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■新生・触(8)

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胡桃がおにぎりを作ってくれて、ペットボトルに暖かいお茶も入れてくれたので礼を言い、手を振って和実は車に戻った。もう天文薄明が始まっている。和実はその薄暗い中車を進め、高速のICの方に向かおうとしたが、ふと思い直して市内某所に行ってみた。
 
そこはとある小学校だった。ここの体育館が避難所になっていて震災後数日、和実はここで多くの被災者と一緒に不安な時間を過ごしたのだった。ちょっと感傷的な気分になってしまったが、やがて和実は頭を振り、ついでにコンビニでコーヒーでも買おうかと思い、国道に出て少し車を進める。右手にファミマがあったので中に車を駐め、トイレを借りて身体をリセットしてからブラックの缶コーヒーとクーリッシュを買う。こんな冬にアイスも何だが、クーリッシュは頭を最高に明瞭にしてくれるのだ。寒いけど。そしてクーリッシュの良さは手を汚さないので運転しながら食べるのに最高に便利だし、途中で止めても融けたアイスが座席などを汚さないことである。
 
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それで車に戻って出発しようと思った時、コンビニの前を反射たすきを付けた50歳くらいの女性が早朝の散歩でもしている感じで歩いているのを見た。和実はその女性に呼び掛けた。
 
「佐藤さん!」
「あ、月山さん!」
「お散歩ですか?」
「ええ。健康のために最近毎朝歩いてるんです。月山さんはまたボランティア?」
「いえ。個人的な用事で来ただけで、今から帰る所です」
 

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外で立ち話するには寒いので、コンビニにいったん入っておでんを買い、一緒に摘まみながらプリウスの車内で少しお話しした。
 
「その節は本当にお世話になりました」
「いえいえ。こういうのはお互い様ですし」
「でも月山さんも被災者だったんでしょ? 本当に頑張っておられたんですね?」
「あれはですね・・・何か神様に仕組まれたって感じで」
「へー」
「私にとっても姉にとっても必要なことだったんですよ」
 
ここで姉というのは淳のことで、佐藤さんはふたりを姉妹だと思っている。
 
「そうだ。娘の日記が見つかったんですよ」
「へー!」
 
と言いながら、和実は佐藤さんがその子のことを「娘」と呼べるようになったんだなというのを思っていた。法的には佐藤さんの次男になるユキさんは短大の卒業式を目前にして震災に遭い命を落とした。彼女は成人式と卒業式に着るため貯金をはたいて振袖を作っていたのに、成人式には風邪を引いて出られず卒業式にも出る前に逝ってしまった。そのユキさんの心残りを解消してあげるため、和実はユキさんの振袖を自分が着て成人式に出てあげたのだった。
 
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そしてユキさんは短大在学中に日記を書いていた。その前半、1年生の時の日記はがれきの中にあったのを発見され、お母さんに渡され、和実も読ませてもらったのだが、2年生の時の日記が未発見だった。
 
「実は、あの子が2年生の時に付き合っていた男の人がいて」
「ああ」
「その男の人が持っていたんですよ。結局あの子の形見になってしまったので大事にとっていたらしいのですが、これはお母さんに渡すべきじゃないかと思ってと言って持って来てくれたんです。でも私の所在がなかなか分からなかったみたいで、その人が接触した市の職員さんから照会があって、私も是非会いたいということで、やっと会えたのがちょうど先週の日曜日のことなんです」
 
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「そうだったんですか・・・」
「読んでたら、何かすごく幸せそうで。その彼氏にもとても大事にされてたみたいで」
「良かったですね。ユキさんって、ほんとに友だちとかに恵まれてたんですね」
「ええ。それで、私も何だかあの子のことを『娘』と呼べるようになりました」
「ええ、そう呼んであげてください」
 
「それでですね」
「はい」
「そのユキの彼氏なんですが、結婚歴があって、前の奥さんと死別しているのですが、その奥さんとの間にできた子供がいて」
「はい」
「その子がユキになついていて、ユキも『パパと結婚して君のママになってあげるね』と言っていたらしいんです」
「ああ」
 
「先週はその子を連れてうちに来てくれて」
「へー」
「私その子が何だか可愛くて、つい、私の孫と思ってもいいかしらと言ったら、彼氏さんも『いいですよ』というので、その言葉に甘えさせてもらって、今後もお付き合いさせてもらうことにしました」
 
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「ユキさんの忘れ形見みたいなものですね」
「そうなの!」
と言う佐藤さんは何だか嬉しそうな顔をしていた。
 
「私、ユキには子供ができないものと諦めてたから、よけい嬉しくて」
 
更にその『孫』のことを楽しそうに語る佐藤さんに和実は心が温まる思いだった。
 

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佐藤さんを今住んでおられるアパートまで送って行き、それから和実は楽しい気分で高速のICを駆け上った。カーラジオが6時の時報を告げる。東京到着は10時になるだろう。あはは。お店に遅刻しちゃうな。途中でサブの秋菜にメールしとかなくちゃ。空がかなり明るくなってきている。そろそろ夜明けという感じだ。和実は何となく東北の夜明けも近くなってきている気がした。
 

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24日の月曜日は遅番だったので、昼間友人たちとクリスマスイブということで新宿でお茶会をした。そこに向かう途中、梓が電車で痴漢に遭い、それを和実が撃退したのであった。
 
その日集まったのは、和実・梓・若葉、照葉・奈津・由紀、美優・晴江・則香といったメンツである。照葉・奈津・由紀は和実・梓と高校の同級生、美優・晴江は和実と大学の同級生、そして則香は梓・若葉と大学の同級生である。
 
「この中で彼氏とのデートで早めに帰る人は?」
と照葉が言うが誰も手を挙げない。
「和実は淳さんとデートしないの?」
「仕事で全然帰ってこないんだもん。最近月に1〜2回しか顔を合わせないよ」
「え?でも同じ家に住んでるんでしょ?」
「そう。だけど、お互いが家に帰る時間が交差しない」
「なんつーすれ違い生活」
「東北支援のボランティアしてた時は週に1度は一緒に東北まで往復してたからあの頃が懐かしい気分」
「離婚の危機だったりして?」
「まだ結婚してないよ〜。それにメールは毎日20〜30通交換してるし」
「それだけ交換してたら充分だな」
 
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みんな大学3年生なので、就職のことなども話題になる。
 
「みなさんの卒業後の進路は?」
「修士まで行く」と和実・梓・若葉。
「私も修士まで行きたかったけど、親が渋ってるから多分就職」と美優。「私は長野に戻って学校の先生になるつもり。狭き門だけどね」と晴江。「私はコンピュータ関係を狙ってる」と則香。
 
「私も学校の先生狙い。愛媛に戻るかも」と東京理科大の由紀。
「私も学校の先生は狙ってるけど、今バイトで塾の講師してるんで、そのまま塾の先生になってしまうかも」と東京外大の照葉。
「私は法科大学院に行く」と一橋大法学部の奈津。
 
「じゃ一般企業狙いは美優と則香?」
「今凄く厳しいよね」
「もうここ15年くらいその厳しい状態が続いてるって感じ」
「学校の先生とかも厳しいんだよなあ。子供の数が減ってるから」
「何とかして今の日本の閉塞感を打破しないとヤバいよね」
 
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「ねえ。和実、取り敢えず大学出た後は修士2年やるとして、その後はどうするの?」
と照葉が少し心配したように訊く。
「実は何も考えてない」
「考えてないというのはヤバすぎる」
 
「一般企業ではかなり難しいだろうなというのは覚悟してる。ふつうの子でもなかなか採用厳しいけど、性別変更している子を採用してくれる所はそうそう無いと思う」
と言いながら、和実は石巻のユキがバイト先を探すのに何十件も断られたと日記に書いていたのを思い起こしていた。
 
「まあ、そうだろうね」
「何か特殊な技術を持っていれば強みになるだろうけどね」
「例えばどんな?」
「宇宙CQCが出来るとか」
「うーん。それでCIAかMI6にでも就職する?」
 
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「でも手術の跡はもう痛まないの?」
「ああ。全然平気」
「へー。割と早く回復するもんなんだね」
「照葉も性転換手術しちゃえばいいよ」
「そうだなあ。私もチンコ切っちゃおうかな」
「照葉、チンコあったんだっけ?」
「高校時代に伊藤から、お前チンコ付いてるだろ?って言われたよ」
「ああ。分かった。伊藤を騙して性転換手術の手術台に乗せちゃえばいいんだよ」
「女湯に入れるようにしてあげるとか言ったら騙されるかも」
「あいつはしぶといから、女になっても厚かましいおばちゃんになると見た」
 
和実はこれは伊藤は今頃くしゃみしてるなと思った。
 
「あ、戸籍上の性別はもう変更したんだよね?」
「したよ。クレカも MR から MS になった」
と言って、VISAカードを見せる。
「おお!」
と声が上がる。
 
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「健康保険証もこの通り」
と言って性別・女と印刷された国民健康保険証を見せる。
「おおお!」
と何だかみんな嬉しそうな声を挙げていた。
 
「でも健康保険証が女になってれば病院に行ったら女として扱われる訳だよね」
「そうそう」
「体質的に問題とか起きないのかな。投薬なんかの問題で」
と由紀が心配そうに訊く。
 
「ああ、それはきっと大丈夫。和実って元々女性体質だもん」
と梓が言うと、何だかみんな納得したような顔をした。
 

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みんなと別れて梓・若葉と3人だけで伊勢丹に行き、クリスマスプレゼントを買った。
 
「ん?でもみんなそれ誰にあげるの?」
「ああ。私は冬にあげる」と若葉。
「へー! 若葉と冬子さんってどういう関係なの? 小学校・中学校の時の同級生とは聞いたけど」
「まあ、このメンツだから言うけど、ちょっとだけ片想いしてた」
「ふーん」
「冬と一緒の時に、婚約者でーす、なんて言っちゃったこともあるよ」
「へー!」
「まあ、方便で言っただけだけどね。それに私の冬に対する気持ちってのは女の子の恋人への片想いって感じなのよね」
「なるほど、やはりそうなのか!」
「冬のこと、男の子だと思ったことは一度も無いよ」
「ああ」
「でもさあ。冬をずっと見て来た私にも、和実って、女装男子ってのは嘘で元々女の子なんじゃないかって思えて。最初の頃かなり疑ってたよ」
「ああ、和実は完璧すぎるんだな」と梓。
「ふふふ」
 
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「梓はそれ誰にあげるの?」
「えへへ。秘密」
「今日会うの?」
「もちろん。クリスマスイブだもん。夕方18時に待ち合わせ」
「え−?さっきはシングルベルだって言ってた癖に」
「あはは、あれは公式見解。和実がよく使うやつ」
「ああ、和実も冬も公式見解が多い」と若葉。
「もう」
 
「私ね、今日ヴァージン捨てちゃうかも」と梓。
「頑張れ頑張れ。避妊具持ってる?持ってなかったらあげるよ」と和実。
「うん、大丈夫。持ってるよ。ありがとう」
「もししたくなくなったら彼氏に女性ホルモン飲ませるといいよ。あげようか?」
と若葉。
「いらん、いらん」
「若葉って色々危ないもの持ってるからなあ」と和実も笑いながら言う。
 
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「いいクリスマスになるといいね」
「うん」
 
若葉と和実で梓を励まして別れる。
 

若葉は中央線で神田へ、梓は山手線で池袋へ、和実は丸の内線で銀座へ。そして和実が丸の内線ホームで電車を待っていた時。
 
!!
 
和実はお尻を触られる感覚で驚き、振り向いてお尻を触った男の手をがっしり掴んだ。
「何するのよ!?  って岩田さん!」
「ごめん、ごめん。手が滑った」
 
それはエヴォンの常連客、岩田だった。
 
「痴漢として警察に突き出しますよ」
「あはは。勘弁勘弁」
「岩田さん、痴漢の常習犯じゃないでしょうね?」
 
岩田はしばしば店内でもメイドの肩などに触りたがるので、何度か『これ以上触ったら出入り禁止』などと、和実からも若葉からも言われたことがある。
 
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「まさかぁ。僕は紳士だよ」
「紳士はいきなり女の子のお尻に触ったりしません」
「まあ硬いこと言わないで。あ、そうだ。これはるかちゃんにプレゼント」
と言って、何か小さな包みを渡そうとする。
 
「お客様からそういうの頂いてはいけないことになってますから」
と和実は言うが
「ここは店外だからいいじゃん。実はさ、和実ちゃんの手術が無事終わったお祝いをあげたいと思ってたんだよ。でもなかなか渡せる機会が無くて」
 
和実はちょっとだけ心が緩んだ。包みの角がすれている。けっこう長期間岩田の鞄の中にあったのかも知れない。
 
「じゃ、今回だけは特別で。ありがたく頂きます」
「うんうん」
「開けていいですか?」
「うん」
 
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和実が包みを開けると、小さな古風なランプだった。
 
「それね、集光式なの。傘が太陽電池になってて、昼間明るいところに置いておけばエネルギーを溜めて暗くなると発光するんだよ。とってもエコ」
「へー!」
「点灯してから裏のボタンで設定している時間経つと自動的に消灯するけど、触るとまた点灯する。時間は30分から3時間まで調整できる」
「無駄に消費しないようにできてるんですね」
 
「はるかちゃんさ。よく東北に新生の灯りを点さなきゃって言ってるじゃん」
「はい」
「そのランプで少しだけでも明るくできないかなと思ってね」
 
和実は改めて岩田に礼を言い、そのランプを両手の掌に載せて微笑んだ。
 
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