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6月29日(金・たつ).
建築中だった敦賀市の“春風劇場”が竣工し、さっそくこの日、こけら落としの公演が行われた。演奏曲目は知名度の高い、ベートーヴェンの『田園』、シューベルトの『未完成』、モーツァルトの交響曲40番といったもので、幕間に大阪在住のヤマハのデモンストレーター緑信乃さんによるエレクトーン演奏『展覧会の絵』、千里の黄金フルートによる演奏『“ペールギュント”より』が演奏された。
招待券を学校や放送局などに多数配ったこともあり、結構クラシックファンが来てくれて、春風劇場は幸先良くスタートした。料理も「美味しい」と評価が高かったし、結構みんなホールの音響の良さを感じ取ってくれたようである。ここは音響が最も良いとされるシューズボックス型、つまり直方体のホールである。ヨーロッパのオペラハウスによくある形をしている。
日本のホールには、多くの観客が舞台を近くから見られて演劇には向いているが音響的にはあまり良くない末広がり型が多いので、シューズボックス型は素晴らしいという評価が多かった。(でもクルーザーはあまり音響が良くない!)
春風劇場は座席も1階フロア席と2階バルコニー席からなっていて、この構成もオペラハウスと似ている。
千里は建設に携わってくれた関西組のメンツに母里酒造の黒田武士の一斗樽3つ、但馬牛丸ごと1頭、をあげた(これだけで数百万掛かっている気がする)。
ところで春風観光の楽団員と調理スタッフは各曜日に次の場所で仕事をすることになった。
月火 茨木劇場(7月末完成予定)
水 船内
木金 敦賀劇場
土日祝 船内
しかしクルーは水曜と土日祝日以外は仕事が無い。
それで船長の吉本さんと春風社長が話しあい、月火と木金(祝日を除く)には訓練航海をすることにした。これは留萌でこの船のクルーとして雇う予定の人の練習も兼ねる:現在のクルーから習う。
訓練航海ではあるが、8月下旬以降、客も乗せることにした。行き先は、祝日の入り方により1日コースと2日コースがあり、1日コースは金沢または出雲、2日コースは新湊(富山県)または博多である。いづれも現地での観光とお食事・ホテル泊(2日コースのみ)とのセットである。
このため船に取り付けたカメラおよび船から飛ばしたドローンの映像をラウンジのプロジェクターで映す。むろん肉眼で見たい人は2階席などに行って見ても良い(寒いと思うし雨などにも濡れる)。またホテルに泊まらず、船室(個室)で寝てもいい。(料金は数千円安い)
音楽は春風楽団の演奏録画やデモンストレーターさんのエレクトーン演奏などを流す。エレクトーンはイージーリスニングが主体である。
デモンストレーターさんは6人雇ったが全員が男の娘さんである。彼女たちは見た目は女性にしか見えないが体力があり、美しく素敵な演奏を聴かせてくれた。また実は客からのレイプなどが起きる恐れが少ないので運用側としても気楽だった。
(それでも押し倒されてドレスを破かれ、男性クルーが止めに入った事件はあった。以降は夜間21時以後の生演奏はやめた)
なお、この中の数人は楽団が居ない日の劇場レストランでもBGMを演奏してもらった。
クルーの仕事を作るための採算度外視の企画だったのに、旅行会社経由で参加する客が結構出て、燃料代程度は稼げてしまった。嬉しい誤算だった。
留萌市の観光課は今年の7月1日から8月31日までの2ヶ月間、留萌湾岸納涼船を運行すると発表した。
「留萌の美しい景観と心地良い音楽を楽しみながら美味しい料理に舌鼓を」
というコンセプトで、実は電力会社に出向する木崎さんの振興課長としての最後の仕事、置き土産なのである。料金は3000円である。船は石川県の観光地で使用されていた遊覧船を5000万円で買い取ってきたものを使用する。“敵情視察”で柳里君と田崎さんが行ってきたが大笑いしていた(詳細後述)。
8月でやめてしまうのは9月になると結構寒いので風の当たる船席は辛い(だから春風観光は船室に入れてしまう:あれは通年運行を意識したもの)というのと長く運行すると船の乗組員を常雇いにしなければならないので運用コストが掛かるという理由である。
6月21-24日、北海道では帯広市でバスケットのインターハイ予選が行われ、東の千里たちの旭川N高校はインターハイの代表校になることができた。決勝リーグで女王の札幌P高校が得失点差で3位に沈む大波乱があった。
6月23日(土)。姫路の立花K神社では、宮司のまゆりと、越智さん、近隣の氏子さん3名(菊池・白山・九里)の手で“茅の輪”(ちのわ)が設置された。今年も夏越しの大祓の時期である。
和弥は6月29日(金)の夕方、コリンの車で伊勢から姫路に移動した。花絵も同日午後、JRで京都から姫路に移動した。
金曜日の晩は、花絵の家に、和弥とまゆり、まゆりの母と祖母、越智一家、千里・清香・公世も集まり、焼き肉をした。お肉は越智さんの奧さんが買っておいてくれたが、お金は花絵が渡していた。
6月30日早朝、花絵・和弥・まゆり・越智光貴が茅の輪をくぐる。そして越智総次さんに留守番をお願いし、和弥・まゆり・越智光貴、またまゆりの母と祖母がコリンの運転するエスティマで神戸空港に向かう。そして桜模様のジェット機に乗り込んだ。
越智総次夫妻が結婚式にも出たいところだが、神社の留守番がいなくなるので、越智総次さんに留守番をお願いし、結婚式には光貴が両親の名代として出ることにしたのである。光貴が女性用礼服を着ることは、和弥はもちろん、民弥・常弥も電話連絡で了承済みである。
「女性に男の礼服着ろとは言えないよ」
と常弥も理解を示してくれた。
「何ならお前も白無垢着てもいいぞ」
「それは遠慮する」
なお光貴は既に女性の身体になっている。両親は性転換手術を受けたのだろうと思っているようである。彼女は新しい身体を母親に見せ「きれいに女の子になったね」と言ってもらった。
「ちんちん無くなって後悔してない?」
「無くなって嬉しい」
「でもちゃんと割れ目ちゃんもあるんだね」
「割れ目ちゃんできて嬉しい」
「きれいだよ」
「ありがと」
飛行機は1時間半ほどのフライトで旭川空港まで行く。そして一行はサハリンのセレナで留萌に向かう。到着したのはお昼すぎ頃である。一行はこちらでも茅の輪くぐりをした。
なお千里は「準備があるので」と称して別行動である。実は飛行機の定員の問題もあって、“洞門の鏡”で移動した。和弥たちには29日遅くに移動したことにしておいた。
P神社で昨年の夏越しの大祓では和弥が中心になって大祓の神事をしたのだが、今年は和弥は結婚式前日ということで常弥が「僕がやるから」と言い、常弥中心に進められた。
御祈祷も常弥が祝詞をあげ、玲羅(20時以降は千里)と善美で笛・太鼓を演奏した。
夕方には氏子さんたちが持ち込んだ人形(ひとがた)を境内の小川に流す(でも30mほど先ですぐ回収する)。これを深夜近くにお焚き上げし、拝殿で神職が祝詞をあげ、大祓の行事は終了する。
(姫路では同様のことを越智さんがしている。“村山家の執事”と千里が紹介した、きーちゃんが手伝った。きーちゃんは龍笛も上手いので頼もしい戦力になる)
7月1日(日).
和弥とまゆりの結婚式が行われる。今回の式はこのような体制で行われた。
期日:2007年7月1日(日)
場所:留萌三泊P神社結婚式場(三泊会館)
祭主:旭川A神社宮司
新郎:翻田和弥
新婦:平田真弓理
先導巫女:七尾善美・杉本浅美
三三九度:同上
巫女舞:国田広海(高3)・高山世那(高2)・木村美那(高2)
笛:村山千里
太鼓:望田梨花
写真撮影:山下フォトスタジオ
出席者(新郎側)翻田民弥・睦美(両親)、翻田常弥(祖父)、守花絵(姉)、西田結子・浩史(叔母夫妻)、翻田俊弥・倫子(祖父の弟夫妻)、翻田春弥夫妻(俊弥の息子夫妻)、翻田圭(その子供)、友人6名
出席者(新婦側)平田光子(母)・平田和子(祖母)、中川歩輝美夫妻(姉夫妻) 林美奈子夫妻(姉夫妻)、越智光貴(両親双方の再従妹)、まゆりの友人3名、新郎新婦共通の友人(皇學館大学時代の友人)3名
三三九度と親族堅めに使ったお酒は神居酒造の特上品“コタンピル”である。祝賀会では同社の普及品“ルルモッペ”を使用した。(ビールはサッポロビール:北海道では圧倒的に支持者が多い。乾杯用のシャンパンは富良野の北海ワイナリーの“歓び5”を使用した)乾杯の音頭は常弥の弟の翻田俊弥(枝幸町(*7)の神社の宮司をしている)が取った。
(*7) 枝幸町(えさしちょう)は北海道北部、稚内の近くにある町。同音で「江差追分」が有名な江差町(北海道南部)とは別。会話やラジオなどでは両者を区別するのには北見枝幸・檜山江差、あるいは道北の枝幸町・道南の江差町などといったりする。
まゆりの2人の姉とその夫は航空会社の飛行機で来てくれている。姉たちはどちらも
「これで男の子を産んでくれと言われなくて済む」
等と言っていた。2人共子供は女の子だけである(本当に女系家族)。
出席してくれた、まゆりの友人も皇學館時代の友人も全員男性である。まゆりの性格から彼女には女性の友人がほとんど居ない。まゆりはガールズトークができない。女性のファッションとか、おやつとか、男性アイドルとかに関して美事に無知である(まゆりはNEWSを知らなかった)。またまゆりの話し方は理屈っぽく男性的である。理屈より共感重視の女性の会話に付いていけない。
まゆりの友人たちは一様に
「平田君が男性と結婚するとは思わなかった。てっきり女の子と結婚すると思ってた」
と言っていた。
「ああ。彼は性転換して女の子になる予定だから」
「それなら分かる」
「確かに彼は女装したら可愛くなりそう」
「私が男の子2人産んだら彼は性転換手術を受ける」
「なるほどー」
僕本当に性転換手術受けるはめにならないよね、と和弥は少し不安になった。(その時はオーリタを呼ぼう。手術よりはマシだと和弥は思った)
結婚式をしている間の社務所の留守番は、玲羅と高木姉妹が務めている。巫女が結婚式の作業に入った人と社務所の留守番と合わせて全部で10人も稼働するのは、かなり珍しいことである。普段の神社には善美1人だけ、せいぜいそれに玲羅か小学生の由梨子くらいなどとということも多い(手が足りない時は高木姉妹を呼び出す。また勉強会に来ている男子に巫女衣装着せて太鼓叩かせたりもする:男子は声の問題で御札等の販売には使えないが腕力があるから太鼓担当には使える)。中学生巫女は千里たちの学年が一番多かった。