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千里がマクドナルドにでも行こうかと言ったのだが、貴司がラーメンがいい!というので、手近なラーメン屋さんに入った。2つ頼むが、千里は
「半分食べて〜」
と言って、麺を半分貴司の丼に移す。ついでにチャーシューは全部あげる。
「チャーシュー食べないの?」
「脂こくて苦手〜」
「ふーん。だいたい千里って少食だよなー。マクドナルドとかでもポテトは食べないし」
「うん。とてもポテトまで入らない」
「スポーツやってる少女とは思えない食欲だ」
「私、効率のいい身体みたい」
「まあ確かに男の身体は燃費が悪い。女は燃費が良いけど、千里はほんとに女みたいな身体だ」
「私、女の子だもん」
貴司は微笑んで、ラーメンを食べていた。
ラーメン屋さんを出て、商店街を歩いていた時
「済みません」
と声を掛ける人がいる。振り向くと何だか大きなカメラを持っている。
「私、ファッション雑誌の『シックスティーン』の記者なんですが、街で見かけた可愛い子の写真を撮ってるんです。良かったら、被写体になってもらえませんか?」
「あ、いいですよ」
と千里は笑顔で答える。
「あ、良かったら彼氏も一緒に並んで」
「あ、はい」
ということで、千里は貴司と並んでいる所を写真に撮られた。
「お名前教えてください。誌上ペンネームでいいですから」
「じゃ、チサとタカで」
「了解です。あ、ちなみに編集の都合でカットされることもあるので必ず載るとは限りませんから」
「ええ。全然構いませんよ」
と言ってその記者さんとは別れた。
「でもその雑誌、もしかして中高生とか読む?」
と貴司が訊く。
「中高生女子に人気の雑誌だよ。友だち同士で回し読みしてる」
と千里が答えると、貴司は何か考えている。
「あ、私以外のガールフレンドに見られたら何か言われると思ったんでしょ?」
「え、えっと・・・」
千里は貴司が焦っているのを初めて見た気がした。
ゲームセンターに入る。
太鼓の達人をしたり、クレーンゲームをしたりする。千里は全然取れなかったが、貴司は綾波レイと九条ひかりをゲットした。
「じゃ、どちらか千里にあげる」
「じゃルミナスもらっちゃお」
「じゃレイを持ち帰るか」
「理歌ちゃんか美姫ちゃんにあげるの? だったら2個とも持ち帰る?」
貴司には妹が2人いる。
「あ、いや・・・・」
「彼女にあげる?」
「まさか。出所を追及されるとやばい」
「貴司、自分の部屋に飾るの?」
「えっと・・・・千里とのデートの記念に」
「ふーん。思い出の品にするのか。まあいいけどね」
バスケットゲームがあったのでやったが、千里も貴司も高得点をマークするので、近くで見ていた人が「すげー!」とか声を出していた。
60秒間に千里は42本決め、貴司は51本決めた。
「負けた〜。体力の差だ」
「筋力の差だよ。千里、筋力トレーニングもしなきゃ。腕立て伏せとかも頑張れ」
「そうだなあ」
「でも今かなりマジだったろ?千里」
「貴司に勝つつもりでやった」
「僕も千里には負けんと思ってやった」
ゲームセンターで最後は一緒にプリクラを撮り、半分ずつ持った。
ゲームセンターを出ようとしたら雪が降っている。
「わあ、寒そう。千里、その格好寒くない?」
「うーん。ホッカイロ入れて来たんだけどな」
「なるほどねー」
「どこか屋根のある所に移動しようか」
などと言っていた時、千里の携帯(高校生なら要るでしょ?と言われて買ってもらった)に美輪子からメールが着信する。
《雪が凄いけど、あんたら大丈夫? 何ならうちに来る?》
千里はメールを見せて「どうする?」と訊く。
「そうだね。街中にいるとどんどんお金使うし、お邪魔しようか?」
ということで、行きますと連絡したら、車で迎えに来てくれた。
「お邪魔します」と貴司が言い、「ただいま」と千里が言って中に入る。
すると見知らぬ男性がいるので、慌てて「こんにちは」と挨拶した。
「ああ、この人のことは気にしないで。居ないと思って、あんたらはあんたらで好きにしてて。コンドーム持ってる?」
「あ、はい。持ってます」
「じゃ、する時はちゃんと使いなさいよ」
「大丈夫ですよー」
と千里は返事したが、貴司は恥ずかしそうにしている。
その時、千里はふとテーブルの近くにある楽器ケースに気付く。
「あれ、ヴァイオリンケース?」
「うん。そうそう。この人と私は趣味のオーケストラで知り合ったんだよ」
「ヴァイオリン弾くんですか?」
「私もこの人もね」
と美輪子。
「あ、僕のヴァイオリン、千里にあげれば良かったかな」
と貴司が言う。
「あ、君もヴァイオリン弾くの?」
と男性。
「自己流です。こちらの貴司の方が上手いです」
「僕はもうかなりやってない」
「やってなくても楽器って覚えてるもんだよ。ふたりで弾いてごらんよ。私たちの楽器を貸してあげるから」
と美輪子が言うので借りることにした。
「なんかこのヴァイオリン、凄くいい!」
と貴司が言っている。
「そうでもないよ。200万円くらいだから」
と美輪子の彼氏。
「充分良いじゃないですか! 僕が昔使ってたのなんて15万円くらいのですよ!もう5年以上放置ですけど」
「千里はどんな楽器使ってるの?」
「母が昔使ってたのを勝手に借りて弾いてたんです」
「ああ、そういえばお姉ちゃん(千里の母)、一時期やってたね」
「通販で買った、弓・ケースに教本・カセット・松脂・調子笛のセットで3万円のヴァイオリンだったそうです」
と千里が言うと
「そんな安いのがあったんだ!」
と美輪子の彼氏は驚いている。
「その楽器はどうしたの?」
「近所の男の子に壊されちゃったんですよ」
「へー」
美輪子の方が使っているヴァイオリンは50万円くらいのもののようである。彼氏のを貴司が借りて、美輪子のを千里が借りることにした。
「でも何を弾こう?」
と貴司。
「ふたりとも『パッヘルベルのカノン』は弾けない?」
と美輪子。
「弾けると思いますけど、あれヴァイオリン3つですよね?」
「私が3番目のパートをキーボードで弾くよ」
貴司が念のため両方の楽器の調弦を確認・調整した上で(貴司は絶対音感を持っているが、ここは素直に美輪子が使用する電子キーボードにピッチを合わせた)、貴司がパート1、千里がパート2、美輪子がキーボードでパート3を弾くことにして、演奏を始める。
千里は貴司が調弦をしているのを見て、そうだ。私たちの出会いはヴァイオリンを貴司に調弦してもらったのがきっかけだったんだと、3年前の遊園地での出来事を思い出していた。その後、千里がバイトしている神社に貴司が自分のヴァイオリンを置いていて、自由に使っていいと言われていたので借りて時々弾いていた。しかし神社では空き時間があったら龍笛やピアノを練習していることが多く、ヴァイオリンはあまり弾いていない。
ミーレードーシー、ラーソーラーシーと貴司が弾いた所で千里が同じミーレードーシーという旋律を弾く。その後、美輪子がやはり同じ旋律を弾く。
3つの楽器が追いかけっこをしていく。カノンというのは追いかけっこをする音楽であり、これを合唱でやれば「カエルの歌」のような輪唱になる。もっともカノンは輪唱ほど単純なリピートではなく、複雑な展開になる所がある。
貴司は途中で譜面がよく分からなくなったようだが、何とか適当に形を整えて、うまくエンディングまで持っていった。
美輪子の彼氏がパチパチパチと拍手してくれた。
「貴司、途中でオリジナルになった」
と千里が言う。
「千里は全部覚えてた?」
「ううん。何か違うぞとは思ったけど、私も怪しい」
「まあ、こういうのは破綻しなければいい」
「クラシックに詳しくない聴衆だったら適当に弾いたこと気付かなかったりしてね」
と美輪子の彼氏も笑って言っていた。
「僕が弾いた通りに千里も叔母さんも付いてきてくれたから、何とかなりましたね」
と貴司。
「でも演奏を停めないというのは大事だよ。それができるのはパフォーマーとして重要な素質なんだ」
と美輪子が言う。
「貴司はその素質があるということだね」
と千里。
「ミュージシャンになる?」
「でも僕はヴァイオリン以外の楽器ができないからなあ。ギターやってみたことあるけど、物にならなかったよ」
「ヴァイオリンの弾き語りでストリートライブやろう」
「ヴァイオリンの弾き語りは無茶!」
その後「お互い不干渉で」ということにして、美輪子と彼氏、千里と貴司は、各々の部屋に移動する。
千里は自分の部屋に貴司を招き入れながら、3年前にここに晋治を連れてきた時のことを思い出していた。ああ。私って無節操なのかなあ。ここは晋治との思い出の場所だったのに、貴司を入れちゃったよ、などと思ったが、美那が
「男の子の恋愛は《名前を付けて保存》だけど、女の子の恋愛は《上書き保存》」
と言っていたのを思い出した。
そうだよね。私、ここに貴司との思い出を上書き保存しちゃう。晋治ごめんねー。
そんなことを思いながら、そんなことを考えているとはおくびにも出さず、笑顔で貴司を部屋に入れた。
美輪子が御親切にもお布団を《ひとつ》敷いてくれていて、ファンヒーターも点いている。部屋は暖かいので、千里は「靴下脱いじゃおう」とか、「ジャケット脱いじゃおう」と言って軽装になる。上はキャミソール、下はスカートだ。ただしキャミの下に長袖のカットソーを着ている。千里はお腹の所に入れていたホッカイロも外してしまう。
3年前、千里と晋治はこのお布団を挟んで座った。しかし今日の千里は布団を前にして、貴司と並んで座った。貴司がドキドキしている様子が感じられる。ふふふ。私を押し倒したかったら押し倒していいからねー。
「紅茶入れるねー」
と言って、千里は電気ポットの再沸騰ボタンを押し、リプトンの缶入り紅茶の茶葉をティーサーバーに入れる。お湯が沸いた所でポットのお湯を注ぐ。茶葉がサーバーの中で舞う。この茶葉が落ち着いた頃が飲み頃だ。
「貴司、お砂糖は要らなかったよね?」
「うん。コーヒーも紅茶も砂糖・ミルク入れない」
白磁のペアのティーカップに千里は紅茶を注いだ。
「どうぞ」
「ありがとう」
今日で貴司とは最後なのに、3年前に晋治とここで話した時みたいな悲壮感が無いなと千里は思った。貴司とは友だちでは居続けることで合意しているし、バスケの関係で実際いろいろ連絡を取り合うことも多いだろう。それもあるのかなとも思う。ふたりの会話はバスケットの話、友人の噂話などで盛り上がった。いつものふたりの会話だ。
やはり失恋も2度目なら1度目ほど辛くないのかな、などと千里は思ってみる。でも別れちゃった後は、やはり辛くなるのだろうか。取り敢えず今日明日までは自分は貴司の恋人だ。千里はその時間をたっぷり楽しむ気持ちを持つことができた。
2時間近くおしゃべりした所で、突然貴司の言葉が停まる。
「どうしたの?」
「いや、こんなこと千里とできるのもこれが最後なのかなと思ったら急に寂しくなっちゃって」
「ごめんねー。私、明日までしか女の子で居られないから」
「・・・・髪切った千里なんて見たくないという気がしてたけど、髪切った後でも千里とおしゃべりしたい気がしてきた」
「お友だちだもん。おしゃべりくらいするのはいいよね」
「そうだよね」
「キスできるのは今日までだけどね」
と千里が言うと、貴司は沈黙している。
千里は無言で貴司を見た。
貴司が真剣なまなざしで千里を見る。千里が目を瞑る。貴司の唇が千里の唇に接近し・・・・接触!
貴司とのキスはもう何度もしているけど、その度に千里の心臓は物凄い速度で脈を打つ。体内に何かの刺激物質が拡散していくのを感じる。その時の感覚が女性ホルモンの注射をされた時の感覚に似ているので、千里はこれは本当に体内で女性ホルモンが大量分泌されているのでは?と想像していた。