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「あら、通ってくるというのはどこかのお偉い方?」
「まあ、そんなものですね」
「まあでもあんたたちもそれで15年くらい続いてるから偉いよ」
「あら、とってもご熱心なのね」
「はい」
と言って志摩は頬を赤らめた。夏衣は、この子、何て可愛い顔するんだと思った。長く離れて暮らしていたので意識していなかったが、この子、ほんとに女らしい。そもそもこうやって至近距離で入浴していて、男の臭いがしないじゃん!
「ところでこの雨、どのくらい続くのかしら」
と奥さんは言ったが
「3日降ります」
と志摩は答える。
「へー」
と言って奥さんはその時はその言葉を半ば聞き流していたようだった。
雨はきれいに3日降り続けてから、からっと上がった。
「志摩ちゃん、あんた凄い!」
と奥さんは感激して言った。
「ぜひ、この村に留まってくださいよ」
と熱心に誘われる。
「ねえ、あなた神社の近くにこの人たちの住まいを建ててあげましょうよ」
と村長にも言う。
「うん、建てよう。ぜひぜひこの村の住人になってください」
「そのお返事は明日でもよろしいですか?」
と志摩は言った。
だって、神様をまずはこの村に留めないとね〜。
志摩と夏衣のふたりで神社まで行き、光理(ひかり)と愛命(あめい)を呼び出した。
「ありがとうね。結構この雨で助かったみたい」
と志摩は二人に礼を言った。
「まあ、僕たちはもう少し激しく降らせたかったんだけどねー」
「小さな村だし、そのまま丸ごと流したら面白いだろうなと思ったんだけど」
「山を崩して全部埋めるのもありだと思ったね」
「でもそれやると、志摩に叱られそうな気がしたし」
「ふふふ」
「あなた方は神ですか?」
と夏衣は訊いた。しかし愛命(あめい)は答える。
「僕たちは『神』ではなく『神様』」
「どう違うの〜?」
「うーん。説明できない。志摩は分かるよね?」
「分かるけど、言葉では説明できないな。言葉で説明した途端、本当のこととは違うことになってしまう」
「まあ、夏衣ちゃんも、僕らと付き合ってればその内分かるよ」と愛命(あめい)。
「ね、光理(ひかり)、愛命(あめい)さん、もし良かったらこのままこの村に留まってくれたりはできないかなあ。私とお姉ちゃんもこの村に留まるから」
「そうだなあ。僕たちも結構あちこち旅して来たしね」と愛命(あめい)。「志摩がここにいるのなら、ずっと居てもいいよ」と光理(ひかり)。
「なんかそのお姉ちゃんの方もいじり甲斐がありそう」と愛命(あめい)。
「お姉ちゃん、本物の女の子だから、あまり荒っぽいことはしないでね」と志摩。「大丈夫だよ。志摩にも荒っぽいことはしてないと思うけど」と光理(ひかり)。
「私は空を飛び回るのとかは平気だけど、お姉ちゃんはそういうの苦手だから」
と志摩。
「空飛ぶのは楽しいのに」と愛命(あめい)。
「あ、でも光理(ひかり)がいつも志摩と仲良くしてるから、僕はお姉ちゃんの方と仲良くしてもいいかな?」と愛命(あめい)。
「ふたりで、僕たちの依代になってくれるといいよね。この村にずっといるなら、その方が色々しやすいし」
「お姉ちゃん、いい?」
「よく分からないけど、神様にご奉仕するなら構わないよ」
「でもさすが志摩のお姉ちゃん、美人だね」と愛命(あめい)は言う。
「でもこんなお姉ちゃんがいたの気付かなかった」
「お嫁に行ってたから。でも旦那が亡くなったんだよ」
「ふーん。僕はまだ1000年くらいは死なないよ」と愛命(あめい)が言う。
「愛命(あめい)はいつもそう言ってるね。さすがに僕は1000年生きる自信は無い。多分250年くらいだろうな」と光理(ひかり)は言う。
「面白い人たちね」
と夏衣は微笑んだ。つい数日前までしばらく男とは関わりたくないなどと言っていたのに、美形の愛命(あめい)を見て、すっかり気に入ってしまったようだ。
「私・・・夜のお供とかすればいいの?」
と夏衣が訊く。
「ああ。僕たち女の子とのマグワイは禁じられてるんだよ」
「一生に一度だけしていいんだけどね」
「だから僕も志摩とは一緒に寝るけど、単に抱き合って寝るだけだから」
「神様も不便なものよね」と志摩は言う。
光理(ひかり)と愛命(あめい)は自分たちがその神社に留まるための御神体を作ってくれるよう志摩に頼んだ。
志摩は光理(ひかり)から言われたことに従って、村長の協力を得て、神社の境内の奥のある場所を掘ってもらった。するとそこから地下水が湧き出てきた。
「おぉ!」
「この水、物凄く美味しい!」
志摩はここをこのような形に整備してください、と絵を示して村人にお願いし、湧き水の少し手前を低く整地し、水が2条の滝となって下に落ちるような形にした。滝の下は小さな池とし、そこから水路を作って、神社の外まで導くようにした。このあたりの作業は村人総出という感じで、一週間でやってくれた。
そしてこの2条の滝が、光理(ひかり)と愛命(あめい)の御神体となった。
最終的にこの湧き水からの水路は、100歩(ふ:1歩=約1m)ほど導いて、村長が管理している水田までつないだが、村長はこの水田約10反ほどを神社の水田(神田)として献上した。村人で共同で耕作し、収穫した稲を神社に奉納し、それでお酒や餅なども作り神前に献上した後、お祭りの時にみんなで頂くことにした。
むろんこの地下水は、水不足の時に非常用の水源としても活用されることになった。
また志摩は、この2条の滝の前に「祠」を2つ建ててもらった。志摩が子供の頃は珍しい存在であった祠も、最近では結構知られていて、村の大工さんも見たことはあるということだったので、細かい点を志摩に確認しながら建ててくれた。
志摩はその2つの祠に納めるべき鏡を天皇(*)におねだりした。天皇は快く応じてくれて、志摩に鏡を下賜してくれたが、2枚頼んだはずが、もらったのは3枚であった。志摩は首を傾げたが光理は「3枚必要になるんだよ」
と優しく言い、1枚はいったん地面の中に埋めて保管することにした。
(*.大海人王子:天武天皇は、それまでの国号「倭」を「日本」と改め、「大王」を「天皇」と改め、「王子・王女」を「皇子・皇女」とするなど大改革を行っている。それはまるで、新王朝でも建てたかのような改革である。天武天皇は自らを中国で漢王朝を建てた劉邦に擬していた風が伺える)
これがE村に常光水龍大神(光理:光龍)・常愛水龍大神(愛命:愛龍)が祭られるようになったきっかけであった。従ってこの神社の事実上の創始は673年癸酉年である。
初めはこの神社の御祭神は二柱神であったが、やがて692年(持統天皇6年)の壬辰年に、志摩の娘・瑞葉(みずは)と愛命(あめい)の間で最初の神婚が行われて翌年「神様の子」和加(和龍)が生まれ、若宮水龍大神が御祭神に加えられて、それ以降、この神社は三柱神体制となるのである。(3つ目の祠を建て、埋めて保管していた鏡を取りだして納めた。滝も三条に改造した)
なおこの時、志摩たちが作った神社の場所は、遥か後、平成の命(めい)や理沙の時代には、通称K神社、あるいは元宮と呼ばれるようになっていた場所である。元宮から後の本宮への遷宮は志摩たちの時代から約1000年後、鶴龍の時代に行われた。
また史季王女が住んでいた場所が後に神社の行宮(あんぐう)となり、それが平成時代には通称S神社と呼ばれるようになっていた場所で、そこはまた明治時代に命理が自分の寿命と生殖器を犠牲にして三柱神を再召喚した場所でもあった。
夏衣が前の婚家に娘を置いてきていることを話すと、愛命(あめい)は「引き取りたいね」と言い、《普通に人の目にも見える姿》に示現(じげん)して、上級公家かと見まがうばかりの服装で、夏衣を連れ、その婚家を訪れた。
そして自分たちが結婚したこと、ついては妻の子供を自分たちの子供として引き取りたいと申し入れた。
夏衣の義父母は愛命(あめい)の雰囲気に圧倒され、時々会いに行くことを条件に佐都の引き渡しを承諾した。引き渡しは戦乱の影響で遅らせていた佐都の成人式を行った後ということにした。
この成人式はこの婚家のある村、つまり志摩たちが住んでいたK村で行われた。都に行っていた志摩たちの両親・兄たちの家族も戻ってきて、愛命(あめい)の「親族友人たち」と称する大量の貴人たちも出席して凄まじく盛大な成人式と宴が執り行われた。
「夏衣ちゃんの新しい夫君って、どこの大臣様?」
などと志摩は村人に尋ねられて苦笑した。
愛命(あめい)側の「親戚友人たち」として出席したのは、あちこちの神様たちばかりである。おおっぴらに示現して人間の振りができるというので、神様たちも楽しんでいた。お酒を飲み過ぎて酔いつぶれる神様も続出する。K村の守り神の女神様まで示現して出てきて
「これ、何の騒ぎ〜!?」
と言って絶句していた。これだけの数の神様が一箇所に集結するというのは、毎年10月の出雲での神様会議の時を除けば、そうそうあることではないらしい。
そういう訳で、佐都は志摩や夏衣たちと一緒に暮らすようになった。村長はE村の神社の敷地に隣り合う杉林に、少し木を切って場所を確保し、その切った杉を利用して、土間(台所)と板間3間の家を建ててくれた。3間というのは、光理の要求に基づくものだった。(この時代は「畳敷き」の部屋はまだ使用されていない。畳はクッションのようなものであった)
遺伝的なものであろうか。佐都にも、光理(ひかり)と愛命(あめい)の姿が見えた。そして母親より冒険好きであった。
佐都はしばしば光理(ひかり)と愛命(あめい)の「お散歩」に、「あんな怖いこと二度と御免」などと言う夏衣に代わって付き合っていた。
「今日は北州島(北海道)を見て来たよ。凄い広くて感激した。この時期に高い山(大雪山系)には雪が積もってたんだよ。きれいだったなぁ」
などと楽しそうに言っていた。ふたりと付き合うことで佐都は霊感が鍛えられている感じもした。
元気で明るい上に美人とあって、佐都に言い寄る男も多かったが、佐都はめったに手紙の返事は出さなかった。
「だってあと5年くらいは、娘時代を楽しまなきゃ」
と佐都は言っていた。
「でもあんた、あまりゆっくりしてると、行き遅れるよ」
と夏衣は心配する。
「まあ、行き遅れたら、お母ちゃんの後釜で愛命(あめい)の奥さんにしてもらおうかな」と佐都。
「あら。だったらあんたがお嫁に行けるのは80歳くらいだね。私、100歳くらいまで生きるつもりだから」
と夏衣も返していた。
光理(ひかり)や愛命(あめい)は、特に意識して人間体を示現しない限り、ふつうの人の目には見えないので、村の多くの人は、姉妹と姉の娘の3人暮らしと思っていたようであった。
「まあ少なくとも姉弟とは思われてないよね」
「なんか余計な気遣いが無くていい。前の村では一応女に準じて扱われていても、どこかで男と思われている部分があったから、それが壁のように感じられた」
「もしかして光理さんに、男っぽくならないようにしてもらってたの?」
「ふふふ」
女ばかりの暮らしでは色々大変でしょうと手伝ってくれる村人も多く、光理(ひかり)や愛命(あめい)たちが、家のこと自体にはほとんど関心が無い分、助かっていた。畑で取れた作物や狩猟の獲物などもしばしば持ち込んでくれるので、食べる物にも困らずに済んだ。
一応三人は協力して分けてもらった田畑を耕して暮らしてはいたが、やはり女三人で作れる作物には限度がある。また家の中に棚を作ったり、また農機具の補修などは女の手には余った。(志摩は本来男の子ではあったが、こういう方面はまるでダメだった)
村人たちにとっては、強い霊力を持っている志摩たちを助けることで、結果的に御利益(ごりやく)を受けられると考えていた。
志摩はこの村でもしばしば村人の相談事に応じ、失せ物を見つけたり、病気の回復を祈ったりしていた。志摩はもちろん全ての病人を助けられた訳では無いが、危篤状態になっていたのを、遠くの村に行っている子供が戻ってくるまで持たせたりということもし、多く感謝されていた。
また元住んでいた村からもしばしば重要な相談事を持ち込まれ、そちらの解決にも当たった。それで、志摩が生きていた時代に、このふたつの村では悲惨になるほどの災害なども起きなかった。台風や地震などが来ても、このふたつの村は被災が比較的軽く済んでいたのである。
更には都の天皇や皇后からも、しばしば腹心の特使が来て手紙のやりとりで相談事を受けていた。特使は農民のような姿に変装して来てくれていたので、村人はまさかそれが天皇の特使とは思ってもいなかった。若い頃の藤原不比等なども特使をしていた時期があったが、不比等などは結構な権限を与えられていたので、志摩と不比等はかなり突っ込んだ話し合いもしていた。