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その日、交野は立花K神社に来ると千里に占ってほしいと言った。千里は易を立てた。
「天水訟。揉め事、もしかしたら法廷闘争に巻き込まれます。慎重に判断なさることをお勧めします」
「やはりね。あの社長、なにか隠しごとをしているような気がした」
それで交野があらためて調べてみると姫路弁当は複数の揉め事を抱えていることが判明した。
・いくつかの弁当が大手のK屋の弁当に酷似しているとして訴えられている。中には使用している容器までほぼ同じデザインのものもある。それて販売の差し止めと損害賠償を求めて訴えられていた。
・こちらがより重大なのだが、深刻な労働争議を抱えていて労組は無期限のストライキを実施中。だから店舗に人がいなかったのは給料が払えないからではなくストライキのせい。労組は銀馬車のスタッフが一部商品の販売をしているのはストライキの妨害であるとして、しないように差し止め訴訟をする準備をしていた。
危なかった。完璧にこちらも巻き込まれる所だった。交野はただちに銀馬車のスタッフが代理で弁当類を売るのをやめさせた。
結局姫路弁当は9月には会社更生法の適用を申請して事実上倒産した。店舗も全て閉鎖された。しかし駅にお弁当屋さんが無いと、割りと困る。片倉たちは、複数の鉄道会社から要請されて10月には“銀馬車亭”というお弁当屋さんを立ち上げて、姫路弁当が入っていた駅に店舗を設置していった。
・銀馬車亭のメニューは、海苔弁・唐揚げ弁当・ヒレカツ弁当・ハンバーグ弁当・カレー弁当・牛飯弁当・の6種類のみとした。この選択は、調理が単純なこと(包丁を使わない)と、食中毒を起こしにくいことである。
・カレーのルーは“峠の丼屋さん”のルーを使うが、お肉には牛肉を使用する。交野は“峠の丼屋さん”が失敗したのはお肉に関西ではカレー用としてあまり馴染みの無い豚肉を使ったせいではと思っていた。こちらはちゃんと牛肉を使った。
・御飯を手炊きする。通常飲食店では御飯は大抵炊飯器だか交野は「炊飯器の飯は不味い」と思っていた。このため、各店舗に“ごはんマスター”を雇い、ひたすら御飯を炊き続けてもらう。その人には店長に次ぐ給料を払った。多忙な時間帯では炊飯器を併用する場合もある(カレーや牛飯に使う:30種類ほどの炊飯器をテストしていちばん美味しかったのを使った)が、余裕のある時間帯では手炊きの御飯を提供する。お米は新潟産コシヒカリである(カレー・牛飯は秋田県産アキタコマチ)。
・大手のH亭と業務提携し、ハンバーグ(レトルト)や刻み野菜などはそちらのセントラル・キッチンから提供してもらった。(目的は3つ:調理の省力化・食中毒の可能性の低減・店舗間の品質の統一)(*5)
・安い弁当をという声に応えて11月には“うま飯”を創設した。これはミリメシにヒントを得た物で馬肉ミンチ入りの炊き込みご飯である。“うま飯”は“うまい”と“馬”を掛けている。これを220円という常識破壊の低価格で売った。これは物凄く売れて、銀馬車亭の象徴的存在になった。
(*5) 翌年にはH亭に指導してもらって銀馬車亭独自のセントラルキッチンを立ち上げ、唐揚げ・トンカツ・焼き鮭・天麩羅やフライ、パスタメニュー・中華メニューなども製作。店舗ではチンまたは湯煎すればいいだけにした。トンカツは最初の年は店舗で包丁を使うのは衛生上と作業上の安全性に問題があるとして出していなかった。それで切らなくてもいいヒレカツ弁当だけだった。またトンカツが提供できるようになったことから、カツ丼とカツカレーも創設した。
セントラルキッチン立ち上げ後によく出たメニューに、各種スパゲティ(ナポリタン・ミートソース・たらこ)や、店舗に冷凍で配送するグラタン・ドリアの類いがある。
また2007-2008冬には牡蛎フライ弁当がよく出た。
銀馬車亭は交野がこだわっただけあり「御飯が美味しい」と言って評判になり、御飯だけ買いに来る人もできた。よく売れて万桜ホールディングの大きな柱となった。
10月に小さな駅で営業を開始し、次第に店舗を増やしていった。翌年春までには姫路弁当のあった8つの駅全部に出店した。合わせてロードサイドにも2つ店を出したらどちらももよく売れた(パン屋さんも移設したら、そちらも売れた:がっつり食べたい人はお弁当を、小腹が空いている人や非常食を確保したい人がパンを買ってくれる)
姫路駅にはいわゆる“駅弁”を売る店も多数あるのだが、銀馬車亭のお弁当は駅弁に比べると遙かに安いので、出張や旅行の人も買ってくれた。特に旅慣れた人ほど買ってくれた。
銀馬車亭では旅行者向けに姫路城の形のキャラ弁“お城弁当”を作ったのだが、これがまたよく売れた。鶏そぼろ・玉子・桜でんぶで模様を作り、ウィンナーに顔の形をプリントした物(これ自体姫北ハムで製品化した)を並べ、国産牛(但馬牛)のしぐれ煮・牛カツも添えた。銀馬車亭では最高値商品だが駅弁としては安い800円である。
全国雑誌の駅弁紹介にも掲載されて、大阪などからわざわざこれを買いに来る人もあったようである。
かくして千里は姫路で“峠の丼屋さん”自体では失敗したものの、結局孫会社の銀馬車亭で実質峠の丼屋さんの商品が売られることとなった。
またカレー・牛飯はオージービーフを使った“並”と姫路牧場(後述)の牛肉を使った“松”を出したが、4:6 くらいで松のほうが多く売れた。しかし“並”は大手牛丼チェーンと似たような値段なので吉野家・松屋・すき家に次ぐ第4勢力として姫路では評価されることになる。
その頃、西姫路駅の駅前ビル再開発が話題になっていた。ここの6階には姫路パティオという、市が管理する公共のイベントスペースがあったのだが、ここを何か集客力のあるものに転換しようと言われていた。幾つかの案が出ていた。
・7階と一体化してコンサートホールにする。
・ドンキホーテが出店する。
・セガのゲームセンターが入る。
・フードコートにして、ペッパーランチやマクドナルドを誘致する
・大阪ガスの広報施設を作る。
・関西電力の広報施設を作る。
・市立図書館の分館を作る。
ちなみにペッパーランチのレイプ事件はこの翌年2007年である。あの事件のあとならむろんこの名前は出てない。しかしフードコート案には現在3階食堂街に入っている飲食店が反対している。特にマクドナルドの名前が出ていることに現在3階で一番客を集めているロッテリアが猛反発している。
なお、このビルの所有者はプリンセスという地場スーパーで、自らも1階(食料品売場)と2階(衣料品売場)に入居している。
銀馬車が1階に入っている関係で片倉もこの再開発の会議に呼ばれていた。しかしこの会議の中でプリンセス自体、経営が苦しい状況にあることが判明した。プリンセスとしては、むしろこのビルを売却して撤退したいくらいらしい。
その日、再開発の会議に出席していた片倉は、プリンセスの社長さんに声を掛けられた。
「万桜さん、うちを買ってくれませんか」
「このビルを買うんですか」
「いえ、プリンセス自体を買ってもらえないかと思って」
「そりゃまたどうして」
「実は長く続く不況で消費者の購買力が落ちてるからうちも売り上げが落ちてましてね。苦しい状況にあるものだから、実は西友から売ってくれないかという声を掛けられてるんですよ」
「そうでしたか」
「でも西友ということはつまりウォルマートになるということでしょう?この姫路の地で創業して30年頑張ってきたのに、県外、しかも海外の企業のものになるのはしのびなくて」
「ああ」
「どうせなら地場の企業に買ってもらえないかと思うんですよ。姫路で今勢いがあるのは桜製菓さんだから」
とプリンセスの社長。
そばに付いている播州銀行の人も言う。
「桜製菓さんは、銀馬車、姫北ハムと相次いで再建に成功しています。播磨製紙・播磨合板もですよね?」
「あれはうちのオーナーが手がけた案件ですね」
「おお凄い」
とプリンセスの社長は言っている。
「しかも再建というと多くの経営者がリストラや労働強化・下請けの締め付けなどでコストカットして収支を改善しているのに片倉さんたちの手法は労働者の意欲を高めて売上を伸ばす手法で再建していて、鞭では無く飴で再建するというのが金融界でも高く評価されてるんですよ。ここもやってもらえませんか」
「あれはたまたまうまく行っただけですけどね」
と片倉は言ったものの、交野と相談してプリンセスを引き受けることにしたのである。実は交野は千里に相談し、千里が易を立てて“風山漸”の吉卦を得たのである。
交野は橘丘新町に実験店を作ることにした。
橘丘新町には以前東西屋というスーパーの店舗があったが、売上が悪く撤退した。実は千里の家はその店舗跡地に建っている(店舗跡で敷地が広かったため道場が建てられた)。売上が悪かった原因は割と明らかである。
・他のスーパーに比べてあまり安くなかった(根本的問題)。
・仕入れルートの問題で、野菜があまり新鮮ではなかった
・お肉が輸入物ばかりで安いのはいいが味が微妙だった
・お魚が遠洋物とか塩乾物ばかりで、お刺し身にできるものが無かった。
・橘丘新町の住人の殆どが住宅ローン返済のため共働きで、夫婦とも市街地の会社に勤めている。ところがこの店の営業時間は10:00-17:00で、現実問題として営業時間に買物できる人が存在しなかった(最大の問題)。
交野は実験店の営業時間を15:00-22:00 とした。これで仕事が終わった人が帰宅時に買物できるようにした。また昼間別の仕事をしている人が夕方からパートに入ってダブルワークできる。17:00-24:00でもいいくらいだが、それだと深夜労働になるし、高校生のバイトも使えない。また子供を保育園で引き取った後、16時くらいに買い物したい人もある。
大手スーパーH社と提携し、カップ麺などをそこから仕入れる。これでかなり安い価格でカップ麺やレトルト食品、また食パンなどを売ることができる。
・そのまま夕食になるようなお惣菜を50種類以上のほか、レンチンやフライパンで炒めるだけで仕上がる半製品も多くそろえた。
・お米は手間のかからない無洗米を多く並べた。お米は新鮮産業から結構安い価格で仕入れたほか、県内の幾つかの農家と契約し、県産米を産直で買った。
・千里のコネで岡山新鮮産業から新鮮なお魚を多数仕入れた(しかも安い)
・姫北ハムの関連養豚場からおいしい豚肉を安く仕入れた。姫北ハムのハムやウィンナーも並べた。
・牛肉に関しても“姫路新鮮産業”(岡山新鮮産業の子会社)経由で、姫路近隣の多数の牧場(“姫路牧場”グループとして後に組織化する)から国産牛を多数仕入れた。この牛肉は銀馬車亭でもカレーや牛飯に使った。
・姫路市内の10軒の農家と契約し、摘み立ての野菜(特にレタス・キャベツ・トマトなど)を並べる
・新鮮産業から、工場生産される、かいわれ大根・エノキダケ・もやし、菌床栽培の椎茸などを仕入れる。
・千里のコネで播磨製紙の安価なトイレットペーバー・ボックスティッシュも並べた。
・銀馬車のパンや銀馬車亭のお弁当やおにぎりも置いたらこれがどちらもよく売れた。特におにぎり、またごはんだけ買っていく人が多かった。これはやはり銀馬車亭のごはんが美味しいからである。
・店頭で客の目の前で揚げる空揚げがメチャクチャ売れた。これだけ買いに来る人もあった。リクエストに応じて、トンカツ、白身魚フライ、アジフライ、ハムカツ・チキンカツ、ちくわ天、なす天、かぼちゃ天、とメニューを増やしたらどれもよく売れた。何時に何が揚がるという予定表を掲示したのでそれを目安に買いに来る人が多かった。
・橘丘新町・立花北町の地域限定で買った物を自宅まで届けるサービスを300円で請け負った。3000円以上買った人は無料にした。お米などを買ってこのサービスを利用する人は多かった。
・11月後半からは自販機方式のおでん販売機を設置した。おでんの汁が外気に触れてないのでコンビニおでんのような衛生問題が生じないのである。しかも大根や厚揚げなどは30円で買えるのでとても好評であった。またおでんの汁だけ500ccのペットボトルで売ったがこれもけっこう出た。普通のおでん種も相乗効果でよく売れた。
牛や豚は1頭単位で買ってこちらで解体・精肉した。この作業をしてくれたのは、播磨牧場の猪や熊を解体・精肉してくれている但馬五郎・六郎という兄弟である。(2011年までこの2人がやってくれた。その後、別の子たちに交替した)
お肉は1頭丸ごと買うと、部位指定で精肉を買うよりはるかに安い。ただ、使わない部位まで買うことになる。プリンセスでもリブロース、サーロイン、シャトーブリアンなどはスーパーで売るには高すぎるので、姫路西洋亭というステーキハウス(大正時代にあった同名店とは無関係)に売却することにした。先方も普通に買うのより安いので喜んでいた。
プリンセス橘丘新町店ではトイレも銀馬車のトイレを参考にした快適なものを設置した。
「トイレだけでも自由にご利用ください」
と掲示したが、実際にはトイレを使った人はみんな何か買ってくれた(日本人は義理堅い)
この結果、特異な開店時間もあって、この店は成功したのである。ただ近くのコンビニからは
「スーパーがそんな時間まで開いてたらうちは商売あがったり」
と文句を言われたが、品揃えの性格が違うということと深夜時間帯には開けてないことでご理解を得た。
この成果をもとに片倉たちは既存店舗でも改革を実行した。
・トイレを快適なものに改造する
・お肉・お魚の品揃えを一新する
・播磨製紙の安いトイレットペーバー・ボックスティッシュを置く。
・揚げ物、特に空揚げの実演販売。
・買った物を自宅まで届けるサービス
・営業時間を21時までに延長し、夕方からのスタッフを雇った。夜間スタッフは新たに募集したのだが、今までの昼間の時間からの転換を希望する人たちもあり、結局昼間のスタッフも募集することになった。でも昼間からの転換者のお陰で夜間のオペレーションもスムースに行った。
この結果。プリンセスは全店舗で売上が伸びることになる。中心部にある店をのぞいては、夕方以降の売上が大きかった 。
このほか“ネット店”を設置して、水・米・トイレットペーパー・おむつなど重たい物・かさばる物をネットで注文を受け、(姫路市・福崎町限定で)翌日程度までに自宅に届けるサービスを開始。これは特に若い女性に支持された。
・アイスクリーム・冷凍青汁、また牛乳・野菜ジュース、コーラ、コーヒーなどの定期お届けサービスをしたらこれも結構な利用者があった。
片倉はここでも全従業員とひとりひとり対話し、これでかなりスタッフの志気も上がった。その結果、プリンセスは「店員さんの感じが良くなった」と言われることになる。
なお、従業員との対話であがつてきた要望で託児所を設置したらかなりの利用があった。しかしこのことでまた従業員の志気は上がった。
プリンセスの業績が回復したことから、ビル売却の話も消え再開発の話は進み、6階は結局100円ショップのセリアが入居することになった。また三階の飲食店街自体がフードコート化されることになり、新たにペッパーランチではなく丸亀製麺が加わることになった。これは既存店で競合するお店(麺類の店)が無く、歓迎された。また翌年の事件が起きた後「ペッパーランチを誘致しなくて良かった」と関係者は言ったのである。
9月1日(金).
夏休み明けの初日、慎(さくら)は男子制服で登校した。
「なんで男子制服とか着てるの〜?」
「来週は女子制服着るけど、今日は男子制服」
「もう完全に女子制服にすればいいのに」
それでも慎(さくら)はこの日、普通に女子トイレを使い、体育の時間の水泳の授業では女子たちと一緒にプールの女子更衣室で水着(女子用水着)に着替えた。
授業ではさくらが、きれいにターンもして8往復(400m)も泳いだので、水泳部の文代ちゃんから
「剣道部でなかったら水泳部に勧誘したい」
と言われた。
この日の終わりの会では「月曜日は女子だけ検尿があります」と言われ、女子生徒に検尿セットが配られた。慎(さくら)も渡されたので「僕もですか?」と訊いたが「当然当然」と言われる。まあいいかと思って受け取った。
月曜日の朝はトイレでおしっこを採る。男の子なら、ちんちんを紙コップに入れればいいのだが女子はそういうワザが使えないので、おしっこの出てくる場所を指で確認して、そこに紙コップを当てておしっこを出して採取した。こういうのだけは女子は大変だなと思った。