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「え〜〜〜!?私『きよしこの夜』を弾かなかったっけ?」
などと鐙さんは言っていた。
「『もろびとこぞりて』だったじゃん」
と小野部長。
「待って待って。『きよしこの夜』ってどんな曲だっけ?」
「ソーラソーミー、ソーラソーミー、レーレシー、ドードソー」
と部長は歌ってみせる。
「『もろびとこぞりて』は?」
「ドーシラソーファ、ミレド、ソラーラシーシド−」
「あぁぁぁ!」
と鐙さんはやっと気付いたようである。
「まあ練習の時は、『きよしこの夜』『ジングルベル』『もろびとこぞりて』と3曲やってたし」
と深谷さんが言っている。
「直前に『きよしこの夜』にすることになったからね」
「ごめーん。全然気付かなかった」
と鐙さんは言っていた。
そういう訳で鐙さんの最初で最後のライブ伴奏では思わぬ曲の取り違えが発生したのであった。
「コンクールでなくてよかったね」
「コンクールなら失格だよね」
「私、伴奏者に向いてないのかも」
と彼女が少し落ち込んでいるようなので
「まあ色々経験して少しずつ度胸がついてくるんだよ」
「いやおとなのライブでも曲の取り違えはけっこう起きる」
「メロディーの似ている曲と勘違いすることってわりとある」
「なんか出だしが似てる曲とかあるよね〜」
「いや、まるごとそっくりの曲も」
「それはパクリというやつだな」
「***の###と$$$の%%%は似てる」
「@@@の〒〒〒と£££民謡の&&&&はそっくり」
「伏せ字ばっかり!」
「いや、差し障りがありすぎるから」
「似たタイトルの名前の曲と勘違いすることってのもあるらしい。うちのエレクトーンの先生、お客さんから『真珠採り』をリクエストされたのに勘違いして『真珠貝の歌』を演奏してしまったことあると言ってた」
「『長い間』(Kiroro)とリクエストされて『長い夜』(松山千春)を弾いてしまった人なら知ってる」
「似た名前の曲もあるけど同じ名前の曲も多い」
「『さよなら』とか『ありがとう』なんて曲は多分数十曲ある」
父が乗っている船は12月29日(金)に漁港に戻って来ると、次の一週間はお休みで、その次は1月8日(月)の初出港ということであった。それで父は30日(土)から7日(日)まで自宅に居た。
千里はその期間、家にいると父からあれこれ言われそうなので逃げるように神社に顔を出したり、蓮菜の家に遊びに行ったりしていた。神社では初詣に向けて御守りの制作などもあったので、千里が来てくれるのは歓迎であった。
12月31日、父はみんなで温泉に行こうと言い出したが、千里は今男湯には入れない身体なので、小春に美輪子を装って電話を掛けてもらった。
「美輪子おばちゃんに呼ばれて、ちょっと旭川まで行ってこないといけないんだよ」
「それなら仕方ないな。じゃ旭川に行ったらそのついでに酒屋さんで男山を買ってきてくれ」
「分かった」
ということで千里は留萌駅で1人おろしてもらった。温泉には父母と玲羅の3人で行った。
千里は美輪子に電話した。美輪子は笑って
「だったら、留萌のお土産に黄金屋のケーキをいくつか買って来てよ。お金も交通費もあげるから」
「ごめーん!」
それで千里は駅から10分ほど歩いて黄金屋というわりと最近出来た菓子店に行き、適当に洋菓子を買ってからまた留萌駅に戻り、年末で混雑している列車に乗って旭川に出た。
千里は旭川に行くと、まずドラッグストアに行ってナプキン昼用を1袋買った。千里は実は昨日2度目の生理が来ていたのだが、前回の初めての生理の時にナプキンを使いすぎたので、残りがもう少なくなっていたのである。
「この昼用でもだいたい3時間くらいは大丈夫だよ」
と小春は言った。
「そうなの?」
「実際あまり入ってなかったでしょ?」
「うん。でもなんか不安で」
「念のため生理用ショーツを買っておこうよ。万一の場合もそれでもちこたえるし」
「うん」
それで生理用ショーツも3枚買っておいた。
その後で美輪子の家に行く。
ここは千里が中学に入ってから頻繁に訪れるようになり、高校時代下宿させてもらった2SDKのアパートではなく、美輪子が大学生時代の4年間使用していた1Kの小さなアパートである。美輪子はH教育大旭川校に通っていたので、ここは実は千里が後に通うことになる旭川N高校の近くでもあった。実際千里は行く途中で可愛い制服の女子高生たち(部活か補習に行くのだろうか)を見て
「あんな制服着られたらいいなあ」
などと憧れの目で見ていた。
なお、美輪子が札幌の親元から離れて旭川の大学に進学したのは、美輪子が取りたい教諭免許のコースがH教育大札幌校では開講されておらず旭川校か函館校に行かなければならなかったからである。もっとも理由の8割くらいは親元から離れたかったからで、実はわざわざ札幌校で開講されていないコースを取ったのである。
アパートの呼び鈴を押す。
「こんにちは」
「いらっしゃい」
「これ黄金屋のケーキ」
「おお、お茶入れよう」
それで美輪子が紅茶を入れてくれたので一緒に頂く
「美味しいね!」
「ここのケーキはなかなか良いと思うよ」
食べながら、千里は今日こちらに来た理由を正直に語った。
「私、自分は女の子だという気持ちを持っているの。だから男湯には入りたくなくって」
「それで温泉から逃げるのに用事を作ったのか」
「おばちゃんの名前を勝手に使ってごめんね」
「いいよいいよ、そのくらい」
と言ってから、美輪子は尋ねた。
「夏休みにたしかキャンプ体験とかしてたよね?その時、お風呂はどうしたの?」
「あれは色々偶然の作用もあったんだけど、あの日キャンプ場には一般のお客さんもたくさんいたからさ。入浴時間が、一般男性→N小男子→N小女子→一般女性と分けられていたんだよ。私は他の女子と一緒にお風呂の前まで行ったあと、用事があると言って別れて、N小女子が終わった後、一般女性の入浴時間帯に入った」
「女の人たちと一緒に入ったんだ!」
「私、女の人と一緒にお風呂入ってもバレない自信あるよ。でも同級生たちとかは私のこと知ってるから、変に思うでしょ?」
「変に思うというか、悲鳴をあげられるかもね」
「でも男の子たちと一緒には入りたくないもん」
「あんた、それこれから高校卒業するまで何度も苦労するよ」
「仕方ないと思う」
「まあおとなになったら、性転換手術受けて女の身体になってしまえば、もう堂々と女湯に入れるようになるけどね」
「性転換手術・・・・」
「あと今はまだ小学4年生だから、おっぱいが無くても怪しまれない。でも中学生くらいになったら、おっぱいがないと、女湯に入るのは難しいよ。いくらあんたがうまく女の子的な雰囲気を醸し出してもね」
「おっぱいかぁ・・・・大きくならないかなあ」
「豆腐とか、納豆とか、大豆製品をたくさん食べると、大豆の中にイソフラボンと言って、女性ホルモンに似た物質が入っているから少し女の子らしくなれるかもよ」
「私納豆毎日食べます!」
「うん、頑張れ」
と美輪子は優しく言った。
この日は生理2日目なのでナプキンを使用している。トイレに立った時に交換をして、使用済みのものは小春に処分してもらったのだが、千里はうっかり新しいナプキンの外装フィルムをトイレに落としてしまったのに気付かなかったようである。
千里の後でトイレに入った美輪子から言われた。
「千里、ひょっとしてナプキン使っているんだっけ?」
「あ、うん。今日は2日目なんだよ」
「ふーん。そうか千里もとうとう生理がきたのか」
と言って美輪子は笑っていたが、千里は“生理ごっこ”でもしているのだろうと思われたかな?という気がした。しかしこれを笑って済ませてくれるのが美輪子の寛容さである。
せっかく旭川に出てきたから、面白い所に連れて行ってあげるよと言い、美輪子はまず商店街に連れ出して洋服屋さんで千里に合うスカートを買ってくれた。
「嬉しい。。。スカート買ってもらったの初めて」
「まあ懐具合が暖かかったからね」
「でも本当に大丈夫?」
「実は千里の母ちゃんから、お父ちゃんのボーナス出たから少しお裾分けと言って5万もらったんだよ」
「へー!」
「だから心配しないで」
「分かった」
「それとこのこと、千里のお父ちゃんには内緒でね」
「いろいろ大人の事情があるのね?」
「そうそう」
美輪子の生活費は、奨学金、バイト代に、兄(清彦)からの送金、そして不定期に津気子が送ってあげるお金でまかなっているらしい。姉の優芽子もたまにお金をくれることもあるが、専業主婦である優芽子の立場では定期的な送金は難しいようである。
美輪子が連れて来てくれたのは菱川写真館と書かれたお店である。
「私の同級生のお父さんがやっている写真館。ここでお正月の写真を前撮りしてくれるんだよ。だから千里、女の子の服を着て写真を撮るといいよ」
「わぁ・・・」
美輪子が
「こんにちは〜」
と言って入って行くと、カウンターの所にいた女性が
「いらっしゃいませ。すみません。今日はもう閉めるんですが」
と言ってから
「なんだ。みっちゃんか」
と言う。
「かずちゃん、その閉店間際にこの子のお正月写真撮ってくれないかなあ。特別料金で」
と美輪子は言う。
「特別料金というと100万円の高級写真?」
「そこを100円で」
「さすがに100円は勘弁して!」
お父さんが出てきて
「和代のお友だちで小学生なら3000円でいいよ」
と言ってくれたので、それで撮ってもらうことにする。
おそらくフィルム代・印画紙代・現像代といった実費だろう。
お店はシャッターをおろしてしまったので、千里たちがこの年最後のお客になった。
千里が着せられたのは“ワンタッチ振袖”というものである。上下に分かれており、実際にはセーターとスカートを穿くかのように簡単に着られて、それでまるでちゃんと普通の振袖を着たように見えるというすぐれものである。
「凄い可愛い」
と言って千里は鏡に映った自分の振袖姿を見て、本当に感動していた。
「お化粧はどうする?」
「小学生だし無しで」
「じゃ、化粧水で拭くだけにするね」
と言って、和代さんがコットンに化粧水を取ると千里の顔を拭いてくれた。
気持ちいい〜!と千里は思った。
「でも、みっちゃんにこんな可愛い姪御さんがいたとは」
などと和代は言っている。
「わりと美少女だよね。でも和服がこんなに似合うとは思わなかった」
と美輪子。
「いやこの子は純日本風の顔つきをしてると思う。これはなんちゃって振袖だけど、あんた高校卒業したらバイトしてお金ためて本物の振袖を買うといいよ」
と和代さんは言っていた。
振袖が赤系統なのでそれが映えるようにバックにライトグリーンの幕を下ろして1枚撮影。それからどこかの神社の境内のような雰囲気の背景がプリントされた幕をバックに薄紅色の唐傘を持った写真を撮った。
「じゃこれできあがったら郵送してあげるよ」
と和代さんは言ったのだが、千里が不安な顔をしたので
「郵送代がもったいないよ。メールくれたら私が取りに来るよ」
と美輪子が言ったので、そういうことにする。
こんな写真、父にでも見られたら大変である!
写真館を出た後、マクドナルドに入るが千里は
「たくさんしてもらったから、ここは私がお金出す」
と言った。
「そう?じゃ千里におごってもらおう」
実は年末の神社のお手伝いで結構な報酬をもらっているのである。七五三とか秋祭りでもだいぶもらったので、生理用品を買うお金などもそこから出している。
そういう訳でこの日は千里のおごりで、美輪子はベーコンレタスバーガーのサラダ・紅茶セット、千里はフィレオフィッシュの単品とコーラを頼んだ。
「あれ?ポテトは要らないの?」
「私、ハンバーガー食べたらポテトまで入らない」
「そういえば君は凄い少食だった」
と言ってから美輪子は言った。
「ちゃんと食べてないとおっぱい大きくならないぞ」
「え〜?どうしよう?」
と千里は悩んでしまった。
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少女たちの初めての体験(4)