[*
前頁][0
目次][#
次頁]
(C)Eriko Kawaguchi 2014-09-20
千里はチェックアウト時刻まで休んでからホテルを出た。それで美輪子に頼まれた羊羹を買おうと虎屋の本店方面に向かっていたら、信号待ちの時にトントンと肩を叩かれる。
「美空ちゃん!」
「こんにちは〜、千里さん」
取り敢えずお茶でもと言って、近くのマクドナルドに入る。
「こちらには旅行できたの?」
「ううん。ちょっと頼まれごとでね」
「へー」
雨宮先生絡みの仕事の内容に関しては基本的に守秘義務がある。言ってもいいのは相棒の蓮菜くらいである。
「そうだ。こないだ言ってた歌唱ユニット。だいたいメンバーが固まったんだって」
「おお、いよいよデビューか」
「八雲ちゃん、笹雨(ささめ)ちゃん、陽子ちゃん、小風ちゃん、そして私が美空と5人とも気象現象に関わる名前だから、メテオーナという名前で行こうかという話なんだけどね。まだ名前は変わるかも知れないけど」
「へー」
「以前小風ちゃんの歌はビデオで見せてもらったんだけど、すっごいうまいんだよね。でも声質がメゾソプラノなんだ。八雲ちゃん・笹雨ちゃんがソプラノだから。そのどちらかがリードボーカルになる予定。陽子ちゃんは私と同じでアルト」
ソプラノとメゾソプラノは音域の差より声質の差である。叙情性のある声はメゾソプラノ、クリアな声がソプラノとされる。マリア・カラスなどは声質的にはメゾソプラノに近い。
「その凄く巧い小風ちゃんより、更にうまい子がいるんだ?」
「らしい。残りの3人の歌はまだ聞いてないんだけど」
「世の中凄いね。美空ちゃんだって相当うまいのに。いつ頃から稼働するの?」
「9月中に顔合わせして、10月に音源制作して11月発売くらいの感じかな」
「すっごーい。すぐ稼働じゃん。契約はしたの?」
「まだ。話が固まってからになると思う」
「楽曲は?」
「大物に依頼する方向で検討中らしい。誰になるか分からないけどね」
「へー。じゃ結構な予算がついてるんだ?」
「2000万円くらいの予算組んでやってるらしい」
「凄いね」
「その2000万円をもらえるんならいいけど」
「あはは。こちらがもらえるのは多分最初は2万円くらいだよ」
「そんなものだろうね」
ふたりの話は芸能活動のことから、しばし歌手やタレントさんの噂話に進み、更に学校の勉強のことや学校生活のことなどに及ぶ。
「へー、千里さんバスケットしてるんだ?」
「うん。こないだインターハイに行ったよ」
「すっごーい。インターハイなんて漫画の中の世界って感じだよ」
「いや。歌手デビューなんてのも漫画の中の世界って感じ」
「だよねー。インターハイの成績は?」
「3位。銅メダルもらったよ」
「凄い! 千里さんとこ、そんなに強いんだ? 千里さんポジションは?」
「私はシューティングガード」
「スリーポイントの達人だったりして」
「うん。スリーポイントの達人だよ。今回の大会のスリーポイント女王になったから」
「すっごーい。仲良くさせてもらおう」
「私も歌手デビューする子と仲良くさせてもらおう」
そんなことを言っている内に千里はふと美空のトレイの中にあるハンバーガーの包み紙の量に気付いた。美空はおしゃべりしながら何度か席を立って追加注文してきていた。千里は作曲の作業で疲れていたこともあり、あまり注意を払っていなかったのだが、良く見ると、包み紙が5枚もある。更に美空は今ダブルチーズバーガーを食べている。
「今気付いたけど、美空ちゃんけっこう食べてるね。お腹空いてた?」
「あ、私、ダブルチーズバーガーなら10個は行ける」
「それは凄い!」
「千里さんはフィレオフィッシュとベーコンレタスバーガーだけ? 少食だね」
いや、去年の私を知る人なら、私がバーガーを2個食べたの見たら随分たくさん食べてるねと言っている所なのだが、ダブルバーガーを10個食べるという美空から見たら、とんでもない少食なんだろうな!
「なんか久しぶりに少食だねと言われた気がする。私、去年くらいまでは普通のチーズバーガーでも半分くらいしか食べきれなかったんだよ」
「それは有り得ない世界だ」
「でも美空ちゃん、たくさん食べるのに太ってないよね」
「あ、私効率の悪い身体みたい」
と美空。
「私は効率が良すぎる身体みたいなんだよね〜」
と千里は言った。
「万一雪山で一緒に遭難したら私の御飯、美空ちゃんにあげるね」
「よし。遭難する時は千里さんと一緒に遭難しよう」
マクドナルドで結局2時間ほどおしゃべりして美空と別れる。虎屋に寄ってから羽田に行き、午後の便で旭川に戻った。
「ただいまあ。これ虎屋の羊羹」
「おお、ありがとう。でも大変だったみたいね」
「疲れた疲れた。共同作業していた人のひとりが途中で逮捕されてその分まで作業したんだよ」
「何やって逮捕されたの!?」
「飲酒運転。正確には酒気帯び運転らしい」
「びっくりした。なんか警察に捕まるような危ないお仕事でもしてたのかと思った」
「さすがにそんな危ないことはやらないよ。私、まだ寝る〜」
「うん、おやすみ」
機内でも寝ていたのだが、家に帰ってからも熟睡していて夕食の時間に美輪子が起こそうとしたものの起きなかったらしい。朝になってから目が覚め、少し多めの朝御飯を食べてから、いつものように女子制服を着て学校に出かける。千里が自分で女子制服を着てくると、美輪子が微笑む。
「もう千里はその服を着るのが当たり前という感じになったね」
「うん。私、女の子だから」
「うんうん」
昼休みに雨宮先生に連絡を取ってみたら、結局、北原さんの作品は昨日お昼すぎまで完成に掛かり、それからMIDIデータを作って夕方から22時近くまで掛けて録音作業を行ったらしい。しかもその後高校生のボーカル3人を帰してからMIDIデータ自体の修正作業を続けて今日の朝にやっと音源が完成、工場にデータを持ち込んだという話であった。
毛利さんは雨宮先生と、関わっている芸能事務所、レコード会社に始末書を提出。6ヶ月間の謹慎と奉仕活動という内容を一応了承してもらったということであった。(実際には7月に起きたばかりの新潟県中越地震の現場に入り、復旧作業に翌年5月まで9ヶ月ボランティアとして従事した。雨宮先生は彼にずっと食費や衣料費を送金してあげていたようである。先生はその分のお金は返却不要ということにした)
北原さんが出来上がったプレス前のマスター音源のコピーCDを千里に送ってきてくれた。
千里は取り敢えずMP3に落として昼休みに携帯プレイヤーで聴いていたのだが、聴いていてなるほどねぇと思った。
「千里何聴いてるの?」
と京子が訊くので
「AYAという女子高生3人の歌唱ユニット」
「うまい?」
「へた」
「珍しいね。千里が下手な歌手の曲聴くなんて」
「うん。ちょっと関わりがあったからね」
それで京子と、続けて寄って来た蓮菜にもイヤホンのパッドを片方ずつ渡して聴かせる。
「ねぇ、早送りしていい?」
と蓮菜が言う。
「うん。各曲1分ずつ聴けば充分だと思う」
「2番目の曲と6番目の曲がいい」
と京子。
「あとの4曲は要らない」
と蓮菜。
「かもねー」
「それにこの2曲のメインボーカルが一番うまい」
「でしょ?」
「いちばん可愛いのは1曲目のメインボーカルなんだよ」
「なるほどー」
「可愛さでメインボーカル選ぶんだ?」
「アイドルユニットなんて、そんなものでしょ」
「確かに」
「ただ今回は初めてのCDで実験的な意味合いもあるから次回からは変わるかもね」
「ふーん」
「これ楽曲は誰の作品?」
「6曲目以外は歌詞はロイヤル高島さん」
「演歌か!」
「でもこれ4曲目と6曲目以外は、歌詞的には演歌だよ。曲調は全部ロックだけど」
「4曲目は私が歌詞を修正した。6曲目は私のオリジナル歌詞」
「おぉ」
「なんだ千里が作ったのか」
「1曲目はナラシノ・エキスプレス・サービスの海野博晃さん、2曲目はこのユニットのメイン作曲者になることになった北原さんという人。3曲目は雨宮三森先生、4曲目と6曲目は私、5曲目は新島さんという人」
「ああ。雨宮さんとこでやってるのか」
「北原さんも新島さんも雨宮先生のグループなんで、このユニットは基本的には北原さんが面倒を見ていくんだけど、今回は新島さんも雨宮先生も私もピンチヒッターで今後は特に関わる予定はない」
「でも千里は2曲書いたんだ?」
「1曲だけの予定だったんだけどね。もうひとり参加する予定だった人が急に作業できなくなったからそれを代替したんだよ。1日で2曲書いてさすがに私も頭が放電状態になった」
「作業できなくなったって、何あったの?」
「突発性男性器巨大化症で緊急手術を受けたんだよ」
「何それ?」
「とつぜん男性のあそこが1mくらいまで巨大化して、放置しておくとそこに血液が全部行って血が足りなくなり失血死するという」
「治療法は?」
「切除しちゃう」
「切っちゃったらますます血が足らなくならないか?」
「切除したあとで血はその巨大化したままのアレから輸血して戻す」
「で、その人治った?」
「治ったけど、男性器を無くしたのがショックでしくしく泣いている。タマタマも一緒に取ったからね」
「なんで?」
「タマタマがあって、おちんちんが無かったら性欲はあるのに解消できないから辛すぎるよ」
「男の人ってたいへんね」
「可哀想に。スカートを差し入れしてあげなくちゃ」
「女の子ショーツも」
「ああ。ブルセラショップで女子高生のパンティとか買ったことあると言ってた」
「今後はそれをずっと自分が穿くことになるんだな」
「しかし私たちのパンティって高値で売れるのかな」
「一度だけ穿いて売るというバイトしてる子もいるらしい」
「ちょっと興味あるな」
「写真付けるととっても高くなるらしい」
「さすがに写真付けたらやばいな」
「まあどっちみちバレたら退学だね」
「でも実は1度だけ売ったことある」
などと言うのは当然京子である。
「うそ!?」
「1000円もらったけど、なんか後ろめたい気がしてその後はその店には近づいてない」
「うん。関わらない方がいいと思うよ」
「その1000円どうしたの?」
「コンビニの募金箱に入れちゃった」
「ああ、小心者だ」
と蓮菜。
「まあ厄払いだよね」
と千里。
9月10-11日は1学期の期末試験だったのだが、11日の朝、千里は起きた時の感触が昨日までと違っていた。
全裸になって部屋の鏡に自分の身体を映してみる。均整の取れた女体が美しいと自分で自分に酔いそうだ。でもこれはインターハイを戦った時の身体だなと千里は思った。『だよね?』と《いんちゃん》に確認すると『あたり』と言われた。
『昨日までより明らかに身体が若い』
『当然。昨日までの千里は女子大生の千里だけど今日の千里は女子高生の千里だから』
『私ってこのあとバスケをしている間は女子高生なんだよね?』
『そうそう。重要な大会に出る時はね。秋季地区大会は女子大生の身体で我慢してねという話』
『うん。別にいいよ。男の身体でなければ問題ないと思う』
『実際問題として千里の男性時代の身体って、貧弱だから。千里って性転換した後で身体を鍛えた部分が大きいんだよ』
『やはり男の子だった時代は筋肉付けたくなーいと思ってたもん』
『だろうね』
『今年初めの山駆けも男の身体でやってた頃は贅肉を落とすのと心肺能力を鍛えるだけにして、筋肉が付かないように気をつけてたから』
『あの時期も千里女子バスケ部に移動になった後まじめに女性ホルモン飲むようになって、体内が女性ホルモン優位だったから女性的に筋肉は付き始めていたんだけどね』
『あ、そうかな』