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(c)Eriko Kawaguchi 2012-05-02
母とそんな話をしたのは、私と進平が2人の子供を育て始めた頃のことであった。島根から特急を乗り継いで金沢にやってきた母は、幸せそうに志織(しおり)と悠貴(ゆうき)の頭を撫でながら、孫2人がしゃべる幼稚園での話を聞いていた。島根からは6時間ほどかかるが、毎月1度はやってきて、ふたりと遊んでいる。
「あんたが睾丸を取るって聞いた時は、ああ私は、この子の子供の顔は見られないのねって思ったけど、こうやって孫と遊ぶことができて、私は幸せだわ」
と母は言う。
「私の睾丸は小学生3年生の頃に機能停止していたんだけどね」
「うん。それは薄々分かってたけどね」
「だけどさ、悠貴って『ゆうき』と読めば確かに男の子の名前だけど『ゆき』
と読んじゃうと、女の子の名前だよね」
「そうなんだよね。このふたりって二卵性双生児のはずなのに顔立ちが似てるから、女の子の一卵性双生児と誤解されちゃうこと、よくあるよ。『しおちゃんがお姉ちゃんで、ゆきちゃんが妹ね?』とか言われるし」
「なんで、こういう名前の付け方したのさ」
「私が名前付けた訳じゃないけど。幼稚園に入れる時も、女の子用の制服が2着用意されてたんだよね。申込書にはちゃんと男女1つずつって書いてたのに」
「ハルだって幼稚園に入った時、初日女の子の制服着て帰ってきたから仰天したね」
「このふたり、仲良くて、おそろいの服を着たがるのよね。それでけっこう型紙ダウンロードして、ミシンで縫って、志織用にはスカート、悠貴用にはズボンで服を作ってあげてたんだけど、下も同じのがいいと言って、しばしばふたりで交換して穿いたりするもんだから、最近はふたりとも最初からズボンにしてるよ」
「この子、そのうちあんたみたいに女の子になりたいとか言い出さないだろうね」
「まあ、そうなった時はそうなった時だけどね」
私は、少し前に清花から言われたことばを思い出していた。
「晴音母さんの所に来ればそういう自分の生き方を認めてもらえるかもと思って、晴音の子供になりたいって言ったのかもよ」と。
もし悠貴にそういう傾向が見られるようだったら、亜紀さんとも話し合わないといけないなあと思う。
大学2年の夏、私が1年半にわたる男装生活に別れを告げ、女子生活に戻って間もなく、私は足の脱毛をした。やはり剃ったのではどうしてもきれいにならないので生足になるのに困難がある。女として暮らしている場合、どうしても週に1度は処理しなければならないので、大変だなと思っていた。大学1年の時にヒゲの脱毛をして、快適に感じていたので、足もやってしまうことにした。
昨年ヒゲの脱毛をした美容外科を訪れた。ここは男性用の診療所と女性用の診療所が別れていて(建物は同じだが入口が違う)、昨年はそれを知らずに女性用の窓口の方に行き「男性は裏手に回ってください」と言われたので、今年は最初から、男性用の窓口の方に行ったのだが・・・・
「済みません。こちらは男性専用なので、女性の方はビルの反対側の方の入口に回っていただけますか?」と言われてしまった。
「あ、えっと・・・・私、男なのですが」
「あら。そうでしたか。でもあなた、女性のように見えますね。トランス中ですか?」
「ええ、まあ」
「つかぬことをお聞きしますが、バストはあります?」
「トップとアンダーの差が9.5cmあります」
「じゃAカップはありますね。ちなみに下の方も手術なさってるんですか?」
「最終的な手術はまだですが、去勢はしています」
「でしたら、女性の方でいいですよ。あなた、見た目が完全に女性なので、むしろこちらに来られると他の男性の患者さんが恥ずかしがりますので」
「はあ」
「連絡しておきますので、向こうにいらしてください」
「分かりました」
ということで、私は今年は女性の方の窓口に回されたのであった。
ここは診察室や施術室は共用なのだが、男性患者と女性患者が遭遇しないようにコントロールされているようであった。男性側の待合室はブルーの椅子で結構狭かったのだが、女性側の待合室はピンクの椅子で、わりと広いしクッションもいい。男女差別だなあ、と私は思った。なんか置いてある雑誌のラインナップもこちらは充実してるし、BGMも流れている。向こうは音楽も流れてなかったぞ。
順番が来てカウンセリングを受けた後、施術室でスカートをめくって足にレーザーを当ててもらい脱毛していく。今日はゆったりとしたフレアースカートを穿いて来ている。
「あなた、ムダ毛が元々薄いですね」などと施術してくれている人に言われる。
「ああ、そうですね。それに普段はパンツなので、ついついサボってしまって。でもこないだ突然スカート穿くことになった時焦ったんですよ」
「それは焦りますよね」
などと会話をしたが、施術してくれている人はそもそもこちらが男とは思ってもいない感じであった。
ちょうど脱毛の引き籠もり期間が終わった頃、町で偶然由美佳と遭遇した。昨年の春、自動車学校に通っていた時の友人だが、自動車学校を卒業した後は会う機会がないままになっていた。当時は私はいつも中性的な服装をしていたので、最初彼女は私のことが分からないようであった。
「あ、由美佳、久しぶり」とこちらが言ったものの、きょとんとしている。そしてかなりの間があってから
「晴音? わあ、見違えた!」と笑顔で言った。
その日はカフェで甘いコーヒーを飲みながら話した。彼女はカフェモカ、私はキャラメル・マキアートを頼んだ。
「とうとう『女の封印』を解いたのね」と由美佳は言う。
「うん。1年半くらい中性的な格好で出歩いてたけど、バイト先で女らしい服装したのをきっかけに、完全に女に戻っちゃった」と私。
「凄く可愛い感じだなあ。彼氏いるの?」
「ううん。フリーだよ」
「きっと2〜3ヶ月のうちには彼氏できるよ」
「そうかな?」
「こんな美人を周囲は放っておかないって」
その日の会話は盛り上がり、私は週末、由美佳の友人たちと一緒にプールに行く約束をした。
その翌日、大学の図書館に行き、その帰り大学近くのスーパーで買物をしていたら、ばったり涼世に出会った。
「何か晩御飯の材料って感じだね」と涼世。
「うん。今日は肉ジャガにしようかなと思って」と私。
「すごーい。肉ジャガなんて作れない。カレーでさえ何度か鍋こがしちゃったことあるし」
と言う涼世の買物かごにはカップ麺と果物ゼリーが入っている。
「スズって、あまり料理しないんだっけ」
「うん。学食が頼りだよ。それとコンビニが無いと私は生きていけない」
「何なら、今日はうちで一緒に晩ご飯たべる?」
「あ、ハルリンの作るご飯って食べてみたい!」
ということで、その日は材料を少し多めに買って帰り、肉ジャガをふたりで食べた。涼世は自分の買物かごのカップ麺は返して果物ゼリーはおやつにとそのまま買ってきた。
「お邪魔しまーす」と言って入ってきた涼世は部屋の中を見るなり
「完璧に女の子の部屋だ」と言う。
「今年の春くらいまではもう少し殺風景だったんだけど、5月に例の出会い系のバイト始めてから、女の子の心を理解した方がいいとか言われて、女の子が読むような雑誌とか買ってたりしてたら、カーテンとかも可愛い系にしてみようかなと思ったり。ぬいぐるみはもらった奴とかを並べてみた」
「ふーん。。。。。ちょっと待って。このnonnoは去年の号だけど」
「ああ、前からあった奴は押し入れに入れてたんだけど、出して来た」
「つまり去年もこういう雑誌読んでたってことね」
「うん、まあ」
「このプリキュアのぬいぐるみ、去年のシリーズのだと思うけど」
「あ、それは去年ゲームセンターのクレーンゲームで取った」
「ね、このカーテンはもしかして自家製?」
「うん。布だけ買ってきてミシンで縫ったよ」
「ミシン持ってるの?」
「あ、えっと中学生の時から使ってるのを東京に出てくる時持って来たから」
「中学生の時から自分用のミシンがあったんだ!?」
「うん。けっこう室内着とかパジャマとか自分で縫ってたし」
「私、ハルリンの過去が少し見えてきた」
「何か誤解されてる気もするけど」と私は笑いながら言った。
私が肉ジャガを作っている間、涼世は棚に並んでいる少女漫画を読んでいた。お肉を厚手の鍋で炒めて、ジャガイモ・タマネギ・ニンジンを入れ、IHヒーターでタイマーをセットして煮込む。
「この漫画全部一刷で揃ってるね」
「うん。好きだったから」
「3年前からこれ読んでたってことね」
「あまり追求しないように」
「ハルリンの中学・高校時代の写真とか見たくなった」
「うーんと、パソコンの中に入ってるけどね」
私はパソコンを開き、作業用フォルダの中の Photo というフォルダを開く。
「ああ、日付単位でまとめてあるんだ」
「デジカメや携帯からパソコンに移した日が基準。撮影日はその少し前」
「なるほどね。いちばん古いのは、この8年前のか」
「あ、それは・・・・」
「8年前というと小学6年生か・・・・ん? 鼓笛隊?」
「うん」
「可愛い! で、スカート穿いてるじゃん」
「あ、えっと。ファイフの担当だったから。ファイフの子はみんなその衣装だったから」
「でも、それって女子で構成してたってことで、この頃から女子だったってことなのね」
「うーん。まぁ・・・・」
「まあ、いいや。今日は追求するのはそのくらいにして、写真だけ見て楽しもうっと」
と言いながら、涼世は楽しそうに私の昔の写真を見ている。
肉ジャガができたので、鍋ごと持ってくる。ジャーも食卓の所に持って来た。
「盛るのはセルフサービスで。好きなだけどうぞ。女の子同士だし本音の食欲で」
「OK、OK」
「いただきまーす」と言って食べ始める。
「わあ、美味しい!」
「そう?良かった」
「こんな美味しい肉ジャガ初めて食べた」
「それはさすがに大げさだよ」
「料理は大学に入ってから、し始めたの?」
「ううん。小学校の1-2年の頃からお母さんの手伝いしてたから。本格的に勉強し始めたのは小学6年生頃からかな。女の子になりたいのなら料理くらいちゃんとできるようにならなきゃとか言われて」
「ふーん。その頃から女の子になりたくて、それを親も容認してたのね」
「うーんと。お母さんはね。お父さんは私の性別のことは全然知らない。実はお母さんにも大学に入るのと同時に男の子に戻ると言ったから、まさか女の子に戻っちゃったとは思ってないよ」
「それなら、お母さんには今のハルリンの写真とか送ってあげた方がいい」
「いや、まだこのまま女の子のままでいるかどうか自分でも分からないし」
「男の子になっちゃうというのは、無いような気がするけどなあ」
「そうかもね・・・」
「しかしリコたちに言い訳っぽく言ってた話とはかなり違うなあ」
「えーっと、その辺はとりあえずまだ内密に」
「いいけどね。でもハルリンって初めて見た時から、少し女の子っぽいなとは思ってたけどね。元々そういう生活だったのか。中高生の頃の写真、適当に開いてみてるけど、女子の制服着てる写真ばかりじゃん」
「うーん。学生服の写真もあるはずだけど」
「それを発見するのが難しそうだ。あれ・・・これは、水着写真」
「あ・・・」
「凄い。スクール水着だ」
「うん」
「ハルリン、胸があるみたいに見えるけど。下も付いてないみたいに見えるし」
「うーんと、男の子体型じゃ女子用スクール水着は着れないから、そのあたりは色々と誤魔化しを」
「ふーん。誤魔化しね・・・。でもこれで体育の授業に出てたんだ」
「うん」
「ハルリンは、結局ごく普通の女の子と思っていいみたいだな」
といって涼世は笑っている。
結局その日、涼世は泊まっていき、夜遅くまで楽しそうに私の写真を見たり、私からいろいろ昔の話を聞き出したりしていた。
「これ、面白すぎるから、リコとヒサリンには黙ってよっと」
などと涼世は言っていた。
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桜色の日々・男の子をやめた頃(5)