広告:今日からオンナノコ!!
[携帯Top] [文字サイズ]

■女子高校生・秋のリスタート(2)

[*前頁][0目次][#次頁]
1  2  3  4  5  6  7  8 
前頁次頁目次

↓ ↑ Bottom Top

この船はアムリタ(Amrita)と命名されることになる。ラクシュミー(laksmi)とする案もあったが
「弁天様(サラスヴァティ)が焼けた後の代替が吉祥天というのは弁天様に恨まれる」
という意見から、女神の名前はやめてアムリタ(甘露)にした。
 
確かに女の嫉妬は恐そうである。
 
パールヴァティ案もあったが同じ理由でボツとした。
 
留萌クルーズに投入されたアムリタはアクパーラとほぼ同期の船(アクパーラより新しい)だったので、2020年にアクパーラがワクワクと交代して引退した時、それを留萌のクルーズに再利用する話は出なかった。それでアクパーラは引退後、武矢のオモチャになることになる。武矢に渡す前にした改修はラウンジを2分割してオーナー船室とゲスト船室に分けたくらいである。オーナー船室とゲスト船室にはクイーンサイズのダブルベッドを入れたが、武矢は「こんなふわふわした寝床では眠れん」と言って木の箱とその上に載せる木の板を持ち込み、板の上に寝た。漁船では本棚みたいな所に寝ていたらしい。
 
↓ ↑ Bottom Top


アムリタのフィギュアヘッドは、桜鱒プロジェクトに初期の頃から参加している女性のひとり福島日登美ちゃんが提案したものでマイクを持ち歌う女性“ビート”である。具体的な絵は彼女の意見を聴きながら千里が描いて発注した。アクパーラでもそうだったが、フィギュアヘッドを作っている会社では最初掌サイズの模型を作ってくれて、それをこちらが確認してから実サイズのものを製作してくれた。
 

↓ ↑ Bottom Top

9月16日(日)、夜梨子は銀桃を持って市民会館に出て行き、吹奏楽部のコンクールに参加した。
 
結果は今年も銀賞だった。参加したC部門は4校の参加で銀賞が2校で銅賞が2校だった。
 
「金賞無しで銀賞2校なんだ」
「吹奏楽大会の金銀銅賞って相対評価ではなく絶対評価だから。上手かったら金。ミスとか無くてまあまあが銀。下手なら銅」
「必ず金銀銅のどれかになるのか」
「そもそもC部門って人数が足りなくて課題曲が演奏できないところだから金が出ることはめったにない」
「なるほどー」
 
「課題曲って大変なんだよね。各楽器の人数が定められているから当日誰か1人でも休んだらアウト」
「大変だね」
「うちは体力もたないと言ってすぐやめる子多いし」
「ああ。吹奏楽部って運動部だからね」
「今年は無かったけど去年は甲子園で半減した」
「あそこでの演奏は過酷だからなあ」
 
↓ ↑ Bottom Top


千里は山奥にあり、伐採しても人間の手ではとても搬出できないような林をよく買っているのだが、2007年の後半は、愛知や静岡、また広島・山口で多数の林を買った。奈良県や兵庫県で千里に林を売った人たちからのコネもあったが、どうもそろそろ総選挙が近いのではと見て資金作りをしている人たちもいるようだった。買った林は杉とか雑木林とかが多いが、愛知には結構ヒバの林が大量に混じっていた。檜林より安いのでお買い得だなと思った。
 

↓ ↑ Bottom Top

千里は春風観光に食材を供給する目的でプリンセスと銀馬車の茨木店と敦賀店を立ち上げたのだが、茨木店が特に好調なので、11月程度をメドに茨木市内のやや古い住宅街に2軒目のお店を設置することにした。この地域は学生向けのアパートも多く、買い物に車を使えず。また若い人が多くてパンとかお惣菜の売り上げも期待できた。車を持っている人は郊外の大型店に行ってしまうので、逆に買い物した商品のお届けサービスを利用するような人たちこそターゲットである。
 

↓ ↑ Bottom Top

9月23日、自民党の総裁選挙が実施され、福田康夫(元首相・福田赳夫の子)が対抗馬の麻生太郎を破り新しい総裁に選ばれた。福田は26日には新しい首相に就任した。
 

↓ ↑ Bottom Top

9月28日(金).
 
剣道の国体メンバーは新神戸駅に集まり、国体開催地の秋田県に向けて出発した。出発前に駅のホームの待合室で高校生の10人が集められ、兵庫県剣道連盟の部長さんからお話があった。
 
「君たちは若くて純粋だから、こういうのに憤りを覚えるとは思うんだけど切に我慢してほしい」
「何ですか」
 
どうも3年生の4人は分かっているようである。
 

↓ ↑ Bottom Top

「国体というのは開催県が優勝するためのイベントだから」
「はあ1?」
「剣道でも国体が始まって以来、毎年、成年男子・成年女子・少年男子・少年女子、全てのカテゴリーで開催県が優勝している」
「つまり開催県のチームが勝つように審判してるんですね」
「そうなんだよ。だからおかしな判定をされても怒らずに我慢してほしい」
「何か莫大なお金を掛けて壮大に無駄なことしているような」
「いっそ競技なんか実施せずに最初から開催県に優勝旗渡したら」
「あはは。僕は賛成」
「そんな判定をさせられる審判さんも可哀想」
「凄い罪悪感あるよね」
「それで優勝になる地元選手も嫌だよね」
「政府とかが主導して悪習を改めさせない限り、こんな馬鹿なことが続いていくんだろうね(*3)」
 
↓ ↑ Bottom Top

“馬鹿なこと”と言えるだけ、この部長さんはまともだなと思った。
 
「福田君には無理だなあ」
「小泉さんがもう少し長くやってたら改革してたかも知れないけどね」
「ああいう強いリーダーにしかこの手の改革はできないだろうね」
 
「まあ判定は気にせず純粋に対戦を楽しんできますよ」
「すまん」
 
(*3) 2010年。開催県のチームに出場していた多数の選手が開催県に居住実態が無かったことが判明し2011年から選手の参加資格はより厳しく審査されることになった。
 
国体の開催県から開催県へ渡り歩く選手は“ジプシー選手”と呼ばれ、これを排除するため、国体に出た選手は2年間は他の県からは出場できない規定が設けられた(大学進学・就職のため移動した場合を除く。また現住所によらず故郷からは出られる“ふるさと選手”制度が設けられた)。
 
↓ ↑ Bottom Top

 
しかしあまり厳しく
しすぎると、今度は日本代表レベルの選手は合宿や遠征が多く、居住実態が作れないとして別の問題が起きている。そもそもトップ選手は国体を回避する傾向がある。(開催県絶対有利の判定などであほらしいからだと思う。他にも派遣される選手より役員の方が人数が多いし待遇もいいなど様々な問題が指摘されている:選手が1人で付き添い?の役員が20人くらい居たりする。つまり、単なるお役人の公費旅行になっている。概して役員はグリーン席で選手は普通席だったりする:役員の数を減らせばその予算でもっとたくさん代表選手を送れるはず)
 
改革に積極的な意見を述べる知事さんも多いが、一方では2011年の国体で開催県の副知事が「やし(ズル)をしてでも1位を取る」と発言するなど改革への道は遠い。
 
↓ ↑ Bottom Top


秋田駅には夕方に到着し、駅の近くのホテルに泊まった。角口さんと横田さんで1室、双葉・千里・清香で1室だ゛った。夕飯はホテルの食堂でよくある定食のようなものを食べたが、清香が「足りん」というので、アイリスにコンビニでお弁当やパンにカップ麺などを買ってきてもらって食べた。
 

↓ ↑ Bottom Top

0月29日、この日は少年男子と少年女子の試合が行われる。
 
千里たちは秋田駅から男鹿線に乗り、羽立(はだち)駅で降りて会場の男鹿市総合体育館に入った。
 
1回戦、双葉・千里・清香と勝って副将戦以降は行われずに勝ち上がる。2回戦、3回戦も同様であった。準決勝は鹿児島代表とであったが、先鋒の双葉は2-1で敗れてしまった。
 
「ごめーん」
「いやかなり強い相手だった。仕方無いよ」
 
千里と清香は勝ったが、横田・角口で負けて、兵庫県代表は準決勝敗退となったのである。ただし、そのあとの3位決定戦では東京代表に最初の3人で勝ち、3位になることができた。なお優勝は“予定通り”秋田県代表であった。千里たちも決勝戦を見ていたが酷い判定だった。が、怒っても仕方無い。
 
↓ ↑ Bottom Top

なお男子も準決勝敗退だったが3位決定戦に敗れ4位だった。
 

表彰式では主将の角口さんが3位の賞状を受け取り選手5人が銅メダルを掛けてもらった。また全員に何か記念品をもらった。後で開けてみると、秋田杉のボールペンであった。秋田の名産品を利用した記念グッズということで用意されたのだろう。何でも各競技の3位以上のチームに渡されたらしい。(バスケット女子で準優勝(事実上の優勝)だった愛知県代表として出た左倉奈津(ハルの姉)もこれをもらった)
 
千里たちは翌日9月30日(日)に、また新幹線乗り継ぎで兵庫に帰還した。
 

↓ ↑ Bottom Top

10月1日、郵政民営化に伴い、日本郵政公社が解散した。そして日本郵政株式会社を持株会社として、郵便事業株式会社、郵便局株式会社、株式会社ゆうちょ銀行、株式会社かんぽ生命保険、独立行政法人郵便貯金・簡易生命保険管理機構が発足した。
 

↓ ↑ Bottom Top

↓ ↑ Bottom Top

前頁次頁目次

[*前頁][0目次][#次頁]
1  2  3  4  5  6  7  8 
女子高校生・秋のリスタート(2)

広告:まりあ†ほりっく 第3巻 [DVD]