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軽い練習の後、体育館に入る。先に女子の準決勝が行われたが、Aコートで行われたのは秋田N高校と宮城N高校の試合だった。
「なんか似た名前の高校どうしだ」
「うちとも似てるね、両方とも」
どちらも校名のロゴは似ているのだが、片方が青いユニフォーム、片方は白いユニフォームを使っているのでコート上では区別が付く。しかし何だか紛らわしいなと思って見ていた。
宮城N高校はかなり3ポイントのうまいシューターと、日本人かアジア系かは良く分からないが、かなり長身のセンターが入っている。190cmを越えている。すると秋田N高校は《トライアングル2》のゾーンディフェンスの守備体制を取った。千里たち旭川N高校のメンツの間にざわめきが起きる。
「よく見ておくように」
と宇田先生が言うが、言われるまでもなく全員、秋田N高校側の動きに注目する。
「連携プレイ、マークの受け渡しやタッチするタイミングとかを良く見て」
と南野コーチも言う。
「いちばん巧い選手はシューターの方にマーク入ってますね」
「当然。今見ている限りではあの長身選手、そんなに上手くない。それよりあのシューターの方がよほど怖い」
「千里をフリーにしたらどうなるか考えたら分かること」
「ということは、インターハイでシューターと外人選手が居るチームに当たったら私が外人選手のマーカーになるってことですね」
と千里は言った。
「そういうこと。だからしっかり見ておきなさい」
千里はむしろ相手の長身の選手の動きを軸に見ていた。すると結構その選手の動きが読める。そして予測した動きから自分ならどう守るというのを考えてみると、かなりの確率でコート上の秋田N高校の選手も同じような動きをして、実際に相手のプレイを封じていた。
「どう?」
と暢子から訊かれる。
「ここで見ている限りは動きは読める。でもコート上でも同じように読めるかは分からない。更にその動きを考えられても実際に自分の身体が動くかどうかはまた未知数」
と千里。
「私も思った。瞬間、瞬間にちゃんと考えて、それで思った通りの動きができるようにするには、それなりの練習が必要だよ、これ」
と暢子。
結局、秋田N高校はこのマーカー2人を出したゾーンの守備で相手の攻撃をかなり防ぎ、結果的には120対54というダブルスコアで快勝した。
「宮城N高校は昨日の予選リーグでは2試合とも100点以上取って勝ってるのに」
と記録を見ていた白石コーチが言った。
「点取り屋が2人封じられたら、得点はどうにもならないでしょうね」
その後、男子の準決勝が行われた。Aコートの方はどちらも外人さんの入ったチームだったが、お互いにマンツーマンで守っていた。これに対してBコートの方で行われた秋田R工業と福島W商業の試合では、W商業に日本人だが長身のシューターが居た。
「これは来るかな?」
と言っていたら、R工業はすぐにゾーンディフェンスを敷いた。シューターに1人付くが、ゾーンの形は、千里たちN高校が想定している菱形になる「ダイヤモンド1」
ではなく、台形になる「ボックス1」という形だ。R工業側の長身の選手2人がローポストの左右を守っている。
「よく肩にタッチしてますね」
「そうそう。声も出してるけど、試合中はその声が聞こえなくなることもあるから、タッチで意志伝達するのは大事」
「相手の動きに対して、全員が同時に必要な動きをしている」
「うん。だからゾーンは運動量が多くなるんだよ」
「マンツーマンに切り替わる時もありますね」
「そうそう。相手選手が飛び込んで来てしまったら、そこからマンツーマンに切り替えてるね」
「切り替える時に、誰が誰をマークするのかというので混乱が全然無い」
「たくさん色々なケースで練習しているからだよ」
「でも体格差のある相手にゾーンというのの意味が分かった気がします。マンツーマンは1人で1人に対抗するけど、ゾーンって1人に5人で対抗するんだ」
「うんうん。だから有効。だけど、だから難しい」
女子の準決勝で見たゾーンでは相手のシューターも外人選手も完璧に封じられていたが、こちらのシューターはうまい。相手のマークを巧みに外してはシュートを撃つ。前に進むとみせかけて後ろに下がって相手との距離ができた瞬間に撃つなんてのもうまい。ペネトレイトもうまいから相手は入ってくるか遠くから撃つかを判断できずにディフェンスが中途半端になりやすい。結局第1ピリオドだけでも3ポイントを2本、近くからのシュートも1本入れた。
「千里はむしろあのシューターさんを見てるでしょ?」
と暢子が言う。
「うん。マークされた状態でどうやってお仕事するのか手本にさせてもらっている」
と千里。
「そして私はそういう相手をいかに封じるかなんだな」
と暢子。
試合はかなり拮抗した形で進んでいったが、最終的には88対72で秋田R工業が勝った。しかし厳しい試合だと千里は思った。
「マンツーマンでやってたら負けてたかも」
「マーカーから外れても、ゾーンの防御があったからね」
「でもマーカー無しの純粋なゾーンでは対抗できないですよね」
「うん。それだと遠くから撃てばいいから、優秀なシューターには無力」
「つまり1人マーカー出して残りの4人でゾーンという守備以外に選択の余地は無いのか・・・」
「そのゾーンが運用できるためにはたくさんの練習が必要なんだよ。多分練習時間の3割くらいはゾーンの練習に使っていると思う」
「それだけ練習しても、よほど強い相手以外には使わないんですね」
「消耗が激しいからね」
「まさに伝家の宝刀か」
「でも多分インターハイ、ウィンターカップでは普通に使うことになる」
女子の決勝まで少し時間があるようなので、千里はロビーに出た。自販機で暖かいお茶でも買おうかと自販機の前に出来ている列に並んでいたら、そこに思わぬ顔がある。
「あら」
「あ、こんにちは、雨宮先生」
「こんにちは。えっとね。『こんにちは』でもいいけど『おはようございます』
と言おう」
と雨宮三森さんは言う。
「『おはよう』なんですか? だってもうお昼近くですよ」
「芸能界では、時間に関係無くその日最初にその人に会ったら『おはようございます』と言うんだよ」
「へー! そういえばそんな話を聞いたことありました。なんでですか?」
「江戸時代の歌舞伎の習慣なんだよね。そもそも『おはようございます』という挨拶自体、歌舞伎の世界の言葉が世間に広まったものと言われている。元々は一座の座長が劇場に入った時に、他の役者さんが『お早いお着きでございますね』
と言ってたのが省略されて『お早うございます』となったらしい。座長が入るのは前座とかの終わった後、もう夕方だから、その頃は『お早うございます』は夕方に交わされる挨拶だったのさ」
「じゃ、芸能界の『おはようございます』の方が元々の使われ方で、世間一般の朝に交わす挨拶はその変化形なんですか!?」
「それが忘れられて世間じゃ、芸能界だけ変な挨拶の使い方してるって思ってるよね」
「うーん・・・」
「常識って、わりと間違ってたりするからたまには疑ってみた方がいいよ」
「はぁ・・・・」
「世間じゃ男がスカート穿くのって変だと思ってるけど、そんなことないよねー。男だってスカート穿いていいと思わない?」
「穿いていいと思いますけど、それはやはり男がスカート穿くのは変だという感覚が普通だと思います」
「あんた結構頭堅いね」
「すみませーん」
「頭やわらかくするのに、宿題。この歌詞に曲を付けなさい」
「なんでそうなるんですか!?」
渡された紙を見ると『男と女のあいだには』というタイトルが付いている。歌詞は8行×2回、6行、8行×2、6行、6行という形式だ。8行の部分が16小節で多分AABAのリード形式、6行の所はサビであろう。
「五線紙めぐんでやるから、これに書いて」
「ありがとうございます。いつまでに?」
「あんた、今日はこの大会に出るの?」
「いいえ。見学です。そもそもここは東北大会だし」
「東北大会って北海道は関係無いんだっけ?」
「関係無いです。北海道大会の上は全国大会です」
「ふーん。なんかジャージ着てるからさ」
「体操服かユニフォームを着ておかないと、何か事故とかあった時の保険の問題があるんです。先生はこの大会、どなたかお知り合いでも出るんですか?」
「お尻ね・・・。あんたのお尻、一度もらってみたいなあ」
「ちょっと! なんでそういう話になるんですか!?」
「で、いつ帰るのさ?」
「男子の決勝を見終わったら帰ります」
「だったら、それまでに曲を付けて」
「分かりました」
「名前はこないだLucky Blossomに提供した『ろくごうのひこう』だっけ?あれに使ってた『だいご』ってペンネームでいいのかな?」
「済みません。『六合(りくごう)の飛行』でペンネームは『大裳(たいも)』
です」
「《ろく》じゃなくて《りく》だったのか。でも《たいも》なんて誰も読めないよ。《だいご》にしちゃいなさい」
「無茶な!」
「でも私が言ってるんだから、その名前にしなさいよ」
「分かりました。じゃ漢字は醍醐天皇の醍醐で」
「ああ、それでもいいよ」
それで千里はこの曲を《醍醐》という名前で作曲することになった。
雨宮先生と別れて客席の方へ戻ろうとしていたら、階段の所でまだ13-14歳くらいに見える長身の黒人の女の子とぶつかりそうになる。
「あ、ごめん」
と千里が言ったのに対して向こうは一瞬
「パルドン」
と言ってから
「ごめん」
と言い直した。
ああ、フランス語を話すのかと思いながらお互い笑顔で会釈する。それで階段をあがろうとした時、手帳が落ちているのに気付く。彼女のかな?
「ね、君、手帳落とさなかった?」
と声を掛けたが気付かない雰囲気。
「トンベ・ル・リーブル?」
と言ってみた。
すると彼女は振り返り
「ありがとう!」
と言って寄って来て手帳を拾った。
「ジュヴザンプリ」
と千里は笑顔で答えた。
チームの所に戻ると
「千里、お昼、お昼」
と言ってお弁当をもらう。開けて食べながら
「今、階段とこでフランス語話す外人の女の子とぶつかりそうになった」
「フランス語?」
「ああ、セネガルの子でしょ?どこかのチームの留学生だよ。あそこはフランス語圏だから」
「へー。あのあたりフランス語なんですか?」
「それぞれの民族の言葉はあるんだろうけど、部族同士で話が通じないからフランス語を公用語にしてるんだよね」
「なるほど」
「でもなんでフランス語を話すって分かったの?」
「あ、フランス語で会話したから」
「千里、フランス語ができるんだ?」
「簡単な会話くらいだよ。小さい頃近所にフランス人の女の子がいたから、それで少し覚えた」
「何かアメリカ人の友だちも居たって言ってなかった?」
「うん。田舎にはいろんな国の人が住んでるんだよ」
「ほほぉ」
「でもセネガルの留学生多いですよね」
「というか高校バスケにいる外国人留学生ってほとんどセネガル」
「なんで?」
「まあそういうルートが確立してるんだろうな」
「大相撲に一時期ハワイの力士が大量に居て、今はモンゴル力士ばかりってのも、そういうルートが確立してるからでしょうね」
「でもあちらは戸籍とか無いから、年齢がアバウトだったりするね」
「本当に高校生なのか怪しいケースもある」
「あるある。中継見てると時々こいつ20歳すぎてないか?と思う選手がいたりする」
「パスポートとかどうなってるんですか?」
「パスポートの生年月日なんて信用に値しないと思うよ」
「さっきぶつかりそうになった子は中学1−2年生くらいに見えた」
「たぶん高校生として在籍してるんだと思うよ」
「ふーん・・・」
「パスポートの性別だって怪しかったりするよね、国によっては」
「ああ。あるみたいね。けっこう見た目と自己申告で登録が通る」
「千里がそういう国に生まれてたら、多分手術とかしなくても女のパスポートが発行されてる」
「ああ、たぶんそうなりそう」
「というか千里のパスポートは女で発行されてないと多分入出国でトラブる」
やがて女子の決勝が行われるが、いったん整列したところで何か揉めてる。
「どうしたんでしょうね」
「どうも相手選手の登録証を要求してるっぽい」
「何だろう? 転校間もない生徒でもいたのかな?」
高校のバスケットでは転校してから半年以内の生徒は出場できない。これは有力選手の無節操な引き抜きを防止するための規定である。
そのうち、いったん選手が下がってしまった。役員が集まって緊急に何か話し合っているようである。やがてアナウンスがあった。
「決勝に進出していたG高校の選手の中に、登録証を所持していない選手が居たことが判明しました。G高校は決勝戦を辞退することになり、準決勝でG高校に敗れていたD高校が繰り上がりで決勝に進出。N高校と対戦することになります」
観客がざわめいた。G高校の選手たちが引き上げていくが泣いている子が数人いる。客席で決勝戦を見ようとしていたD高校の選手たちがあわてて下に降りていく。少し時間をもらって準備運動などをしている。やがて整列したが、そのD高校の選手の中に、さっき千里とぶつかりそうになったセネガルの子がいたことに気付いた。