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千里は九州自動車道を更に走り、北九州JCTで東九州自動車道に入り、苅田北九州空港ICから空港連絡道路に入って21日午前4時前に、北九州空港に到着した。
千里たちは降りなければならないのだが、まだ《こうちゃん》は起きない。それでとうとう《りくちゃん》に「逆鱗」を叩かれて「ぎゃーっ」と凄い声を出してやっと起きた。
「すまん。すまん。じゃ出発しようか」
と《こうちゃん》は地声で言う。
「男になってるけど?」
「あ、しまった。これで女に聞こえる?」
「OKOK。女の声になってるよ。ついでに、もう北九州空港だけど」
「あれ〜?」
「じゃ、ガソリンを満タンにして8時すぎたら車を返却してから帰ってね」
と言って精算用の現金を渡す。
「すまーん! 面目ない」
と《こうちゃん》はマジで謝っていた。
千里はどちらかというと寝ておきたかったのだが、玲央美は一晩ぐっすり寝たことで気力を回復し、むしろしゃべりたいようであったので、おしゃべりに付き合うことになる。
玲央美は最初お母さんとの確執の一端を語った。お母さんとはうまく行ってないんだろうな、というのは以前から感じていたのだが、やはり色々あったようである。虐待されていた訳ではないが、本当にお互い相性が悪かったという感じである。
「兄貴が居なかったら、私は小学生か中学生くらいで自殺していたかも知れない」
と玲央美は涙を浮かべながら言っていた。
きっと玲央美は孤独な人生の中でバスケットというものと遭遇したことで自分の居場所を見付けたのだろう。札幌P高校というもの自体が北海道でバスケをする女子にとっては最高峰の場所。その最高峰の場所でMVPをいくつも取って最高を極めて、その高校でのバスケット生活が終わって、燃え尽き症候群に陥るのも自然かも知れないと千里は思った。
「高田コーチが私も玲央美もU19世界選手権の代表に招集するって言ってたけどどうする?」
「それなんだよねー。U18アジア選手権で初優勝を達成して、何かそこで美しく終わっておきたい気分で」
「世界は強いだろうね」
「強かったよ」
「そうか!2007年のU19世界選手権に出たんだったね」
「千里も世界のレベルは一度経験しておいた方がいいかもよ」
「私、逃げようと思ってたんだけどねー」
「どうやって逃げるの?」
「高田コーチは縄付けて引っ張っていくと言ってた」
「うーん。ほんとにショッカーの戦闘員みたいなのが出てきて連行されたりして」
「高田コーチも得体が知れないな」
「じゃ、今度逃げる時は一緒に逃げようよ」
と玲央美は言う。
「そうだね。でも一緒に捕まったりしてね」
「ふふふ」
その後は、中学高校6年間の色々なバスケットの思い出を玲央美が語るのの聞き役に徹した。やはりバスケのことを語る時は、この子、本当に幸せそうという気がする。このあたりって貴司とも似てるよなと千里は思う。貴司にしても玲央美にしても、バスケットが生活の100%を占めているんだ。
あ、貴司の場合は1%くらいだけ浮気ってのが入っているな。
7時頃、スターフライヤー機は羽田空港に到着する。千里はここで出るが、玲央美はトランジットで新千歳行きに乗り継ぐ。
「じゃ、試験頑張ってね」
「そちらもプロ入り頑張ってね。まあお互い無理せず生きていこうよ」
「そうだね」
それで握手してハグして別れた。
玲央美は千里と別れると、トランジットの経路に従って歩いて行く。後戻りできないようになっているゲートを通過する時、玲央美は一瞬だけ後ろを振り返ってから、そこを通過した。
そして新千歳行きの出発口のそばまで来た。
するとそこに千里の姿があり、手を振ってこちらに寄ってきた。
「なぜここに居る?」
と玲央美は訊く。
「玲央美ちゃんとマッチングしていて抜いても、なぜか玲央美ちゃんは自分の前にいるのが不思議で仕方ないから、その真似をしてみた」
「うーん」
「と言っておいて、と千里から言われました」
「あ、あんた千里じゃないのか?」
「大丈夫とは思うけど、やはり心配だから札幌まで付いていってあげてと千里が言うので。私は千里の影武者です」
「矢部村まで千里と一緒に来たお姉様の同類かな?」
「そうですよ。もっともあのお姉様は変態おじさんのコスプレだけど、私は本物の女です」
「何て呼べばいいんだろ?」
「千里でもいいし、千里と呼びにくかったら、きーちゃんで」
「じゃ、きーちゃん、札幌までよろしく」
「ええ。おしゃべりでもして行きましょう」
それで2人は握手した。
一方本物の千里は空港を出ると京急と東急を乗り継いで神奈川県内の□□大学のキャンパスに行く。着いたのは8時半である。集合時刻は9時半なので、休憩できそうな場所を見付けて30分ほど仮眠してから集合場所に行った。
受験番号を確認して教室に入る。1時間目(10:00-12:00)は理科である。千里は物理と化学を選択している。医学部の場合、大学によっては生物が必須の所もあるのだが、□□大学の場合は生物は取らなくてもいいことになっている。優秀な人材を集めるのが優先で、必要なことは入学してから教えればいいということなのだろう。
それで試験問題が配られ、やかて10時になり「始めてください」と言われる。千里は問題用紙を開いた。
そして・・・
眠ってしまった。
《いんちゃん》がトントンと叩くも起きる気配は無い。
『無理も無いよ。昨日は朝から親友が自殺するかも知れない、という緊張状態の中で北海道から九州まで、JR・飛行機、更にJR・レンタカーと乗り継いで』
『そのあとずっと彼女としゃべっていて、更に夜間に3時間も自動車を運転して』
『更に北九州から東京までの飛行機の中でも眠られずにずっとおしゃべりに付き合ってた』
『緊張の糸が切れちゃったんだろうな』
『これどうする?』
『寝せといてあげようよ。さすがに可哀想だよ』
『でも寝てたら、試験落ちるんじゃない?』
『ここは本命ではないから落ちても構わないはず』
『だけど千里、教頭先生に恩があるから、この大学はちゃんと合格したいと言ってたぞ』
『でも合格しても辞退するんだろ?』
『実際問題として千里の学力じゃ、この大学無理だと思うんだけどね』
『模試はD判定だったのを、私は負けないとか言って頑張ってたし』
『特に理科が悲惨だったんだよ。英語と数学は何とかなるんだけど』
『しょうがない、白虎お前代わりに解答してやれよ』
『そうだなあ。やむを得ないか。どのくらいの点数にすればいいと思う?』
『どうせ辞退するんだから何点でも構わないだろ?午後の試験はさすがに起きてるだろうけど、午後の試験が多少悪くても何とかなる程度にしとけよ』
『うーん。じゃ90点・90点くらい取れる程度に書いとくよ』
それで《びゃくちゃん》は眠っている千里の身体の中に「入り込む」と筆記具を取って、まずは物理の問題を解き始めた。
千里がハッと目覚めた時、教室のチャイムが鳴っていた。
「それでは筆記具を置いて、答案用紙を裏返してください」
と試験官の声がある。
やっばー! 私、寝てたよ!!
千里は頭が空白になる。これじゃ不合格は確実!
理科は500点満点の200点もあるのである。しかもここの□□大学の一次試験はだいたい20人に1人くらいしかパスしない。200点分を白紙で出してしまったら、他の2教科で頑張ってもとても挽回できるとは思えない。
しかし試験官は解答用紙を集めて行ってしまう。
私どうしよう?などと思っている内に退出してくださいと言われるので、そのまま教室の外に出た。
お昼休み、千里がボーっとしていたら、やはりここを受けている蓮菜と遭遇する。蓮菜の場合は、東大の理3を受けて、ここは滑り止めである。
「なんか疲れている感じね」
「うん。疲れた」
「理科、どうだった?」
「私、寝てたみたい。多分ほとんど白紙で出しちゃったみたい」
「あらあ、それは悲惨。でも千里らしくもない。昨夜遅かったの?」
「やむにやまれぬ事情で昨夜は徹夜するはめになったんだよ」
「まあでも理科が0点でも英語と数学で250点ずつ取れば500点行くかもよ」
「むむむ」
英語と数学は各々150点満点である。
「奇跡を信じて最後まで諦めずに頑張りなよ」
「そうだなあ。バスケの試合で前半大差をつけられても後半で挽回する時もあるし」
「そうそう、そのつもりで頑張ろう」
蓮菜にそんなことを言われたので、千里も気を取り直して、午後の数学(13:15-14:55), 英語(15:40-17:10)は頑張って解答した。自分なりには8〜9割は正解できたかなあという感覚であった。
しかし□□大学医学部の合格最低点は300点前後と言われる。英語と数学の配点が合計で300点、理科2科目の合計が200点なので、理科の分がごっそり抜けるとどうにもならない、ただ千里は理科の試験のどの時点で眠ってしまったのか記憶が曖昧だった。なんか少しは解答したような記憶も残っているのである。(実は《びゃくちゃん》が千里の身体を借りて解答した後遺症)
もし少しでも解答していれば、ひょっとしたらギリギリ通してもらえるかもというのもあり、千里はその可能性に賭けることにした。
□□大学の1次試験が21日、国立大学の前期試験が25-26日、□□大学1次の合格発表も26日で、合格していれば28日に2次試験がある。それで蓮菜や鮎奈は1週間東京に滞在するということであった(費用的にもその方が安上がりになる場合が多い)が、千里はいったん帰ることにした。
例によって羽田からの旭川行き最終便(17:50)には間に合わないので新千歳行きを使う。取り敢えず羽田まで辿り着いたのが18:20である。うまい具合に19:15のエアドゥに空席があったのでチケットを購入し、すぐに手荷物検査場を通った。
高田コーチに電話してみる。
「ありがとう。村山、札幌まで付いてきてくれたんだって?」
「学校の門のところまで見送りました。さすがにその先は大丈夫だろうと思ったし」
「今日は一晩お兄さんとお姉さんとゆっくり話すということだった」
「誰かと話すことで気持ちが整理されるんですよ。私もずっと聞き役になっていましたよ。こちらからは特に何も聞かなかったんだけど、色々話したかったみたいで」
「まああいつはどうしても孤高になりがちだからな。理解者ほんとに少ない。お兄さんと、チームメイトでは北見あたりと、後はたぶん村山くらいだよ」
「たぶん高田コーチもだと思いますよ」
「そうかな」
「十勝先生や狩屋コーチよりは話しやすいでしょ」
「まあ、あの人たちもじいさんだから」
「ふふふ」
「でもあいつ九州まで行ってたんだ?博多に居たの?」
まあお土産に「通りもん」を買ってたしな、
「彼女が話したくなったら話すと思います」
「そうだな。別にそこまで詮索しなくてもいいよな」
まあ、まさか九州の山村まで行ったとは思わないよな。自分も占いの結果が出なかったら、そんな所まで行ってないだろう。