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■夏の日の想い出・走り回る女子中生(8)
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目次 8
時間索引 #
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900人くらい入るホールに観客は7割という感じだった。つまり600人くらいということになるのだろう。
10時から始めて30分ずつ演奏し、その後私が1曲弾いてから、3人の合奏ということになっている。終了予定は11:45。会場の掃除も含めて12:30までには撤収しなければならないことになっている。終わった後はバタバタだ。
最初は摩夜さんという人が出て行き、クライスラーの作品を多く弾いた。使用しているヴァイオリンは1億円で買った18世紀の古楽器らしい。恐ろしい。曲目は多くの人に馴染みのある作品ばかりなので観客の反応も良いし、伴奏している私も比較的楽である。『愛の喜び』で始めて最後は『美しきロスマリン』
で締めた。暖かい拍手と笑顔に包まれて演奏を終えた。
その次は夕子さんという人の番で、この伴奏はアスカの母が務める。使用しているのは2500万円したという19世紀オールド・イタリアンの楽器。ベルリン・フィルとも共演したことのあるヴァイオリニストがサブ楽器として使用していたものがその人の引退に伴って売りに出ていたのを買ったらしい。
彼女は激しい演奏が好きなようで『カルメンのハバネラ』に始まりファリャの『スペイン舞曲』、『ラ・クンパルシータ』『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』とつなぎ、最後は『ツィゴイネルワイゼン』である。最後は物凄い拍手が沸き起こっていた。観客は興奮のルツボである。
私はこの人を真ん中に置いて、この人だけアスカの母が伴奏した訳が分かった気がした。こんな激しい演奏の伴奏をしたら、それだけで体力消耗しちゃう!
そして最後はアスカの番である。6000万円の18世紀の古楽器《Angela》で弾く。また私がピアノ伴奏をする。チャイコフスキーの『アンダンテ・カンタービレ』
で、まずは興奮していた観客を鎮めてしまう。
『タイスの瞑想曲』で酔わせ、グノー(バッハ原曲)の『アヴェ・マリア』、と静かな曲を続けて観客の眠りを誘う!
そして『G線上のアリア』『主よ人の望みの喜びを』で少し客を眠りの世界から呼び戻し、最後はヴィヴァルディの『四季・春』第1楽章で締めた。
夕子が激しい曲を弾くのを見越しての選曲と思った。観客が感動した感じで拍手をしていた。
演奏したアスカが伴奏者の私を紹介してくれて、私も推定900万円のモダン・イタリアンの名器《Rosmarin》でラテンの名曲『ティコティコ』を弾く。
ヴァイオリンの4本の弦を細かく移り渡りながら演奏する。とっても忙しい曲である。この曲を結構テヌートを掛けて弾く人もいるようだが、私はラテンっぽく音を細かく切って演奏した。まさに小さな鳥(ティコティコは小鳥の名前)がバタバタと羽ばたいている感じ。ブラジルの街角で日焼けしたお兄ちゃんがお金を投げ入れてもらう帽子を前に置いて演奏しているかのような雰囲気で弾いた。
普通に拍手をもらう。
アスカの母が出てくるので、私が「夕子さんの伴奏をした蘭若姫乃さんでした!」
と紹介して、拍手をもらい、彼女に私のヴァイオリンを渡す。そしてピアノの所に座る。摩夜・夕子・アスカの3人が出てくる。
私の伴奏と3人のヴァイオリンでブラームスの『ハンガリー舞曲5番ト短調』
を弾く。3人が演奏しながら動き回って並び方を変えていくので、観客がその動きを追いながら鑑賞する感じになった。
最後はとても大きな拍手をもらって演奏は終了した。
アンケートの敗北は半ば覚悟していたのだが『いちばん下手な人』の欄は観客全員が空白であった! ということで、会場代(18万円だったらしい)は結局3人で6万円ずつ出したということであった。
このヴァイオリン演奏会の翌日24日(金)は終業式のために1日だけ学校に出て行った。そしてこの24日には陸上部の女子でクリスマス会をして、私はその席上「女装」させられたのだが、陸上部には私と同じクラスの子がいなかったこともあり、彼女たちの中には(若葉以外)私がここ1ヶ月ほどセーラー服で通学していたことに気付いていた子はいないようであった。(校内では結構体操服姿でも居たのもあるか?)
若葉はクリスマス会の後で「要するに人は違和感の無いものに注意しないから冬がセーラー服を着ている所を絵里花さんや貞子とかが偶然目撃したとしても何も感じてなかったんだろうね」
と言って大笑いしていた。
その翌日12月25日(土)。中学の合唱部が参加するクリスマスコンサートが開かれる。しかしこの日、私は篠田その歌の伴奏もしなければならない。
私はまず朝から新宿に行き、アイドルフェスタ主催者が用意した練習用スタジオで篠田その歌と歌う予定の曲を合わせた。それで番組の進行が急に変わった場合は連絡するからと言われて携帯電話を持たされ、電車で**市の市民会館まで来る。
そして合唱部の子たちの練習(私の演奏を録音した音源を使用)に付き合い、出番を待つ。こちらの進行は少し早めになっている感じだった。
予定では14時くらいということだったのだが、13:40に待機の指示が入り舞台袖に行く。そして13:52くらいに前の学校の演奏が終わる。アルトの子たちを先頭にステージに入る。2年生の副部長さんが譜面を指揮台に置く。メゾソプラノ、ソプラノと入場する。セーラー服を着た部員たちがずらっと並ぶ。セーラー服を着た私も出て行きピアノの前に座る。2年生の部長が入ってきて指揮台の所に就く。私の方に向かって合図をする。
『In Terra Pax 地に平和を』を演奏する。しっかしまあ、ピアニストをいじめるかのような難曲である。一度昼休みに、まだみんなが来る前に倫代とふたりで歌唱パートも歌ってみたものの、歌う方もかなり大変な曲だ。逆に言えば、元々高い技術を持っている合唱団がその技術をアピールするのには良い曲なのかも知れない。うちの合唱部も・・・結構良い線行っている気がした。
やがて曲が終わり、指揮している部長が満足そうな顔をしている。やはりうまく行ったのであろう。続けて『怪獣のバラード』を弾く。
この曲はみんな身体をゆすりながら歌う。ハンドクラップなども入る。中高生の合唱では古くから愛されているとっても楽しい曲だ。歌うのはかなり気持ち良く歌える。でも! ピアノは大変だ!! 怪獣がその巨体で大きな歩を進めるかのように、私の指は鍵盤を大きくリープしながら演奏する。これもピアニストいじめの曲だ! 来年もまたやってと言われないように、来年の春にはピアノの上手な新一年生が入りますように、などと思いながら私は演奏していた。
最後まで楽しいメロディーと明るい和音が続き、長い音符で終止。
部長が頷き、客席に向かって礼をする。拍手をもらう。私たちはステージから降りて客席に戻った。
「うまく行った、うまく行った」
客席内なので大きな声は出せないが、次の中学がスタンバイするまでの束の間の時間に私たちは話をした。
「ピアノもすごく格好良かった」
「サンキュー、冬」
「冬、ほんとにピアノうまいね〜」
「そういえば、冬って歌も凄くうまかったよね」
「声変わりが来てなくてまだ女の子みたいな声だったら、合唱に参加してもらってもいいくらいだったよね」
などと小学校の時の合唱サークルでも一緒だった子たちに言われる。
すると倫代が「あ・・」という顔をした。あはは、倫代以外は私が女声が出ることを知らないよね。まだバレてないよね〜。私は倫代が何か言い出す前に逃げなきゃと思い、
「じゃ悪いけど、ボク、向こうの会場に行かなくちゃいけないから」
と言って顧問の先生にもひとこと言った上で会場を抜け出した。
駅まで来たところで携帯にメールが入ったので「これから向かいます」と返信した。新宿の放送スタジオに戻ってきたのは15時である。こちらは予定通り進行しているということだった。篠田その歌が結構緊張しているっぽいので、おしゃべりを仕掛けて、気持ちをほぐしてあげる。
やがて出番である。彼女の顔が引き締まる。
「さ、行こう」
と言って背中を軽く叩き、一緒に出て行く。私はキーボードの所に座り、その歌は司会者の所に行って笑顔で会話をしている。度胸はあるタイプなので少し高揚した気分のほうがうまく行く。そして司会者の「それでは歌に行きましょう」ということばで、私はその歌と頷き合い、リズムとともに伴奏をスタートさせた。
その後、私は年内いっぱい、○○プロの様々な歌手の伴奏やバックダンサーをしたり、また谷崎潤子の伴奏、ドリームボーイズのバックダンサーなどもしつつ、民謡の方のイベントにもいくつか参加して三味線の伴奏やお囃子を入れたりした。特に年末年始は民謡関係のイベントも多かった。
結局年内いっぱい昼も夜も仕事をして、自宅に帰ったのは、31日の22時である!(中学生は原則として21時までということで、この時間に帰してもらった)1月も2日から仕事が入っている!
新しい年が明ける。
新年の特別生番組で、様々な芸能人にいきなり電話を掛けてスタジオに呼び出し何か芸をさせる、という企画が行われていた。ゆきみすず先生が呼び出されてきて、元同僚のしまうららさんを呼び出し、しまうららさんは事務所の後輩ということで、松原珠妃を呼び出した。
呼び出されてきた珠妃は、「これ、来月発売予定で今音源制作をしている最中なんですけど、お正月だから特別に」と言って、『ドテ焼きロック』という曲を歌った。なんつうタイトルだ!! 歌詞も蔵田さんとスタジオで一緒に作った時には無かった「タコヤキ・タマゴヤキ、オコノミヤキ・イカヤキ」なんて食べ物の連呼が入ってる!?
「何か聞いてたら、俺、腹が減ってきた」
と司会のお笑いタレントさんが言う。
「だけど、あんた路線が変わった?」
「いや、これまで猫をかぶってただけです。私、一応大阪の生まれだし」
と静花は笑顔で答える。
静花が生まれたのは大阪の寝屋川市である。小さい頃に愛知に引っ越してきたので実際には、大阪での生活は全く覚えていないらしいが。
そのまましばらく司会者とやりとりしていたが、司会者のツッコミに静花が軽妙に応じるので結構その司会者に気に入られた感じであった。
なお、この曲のタイトルは発売時には最終的に『鯛焼きガール』と改められた(なぜだぁ〜〜!?)。歌詞もお正月に公開したバージョンからまた多少変更になっている。1サビの所は可愛い歌詞だったはずが、今川焼きの異名連呼(今川焼き・回転焼き・大判焼き・御座候・・・)に書き換えられていて、またまた小学生に大受けすることになる。また全国的に今川焼き・鯛焼きの売り上げが増えるなどというブームまで引き起こした。
ちなみにこの曲の作曲クレジットは『ヨーコージ』になっていた。蔵田さんは表向きは「ヨーヨーマ」のパクリで「よう!孝治」の意味だと言っているが、本当は「洋子」と「孝治」を合成したものである。
この曲はヒットし、松原珠妃は《一発屋》の名前を返上することができた。
また演歌色の強かった『哀しい峠』が売れず、ロック色の強い『鯛焼きガール』
が売れたことで、松原珠妃は以後、ポップロック・シンガーとしての道を歩むことになる。また演歌好きの普正社長ではなく、ポップス系を担当してきた、観世専務が松原のプロジェクトは統括することになった。観世専務は派閥的に兼岩会長に近く、しまうららさんの元マネージャーである。一昨年8月の珠妃の全国ツアーに帯同してくれた人でもある。
その年は1月8日が土曜日だったので、3学期の始業式は1月10日だった。結局2学期の終わりの方はほとんどセーラー服で学校に行っていて、結果的に家の外ではほとんどセーラー服を着ていた気がする。更には冬休みの間も伴奏などの仕事がたくさん入るので、そういうのにはやはりセーラー服や振袖で出て行っていた。
そのことについて母は私に何も言わなかった。
冬休みが終わり10日の朝、朝食が終わってから学校に出て行くのに私は自分の部屋で久しぶりに学生服に袖を通した。何だか自分で違和感を感じる。借りっ放しになっていた先輩のセーラー服(クリーニング済)をたたんでバッグに入れる時むしろそちらを着たい気分だった。
ふっと息をし、カバンを持って居間に出て行ったら母から言われた。
「お前、何て格好してるの?」
「え? 学校行くから」
「なんで男子制服とか着てるの?」
「えー、だってボク男子だし」
「だってあんた、11月頃からずっとセーラー服で通学してたじゃん」
「いや、あれは学生服を取り上げられていたから」
「冬はてっきりセーラー服で通学することに決めたんだと思ってたのに」
と母。
「学生服を取り上げられたらセーラー服で通学するのなら、私が学生服を取り上げちゃおうか?」
と姉が言った。
「ああ、それがいいね。もう学生服は捨てちゃった方がいいかも」
と母。
「取り敢えず、その学生服は脱ぎなさい」
と言って、姉は私の学生服のボタンを外し始めた。
「ちょっと待って〜!」
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