広告:花婿、略奪されました-男に-性転換でハーレム達成が目標です-アイリスNEO-鳴澤
[携帯Top] [文字サイズ]

■女子高校生・秋の嵐(5)

[*前頁][0目次][#次頁]
1  2  3  4  5  6  7  8 
前頁次頁目次

↓ ↑ Bottom Top

 
2006年9月。
 
“西の千里”は4-8月の1学期は特進Bの1年2組で授業を受けたのだが、実力テストの聖跡が良かったので2学期は特進Aの1年1組に移動された。ここは関関同立(*6)や国立大上位を狙う子のコースである。上位には帝大狙いの子もいる。
 
(*6) 関関同立=関西(かんさい)大学・関西学院(かんせいがくいん)大学・同志社・立命館。関西の有力私大。関東のMARCHに相当する。
 

↓ ↑ Bottom Top

千里はこのクラスに移動されて、授業のレベルより、生徒のレベルの高さを感じた。みんな英語の発音なども美しい。授業中に手を挙げて立ち上がり、英語で先生に質問して先生も英語で答え、そのやりとりをみんなよく理解しているようである。Y2が出ている数学や物理などでも、みんな凄く“精密”な回答をする。先生が見落としに気付いて「あ。そうだよね。ごめんごめん」などと言っていたりする。
 
また1年生の授業だから微積分無しで解けるのだが使った方が楽に解けるものもある。そういう時はみんな微積分を使い、先生も「確かにこの問題は積分した方が簡単だ」などと言う。むろん夜梨子は積分もできる。虚数の指数関数などもよく出て来た。
 
↓ ↑ Bottom Top

一方本来のクラスである9組ではどんな授業をしているのかというと・・・・・
 
「ねね。七八54だっけ?」
「58じゃなかった?」
「七の段難し〜」
などとやっているようである。うん。社会に出るのに九九くらいはできたほうがいいね。
 

↓ ↑ Bottom Top

2006年10月。
 
武矢(←九九の怪しい人)は「やはり最低高校出てないと仕事が無い」と言ってNHK学園に入学した。受講のために必要な環境の整備などは福居さんの孫の忠行君がしてくれた(忠行君には千里がお金を払った)。入学に必要な費用は“東の千里”が出した。スクーリングで札幌に行くための交通費は毎回Gが出している。
 
(Gが高速バスの切符を買って旭川の郵便局から郵送する:現金を渡すと津気子は電気代などに使い込んでしまう)
 

↓ ↑ Bottom Top

三泊漁協若者組の桜鱒養殖プロジエクトは7月下旬に留萌湾内に養殖場を設営し、桜鱒の稚魚を育て始めたのだが、10月頃
「魚の数が減ってる」
という報告がある。
 
「死んだのかな」
「いや、特に死体とかも浮かんでない」
「むしろ死体が全く出ないのが不自然。ある程度の自然死は避けられないのに」
「夜中に誰か養殖場に居るのを見たという話も聞いた」
「まさか盗まれているとか」
「夜中に見回りしてみるか」
 
それでメンバーは交替で夜間の見回りをしてみることにしたのである。
 

↓ ↑ Bottom Top

その夜は小雨は降るものの、海は凪いでいた。3人のメンバーが小舟を出し養殖場に向かう。
「誰か居る!」
 
それで船に積んでいる大型の懐中電灯をそちらに向ける。
「わっ」
 
懐中電灯の光の中に浮かび上がったのは
 
高さ1mほどのヒグマの姿だった。
 
「誰か行って肩でも叩いて、もしもしここは関係者以外立入禁止ですよ、とか言ってくる?」
「無理〜!」
「確かに熊は泳げるとは聞いていた」
「熊かきで泳ぐらしいね」
「冬籠もり前の食料を確保しているのでは」
「魚がたくさん泳いでいて食べ放題だったりして」
「鮭は熊の大好物」
「参ったな。何か対策考えないと」
 

↓ ↑ Bottom Top

以下は対策会議。
 
「かかしでも置く?」
「ほぼ意味ない」
「ヒグマは人間を怖がるどころか美味しいごはんと思う」
 
「猫除けのでっかいのとか置くとか。逆ビシとかいうのかな」
「画鋲のでっかいのを逆さにして並べるんだな」
「人間も近寄れないじゃん」
「人間はよく見て、針と針の間に足を置く」
「いやうっかり踏む危険がある」
「万一何かに躓いて倒れたら」
「人間の串刺しが出来上がるな」
「“鉄の処女”に抱かれるようなもんだな」
「いや。ほんとにその事故起きかねない」
 
「電気流すのは?畑の獣除けと同じ」
「ああ、そっちが安全。人間が登る時はスイッチを切る」
「通電してる時は赤いランプ、切ってる時は青いランプ点けるようにしよう」
「そのアイデアいいね」
 
↓ ↑ Bottom Top

それで養殖場には電気を流してヒグマを寄せ付けない仕組みが導入されたのである。
 
「人間は念のためゴム長靴を履こう」
「ああ。絶縁体だな」
「安全靴だと鉄板が入ってるから逆に超危険」
「それはマジで気を付けるよう、漁協の人みんなに言っておこう」
「市の広報とかにも掲載してもらったほうがいい」
 
ほかに漁協を通じて、ローカルのテレビやラジオでも広報してもらうことにした。
 
「獣除けのため通電中。危険なので接近禁止」
という看板も設置した。電気は水の中も伝わるので養殖場に近づいただけで感電する危険もある。それで電気はリモコンで30mの距離から切る。それでランプが赤から青に変わったのを確認してから近づく。
 
↓ ↑ Bottom Top

また通電中に“体温のあるもの”が近づくと『通電中。危険』というアナウンスも流す。
 
11月には実際に電気にやられて死んでいる熊がいたので、市内の熊料理の店の人にお願いして引き取ってもらった。熊料理店の人は念のため熊の頭に銃を撃ち込んでから熊を回収した。1歳くらいの若い個体だということだった。やはり若い熊は冒険心があるから、色々するのだろう。
 

↓ ↑ Bottom Top

10月27日(金).
 
平田まゆりは朝からタクシーで姫路駅に出てJRで三宮駅まで行く。そしてポートライナー(新交通システム)で神戸空港に行った。神戸空港で新千歳行きに乗る。2時間弱のフライトで新千歳に降りると旭川行きのエアポート113号(途中からスーパーホワイトアロー11号になる)に乗り、深川駅で留萌線に乗り換えた。留萌には14時半ころ着いた。駅前でタクシーに乗ると「三泊のP神社まで」と告げた。10分ほどで神社の鳥居前に到着する。拝殿でお参りしていたら宮司(翻田常弥)に声を掛けられる。
 
「平田さん、いらっしゃい。取り敢えず昇殿しなさい」
「はい」
 
それで昇殿して、常弥にご祈祷してもらった(善美が太鼓を叩き、千里が笛を吹いた)。まゆりは「宮司さん、祝詞が上手〜い」と思った。うちの祖父ちゃんより上手いじゃん。凄いなあと思う。でもこんな祝詞の上手い宮司さんを継いだら和弥君「祝詞が下手ね」とか氏子さんに言われそうなどと思う(正解!)
 
↓ ↑ Bottom Top

和弥は控室に居たが、何かばつが悪そうな顔をしていた。
 
宮司さんにお土産のお菓子を渡したあと、巫女控室で休ませてもらった。そのうち、小中学生の子たち(男の子も混じっているまで「へー」と思う)が来て勉強会を始める。まゆりも小中学校の内容なら分かるので教えてあげたりしていた。その内高校生の女の子が来て。本棚に立っている神道大系とか見ているので、すげーと思う(高木紀美である)。
 

↓ ↑ Bottom Top

夕方、和弥に誘われ、花絵・千里も一緒にP神社内に立っているK神社の遙拝所に礼拝するが違和感を感じる。
 
「この遙拝所はまだ未完成?」
「この遙拝所を作ったことを姫路側で神前にご報告して完成する。次姫路に行った時にする」
「なるほどー」
 
夕食も頂いてから夜中の0時近く、村山さんが来て
「火始めの神事をします。見られますか?」
と言うので見学させてもらう。
 
社務所内の囲炉裏から村山さんは藺草の細い束に火を移し、その火をカンデラ(燭台)(*7) に移した。燭台は和弥に手渡され、神殿で3基の燈台が並んでいるところに行き、0時ジャストに燈台に火が灯された。この火は祭りが終わるまで3人の不寝番により守られる。まゆりは最初の1時間くらい、この番に付きあった。
 
↓ ↑ Bottom Top

(*7) カンデラとは本来燭台、つまりロウソクを立てた台のこと。英語のキャンドルの親戚語である。この祭りで道々に置かれるカンデラも昔は本当にロウソクを使っていた。その後、安全性の問題と消えにくいように蛍光灯に置換され、4年前にLEDになった。しかし、この火始めの儀式では、火を移す必要があるので本物のロウソクを使う。
 

↓ ↑ Bottom Top

「この火は何かいわれがあるんですか」
と不寝番のひとりである花絵に訊く。
 
「ずっと昔は江戸時代頃に留萌の近くにあった火山から頂いた火を使っていたらしい。村の山の上にあった、聖火台みたいなところで維持されていたって。その灯りはニシン漁の漁船にとって、灯台のような役割も果たしていたらしい。でも戦後お祭りは途絶えてしまって、その火も失われた。船舶用の灯台も電気式になったし。今の火は10年くらい前にこの祭りが復活したとき、神様からご指名のあった小さな女の子が網走の近くの活火山から採ってきた火なんだよ」
「へー」
「それを社務所の囲炉裏で10年以上維持している」
「凄いですね」
 
まゆりは網走の近くって知床半島だろうかと思った。
 
↓ ↑ Bottom Top

(知床半島にも硫黄山(イワゥヌプリ)という火山はあるが、地形的問題に加えてヒグマがよく出るので、人が近づくことは困難である。千里が行ったのは網走の近くでやはり日本語では硫黄山と呼ばれるが、弟子屈町のアトサヌプリ(“裸の山”という意味)のほう。この山も長く入山禁止になっていたが千里が行った1994年にはまだ入山禁止前で入山可能であった。筆者は1980年代に訪れたことがあるが凄い所だった。そばに川湯温泉がある)
 

↓ ↑ Bottom Top

1時頃、村山さんが来て
「変な誤解をされたら和弥さんが困るだろうし、うちに泊まりませんか」
と言ったので、お邪魔することにした。それで神社の近くにある村山さんの家に行った、村山さんはここに1人で住んでいるらしい。2階建ての家の2階の6畳の間で休ませてもらった。
 
確かに祭りの最中に神職が女と寝てると思われると和弥君は困るだろうと思った。
 
(この家は玲羅や津気子たちが住んでいる家ではなく3月まで高木姉妹が住んでいた家。高木姉妹が小春の住んでいた家に移動したので、そのあとrの住まいとして利用している。今夜はrは司令室に居る。玲羅はしばしばこの家に来てはおやつを食べたり校納金!やお小遣いをもらったりしている。玲羅はRとrを分けて認識しており、“赤のお姉ちゃん”“ロゼのお姉ちゃん”と呼び分けている)
 
↓ ↑ Bottom Top


まゆりは、翌日(祭り初日)は村山さんに朝御飯を頂いたあと、姫奉燈の出発式とその後の様々な奉納行事を見聞きする。夕方からは高校生巫女のセナちゃんに案内されて町内や校庭・公園などのカンデラを見て回った。まゆりはその日も村山さんの家に泊めてもらった。
 
祭りの2日目も姫奉燈の運行に始まり、日本舞踊や雅楽の奉納、アイヌ舞踊・アイヌ音楽の奉納、ムックリ(口琴)の演奏、などを見聞きした。ムックリは初めて聴いたが、不思議な音のする楽器があるものだと思った。(などと言ったら1個頂いたが弾きこなせなかった)
 

↓ ↑ Bottom Top

↓ ↑ Bottom Top

前頁次頁目次

[*前頁][0目次][#次頁]
1  2  3  4  5  6  7  8 
女子高校生・秋の嵐(5)

広告:まりあ†ほりっく5(MFコミックス)