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そしてまた翌月、王子は狩りに出かけると称して、ポリーヌの住む村にやってきました。護衛には村の中で待っているように言い、太陽も沈み空も暗くなった頃からじっと、あの姫君のいた小屋を見ています。するとかなり夜更けになってから、ロバの皮をかぶった変な女が小屋にやってきました。
そして小屋の灯りがともります。王子は少し経ってから、そっと小屋に近づき、鍵穴から中の様子を覗き見しました。
すると、何ということでしょう!
小屋の中には先月も先々月も見た12-13歳くらいの美しい娘がいて、物凄く豪華な、見たこともない、まるで太陽が輝いているような金色の美しいドレスを着て、姿見に自分の姿を映していたのでした。ドレスにはたくさんのダイヤモンドも縫い付けられています。
王子は想像を絶する美しいその姿に見とれていました。ドアをノックして中に入り、名前を訊きたいと思ったのですが、なぜかできませんでした。小屋からはやがて美しい歌声も聞こえてきました。王子は聞いた瞬間、これは天使の歌だと思いました。王子がずっと小屋から少し離れた木の陰(かげ)に隠れておりますと、その内灯りが落ちて、小屋の戸から、ロバの皮をまとった変な女が出てきます。
王子はそっとロバの皮の後を付けました。
その時、女の前に1人の男が立ちふさがります。
「なぁ、ロバの皮ちゃんよぉ。お前一応女だったら、俺とちょっと遊ばない?」
などと男は言っています。
「申し訳ありません。人間の女なら良かったのですが、私はロバの皮ですので」
と言って、女は男の横を通り過ぎようとしますが、男は手を横に伸ばして通させません。
「通して下さい」
「お前さあ、男に抱かれたことなんてないだろう?一度体験しておくのもいいぜ」
「どうか人間の女を誘って下さい」
「あんたが少々汚くても俺は平気だぜ」
それでふたりが押し問答をしていたので、王子は出て行きました。
男がギョッとしています。王子は
「立ち去れ」
と男に言いました。王子は明らかに強そうです。
「分かった、分かった。じゃな」
と言って男は去って行きました。
「どこのどなたか分かりませんが、助かりました。ありがとうございます」
と“ロバの皮”は王子に御礼を言いました。
「名前を教えてくれないか?」
「ロバの皮と申します」
「本当の名前は?」
「ロバの皮ですよ」
とだけ言って女は微笑んでいます。
「私は狩りをしていて、少し疲れたのだが、お茶でも所望できないだろうか」
「そうですね。助けて頂いた御礼に。汚い所ですが」
と言って、ポリーヌは王子を自分の豚の番人小屋に案内しました。凄い臭いがしますが、王子は構わず部屋の中に入り、椅子に座りました。ポリーヌは「ふーん。平気で座るのか」と思いました。これまでこの椅子に座った者は、おかみさん以外には、誰もいなかったのです。
(リリアは常に立っている。臣下の者が主人の御前で座ったりすることはありえない)
ポリーヌは小屋の中で微かな月明かりの中、火打ち石を打って炉に火を入れると、その上のフックに茶瓶を掛けてお湯を沸かし始めました。
「その茶瓶はアラビア渡来のものでは?」
「お目が高いですね。みんな“変な形の茶瓶”と言うのですよ」
やがてお湯が沸いたので、ポリーヌはお茶を入れて磁器の茶碗に入れて勧めます。
「この磁器はジャポン(日本)のイマリ(伊万里焼き)ではないか!」
「本当にお目が高いですね。みんないやに生地の薄い安物の陶器かい?と言うのに。もっともこの小屋に入ってきて、お茶を飲んだのはあなた様がまだ5人目です」
それで王子はその伊万里焼きの茶碗でお茶を飲みました。
「このお茶は中国のプーアール茶ではないか!」
「みんな苦くてカビ臭い、きっと廃棄寸前のをもらってきたのだろうとおっしゃるのです」
とポリーヌは微笑んで言った。
「君は一体何者だ?」
「ロバの皮です」
王子は3時間近くこの豚小屋に滞在し、自分は赤の国の王子ジルである、と身分を明かしたのですが、ポリーヌは自分はロバの皮であるとしか言わず、決して名前も出自も明かさなかったのです。
王子はこの後、毎月1度“ロバの皮”を訪問するようになります。王子は度をわきまえていましたので、彼女を無理に押し倒したりすることもなく、お茶やお菓子などを食べながら数時間おしゃべりをするだけでした。最初の夜は豚の番人小屋で話したのですが、2度目からは森の中の小屋で話すようになりました。でも彼女は王子の前では決して皮を脱がず、ドレス姿を見たいと王子が言っても「私はロバの皮だもん」と言って、見せてくれませんでした。
(でも実は王子はしばしば覗き見していましたし、ロバの皮本人も見られているのを意識しているように思えました)
「君はお菓子作りもうまいね」
「お母様が作ってくれていた作り方なんですけどね」
「ケーキとかタルトとかは焼かないの?」
「さあ、どうかしら?」
「君が焼いたケーキを食べてみたい」
「その内気が向いたら」
ポリーヌは、お料理というものは王子時代にはしたこともなかったのですが、1年半ほど“王様の婚約者”として過ごしていた時期に覚えたのです。亡き母ジャンヌのレシピを、ジャンヌの侍女をしていた人に尋ねて習ったりもしていました。
ポリーヌ不在の青の国で、王様は以前にもまして精力的に仕事をしていました。
王様は当時のヨーロッパの工業先進国だったイタリアや、もっと高い技術を持つアラビアからも多くの技術者を呼んで、様々な新しい技術を導入しました。
農業用水を確保するための貯水池を作り、用水路を建築しました。効率的な農耕の仕方や糸紡ぎの新しい技術を導入、更には水車を利用した製紙工場まで建設しました。そのため国の生産力は上がり、干魃も減り失業者も減り、安価で良質な繊維製品や紙などを他国ににも輸出するようになり、数年後には、黄金を産むロバなどに頼らなくても、国全体が豊かになっていくのです。
ポリーヌは姿を見せないものの、しばしばポリーヌ様から国民へのメッセージが伝えられるので、ポリーヌ様はきっとご病気なのだろうが、それでもしっかり国の様子を見ておられるようだと国民たちは思い、いわば国民のアイドルのようになっていました。
一方赤の国では最近、王子ジルが物思いにふけっている様子なのを王様もお妃様も心配していました。
「最近、お前は元気がないがどうしたのだ?」
と王様が訊きますが、
「いえ、少し考え事があって」
などと言っています。
王子としては“ロバの皮”を妻にしたいと思うようになってきたのですが、どこの馬の骨(というより驢馬の皮!)とも知れぬ女との結婚など認められるはずがありません。
そして王子が初めて“ロバの皮”を見てから半年ほど経った夏の日、ジルはとうとう病床に伏してしまったのです。
「何か欲しいものは無いか?何でも持って来させるぞ」
と王様が言ったのに対して、ジル王子はふと思いついたように言いました。
「北の岩山村に住む“ロバの皮”という者にケーキを焼かせてください。私はそのケーキが食べたいのです」
「その者はケーキの名人か何かなのか?」
「ちょっと気になる者なのです」
「分かった。使いをやろう」
王様はそうおっしゃったのですが、王様の使いの者が岩山村まで行き、“ロバの皮”の所在について村人に尋ねると
「あの女はこの世で最も汚れた存在です。あんな女の作った料理など食べたら、王子様はご病気になりますよ」
などと言うので、お使いの者は“ロバの皮”には会わずに帰って来てしまいました。そして報告します。
しかし王子は、どうしても“ロバの皮”の手作りケーキが食べたいと言います。
それで今度はお妃様が自分の腹心の侍女でマルゲリートという者を、岩山村まで使いにやりました。侍女は村人が「あんな汚い女に関わらない方がいい」と言うのにもめげず場所を案内させ、“ロバの皮”が住んでいる、豚の番人小屋まで行きました。
すると女は名前の通り、ロバの皮をかぶった奇妙な格好をしています。そして豚の番人小屋ですから、豚の臭いもきつい。マルゲリートは本人を見た上で、こんな女の焼くケーキなど食べられるものかと思ったので、結局用事を言わないまま、王宮に帰ってきて報告しました。
しかし王子はますます衰弱していきます。そして王子が“ロバの皮が作ったケーキを食べたい”と言うので、とうとうお妃様自身が、マルゲリートと警護の少尉1人だけを連れて、岩山村に行きました。
マルゲリートの案内で、豚の番人小屋までいきます。凄い臭いがしますが、王妃様はめげません。勧められた椅子に座り、ロバの皮をかぶった奇妙な格好の女に言いました。
「私はこの国の王妃である。ロバの皮というのは、そなたか?」
「はい、そうですが、何か御用でしょうか?」
と言いつつ、この人も椅子に座ってくれるんだなあと思いました。
王妃は女がこちらの身分を明かしても全くびびらず、しかもこの女のイントネーションがひじょうに上品なのに気付き、この女はこんな格好をしているが、本当はどこかの貴族か王族の女なのでは?と思いました。それで女に頼みました。
「実は王子ジルが何かに思い悩んで病気になっているのです」
「それはいけませんね!」
とロバの皮が驚いた様子で言います。それでここ2ヶ月ほど来なかったのかと思い至りました。
「あなたが焼いたケーキが食べたいと申しております。ケーキを焼いてもらえませんか?必要な材料があったら、どんなものでも調達します」
「分かりました。それではメモを書きます」
と言って、ポリーヌは小屋の棚から1枚のアラビア紙(**)を取り出しました。
王妃は女がアラビア紙に万年筆まで持っており、しかもそこにとても美しい字でメモを書いたので、やはりこの女は、ただ者ではないと思いました。だいたい字を書けるということ自体、下層階級の者ではないことを示します。
(**)中世の西洋では記録用の紙としては動物の皮を加工した“羊皮紙”が一般的だった。実はこの物語のタイトル peau d'Ane (ロバの皮)には“羊皮紙”という意味もある。ペローがこのことを意識していたかは不明。
しかし中国の製紙技術がアラビア経由でヨーロッパに伝わると13世紀頃イタリアで製紙工業が生まれる。しかし当時は紙の需要はそうなかったし生産規模も小さく、この“アラビアから伝わった紙”は高価で希少なものだった。
それが15-16世紀に宗教改革と活版印刷の発明により、庶民が買う聖書を印刷するため紙の需要は急速に高まる。この時期からフランスで安価に効率良く紙の生産が行われるようになり、紙生産の中心地はフランスに移る。この物語はその少し前の時期を想定している。
(**)この時代の西洋での一般的な筆記具は羽根ペンで、ガチョウの羽根の先端をとがらせ、インク壺に漬けて使用した。しかし万年筆もエジプトで953年に発明されている。もちろん、そんな物を所有している者は西洋では極めて稀である。
ポリーヌは自分の雇い主の農家のおかみさんに、オーブンを貸して欲しいと言いました。なにやら高貴そうな女性も来ているので、おかみさんはふたつ返事で貸してくれました。
ポリーヌは自分の臭いがケーキに移ってはいけないからと言って、この日はお風呂の日ではなかったのですが、特に頼んでお風呂に入れさせてもらい、その後、森の小屋に置いていた質素ではあるものの清潔な服に着替えました。初めてロバの皮を脱いだポリーヌの美貌に王妃は驚きました。
ポリーヌは王妃が用意してくれた材料を秤(はかり)で量ってから混ぜ合わせます。小麦粉、卵、塩、砂糖(**)、バター、酵母(**)、この季節に入手できる数種類の果物、更にポリーヌが指定した珍しいスパイス数種類。
(**)この酵母はポリーヌが青の国のお城を出る時に持って来たもので、その後自分で増やしていたもの。この物語の時期にはまだ重曹は無い。
(**)砂糖はインドから広がり9世紀頃からアラブ世界で普及したが、初期の頃ヨーロッパでは、スパイス同様に超高価なものだった。しかしアラブ世界の一部であるスペイン南部では生産されていたのでフランス付近はまだ入手しやすい地域だったと思われる。15世紀頃になると生産量が増えて急速に価格が低下していく。この時期はその安くなり始めではないかと思われるが、庶民には入手困難な素材だったかも。砂糖導入以前、ヨーロッパでは蜜くらいしか甘味料は存在しなかった。
材料をポリーヌが混ぜていた時、本人も含めて誰も気付かなかったのですが、ポリーヌの胸のポケットから指輪が落ちて材料の中に入ってしまいました。
しかしポリーヌはそんなことが起きたとは知らないまま、型に流し込んだものを数時間寝かせ、膨らんで来た所でオーブンに入れて焼きました。
そしてとっても美味しそうなケーキができあがりました。
「2つ焼きましたので、片方は試食にどうぞ」
それで王妃様と侍女、おかみさんも試食しますが
「美味しい!」
「柔らかい!」
と思わず声をあげました。
「ロバの皮ちゃん、こんなにケーキ焼くのがうまいのなら、あんた料理番の助手とかしない?」
とおかみさんは言いましたが、ポリーヌは
「いえ、私は豚小屋の番人で充分です」
と慎ましやかに答えました。
それで王妃はロバの皮が焼いたケーキをお城に持ち帰ります。王子は嬉しそうな顔で起きあがると、ケーキを食べました。
「美味しい!」
と王子も声をあげます。王子が元気になった感じなので、王妃も王様も満足げです。
しかし王子がケーキを食べていた時、歯に何か当たりました。
何だろうと思って取り出してみると、美しい金の指輪でした。
これは・・・きっとあの娘の物に違いないと王子は思いました。
王子は“ロバの皮”が焼いたケーキやタルトを何度も所望し、その度に王妃付きの侍女マルゲリートが岩山村まで行って作ってもらい、持ち帰りました。それを食べている内にジル王子はどんどん元気になってきました。
王様は王子が元気になってきたことから、この機会に、ぜひ誰か適当な娘と結婚させようと思いました。
「結婚ですか?」
と王子は困ったような顔をして答えました。もう王子の頭の中にはあの“ロバの皮”が、小さな小屋の中で汚い毛皮を脱ぎ、美しいドレスを身に付けている所のイメージしか無いのです。
「そうだ。国中の娘を集めて、お前の目にかなう者と結婚させようか」
王子は“国中の娘”というのであれば、あの“ロバの皮”も来てくれるだろうと思い、この話を承諾しました。
それで王様はお触れを出して、赤の国の国民で13歳以上の未婚の娘はお城に来るように言って、翌月お城の大広間でパーティーを開くことにしたのです。