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音楽練習室に集まり、いつものメンバーで練習をする。とは言ってもいつも参加するメンバーは微妙に違う。みんな勉強や部活などで忙しいので毎回参加できる人はひとりもおらず、中核メンバーである蓮菜(Glocken)・鮎奈(Rhythm Gt)・孝子(Keyboard)にしても必ずしも毎回は参加していない。
今日もリードギターの梨乃・ライアの智代は塾に行くので欠席、ドラムスの留実子はバイト、ベースの鳴美と大正琴の花野子にフルートの恵香も個人的な用事で欠席で5人しか居ない。
それでリードギターは本来鉄琴担当の蓮菜が弾き、ドラムスは本来トランペット担当の京子が打つ変則体制である。(Gt1.蓮菜 Gt2.鮎奈 Dr.京子 KB.孝子 Vn.千里)
千里がヴァイオリンケースを開けようとしていたら
「あれ?いつものケースと違うね」
と言われる。
「あ、ちょっと借り物なんだよ」
「いつも借り物だったような」
「うん。いつもは叔母さんのなんだけど、これは友だちの」
と言って、さっき空港で貴司からもらったヴァイオリンケースを開ける。ケースの中に入っている調子笛で調弦するが、この調子笛は貴司が使っていたものだということに思いが及ぶと、間接キスだなと気付き、笑みが出た。
演奏していたら
「いつもと音が違う」
と言われる。
「うん、いつも使っていたのはナイロン弦なんだけど、これは金属弦だから」
と千里は答えたのだが
「ああ、音色も違うよね。でも今日の千里のヴァイオリンの音って、何だか凄くセクシーな気がして」
とピアノ担当の孝子が言う。
「ああ、きっと午前中千里はデートしてきんだよ」
と蓮菜が言った。
「え?なんで分かったの?」
と千里はつい言ってしまったのだが
「ほんとにデートだったのか!」
「デートのために補習を休んだんだ?」
と突っ込まれる。
「推測するに、そのヴァイオリン自体が彼氏からの借り物だな」
「う・・・」
「図星のようだ」
その日は『残酷な天使のテーゼ』の練習をしていたのだが、千里たちが使用していたアレンジでは、冒頭の、歌なら無伴奏で歌う部分をフルートソロで弾くようにしていた。しかしその日はフルート担当の恵香が来ていないので代わりに孝子がピアノで弾いていたのだが
「どうもそこにフルートの音が無いと変な感じだ」
という話になる。
「私がヴァイオリンで弾いてみようか?」
と千里が言うので、それでやってみたのだが、やはりしっくりこない。
「ここはやはりフルートの音がいちばん良いね」
「恵香も欠席率高いからなあ」
「あの子、2学期は何とか進学組に入れるように、塾に通って頑張ってるみたい」
「だいたいひとつのパートを複数の人が担当できるようにはしてるんだけどね」
「ギターは本来梨乃と鮎奈だけど蓮菜も弾ける」
「まあギター弾ける子は多い。私のグロッケンも大抵の子が弾けるはず」
「ベースは本来鳴美だけど智代も弾ける」
「ドラムスは本来留実子だけど京子も打てる」
「腕力無いから疲れてくるとリズムが怪しい」と京子。
「ピアノは孝子だけど、智代・千里・花野子も弾ける」
「私のピアノはてきとー」と千里。
「トランペットは京子だけど鮎奈も吹ける」
「ヴァイオリンは千里の他に孝子も弾ける」
「私は音階があやしい」と孝子。
「私は移弦が苦手」と千里。
「でもフルートは恵香だけなんだよね」
「他に吹ける人いないよね?」
「でも千里って龍笛が上手いよね。フルートも練習したら吹けない?」
「いや、楽器が無い」
「フルートって高いんだっけ?」
「ヤマハの安いので5−6万したと思う」
「千里、貧乏そうだしなあ」
「ごめーん」
「千里の持ち物って、もらいもの、借り物が多いもんね」
「うん。男子制服は自分で作ったんだけど、女子制服とスクールバッグはもらいものだし、ウィッグもロングの方は出世払いということでまだ料金払ってない、ショートの方は蓮菜たちに買ってもらったし。バッシュも中学時代に知り合いに買ってもらったものだし、自転車もお友だちのお姉さんからもらったものだし、実は龍笛の代金もまだ払ってない」
龍笛の代金は何度か払おうとしたのだが、細川さんが、お金は何かの時に必要になるからと言って、受け取ってくれないのである。
「それだけ色々もらえてるのなら、誰かフルートをくれる人はいないだろうか?」
「うーん。友だちでフルート吹きって恵香くらいだもんなあ。でも音楽の先生にとりあえずファイフ練習してみない?と言われてアウロスのファイフこないだ買ったんだよ」
「ほほぉ」
「ファイフでもいいじゃん」
「フルートもファイフも西洋音階の横笛」
「今そのファイフ持ってる?」
「うん」
「じゃ、ちょっとそれで冒頭のフルートソロを吹いてみよう」
それで千里がその部分をファイフで吹いてみると
「おお、さすが龍笛吹くだけあって、良く音が出る」
「雰囲気はかなりフルートに近いね」
と言われる。
「やはり音が樹脂の音だけどね」
と千里。
「リコーダーの音に似てるよね」
と鮎奈。
「フルートなら木管フルートに近いかも」
と孝子。
「ああ、確かに樹脂の音と木の音は似ているかも」
と鮎奈。
「じゃ、それでやってみよう」
「今日は千里はフルート吹きながらヴァイオリンも弾いてね」
「それはさすがに無茶!」
「でも恵香が吹いている所を見ても思ってたけど、横笛を吹く少女というのは絵になるよね」
「ただ千里のその五分刈り頭が問題だな」
「千里、午前中ウィッグ着けてたんなら、今も持ってるんでしょ?」
「うん」
「じゃ着けてみてよ」
「演奏には関係ないじゃん」
「気分に関係する!」
それで千里はバッグからショートウィッグを取り出すと頭に装着した。
「ついでに下もスカートにしようよ」
「えっと・・・」
まあいいかということで千里は夏制服のスカートを取り出してズボンと穿き換える。
「ああ、これで良い図になった」
「千里、やはりバンド練習の時は毎回その服装にしようよ」
「髪もそれがいいよね」
「うん、五分刈りはインパクトはあるんだけど」
練習が終わってから、ちょっとおしゃべりしてから帰ろうよという話になる。
「千里、今日はバイトは何時から?」
「今日は休みー」
「だったら千里も付き合って」
「女子制服のままね」
「うん。私は校外では基本的に女子制服だから」
「待て」
「もしかして、千里って校内は男子制服で校外では女子制服?」
「ああ、そうかも」
「それって変!」
とみんなから言われた。
楽器を片付けてから階段を降りて生徒玄関の方に行きかけた所で、伊勢先生と遭遇する。
「お、千里ちゃんがスカート穿いてる。髪型も女の子っぽい」
と先生。
「今日は千里はちゃんと校則通りです」
と孝子。
「うんうん。普段のズボン穿いてるのと五分刈り頭が違反だよね」
と伊勢先生は笑顔で言った。
結局近くのイオンまで歩いて、フードコートで話し込む。取り敢えず友人達の噂話・情報交換である。進行中のカップルに関する情報も盛んに出るが、これ私と貴司の話も、私が居ない所ではずいぶん情報交換されてるんだろうな、と千里は思った。
「だけど練習してる曲、どれも結構形になってきたし、CDとか作ってみたい気もするね」
「CD作ってデビュー?」
「それはさすがに無理だけど、どこかのスタジオ借りて録音して友だちに配るのでもいいしね」
「スタジオの借り賃っていくらくらいするの?」
「4-5時間借りた場合で3-4万くらいだと思う。録音やミクシングをスタッフさんにやってもらった場合で」
「それ自分たちでやるより、お任せした方がいいよね?」
「そのあたりによほど強い人がいれば別だけどね」
「女子の中には居なさそうだな」
「誰か同級生の男子でそういうの強そうな人とか居ないかな?」
「何人か声掛けてみようか。多分スタジオの技術者に任せるにしても、その辺りのことを理解している人がこちらにも居た方がうまくいく」
「ああ、そういう気はする」
「何か4トラMTRとか8トラとか、そんな世界?」
と孝子が訊くが
「いや、最近はDAWを使うんだよ」
と蓮菜は言う。
「それどう違うの?」
「MTRはテープのトラックに録音するもので、それを4トラックだったら4パートまで重ねられるから、よくある4ピースバンドだと1トラックに1パートずつ録音したりとかしてたみたいね。でもこれタイミング合わせが難しいし、録り直す場合は前の録音は消えるのが前提だし、編集も困難。でもDAWはそれを全部パソコンでデジタルでやっちゃうんだよ。編集もMTRに比べればぐっと楽だし、テイクは好きなだけ取って、最終的にいちばん良いのを採用すればいい」
「それ音質も全然違うんじゃない?」
「うん。MTRで音質を出すためには高価な機材を使って、ダビング回数をいかに少なくするかというのも課題になるけど、DAWだとそんなの全く気にすることない。高音質で録音できるし、何度ダビングしても音質は劣化しない」
と蓮菜は解説したのだが、突っ込まれる。
「蓮菜詳しいじゃん」
「思った」
「誰か近くに詳しい人いるの?」
「あ、えっと・・・・」
珍しく蓮菜が焦っている。
「その表情、彼氏から聞いたと見た」
「いや、彼とは別れたんだよ」
「あ、千里がその彼氏のこと知っているっぽい表情」
「きっと2ヶ月後にはまた仲が復活してると思うな」
とだけ千里はコメントする。蓮菜は少し迷っているような表情だ。
「でも誰か男子の同級生で、という話が出たときに千里は分からない? などと訊く子が誰もいなかったね」
「まあ千里は女の子だからね」
「私、電気関係はさっぱり分からない。ラジカセで録音したのを携帯に取り込むのとかも全然分からなくて、友だちにやってもらったんだよ」
「いや、その作業は実際に難易度高いと思う」
「ってか、その友だちって彼氏のことね?」
「あっ・・・」
「こないだ函館で10万人の大観衆の前でキスしたんでしょう?」
やはり噂は増幅・誇大化されるんだなと千里は思った。
「あそこに10万人も入らないよ。せいぜい500-600人だと思うなあ」
「それでも大胆だ」
「でもやはり千里は女の子だね」
そんなことを話していた時、近くのテーブルに居た、30歳前後の女性が寄ってきた。
「ねぇねぇ、君たちCD作りたいの?」
千里たちは顔を見合わせる。
「あ、ごめんね。私、こういうもの」
と言って、名刺を全員に配る。
《∞∞プロ制作部・谷津貞子》
と書かれていた。
「芸能プロダクションの方ですか?」
と孝子が訊く。
「うんうん」
「あれ?ここ、ロングノーズとかマリンシスタの事務所ですよね?」
と鮎奈。
「そうそう。どちらも解散しちゃったけどね」
と谷津さん。
「あれ?マリンシスタって解散したんだっけ?」
と京子。
「ついこないだ、関東ドームでサヨナラ公演したよ」
と鮎奈。
「それで今、うちはポスト・マリンシスタになるアーティストを探しているんですよ。実は今日は旭川に有望なバンドがいると聴いてやってきたんだけど、期待外れでね。CDはよくできてたんだけど実際に演奏聴いたらすっごく下手」
と谷津さん。
「まあ最近は編集でどうにでもできますからね」
「それで折角北海道まで来たのにこのまま帰るのも悔しいなと思ってたんだけど、今君たち見てたら、雰囲気良いなあと思って。バンドしてるんなら、ちょっと聴かせてもらえないかなあ」
千里は『雰囲気がいい』じゃなくて『顔がいい』じゃないのかなと思った。マリンシスタも歌唱力は大したことないものの、可愛い子がそろった歌唱ユニットであった。
「でも私たち、バイトとか禁止されてるから」
「進学校?」
「はい。私たち特進組なんで特に厳しいんですよ」
「あらぁ、それは残念。でも良かったら、聴くだけでも聴かせてもらえたら嬉しいなあ」
「楽器、学校に置いてきちゃったしね」
「だったら、どこかスタジオ借りてそこで楽器も借りよう。費用は私が出すよ」