[*
前頁][0
目次][#
次頁]
(C)Eriko Kawaguchi 2014-11-30
一方、八雲と別れた美空と月夜は空港で実父の車に乗り、最初、月夜の希望で優佳良織工芸館に行く。
「小学1年生くらいの頃に来たっきり、ここ来てなかったのよね」
などと言って月夜は懐かしそうであった。
販売コーナーで優佳良織の財布とストールを買い求め、美空に
「どちらかあげるよ」
と言ったら、美空は
「私、財布は落としそうだからストールにする」
と言うので、月夜が財布を取った。
その後、今度は美空の希望で、あさひかわラーメン村に行く。
「私、ここのラーメン屋さん8軒を制覇したかったのよ」
と美空は楽しそうである。
「じゃ次来た時、また来るかい?」
と父は言ったのだが
「お父ちゃん、それ美空を理解してないよ」
と月夜に言われるが、意味がよく分かっていない。しかし父は2時間後に月夜のことばを思い知ることになる。
まずは知名度の高い梅光軒に入る。
「醤油ラーメンの大盛りに味玉、パターコーン、それからチャーシュー4枚」
などと美空は楽しそうに言う。
札幌は味噌ラーメンが名高いが旭川は醤油ラーメンに名品が多い。
(注.梅光軒のラーメン村店は2008.4.25オープンなので本当はこの当時はまだやっていません)
「うちのラーメンは元々ボリュームあるよ」
とお店の人が心配して言ったが
「ああ、じゃ残したら僕がもらうから」
とお父さんが言うので、お店の人もそれでオーダーを入れる。月夜は醤油ラーメンのハーフサイズ、お父さんは塩ラーメンのハーフサイズにした。
しかし、ここはハーフサイズでも結構ボリュームがある。実際問題として父はそれを食べただけでけっこうお腹いっぱいになった。
が美空は楽しそうに大盛りのラーメンを食べている。見事に完食したところでお店の人が
「凄いね。君、女子高生?」
と言った。
「はい。生物学的には。でも食欲は男子高校生並みだってよく言われます」
と美空が笑顔で答えると
「じゃ、名誉男子高校生の称号をあげるよ」
などとお店の人は言っていた。
「だったら、ちんちん付けちゃおうかな」
と美空は言いい、
「ああ、いいかもね。誰か余っている奴のチンコ取ってこようか」
などと言ってお店の人は笑っていた。
「でもおちんちん余ってる人ってどんな人だろう?」
「うーん。2本持っている人とか」
「2本あったら、どちらからおしっこすればいいか悩むよね」
「さあ、おちんちん付けたことないから分からないな」
などという娘たちの会話を父は困ったような顔で聞いていた。
次に「旭川らぅめん」と称する青葉に入る。梅光軒が近年の人気一番店なら、青葉は蜂屋と並ぶ旭川ラーメンの最老舗で、旭川ラーメンのルーツのひとつである。
美空はまた醤油らぅめんの大盛りを頼んでいるが、お父さんは味噌のハーフにし、月夜は飲み物だけである。
「おまえよく大盛りが連続で入るな」
と父が半ば呆れ気味に言うが、美空は楽しそうに食べている。ここも10分ほどできれいに完食して
「お嬢ちゃん凄いね。お嬢ちゃんだよね?」
などと性別に疑問をつけられる。
「おちんちん付ける手術受けないか?と言われたことありますよー」
などと美空は言っている。
お店の人は冗談だと思ったようだが、父が
「あの医者は藪だよ。言ってたことが無茶苦茶」
などと言ったので
「あんた、ほんとにチンコ付けたらと言われたの?」
とお店の人は驚いていた。
2軒で大盛りを食べたので
「お腹も膨れたし帰ろうか。次は旭山動物園にでも行く?」
と父は言ったのだが
「まだまだ食べるよ」
と美空は言って、楽しそうに天金に入って行く。月夜は笑っている。美空がお店に入っていくので父も慌ててそれに続く。
もはや父も姉も飲み物だけである。美空は「正油ラーメン」の大盛りを頼んでまた楽しそうにおしゃべりしながら食べる。
天金の後は、更にここも本州の人に知名度の高い山頭火に入り、ここでは「しおらーめん」のやはり大盛りを食べる。このあたりから、もう月夜と父は席に座らず後ろで立って見ている。
次はSaijoで塩ラーメン、いし田で味噌ラーメン、一蔵でも味噌ラーメンと食べて最後は、いってつ庵で醤油ラーメンを食べて、さすがの美空も
「ちょっとお腹いっぱいになったかな」
と言った。
(注.一蔵はその後閉店したようで、2014年現在は代わりに工房加藤ラーメンが入っている模様:旭川の有名な製麺所・加藤ラーメンの社長の弟さんがやっている店)
「そりゃ、ラーメンの大盛りを8杯も食べればお腹いっぱいだろうね」
と言って月夜は笑っているが、父は物凄く心配そうに言った。
「美空、おまえ、契約書に体重のことは書かれていないの?」
「どうだったっけ?」
「まあ、どうぞどうぞ。取り敢えず1杯」
と牧場のオーナーは蔵田に地酒を勧める。
「お肉も好きなだけ食べてくださいね」
と言われるので、蔵田も樹梨菜も、すき焼きをどんどん食べている。
「美味しいですね。ここの牧場の牛なんですか?」
「いや、うちは肉牛は育ててないもんで。近隣の牧場の北見牛なんですけどね」
「へー。でも凄くうまいですよ」
「でも社長さん、女の子に興味無いんでしたら、可愛い男の子を手配しましょうか?それともたくましい方がいいですか?」
などとオーナーが小声で言うと、思わず蔵田は
「お、いいですね。どちらも好きですよ」
と言うが
「浮気したら去勢」
などと樹梨菜に耳元で言われて
「じゃ、次の機会に」
などと蔵田は名残惜しそうである。
蔵田は旭川近郊の食品会社にCM曲を頼まれて北海道に来ていて、東京に帰る所だったのだが、八雲が「もし良かったら、うちの牧場に来て、すき焼きでも食べて行かれませんか?」と誘ったら
「北海道のすき焼き、美味しそうだね!」
と言って、空港で返却したばかりのレンタカーを強引に「延長する」と言ってまた借りて、それを飛ばして美幌の牧場まで走ってきたのである。
「まあ、ジュリーも飲め」
と蔵田は言うが
「私まで飲んだら、レンタカー返しに行けないじゃん」
と樹梨菜は答える。
「ああ、レンタカーくらいうちの若いもんに返却させますよ。料金もこちらで払っておきますから。お帰りは明日ですか?」
「済みません。今日中に帰らないといけないんです。明日の朝、東京でラジオ出演があるので」
と樹梨菜。
「だったら、女満別空港まで送らせましょう。ここから15分くらいで行けますから。羽田への最終便は20:20ですよ」
「じゃ、18時半くらいまでは飲んでてもいいかな?」
と蔵田。
オーナーさんはすぐ女満別から羽田へのチケットを2枚手配した。
それで樹梨菜も
「僕も飲んじゃおう」
と言って、お酒をついでもらい一口飲む。
「美味しい!」
そういうふたりの様子を眺めていて八雲はこの2人、ちょっと面白いカップルだなあと思いつつ、ウーロン茶を飲んでいた。
要するに生物学的に男性である蔵田さんが女役で、生物学的に女性である樹梨菜さんが男役なんだ! 多分。
ラーメン村を出た後、美空・月夜のふたりは、旭川市内のスタジオに入る。ここでDRKの新しいCDの音源製作をすることになっていたのである。美空は∴∴ミュージックと専属契約を結んだので、事務所を通さない音楽活動はできないのだが、契約の発効日が月曜日12月17日なので、16日までは契約に縛られないはず、などと言ってこの音源製作に参加することにしたのである。
DRKの最初のシングルは昨年12月に制作したもので、千里の『鈴の音がする時』
(タイトル曲)、麻里愛の『ユーカラ夜想曲』、雨宮先生の『子猫たちのルンバ』
の3曲を収録した。
2枚目はこの8月に制作して、麻里愛が書いた『大雪山協奏曲』(タイトル曲)、『ふたりの銀河』、千里の『シークレット・パス』、月夜が書いた『恋の旅人』
の4曲を収録している。
今回は千里も計画的に頑張ったので2曲提供できた。『届かないラブソング』、『青い翼』、そして麻里愛が書いた『石狩川序曲』、そしてまた月夜が提供してくれた『塞翁が美味い恋愛』の4曲を今日明日で吹き込もうということになっている。
参加メンバーは前回の大波さんを含めた14人に、更にL女子校から同じバスケ部1年の空川美梨耶さんが加わって15人になっている(結果的にこの時のメンツがDRKの活動の中では最大人数であった)。但し今回足がまだ万全ではない留実子はベースに回り、ドラムスは京子が打っている。実は空川さんを連れて来たのは彼女がトランペットを吹けるので、京子の代わりにトランペットを吹いてもらうためというのもあった。
そして例によって、この人数が集まるのは初めてなので最初は全く収拾が付かない。プロデューサー役の田代君、名目上のリーダーである蓮菜、それに月夜の3人が何とかまとめて行こうとする。この作業で結局初日は終わってしまった。
スタジオは一応明日の夜まで2日連続で借りているのだが、20時頃
「じゃ今日はもうこれで解散してまた明日頑張ろうか」
という話になったのだが、ここで千里が少し悩むようにして言う。
「ボーカルだけでも今日録っておこうよ」
すると蓮菜も少し考えて
「確かに楽器パートは後からでも何とかなるけど、ボーカルは美空ちゃんが居る間に収録を終えないといけないもんね」
と言い、美空や他のボーカル2人も同意して、結局、田代君、月夜、蓮菜とボーカルの4人(花野子・千里・麻里愛・美空)だけ残って、歌の収録をすることにした。(他に鮎奈と梨乃がお茶係と称して残ってくれたし、美空たちのお父さんがお弁当・おやつの差し入れをしてくれた)
その日の最終的な譜面を大急ぎでMIDIに反映させたものを鳴らして、それに合わせて歌う。プロダクションから依頼された技術者さんも付き合ってくれたので、このメンツで結局夜12時近くまで掛かって4曲のボーカル部分だけを収録した。
「結果的にここから譜面自体は変更できないね」
と蓮菜と田代君は言った。
そして後から和泉や冬子が「熱い1日」と呼んだ2007年12月16日(日)。
この日、冬子は名古屋の伯母から民謡の大会の伴奏を頼まれていたので愛用の三味線を持ち、小紋の着物を着て朝から東京駅に行こうとしていた。出がけに父が
「何だか女物みたいな着物だな」
と言ったが、冬子は
「民謡の着物って派手だよね」
などと言って父の言葉をスルーして出かける。
ところが東京駅で新幹線に乗り換えるのに切符を買おうとしていた所に電話が掛かってくる。
「おはようございます、蔵田さん」
「洋子、今日暇か?」
「伴奏の仕事で今から名古屋に行くんですけど」
「じゃ、まだ東京だよな?」
「はい」
「じゃ、今すぐ青山に来て」
「は? いや、私が行かないと歌う人が困るから」
「そんなのアカペラで歌わせておけばいいよ。俺が来いと言ったら来い」
冬子はため息をついて
「分かりました。そちらに行きます。和服なんですけどいいですかね」
「ああ。それもまたイマジネーションを掻き立てられるかも」
それで冬子は仕方なく、伯母に急用で行けなくなったことを連絡する。伯母はじゃ何とかしようと言ってくれたが、この時は従姪で埼玉に住む小学6年生の三千花(後の槇原愛)が急遽出て行って代役をしてくれたらしい。三千花は小学生とはいえ、当時は鶴派代表の後継候補者だったので、小さい頃から鍛えられており、三味線自体の腕は冬子よりずっと巧かったのである。