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結婚式は10時から1時間ほどだったが、そのあと休憩をはさんで12時からは祝賀会が行われる。これには翻田家の親戚や和弥の中高時代の友人達が多く来てくれた。また“若神主”の結婚式ということて地元の人が結構お祝いに来てくれた。このあたりは祝賀会方式のいいところである。受付では案内状を持ってない人でも、どんどん受け入れたので出席者は100人を越えていた。厨房では急遽食材の調達に行ったりして対応したようである。人によってメニューが変わったりもしたが、それもやむを得ない。
なお婚姻届けは結婚式の後、祝賀会の前に本人たちが留萌市役所に提出した。サハリンが車で送迎した。2人の新戸籍は留萌に置く。
祝賀会の司会は留萌ケーブルテレビのキャスターをしている近藤さん(この会場の常任司会:実は漁協のコネ)、エレクトーンの演奏は千里が頼まれた!(普段頼んでいる人がたまたま都合がつかなかった)
祝賀会は14時で終わり、新郎新婦、光子・和子、光貴は桜ジェットで姫路に移動した。民弥夫妻や、他にもこちらの祝賀会に出て姫路の祝賀会にも出てくれる友人・親戚などは夕方の新千歳→神戸のJAL便で移動することになっている。新千歳まではチャーターしたバスで送り届けた。
この人たちは神戸空港から姫路へもバスで輸送し姫路市内のホテルに泊めた。
(旅行会社にツアー扱いにしてもらった:航空券・バス・ホテルがセット)
7月2日(月)のお昼からは姫路での祝賀会が立花K神社の宴会場(立花会館)で行われた。
司会は光貴のアナウンススクールの友人に頼み、エレクトーンは森田レミが担当した。こちらの祝賀会には、平田家の親族の多く、まゆりの中高時代の友人(例によって全員男性)、また和弥の大学院のクラスメイト、指導教官などが来てくれた。神宮の鳥居さんも来てくれた。伊勢からは送迎バスも運行した。
鳥居さんは「立派な遙拝所ができてる」と感心していた。
他にK神社本社の松岡さんも来ている。
姫路での祝賀会が終わった後は和弥とまゆりは新婚旅行に出掛けた。沖縄と宮古島に4泊5日の旅である。美ら海水族館や首里城を見ると言っていた。旅行への出発にはきーちゃんが借りて来たゴルフ・カブリオレを使用した。運転手はコリンである。
なお2人が生セックスを解禁するのは、3年半くらい先になるらしい。せっかくXY分離した精液とかまで作ってもらったので男の子が2人できるまでは“うっかり”女の子ができてしまう可能性のある生セックスは控えようということになったのである。
(実際には男の子が4人出来ることになる)
※男子製造計画
2007.07 人工授精#1
2008.04 男児出産#1
2009.04 生理再開
2009.05 人工授精#2
2010.02 男児出産#2
2011.02 生理再開
2011.03 生セックス解禁
留萌では和弥たちの結婚式の翌々日7月3日(火・大安・さだん)には杉村真広・桂花の結婚式が行われた。平日だが、桂花が現在妊娠5ヶ月で月数が進みすぎないうちに式を挙げたかったので、あまり日程を選んでられなかった。それでも北海道では充分大きな会社の跡取りの結婚式ということだけあって出席者は多かった。誰も結婚する2人が女同士という問題や“真広ちゃんって男の子じゃなかったんだっけ”などという問題に突っ込む人はいなかった。祝賀会の出席者は200人近かった。
(多くの人が真広ちゃんは女装はしてるけど男性機能があるのだろうと思った。実際は真広は現在完全な女であり既に戸籍も女性である。この2人は実は妊娠している桂花のほうが戸籍上男性。もっとも現在は桂花も完全な女性であり、男性機能は無い)
出席者は北海道新鮮産業の関連の人のほか、北海道全体に多数いる杉村一族の関係者、内地からわざわざ来てくれた新撰組の関係者(*8)、真広や桂花の個人的な友人、更にLGBTコミュニティ関連の人たちまで来ていた。「自分たちもここで結婚式をあげたい」と神社に申し込んでいるレスビアンカツプルも数組いた。常弥に代わって善美が説明に立ち「女性同士はOK。男性同士は申し訳無いが受けてない」と説明していた。
(*8) 杉村一族は新撰組の永倉新八の子孫である。
「逆に男同士はいいけど女同士はダメという神社もあるよね」
「少し変則的でも近親婚以外なら探せばどこかで式をあげられるみたい」
「式をあげてくれるところだいぶ増えたからね」
桂花の個人的な友人を除くと桂花が元男性と知る人は少なかったようである。だって妊娠しているから、まさか元男とは思わない!
ごく少数の人が
「男同士のカップルが揃って性転換して女同士になって妊娠までしたって凄い」
と感心していた。
でも桂花の個人的な友人には
「けいちゃんはいづれお嫁さんになる思ってた」
と言っている人もけっこう居た。
「本人がそう言ってたもんね」
「小さい頃から親から女になる手術受けてお嫁に行けと言われてたらしいもんね」
「親公認で性転換できるのは素晴らしい」
「女の子になりたいけど親が許してくれないって人多いのにね」
和弥たちが新婚旅行に出掛けた後、千里は今年も竹や笹を各神社に持ち込んで七夕の準備をした。留萌P神社と姫路立花K神社ではRが、留萌Q神社と旭川Q神社ではBがこの準備をしている。
立花K神社で宮司夫妻が居ない時は“出仕”(神職見習い)の資格で越智さんが祝詞をあげている。平日の昼間であれば笛は弓佳さん、太鼓は和子さん(前宮司の妻=まゆりの祖母)が叩く。夕方以降なら千里(主としてY2)が笛か太鼓のどちらかを担当している。越智さんは、まゆりより、和弥より、祝詞が上手い。
越智さんは神職の階位を持ってないので権禰宜にはなれないが“立花K神社出仕”の名刺を持っている。
でも朝夕に神前に祝詞をあげるのは、千里が頼まれてる!これは主としてY2がしている。千里は実は越智さんより更に祝詞が上手い。千里が神前で祝詞をあげる時は(巫女衣装ではなく)原則として狩衣を着ている。千里も実は“立花K神社出仕”の名刺を持っている。“立花K神社巫女”の名刺も持っている。通常は巫女の名刺しか使わない。出仕の名刺は持っているだけである。
和弥とまゆりは7月6日、関空に戻って来た。そこからはコリンの運転するウィングロードで姫路に帰還する。千里はお土産に紅芋タルトを1箱頂いた。
2人は宮司宅で1日休んでから7日(土)は七夕の行事をした。
7日の夜はどこの神社でも七夕の〆をする。竹・笹に結ばれた短冊を回収し、ネガティブな願い(誰々が死にますように、の類い)を除外して神前に提示し、祈祷をする。これは立花K神社では宮司のまゆりがした。そして23時半頃短冊は竹笹と一緒にお焚き上げをした。
8日(日)の晩、和弥はコリンのウィングロードで伊勢に移動した。和弥とまゆりは結婚はしたものの、和弥は来年の3月までは伊勢で大学院生である。それまでは姫路と伊勢で遠距離夫婦になる。
2人は住民票もしばらくは伊勢と姫路でバラバラである。結婚したのに!
ただし“男神主”を希望する祈祷の客に応じるため、和弥は月に2回程度は姫路に来る。特に11月は七五三で毎週週末は姫路である。最近は“和弥神職の在社予定日”というのが御札授与所のカレンダーに青い丸で示されている!そして神社に青いウィングロードが駐まっているのが和弥が居る印である。
本当はこうなのだが
まゆり:宮司、和弥:禰宜、越智:出仕
多くの氏子さんはこう思っている
和弥:宮司、まゆり:神職を代行できる巫女、越智:宮司代理(近隣神社の宮司?)
どうしても男の神主でないと納得しない客のために、和弥の居ない土日には越智さんがだいたい神社に来てくれている。越智さんは姫路市内の別の場所に住んでいる。車で10分くらいかかる。越智さんは平日でも毎朝夕剣道錬成会の指導で神社に来るのでそれを狙って早朝やジャスト18時に来る客も居る。
越智さんが宮司で和弥はその息子と思っている人もある。更に少数だが、和弥と千里を越智さんの“娘”と思い、和弥がお姉さん、千里が妹と思っている人まで居る。(和弥は結構女にも見えるからね)2人の祝詞を聞いた人は「妹さんの方がお姉さんより祝詞上手いのね」などと言う:千里は最初“お姉さん”って花絵のことかと思った。確かに花絵はあまり祝詞が上手くない。
7月13日(金).
この日の夕方、星子の車でまゆりが立花K神社を出る。H大姫路の校門そばで千里を拾い、神戸空港に向かう。和弥はコリンのウィングロードで伊勢から神戸空港に来た。花絵は午後の電車で京都から神戸空港まで来た。4人で桜ジェットに乗り旭川まで飛ぶ。そしてサハリンの車で留萌に入った。
P神社では今年も桜組が宴会をしていたので、千里は銀馬車亭の“かしわ丼弁当”を配った。炊き込み御飯の上に、3区画に分けて、炒り卵、鶏そぼろ、鶏の照り焼きが載っている丼である。九州の“かしわ飯”を意識したメニューだが今日配ったのは鶏肉にプリンセスと契約している養鶏場のブランド鶏“柑美鶏”のもも肉を使用した特製丼“かしわ丼弁当(柑)”である。餌に柑橘類の皮を混ぜているのでこの名前がある。また通常のブロイラーより飼育期間が少し長い。つまりゆっくり育てている。
かしわ丼に関しては
「九州のかしわ飯に似てる」
という声が結構あった。
「それの真似っこですね」
「そうそう。敵情視察してきたけど、大笑いしてきたよ」
とすっかり美しい姿になり可愛いワンピースも着た田崎玲耶が言う。声も凄く可愛くなっている。
「ああ、留萌市の納涼船ですか」
「そうそう」
柳里君と2人で行ってきたらしい。
ちなみに2人は並んでいるとカップルに見える:2人共カップルと思われてもいいと言っていた。キスしたことはあるなどと大胆なことも言っていた(ほんとに結婚したりして)。
「セックスしてもいいよと言ったけどしてくんないし」
「セックスしたら結婚しないといけないし」
「気にすること無いのに」
「そういう訳にはいかないよ」
やはり、結婚は時間の問題だったりして。
玲耶が普通の男性と付き合った場合、どこかの段階で自分が元は男性であったことを言わねばならず、その時点で高確率で振られる。しかし最初から元男であることを知っている人が相手ならそういう問題が無いので気楽なのである。
柳里と田崎は家が近所で玲耶は柳里の両親とも古くから顔なじみである。この夏玲耶は留萌市内の神居岩温泉で柳里の母と偶然遭遇した。
「おばさん、こんにちは」
「えっと誰だったっけ」
「私田崎れいやです」
「嘘」
「私女の子になったんです」
と言って服を脱いでみせる。
「へー。ほんとに女の子だ」
「この5月に男を辞めて女になりました」
「へー。元々れいやちゃん可愛いから男になるのもったいないよ、女の子になればいいのにと言われてたね」
「そうですね。結構スカート穿いて女の子たちと遊んでたし」
「確か鼓笛隊でもスカート穿いてた」
「はい、女子のユニフォーム着てカラーガードしました」
「でも女の子になったれいやちゃん。ほんと美人だね」
「ありがとうございます」
「こんな美人ならうちの京助のお嫁さんに欲しいくらいだ」
やはり結婚秒読み?
その後、お母さんとは女湯の浴槽の中で色々世間話もした。
「おっぱい大きいね」
「生理始まったら大きくなりました」
「ああ、生理もあるんだ?」
「憂鬱ですけどね」
「生理つらいよね」
「女になって唯一後悔した点ですね。でも生理は赤ちゃん産めるという印だから頑張ります」
「うん。でも赤ちゃん産むのは生理の何百倍も辛いよ」
「あまり憂鬱になること言わないでください」
「でも私の孫を産んでくれたりしないよね?」
もう結婚確定?
さて、納涼船だが、元々遊覧船として使われていたものなので見晴らしの良い2階席を持つ。そこに座ると、ところてんの黒蜜掛けとぬるい!麦茶で歓迎される。そして沖合で日没を見た後、北海道出身の演歌歌手・加藤あさひさんの歌謡ショーが始まる。その演目がこのようであった。
津軽海峡冬景色(今は夏ですが?)
函館の女
北酒場
知床旅情
襟裳岬(森進一版)(*2)
枯葉日記(本人のヒット曲)
江差追分
佐渡おけさ(なぜ佐渡??)
留萌音頭
ソーラン節
ソーラン節は市役所ソーラン節愛好会(つまりタダで使える人!)の踊り入りである
(*2) 『襟裳岬』には森進一版(1974)と島倉千代子版(1961)があり、現地には両方の歌碑が建っている。両者は歌詞もメロディーも全く異なる楽曲である。現在は知名度に圧倒的な差があり、多くの人が『襟裳岬』というと森進一の歌を連想するので森進一版も受け入れられているが、森進一版が出た当時は「何も無い」という歌詞に現地の人たちが激怒したらしい。
そして歌の後には留萌市内の漁師料理の店・黄金食堂が提供する漁師料理が出て来た。
「いや5月に村山さんと話した通りでほんとに大笑いした」
と田崎さんは語っていた。
料理は船の上で調理するのではなくお店で作った物を持ち込んでいたので、歌謡ショーの間に冷めてしまい、食べた時にはけっこう冷たくなっていたらしい。刺身は冷却剤が載せてはあったけど怖いから食べなかったと言っていた。
田崎たちが懸念した通り、この料理で8月には食中毒が発生した。保健所は調理した黄金食堂を処分しようとしたが、食堂側は店が提供してから3時間も経ってから客に提供したのが酷い。そこまでこちらでは責任持てないと主張した。それで保健所は納涼船を3日間の営業停止処分にした。それで納涼船は3日間運休した。
その後、市と食堂は和解し、食事は客が乗ったらすぐ提供することになった。ところが今度は歌手の加藤さんが
「自分の歌を食べながら聴くのは不快だ」と言って演奏拒否した。事務所側との交渉の結果、同じ事務所の歌手でほぼ無名の知床こんぶさんが歌ってくれることになった。
「でも私、そもそも加藤あさひって知らない」
「私も知らなかった。20年くらい前に『枯葉日記』という曲がヒットしたらしいけど、たぶん40歳未満の人は知らないと思う」
「でもディナーショートかも食事しながら聴くのに」
「多分ギャラに不満があったんじゃないかなあ。30万だったらしいし」
「それは安すぎる。駆け出しの新人歌手でも100万は必要だよ」
「知床こんぶちゃんは15万らしい」
「ひどーい」
「でも若くて可愛いからお客さんには好評みたい」
「ああ。それなら誰か市役所の若い子に歌わせるとかでも良かったりして」
「タダで使えるしね!」