互い気兼ねが無い。真珠たちは瑞穂を気にせずセックスできるし、瑞穂も新婚夫婦の営みの音を聞かなくて済む。
 
でも瑞穂はダイニングで2人がセックスしているのを黙殺して冷蔵庫から、おやつやチューハイを持って行ったりする:気にしてたら生活できない!だいたい自分たちの部屋ではなくダイニングでしている方が悪い。
 
しかし瑞穂が目撃したセックスでは、いつも邦生が下で真珠が腰を動かしていたので、やはり“お姉ちゃん”がネコなのね、と瑞穂は思った。
 
なお、峰代が真珠に返却した鍵が、瑞穂に渡された。それで6つの鍵の所持者はこのようになった:真珠・邦生・瑞穂・邦生の母・真珠の母・投資課の三村小梢。
 
(真珠が事実上ここに住んでいるので、邦生は不動産屋さんに頼んであと1個鍵を作ってもらい、真珠の母に渡した。また渉外課の南田里菜が預かっていた鍵が投資課の三村小梢にリレーされた)。
 

3つの部屋はクローゼットで区切られているが、女子行員たちが集まるような場合、クローゼットの引き戸を全開放すると全部屋見通せるようになっていた。ただし感染拡大防止のため、千里の(友人の)手で透明アクリル板が設置されているので、空気の流通は小さい。ここは元々ファミリー用の物件なのでトイレが2つ、洗面台も2つあり、多人数が泊まるのにも楽だが。3人で暮らしてもあまり競合しないと思われる。
 
瑞穂の入居に伴い、ここに女子たちが宿泊する場合、最大5人にすることが、真珠と峰代の話し合いで決まった!
 
空いている真ん中の部屋に2人、ダイニング(8畳サイズ)に3人である!
 
これで邦生と真珠は自分たちの部屋は明け渡さなくて済むことになった。
 
但し、明恵限定で、場合によっては真珠と邦生の部屋に同泊させる。この時、邦生−真珠−明恵の順に布団を並べる。布団は重なり合うが、いいことにする。真ん中の真珠は逆向きに寝る。
 
また、瑞穂自身の親友に限り、1名限定、瑞穂の部屋に泊める場合もあるが、これらはあくまで例外とする。
 

(*9) 12月に引っ越してから真珠が買ったものである。ほとんど結婚に伴う引越に近い。
 
「あんた、もしかしてこれ、お嫁入り道具?」
などと買物に付き合った母が訊いていた。
 
真珠は10月以降、青葉の専任ドライバーとして月20万の報酬をもらっている。実際には、10月29日以降、青葉は、ほぼ関東方面に滞在しているので、仕事はほとんどしてない。青葉に「報酬は返上します」と言ったが「時間拘束している以上、ちゃんと報酬は払う」と言うので、ありがたく頂いている。それで、大型家電を買うお金があったのである。
 
洗濯機をドラム式ではなく縦型+乾燥機にしたのは多数の女子が泊まった時に大量の服を洗濯する必要があるからである!(過去には手分けしてコインランドリーに運んだこともある)ドラム式だと洗濯と乾燥が同時進行できない。
 
冷蔵庫は真珠が買ったのは1台だが「宿泊所としては足りないよ」と言って、千里さんがもう一台買ってくれたので400Lの冷蔵庫が2台(どちらも日立製)並んでいる。これは長期保存用と短期用で使い分けており、グリーンの冷蔵庫(冷凍室の容量が大きい)は原則として長期ストック品、ホワイトが日常用である。
 
前のアパートのテレビ・洗濯機・冷蔵庫はかなり傷んでいたので廃棄しようか・・・と言っていたら、銀行の同僚女子が欲しいと言うのであげた。別々の3人の女子の所にもらわれて行った(真珠が男の娘?の友人を連れてきて、軽トラを借りて来て運んだ)。電子レンジは怪しい音を立てていたので廃棄した。布団は多数の来客が寝てもう6年使っているので廃棄した。代わりの布団は千里さんが買ってくれた(古い布団は製紙材料にするといって千里さんがどこかに持って行った)。
 
前のアパートから持って来たのは、招き猫(黒と白のペア)とブタさんの貯金箱、本棚・スティールラックなどの収納関係、衣裳ケース、大量の書籍・CD,DVD, 調理器具、オーブントースター、配線具、ルーター、邦生の着替え?と食器関係、女子行員たちや明恵・真珠・美由紀なとが置いていたお酒類(邦生はお酒は飲まない)などである。
 
なお楽器類は小浜から楽器専門の運送業者さんの手で運ばれてきた。東京で使っていた着替えや雑貨は東京から宅配便で送った。いづれも宛先のアパートが無かったので、真珠に連絡が来て、新しいマンションに運び込まれた。
 
書籍とCDは↑のトイレ横のクローゼット(1畳サイズ)に移動式本棚を買ってきて置き、そこにかなり収納した。整理している時間が無く、適当に放り込んだので、『刑法コンメンタール』の隣に『恥丘の果ての性服娘』が並んでいたりする!
 
(ちなみに後者は美由紀が置いていった本である!)
 

「お義姉さん、入社式と新人研修に行くのに、スペーシア貸してくれません?」
と瑞穂が言うので
 
「いいよ、持ってって」
と真珠は答えておいた。
 
今年のH銀行の入社式と研修は、津幡の火牛ホテルで行われることになった。全員車で集まり、駐車場の専用区画に入った所で簡易検査キットによる感染チェックが行われる。入社式は各自の車の中で無線LANを通して行われる。そして入社式の間に全ての検体がチェックされて、感染している人(数人居た)は結果通知して、入社式の後はそのままお帰り頂く(念のため5月の連休明けまで自宅待機:休職扱いだが、給料は全額出る:研修は送付するビデオを見てもらう)。
 
陰性だった人だけ、火牛ホテルに入り、1週間の研修を受ける。
 
瑞穂は陰性だったので、ホテルに入り、研修に参加した。火牛ホテルは部分的に改装され、研修用の会議室がいくつも作られている。宿泊は1人1部屋である。相部屋ではないのが、とても好評だった。講義を聴くだけのものは、会議室には行かず、各自の部屋で受講できる。このあたりは、みんな学校のリモート授業を経験しているので、慣れたものであった。
 
瑞穂はシングルの部屋のベッドに寝転がり、こんな快適な部屋に泊まれるってすごーいと思った。なお、食事は全て自動配膳システムによるデリバリーである。研修中の外食、飲酒、4人以上集まっての会食は禁止されている。欲しいものは各部屋に置かれている注文パネルで頼めば、配膳システムを通して届けてくれるし、メニューに無いものはフロント宛てにメッセージを送れば常識的な範囲で調達してきてくれる。ホテル長さんは
 
「違法な物でない限り、お金を払って頂けたらボーイング787でも買ってきます」
と言って、笑いを取っていた。
 
(若葉なら本当にB787を買って来かねない。価格は1ドル120円として270億円くらいである。若葉にとっては一般庶民の30万円くらいの感覚)
 
メニューには様々なものが並んでいた。ジャンル分けされているが、五十音順索引と検索機能もあるので結構見つけ出せる。
 
文具:ボールペン、シャープペンシル、替え芯など
電器:乾電池、懐中電灯、USBケーブルなど
衛生:化粧水、髪ゴム、マスク、ティッシュ、絆創膏、ナプキン各種、避妊具?、テンガ!、妊娠検査キット!?、など
衣料:靴下、ストッキング・タイツ、ショーツ・トランクス、ブランケット、サンダルなど
食料:チョコやクッキーなどのスナック類、各種飲料、おにぎり、ハンバーガー、サンドイッチ、菓子パン、また、やきそば、ラーメン、ピザ、などの類い(基本的にムーランのメニューは全て頼める
 
富士通・NEC・デル・アップルのノートパソコン(新品・特選中古!)、マウス・ペンタブレット、USBケーブル、USBメモリ、更には郵便切手やスマホのデータチャージカードまで登録されている。
 
(お薬は法的な問題があるので個別メッセージ対応。「緊急避妊薬渡せますから、やばいと思ったら連絡して」と女医さんが言っていた。また(飲む)アルコール類は銀行側の要請で外している。メッセージでも受け付けない)
 
テンガを頼んだのはほとんど女子だったらしい!
 
(むろん誰が何を買ったかは個人情報なので、銀行には決して開示しない。今後の参考にするため、統計情報だけムーランと銀行で共有した)
 
研修中にパソコンが壊れて1台(4万円の特選中古)買った人が居たらしい!寝相が悪くてベッドから転落したら、寝ながら使っていたパソコンの上に身体が落ちたとか。
 
また1人は暇つぶしに持って来ていたヴァイオリンの弦が切れてしまったのを、恐る恐る頼んでみたら、すぐ買ってきてくれたので感動したらしい。
 
今回実はホテルスタッフは、郷愁リゾートと藍小浜からの派遣が大半なのでそつが無い。一部ムーラン津幡のスタッフも動員している。注文システムは郷愁リゾートのホテル昭和・富士で動いているシステムを持ち込んだ。
 

時間が戻るが、春貴は3月8日、12ヶ月ローンで買った中古のパッソ(オレンジ)で能登空港に行った。ここで待っていると、やがて黒い機体のホンダジェットが着陸。青葉の姉・千里さんと、20歳くらいの女性、セーラー服を着た少女が一緒に降りてきた。
 
「こちらアキちゃんと、息子のアイちゃん」
と千里さんは2人を春貴に紹介した。
「息子って・・・女の子ですよね?」
「私、男ですけど」
とアイが言う。
「ごめんねー」
 
男でもセーラー服を着ているのか。まあいいけど。でもセーラー服を着たい男の子なら、むしろ女の子だと主張したいんじゃないのかなあ。でもまあ性別なんて人それぞれだよね?
 
「でもアイちゃん、学校はいいの?」
「もう春休みに入ったので」
「ああ、そういうこと!春休みの長い学校もあるんだね」
 
(本当は猫なので学校には行ってない!)
 
しかし奈々美が「ねこ」と言ってたからびっくりしたけど、母娘(母子?)ともに人間じゃん、と春貴は思った。
 
「でも千里さんが一緒に来てくださったんですね」
「うん。ネコだけでは飛行機に乗れないから、私の付き添いということで連れてきた」
「ねこ?」
「お父さんも息子さんも可愛いネコでしょ?」
と千里さん。
 
「・・・ふたりとも人間に見えるんですが」
 
それにお父さん??アキさんも女性に見えるけど??
 
「ぼくと息子が人間に見えるなら眼科か精神科に掛かったほうがいいかも」
などとアキ。
 
「獣医さんがいいかもよ。去勢されちゃうかも知れないけど(*10)」
とアイは言っていた。
 

(*10) アイは生まれて10ヶ月で去勢されている!何も内容を告げられないまま獣医の所に連れて行かれ、麻酔を掛けられて気がついたらタマタマが無くなっていた!
 
アキもアイが出来たことで、睾丸をまだ持っていたことがバレて、アイが生まれて間もない頃去勢された。更に昨年は尿道結石ができて、生死の境をさまよったものの、無事結石ごとペニスを切除されて生還している。結石予防のため、アイも10歳くらいになったらペニス切ろうかなどとハルが言っているので、アイは嫌だぁと思っている。
 

春貴の車は、のと里山海道(旧・能登有料道路)を走り、津幡の火牛アリーナに向かった。津幡へは能登半島西岸の、のと里山海道を走るルートと、東岸の能越自動車道を走るルートがあるが、能越自動車道はトンネルが多いので走りにくい。富山方面に行くのでない限りは、のと里山海道がお勧めである。
 
そしてこの火牛アリーナで、この後、約3週間にわたって、春貴はアキ・アイの母娘?父子?からバスケット及び、バスケット指導の指導を受けることになったのである。
 
春貴は最初1週間くらい指導してもらえないかと頼んだのだが、奈々美からも、仲介してくれた千里さんからも、体育の時間にしかバスケットをしたことのない人がバスケットの指導がまがりなりにもできるようになるは最低3週間かかると言われ、今月いっぱい、3/8-3/29の約3週間の期間、指導をしてもらうことになったのてある。指導してくれるアキ・アイへの報酬は、千里さんが払ってくれるという話であった。
 
実際に千里が払った報酬は各々に“銀のスプーン”(小魚入りの青袋)3週間分と“ちゅ〜る”3本である!アイは「毎日ちゅ〜るが欲しい」と言ったものの、お父さんのアキが「毎日食べてたらありがたみが無くなる」と言って週に1度もらえることになった。
 
ふたり(およびアイの母猫)は普段は、ハルから“もっと身体に良い”高級猫餌をもらっているが、身体に良い餌は必ずしも美味しくないので、この3週間は安い猫餌をもらえることになった。ハルも「まあたまにはいいか」と言っていた。でも与える量は厳しく指定された!
 

火牛アリーナはライブなどをする場合は12000人が入る大会場になるが、ライブをしない時は、仕切りを立てて4000人クラスの3つのサブアリーナとして使用されている。各サブアリーナは約40m×60mあるので、公式サイズでバスケットコートを3個取れる。つまり各サブアリーナが普通の広めの体育館サイズあるという巨大体育館である。
 
各サブアリーナはサブ仕切りを立てて更に区切られている。
 
●ノース・ウィング(2分割)
 フォックス:女形ズ
 ウルフ:レディ加賀
 
●サウス・ウィング(3分割)
 ラビット・コアラ・ポニー:近隣の中学高校に格安料金で貸す
 
●セントラル・ハウス(3分割)
 タビー・トリコロール・ショコラ
 
このセントラルハウスは、コロナが終息したら一般開放するが、当面は原則として貸さないことにしている。その端のショコラを、千里の顔で貸してもらえることになったのである。
 
「体育館の借り賃だけ払って」
「はい。いくらですか」
「1日分の使用料1000円の22日間で22,000円かな」
「分かりました」
「あるいは年間利用料3万円払ったら、いつでも使えるけど。遊泳プールとかも使える」
「微妙ですね!」
ということで、結局春貴は年間パス(2022.4-2023.3)を買ったのである。
 
「有効期限前ですけど」
「おまけで」
 
ちなみに千里さんは年間パスを持っており、アキとアイは“猫だから無料”らしい!
 

3週間のメニューはこのようになっていた。
 
1週目 バスケを覚える
2週目 バスケを身につける
3週目 バスケの戦略と指導法
 
1週目の毎日のメニューは午前中にルールを学んだり、パス出し、シュート、ドリブルなどの基本練習をした。だいたいルールの指導はお父さん?のアキがしてくれて、実際のパスなどの練習はアイちゃんがパートナーを務めてくれた。
 
春貴は練習していて、これって1人での練習は難しかったな。絶対パートナーが必要だったと思った。
 
ちなみに練習前後の更衣室は、春貴は当然女子更衣室を使うが、アキとアイも女子更衣室を使っていたし、2人とも女性用下着を着けていた。ふたりとも結構なバストがあるように思えたが、性別のことを考えるとさっぱり分からなくなる。
 
「まあぼくたちは、女の子であるハルの影武者だから、常に女装してるよ」
とアキは言っていたが、肉体的にも女性に見えるのですが!?性転換したの??
 

アキとアイは夕方であがるが、その後は、高校女子のバスケットの試合のビデオを千里さんが提供してくれたので、それを見ていた。練習風景も映っている。練習風景は、千里さんの出身校・旭川N高校・女子バスケ部のもので、試合は、近隣の旭川M高校、旭川L高校(旧・旭川L女子高)、旭川C学園とのもの。見ていて「この子たち、みんな強い」と春貴は思った。
 
こんな凄い子たちを自分が指導できるだろうかと不安になるくらいである。
 
ルールも最初の週はごく基本的なルールを学んだ。24秒ルール、3秒ルール、8秒ルールに始まって、バックパスの禁止、トラベリング、ダブルドリブル、各種ファウルと何回ファウルをしたら退場になるか、またバスケット・カウント・ワンスローとか、ブザービーターとか、オルタネイティング・ポゼッションとか、いったことを学んだ。
 
オルタネイティング・ポゼッション・ルールとか全く知らなかったので驚いた。確かにジャンプボールって公平なように見えて実際は背の高い選手のいるチームに圧倒的に有利だもんね。昔はジャンプボールしていた状況で、1回交代でボールの所有権をもらうというのは、いい方法だと思った。
 

2週目に入ると、ルールも細かい問題になってくる。まずファウルの判定基準になる、シリンダーというものを習う。
 
「結構難しいですね」
「まあだいたい感覚だけどね」
 
またそれと関連して、フェイントの入れ方、視線の使い方などは実戦練習をした。また相手と1対1で対峙した時に、ロールターンで相手を抜く技も指導される。春貴が30分でマスターしたので
「運動神経いいね!」
と褒められた。
 
エルボーパスも教えられたが
 
「ボールが変な方向に飛んで行きます」
と言う。
 
「まあ概して本人にもどこに飛んで行くかは分からない」
 

またタイムを取れるタイミング、選手交代できるタイミングを習ったが、難しすぎて一度には理解できなかった、また、チームのファウルがひとつのピリオド内で4個に達した場合、新たなファウルに対してはスローインではなくフリースローが与えられるというのも、難しい状況だなと思った。
 
“撞き出しのトラベリング”については実践指導される。パスを受けた後、左右の足を1歩ずつ床に着けた状態でボールを保持した時。そこからドリブルで移動しようとする場合、ボールが最初に床にバウンドする以前に1歩踏み出してしまうと、それはドリブルが始まる前に1ステップしたとみなされトラベリングを取られる。だからボールが床に当たった後で、踏み出す足が床に着くようにしなければならない。
 
「こんなの意識したことなかった!」
「日本の審判にはこれ甘い人多いんだよ。でも間違い無く違反だから」
「確かにそうですよね!」
 
ランニングシュートでも、空中で相手の防御をかいくぐって体勢を変えて撃つダブルクラッチなども指導する。
 
「これ難しい」
と春貴は言うが
「いや、ちょっと指導しただけで出来る春貴さんの運動神経が素晴らしい」
とアキは言っていた。
 
夕方以降に見るビデオについても、インターハイなどのハイレベルな試合を観賞する一方で、旭川N高校の普段の練習の様子を最初から最後まで撮影したものも見せてもらい、これは物凄く参考になると思った。このビデオは3回くらい再生して、タイムラインを引いて分析した。
 
また実戦練習ということで、練習に来ていた女形ズのメンバーと練習試合をさせてもらった。向こうの4人 vs 春貴・アキ・アイ・千里、という組合せである(男の娘チームvs女形チーム?)。“点数を付けずに”やったので、どちらが勝ったのかは分からなかったが、結構いい勝負だった気がした。やはり実戦でしか学べないこともあるなあと春貴は思った。
 
2週目の最終日にスクリーンプレイを習った。こんな画期的な作戦があったのかと驚いた。でもこういうプレイができるチーム、それに対処できるチームというのは、結構ハイレベルなチームだろうなと思った。
 

3月22日は1日休みにさせてもらい、金沢まで行って卒業式に出席した。修士課程を修了したことで、春貴の教員免許は、一種から専修に変更になった。すぐに教育委員会と赴任予定校にも連絡を入れた。
 

3週目になると、バスケットの指導法を主として千里さんから習うことになる。高校生女子の体力・運動能力を把握した指導ということも習った。
 
「でもも全てに共通することだけでスポーツは基礎が大事。ジョギングや筋力トレーニングで練習時間の3割くらい使うつもりでいいと思う」
「基礎無しでゲームばかりしても駄目ですよね」
 
「そうそう。プレイやゲームの指導については、そのチームのレベルにもよるよね。インターハイの代表の座を争うようなチームなら、外人選手対策も教えないといけないし、校長先生と話し合って、経験者をコーチとして雇った方がいい。ほぼ勝ったことのないチームなら、いかに楽しくフェアにプレイするかというのを指導していく。弱いチームに限って雑なプレイや、汚いプレイをしがちなんだよ。中高生には“悪いこと”は絶対に覚えさせてはいけないし、丁寧に正確にプレイすることが大事」
 
と千里さんは言っていた。
 
「結局プレイが不正確だから、ボールを奪うだけのつもりが相手の身体に当たってファウルを取られるんだよね」
「それは無駄なファウルですよね
「うん。作戦上必要なファウルもあるけど、無駄なファウルは自分たちの首を絞めるだけ」
 
「でも悪いことと言うと?」
「フロッピングとか」
「何だっけ?」
「サッカーで言えばシミュレーション」
「ああ、あれはいけない」
 
「審判の死角で、ユニフォームをさりげなく引っ張るとか」
と千里。
「それやられたことある」
とアキ。
「あれうまい人いるんだよね」
と千里さんも言っていた。
 
女形ズに協力してもらい、紅白戦の審判もさせてもらったが、ルールの勘違いを副審の人にだいぶ指摘されて「すみませーん」と謝ったりしていた。でもすごく勉強になった。
 

バスケットの指導は29日のお昼に終了した。
 
「この後はまず指導者ライセンスの一番下のE級ライセンスを取ろう。オンラインでレッスンは受けられるから。手続きしとくよ」
「すみません。お願いします」
 
春貴はアキ・アイ親子、千里さんと一緒に春貴のパッソで能登空港に向かった。ただし空港までは「練習で疲れただろうから寝てなよ」と言って千里さんが運転した。
 
空港で20歳くらいの女子3人と合流し、千里さんとアキ・アイ親子はその3人と一緒に黒いホンダジェットに乗り込んだ。
 
15時頃、見学者デッキで彼女たちを見送った後、春貴は車内でジャージからビジネススーツ(スカート型)に着替えた。そしてパッソを今度は自分で運転し、能越道を走って氷見に出た。氷見南ICを降りてH南高校に行く。実は、授業で使う教科書を取りに来て下さいと言われていたのである。
 
「こんにちは」
と挨拶して職員室に入っていき、教頭先生に声を掛けた。
 
「ああ、奥村先生。よろしくお願いしますね」
と言って、教頭は笑顔で教科書と教師用指導書、それに時間割を渡した。
 

春貴はふと気になった。
 
「そういえば、女子バスケットボール部ですが、学校のホームページで見ても戦績とかが分からなかったのですが、どのくらい強いんですか」
 
「ああ。女子バスケット部ですね。うちは男子の方は2回戦か3回戦まで行くのですが、女子バスケット部は少なくとも過去5年くらいは、ひたすら1回戦負けなんですよ」
 
あはは。
 
「弱いチームで申し訳ないのですが」
 
「いえ。常勝チームを任せられたらどうしようと思っていたので、そのくらいのほうが気楽です」
と春貴は答えた。
 
その程度なら自分でも何とかなるかな。
 
「まずは1回戦に勝つことが目標かな」
「はい、それを目指して頑張ります」
 

真珠たちは3月22-23日にS市に取材に行き、桜坂さんに会った。その後、放送局に戻り、これ以上は、金沢ドイルさんが居ないと取材の進めようが無いと主張した。すると編集部に居合わせた千里さんが
「よし。拉致して来よう」
と言った。
 
千里さんによると、現在青葉さんは誰かのアルバムの編曲作業をしている最中で、現在の進捗状況では、3月30日くらいに作業は終わりそうだという。しかしその後、ケイさんが、別の仕事で青葉さんを拉致?しようと待ち構えているので、それを出し抜いて先に青葉を拉致しようと千里さんは言った。
 
「どっちみち拉致されるのか」
 
拉致作戦は、〒〒テレビの職員ではない(万一の時は放送局は「知らない」と言える!)真珠・明恵・初海と、千里さんで実行することになった。(真珠はADの名刺はもらったが、本当に雇用されるのは4月1日からである!)
 
「“君もしくは君のメンバーが捕らえられあるいは殺されても当局は一切関知しない”(should you or any of your team be caught or killed, the company will disavow any knowledge of your actions) という奴ね(*11)」
 
「何でしたっけ?」
「防弾チョッキ着けといてね」
「ひぇー」
と初海が声を挙げる。
 
「初美ちゃんは今回のミッションから外れる?」
「いえ。やります」
と初海は言った。
 
(*11) アメリカのシチュエーション・ドラマ『スパイ大作戦 (Mission Impossible)』の指令の声。オリジナルのメッセージは "As always, should you or any of your I.M. Force be caught or killed, the Secretary will disavow any knowledge of your actions." である 。
 
(IM Force = Impossible Mission Force 不可能指令実行チーム)
 
その後、"This tape will self-destruct in 5(10) seconds. Good luck, Jim."このテープは6(10)秒後に自分で壊れる。
 
と続く。日本語吹き替えでは秒数は訳さずに「自動的に消滅する」と訳されていた。ちなみに、オリジナルの“当局”は政府の情報局だが、千里が言った“当局”は“当放送局”の意味である!
 
日本のシチュエーション・ドラマ『大江戸捜査網』では「死して屍拾う者無し」と意訳されていた。
 

千里さんは、何らかの方法で、部外秘のはずの、青葉さんの作業進行状況をほぼ完全に把握しているようだった。
 
「青葉の作業は今日中には終わる。先方からの返事を待って、明日の午前中か遅くとも昼頃には青葉はフリーになる。でも多分午後にはケイが青葉を拉致しにくる。タイミングは一瞬だな」
などと千里さんは言っていた。
 
「よし。現地に向かうよ」
と言って、千里さんは、真珠・明恵・初海(本当に全員に防弾チョッキを着せた)をmazda CX-5 に乗せ、能登空港に向かった。空港ロビーで千里さんは
「ちょっとここで待ってて」
と3人に言うとどこかに行った。
 
少しして、千里さんは、青葉さんと同年代くらいの女性、真珠たちと同年齢くらいの女性、そしてセーラー服の少女を連れてきた。
 
「熊谷まで一緒するけど、別々のミッションだから、お互い特に名乗りや詮索は無しで」
「了解でーす」
 
青葉さんと同年齢くらいの女性は離脱し、見学者デッキに行ったようである。見送るのであろう。つまり飛行機に乗るのは真珠たちと同年代の女性とセーラー服の少女である。顔かたちも雰囲気も似ているので、少し年の離れた姉妹かな?と真珠は思った。お姉さん?の方は白いフリースジャケットに、ロングスカートを穿いている。
 
やがて、女性の外人さんのパイロットが来て、流暢な日本語で案内してくれる。一緒に小型の飛行機が駐まっている所に行く。ほんの3段ほどのタラップを登って乗り込む。機内は向かい合わせのサロン風に4席、それに補助席がある。
 
「君はコーパイ席に」
と千里さんはセーラー服の少女に言う。少女が操縦席の隣の席に行く。
 
「お父さんは補助席でいい?」
「いいよ」
と言って、真珠たちと同世代くらいの女性はもサロン席と操縦席の間にある補助席に座った。
 
「あきちゃんと初海ちゃんが前向きの席で、私とまこちゃんがそれに向い合う席で」
「了解〜」
 
体力を考えたらそれがいいだろうなと真珠は思った。明恵の前に真珠、初海の前に千里さんが座った。
 
「定員6人ですか?」
と初海が訊く。
 
「もう1人トイレに座れるから、パイロット以外に7人」
「そこも席なんですか〜〜?」
「誰かがトイレに行く時はどうするんです?」
「その人と席を交替。トイレに入った人は次誰かがトイレを使うまではそこに座って居る」
「どこかで聞いた怪談みたいな話だ」
 

すぐに飛行機は離陸許可をもらって離陸した。
 
「お互い詮索しないということでしたけど、千里さんがさっきそちらの女性に“お父さん”と言った気がして」
と初海が言う。
 
「うん。そちらの2人はお父さんと息子だよ」
「え〜〜!?」
 
すると補助席に座っているアキ本人が
「ぼく男ですけど、男に見えません?」
などと言っている。
 
「いや、最近そういう人多いから気にしませんよ」
「今回はぼくと息子の2人で出張だったからね」
「・・・・・」
「どうしたの?」
 
「あのぉ、セーラー服着てる人は、妹さんか何かですよね?」
「ぼくの息子だけど」
「うーん・・・」
 
と明恵・初海。真珠は考え込んだものの、気にしないことにした!!
 
「ついでにこの2人、ネコだから」
と千里が言うので
 
「レスビアンの女役?」
と小さな声で質問があるが
 
「違うよ。動物の猫だよ」
と千里。
 
「うっそー!?」
 
「ぼくたち、猫なんですけどね。どうも人間に見える人もあるみたい」
などと補助席に座っているスカート姿の人物は言っていた。
 

1時間ほどのフライトでホンダジェットは着陸する。
 
「ここはどこの空港ですか」
「熊谷の郷愁飛行場」
「熊谷って群馬県でしたっけ?」
「埼玉県」
「あ、ごめんなさい」
「でもこんな所に空港があったのか」
「空港じゃなくて飛行場だけどね」
「・・・・・」
「空港と飛行場って違うんでしたっけ?」
 
「空港 airport というのは一般に大規模で公共性の高いものを言う。そこまでの規模が無いものや、企業などがプライベートで使っているのが飛行場 airfield. 軍隊が使うものも飛行場。飛行場よりもっと小さいのは、離着陸場 airstrip という。日本全国に多数ある農道離着陸場はこの類い」
 
「更に小さくてライトプレーンやグライダーみたいなのしか離着陸しないのは滑空場 gliding field を名乗ることもある。ヘリコプター専用はヘリポート heliport。これら全ての総称がairdrome (aerodrome)。日本語には適当な対応する言葉が無い。この言葉には飛行艇・水陸両用機の滑空水域なども含まれる」
 
「色々あるんですね」
「ここの郷愁飛行場と、小浜(おばま)市のミューズ飛行場は、ムーラン・エアーがプライベートに使っているから飛行場を名乗る」
「へー」
 
「小浜(おばま)って長崎県だっけ?」
「長崎県にあるのは小浜温泉。小浜市は福井県」
「あれ?沖縄にも何か似た地名ありませんでした?」
「沖縄のは漢字は同じだけど“こはまじま”(小浜島)と読む」
「へー」
「はいむるぶしのある所ね」
「それで有名ですよね」
 
「同じ場所が複数の呼び名を持つ場合もある。徳島空港は、民間機用としては徳島空港と通称されるけど、本来は自衛隊の飛行場なので正式名は徳島飛行場」
 
「あ、それは知ってた」
と真珠。
 
「茨城空港は本当は千里(せんり)飛行場ですよね?」
と初海が言うが
 
「百里飛行場!」
と明恵が訂正した。
 
「あ、間違った」
 

着陸してから、千里さんは
「まこちゃんたちは少しここで待ってて」
と言って、ネコ?の親子を連れてどこかに行った。
 
でも千里さんはすぐ戻って来て(*12)
「じゃ行こうか」
と言う。
 
「今から拉致ですか」
と初海がワクワクして言う。
 
「拉致は多分明日になる。今夜は近くに泊まるよ」
と言って、千里さんは真珠たちを連れて飛行場から新交通システムに乗り、白雪駅で降りた。
 
「すごーい。白雪城だ」
「でも待ち行列あまりできてないですね」
「時間指定の予約制だからね」
「なるほどー」
 
駅からはカートのようなものに乗る。
 
「自動運転ですか」
「そうそう。この郷愁村の敷地内だけで、運行が特別許可されている」
「へー」
 
カートはゆっくりとした速度で走って行く。途中ゲートのような所を通るが、ゲートは自動的に開いた。
 
「無線方式ですか」
「そそ。高速のETCと同じ」
 

(*12) 読者はお気づきのこととは思うが、アキ・アイの親子を東京から連れて行き、春貴にバスケの指導をし、29日に津幡から春貴たちと一緒に能登空港に行った千里(A)と真珠たちを連れて金沢から能登空港に行った千里(B)は別人。
 
郷愁飛行場に着いてから(A)は、アキ・アイを連れて、ハルの家(板橋区)に戻った。一方、(B)は飛行機が飛んでいる間に位置変更(事実上のテレポーテーション)で郷愁飛行場に移動して、真珠たちをコテージ“つばめ”に案内した。
 
(A)は多分1番(アメリカのWBDAはまだ始まってないので時間が取れる)。
(B)は恐らく4番(バスケットとは無関係だし霊的能力は5番の次に高い)だが(A)の千里は(B)が2番だと思い込んでいる。3番はこの時期まだWリーグをしているので。
 
でも今2番はフランスのLFBに参戦している!
 
LFBには佐藤玲央美も参戦しており、玲央美は日本のWリーグとフランスのLFBを時差を利用して兼任している。玲央美が日本に居る間、普段はアキを身代わりにオルレアンに置いておくのだが、アキが千里に徴用されているため、この3週間は、半分は玲央美の眷属のようになっている、すーちゃんを代役として使用した。それで、すーちゃん(朱雀)は
 
「鳥に猫の代役させるなんて」
と文句を言っていたとか!?
 
なお、アキ・アイたちの移動と真珠たちの移動が重なったのは、千里お得意の予定調和である。うまく重なりそうだなと思った“司令室”の千里5が最終的に微調整を掛けて誘導した。(4番は常に5番と連絡を取り合っている)
 
なおblackの機体は千里のプライベート機なので、3週間能登空港に駐めていた。
 
エリッサは待機中、輪島市郊外の“小さな宿舎”で、のんびりと海の幸・山の幸を楽しんでいた。千里が中学生の頃、彼女は“生魚”を気味悪がっていたが、日本での仕事が長くなり、今ではすっかりお刺し身・お寿司大好きである。「寒鰤(かんぶり)美味しい、鯨美味しい」と喜んでいた。
 
(能登では秋から冬にかけて、沿岸ものの鯨が穫れる。「朝獲れ」シールが貼られた鯨肉がスーパーに並んでいる)
 
ちなみに“小さな”というのはエリッサの感覚で“小さな”であり、敷地面積は200坪、3ベッドルームの、こぢんまりとした?家である。
 
 
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【春春】(1)