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(C)Eriko Kawaguchi 2014-06-13
冬休みが終わり、千里が学校に出て行くと早速宇田先生から呼び出しがあった。職員室まで行くと
「君の新しい選手登録証が届いてるよ」
と言われた。
「古い登録証は回収するから」
と言われるので、生徒手帳にはさんでいた協会の登録証を取り出して先生に渡す。このカードはS中学で女子バスケット部に入った時もらったもので、N高校に進学した時はN高校男子バスケット部に所属が変わったので、新しいシールをもらって貼っておいたのだが、今回はシールを貼るのではなくカードごと交換ということのようである。
「えっと。。。何が変わったんでしょうか?」
「所属がN高校男子からN高女子に変わったね」
「あ、はい」
何だかむずかゆいような気分だ。でも私って中学の3年間は女子バスケ部だったからね〜。
「それからメンバーidも変更されているから」
「あれ?そうなんですか?メンバーidって、一生使えるからって中学の時の先生には聞いていたのですが・・・。ここに入った時も中学の時に使っていたidを継続させてもらいましたし」
「うん。普通はそう。でもメンバーidは性別を含んでいるんだよ」
「あ、そうだったんですか!」
「男子は5、女子は6で始まるんだよ。君のこれまでの番号は5********.でもよく中学の時、女子チームに男子メンバーを登録できたね!」
「あ、先生が何度か協会の人とやりとりしてたみたいです」
「多分何かの特例として通しちゃったんだろうな。で、君の新しい番号は6********.このあと、君が大学や実業団とかの女子バスケットチームに入った場合もこのidがそのまま使えるから」
「あはは。何かちょっと変な気分です」
千里は唐突に脳裏に自分がバスケットパンツを穿いてコートの上を走り回っている様子がイメージに浮かんだ。そのバスケットパンツの中に既に男性性器は存在しない。そして女性性器が隠れている。そうか。私ってホントに女の子になっちゃんたんだな、と千里は思った。
「男扱いされているのに慣れすぎたんだな。君は間違い無く女性なんだから、女子選手としての自分を心に受け入れよう」
「はい!」
千里はその新しい選手登録証を思わず胸の所に抱きしめた。
ところで千里は1月13日の大安の夜、貴司と「結婚」してしまったのだが、その「結婚」の「有効期限」について、翌日お父さんが出ている時に、貴司と千里、貴司のお母さんの3人で話し合った。
「千里ちゃんのお母さんとも話したんだけどね、今はふたりがほんとに気持ちをひとつにしてるから、お互いに私も千里ちゃんのお母さんにしても、ふたりをお嫁さん・お婿さんに準じて扱っていいんじゃないかってね。実際あんたたちよく一緒に泊まってるしさ。でもふたりが本当に法的に結婚できる所まで続くかどうかは分からないし、壊れた時は壊れた時でいいんじゃないかって思うのよ。だからこれをふたりの《義務》とは考える必要ないと思う。今まで通り《お互いの気持ち》で結びついているだけだと考えた方がいい」
「お互いに義務という形で考えたら、逆に冷めてしまうと思います」
「僕たちはお互いに相手を束縛するつもりはないから」
「私、一応貴司さんに、他の女の子とデートくらいしてもいいよと言ってますし、万一大人になるまで続いていた場合は、他の女の人に子供産んでもらってもいいからね、と言っています」
「と言う割りには邪魔されるけどね。でも僕も今はバスケに夢中だから、デートする時間が惜しいし」
「そういう束縛しない恋だからよけい4年間も続いてきたのかもね」
とお母さん。
「まあ4年も続いたこと自体が奇跡」と貴司。
「私もそう思う。やはり10代の恋ってどうしても不安定」と千里。
「あんたたちも一度は別れたりしたしね」
「だったら、私と貴司さんが以前から話していた通り、私が女の子でいられなくなるまで、あるいはどちらかが道外に出るまでということでもいいですか?」
と千里は言った。
「うん。千里の声変わりが来た時、あるいは僕か千里かどちらかが道外に出て、交際継続が困難になった場合だよね」
と貴司も言う。
「確かにあんたたちの年齢で、東京か大阪あたりと旭川では恋愛維持できないかもね」
「毎週飛行機で飛んでいってデートとか経済的にも困難ですし」
「まあ、特に千里は貧乏だし」
それでふたりの「夫婦関係」を解消する時は、今日貴司の妹さんたちからもらったリングのストラップを携帯から外すこと。そして夫婦関係を解消しても、友だちではあり続けることも約束した。
「貴司の結婚式では私が龍笛を吹いてあげるから」
「それで落雷があるんだよね?」
「ふふふ。貴司雷に当たらなければいいね」
「怖いなあ。じゃ千里の結婚式ではフリースタイル・バスケットボールのパフォーマンスしてあげるよ」
「そのボール雛壇に飛んでこないよね?」
「当然。そこからスリーポイントを撃ってもらう。でもウェディングケーキにぶつかったらごめん」
千里が新しい「女子バスケ部」の登録証をもらった日の放課後。
ちょっとまた新たな気分で練習に出ていく。そしていつものように基礎練習をしていたのだが・・・・
「何か見違えた!」
と言われた。
「千里、ドリブルが進化してる」
「瞬発力が上がってる」
「ちゃんと最後まで走れるようになってる」
「冬休みの間、ひたすら練習しましたから。蛋白質取らなきゃダメって言われてたくさん食べたから、体重も2kg増えちゃった」
「体重いくらになったの?」
「54kgです」
「痩せすぎ!!」
「その身長なら60kgあっていい」
「でも腕力は相変わらず無いようだ」
「すみませーん」
「でも練習嫌いの千里がこんなに頑張るというのは珍しい」
「彼氏と一緒に練習した愛の効果?」
「恋愛関係解消しようって言ったんですけどねー。たくさん練習して筋肉付いたらもう可愛い女の子で居られなくなるからって。でも少々筋肉が付くくらいは構わんと言われたから」
「はい、ごちそうさま」
「いや。今までが筋肉無さ過ぎだったよ」
「睾丸が無いんだから、少々頑張っても男っぽくなったりしないから大丈夫でしょ」
「今更、睾丸ありますと言っても誰も信用しないでしょうね」
「そういう無意味な嘘はやめときなさい」
「でもなんでこんなに頑張ってみようという気になったの?」
「実はウィンターカップを見に行ったんです」
「おぉ!」
「どことどこの試合見た?」
「準々決勝の4試合を見ました」
「凄かったでしょ?」
「凄いです。今の自分ではこのチームが相手ならシュートを1本も撃てないと思いました」
と千里は言う。
「私はインターハイもウィンターカップもネット中継でしか見たことないけど、確かにレベルが違うのは感じた」
とキャプテンの久井奈さん。
「なんか凄い長身の外人さんが居るチームが多くて。ああいうのはどう対処すればいいんでしょうかね」
と千里が言った時、少し離れた所で話を聞いていた宇田先生が言った。
「ゾーンだよ」
「ゾーンってむしろそういうのに弱いのかと思ってました」
という声が出る。
「去年の春の大会で男子が1回戦で当たった相手がゾーンでしたけど、千里のシュートに無力でどんどん点を取られていた」
「ゾーンにも色々あるんだよ。基本の5人でゾーンを作る方法以外に1人卓越した選手対策に専任のマーカーを出した上で残りの4人で守るボックス1あるいはダイヤモンド1という方法。マーカー2人を出して残りの3人でゾーンを作るトライアングル2という方法とかね。去年の春に1回戦で当たった相手は5人で守るゾーンしかできてなかったし、ディフェンス同士の連携も練習不足という感じだった。しばしばゾーンにほころびができて北岡君に随分攻め込まれていた」
「私中学の先生にゾーンはマンツーマンの3倍練習が必要だって言われた」
とメグミが言う。
「うん。僕は30倍の練習が必要だと思うね」
と宇田先生が言う。
みんな顔を見合わせる。
それで女子バスケット部全員で視聴覚教室に入った。
「インターハイに出場することになった年は例年6月7月にゾーンの練習をしていたんだけどね。ここ3年ほどはその機会が無かったから、ゾーンはあまり練習してなかったね。そもそもマンツーマンの方が楽しいし、道大会まではマンツーマンでも充分戦えるし。でも中学時代にゾーンを経験したことのある子はいるんじゃないかな?」
と宇田先生が言うと、メグミをはじめとして何人か手を挙げる。
「基本的にバスケットの守備のやり方は、マンツーマン・ディフェンスとゾーン・ディフェンスに別れる。マンツーマンは相手の選手ひとりにひとりが付く方法。ゾーンは各々は自分のポジションに居て守る方法」
と宇田先生は基本的な説明をする。
「ゾーンプレスというのはまた別ですか?スラムダンクで山王工業がしてた」
という質問が出る。
「ゾーンディフェンスの場合、そのゾーンをどの広さで展開するかという問題がある。普通はこちらのコートのみで展開する。つまりハーフコート・ゾーン。これを広くして2/3コートで展開する場合や、フルコートで展開する場合もある。ゾーンプレスというのはフルコートで展開した上で積極的に相手にプレスを掛けていく方法だよ。ひとりひとりが守るべきエリアが広くなるし、プレスで滅茶苦茶体力使うし、相手が攻めあがってきたらハーフコートに戻す必要があるから、凄まじい運動量が必要になる。だから、負けていて何とか逆転しなきゃ、みたいな状況以外ではあまり使用されることはないし、長時間の使用は無理。スラムダンクでも山王は短時間で普通のディフェンスに戻したでしょ?」
「確かにゾーンって運動量がありそうですね」
「マンツーマンの方が楽なんだよ。マッチアップする選手を決めておいて、ひたすらその選手と戦えばいい。でもマンツーマンはそのマークしていた相手に抜かれると、誰もその選手を停められない」
「守備体形も乱れますよね」
「そう。だから中に攻め込んで来られる隙もある。ゾーンの場合は、各々が自分の場所で守るから、守備体形が乱れない。相手は簡単に中まで侵入して来られない」
「その代わりマークの受け渡しが大変ですよね」
「そうそう。だからお互いの連携プレイがよくできてないといけない。ゾーンはかなりの練習をしないとできないんだよ。各々の守備位置も基本的に固定して、そのエリアの専門家になってもらう。だからレギュラーが固まらないと練習自体がしにくいんだよね。マンツーマンだと連携練習をしてなくても何とか運用できるんだけど」
「先生、4月に入ってくるメンバーで有力な子は?」
「2月に入学説明で学校に来た時に紹介するけど、フォワードタイプの子2人。どちらも身長175-6cm」
「お、凄っ!」
「それと背は160cmくらいしかないんだけど、ドリブルとかの凄くうまい子。当然PG候補として考えている」
「なるほど」
「というか、村山君・花和君の後輩の森田(雪子)君だよ」
「わっ!雪ちゃんか! あの子は物凄く巧いです」
「うん。器用な選手だと思った」
「取り敢えずレギュラーは現時点で、PGが私、SGが千里、PFが穂礼、SFが暢子、Cが留実子、というので考えていいと思います。各々の子と交代で出る子はその子のポジションを引き継ぐ」
と久井奈が言う。
「うん。それで考えよう」
それでビデオ上映となる。過去のインターハイやウィンターカップで上手にゾーンを運用しているチームの守備の様子が映し出される。
「声を出し合ってますね」
「そうそう」
「よく肩にタッチしてる」
「うんうん。自分の持ち場を離れてボール持ってる子に付く場合とかは引き継ぎをちゃんとしないといけない」
「誰かがボールマンに付いた場合は残りの4人で守るんですね?」
「そうそう」
「そうか。長身選手とか、優秀なシューターとかがいる場合は、1人最初からその子について、残りで守ればいいわけか」
「うん。それをダイヤモンド1というんだよ。マークすべき人が2人いる場合は残りの3人でゾーンを作る必要がある。トライアングル2という」
そこで実写ビデオをいったん停めて、アニメーションでゾーン・ディフェンスの基本的な動きを色々なケース別にまとめたものを上映する。5年ほど前の部員さんの力作らしい。
実写ではいまひとつよく分からなかったものが、このアニメでかなり理解できる。
「インターハイまで行ったら、かなりダイヤモンド1を使うことになりそうな気がする」
「外人選手を入れているチームが多いから、誰かがそれにマークで付いて動きを封じる必要があるね」
「卓越したシューターがいるチームも、そのシューターを封じる必要がある」
「でもそれ、誰がやるの?」
という声があがるが
「私がやるしかないよね」
と暢子が言う。
「うん。いちぱん応用力のある選手が付くのがいいと思う」
と宇田先生も言う。
「長身選手を付けてボールをブロックすることを考えるけど、それ以前に、考えること・うまく騙すことが大事。そのためには、いちばん巧いプレイヤーが付くのが良い。まあ外人選手は別としてシューターって、だいたいマーク外すのがうまい子が多いんだよ」
「それ千里見てたら分かります」
「暢子がマーカーとして抜ける場合は、ゴール下の守りの要は留実子だね」
「うん。ゴールキーパーみたいに踏ん張って、絶対にそのエリアを相手センターには渡さないようにする。ダイヤモンドの底が留実子、トップが私、左右に千里と穂礼」
と久井奈は言う。
「5人ではなく4人で守備しないといけないから、各自の負担は2割増しになる。特にローポストで守る選手は大変」
留実子も真剣な表情でビデオを見ている。
「トライアングル2になる場合は、暢子と千里がマーカーだよね?」
「まあ、それしか選択肢は無いと思う」
「だから千里は運動量を求められる。体力つけろ」
「はい。本気で頑張ります」
と千里は言った。