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「ね、ね、志摩さ。おっぱい欲しくない?」
「ふふ。私より、ひかちゃんが私のおっぱい欲しいんじゃない?」
「じゃ、付けちゃっていい?」
「うん、私も大人の女になったし。おっぱいくらい無いと恥ずかしいかな」
「じゃ付けちゃおっと。大きさは僕の好みでいいよね?」
「お任せしますわ、わが背(せ:夫のこと)」
その次の瞬間、志摩は胸に物凄い重量感を感じた。
「どうしたの?」
「これ重いよぉ」
「まあ、慣れると平気になるよ、たぶん」
「そうかな」
「じゃ、寝ようか」
「うん」
ふたりは抱き合って寝具の中に入った。
光理(ひかり)は「時が来るまで」男性機能が封印されている。志摩には女性機能が無い。だからふたりは抱き合うだけなのだけど、志摩はとても幸せだと思った。
志摩の部屋に頻繁に男性が忍んできていることに、両親は気付いた。しかし両親はどうしてもその男性の姿を見ることができなかった。
(光理は堂々と玄関から出入りしているのだが両親には見えないのである)
「最近、お前の所に殿方が来ている気がするけど、同じ人?」
「同じ人だよ。私、浮気性じゃないし。今はもう他の男の人からの文には返事はしないようにした」
「そのお方、どういう方なの? 一度挨拶させて」と母は言った。
「ごめーん。あまり公にできない人なの」と志摩は答えた。
それで志摩の両親はどこぞの貴人、恐らくは皇族か大臣、あるいは大豪族クラスなのではと思ったようであった。きっと多数の妻がいる故に、ひとりくらいはこういう妻がいても構わないのだろうと両親は解釈したようであった。
「その人とは確かに契っているのね?」
「私、契る機能が無いから、普通の男女がするようなことはできないんだけどね。でも私とあの人との間では、契っているのに等しい気持ちだよ」
「じゃ、お前の夫ということでいいのね?」
「うん。そういうことにさせて」
と志摩は少しはにかむようにして言った。
それで両親はふたりの仲を認めてくれた。
数年間平和な時が過ぎていった。志摩がこの神社の巫女をしていた間、特に旱や台風などの被害もなく、豊作が続いていた。この時期、日本で初めての戸籍が作られたが、戸籍に登録する際、志摩の父は志摩を女として登録した。
志摩のふたりの兄の所にはそれぞれ子供が男の子2人ずつ出来たが、夏衣には女の子が一人(佐都:さと)できただけであった。昔は結婚して数年経っても男子ができないと離縁されてしまうことも多かったが、夏衣の夫は「自分は夏衣が好きだから」と言って離縁したりはせずに、大事にしてくれていた。
671年。中央の政界で大きな動きがある。病に倒れ死期を悟った大王(天智天皇)は、後継者として自分の息子である大友王子を立てようとし、最大のライバルである弟の大海人王子(おおあまのみこ・後の天武天皇)を排除しようとする。危険を察した大海人王子は先手を打って「私は大王の病気平癒を祈るため出家します」と称し、頭を丸めてごく僅かの側近や后(後の持統天皇)だけを連れて吉野に隠棲する。
中央政界から超大物がやってきたことで、吉野の里もにわかに殺気を帯びた雰囲気になり、村人たちも浮き足だった。実際大王が放った刺客がしばしば吉野宮を急襲したようで、大海人王子を守護する舎人(とねり)に倒され、死体がしばしば山中に打ち捨てられていた。争いの巻き添えになり命を落とす村民もあった。
そしてその年の12月3日。大王(おおきみ)はお崩(かく)れになった。次の大王の地位を巡り、大友王子と大海人王子の間に明確な対立が発生する。戦乱は避けられないという空気が流れ始めていた。
2月。志摩は吉野の宮に召された。近くの村に優秀な巫女がいると聞き、お呼びが掛かったのであった。
御簾(みす)が降りている。その向こうに貴人が居る雰囲気である。取次の者が志摩に「王子(みこ)様の今後を占え」と言われた。
志摩は持参した筮竹を使い易を立てた。
「風火家人で変爻は五爻のみでございます。王は家にありて吉です」
「動く時ではないと申すか?」
「今は動く時ではありません。しかしやがて動く時が参ります。之卦(しか)は山火賁。山の下に火が燃えましょう」
「それはいつか?」
と取次の者は志摩に問うたが、御簾の向こうの貴人から「待て」という声が掛かる。何か話している。
「しかし・・・」
と取次の者は抵抗しているが、やがて「分かりました」と言って、
「王子(みこ)様がそなたとふたりだけで話したいと申されている。我々はしばらく離れている」
と言い、控えていた舎人(とねり)・采女(うねめ)たちも促して部屋から出て行った。志摩はむしろその舎人や采女たちの中に間者(スパイ)がいることを懸念したのではないかと思った。戦争は情報戦でかなりの部分が決する。近江朝も大海人王子側もお互い相当間者を潜入させているハズである。
御簾を開けて、僧形の貴人が姿を現した。
「そなた、美しいな。年はいくつじゃ?」と貴人は訊いた。
「29歳にございます」と志摩は答える。
「まだ22-23歳に見える。ん?そなた・・・もしや男か?」
「はい。よくおわかりで」
志摩は初対面の「人」に性別を見破られたことは無かった。この王子、結構な霊感があるなと志摩は思った。
「声変わりしていないのか?」
「神の思し召しのようでございます」
「ヒゲは生えるか?」
「生えません」
「お主・・・・胸があるような」
「はい。ございます。波斯(はし:ペルシャのこと)由来の秘薬のお陰です」
胸について人から聞かれたらそう答えろと志摩は光理から言われていた。実際に胸を大きくする秘薬は存在するらしい。
「面白い。お主が女ならば私の更衣にでも欲しい所だが、男では仕方無いな」
「お傍に仕えられる若さではございませんので」
と志摩は微笑んで答える。昔は女御や更衣といった大王の夜の相手をする女は24-25歳で御役御免である。
「ふふふ。まあ、よい。私が活路を見いだすのはどの方角だと思うか?」
志摩は静かに式盤(ちょくばん)を回して見定める。
「東の方位にございます」
と言った時、志摩の脳裏に、いつか光理(ひかり)たちと行った二見浦の風景が唐突に再生された。
「ここから東方に行かれますと、古(いにしえ)に倭姫命(やまとひめのみこと)が開かれました神宮がございます。そこで王子(みこ)様は御加護を得られますでしょう」
と志摩は言った。半分は自分の意志ではなく。何かにしゃべらされている感覚だった。
「東か・・・なるほど。いつがよいと思うか?」
志摩は式盤を見ながら答える。
「王子(みこ)様は大津の宮から南方の吉野にお越しになられました。これによって既に南の方位を表す五行の火の属性をまとっておられます。王子(みこ)様はこの方面に詳しいと伺っておりますし、私が今動かしている式盤もちゃんと読んでおられるようなので、説明の必要もないかも知れませんが、火剋金。赤をもって白を制する。金は西の方位です。そして火は夏の気でございます故、立夏すぎから内々の準備、夏至の頃から本格的な準備をなさるのがよろしいかと。しかし、火の気が強すぎる内は行動が目立ちます故、実際に御自身が動かれるのはむしろ土用を過ぎてからがよいかと」
「今年の立夏、夏至と土用はいつじゃ?」
志摩は暦を確認する。
「立夏は4月2日、夏至は5月18日、土用は6月16日にございます」
「ふむ。ところで、こういう機密に関わる話をして、お主生きて帰れると思うか?」
と王子は言う。試すような口調だと志摩は感じた。
「王子(みこ)様が私に手を掛けられるのでございましたら、それも運命でございましょう」と志摩は静かに答えた。手に掛けられるものならね〜。
王子の言葉に志摩はそばで姿を隠して待機している光理が緊張するのを感じた。しかし王子はその光理の緊張を敏感に感じ取ったような顔をした。この人は本当に霊感が強いようだ。女に生まれていたらきっと斎宮になっていたであろう。
「お主、もし大友に召されていたら、大友に有利な話をしたか?」
「託宣を求められた方のために必要なことを言うのが巫女の務めでございます」
「では大友に訊かれたら、どのようなことを言ったか話してみよ」
「それは太政大臣殿(大友王子)にしか申し上げられません。巫女は相談された方の秘密を守る義務があります。それを犯せば、直ちに神罰が下り、私の命は無くなるでしょう」
「面白い奴だ。下がって良いぞ」
「はい。では失礼致します。ご武運を」
「うむ」
王子が取次の男を呼ぶ。
「この巫女に充分な謝礼をして、安全に村までお届けしろ。万が一にもこの巫女に禍がある時は、私の命脈も尽きるであろう。このお方は私の守り神じゃ」
男は王子の言葉に「御意」と答え、腹心っぽい男に、更に人夫を付け、大量の絹・布・酒などを持たせて、志摩を村に送り届けてくれた。(この時代にはまだ「貨幣」は存在しない。貨幣ができるのはこの半世紀ほど後であり、当時は絹・布や塩・米などが貨幣に準じるものであった)
帰り道、王子との会見の間もずっと姿を消したまま傍に付いていてくれた光理(ひかり)と志摩は密かに手を握り合った。
志摩の身を案じていた両親や禰宜・村長たちは無事に戻って来た志摩を見てホッとした。
夏、大海人王子は挙兵した。古代の天下分け目の決戦、壬申の乱である。
王子はこの吉野の里でも兵を集めた。
「志摩、この戦いはどちらが勝つ?」
と父は訊いた。
「大海人王子が勝たれるでしょう」
「だったら、わしは大海人王子に荷担するぞ」
「父上がそのおつもりのようだというのは感じていました。どうかご無事で」
「うん」
父は志摩のふたりの兄、都利・久真を連れて大海人王子の軍に参加した。夏衣の夫もまた別途参加した。
4月の内に王子を支援してくれる勢力がいる美濃との連絡は取れていて、向こうでも密かに武器が目立たないように集積場所を分散して集められていた。そして土用が過ぎた6月24日、一行は東に向けて移動し始めた。都を攻めるので当然北上するのだろうと思っていた兵士たちは驚いたが、王子の一行はいったん東に出て、伊勢の鈴鹿方面に抜け、神宮の方面を見て戦勝祈願をした。更に北上して美濃から来た軍勢と関ヶ原付近に集結する。そして西に向かって攻める形で大津宮の勢力と激突した。
激しい戦いであったが、大海人王子の軍は志気が高く比較的統制が取れていた上に、同士討ちが発生しないように兵たちに(火の象徴である)赤い布を付けさせたこともあり、やがて勝利。大津宮は落ちて大友王子も倒れた。しかし大海人王子は大津宮は無視して古い飛鳥の岡本宮(斉明天皇が使用した宮)に入り、そこで新体制を築いた。
結局大津宮(近江朝)は天智天皇一代のみで終了した。
志摩の父とふたりの兄はこの戦役では無事でかすり傷程度で済み、戦功により新政府の役人として取り立てられた。しかし夏衣の夫は亡くなってしまった。
夏衣が泣いているのを志摩は慰めるすべも無かった。ふたりがとても仲良かった故に、その悲しみもまた大きいのであろう。
父が村に戻ってきて言った。
「大王(大海人王子)が志摩に褒美をくださると言っている。一緒に都に来ないか?」
恐らく大王は自分を「お抱え占い師」のような存在にしたいのだろうと感じた。しかし志摩は中央の政府にはあまり関わりたくない気分だった。
「私はあくまで民間の巫女。大事な託宣は伊勢の神宮をお使いになるよう申しあげて頂けませんか? 私は山中で、父上・兄上たちの平穏と繁栄、新しい大王の幸運を祈願します。ご褒美は父上が代わりに受け取ってください」
「そうか。確かに権謀術数の渦巻く都は、お前のような純粋な者には辛いかも知れないな」
そう父は言った。
ただ実際にはその後もしばしば大王は志摩に腹心の特使を派遣して手紙で色々な物事を相談してきてそれに対して志摩も手紙でお返事を書くということをして、志摩と大王、更にはその皇后であった讚良皇女(さららのひめみこ:持統天皇)、更にその妹の阿閇皇女(あへのひめみこ:元明天皇)との交流は長く続くことになった。志摩が亡くなるのは元明天皇が亡くなった翌々年である。
「ところでお前の夫君は、この戦乱ではどちらに付いたのだ?」
と父は訊いた。
「どちらにも付いてません。中立です」
「そうか。ご無事であったか?」
「ピンピンしてる」
と言って微笑む。志摩はつい数日前にも「夜の散歩」に付き合わされて、遥か西方、筑紫の壱岐という島まで行ってきたところである。(「夜」の散歩と言われたのに、さすがに筑紫までの往復は2日がかりであった)
「それは良かった」
父は姉の夏衣を志摩の元に残して「志摩とふたりで助け合え」と言い、両親と兄2人(およびその妻子)とで都へと出て行った。
父としては夏衣に「志摩のお世話係」という仕事を与えることで、立ち直れるようにしようと配慮したのである。
夏衣は自分の娘、佐都を義母に預けて実家に戻って来ていた。夏衣の夫が居たからこそ離縁されずに済んでいた状態だったので、夫の死によってそちらの家とは事実上縁が切れてしまったようであった。娘と引き離されたことも、また夏衣の心を沈ませていた。