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(c)Eriko Kawaguchi 2017-11-11
その日の夕方。今日もクロレンダとティカベはお城のパーティーに行くので、シンデレラがふたりの髪をセットし、お化粧もして、トルカンナも入れた3人を送り出します。
ところが出かけにクロレンダが豆を入れたバケツに躓いてしまいました。本人は何とかバランスを保って転ばずに済んだのですが、バラバラっと豆が散らかります。
「ごめん!」
とクロレンダ。
「大丈夫。片付けておくから、行ってきて」
とシンデレラ。
「ごめんねー。じゃ行ってくるね」
それで3人は出かけて行きました。
しかしシンデレラは途方に暮れました。
この豆を片付けるのにはかなり時間が掛かります。自分もパーティーに行きたいのに。あまり遅くなると、エステルを待たせてしまいます。
「でも片付けるしかないよな」
と言って、シンデレラはそれを片付け始めました。
その時
「ロゼ様。それは私がやっておきますから、パーティーに行ってらっしゃい」
という声がしました。
「誰?」
と声を出して振り返ると、そこには懐かしい顔がありました。
「クレアさん?」
それは4歳の時まで乳母としてお世話をしてくれたクレアでした。
「お久しぶりです、ロゼお嬢様」
「その名前はやめてよ」
と言って、シンデレラは顔がほころぶのを停めきれないまま言いました。
「どうしてここに?」
とシンデレラは訊きましたが、クレアはそれには答えず、
「ロゼが嫌でしたら、ロジェがいいですか?それともシンデレラ?」
「本当は13歳になるまでシンデレラという名前で過ごすことにしていたんだよ。だからシンデレラの名前は昨日までだったはずなんだ。でもお母ちゃんもお姉ちゃんたちも忘れているみたいな気がするから、僕はまだしばらくはシンデレラのままでいいと思っている。もっとしっかり仕事をしてこの家の生活を支えることができるようになるまでは」
「ロジェ様、あなた随分お姉さんたちやトルカンナさんからいじめられてない?」
「厳しい生活だもん。ストレスのはけ口が欲しいだけだと思う」
「ロゼ様、お母様のお墓にお父様がペルシャから持ち帰った箱を埋めたのをこちらに持って来ましたよね」
「うん」
「あの箱を取り出してみてください」
「あれを?」
それでシンデレラは家の裏に行き、ヘーゼルの根元を少し掘ってみます。埋まっていた箱を取り出しました。土を埋め戻した後で、家の中に持って来てから開けようとしますが、箱はしっかり密閉される構造になっていましたので開けるのに少し苦労しました。
「ガラスの靴(*8)だ・・・」
「あなた様の足にピッタリだと思いますよ」
「ほんとに?」
それで、そっと足を入れてみると、その靴はピタリとシンデレラの足にはまりました。
(*8)ペロー版の物語のタイトル自体が"Cendrillon ou la Petite Pantoufle de verre" 「サンドリヨンあるいは小さなガラスの靴」である。
フランス語のPantoufle(パントゥフル)というのは、ヒールが無く、芯も無い、柔らかい室内履きのことで、英語版のシンデレラでは slippers of glass と翻訳されている。英語のslipperは日本語のスリッパに相当するものから、日本語のミュールに近いものまでが含まれる。
シンデレラの靴が実はスリッパだというのは、多くの日本人のイメージを壊すかも知れない。
靴に合う姫を探す話は英語では「Slipper-test」と呼ばれる。
ところでverre(ヴェール)というのはガラスなのだが、vair(ヴェール)と同じ[vε:r]という発音であることから、vairの誤りではないかという説が昔からくすぶっている。vairはリスの皮のことである。元々pantoufleというのが足に自然にフィットする柔らかい履き物なので、リス皮製なら分かるが、ガラス製というのは、どうにも不自然である。
ただ逆に考えると、リス皮製のパントゥフルなら、結構ありふれたものという気もするし、元々が柔らかい素材なので、少々サイズが違っていても、足にきれいにフィットしてしまいそうである。しかしガラス製であれば、レアな存在でもあるし、なかなかフィットしないので、個人識別性が高まることになる。
「でもなぜ僕の足にピッタリなの?これ、お父さんがお母さんのために買ってきたものじゃないの?」
とシンデレラは訊きました。
「元々はそうでしたけど、あなたがずっとお墓に埋めたヘーゼルに水をあげていたからあなたのものに変化したんですよ」
とクレアは答えます。
「そんなこともあるんだ・・・」
「ロゼ様、今日はどんなドレスを着ていらっしゃいます?」
「それどうしようかと思っていたんだよねぇ」
「その薄茶色のドレスとか着てみられません?」
とクレアは言いました。
「これ?」
と驚いてシンデレラは言います。それはこの家に引っ越して来て、洋裁の仕事をするようになった頃、最初に練習で縫ったドレスです。生地も粗末なリンネル(*9)です。でもクレアに言われたので着てみました。
「それをこうするとですね」
と言ってクレアは手に持っていた木の杖を振りました。
するとどうしたことでしょう!
シンデレラの着ていた薄茶色のドレスはたちまち豪華な真っ白いシルクのドレスに変わったのです。
「何これ?魔法みたい」
「そしてこれを」
と言ってクレアはシンデレラのドレスの胸にハートの形をした、透明なブローチをつけてくれました。
「これもガラスのブローチ?」
「いいえ。ダイヤモンドですよ」
「え〜!?それ高いのでは?」
「私が乳母を辞めて家庭教師のトルカンナさんに引き継いだ時、アンジェリーナ様から私に、記念に頂いたブローチです。今夜はロジェ様がつけてください」
「うん。ありがとう。借りるね」
「これで今夜もパーティーに行けますね」
「お化粧しなくっちゃ!」
それでシンデレラは鏡台の前で、きれいにお化粧をしました。
「でもこのガラスの靴って、何か歩いていて割れるんじゃないかって不安になる。お城まで辿り着くまでに割れちゃったらどうしよう?」
「それなら大丈夫ですよ。馬車を用意します」
「馬車!?」
クレアは台所の隅に転がっていたカボチャを手に持つと家の外に出ました。そして杖を一振りすると、なんとそのカボチャが馬車に変わりました。
「うっそー!?」
「馬と御者が必要ですね」
と言ってクレアはハツカネズミ(*10)の罠に掛かっていた6匹のハツカネズミを連れてきて、杖を振ります。するとハツカネズミはみんな馬になってしまいました。更にドブネズミ(*10)の罠に掛かっていた大きなドブネズミを連れてきて杖を振ります。するとドブネズミは御者に変わりました。更にクレアは道具小屋の中に居たトカゲを6匹捕まえてきて杖を振り、上等な制服を着た召使いに変身させます。
「なんかすごーい!もしかして魔法なの?」
「魔法ですよ。さあこれで行っておいでなさいませ。でも気をつけて下さいね。この魔法は12時で切れますから。お城の時計の、時を告げる鐘の音が12個鳴り終えるまでに帰らないと、ドレスは元の薄茶色の粗末なドレスに、馬はハツカネズミに、御者はドブネズミに、召使いはトカゲに、そして馬車もカボチャに戻ってしまいますから」
「それは大丈夫です。毎日11時45分までには退出していますから」
「はい。では気をつけて行ってらっしゃいませ」
それでシンデレラはカボチャの馬車に乗り、ハツカネズミの馬とドブネズミの御者、そしてトカゲの召使いたちに守られてお城へと出かけました。馬車はやがてお城の門にたどりつきますが、衛兵は馬車をそのまま中に入れてくれました。それでシンデレラは馬車に乗ったまま、宮殿の玄関まで辿り着きました。
シンデレラが馬車を降りようとしたら、今日はなんと階段の所に居たエステルが降りてきて、シンデレラの手を取り、降りるのを助けてくれました。
「そろそろ来るのではないかと思って待っていた。今日は素敵な馬車に乗ってきたね」
「いえ、粗末なものですけど」
とシンデレラは答えました。
「今日の君にはこれをあげる」
と言ってエステルは赤い薔薇を3本シンデレラにくれました。シンデレラは笑顔でその花を受け取ります。
そしてふたりで一緒に階段を登り、廊下を通って広間に行きました。
馬車が目立ちますし、シンデレラの衣装も今日はかなり豪華なもので、エステルも上等の服を着ていますので、ふたりはとても目立ちました。そのせいか周囲にたくさん人がいてシンデレラは物凄い視線を感じました。
そしてこの日もシンデレラは最初から最後までずっとエステルとふたりで踊っていました。昨日は途中で何度か立派そうな服を着た女の子がエステルに踊ってくれませんかと言ってきて、それをエステルが断っていたのですが、今日は誰も踊ってくれとは言いに来ませんでした。
ふたりがとても素敵な雰囲気になっているので、とても近寄れなかったのです。
「あの子、今日は凄い衣装つけてきている」
「ドレスが豪華だし、ダイヤモンドのハート型ブローチつけてるし」
「そしてあの靴。ガラスの靴なんて初めて見た」
「あの靴、あの子にピタリと合わせて作られているみたい」
「いやガラスで靴を作るならピタリのサイズに作らないと靴擦れを起こすと思う」
「凄く贅沢な靴よね」
「でもどこのお嬢さんかしら」
「もしかしたら外国のお姫様かも」
「そうかも知れないよ。何か凄い豪華な6頭立ての馬車で今日は乗り付けていたよ」
ふたりは踊りながらたくさんお話をしましたが、その話もとても楽しく、シンデレラは、もうパーティーは今日までだからこんなことも今日で終わりだけど、こういう体験は一生の思い出になりそう、などと思っていました。
あっという間に時間が過ぎて、11:30になり、11:45になりました。
「エステル様。今日も昨日も一昨日も、とても楽しい時間でした。ありがとうございます。私には一生の思い出になります。そろそろ帰らなければならないのでこれで失礼します」
とシンデレラは言いました。しかしエステルは言いました。
「帰さないよ」
「え!?」
それでエステルはシンデレラの手を離してくれず、休憩タイムになっているのにふたりは踊り続けます。
ちょっと待って〜!!と思ったのですが、ふたりが踊り続けていると、楽団がすぐに曲を再開してしまいました。
その音楽に合わせてあちこちで踊り始めるペアがあります。そしてあっという間に広間は踊る人たちで一杯になりました。
それから更に2曲が演奏され、時計は11:55になります。
「ごめんなさい。私、本当に帰らなきゃ」
とシンデレラは言うのですが、
「だから帰さないと言っているのに。ロゼ、このまま私と結婚して欲しい」
「え〜〜〜!?」
だって僕男の子なのにと思っています。
「ごめんなさい。私は結婚できないのです」
「どうして?」
「だって・・・」
えっと、何と言い訳しよう?
「お母様に許してもらえないから」
「僕が君の家に行って、結婚を申し込むよ。そして僕のプリンセスになって欲しい」
「プリンセスって、大げさな。まるで王子様と結婚するみたい」
とシンデレラは思わず吹き出して言いました。
しかしエステルは大まじめです。
「王子の妻は“プリンセス”と呼ばれるのです(Ils appellent la femme du prince "princesse".)」
シンデレラはきょとんとしました。そして訊きました。
「ごめんなさい。あなたは誰ですか?」
「私はこの国の王アンリの息子のエステルです」
「え〜〜〜〜〜!?」
とシンデレラは超絶驚いて声を挙げました。
「君、知らなかったの?」
「全然知らなかった」
などとシンデレラが言うので、周囲に居る人たちがざわついています。
「ねぇ、あの子、まさかエステル様を王子様とは知らずに踊っていたの?」
「そんな馬鹿な。あり得ない」
「どうなるの?これ」
「いやこれは既にカップル成立してるでしょ」
「然るべき日取りを取って、婚約の義となるんじゃないの?」
まずい、まずい、まずい、まずい。
そんな。エステルが王子様だったなんて。でも僕、男の子だから王子様と結婚して王子妃になるなんて無理だよぉ。