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これで全てが解決したかというと、そうではありませんでした。
アシムには実はエシムという弟がいました。彼はアシムから
「近い内に中国の皇帝の姫君と結婚するから」
と聞いていたのに、一向に音沙汰が無いので、どうしたのだろうと思ってマグリブに来てみたら、兄の邸宅は何か重たいものに潰されたかのようにぺしゃんこに潰れていますし、兄の墓らしきものもあります。まさか誰かに殺されたのか?と思って水晶玉で見ると、ジャマール皇子の顔が浮かびました。
「こんなボンクラっぽい男に兄がやられるとは思えん。たぶん凄い魔法使いが付いているんだ」
と考えながら、中国までやってきます。
そしてジャマール皇子の周辺を色々調べていて、最近急速にこの国でのし上がってきた、アラディンという男がいることに気付きました。そして更に水晶玉で調べている内に、アラディンによく似た女が見えます。
「似ているからアラディンの妹か?こいつは魔女に違いない。兄貴はこいつに魔法のランプを奪われて殺されたんだ」
とエシムは考えました。
それでエシムは兄の敵討ちにまずはアニトラを殺してランプを奪い、続けてジャマール皇子も倒そうと考えました。
その頃、帝都近郊のシーサンという町にファティマという名の女祈祷師がいて評判になっていました。エシムは相談事があるかのように装って、そのファティマの庵を訪れると、彼女を脅して、まずは着ている服を奪い、その上でファティマを殺してしまいました。
そして自分がファティマの服を着て、その女祈祷師に変装したのです。
その頃、ジャマール皇子と大臣の娘の婚礼が目前に迫って、新宮殿が一般に公開されていました。
ファティマに変装したエシムは、一般の民衆に混じってその宮殿を訪れました。
ファティマがいることに気付いた民衆が、まるで聖人でも拝むかのように彼女を拝んでいるので、何事だろうと思ったジャマール皇子がそばによります。エシムは今すぐにも兄の敵であるこの皇子を刺し殺したかったのですが、護衛も居て難しそうですし、まずはアニトラを倒そうと思いました。
「あなたが今評判のファティマ殿ですか。トンペイに出てこられたのですか」
「私はただの貧しい女でございます」
「どうか別室でご休憩ください」
と言って、皇子はファティマに変装したエシムを部屋に案内しました。
「しかし素敵な宮殿でございますね」
とファティマに変装したエシムは言います。
「そうですか。個人的には大きな宮殿を作るより国民のために何かしてあげたいのですが、皇帝の権威を誇示して外国が安易にわが国を攻めたりしないようにするためには立派な宮殿を作るのもよいという意見がありまして」
「大粒の宝石が宮殿のあちこちに飾られていますし」
「ええ。寄付してくれた者があったので飾らせて頂きました。ここに飾っておけば、国民たちが見ることもできますし」
「なるほどですね。きっとこの宮殿は世界一の宮殿ですよ。でも後少しだけ惜しい」
「何か足りないものがありますか」
「宮殿の大広間に朱雀の剥製(*12)でも飾ってあれば、最高なんですけどね。世界一の鳥の剥製があれば、この国が世界一であることを誇示できますよ」
「へー」
(*12)東洋文庫版では“ルフ鳥の卵”と書かれているが、ルフ鳥はアラブの鳥なので、中国でそれに相当する朱雀に書き換えた。また“卵”では、ランプの精のことばに繋がらないので、剥製と書き換えた。“卵”というのは恐らくどこかの段階での誤訳あるいは誤記ではないかと思われる。
なお朱雀の大きさについては、同族である鳳凰が12-25尺とされるので、1尺を30cmと考えると、3.6-7.5m ということになる。
ルフ鳥は象を捕まえてきて雛鳥に食べさせると言われる。マダガスカルには、エピオルニスという体長3.5m・体重500kg程度の巨大な鳥が17世紀まで生息していた。ルフ鳥のモデルはこの鳥ではないかという説もある。(但しエピオルニスはダチョウ(体長2,3m 体重150kg程度)などと同様、空を飛ぶことができない)
なお、神話伝説上の鳥として恐らく最大級なのはガルーダ(迦楼羅)で、翼開長が34万kmと言われる。(地球から月までの距離が38万km)
皇子はファティマから言われると、急にそういう剥製が欲しくなったので、皇帝を通して、アラディンに、朱雀の剥製が手に入らないか尋ねてみました。
皇帝からリクエストされたアニトラはランプの精を呼び出して尋ねます。
「あのさ、朱雀の剥製とか手に入らないよね」
するとランプの精が激怒しました。元々恐ろしい風貌のランプの精が怒るとアニトラでなかったら、それだけで失神していたでしょう。
「ふざけるな!この恩知らずめが!俺や数々の精たちが、貴様の下僕(しもべ)となって、仕えてきたのにまだ飽き足らねえのか?あまつさえ、我らの女主人をお前の慰みのために殺して宮殿に飾れというのか?今すぐ、お前もこの国も全て燃やし尽くして灰にしてやろうか?」
アニトラは驚いて弁解しました。
「済まなかった。君たちが仕えていたのが朱雀殿だったのか。金輪際、そんなことは口にしないから、どうか許して欲しい」
ランプの精はかなり怒っていましたが、アニトラが土下座して必死で謝るので少し軟化します。
「まあ、お前が自分の望みでそんなことを言ったのではないことは分かるから、今度だけは勘弁してやる。でも朱雀様に詫び状を書け」
「うん。書くから届けてくれる?」
それでアニトラは朱雀に向けて、これまで様々な便宜を図ってくれた御礼、そして失礼な頼みをしてしまったことへの陳謝の気持ちを書いて、ランプの精に渡しました。
「じゃこれは我らが女主人に届ける。ついでにひとつ教えてやる。こんなことをさせようとしたのは、今ファティマに化けて、新宮殿に滞在している、アシムの弟・エシムだ。そいつが、俺や朱雀様が激怒するようなことをお前に依頼させて、お前が俺らに灰にされるのを待ち、続けて皇子も殺そうとしていたのよ。これは親切心で教えてやることだがな。お前が自分でそいつを始末してきたら、この国を灰にするのは勘弁してやる」
「分かった。何とかする」
それでアニトラはただちに新宮殿に向かったのです。
「アニトラ殿?」
と皇子は突然のアニトラの訪問に驚いています。
「こちらにファティマ様が滞在なさっていると聞いたので、ご祈祷をお願いしようと思いまして」
「おお、そうですか。こちらなんですよ」
と言って皇子はアニトラを案内します。
そしてファティマに化けたエシムのいる部屋に案内しました。
エシムはアニトラが無事なのに驚いたのですが、これはアニトラと皇子を一気に葬るチャンスと思います。
ところがアニトラは部屋に入るや否や、いきなりファティマに化けたエシムの心臓めがけて剣を一突きしたのです。
エシムは自分の剣を抜く前に刺殺されてしまいました。
「アニトラ殿、何をなさるんです!」
と皇子が驚いて言いました。
アニトラは黙って、エシムのベールを剥ぎ取りました。
「男!?」
と皇子も仰天します。
「皇子様。私と皇子様を狙った刺客(しかく)ですよ」
「なんと!?」
皇子の護衛が見るとエシムの手が剣に掛かって抜き掛けでした。
「一瞬の勝負でしたな。アニトラ様さすがです。しかし男の癖に女に化けて油断させて近づくとは太ぇ奴だ」
などと言っているので、アニトラは冷や汗を掻きました。
「私は朱雀とその眷属たちに守護されています」
とアニトラが言うと
「そういえばアラディン殿が妹を住まわせている離宮は朱雀(ツーチェ)離宮でしたね」
と皇子が言うので、そういえばそうだけど、あの名前は誰が付けたんだっけ?と疑問を感じました(ランプの精の裏工作)。
アニトラは続けます。
「それなのに朱雀の剥製などとんでもない話なので、どうかそれは諦めて下さい。こいつはそんな話をして、私を守護している精霊たちを怒らせ、私を始末しようとしたのですよ」
とアニトラは皇子に説明しました。
「そうだったのか」
と皇子は驚き、朱雀の剥製の話も無しにしてくれました。
「しかしアニトラ殿は、マグリブでの活躍といい、今回の刺客との対決といい、本当に勇気のある方だ。女にしておくのがもったいない。殿方と結婚しないのであれば、名誉男子にしましょうか?適当な役職か軍の階級を差し上げますよ」
「あはは。私は女で充分で男にはなりたくないです」
とアニトラは言いました。
皇帝も掛けつけてきて大騒ぎになりますが、それにしてもアニトラの働きで皇子が守られたとあって、皇帝はアニトラの手を握って感謝していました。
アニトラが疲れて帰宅すると、ランプの精が自ら姿を現しました。
「よくやった。朱雀様もお前の働きに満足していたぞ」
「いや、君がちゃんと事件の真相を教えてくれたからだよ。いつもありがとう」
「これからも俺たちはお前に従うから」
「それもありがとう。朱雀様にも御礼を言っておいて」
「了解、了解。ついでにこれは朱雀様からの贈り物だ。姫をちゃんと愛してやれ」
「何これ〜!?」
とアニトラは、ランプの精から渡されたものを見て叫びました。
大晦日。
呉服屋を普段より少し早めに閉め、アニトラは日没前に帰宅しました。
料理人に普段より少し豪華な食事を作らせ、母およびバドルルバドールと3人で食べます。女ばかりなので、甘い紹興酒を出して味わいました。
「でもアラディン殿は今夜もお仕事なのですね」
とバドルルバドール姫が言います。
「まあ兄さんは仕事してないと死んじゃうタイプみたいだからね」
とアニトラが言うと、母はおかしくてたまらないようです。
夜中0時を過ぎて新年になってから、各々の部屋に下がりました。
バドルルバドールは、約半年にわたる“結婚生活”を振り返り、まあ処女妻も悪くはないけど、男の人との“交わり”も1度は体験してみたいなあ、などと思いながら帳の中で床に就こうとしていました。
すると部屋の扉が開きます。
「アラディン様?」
「夜遅くごめん。今帰ったんだけど、また朝には出ないといけない」
「ほんとにお忙しいですね!」
「ずっと君を放っといてごめんね」
「いえ。私はアニトラ様たちと一緒に楽しく暮らしていますから」
「君をずっと処女のままにしておいて、それも申し訳無いと思っている」
とアラディンが言うのでバドルルバドールはドキッとしました。
アラディンが帳の中に入り、バドルルバドールに口づけをします。
口づけをされたのも初めてなので、姫はドキドキしました。
「君の身体をボクのものにしてもいい?」
とアラディンが訊きます。
「私の身体はアラディン様のものです。自由にして下さい」
「じゃもらっちゃうよ」
「はい」
それでアラディンはバドルルバドールの傍に寝て彼女を抱きしめました。
翌朝、アラディンは「また仕事があるから」と言って、出て行きましたが、バドルルバドール姫は、「やっとこれでアラディン様の本当の妻になることができた」という思いから、嬉しさでいっぱいでした。
元旦は宮殿で年始の儀式が行われ、バドルルバドール姫は、アラディンの名代のアニトラと一緒にこの儀式にも列席しました。
皇帝が姫に声を掛けました。
「幸せそうな顔をしている。アラディン殿とは仲良くやっているか」
「はい、仲良くやっております」
とバドルルバドール姫が少し頬を赤らめて答えるので、皇帝はやはり良い所に嫁にやったと思い、満足でした。
一方、皇帝がジャマール皇子に声を掛けると、皇子は憂鬱な顔をしています。
「いよいよお前の婚礼というのに何を憂鬱な顔をしている」
婚礼は1週間後、1月7日に行われる予定です。
「いえ。大丈夫です」
「マハは妊娠していたりはしないか?もし妊娠してるのなら、少し行事を軽くしないと辛いだろうし」
と皇帝が言うと、皇子は答えました。
「陛下、実は私はまだマハとは床を共にしていないのです」
「そうなのか。一緒にアフリカに飛ばされたりもしていたし、お前たちはいつも会っているものとばかり思ったよ」
「マハ殿が新宮殿に来られたことはありません。アフリカに飛ばされた時は、私は新宮殿に居ましたが、マハ殿は大臣宅におられた所を飛ばされたらしいのですよ」
「そうだったのか」
「実はそれとなく誘ったことはあるのですが、マハ殿は結婚するまでは決して身体は許さないとおっしゃるので」
「あはは。それはまた今時珍しい身持ちの堅い娘だな。まあそれも良いではないか」
と皇帝は笑っていたのですが、1週間後にこの会話を思い出して激高することになるとは思ってもいません。
バドルルバドール姫はお正月になってから、とても落ち着いた風でした。
アニトラは正月過ぎてから、月の者の処理のため3日ほど休んだのですが、その間、姫はアニトラの部屋に来ておしゃべりしていて、
「アラディン様は今度はいつお帰りかしら」
などと楽しそうに語っていました。姫が“恋する女の顔”をしているのを見て、アニトラは少し良心の痛みを覚えました。
そしてジャマール皇子と大臣の娘の婚礼か行われる1月7日が来たのです。