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「千里ちゃん、左手に神秘十字持ってるね」
「あ、これ神秘十字というんですか? よく友だちからきれいな十字架があるねとか言われてました」
「千里ちゃんの神秘十字は中指の真下にある。占い師にはこの場所に神秘十字がある人が多い」
「場所で違うんですか?」
「中指の下のエリアは土星丘といって理性や勤勉を表す。ここに神秘十字があるということは霊的な力を理性の配下で使えるということなのよ。それは占い師や神秘学の研究家に適している」
「じゃ、人差指とか薬指の下の場合は?」
「薬指の下のエリアは太陽丘といって感情や美的感覚を表す。ここに神秘十字がある人は霊的な力と感情や感覚が直結する。新興宗教の教祖などにはここに神秘十字がある人が多いし、芸術家などにも多い」
「なるほどー」
千里が後に知り合う、作曲家で歌手の唐本冬子(ケイ)がここに美しい神秘十字を持っていた。
「人差指の下のエリアは木星丘といって、権力や社会性などを表す。ここに神秘十字のある人は霊的な力を自分の出世や権力のために使う」
「もしかして歴史的な偉大な王とかのタイプ?」
「データが少なくて研究困難だけど可能性はあるね。よく言われるのは新興宗教の参謀型」
「教祖様を上に立てて実権を握るタイプですね?」
「うんうん。新興宗教が成功するには、教祖型と参謀型が組むことが必要なんだよ」
「ああ。ちょっと思い浮かぶ所がいくつかあります」
「ね?」
「性別で手相が変わったりするんですか?」
「手相というより手の形だよね。だいたい触っただけで男性の手と女性の手は違いが分かるでしょ?」
「ええ。男の人の手はがっしりしてて、女の人の手は柔らかいです」
「千里ちゃんの手はまだ性別未分化という感じだよね。これから少しずつ女らしい手に変化して行くと思うよ」
「えへへ」
なおこの頃、細川さんは千里が実は男の子であることを知らなかった。
「手相を見る時に、男は右手を見て、女は左手を見るという人もいる」
「へー」
「でも最近の流儀は、両方見るというものだね」
「なるほど」
「個性的な方の手を見るという人もいる。千里ちゃんの手は右手は割と標準的。右手が男性の運気、左手が女性の運気を表しているという古い説に従えば、千里ちゃんがもし男の子に生まれていたら、凄く平凡な人生を歩んでいただろうね」
「はぁ」
「でも左手は凄く個性がある。神秘十字があるし、金星帯もあるし、副生命線もあるし、太陽線もあるし」
「もしかして波瀾万丈とか?」
「うん。それに近い。ふつうに高校出て就職して2〜3年したら結婚して、家庭の主婦として一生を送るなんてタイプではない」
「ああ、自分はそういうのではないだろうなとは思ってました」
「仕事に生きる女だよね。千里ちゃん絶対大学に行った方がいい。おうち経済的に余裕ないみたいだし、千里ちゃんが大学に行くって言ったら女が大学に行ってどうする?とか言われるかも知れないけど、バイトしながらでも頑張って大学にお行きよ。それが千里ちゃんが波の大きな人生を生き抜くために必要だから。それと何か芸的なものも身につけておいた方がいいよね」
「芸ですか」
「千里ちゃん楽器できる?」
「ヴァイオリンを小さい頃、母のを借りて自分で練習してたんですけど、近所の男の子に破壊されちゃって。それ以来練習してないです」
「ピアノとかは?」
「小さい頃、おもちゃのピアノ弾いてたかな。壊れちゃったけど」
「笛は?」
「リコーダーもハーモニカも吹けません」
細川さんは少し考えていた。
「神社で祈祷する時にさ、笛を吹いてくれる人が欲しいのよ。ちょっと練習してみない?」
「はい」
それで千里は龍笛を習うことになった。
最初はこのくらいのでもいいかな、ということで樹脂製の龍笛を細川さんが「いつも頑張ってくれているからプレゼント」ということで買ってくれて、それを先輩巫女の寛子さんに習って練習を始めた。
千里が最初おそるおそる龍笛の歌口に唇を付け息を吹くとボーっという感じの音が出る。
「お、最初から音が出るって凄いよ」
と寛子さんは褒めてくれた。
寛子さんが丁寧に指使いを教えてくれたので、すぐに音階(取り敢えず1オクターブ)が吹けるようになる。
「これドレミじゃないんですね」
と千里が言うと
「それが分かるのも偉い。和音階は平調・勝絶・双調・黄鐘・盤渉・神仙・壱越。西洋音階のミファソラシドレに近いけど、それぞれ微妙に音が違う。でもその違い自体に全く気付かない人が多い」
「はは。でも神仙の音が難しいです」
「半分だけ押さえるからね」
「その半分の加減が難しいです」
「確かに押さえ方で少しピッチ変わるよね。千里ちゃん、ヴァイオリンするって言ってたね。だから音感がいいんだろうね」
「でもかなりやってないんですよ」
「だって正確なピッチを感じ取れなかったらヴァイオリンは演奏不能だもん」
「ああ確かに」
しかし神社で巫女をしていて、占い師の見習いをしていると、友人たちがしばしばやってくる。
「好きな人がいるんだけど、向こうの気持ちを占って」
「見料取るよ〜」
「いくら〜?」
「一応3000円以上なんだけど」
「学割無いの〜?」
などというので、細川さんに訊いてみる。
「じゃ、中学生は500円でいいよ」
というのでワンコインで占ってあげた。
「天地否の二爻。望み無し」
「えーん」
「これ、相手との距離がありすぎ。だいたい彼はこちらのこと知ってるの?」
「名前は知らないと思うなあ。でもこないだ札幌の放送局で偶然すれちがった時、笑顔で挨拶してくれたんだよ」
「放送局って、まさかその人タレントさんとか?」
「NEWSの**君なんだけど」
「そりゃ無茶でしょ」
わりと真面目な相談に来る子もいる。
「お父さんからは高校出たらお見合いして嫁さんに行けと言われてるんだけど、都会に出てプログラマーか薬剤師かしたいのよ」
「プログラマーと薬剤師ではまるで違うと思うけど」
「どちらも理系だよ」
「まあそうだけどね」
というので出た卦は雷山小過の四爻である。
「田舎でお嫁さんするには才能があまりすぎ。不満を感じて、結婚生活はうまく行かないと思う。お嫁さんになるにしても都会で共稼ぎ」
「ああ、そちらの方がいいや」
「専門職に就く場合は、どっちにしろ、しっかりした教育機関で訓練を受けるべき。プログラマーになるにしても、情報処理の専門学校に行くより大学の理学部か工学部でしっかり理系の勉強をした方がいい。プログラム自体は別に教えられなくても自分で勉強できるけど、合理的な思考の訓練をした方がいいんだよ」
「なるほどねぇ」
「まずは勉強頑張らなきゃ。大学に行くんなら、旭川か札幌の高校を目指しなよ。それには今の成績では厳しい」
「うん。ちょっと気合い入れるか」
貴司までやってきて500円で占いしてくれと言う。
「貴司には特別料金5万円で」
「キスしてやるから50円に負けてよ」
などと言いつつ、結局は1000円払ってくれた。
「好きな子がいるんだけど、その子は僕のことをどのくらい好きなのか見て欲しい」
出た卦は沢山咸の四爻である。
「彼女、貴司のことが物凄く好きだよ。メロメロ。でも心が凄く不安定。自分自身の中に何か矛盾を抱えていて、それに悩んでいる」
「ああ、そんな感じ、そんな感じ。彼女さ。自分は僕と結婚できないなんて言うんだけど、ズバリ結婚できるかどうか見てくれない?」
再度引いた卦は天風姤の五爻。
「結婚は難しいかもね。でも彼女、貴司と結婚できない理由になるものを隠していて人に見せていない」
「ああ、それそれ。で、核心の話なんだけど、彼女実は自分は男だって主張してるんだよ。女にしか見えないんだけどさ。どう思う?」
更に引いた卦は兌為沢の二爻。
「男だってのは嘘だよ。彼女はまちがいなく女の子。でも兌って卦は少女を表す。まだ女として未熟なんだよ」
「ほほぉ」
「でも二爻が陽から陰に転じる。どこか男っぽい部分を持っていて、それを女に転換すれば、完璧な女になれるね」
「ああ、そうかもねー」
「二爻だから、腰の付近かなあ。何か生まれつきの病気なのかも。それを治療しないといけないんだよ」
「さっさと手術しちゃえば、僕と結婚も可能になるのかな」
「まあお互いに結婚できる年齢になってから考えればいいんじゃない?
貴司の次に並んでいた久子さんが
「あんたたち、公私混同してる。ラブトークは勤務時間外にしたら?」
と呆れたように言っていた。
「千里ちゃんのおかげで占い客が増えたねぇ。時給を上げてあげるよ」
と宮司さんに言われた。
「え?でも中高生は格安料金なのに」
「今まで占いの客なんて日に1人いるかどうかだったのに、最近土日は20人くらい来てる。御守りの売上も増えてる」
千里の友人たちからの口コミで他の中学や高校の生徒まで来るようになってきたのである。中学生は500円、高校生は1000円という設定にしている。
「パワーストーン御守りの売れ行きがいいみたいですね」
と細川さん。
「うんうん。あれは携帯ストラップになるから、単純なアクセサリーとして使う子もいるみたい」
「あ、私もつけてる」
と寛子さん。
「まあ、取り敢えず時給600円で」
「わあ、ありがとうございます!」
神社の社務所の応接室になぜかピアノが放置されていたので、空き時間に寛子さんはピアノも教えてくれた。寛子さんは大学の教育学部を出ていて小学校の教諭の免許も持っている。
「小学校の先生にはならないんですか?」
「採用試験を受けて去年の春に合格したんだけど待機なのよ」
「へ?」
「教員の空きができるまで待っててということ。4年くらい待機してやっと配属される人もいるけど、待機している人は大半が途中で待ちきれなくなって他の仕事に就く。私も実質諦めている」
「はぁ」
「千里ちゃん、ピアノうまいじゃん。どう見ても私よりうまい」
と寛子さんは言った。
「でも家にピアノ無いんですよー」
「だったら、ここでたくさん練習するといいね」
「はい」
「でも弾き方がすっごい自己流」
「同級生の女の子たちがピアノ習ってるの見て、私も習いたいなあとよく言ってたんですけどね。うち貧乏だし、無理だったみたい」
「ピアノ買うのも大変だしね」
「そうなんです! 市営住宅の2DKだから置く場所もないし」
「ポータトーンとかカシオトーンみたいな電子キーボードを買う手もあるけどね。安いのなら数千円で買える」
「どっちみちお金無いですけどね」
「それは難儀だね」
「でもこのピアノ、調律がくるってると思いません?」
「うん。ここのミの音変だよね」
「ここのソ#も変です」
「細川さんに言ってみよう。神社の経費で調律してもらおう」
「いいんですかね?」
「神社の備品だもん。神社のお金で調整してもらえるよ、きっと」
細川さんは千里と寛子の要望に応えてくれて、メーカーに調律の依頼をした。細川さんは何かのついでの時でいいです(つまり出張費はサービスしてよという意味)と言ったので、6月に小学校と中学校のピアノ調律に調律師さんが来た時に、一緒にここのピアノも調律してもらった。