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30日の夕方、北広島市からの帰りに千里は他の部員たちと別れて深川で特急を降りた。留萌線に乗り換えて帰省する。留萌駅まで母が迎えに来てくれていたが、千里の格好を見て眉をひそめる。
「あんたさ、それでうちに帰ってくるんだっけ?」
千里は今日は旭川市長への挨拶とかもあったりして、女子制服を着ている。
「だめ〜? 私、いっそお父ちゃんにカムアウトしたいんだけど」
「それはまた今度にして」
「仕方ないなあ」
それで結局商店街で中性的なトレーナーとパンツを買い着替える。髪もショートヘアのウィッグをつけて長い髪をその中に収納した。
帰宅すると父はご機嫌であった。
「千里、お前バスケで全国大会に行ったんだって?」
「そうだね。バスケの大きな大会は夏に1度と冬に1度あるんだけど、これで2年生の夏と3年生の夏・冬、合計3回行ったことになる」
「大したもんだな、結果どうだった?」
「うん。優勝した所と延長戦までやって頑張ったんだけどね。最後負けちゃった」
私、嘘ついてないよね?うん、などと思ったが、玲羅が呆れたような顔をしている。決勝戦の様子はスカパーのJ-SPORTSで生放送されているが、うちには衛星放送を見るような設備は無いはずだから見てないだろうと千里は踏んでいた。そもそもNHKの受信料もかなり滞納しているっぽいし。
「そりゃ優勝するような所にはかなわんだろうな。でも延長戦までやったのは大したもんだ。まあ飲め」
「私まだ未成年だよ」
「18になったら飲んでもいいんだぞ」
「私17だけど」
「そうだったっけ?」
母が頭を抱えている。まあ父に子供の誕生日覚えておけと言っても無理なことだ。しかし考えてみると、私って卒業式を17歳で迎えちゃうんだな。得なんだか損なんだかよく分からない。
「大学はどうするんだっけ?」
「千葉県のC大学と東京の□□大学を受けるよ。一応C大学で通るつもりでいるけど、落ちた場合は後期日程で静岡のS大学を受けるつもり」
「静岡か。その方がまだ近いかな」
「え?静岡の方が千葉より遠いと思うけど」
と言いながら千里は頭の中に日本地図を描いてみた。
(実際に留萌−千葉間は936kmだが、留萌−静岡間は1036kmある)
「北大とか受けないの?」
「千葉に習いたい先生がいるんだよ」
「そうか。そんなこと言ってたな」
でも実は千里はC大学理学部の教官の名前など全く知らない。
「一応願書持って来たんだけど、印鑑押してくれないかなと思って」
「まあいいか。でも大学卒業したらこちらに戻って来て漁船に乗らんか?」
「漁船自体が操業していないのでは」
「そうなんだよなあ。困ったもんだ。ニシンでもスケソウダラでもいいけど、大量に来るようにする方法がないもんかなあ」
「そうだねぇ。魚の生息領域が北に移動してしまうのは地球温暖化の影響かもね」
「地球って温暖化してるの?」
「という説が最近は有力だよ」
「でも暖かくなるのはいいことじゃないのか? 北海道もずいぶん冬が過ごしやすくなるよ」
「そうそう。ロシアなんかも、温暖化はいいことだと言ってる。でも暖かくなると南極の氷が溶けて水面が上昇するから留萌みたいな海岸の町は全部水没してしまうかもね。太平洋の国では国土全体が水没する見込みの所もあるよ」
「それはちょっとやばいな」
そんなことを言いながらも父は3枚の願書に一応ハンコを押してくれた。千里は願書を一応全部ボールペンで書いていたのだが、実は性別の所だけ鉛筆で男の方に○を付けていた。父はそれには気づいていない雰囲気であった。
12月31日。
千里は午前中は母を手伝って、おせち料理を作ったりした。午後は母の買物に付き合うような顔をして一緒に車で出かけ、貴司の家に寄る。千里は車の中で女子制服に着替えておいた。
「済みません。ほんとはこの子そちらで正月を過ごさせるべきなんでしょうけど」
と母が言うが
「いや、貴司自身がずっと仕事らしくて、こちらに戻ってこないんですよ」
と貴司の母は言っている。
取り敢えずお父さんに群馬のお酒、お祖母さんには狭山のお茶と虎屋の羊羹、お母さんには洋菓子と渡して、理歌と美姫には
「これが希望ということだったから」
と言ってビットキャッシュの、かなコードを渡した。
「何それ?」
とお母さんが訊くと、お祖母さんが
「ゲームの課金に使うやつですよ」
と答える。
「図書カードにしようかと思ったんだけど、本人たちに電話して聞いたら金券なら、こちらがいいと言うから」
「助かります。これでいい装備が買える」
などと理歌は言っている。
「私も欲しいくらい」
などと貴司の祖母が言うので
「言われるかもと思って、お祖母さんにも。2000円分で申し訳ないですけど」
と言って、かなコードを渡す。
「理歌と美姫のは5000円分ね」
「お姉さん、ありがとうございます!」
「ところで貴司が、千里さんの携帯につながらないんだけどと言ってたんだけど」
とお母さんが言う。
「ああ。東京体育館の決勝戦の応援に来てくれたのはいいんですけどね。女連れで来てたんですよ。もう信じられない」
「それは酷い」
「だから着信拒否設定してます。1月10日になったら解除するからと言っておいてもらえませんか?」
「10日?」
「1月11日に貴司さん、一部との入れ替え戦だから」
「ああ。激励してあげるのね」
「まあ貴司さんが必要としていたら」
「うんうん。言っておく」
とお母さんは楽しそうであった。
母の車でいったん自宅に戻ることにする。また中性的な服装に戻す。
「でもあんた色々お土産買ったりして、無理したんじゃないの?」
と母が心配そうに言う。
「うん。バイトの方でボーナスというほどじゃないけど金一封もらったから」
と千里は言っておく。
「そうだ。お母ちゃんにもお裾分けしとくね」
と言って千里はポチ袋を母に渡した。
「3万円もあるけど」
「お年玉代わりで」
「もらっていいの?」
「うん」
「助かる〜。これで正月早々電気止められなくて済む」
「こたつとか使えないと凍え死ぬよ」
「ファンヒーター動かすのにも電気いるしさ」
「ああ、それはファンヒーターの大きな欠点だね」
自宅に戻ったのがもう16時すぎである。千里と母は一緒に年越しそばを作る。
「もう年越しか」
と父が言うが
「ごめんねー。私、明日からまた東京だから」
と千里は言った。
「お前忙しい奴だなあ」
それで一緒に年越しそばを食べ、更におとそ(母は口を付けるだけにした)、お雑煮と食べてから18時前に母の車で自宅を出た。
「ごめーん。お母ちゃん荷物できるだけ少なくしたいから、こちらで着ていた服、置いてっていい?」
「まあ仕方ないね」
それで千里は少女っぽいトレーナーとロングスカート、それに女物のコートという格好に車内で着替えてしまう。
そして留萌駅前18:30のバスで札幌に向かった。バスに乗る前に母が
「これおにぎり作っておいたから」
と言ってペットボトルに入れたお茶と一緒に渡してくれた。千里は涙が出る思いだった。
「お母ちゃん、ありがとう。親不孝ばかりしててごめんね」
「とんでもない。あんたは凄い孝行娘だよ」
母が《娘》と言ってくれたのが千里は嬉しかった。
高速バスは21時半頃に札幌駅前に到着した。駅は大晦日だけに大混雑している。改札を通って《はまなす》に乗り込む。指定席に行くと、暢子・橘花・麻依子の3人が既に来ている。この4人で明日からのオールジャパンを見に行くことにしていたのである。
「さっき暢子にも言ったけど、ウィンターカップ準優勝おめでとう」
と橘花が言う。
「右に同じ」
と麻依子。
「ありがとう。どうせなら優勝したかったけどね」
「しかし凄い試合だったね。あれオンデマンドで見たいという声が凄く来ているらしくて正月明けにも検討するらしいよ。有料になるかも知れないらしいけど」
「有料でもみんな見るだろうね。あれは金取って見せる価値のある試合だった」
「実態は最後はもう両軍とも疲れ切ってて、早く決着ついてくれ〜と思いながらプレイしていたんだけどね。ただそれでもできたら負けたくない、と。まあ負けちゃったけどね」
「なんか最後もう立てなくなってた選手随分いたね」
「消耗が激しかったからなあ」
「両軍ともベンチに座ってた選手全部出たんでしょ?」
「そうそう。久美子なんかも出る予定無かったけど、みんなの消耗が激しいんで出ることになった」
「ね、あの子、N高校の秘密兵器だったの?」
と麻依子が訊く。
「それ試合後に玲央美からも訊かれたけどさ。全くの偶然なんだよ。スリーが2本も入っちゃったのは」
「やはりそうだったのか。いつもの練習試合の時、あの子がスリー撃つのなんて見たことなかったし」
「ただあの子、あれでスリーに随分自信を持ったろうね」
「うん。怖い存在だ。まあ私も卒業しちゃうから関係無いけどね」
夕食用にと、暢子が吉野家の牛丼を「8個」買って来ていたので1人2個ずつ食べる。
「みんなやはり2個くらい行くよね?」
と暢子が確認する。
「行く行く」
「千里は昔は牛丼なんで半分残していたよね」
「やはり身体を作るには食べなきゃと思い直したからね」
「やはりあれって可愛い女の子でいたかったからダイエットしてたんでしょ?」
と橘花が言う。
「それ、玲央美からも指摘された」
「やはりね〜」
「だけどさ高1の時に男子チームに入れられて頭も丸刈りにしたりして、その姿をボーイフレンドの前に曝したので、もう開き直っちゃったんだよ。それで可愛い女の子路線が破綻してしまったから、どうせなら強い女になろうと思ってね。でも麻依子にも暢子にも全然かなわないよ」
と千里は言う。
「確かに確かに。まだまだ腕は細いと思うよ」
「男の子の標準より少し太い程度じゃない?これって」
「だと思う。スポーツやってる男の子の腕って凄いもん。でも私が個人的にいちばん凄いと思うのは玲央美の腕や足だよ」
「あの子は凄いね!」
「美人であの肉体だから、プロになったら凄い人気だと思うよ」
と橘花は言うが、千里は玲央美はこのあとバスケどうするつもりだろう?と少し心配していた。
「アジア選手権決勝の決勝点入れた時も、凄まじいタックルされたのに、びくともしなかったからね。あれ私だったら再起不能になってたかもというくらい凄かった」
「バスケットにタックルってあったっけ?」
「それファウル取られたんだっけ?」
「もう玲央美のゴールで試合は決まってしまったから取られてない。あれ玲央美が外していたら、ディスクォリファイング・ファウルだったと思う」
「なるほどねー」
「千里が最初から女子チームに入ってたら3年連続でインターハイに行ってたろうね」
と橘花。
「千里が入ってたからこそ1年の時、男子チームもあとちょっとでインターハイ、ウィンターカップという所まで行ったんだもん」
「でも負けちゃったから」
「1年の時の男子チームの千里は、今のP高校の玲央美みたいな状態だったと思う」
と麻依子は言う。
「言える言える」
と暢子も言う。
「One for all, all for oneって言うけど、玲央美の力は強大すぎて、玲央美はみんなを助けられるけど、誰も玲央美を助けられない」
と麻依子。
「うーん・・・」
「one for all but inperfect all for one」
「だから玲央美を活かせたのはU18チームなんだよ」
と橘花。
「確かにそうかも知れないなあ。鞠原江美子とか前田彰恵みたいな天才がいてこそ、玲央美は活きるんだよ」
と千里。
「うん。それに千里を加えた4人が今年の高校3年生・女子四天王だと思う」
と麻依子。
「私そんな大したもんじゃないけど」
「いや大したもんだよ」
「千里も、今更元男の子だったなんて嘘つかなきゃいいのにね」
「えっと・・・」
「高1の時に性転換手術したなんて絶対嘘だもん。高1の時、確かに千里はよく部活をサボってはいたが、たまに顔を出してもいた。本当に夏休みに性転換手術を受けたのなら、そんな顔を出す余力は無かったはず。だとするとそもそも性転換したというのが嘘としか思えんのだよね」
と暢子は言う。
「でも私をMRI検査してお医者さんは私に子宮や卵巣が無いのを確認しているよ」
と千里は言ってみるものの
「それはきっと誰か他の男の娘の写真とすり替えているんだ」
などと暢子。
「うーん。そんなの無理だと思うけど」
「実際MRIに卵巣が写ったことあるんだろ?」
「あれは多分ゴミか何かが写ったんだろうということで」
「大学病院の精密な機器でそんなのあり得ん」
「千里の性別問題は一度本格的に追及してみたいなあ」
「あははは」
「だいたい千里は、健康保険証もパスポートも性別・女になってるし」
と暢子はバラしてしまう。
「何〜?」
と麻依子と橘花が驚いている。
それで千里は実際にバッグから健康保険証・パスポートを取り出してみせる。
「ほんとに女になってる!」
「じゃやはり戸籍上も女なんだよね?」
「いや戸籍では確かに男となっているんだけどなあ。なぜか保険証もパスポートも女で発行されちゃったんだよね」
「いやそれは戸籍が女だからではないのか?」
「分かった。千里は男女の双子で、ふたりとも同じ千里という名前なんだ」
と麻依子。
「そんな馬鹿な」
「ああ、千里の双子説って一時期ずいぶん流布していたなあ」
と橘花は楽しそうに言っている。