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■女の子たちの音楽生活(6)

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翌日。8月2日。午前中学校に補習に出た後、いったん町に出て楽器店でヴァイオリンの弦を買った。貴司からもらったヴァイオリンは、恐らく買った時のままと思われる金属弦が張られていて、それもかなり痛んでいたので、新品のナイロン弦に張り替えようと思ったのである。
 
その後、午後から神社に行き、巫女さんの仕事をする。ちょっと時間が空いたので
「ちょっと龍笛の練習をしてます」
 
と言って、奥の方の部屋で越天楽を吹いていたら、見知らぬ女性がトントンと叩いてから障子を開けた。
 
「はい、如何なさいましたか?」
と千里が笑顔で尋ねると、その女性はにこやかな顔で
 
「私、A神社の巫女をしてる木村という者だけど、あなたの龍笛素敵ね」
と言う。
 
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「まだまだ未熟者です」
「それは名人クラスに比べたら未熟かも知れないけど、かなりの経験者だよね?」
「3年ほど吹いています」
「それで。でも、息づかいが凄くしっかりしてるから、てっきり男の人かと思ったけど、音の運びがとても柔らかだから、やはり女の人かなと思って興味持っちゃって」
 
龍笛は肺活量を要求する楽器である。ファイフや篠笛を吹くような優しい息の使い方では龍笛はまともに鳴らない。
 
「それで物は相談だけど、あなた雅楽の合奏してみない?」
「え?」
 

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それでその手の話は自分の一存では決められないのでと言って、斎藤さんに同席してもらって一緒に話を聞いた所、今旭川周辺の巫女さんを集めた雅楽の楽団を作ろうとしているのだそうである。
 
「雅楽というと何か男の世界でしょ? 実際女性が演奏するどころか学ぶことも許されなかった時代もあったみたいだし。だから、巫女さんや女性神職を集めた楽団を作ってみたいのよ」
と木村さんは言う。
 
「ああ、なるほどですね」
と斎藤さんは応じながら、少し考えている風。まあ性別の基準を見た目に置くのか、戸籍に置くのかの問題かな?
 
「鉦鼓(しょうこ)・鞨鼓(かっこ)・太鼓といった打楽器は何とでもなるのよね。琵琶や箏が弾ける人は多い。特に箏(そう:一般に「お琴」と呼ばれている楽器の正式名)なんて男性より女性の演奏者の方がずっと多い。でもやはり管楽器が吹ける人が少ないのよ」
と木村さんは言う。
 
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雅楽の基本は三管・三鼓・両絃である。両絃は琵琶と箏(そう)または和琴(わごん:日本独自の六弦琴)、三鼓は鉦鼓(鐘)・鞨鼓(鼓−つつみ)・楽太鼓、そして三管は龍笛、篳篥(ひちりき−縦笛)・笙(しょう)である。
 
笙は17本の竹を縦に密集して並べた楽器でその形が鳳凰に似ているとして鳳笙とも呼ばれる。三管は同じ管楽器とは言っても各々全く違う構造の楽器である。龍笛はフルートと同様のエアリード、篳篥はオーボエと同様のダブルリード、笙はハーモニカと同様のフリーリードで、お互いに演奏要領も全く異なる。
 
「ちゃんと吹ける人が少ないわよね」
と斎藤さんも言う。
 
「そうなのよ! 音が鳴ればいいという感じで吹いている神社が多くて、ここだけの話」
「で、下手な人が後輩に教えるから、そもそもまともな吹き方を知らない演奏者が量産されている、ここだけの話」
 
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千里は苦笑したい気分だったが、笑ってはいけない気がしたのでポーカーフェイスを保った。千里が龍笛を吹きこなせるようになったのは、留萌Q神社で寛子さんという上手な吹き手から習ったお陰である。
 
木村さんの話では現在、笙1人と篳篥2人のメドを付けているものの、龍笛の上手い人がなかなか見つからずに困っていたらしい。実際には管楽器は2人ずつ欲しいらしい。
 
「やはり三管の中でも龍笛は、パワーが必要でしょ? 一応形だけは音が出ていても、龍笛特有のまるで龍が呼吸しているかのような音をちゃんと出せる巫女さんが、なかなかいなくて」
と木村さん。
 
斎藤さんも頷いている。
 
「うちの神社の巫女でも、きちんとあそこまで音を出せるのはこの子と、もうひとり今病気で入院中の子だけしかいないんですよ」
 
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「ああ、やはり少ないですよね」
 
「ただ、この子、高校生で特進組なので、時間があまり取れないんです」
と斎藤さんは言ってくれた。
 
「やはりねー。なんか上手な人ほど時間が取れない傾向があるみたい」
「そういうもんですよねー、物事って」
 
それでどっちみちその楽団が動き出すのは秋以降になるし、本当に忙しい人が多いので、月に1回くらい練習に出れば良いという方向で考えてもらうことになった。
 

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木村さんが帰ってから、千里は念のため訊いておく。
 
「女性だけの楽団みたいですけど、私、いいんでしょうか?」
 
「女性だけというより、巫女さんの楽団ってことみたいだし。千里ちゃんはうちの巫女だしね」
「そうですね」
 
「それに千里ちゃん、医学的には女みたいだし」
「そうですね・・・」
 
「あ、ちなみにその練習時間も神社の勤務時間ということにしてお給料出すからね」
「それは嬉しいです!」
 

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その日千里が帰宅したのは19時だった。
 
神社でお仕事をしている間は携帯の電源は落としておく。お仕事が終わった所で電源を入れるのだが、その時点ではメール等はまだ来ていなかった。そして帰宅してもまだメールは無かった。貴司の試合はとっくに終わっているはずである。
 
待ちきれない思いから千里はタロットを引いてみた。
 
剣の5.カードに付けられたタイトルは Defeat. 解釈に悩むカードである。Defeatは「打破する」という意味だが、文脈によっては「打破される」の意味にもなる。ただ剣の5自体は概してあまり良くない意味を持つことが多い。
 
補助カードを引いてみた。棒の8 Fall。これもまた悩むカードだ。落ちたというのは、チームが沈没したのか。それともボールがゴールに落下したのか。
 
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更に補助カードを引いてみる。運命の輪。
 
千里は諦めてタロットを放置したまま、ベッドの上に寝転がった。
 
だめだ〜。今自分は「通ってない」。だからタロットがきちんと反応してくれないのだろう。物事に期待しすぎていたり、不安が大きすぎるとタロットはちゃんとした結果を表示してくれない。だから占い師はいつもニュートラルな心を保たなければならない。
 
でも貴司のことで、私、ニュートラルになれないもん!!
 
自分のことは占えないという占い師は多いが、多分恋人のことって自分のこと以上に占うのが難しい。そういえば貴司から行方不明になったCDの場所を占ってと頼まれた時も全然当てきれなかったなというのを思い出していた。私って好きな人のことは占えないのかも?
 
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張り替えるつもりだったヴァイオリンの弦も放置したまま、千里はベッドの上で、放心状態になっていた。
 

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やがて叔母が帰宅して千里の格好を見て言う。
 
「こらこら、うら若き乙女がするような格好じゃないぞ」
 
「私、男の子みたい?」
「男だったら、大の字に寝転がってるだろうね」
「そっかー!」
 
千里は閉じた貝のような格好で寝ていた。どっちみち無防備である。
 
「千里、あんた男の子にはなれないよ」
「それは分かってるけどねー」
 
突然『ここでキスして。』のメロディが鳴る。千里はパッと飛び起きると携帯を開き、いきなり
 
「初戦突破おめでとう!」
と言った。
 
「ありがとう。誰からか聞いた?」
「ううん。貴司が今日勝つのは信じてたから。でも大変な試合だったでしょう?」
 
実は今電話が鳴った瞬間、貴司が勝利に喜んでいるイメージが見えたのである。
 
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「どちらが勝ってもおかしくない試合だった。最後相手チームがブザービーターをしたかと思った。向こうがシュートした直後に試合終了のブザーが鳴った。ボールはゴールに入った」
「わぁ」
「ところがそのシュートとほぼ同時に24秒計も鳴っていたんだよ」
「あぁ」
 
バスケットではボールを持ったチームは24秒以内にシュートを撃たなければならない。その時間を計っているのが24秒計である。
 
「審判がTOに照会したら、シュートのボールが手を離れたのより24秒計の方が一瞬早かったとTOが言うのでゴールは無効。時計残り1秒の状態から、うちのスローインで再開。即試合終了で、うちの勝ち」
 
このような場合TOは自分の感覚が勝負を分ける。審判から「どちらが早かったか」と訊かれるのは日常茶飯事なので、微妙なタイミングになる場合、TOをする人はかなり神経を集中してプレイを見ている。
 
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「凄い試合だったね」
「うん」
 

その後20分くらい話して電話を切った。
 
「私、お腹空かせて帰って来たんだけど」
と美輪子が言った。
 
「ごめーん。すぐ晩御飯作るね」
「ううん。あんたたちの会話でお腹いっぱいになった」
 
「美輪子さんも彼氏と電話していいよ」
と千里は言う。
 
「心配しなくても電話するよ」
と言って美輪子は千里の額に軽く指パッツンをした。
 
「でもインスタンラーメンくらいは入るかな?」
「うん。確かサッポロ一番塩ラーメンがあったはず」
 
と言って千里は台所に立った。
 

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翌日も普通に学校に補習に出て行く。貴司の試合は午前中のはずである。千里は授業を受けていても気がそぞろだった。
 
あまりボーっとしていたせいか当てられる。
 
「村山。今僕が読んだ所を日本語に訳しなさい」
 
えー?どこよ、それ??
 
『21p14行目から』
という声が右後ろ斜めからする。
『サンキュー《りくちゃん》』
と千里は答えてそのページを開き読み出す。
 
「リンダはスミスさんの奥さんと一緒に銀座に出かけ、デパートで一緒に可愛いシャツとスカートを買いました。店員が緑のスカートを勧めましたが、リンダは緑よりピンクが好きと言い、ピンクのスカートを買いました」
 
「ほほぉ、ちゃんと聞いてたんだな」
「はい。スカートを買う話だったので、いいなと思いました」
 
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「村山、いつもズボン穿いてるけど、今日はちゃんとスカート穿いてるもんな」
「え?」
 
それで初めて千里は今日は女子制服を普通に着ていることに気付いた。
 
「あれ〜〜〜?」
「だいたいうちの女子制服にズボンは無いから。いつもちゃんとスカートを穿いておくように」
 
と言って、先生は授業を続けた。
 

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