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「すごーい。それなのにこんなに完璧に女の子だなんて」
「凄いよな。服は女物しか持ってないらしい」
「うん。中学に入った時から男物の下着を着るの拒否した。中学3年間は男子として学生服を着て通ったんだけど、高校に入る時に女子高生になりたいと思って、最初から女子制服作って通ったんだよね」
「私より凄いじゃん」
「うん。千里はそこがふらふらしてたよな」
「千里さんよりって??」
「ああ、千里も元男の子だったんだよ」
「うっそー!?」
「だけどもう性転換手術も終えて、身体検査受けて女子として認定されて女子バスケ部に在籍してるんだ」
「すっごーい。羨ましい!」
「ふたりともお互いにリードできないほど完璧な女の子だってことだね」
と言って同じく2組の教室から出て来た寿絵が言った。
始業式の翌日、千里と暢子は職員室に呼ばれた。
「最初にこれを渡しておく」
と言われて宇田先生から、プラスチック製の磁気ストライブの付いたカードを渡される。
「放火が相次いでいるという話があって、学校の出入りについて管理を厳しくすることになった。休日や平日でも夕方7時以降・朝6時前に職員玄関と校門の時間外出入口のドアを通る場合、今までは暗証番号だけで通れていたけど、暗証番号は1年に1度しか変えないから、それだけでは不用心ということで、このカードを通さないと通れなくなったから」
職員玄関と校門時間外出入口は物理的な鍵と電子的なロックで構成されている。物理的な鍵は教師と警備員さんだけが持っているので、夜の練習の時は最後は警備員さんに閉めてもらうし、早朝練習の場合はだいたい宇田先生が先に来て開けてくれている(他の先生に頼んでいる場合もある)。しかし物理的な鍵が開いていても、閉じているドアを開けるには毎回電子ロックの解除が必要である。なお夜間や休日にオーバーフェンスすると警報が鳴り、ライトがそこを照らすシステムが設置されている。毎年1度は野球部の子が場外に出たボールを取ろうとオーバーフェンスして警報を鳴らし叱られているらしい。
「分かりました。この2枚だけですか?」
「バスケ部で取り敢えず8枚もらっている。女子の方が遅くまでやっているから、男子3枚・女子5枚にする。男子は北岡君・氷山君・落合君に渡した。女子は君たち2人と、あと3人に配れるんだけど、こういうのをきちんと管理してくれる子で、朝最初や夜最後になりやすい子って、誰だと思う?」
「でしたら、白浜(夏恋)・森田(雪子)の2人とあと1枚は私に預けて頂けませんか? 何かの事情で最初または最後になる子にその都度預けたいので」
と暢子が言うと
「ああ、それもいいね。その場合は翌日には確実に回収しておくように」
と言って宇田先生は3枚のカードを暢子に渡した。
「それから、今月の20日に福岡C学園との親善試合をするから」
と宇田先生が言うので、ふたりはびっくりする。
「福岡C学園ですか?」
「うん。来春から旭川C学園高校が開校するというので、C学園の理事長さんと事務長さんが旭川市内の各高校に挨拶回りに来たんだよ。それで旭川市内の有力高校と、C学園グループの中でスポーツの強い所との親善試合をしませんかという提案でね。まあ断る理由は無いし、強い所とやるのは歓迎だし」
「うち以外ともやるんですか?」
「バスケでは福岡C学園が、うちとM高校・L女子高の3チームとやる。実は北海道に来たついでに札幌P学園ともやるみたいだ。他にサッカーでは兵庫C学園が、D実業・V農業とやるらしい。あと東京C学園のコーラス部がA高校・J高校・E女子高と一緒に合同演奏会をする」
「E女子高にコーラス部あったんでしたっけ?」
と千里は尋ねる。7月のコーラス部の大会にE女子高は出場していなかった。
「部活ではなくて、授業内でやってるコーラス・クラブというのがあるらしい」
「昔やってた必修クラブというやつだよね」
と教頭先生が言う。
「必修クラブの制度は文科省の指導要領の上では2003年で一応廃止されたんだけど、E女子高はその制度を独自に維持していて、週1回授業時間にクラブ活動をしてるんだよ」
「なるほどー」
「E女子高は進学校だから部活やる生徒が少ないんだよね。でも部活も無い高校生活は楽しくないよというので、そういう制度を取っているらしい。まあ内申書でも良いことが書けるし」
少し考えていた風の暢子が言う。
「でもこれって、親善試合というより、有望中学生の勧誘ってことは?」
と暢子がストレートに言う。
「その点、実はL女子高やD実業からクレームが出てね。中学生の観客は入れないことになった。外部には開放せずに、見学者は旭川市内の高校生だけに限る」
「とはいっても紛れて入ってくるのは容易でしょうね」
「まあそのあたりは紳士協定ということで」
こういうイベントの時は校門を開けるので、誰でも出入り自由である。
「あ、それでね。その福岡C学園との試合で、湧見君(昭ちゃん)と歌子君(薫)を女子チームに入れて出そうかと思うんだけどね」
「入れていいんですか?」
と千里は戸惑って尋ねる。
「MTFの子が居て、心は女なので女子チームと一緒に練習しているということを先方に言ったら、オンコート1名の条件で構わないと言ってきた」
「外人選手みたいな扱いだ」
と千里。
「性的に外人だったりして」
と暢子。
「異性人かな」
と宇田先生が珍しく駄洒落(?)を言う。
「実際、今花和君が抜けてこちらの戦力がかなり落ちているから。福岡C学園相手に恥ずかしい試合はできないからさ」
「それは言えますね」
と千里。
「いや、オフレコでお願いしたいんですが、一昨日の秋季大会決勝戦。ここに花和がいたら、と何度思ったか分かりません」
と暢子は沈痛な表情で言う。
「3年生が抜けてそれでなくても戦力が落ちているのに花和君の故障はほんとに痛いよね。実は特別に高橋(麻樹)君を出すことはできないだろうかというのを検討したのだけど、校長先生の許可を取れなかった。教頭先生は理解を示してくれたんだけどね」
と宇田先生。
「それ私も先生にお願いできないかと思いました。ダメですか?」
と暢子。
「教頭先生もかなり頑張ってくれたんだけどね。やはり原則は曲げられないということで」
それでその日から福岡C学園との試合まで、昭ちゃんと薫は女子チームの方に来て一緒に練習することになった。昭ちゃんは暢子や寿絵にたくさん「可愛がられる」し、「そろそろ性転換しようか」と言われて、マジで悩んでいた。
「薫ちゃん、その髪の毛は本物?」
と薫はメグミから訊かれる。
「うん。本物だよ。中学3年の時から伸ばし始めて先生に叱られても殴られても、切らずに頑張った」
「すごーい。千里はそれまだウィッグだよね?」
「うん。自毛はまだ短いんだよ。4月に1度丸刈りにしちゃったから」
「だけど薫ちゃんほんと女の子にしか見えないよ」
「薫ちゃん、その胸はフェイクなんでしょ? 試合やっててパッドが落ちたりすることはないの?」
「大丈夫。バスケする時は粘着性のあるの付けてるから、激しい運動しても汗を掻いても外れないし」
と薫。
「ああ、私もそのタイプ、中学の時に使ってたよ」
と千里。
「千里さん、中学の時ももしかして女子の方にいたの?」
「うん。当時は公式戦には出られなかったから練習試合専門で」
「へー」
「まあそれで千里は公式戦に出られるようになるため性転換手術を受けたんだよ」
「えらーい。私も手術、受けたい」
その週の金曜日、10月12日。授業が終わってから部活に行こうとしていたら職員室に呼び出しがある。行ってみると、またまた雨宮先生から電話が掛かってきていた。
「お早うございます。今度はどちらに行けばいいんでしょうか?」
「北海道はもう寒いよね?」
「そうですね。今朝の最低気温は3度でしたが」
「もうそんな気温か。じゃもう雪も降った?」
「まだです。大雪山はもう9月に初雪ですけど、旭川の街中だと来月になると思います」
「じゃ暖かい所にちょっと来ない?」
「暖かい所ってインドネシアとか?」
「行ってくる?今夜中に宮崎まで来てくれるならそれでもいいけど」
「F15でもないと無理ですね。宮崎に行くんですか?」
「そうそう。今すぐ行って」
「分かりました。でも便はあるかな?」
「旭川空港17:15のJALを予約しておいた。羽田に18:55に着くから19:30の福岡行きに乗り継いで。これ同じJAL同士だから」
「分かりました。それでもかなり慌ただしいですね」
「荷物は機内持ち込みにした方がいい。それで福岡空港に21:15に到着するから地下鉄で博多駅に出て22:11の有明に乗って」
千里は言われた時刻をメモする。
「有明って熊本行きですよね? その先は?」
「うん。23:37に熊本到着。熊本駅前で高倉という人が待ってるから、その人が用意した車に乗って」
「最後は車で移動ですか」
「目的地は青島。知ってる?」
「写真では見たことあります」
「熊本駅前からほんの200kmだから。すぐ近くでしょ?」
「そうですね」
千里はもう雨宮先生のこの手のことばにはいちいち驚かないことにしている。
「200kmなら1時間半あれば着くよね?」
「それは無茶です。恐らく制限速度の掛かっている区間が多いと思うから多分3時間近くかかると思いますが」
「まあいいや。明日の宮崎の天文薄明が4:54なんだよ。それに間に合えばいいから」
「だったら余裕ですね」
「博多から宮崎行きのJRに乗り継ぐとどんなに早くても朝6:28にしか着かないから、これだと日出にも間に合わないんだよね。ちなみに日出は6:16」
「なるほど」
要するに宮崎の青島で夜明け・日出を見て、何か曲を書けということなのであろう。
千里は電話を取り次いでくれた先生に御礼を言うと、ちょうど職員室に居た南野コーチに、呼び出されて宮崎に行ってくる旨を告げる。
「あんたも大変ね。よく呼び出されてるよね」
「全く人使いが荒い人です」
「じゃ身体無理しないで」
「多分無理させられます。じゃ行ってきます」
それで千里はタクシーを呼んでから教室に戻ると鞄から教科書などを外し、スポーツバッグからも体操服やシューズなどを外して軽くしてから玄関に出る。タクシーに乗って旭川空港に行った。車内で美輪子にまた雨宮先生に呼ばれて宮崎に行ってくることを告げる。
「じゃお土産は宮崎の焼酎で」
「未成年には売ってくれません!」
美輪子さんも最近は適当だなあと思いつつ、空港で予約されていた福岡までのチケットを購入して、保安検査を通り羽田行きに乗り込んだ。