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(C)Eriko Kawaguchi 2014-09-06
「私はH教育大の旭川校に」
と留実子が言うと
「君は東京方面に出るつもりは?」
と富士さん。
「この子、彼氏が旭川市内だから」
と寿絵が言う。
「なるほどー」
「彼氏も一緒に東京に出るというのは?」
「うーん。あいつ大学行くような頭無いしなあ」
「東京方面の会社に就職するとかは」
「そのあたりは今後の検討課題かなぁ」
「私も東京方面の大学に行きたいとは思ってるんですけどね。実は内心J大学を狙ってるんです」
と川南。
「だったらK大学とレベル大差ないじゃん。どうせならうちに来ようよ」
「でも私、ベンチ枠を取れるくらい頑張らないと、とてもK大のバスケ部に入れて下さいとは言えないです」
「そのあたりは頑張りようだな」
「でもほんとにJ大学受けるくらいならK大学受けてよ」
「じゃ、少し考えます」
「うんうん」
「私は素直に医科大の看護学科志望で」
と葉月。
「あまり素直じゃない気がする」
「医学科目指さないの?」
「無理〜〜」
「まあ、勧誘はそのあたりにしておいて、でも本当に頑張ったね。準決勝の試合、録画になったけど見せてもらったけど凄い試合だったね」
と理事長さんが言う。
「あとちょっとでしたけどね。延長戦でもこちらがリードしていた局面が何度かあったし」
と校長も言う。
「あれは半分幸運、半分奇跡です」
と久井奈さんは言う。
「最初向こうは楽勝ムードで、必ずしも真剣じゃなかったんですよね。前半でこちらがリードしててもすぐ逆転できるだろみたいな雰囲気だったから。最後の方になってやばいという感じで、真剣になって来たので、最初から向こうが全開だったら大差で負けていたと思います」
と穂礼さんも言う。
「そう意味の幸運か。でも運も実力の内だよ」
と理事長さんが感慨深げに言う。
「いや、この子たちは本当に頑張りましたよ。褒めてあげてください」
と宇田先生は言う。
「うん。君たちは強い! 誇るべきだよ」
と校長。
「ええ。また頑張ります。次は真剣勝負のJ学園と戦いたいです」
と暢子は言った。
「次のそういう機会はいつになるんだろう? 来年のインターハイ?」
と理事長さん。
「冬にウィンターカップと言ってインターハイに並ぶ大きな大会があるのですが、こちらは北海道は代表1校なんですよ。最近はずっと札幌P高校が代表を独占していて、行けたのは富士君たちの時が最後でした」
と宇田先生が説明する。
「あの年は季節外れのインフルエンザでP高校の主力が軒並みやられていたんですよね。まともにトップチームとやってたら勝てなかったです」
と富士さん。
「そこまでP高校って強いんだ?」
と理事長さん。
「P高校に実力で勝てたら全国優勝も夢じゃ無いです」
と宇田先生。
「まあ2年生・1年生の頑張りに期待だな」
と久井奈さんが言った。
8月前半は休みだと言われはしたものの、千里は毎朝10kmのジョギングをしては昼間は深川市の体育館まで電車で出かけて、ひとりで黙々とシュートやドリブルの練習をしていた。
その「勝手な練習」の3日目、8月8日。千里が練習を始めたら声を掛ける人がある。
「暢子!?」
「なるほどー。こんな所まで来て練習してたのか」
「旭川市内だとバレるから」
「私も混ぜてよ」
「いいよ。パスの練習相手が欲しかった所」
それでふたりで一緒に練習していたのだが、暢子が何か呟いている。
「どうしたの?」
「悔しいよぉ」
「うん。私も悔しい」
「どうせなら決勝戦に行きたかった」
「だよね。だからまた頑張ろうよ」
「冬こそ決勝戦に行こうよ」
「だから鍛えなくちゃ」
それで30分くらい練習した所でまた暢子が千里に言う。
「千里、かなり身体がなまってないか?」
「そうなんだよねー。インハイが終わって、ちょっとガクっと来て、体力も落ちちゃったみたい。まるで男の子だった頃まで戻っちゃった感じ」
「じゃ鍛え直さなくちゃ」
「うん。だから鍛え直してる」
実際には、インハイに出た時の千里の肉体は2008年10月の身体、その後現在の身体は性転換手術を受ける前の2007年8月の身体なので、体力・運動能力ともにインハイの時より落ちているのである。
でも、男の子のがついてるって邪魔だなあ。早くこんなの取っちゃわなきゃ、などと千里は思っていた。タックはしているものの、走る時にどうも邪魔に感じるのである。
※千里の体内時間の組替表(抜粋)
体内 2007/08/13 →歴史 2007/05/20 湯殿山で時間の組み替えを宣言される
体内 2007/11/13 →歴史 2012/07/18 (大学4年)タイで性転換手術を受ける
体内 2007/11/14-02/14 →歴史 2012/07/19-10/19 (手術後の療養期間)
体内 2008/02/15-02/19 →歴史 2011/07/21-07/25 青葉の家族の葬儀で春嶽と遭遇。《何か》される。
体内 2008/02/22-04/11 →歴史 2009/05/07-06/25 大学1年。入学後運動再開
体内 2008/04/12-07/10 →歴史 2009/06/26-09/23 ローキューツに参加
体内 2008/07/11-10/06 →歴史 2007/05/21-08/03 (高2)道大会・インターハイ2007の頃
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体内 2007/09/15-10/22 →歴史 2007/08/04-09/10 まだ男の子だった時期
体内 2008/10/07-10/17 →歴史 2007/09/11-09/21 選抜地区大会2007
翌日8月9日の夜21時半。札幌市内のファミレスで貴司は少しそわそわしながら人を待っていた。
貴司はインターハイが終わった後千里とデートするつもりでいた。ところがどちらも結構後の方まで勝ち残った上に台風の影響で帰ってこれずに、北海道に戻ってきたのは8月4日である。その後行事などもあり千里に会いに行く時間が取れなかった。インターハイの前に千里とは、1回戦勝ったら1回、2回戦勝ったら2回などとセックスする約束などしていたのもあって実はかなり欲求不満になっていた。
そんな中、貴司は教習所で、やはり夏休みに免許を取りに来ていたSという女子高生と偶然ロビーでの待合時間に言葉を交わして、少し仲良くなった。それで、つい食事でもなどという話になってしまったのである。こんな時刻の待合せになったのは教習が夜20時半まであっていたからであり、別にホテルなどに行こうという下心までは無い。さすがに千里以外の女の子とセックスするのはやばいかなとは思っているのだが、食事くらいはいいかなと思って、約束をしてしまったのである。
ところで貴司は実は千里以外の女の子とデートしたことがない。中学・高校時代に何度か女の子と待ち合わせの約束をしたことはあるのだが、その度に待合せの場所に千里が現れて、相手の女の子を追い払ってしまったのである。千里って、自分に盗聴器でも付けてるのか?と思いたくなるほど、それは徹底していた。
しかしさすがの千里も今日は大丈夫だろうと思う。昼間講習の空いている時間に電話したら、今日は夕方から神社のバイトに行くようなことを言っていた。
でもあの子も本当に頑張るよなと貴司は思う。自分は就職活動の問題もあり免許を取りに来ているが、千里はその間毎日たくさんバスケの練習をしているようだ。ウィンターカップにも一緒に東京に行きたいな。この運転免許合宿が終わったらこちらも頑張って練習しなきゃ、と貴司は決意を新たにした。
やがてこちらに近づいてくる足音がある。気持ちを切り替えて笑顔でそちらを見る。そしてポカーンとした。
「お待たせ。遅れちゃってごめん」
と言って笑顔で約束した彼女がテーブルのそばまで来て言った。そして貴司の向かいの席に座ろうとしたのだが・・・
彼女の後ろに居た人影が、先にそこに座ってしまった。
「誰よ。あんた?」
と彼女が訊くと
「私、貴司の妻ですけど」
と席に座った千里は答えた。
「奥さん〜〜〜!?」
「まだお互い高校生なので籍は入れてないですけどね。この携帯ストラップにつけてる金のリングがマリッジリング代わり」
と千里は自分の携帯を見せる。
彼女は「あっ」と言って貴司がテーブルの上に置いている携帯を見る。そこにも同じリングが付いてる。
「奥さんがいるのに私をデートに誘ったの?酷い!」
と彼女は怒って言う。
「済まん」
と貴司は平謝りである。
「分かった。帰る」
と言って彼女はそのまま踵を返して出て行った。
「え、えっと・・・・」
貴司は何から話していいか分からない様子。しかし千里は平然としてテーブルの脇に立ててあるグランドメニューを取ると
「私、お腹空いちゃったぁ。ハンバーグでも食べちゃおう。貴司は?」
「あ、ぇっと。じゃ僕も同じの」
「OKOK」
ということで、千里はベルを鳴らしてウェイトレスを呼ぶと
「メキシカン・ハンバーグ・ステーキ。私はバーベキューソース、彼は超激辛サルサソースで。ふたりとも石窯パンにサラダ」
と注文した。
「超激辛・・・・・」
「浮気未遂の罰。頑張って食べてね」
「う・・・」
数時間遡って、その日の夕方。
深川市内でのバスケットの練習が終わり、千里と暢子が一緒に駅の方に歩いて行っていた時、路肩にボルボのステーションワゴンが停まっているのを見る。どうも事故ったようで前部左側のドアが凹んでいる。
そして・・・その車のそばに千里が見知った人物が立っていた。
「あら、千里じゃない?奇遇ね」
と雨宮先生は言った。
「お早うございます。事故ですか?」
「そうそう独り相撲だけどね」
暢子も先日唐津の温泉で会っているので
「こんばんは」
と挨拶する。
「こんばんは。あんた、暢子ちゃんだったっけ?」
「覚えて頂いていて光栄です」
「あんた無茶苦茶オーラが強いから覚えるわよ」
「私、そんなにオーラ強い?」
と暢子は千里に訊く。
「凄く強い。だから相手チームがまず暢子をマークするでしょ?」
「ふーん」
「どなたかお怪我は?」
「うん。ドライバーが怪我しただけ」
「いや、面目無いです」
と言って歩道の端に座り込んでいるのは、雨宮さんの後輩の確か北原さんという人だ。足を押さえている。打撲だろうか。
「猫が急に飛び出してきたもので避けようとして標識にぶつけてしまいました」
「猫は無事でした?」
と暢子。
「ええ。ギリギリで。向こうもびっくりしてたみたいですけど」
「猫ってしばしば車の直前横断するみたいですね。うちの父もよくこぼしてます」
「そうなんですよ。どういう習性なんでしょうね」
それで間もなく救急車が来る。それで救急隊員が北原さんを担架に乗せて運び込む。
「付き添いしなくても大丈夫よね?」
「はい。大丈夫だと思います」
「病院が決まったら連絡して。誰か行かせる」
ということで、救急車は北原さんだけを乗せて走り去った。
「先生は別途御用事があるんですか?」
「そうなのよ。今日札幌でコンサートやってる東山三六九を迎えに行く所だったのよ。彼女がライブ終わった後、層雲峡温泉に泊まりたいというからさ」
泊まりたいというのは雨宮先生の方じゃないのかと千里は思う。
「札幌から層雲峡って3時間かかりますよね?」
「走りようによっては1時間半かな」
「それ絶対スピード違反です」
「まあそれでこの車を札幌まで持って行かなきゃいけないんだけどさ。千里運転してくれない?」
「私免許持ってません!」
「持ってなくてもこないだ上手に運転してたじゃん」
「あれは緊急避難です」
暢子が「へー」という顔をしている。
「じゃ今日も緊急避難ということで」
「先生は運転できないんですか?」
「私接待でお酒飲んじゃったのよ。飲酒運転よりは千里が運転した方がいい」
「無免許運転はいいんですか?」
「あんたが処罰されるだけだし」
「私嫌です。誰か運転できる人を呼んで下さい」
「その時間が無いんだよ。この事故処理で時間食っちゃったし」
千里は腕を組んでため息を付いた。
暢子が
「私、聞かなかったことにした方がいいみたいね」
と言った。
「うん。その方がいいかも」
「じゃ、私、電車の時間があるから先に」
「うん、じゃまた明日」
それで暢子は千里に手を振って立ち去った。
「AT車ですか?」
「うん。左ハンドルだけど、配置が違うだけで操作は普通の右ハンドル車と同じだから」
「札幌まででいいんですよね?」
「うん。層雲峡までは誰か札幌のライブに付いてるスタッフに運転させる」
「分かりました」
それで千里は運転席に乗り込む。雨宮先生が助手席に座る。千里は神社に電話して急用で今日は奉仕できないことを連絡した。
「札幌のどこですか?」
「きららホールという所。カーナビにセットしてある」
「了解です」
「高速を通って。ETCはついてるから」
「ETCって何ですか?」
「料金を自動で払う仕組み。高速の入り口・出口でETCと書かれたゲートを通って。車が近づいたら自動的にバーが上がるから」
「へー」
「ゲートを通る時は時速30km以下で」
「はい」
本当は20km/h以下なのだが、どうも雨宮先生は30km/hと思い込んでいたようである。