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■少女たちの初めての体験(2)

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「ここでナプキンの宗教戦争があって」
「宗教戦争?」
「ナプキンには羽根付きのものと羽根無しのものがある」
「それどうちがうの?」
 
「ここにサンプルが出てるでしょ。羽根付きはこういうふうに丸い羽根が両側に出ている」
「それどうするの?」
「これをショーツの裏側に貼り付けるんだよ。そうするとずれにくい」
「なるほどー!」
 
「だから羽根無しのではずれちゃうという人が羽根付きを好む」
「でもずれない方がいいだろうに、羽根の無いのが好きな人もいるの?」
「羽根付きはどうしても付けるのに手間が掛かる。そしてショーツからはみ出しているから、それが足の付け根にあたってチクチクするんだよ」
「うーん・・・」
 
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「だから多い日とか、体育のある日とかは羽根付きを使って、少なくなってきたら羽無しを使うという両用派もいる」
「なるほどー!」
 
「後は吸収できる量で、昼用・夜用・多い日用とかがあるのと、肌触りがいいように各社色々な工夫をしているから、そのあたりは好みの問題だね」
 

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「小春のお勧めは?」
「そうだなあ。取り敢えずはロリエ使ってみる?パンティライナーでも最初に渡したけど」
「じゃそれで」
「羽根付きにする?羽無しにする?」
「羽根付きって、付けてるのが下着姿になった時に見えるよね」
「まあね」
「じゃ羽無しで。ナプキン付けてたら私変態かと思われそうだし」
 
小春は変態と言われるなんて今更なのにと思ったが口には出さなかった。
 
それで千里はウィスパーのパンティライナー、ロリエのナプキンで羽無しの昼用と夜用のナプキンを1袋ずつ買ったのである。そのあとふたりは百円ショップに移動し、キルト生地の生理用品入れを買い、さっそくそこに昼用ナプキン2枚、パンティライナー2枚を入れた。
 
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「これはいつも持っておくといいよ。いつ生理がきても大丈夫なように」
「うん。ポーチに入れておこう。他のはどうしよう?」
「家に置いていてお母さんが見たら仰天するだろうしね。これまでと同じ様に私が持っておくよ」
「ありがとう、助かる」
 

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P神社では10月21-22日の土日までは七五三のお参りにくる家族もあったのだが、23日月曜日以降はほとんど無くなった。
 
そして10月28-29日の土日には秋祭がおこなわれた。
 
臨時に(おとなの)巫女さんが3人頼まれている。近所に住む女子高生の朱理さん、蓮菜の従姉でやはり高校生の守恵さん、そして千里の叔母でやはり女子大生の美輪子も旭川からやってきて巫女を務めてくれた。これに小春も加わって、巫女さんは4人体制である。
 
「私、巫女さんなんてするの初体験ですけど、よろしくお願いします」
と朱理さんは言っていた。
「最初の年は、だいたい他の人の真似して動いていれば何とかなりますよ」
と美輪子は言っていた。
 
このお祭りでは、神社の境内によく集まっている千里たち小学生グループも裏方で色々お手伝いをした。
 
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この神社のいちばん大きなお祭りは7月の夏大祭だが、そちらは漁業の祭という性格が強く、沖合に神輿を運んで神を迎え入れたりする。これに対して秋祭りは農業の祭という性格が強く、稲の穂を奉納し、神輿ではなく姫奉燈(ひめほうとう)という、この神社特有の山車(だし)を運行する。
 
姫奉燈は留萌で有名な夏の呑涛(あんどん)祭の呑涛と少し似ている。留萌の呑涛(あんどん)は実は青森の《ねぶた》に似ているのだが、この神社の姫奉燈はむしろ弘前の《ねぷた》に似た扇形のものである。描かれている絵も一般的な呑涛(あんどん)が武者絵などであるのに対して、この神社の姫奉燈に描かれているのは菊の花を背景にした女性と子供(性別不詳)である。
 
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実は40年ほど途絶えていたのを1994年に翻田宮司が着任した年に、古い写真に基づいて氏子の福島さんが絵を描いて復活させたものである。描いた福島さんは
 
「うちの祖父さんからは、源義経の奥さんの浄瑠璃姫とその子供の薄墨姫と聞いていた」
などと言っていた。
 
「義経と浄瑠璃姫の間に子供がいたんでしたっけ?」
と小春が尋ねると
 
「平泉で死んだのは杉目太郎という義経の影武者で、義経を追って東北まできた浄瑠璃姫は残された義経の侍女からそのことを聞き、更に北上してふたりは青森県の八戸(はちのへ)で邂逅したという伝説があるんだよ。そしてふたりは新天地をもとめて蝦夷地に渡り、留萌付近に滞在していた時に薄墨姫が生まれた。そして親子3人で樺太からハバロフスク、イルクーツクと流れて行き、そこで争っていた部族同士をまとめあげて、やがてジンギスカンになったというんだよね」
 
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と福島さんは説明した。
 
小春は「うーん」と声をあげて悩んだ。
 
なお、夏祭りでは多数の若衆が神輿をかついで練り歩き賑やかであるが、秋祭りの姫奉燈は、10人ほどの氏子さんが車輪付きの山車を静かに曳いて町内一周をさせる(祭は2日間なので2回まわる)もので掛け声なども無い。先導役の巫女(今年は守恵さんが務めた)が篠笛で木遣りを演奏するだけである。夏祭りが陽なら秋祭りは陰である。
 
また、秋祭りの姫奉燈を曳く氏子さんたちは全員赤い服を着るのだが、これが「昔は女装していたのかも」と福島さんは言っていた。これはとても女性的な祭なのである。またこの祭をする時の宮司の衣裳もピンクを基調としたまるで女性神職のような衣裳である(これも福島さんほか数人の老齢の氏子の記憶にもとづいて復元したもの)。
 
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夕方になると拝殿と神殿に蝋燭(宮司と氏子代表数人が話し合って蝋燭型の電球に変更した)が灯り、18時から21時まで30分に1度、合計7回、拝殿で巫女さんたちの舞が奉納される。この舞は夏祭りで子供たちが奉納する巫女舞とは全く別のものであり、美輪子は
 
「これちょっとセクシーだよね」
などと言っていた。
 
千里はその“セクシー”ということばはよく分からないものの、見ていて何だかドキドキした。
 
美輪子は高校1年だった1995年以来毎年この祭に巫女として参加しており、1994年以来参加している小春に次いで古い。
 
「千里があと3年して“女子中学生”になったら、千里に引き継いでもらおう」
などと美輪子が言うので、津気子が顔をしかめていた。
 
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「ところで10月って、神無月(かんなづき)といって、日本中の神様が出雲に行ってしまって、日本全国神様不在になるんじゃないの?」
などと千里の父は言った。
 
「出雲に行く神様と行かない神様があると思いますよ」
と祭も終わり、千里の家で遅い夕食を食べている美輪子が言う。
 
「ああ、そういうもん?」
「例えば諏訪大社の建御名方神(たけみなかたのかみ)は、国譲り(*2)の時に高天原(たかまがはら)系の建御雷神(たけみかづちのかみ)との相撲に負けて、諏訪からは出ないことを約束したから、その約束を守ってずっと諏訪の地から動かないんですよ。だから神様会議にも出席しません」
 
と美輪子は言う。
 
「へー。相撲をしたのか」
 
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「金比羅さんとかお稲荷さんとかも系統が違うから出雲には行かないと言いますね。金比羅さんは元々薬師如来の十二神将筆頭・クンビーラ大将のことだから、本来仏教系の神様だし」
と美輪子は言う。
 
「ああ、そんな話は聞いたことある」
と武矢。
 
「お稲荷さんは帰化人の秦氏が持ち込んだ神で、全国のお稲荷さんが伏見に集まることはあっても、出雲に行く理由は無い」
 
「ああ、お稲荷さんは別途伏見で会議してそうだ」
「だからP神社の神様は出雲には行かないよ」
「なるほど、なるほど」
 
「そして天照大神は出雲に行く義理など全く無い」
「そりゃそうだろうね」
 
「それどころか10月17日には神嘗祭(かんなめさい)してるし」
「確かに!」
 
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この問題について千里は後で、P神社の大神様に直接尋ねてみた。
 
「ああ。私は出雲には行かないよ。でも私は伏見の系統じゃないから」
「あ、そうなんですか?」
「私は豊受大神(とようけのおおかみ)の系統なんだよ」
「それはどういう神様なんですか?」
「千里は伊勢の神宮は知っているかい?」
「いいえ」
 
「天照大神(あまてらすおおみかみ)は分かるだろ?」
「はい。天岩戸(あまのいわと)の神話の神様ですよね」
「そうそう。結果的に天照大神は皇室の祖先神だから、日本では最も崇敬されている。その本拠地が三重県伊勢にある“神宮”という神社なのだよ」
 
「へー」
 
「この神宮というのは内宮(ないくう)・外宮(げくう)という2つの大きな神社とその周囲の合計125の神社の総称で、天照大神は内宮に祭られている。そして外宮に祭られているのが豊受大神だよ」
 
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「なんか凄い偉い神様なんですね!」
「まあ私の遙か雲の上の上司だな」
「すごーい」
 
「稲荷神社には、伏見稲荷に祭られている宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を御祭神にする神社と、豊受大神を御祭神にする神社があるのさ」
 
「なんかNTTにNTT東日本とNTT西日本があるようなものですか」
「そうだね。でもむしろ、“ほっかほっか亭”にプレナスとハークスレイがあるようなものかな」
と大神様は言ったが、このたとえは千里には分からなかったようである。
 
「だったら大神様は外宮にいらっしゃるんですか?」
と千里は尋ねる。
 
「うん。秋大祭が終わったし、明日から11月3日まで行ってくるから、留守番をよろしく」
 
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千里はキョロキョロと見回した。周囲には誰もいない。
 
「もしかしてまた私がお留守番するんですか〜?」
 
「昼間は小春がやってくれるから、夜間は千里が留守番してね」
「私いつ寝ればいいんです?」
「一週間くらい寝なくても死なないよ。それに留守番してくれたら、いいことしてあげるから」
「いいことって?」
「内緒」
と大神様は悪戯っぽい顔をした。
 

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(*2)高天原の高御産巣日神(たかみむすびのかみ)は、葦原中国(あしはらのなかつくに)を管理している大国主神(おおくにぬしのかみ)に、国を譲ることを迫り、何度か使者を出したのち、建御雷神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)がやってきて軍事力を背景に国譲りを強要する。
 
大国主神は息子の、事代主神(ことしろぬしのかみ:えびす様)と建御名方神(たけみなかたのかみ)に交渉を委ねる。結果穏やかな性格の事代主神は国譲りに同意したものの(責任を取って?)出雲から退去して伊豆に行った(そこで火山を噴火させて島を作り、そこに住むようになる)。一方、建御名方神は納得できないと言い、建御雷神と相撲をとる。しかしこの相撲に負けて諏訪まで逃げていく。建御雷神は建御名方神を殺そうとしたが、建御名方神は「この地から出ないから勘弁してくれ」と言って、それで建御雷神も許した。
 
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それで抵抗する者がいなくなったので、大国主神は国譲りに同意して自分は高さ96mの巨大な神殿(現在の出雲大社 *200)を作らせ、そこに引退したのである。
 
高天原からは、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫である邇邇芸命(ににぎのみこと)が天宇受売神(あめのうずめのかみ:天岩戸の前でストリップした女神)、天児屋命(あめのこやねのみこと:藤原氏の祖先神)、布刀玉命(ふとだまのみこと:忌部氏の祖先神)などとともに日向の地に降りてくる。
 
これを天孫降臨という。
 
邇邇芸命(ににぎのみこと)は大山祇神(おおやまずみのかみ:日本全国の山を管理する神)の娘・木花咲耶姫(このはなさくやひめ:富士山の女神)と結婚し、その子孫にやがて神武天皇が生まれることになる。
 
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なお記紀(古事記・日本書紀)では神武天皇は邇邇芸命の曾孫とされているが、“超古代史”研究者の間では、途中に数十代(数万代?)の大王がいたという説も根強い。これを大和朝廷の前身としてウガヤ朝と呼ぶ。
 
そういう考え方が出てきたのは神武天皇が
「天孫降臨から179万2470余年経った(自天祖降跡以逮于今一百七十九萬二千四百七十餘歳)」
と発言しているのが日本書紀に書かれているからである。
 
ちなみに180万年前といえば、ジャワ原人(ピテカントロプス・エレクトス)が活動しはじめた頃の時代である。
 

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(*3)出雲大社(杵築大社)の高さは当初は96mであったが、あまりにも高すぎて度々倒壊するので半分の48mに変更された。しかしこれでも何度も倒壊したため最終的に更に半分の24mになって現在に至る。昔のもっと高かった時代の本殿の模型が現地の道の駅の所にある資料館に展示されている。
 

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