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体育祭の閉会式が終わった後、1年生はそのまま各クラス毎に集まっていてくださいと言われた。何だろうと思ったら学級写真を撮るということのようである。
校庭の隅にある創立50周年の記念碑の前に集まり、そこで写真を撮る。
「右側に女子、左側に男子が並んで下さい」
と言われるので千里が左の方に行こうとしたら、孝子から
「こらこら。どこに行く」
と言われる。
「話聞いてないの?女子は右側」
と智代。
「えー。だって・・・」
「まさか男だとか主張するつもりは無いよね?」
ということで、他の子たちに引っ張って行かれるようにして女子の並びに入り、女子の最後列で、留実子の隣に並んで写真撮影した。
「この写真、卒業アルバムのDVDにも入れるんだって」
「後で学校のウェブサイトの1年5組専用エリアにもアップするらしいから、欲しい人は各自ダウンロードしてって」
今はみんなデジタルなんだなと思う。そしてそれなら、うちのお父ちゃんが見たりする心配は無いなと千里は思った。
ところで千里たちのN高校はスポーツが盛んで、バスケット部以外でも野球部・ソフトテニス部・スキー部も強い(この4つの部が特待生枠を持っている)。スキー部は冬だが、野球部は過去に1度甲子園に出場しており、今年も6月の旭川地区予選を順調に突破し、7月中旬の北北海道大会に進出した。これを全校生徒で応援に行く。但し免除されるのが上記4つの部の部員と特進組の生徒で、千里はバスケ部でもあり特進組でもあるので応援しに行く必要は無かった。
しかし実は気になることもあった。それはこの北北海道大会に元彼の晋治も旭川T高校のメンバーとして参加していることであった。
平日でもあったので、7時間目の授業が終わった後、学校を出て最寄り駅のトイレ(当然女子トイレ!)で普段着のトレーナーとスカートに着替えてから球場に行ってみた。頭も普段の五分刈りでは目立ちすぎるので、鮎奈たちからもらったショートヘアのウィッグである。
千里が行った時は自分たちのN高校の試合がもう7回まで行った所であった。4対0でリードしている。N高生徒たちの居るエリアに行って知っている人に見られると面倒なのでバックネット付近の、一般の観客がいるエリアで観戦した。やがて試合は8回を両者無得点のまま終え、N高は9回の表を三者凡退に抑えて勝利した。応援していたN高生徒が会場から出る。その後にT高校の生徒たちが入ってくる。T高校は男子校なので、男の子ばかりである。ちょっと近寄りがたい世界だなと思って千里は見ていた。ただ同系列で共学のT中学の女子チアリーダーチームが友情応援をしていた。
先発はプロ野球からも注目されているという剛速球を投げる投手であった。この投手が1番の背番号を付けており、晋治は控え投手の番号10番を付けている。晋治の出番、来ないかなと思いながら千里は観戦した。晋治にとっては最後の甲子園への挑戦である。
しかし相手チームのピッチャーもひじょうに上手い子であった。スピードは無いが多彩な変化球を持っていて、それでT高校の強力打線を翻弄し0点に抑えている。時々走者は出るのだが、守備も良くてT高校の選手に二塁さえも踏ませない。晋治の方は一応控えピッチャーなので時折ブルペンで12番を付けた控えキャッチャー相手に投球練習をしている。
試合は緊迫した雰囲気のまま7回の攻防まで終えた。8回表。相手チームの攻撃。T高校のエースが投げる。先頭打者が鋭い打球を放った。その打球をピッチャーは思わず右手で捕ってしまった。
ピッチャーライナーでアウトが宣告される。
しかしそのままピッチャーが右手を押さえてうずくまる。
タイムが要求され、選手が集まる。アンパイアもそばに行って何か話している。ひとりの選手がベンチに走って行き、本来はベンチから出てはいけない監督もマウンドに行った。
数分後、ピッチャーはベンチに下がり(すぐに学校関係者の車で病院に行ったらしい)、選手の交代が告げられた。ブルペンにいた晋治が駆け足でピッチャーズマウンドに上がった。T高校の応援席がざわめいている。相手側の応援席もざわめいていた。
試合が再開される。
晋治が投げる。1球目は打者も様子を見たようで内角低めのストレートが決まりストライク。2球目はタイミングを外すような外角のカーブに空振りして0-2(*1). そして3球目は内角ギリギリに剛速球が決まりバッターは手が出ず三振。まずは最初のバッターを打ち取った。
(*1)日本の高校野球では1997年から球審はボール→ストライクの順にコールするよう変更された。
晋治はスピードの違う2種類の速球を持っているのである(投げ方と指の形は同じだが縫い目に対する指の掛け方が違うんだよと晋治は言っていた)。
次のバッターは打つ気満々であった。1球目外角高めで空振りした後、2球目外角低めの球を強引にバットに当てて外野に運ぶ。しかし上がりすぎてセンターの子が楽々キャッチ。3アウト。
8回裏になる。8番からの下位打線であったが先頭打者がフォアボールで出た後、9番打者が更にデッドボールで出塁してノーアウト12塁という絶好のチャンス。1番バッターはバントを成功させて1アウト23塁。しかしここで相手チームは満塁策に出る。2番バッターにフォアボールを与えて1アウト満塁にする。塁が埋まっている場合はランナーに進塁の義務が生じるためタッチが不要となりアウトを取りやすいためである。
そして3番バッターが晋治だった。元々のエースは投手としても凄いが打者としても(高校野球レベルでは)凄いので、3番に入っていた。そこと晋治が交替したので打順も3番なのである。
千里はこの場面、もし2アウトなら晋治は交替させられていたかも知れないと思った。晋治だって結構いいピッチャーだが、3番手のピッチャーも晋治と背番号の10番・11番のどちらを付けるか争っていた優秀なピッチャーである。
そして晋治自身も自分がアウトになっても次にこのチームの大黒柱ともいうべき強打者の4番がいるので、気楽に打席に入ったと後から言っていた。監督からは三振してもいいから内野ゴロ(併殺を取られる)だけは打つなと言われていたという。
恐らく、その気楽さがそのプレイを呼んだのだろう。
相手ピッチャーが投げたボールは初球ど真ん中に来るストレート。それを晋治はきれいに振り抜いた。
ボールは高く上がるが飛んで行く方向はレフト線ぎりぎりっぽい方角である。もしフェアであれば、野手が捕っても犠牲フライになって1点取れる。観衆がボールの行方を追った。レフトの選手が必死に追う。
そして
ボールはレフトポールぎりぎりのスタンドに飛び込んだ。三塁塁審が腕を回す。
ピッチャーが呆然として立ち尽くしていた。
晋治は思わず「やった!」という感じで手に拳を握り、ダイヤモンドを一周した。三塁走者、二塁走者がホームベースを踏み、一塁走者もベースを回りきって本塁に帰ってくる。そして晋治も一塁・二塁・三塁を回ってホームに帰ってきた。
先に戻ってきていたランナーとハイタッチする。ベンチに戻るとみんなから頭を叩かれている。そしてすぐ投球練習に行った。
4対0となったが、相手ピッチャーは気を取り直してマウンドに立つ。T高校の四番バッターが出て行く。1−2の後の4球目。内角の球を打つがボールは伸びず深めのショートフライとなって2アウト。続く5番バッターもサードゴロに打ち取って8回裏を終了した。
打たれた後もほとんど正常心で投球している。この精神力は見習いたいと千里は思った。やはり晋治へのあの1球だけが、失投だったのであろう。野球ではそのたった1回の失敗が大きく勝負を左右する。千里は小学生の時、ソフトボールのピッチャーをしていて、最終回2アウトまで来てから相手に逆転ツーベースを打たれてサヨナラ負けした苦い経験を思い出していた。
9回表。相手チームは何だか円陣を組んで頬を叩き合ったりして気合いを入れていた。打席に立っても何か吼えてる!? しかし晋治は冷静だ。元々調子に乗りやすく、浮かれやすい性格ではあるものの、ここは気を引き締めている。打ち気にはやる打者にわざとゆるめのボールを投げてタイミングを外す。まずは最初のバッターを三球三振。
次のバッターは先頭打者よりは落ち着いているものの、やはりかなり燃えている。晋治は外角のカーブ、遅い方の速球を使って、じらしておいて、最後は速い方の速球で三振。2者連続三振。
ここで代打が出る。13番を付けた子が出て来て打席に立つ。最初は遅い方の速球を内角低めに決める。晋治は千里の先生であるだけあってコントロールが良い。デッドボールを出したことが無いというのを本人も自慢していた。それ故にキャッチャーも安心して内角ギリギリを要求できるようである。
2球目外角へのカーブ。それに打者がバットを合わせる。快音が響いてボールが高く上がるが、ファウルで客席に飛び込む。0-2。更に外角への球を打たれてまたファウル。晋治は更にもう1球外角ギリキリっぽい所に投げて更にファウル。
そして5球目。速い方の速球が内角に来る。バッターは3球続けてのカーブの後なので振り遅れるが何とかバットに当てる。
が、さすがに芯を外れたようでゴロになる。サードが捕って1塁へ送りアウト。
試合終了。T高校が4対0で勝った。
千里は晋治の携帯に「お疲れ様。勝ち投手おめでとう」とメールを送っておいた。
それで帰ろうとしていた時、千里はふと異様な空気に気付き、その方角を見た。小学4−5年生くらいかな?という感じの少女が立っている。しかしその周囲に人がいない。こんなにたくさん球場には人があふれているのに、少女の周り数mには誰も居ないのである。正確には少女の左側は5mくらい、右側も2mくらい空白地帯になっている。
千里の斜め後ろで《こうちゃん》が指をポキポキっと折るのを聞いた。
その時、T高校の野球部のユニフォームを着た男子が走ってきて、彼女に気付かず、まともにぶつかってしまった。ふたりとも倒れる。ベンチ入りできなかった部員さんだろうか?と千里は思った。
「あ、ごめん」
とその男の子は謝ったのだが、少女はその男の子をギロっと睨む。そして立ち上がったが、男の子の方は立ち上がれない。そしておびえたような顔をした。千里はふたりのそばに近づいて行った。
少女が千里の気配に気付いてこちらを見た。
「あんた何?」
と少女は訊いた。
「私はただの巫女だけど」
と千里は言う。
「巫女か。じゃこれが見えるのね? 怖くない?」
「さあ。私は巫女ではあるけど霊感無いのよねー」
と千里が言うと少女は馬鹿にされたと思ったようで
「チビ、こいつからやっちゃいな」
と言った。
ところが、その後、少女は不可解な反応を示す。
「え?チビ、どうしたのよ? ちょっとチビ〜! どこ行くの?」
どうも少女にチビと呼ばれた《何か》が、逃げて行ってしまった雰囲気である。少女も慌ててその後を追っていった。
千里はまだ倒れている男子野球部員に声を掛けた。
「大丈夫ですか?」
「こ、こしがぬけて・・・」
それで千里は彼の手を取って起こしてあげた。
「ありがとうございます。あれ?あなた以前も見たことある」
「ああ。私は青沼君の元カノだから」
「へー! 青沼さんの! いや今日は青沼さん凄かったですね」
「私もびっくり。でも今、何を見たんですか?」
「虎が・・・虎がいたんです。こちらに飛びかかってきそうにしてて怖かった」
とその男の子は言った。
千里は少女(天津子)が走り去った方角を見詰めていた。そしてふと思い出した。今少女のそばで感じた気配は2年前に旭川に映画を見に来ていてトイレの中で遭遇した怪異であることを。そうか虎だったのか。あの時そばに居た少女(青葉)からも「見えたんですか?」とか訊かれたっけ。
でも・・・
そういうの私、全然見えないんだけど!?
それを思い出していた時、斜め後ろで《こうちゃん》が言った。
『あいつ癖の悪そうな虎だったから、叩きのめしてやろうと思ったのに、千里を見た途端、ビクッとして逃げて行ったぜ。前に会ったことあるの?』
『そうだなあ。モップで思いっきり叩いたことあったかな』
『なるほどねー』