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「まあそういう訳で、こちらの打ち合わせはアイドルユニットなんだけどね。H出版の女性向け雑誌『きらりん』が募集した『きらりん・やんぐぽっぷす・がーるず』という企画で、6月にオーディションやって、7月に合格者が決まった。高校1年の女の子3人なんだけど、この企画、Tさんがプロデュースするということになっていたんだけど」
「あらぁ」
「今は塀の中ですね」
Tは中堅の音楽プロデューサーで、幾つかのポップスユニットのプロデュースをしていたが、先月、女子中学生との援交で逮捕され、今は拘置所の中である。普通ならこの程度の罪では保釈される所だが、奥さんが怒って保釈金出さないと言っているらしく、今周囲が説得中である。
「合格者発表のイベントをやった翌日に逮捕されたんだよ。おかげで雑誌にはそのイベントの写真も載せられなかった」
「うーん」
「演奏者も想定するファンも10代という企画なのに、その10代の子とやってたというのは、あまりにも問題がありすぎる」
と加藤さんが厳しい顔で言う。
「当然このプロジェクトからも辞退なんだけど、後任のプロデューサーが全然決まらなくてね」
と松前さん。
「ああ」
「本当は夏休みにあちこちのイベントに顔出させて名前売るような予定もあったんだけど、プロデューサー不在では何もできないので放置になっていたら、合格者のひとり、葵ちゃんって子のお父さんが都議会議員でね。出版社の社長の所に乗り込んできてどうなっているんだと文句言って、社長もたじたじになって何とかすると約束したのが実はこの水曜日なんだよ。それで社長に泣きつかれてこちらもいろいろ当たってみたところ、ロイヤル高島さんが名前だけなら引き受けてもいいと言ってくれた」
「ロイヤル高島さんなら演歌になっちゃいませんか?」
「うん。ポップスに挑戦してみるということで。曲も高島さんとよくコンビを組んでいる海野博晃さんに頼めないかと打診したんだけど、先日肝硬変で倒れてから、まだ充分回復してないようなんだよね」
「あの人大丈夫だったんですか?」
「医者から禁酒を言い渡されたらしい。本人は節制すると言っている」
「怪しいな」
という声も出る。
「では回復を待ってから?」
「それがそもそもこのオーディションをやった時、雑誌上では最初のCDを9月1日に発売すると発表していたのだよ。9月1日に発売される号がこの雑誌の500号記念号ということもあって」
「ちょっと待ってください」
千里は今日呼ばれた趣旨がやっと想像がついた。
「で出版社の社長は葵ちゃんのお父さんから、ちゃんとデビューの日程も明確にしてくださいと迫られて、予定通り9月1日にCDを出すというのをWEB上で発表しちゃった」
「あぁ」
「みんな政治家とか弁護士に押されると弱いからなあ」
と北原さんが言う。
「まあ政治家というのは、男を女にしたり女を男にしたりする以外は何でもできる人のことだということばがあるから」
と雨宮先生が言うと
「いや、それ今の時代ならできるね」
と加藤さんが言う。
「シングルですか?」
と新島さんが尋ねる。
「ミニアルバム6曲入りというのを予告している」
一同からため息が漏れる。
「で、もしかしてゴーストライターですか」
「海野さんはどちらでもいいと言っている。自分の名前を使った方がいいなら使ってもらってもいいけど、実際に書く人の名前を出してもいいと」
「しかし9月1日土曜日に発売ということは8月31日にレコード店に届いていないといけないから8月30日に発送しなければならない。ということは8月29日にはプレスしなければいけないから音源制作は8月28日までに終えないといけない。楽曲は遅くとも8月27日までには用意しないといけないですね。かなり厳しいな」
と北原さんが言う。
今日は8月24日である。
「それが彼女たちは高校生なので、土日しか活動できないんだよ。イベントも土日にしかできないし、録音も土日にしかできない。だから明日と明後日で録音して月曜日にプレスに回す。そして9月1日に握手会付きの新曲発表会」
と松前社長は説明する。
「つまり明日の朝までに6曲作らないといけないという話ですか?」
「うん」
千里も新島さんも北原さんもお互いに顔を見合わせる。雨宮先生は静かに話を聞いている。毛利さんは心ここにあらずという感じでボールペンをくるくると回している。
「しかし普通メジャーデビューさせるといえば1ヶ月くらい前から宣伝入れたりして盛り上げますよね」
と北原さん。
「あ、ごめん。今回はメジャーじゃなくてインディーズから出すんだよ」
「ああ、そうなんですか?」
「取り敢えずインディーズで2〜3枚CDを出して様子を見て、行けそうならメジャーでという話になっている」
「すぐメジャーデビューではないのは何か訳でも?」
「実はね」
と松前さんは言いにくそうに言う。
「選ばれた3人が全員ひどい音痴で」
うーんと千里は思わず腕を組む。北原さんも新島さんも同じ反応だ。
「いや、でも歌が下手でも可愛ければ売れるでしょ?」
と毛利さん。
「取り敢えずビデオを見てもらえる?」
というので、加藤さんがノートパソコンを開いて動画を再生する。
スタジオで青・赤・黄の3色のTシャツにミニスカを着た3人の女の子がモーニング娘。の『恋のダンスサイト』を歌っている。5秒聞いただけで千里は頭を抱えた。これは酷い。プライベートで見ているならビデオを停めたい気分だ。このオーディションって歌は審査しなかったのか??
取り敢えずあまり歌は聞かないようにして映像だけ眺めていたが、そのうち『ん?』と思った。左右を見ると、新島さんも北原さんも注目したようだ。
「今の『セクシービーム!』と言った子、少しよくないですか?」
と新島さんが言う。
北原さんも頷いている。千里も同意するように頷いた。
「皆さんお目が高い。実はこの子いいなと私も思ったんですよ」
と加藤さんが言う。
「今、この子、右側で歌っているけど、この子をセンターにしましょうよ」
と北原さんが言う。
それに対して
「でも真ん中の子がいちばん可愛いけど」
と毛利さん。
「うん、それでこの子をセンターにしたみたいなんだよ」
と加藤さんは言う。
「真ん中で歌っている赤い服の子があすかちゃんでこの子がオーディション1位、左で歌っている青い服の子があおいちゃんで2位、右側で歌っている黄色い服の子がゆみちゃんで、実はこの子は選外の予定だったのを、プロデューサーのTさんが落とすのは惜しいと言って、3位ということにした。それでデュオの予定だったのがトリオになっちゃたんですよ。でも僕はTさんのセンスが当たっていると思う。この子がいちばんスター性を持っている」
と加藤さん。
「でも歌に関しては3人とも再度しっかりレッスンした方がいいですね。さすがにこの歌でメジャーデビューさせちゃ叱られますよ」
と新島さんが言う。
「うん。そうしよう。だから今から再度レッスン受けさせて来年の春くらいにデビューの線で」
「それまでインディーズでCDを出すんですね?」
「そうそう。取り敢えず9月1日に1枚目を出そうということで」
「事務所はどこになるんですか?」
「決まってない。メジャーデビューさせる時に決めようということで」
「ユニット名は決まったんですか?」
「うん。3人の名前あすか・あおい・ゆみ、の名前の頭文字を取ってAAYと最初考えたんだけど、出版社の社長が AYA の方が落ち着くと言って、それに」
「エーワイエーですか」
「それでもいいし、そのまま読んでアヤでもいいかな、と」
千里は少し考えた。
「アヤにした方が売れると思います」
「ほほぉ」
雨宮先生が
「この子は本職の巫女さんなんですよ。この子が実はラッキーブロッサムを見つけ出したし、大西典香も見出したんです」
と言うと
「それは凄い!」
「知らなかった」
と松前さんと加藤さんは言った。
千里がレストランに入ったのは23時過ぎだったのだが、打ち合わせは深夜1時くらいまで続いた。そこで松前社長に町添部長から電話が入る。
「うん。それでいい。その線で明日にも会場の正式な手配を。お疲れの所申し訳ないけど、発表原稿を作って。うんうん、それで」
と言って電話を切る。
「どうなりました?」
と雨宮先生が訊く。
「明日の朝、モンシングの解散を発表。ツアーは最後までやる。但し最終日に幕張のイベントホールでライブする予定だったのを関東ドームに変更。チケットは既に買っている人はそのままアリーナ席に振り替え。スタンド席5万枚追加発売」
「その5万枚、一瞬で売り切れるね」
「ぴあも特急で対応してくれるらしい」
「わあ、担当者可哀想」
「過労死が出なければいいね」
「チケット販売って精神を削られるからねぇ」
「でもこんな直前でドームが空いてたんですか?」
「翌日から3日間、歯科医師会のイベントが行われる予定で、前日はその設営をする予定だったんだよ。それを無理に開けてもらった。ライブが終わった後、こちらのスタッフで、歯医者さんのイベントの方の設営は責任持ってやりますからということで。無理して空けてもらう。協力費名目で100万円渡す」
「わぁ、こちらも過労死が出なければいいけど」
そしてこちらはAYAの作曲は北原さんが担当し、自分の名前で出すことになった。
「まだ一人前になるにはやや力不足だけど、AYAの成長とともに北原も成長して行くといいな」
「はい、頑張ります」
「だけどいくら優秀な北原君でも、あと9時間ほどで6曲書くのは無茶だから分担して書こうということですね?」
と新島さんが言う。
「そういうこと。歌唱力の無い子たちだから音程は1オクターブ以内で。実は1曲は海野君が日曜の朝までには何とか書くと言っている。それで残りの5曲を、私と、北原、新島、醍醐、毛利の4人で1曲ずつ書く」
「朝までにどのレベルまで仕上げないといけないんですか?」
「MIDIを鳴らしてそのまま歌えるレベル。この子たちの伴奏は打ち込みで行こうということになっているので」
「・・・・・」
全員沈黙する。その水準まで仕上げるにはふつう頑張っても2日はかかる。
「朝までにその水準で仕上げるのはさすがに厳しいと思うんですが」
と新島さんが言う。
「とりあえずみんなはギターコード付きのピアノ譜レベルまで書いてくれたらその後の作業はアレンジャーにやらせる」
と雨宮先生が言うので、みんな少しホッとする。
「実際問題としてさ、歌唱力の無い子たちだから、1曲目を練習させてまともな歌になるのに1日かかると思うんだ。それで2日目に残りの5曲を録音する。だから1曲だけは朝に間に合わないといけないけど、2曲目はお昼くらいで、3曲目が夕方。残りの2曲は日曜の朝でも間に合うと思う」
と雨宮先生。
それでもこれは結構厳しい作業である。
「この中でいちばん曲を書くのが速いのは醍醐だから、あんた午前3時までにピアノ譜レベルまで書きあげて」
と雨宮先生が言うので千里は
「分かりました。3時までに書きます」
と答えた。
今は1時半である!
新島さんがふっと息を付く。いちばん若く経験の浅い千里が頑張ると言ったことで先輩としても頑張らざるを得なくなる。雨宮先生もそれでわざと千里をダシに使った感もあった。
「作業の速いアレンジャーを手配してるから。その子には3時に手書き譜面レベルでFAXすると言ってある」
「分かりました」
「新島は朝6時までに、毛利は11時までに書いて。その後それぞれ別のアレンジャーさんに回す」
「私は?」
と北原さんが訊く。
「あんたの書く曲がタイトル曲になるから、あんたは今日1日じっくり考えて夜24時までに仕上げればいい。そのあとアレンジャーさんに回す」
「分かりました」