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■夏の日の想い出・受験生のクリスマス(8)
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目次 8
時間索引 #
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Aft]
明けて12月27日。
朝6時に旅館を出て、フェリーターミナルに行く。7時発の函館行きフェリーに車ごと乗り込む。1時間半の船の旅である。
毛利さん、紅紅の男性3人が船酔いしたようで「ごめん。辛い」と言って船室で寝ていたようだが、私は和泉、桃川さんと3人でデッキに出て海を見ていた。
「小学生の頃に佐渡に行った時のフェリーを思い出した」
と和泉が言う。
「新潟から佐渡までは1時間くらいかな」
「ジェットフォイルならね。普通のフェリーは2時間半かかる」
「津軽海峡より長い!?」
「新潟−両津間は70kmくらい。でも大間と函館は20kmくらいしか離れてない」
「そんなに近いのか!?」
「青函トンネルも海底部分は20kmちょっとしか無いんだよね」
「北海道と青森って結構近いんですね」
「距離的に近くても、なかなか北海道の外には出られないんだよね」
と桃川さんは遠くを見ながら言った。
和泉が唐突に
「曲のイメージが湧いた」
と言って五線譜を取り出して書こうとするが、
「ここで書いてたら譜面が風で飛んでくよ」
と言ったら
「船室で書く!」
と言って中に入っていった。
それと入れ替わりくらいに雨宮先生が出てくる。
「ごきげんよう、ご婦人方」
「調子いいですね。お酒飲まれました?」
「こういう時は船酔いする前に酒酔いするに限る」
「一理ある気がします。新島さんは?」
「iPod聴いてるみたい」
「元気ですね」
「ところでさ」
と言って雨宮先生は私と桃川さんの肩を左右の手で抱くようにして言った。
「クイズです。この場にいるのは男何人、女何人?」
私も桃川さんも目をぱちくりする。
「男2・女1と思いましたが」
と私は言ったが
「やはり、ケイあんた性転換済みなんだ?」
「まだしてません」
「先生、やはり私の性別、ご存じだったんですね?」
と桃川さんが苦笑するかのように言った。
「え?まさか!?」
「あんた、まだ最終的な手術してないでしょ?」
「はい。男性器は除去しましたが、女性器は作ってません」
「えーーー!?」
桃川さんはまるで独り言をいうかのように語り出す。
「私もう死のうと思って。でも死ぬ前に男の身体では死にたくなかったから、有り金はたいて、実は少し病院には負けてもらって、男性器を除去する手術を受けたんです。その手術が終わってから、旭岳に登って雪の中に埋もれて死のうとしていた時に、通りがかりの紅ゆたかさん・紅さやかさんに助けられたんです」
「でも、せっかく男でなくなったのなら、女として人生を歩めば良かったのでは」
と私は言うが
「だって女として採用してくれる会社なんて無いもん。男を強要されるだけ」
と桃川さんは言う。
「結果的には音楽の世界に飛び込んで来たことで、あんた今は女として生きている訳だよね」
と雨宮先生。
「ものごとにこだわらない業界だから」
と桃川さん。
そうなんだ。自分も随分悩んだし、結果的には自分も音楽の世界でなら女としてのアイデンティティを確立できるという思いに到達した。桃川さんはある意味自分と同じだ。私はその時、そう思った。
「今回の旅で旭岳に行くというのは、その話と関係あるんですか?」
と私は訊く。
「その自殺未遂の時の忘れ物を取りに行く」
と雨宮先生。
「実はその自殺する直前、五線ノートに曲を書いたんです。でもその五線ノートは助けられた後で自分の荷物を確認すると入ってなかったんですよね」
と桃川さん。
「その五線ノートをみんなで探すというのがこの旅の目的ですか」
と私は訊く。
「その話をこないだ聞いたからね。よし取りに行こうと思い立ったのよ」
と雨宮先生。
「雪の中に半分埋もれながら『雪の光』という曲を書いたんです。それ以外にも手術を受けるのに入院していた間、いくつかの曲を書いていたので、もしそのノートが見つかればと」
と桃川さん。
「でもそれいつの話ですか?」
「2007年の11月」
「2年前!? それあったとしても夏の間に雪解け水でぐちゃぐちゃになっているのでは?」
「読めなくなっていたら諦めるけど、私顔料インクのボールペンが好きでそれで書いてるから、あるいは読めるかもと思って」
8:30に函館フェリーターミナルに着く。男性陣がダウン気味なのでまた桃川さんが運転して車は出発する。
「だけど北海道まで来るのに、なぜ飛行機をつかわず、こういうルートで来たんですか?」
と私は素朴な疑問が湧いたので尋ねた。すると雨宮先生は
「津軽海峡を船で越えたかったからよ」
と言った。
「つまり先生の趣味ですか?」
「実は私の弟子で霊感のある子がそうしろと言ったんだけどね」
「へー。その人は同行しなかったんですか?」
「どうしても外せない用事があると言ったのよ。だから宿題に楽曲のタイトル10個渡してきた」
ああ、可愛そうに。
車は桃川さん、紅ゆたかさん、紅さやかさんという北海道の道に慣れている3人が交代で運転する。和泉は調子がいいようで、車内で曲1つと詩を4篇書いていた。
15時頃、旭岳ロープウェイの山麓駅に到着したが、冬の間はロープウェイは16時までしか運行されないので、ノートを探す時間は1時間しかない。
ロープウェイの姿見駅で降り、桃川さんが自殺未遂したという夫婦池の方に行く。
「僕たちが春美ちゃんを発見したのはこのあたりだと思う」
と紅ゆたかさんが言うので、そのあたりを中心にして全員で探し始めた。全員防寒具で重装備し、電気式のホットインナーグローブも付けている。スコップで雪を掘ろうとするが硬くて掘れない!
「先生、夏になってから出直しませんか?」
などと毛利さんが言っているが同感だ!
「超感覚的知覚を振りしぼってノートがある場所を探すのよ」
「そんな知覚ありません!」
私はこれは目で見ててもダメだと思った。目をつぶる。2年前、自分の性別のことで絶望した桃川さんがここに来た。そして・・・そうだ。旭岳の美しい姿を見たはずだ。そう思い、私は目を開けて旭岳がいちばんきれいに見える場所を探した。この角度がいいな。
再度目をつぶる。2年前の桃川さんのことを想像する。
そして私はある1ヶ所に惹かれる思いがした。その場所に行くと、和泉もその場所に来て、私たちは向かい合うように立った。その時、私の身体の中と和泉の身体の中で鈴の鳴る音がしたような気がした。
「ここ?」
「かも」
そんな様子を見た雨宮先生が寄ってくる。
「あんたたち何か感じた?」
「いや偶然、私も和泉もここに何か感じたんです」
「よし。男に掘らせよう」
それで毛利さん、紅ゆたか・紅さやかの3人でその場所を掘り始める。
そして10分ほど雪・氷と悪戦苦闘した結果、何かが見える。
「あれかも」
雪の下の地面に何かが埋もれている。その端が出ているのである。掘り出す。ノートだ!
「これです!」
と桃川さんが嬉しそうに声を挙げる。
「帰りのロープウェイそろそろ最終です」
「よし、戻ろう」
ということで雪を埋め戻した上でロープウェイの駅に戻る。そしてゴンドラに乗り込んでから、私たちはそっとその五線ノートを開けた。
「かなり汚れてるけど」
「けっこう読めるね」
「たぶん地面の中に埋もれてしまっていたから、あまり痛まなかったんだよ」
「これなら多少の想像力を働かせれば復元できると思う」
「これふつうの写真と、赤外線写真とに撮って、それを元に復元しよう」
私たちは札幌に移動して、雨宮先生の知り合いの大学の先生に協力してもらって、ノートを何種類かの方法で撮影した。そのデータを私と新島さん、紅さやかさん、また雨宮先生の数人のお弟子さん(多分鮎川ゆまも動員された)で手分けして復元することになった。その結果を年明けに持ち寄って、桃川さんの手で調整を掛け、1月末には全ての譜面が復元された。
こうしてチェリーツインの出世作となる『雪の光』は、この世に帰還したのである。桃川さんは彼女のノートから復元された曲の中で気に入ったのがあったらKARIONやローズ+リリーで使ってもらっていいと言った。
それで和泉は『ハーモニックリズム』という曲がいいと言ってもらうことにしたが、桃川春美の名前は出さないで欲しいという要請に応じて、森之和泉作詞・水沢歌月作曲とクレジットして翌年12月発売のシングルのタイトル曲として使用した。(印税は9割を桃川さんに渡している)
また和泉がフェリーの中で書いた曲は『海を渡りて君の元へ』のタイトルが付けられたが、なかなか発表のタイミングがつかめず、2012年4月にシングルとして発売することになった。
『恋座流星群』『白猫のマンボ』『海を渡りて君の元へ』の3作品はいづれも本当は私の作詞・和泉の作曲であるが、公的には『恋座流星群』はマリ&ケイ作詞作曲、あとの2つは森之和泉作詞+水沢歌月作曲とクレジットしている。
一方、私は『ふわふわ気分』という曲をもらうことにし、これも桃川さんの自分の名前は出さないでという要請にもとづき、マリ&ケイのクレジットにして、『恋座流星群』と一緒に翌年5月のラジオ番組で発表、9月1日に一般発売されなかったCDに一緒に収録された。ただし、私と町添さんの裏工作によりオンラインストアで実質発売された(通称「アルゼンチン・アルバム」)。
私たちは28日いっぱいまで札幌に滞在したが、ひとり毛利さんだけは28日の朝からレンタカーを運転して函館まで行き、フェリーで下北半島に舞い戻って、車の返却をした。毛利さん以外のメンバーは28日の最終便の飛行機で東京に戻った。
私が数日ぶりに自宅に戻ると、居間に政子が居て
「冬〜、おなか空いた」
などと言っている。
私は一瞬、間違って政子の家に来てしまったかと思ったのだが、姉が出てきて「お帰り〜。昨日から政子ちゃん来てるよ」と言う。
「冬のお母さんに御飯作ってもらったー」
などと政子は言う。それはそれはお母ちゃん大変だったろうなと思う。
「お母ちゃん、今食材買いに行っている」
と姉。
「それは大変そうだ」
「それから『スティル・ストーム』の歌詞書いたよ」
と言って政子は紙を見せる。
「それは多分この曲と合うと思う」
と言って私は譜面を出す。旭岳から降りた後、札幌に向かう車の中で書いた曲である。
「お、凄い。以心伝心だね。じゃ歌ってみて」
というので私はキーボードを弾きながら歌ってみせる。私の楽譜と政子の詩はぴたりと一致した。
政子が笑顔でパチパチパチと拍手をし、姉は「へー」という顔で感心していた。
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