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「すみません。だったら、私がこの家に置きっぱなしにしてる和服、引き上げますから」
と千里。
「ああ、少し広い所に引っ越したんだったね」
「今までの1Kでは収納不能だったから、ついこちらに置かせてもらっていたんですけどね」
(本当はこの家があまりにも良くない場所に建っているので雑霊が寄ってこないように、千里の気配がある和服をわざとここに置いていたのである。また千里は眷属たちに命じて定期的に“クリーニング”をさせている)
「でもお母さん、どこに引っ越すんですか?」
と羽留が訊く。
「今考えているのは、桶川なんだけどね」
「へー!」
「実は私が生まれた土地なんだよ。もう生まれた家とかは残ってなくて今はスーパーが建ってるけど」
「桶川ならうちと近くですね」
と千里(浦和)。
「亜矢芽の住んでいる所とも近い」
と太一。亜矢芽は新しい夫と一緒に、今熊谷市に住んでいる。
「もしかして、由美の住んでる浦和と翔和の住んでる熊谷のちょうど真ん中に住もうという魂胆なのでは?」
と太一が指摘する。
「うふふ。亜矢芽さんの旦那さんが優しい人で良かったわ」
と康子は言う。
「桶川なら、うちにも近い」
と羽留。
確かに桶川なら、波留と幸祐の住んでいる久喜にも近いなと千里は思った。
桶川から久喜までは圏央道ですぐだ。免許を取ったのも、幸祐に会いに行くのが目的ではないかという気がした。3人の孫の中で、実際問題として康子がいちばん気兼ねなく会いに行けるのは幸祐のようである。しかし、桶川からは、翔和のいる熊谷と由美のいる浦和へは高崎線で20分、幸祐のいる久喜へも圏央道で20分で行ける。孫たちに会いに行くための場所として最高のロケーションである。
「家も買うんですか?」
「うん。マンション買おうかと思ってる。ここを立ち退くのにもらう補償金で」
「一戸建てはやはり年取るとメンテが辛いですよね」
「そうなんだよねー。若い人が一緒に住んでくれてたら何とかなるんだけど」
「すみませーん」と千里。
「ごめーん」と太一。
「太一、保証人にだけなってくれない?年寄りひとりで保証人が無いと契約してくれないんだよ」
「うん。それはOK。契約する時呼んで」
しかし信次との想い出がまた1つ消えてしまうんだなと千里は思った。
法要が終わった後、帰ろうとしていた時、太一が千里の乗ってきたセリナを見て言った。
「千里さんの車、チャイルドシートが3つも取り付けてある!」
「あと1人までは増えても大丈夫かな」
と千里。
「それ以上増えたらマイクロバスが必要かもね」
と康子。
「これ以上増えたら、私はもう保母さんですね」
と千里は面白そうに言った。
青葉が仕事で東京に出て来たので、こちら(浦和のマンション)にも顔を出してくれた。
早月と由美は、青葉と昨年随分一緒だったので、結構じゃれついていたが、京平がもじもじしているので
「京平君、こんにちはー。久しぶりだね」
と声を掛ける。
「青葉おばちゃん、こんにちは」
と京平も挨拶したが、少し怖がっている感じ?
「だいじょうぶだよ。取って食ったりはしないから。京平君、稲荷寿司とか大好きでしょ?」
「うん。ボク大好き!」
「京平が来てから週に1回は稲荷寿司作ってるよな」
と桃香が言うと、千里は優しく微笑んでいた。
「でもこのマンション凄いね」
と青葉は言った。
「何が凄いの?」
と桃香が訊くと
「絶妙な風水バランスの場所に建っている」
という。
「ほほぉ、さすが千里が選んだだけのことはある」
「地震とかで危険な断層からも離れているし」
「そういうの私、全然分からないなあ」
と千里が言うと
「ちー姉、素人を装うのは今更やめようよ」
などと青葉は言った。
千里も笑っている。
「でもまあ、千葉の川島家は風水ひどかったね」
と千里は言う。
「あ、そうなの?」
と桃香。
「桶川の新しいマンションは風水良好だよ」
「千里、お母さんのマンション選びに付き合ってたね」
「うん。お母さんの運気、きっと上がる」
「ほほぉ」
「私も気付いたのは去年の夏頃なんだけどね。あそこは、川のカーブの内側、T字路の正面、周囲から1段低い土地、玄関の真正面に電波塔があった。あんなに悪い土地を見つけるのも難しい。霊道は通ってなかったけどね」
と千里は言ったが
「霊道は通ってたんだよ。私が最初にあの家に行った時に気付いて動かした」
と青葉が言う。
「あ、そうだったんだ!」
「当時は千里は霊感を失っていたから気付かなかったんだな」
「なんかお母さんも、言ってたんだよねぇ。あの家に居るとなんか落ち着かないから、それで厳蔵さんと結婚した後、それまで行ったこともなかったカルチャースクールとか行くようになったって、華道と着付けの免許まで取って。お陰で今はお花の先生で食べて行ってるんだけど」
「あの家は厳蔵さんが買ったの?」
「そうそう。1985年頃に600万円で買ったらしい」
「あんな市内なのに?」
「有り得ない!」
「今思えば前の奥さんが息子2人を虐待するようになったのも土地のせいだったかも知れない気もするんだよ。ああいう土地は人の神経をおかしくするんだよね。それに源蔵さん、ブラックマンデーの時、株で数億円失って、その後、会社もうまくいかなくなって倒産したというし」
「数億円の資産を持っていたのに、そんな異様に安い土地を買うのは問題がある」
「何でも安ければいいという人だったらしいよ」
「うっ」
と桃香がギクッとしたような声を挙げる。
「桃姉とちー姉が大学生・院生の頃暮らしてたアパートも酷かったね」
と青葉。
「でもあれは強制改良したから」
と千里。
「あそこ何かしてたの?」
と桃香。
「まあ何もしなきゃ人が住めない場所だったよ」
と千里。
「ああ、やはりちー姉がしたんだったんだ?」
「ふふふ」
「ちー姉たちが出てから半年後にあそこ火事で全焼したからね」
青葉は彪志のアパートに滞在しているのだが、近くなので結構顔を出した。
「ちー姉、ごめーん。私今月中に2曲書いて山下先生(スイート・ヴァニラズのElise)に送らないといけないんだけど、無茶苦茶忙しくて」
とある日青葉が言った。
「いいよ。私が大宮万葉っぽい感じで書いて送っておくから」
「ごめーん。よろしくー」
と言って青葉は千里に歌詞を書いた紙を2枚とメモリーカードを渡した。
「ああ、作詞は岡崎天音さんか」
「まあ、だいたい彼女の詩につけることが多い」
「あの人は信じがたい多作だからなあ」
などと会話をしていたら桃香から質問が入る。
「青葉が大宮万葉だというのは知っていたが、千里は何という名前で曲を書いているんだ?」
「私は実はゴーストライターが主なんだよ」
「ほほぉ」
「いろんな作曲家の名前でその人っぽく曲を付けるのが私の得意技」
「へー!」
「というか、ちー姉は、本人より、本人っぽい曲を書くよね」
「うふふ」
「ゴーストライターさんには、作曲料をもらうタイプの人が多いけどちー姉は基本的に印税方式でしか受けないしね」
「うん。だいたい名前をクレジットする人と印税山分けにする。それから無名な作曲家のゴーストはしない。年間400万円程度以上稼いでいる人からしか受けない。でないと、それが突然ヒットした時に、絶対揉めるし、その本人が自力でその後の楽曲品質を維持できないんだ。私は基本的に、ずっとその人のゴーストを続けるということもしないから。でないと、私がその名前の主体になっちゃうから」
「そのあたりもよく分からんな。自分の名前では書かないの?」
「自分の名前で書くのは、醍醐春海とか鴨乃清見といったところかな」
「うっそー!?」
青葉は桃香−千里家の3人の子供を並べて言った。
「よくよく見ないと分からないけど、ほんとにこの3人、兄妹なんだね」
「分かる?」
と千里。
「桃姉のこどもが2人・ちー姉のこどもが2人」
「ふふふ」
(早月と由美は桃香の子供、早月と京平は千里の子供である)
「すごーく昔に、私、ふたりの子供の人数をそう予言した記憶があるけど、その通りになってる」
「まあ、青葉の予言能力も大したもんだよ」
と千里。
(もっとも実は桃香の子供はあと2人、小空・小歌がいるし、千里の子供もあと緩菜がいる)
「すまん。その人数の数え方が分からんのだが」
と桃香が言うが
「気にしない方がいいよ」
と青葉は笑顔で言った。
8月26日(水)大阪に住む阿倍子が京平に会いにやってきた。晴安に車で送ってもらったらしい。子供たちは大阪に留守番である。晴安はホテルで待機である。せっかく東京に来てもどこかで遊んだりはできない。SAとかのレストランに入らなくてもいいように、ちゃんと往復分の食料を持って来たという話だった。
しかし阿倍子と京平は、結婚式以来、半年ぶりの再会である。この日は会うなりふたりとも泣いていた。
「ごめんねー。なかなか会いに来られなくて」
「ぼくだいじょうぶだよ。にんじんもたべられるようになったし」
「おお、偉い!」
京平が幼稚園の制服を持って来て、早速その場で着てみせると、阿倍子がまた涙を浮かべていた。ふたりを並ばせて、桃香が写真を撮ってあげた。
取り敢えずお茶を入れて、阿倍子が大阪で買って来たシュークリームを頂く。
「ぼくこのシュークリームだいすき」
と京平はご機嫌だし、早月も
「おいしい!」
と喜んでいる。由美はクリームと格闘しているが楽しそうである。
「でも阿倍子さん、ちょっと顔色が悪い。大丈夫ですか?」
と千里が言ったのに対して、阿倍子は驚くべき発言をする。
「実は、つわりが酷かったもので。それでなかなか来られなかったんですよ。なんとか落ち着いてきたのですが」
これに対して桃香は
「おお、おめでたですか!」
などと明るく答えたが、千里は悩んでしまった。