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■夏の日の想い出・秋の日のヴィオロン(6)
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演奏終了後、ロビーでサイン会!をした。
「今日はレコード会社との約束でローズ+リリー、ケイ、マリの名前は使用しないことにしています。代わりに冬子・政子でサインをします」
と私はアナウンスしたのだが、それでも長蛇の列ができた(結果的には物凄い希少価値が出たようである!)。詩津紅と倫代が列の整理をしてくれたのだが、その詩津紅もサインを求められていた! グランド・オーケストラの公演に毎回参加しているし、クラリネット担当で演奏前の音合わせで音を出しているので、ファンが出来ていたようである。
「詩津紅、何か素敵なサイン書いてる」
と私が横を見て言ったら
「いや、万一サイン求められた時のために練習してた」
などと言っていた。
「よし、私もサインの練習をしておこう」
と倫代がそばで言ったら、その倫代にも「サインください」という人がいて倫代は焦っていた。倫代も(出席率は悪いものの)グランドオーケストラの公演に何度か出演していたので、それで覚えていてくれたようである。
しかし私たちがサイン会などというものをしたのは、2008年にローズ+リリーの全国キャンペーンと全国ホールツアーをした時以来であったが、政子は楽しそうにファンと言葉を交わしては、サインを書いていた。
しかしサイン会なんて、こういう小さなキャパの会場でなければ、とてもできないイベントだ!
結局1時間半ほど掛けてサイン会を終えてから、待ってくれていた和泉たちと一緒に打ち上げに行こうとしていたら、楽屋に思わぬ来客があった。
「上島先生!」
「僕にも冬子・政子のサインもらえる?」
「もちろんです!」
と言って、色紙を1枚取り、書いてお渡しする。
「実は先月末に用事があって会津若松市に行った時にね、出し忘れていた郵便物に気づいて投函しようと郵便局に行ったら、このコンサートのポスターを見て、おおっと思って、チケットを買ったんだよ」
「えー!? それじゃ、先生、ツイッターで話題になる前に買ってくださった80人の中のおひとりですか」
「へー、あの騒動の前に80枚売れたんだ?」
「はい」
「でもあのポスター、『唐本冬子』『中田政子』の名前が虫眼鏡で見ないと分からないくらい小さな文字で書いてあるんだもん」
「あはは」
「ポスターに何となく目が留まって。なんでこのポスターに僕は目を留めたのかって、かなり考えたよ。それでじっと見ていたら、その名前を見つけた」
「あはは、『Media Sex』みたいな話ですね」
「通常の知覚で認識できない情報は、潜在意識にダイレクトにインプットされるというやつだね」
「ちょっと疑似科学っぽい話ですけどね」
それで上島先生も誘って、一緒に田村市内の日本料理店(貸し切りにしていた)に移動して打ち上げをした。
櫛紀香は「尊敬してます」と言って上島先生と握手をして上島先生にサインをねだったら、上島先生の方も「素敵な詩を書くよね」と言って、櫛紀香のサインをねだって、結局お互いのサインを交換していた。
「でも櫛紀香さんが出てきて、更に和泉ちゃんも出てきて、僕はびっくりしたよ」
と上島先生が言う。
「私と和泉は昔《千代紙》というユニットで一緒に歌ってたんですよ」
「へー」
「もっとも、和泉とのペアよりここにいる詩津紅とのペアで仮称《綿帽子》というユニットで歌っていた方が古い」
「要するに今日は冬の新旧愛人大会か」
と夢美が大胆なことを言い、思わず和泉と政子が視線をぶつけている。
「さて、ここで問題。男の子の冬と組んだのは、この中の誰でしょう?」
と詩津紅が楽しそうにクイズ?を出す。
「それは多分誰もいない」
と風花が笑いながら言う。
「みんな女の子の冬子としか組んでないよね。冬は中学時代に私が去勢しておいたから」
と倫代。
「え?私も冬を去勢したのに」と政子。
去勢なんて単語が女の子たちから安易に飛び交っているので櫛紀香が思わず股間に手をやっている。
「冬ちゃん、何回去勢されたの?」と和泉。
「まあ、この中で冬と最も古いペアを組んだのは私だろうけど、その当時私はそもそも冬が男の子だなんて、全然知らなかったからね。ひょっとしたら小2の時、既に去勢済みだったかも」
と夢美も笑いながら言っている。
「あれ、君って、もしかして以前エレクトーンの世界大会で優勝した子では?」
と上島先生。
「はい、優勝しました」
と夢美。
「夢美はジュニア大会とシニア大会合わせて4年連続世界一です」
と私が説明すると
夢美のことを知らなかった人たちから「きゃー」という声が掛かる。
「冬って、アスカさんにしても、夢美ちゃんにしても、何か凄い友達がいるよね」
と言って和泉が笑っている(夢美は以前KARIONのライブにゲスト出演したことがあるので、和泉は夢美のことを知っている)が
「いや、和泉ちゃんもその凄い友達のひとりでしょう」
と上島先生から言われている。
「しかし、今日はあらためてケイちゃんのヴァイオリンを聴いたけど、物凄くうまいね」
と上島先生が褒める。
「雨宮先生が編曲した『花園の君』のヴァイオリンのパート2は、ケイの技量を知っていた雨宮先生が、その技量を最大限に使わせるように書いたみたいですね」
と和泉。
「でも上島先生もヴァイオリンを弾かれますよね。ワンティスでは結構弾いておられた」
「うーん。僕のは実はフィドルなんだよ」
と上島先生。
「フィドル?」
とその単語を知らないっぽい櫛紀香が尋ねる。
「まあフィドルはヴァイオリンと全く同じ形をした楽器だよね」
と夢美が楽しそうに言う。
「『屋根の上のヴァイオリン弾き』は原題を『Fiddler on the Roof』と言って実は『屋根の上のフィドル弾き』なんだよね、ホントは」
「同じ形をした楽器なら、どこが違うんですか?」
と、やはりフィドルのことを知らなかったふうの政子が訊く。
「ヴァイオリンの曲は芸術的、フィドルの曲は通俗的」
「へー」
「ヴァイオリンは高価で大事に扱わなければならない楽器、フィドルはビールを誤って掛けてしまっても惜しくない楽器」
「へー!」
「でもビール掛けて惜しくないって、フィドル幾らくらいなんですか? 普通のヴァイオリンなら、安いのでも7〜8万しますよね?」
「僕がワンティスの『秋風のヰ゛オロン』で弾いたヴァイオリンなんて、凄い安物だったね。作りが適当でさ。あの曲は『秋風のフィドル』にするつもりが社長から『フィドルなんて誰も知らないからヴァイオリンにしろ』と言われて、それで抵抗して『ヰ゛オロン』にしたんだよ」
「へー」
「あのフィドル、高岡がどこかで確保してきたものだけど、150円だったらしい」
「150円!?」
「そんなんで売ってるんですか〜!?」
「どこで買ったのか知らないけど、どこかの古道具屋か、あるいはフリマか」
「ああ、フリマなら、150円で売ってる人いるかも知れませんね」
「そんな安いヴァイオリンかフィドルか。それも高岡の遺品になってしまったから、僕は大事に保存してるけどね」
「ヴァイオリンとフィドルでは演奏法も違いますよね?」
「そうそう。ケイちゃん、ちょっとヴァイオリン弾いてごらんよ」
と上島先生が言うので、私は愛用のヴァイオリン《Rosmarin》を取り出すと『愛の夢』を少し弾いてみせた。
「なんか凄く良いヴァイオリン使ってるね。さすが。そんな良いヴァイオリンで申し訳ないけど、ちょっと貸して」
「はい」
と言って、楽器と弓を先生に渡す。先生がその楽器で都はるみの『北の宿から』
を弾いた!
「今のがフィドルの弾き方」
「え?え?」
「じゃ、もう一度やってみよう。左手の使い方を良く比べてて」
と言って上島先生がヴァイオリンを渡すので、私は今度は『ツィゴイネルワイゼン』
の冒頭のダイナミックなテーマを弾いてみせた。フィドルとの違いを示すにはこういう曲の方が分かりやすい。
それで今度上島先生はKuwata Bandの『スキップビート』を弾いてみせた。
「あ!ほんとだ! 左手の使い方が全然違う」
と倫代が声を上げる。
「冬の左手は物凄く良く動いてたけど、上島先生の左手はファーストポジションの所で固定だった!」
「そうそう。フィドルの左手の使い方はヴァイオリンを習う時に、こんなことしてはいけませんと言われる使い方だよね」
と上島先生。
「それとボーイングも違いますよね。フィドルはしばしば今先生が『スキップビート』でなさったようにスピッカートと言って、リズミックなボーイングをする。むろんその前に『北の宿から』を弾かれた時のようにメロディアスな演奏もしますけどね」
と私。
「そうそう。だからカントリーなんかともフィドルは相性いいね」
と上島先生。
「ああ、バンジョーとかとも合いそう」
「うん、そういう演奏はよくある」
「その左手の使い方なら、ひょっとしてフィドルは弾き語りができません?」
と風花。
「ああ、可能だと思う。あまりやる人はいないと思うけど」
と上島先生。
「昔の演歌師の左手の使い方に似てますね」
と和泉。
「そういえば似てるかもね。演歌師もヴァイオリンの弾き語りやるね」
と上島先生。
「上島先生はキーボードでもあまり弾き語りなさりませんよね」
と詩津紅が言うが
「いやー、ごめん。僕は弾き語りが下手なんだよ」
と照れるようにおっしゃる。詩津紅が、あっやばいこと訊いちゃったかなという感じの顔をしたが、先生は全く気にしていない風である。
「Celtic Womanにフィーチャーされている弦楽器の音がフィドルだよ」
というのも私は言ったが、Celtic Woman を知っているのは、和泉・詩津紅・夢美と上島先生だけのようであった。
「名前は知ってるけど、じっくり聴いたこと無かった。今度しっかり聴いてみよう」
と櫛紀香が言っていた。
「ところで、ワンティスのアルバム、初動から凄いみたいですね」
と詩津紅が言う。
「うん。最初の一週間でグリーンが60万枚、レッドが30万枚売れてる」
と上島先生。
「実はワンティスの初オリジナルアルバムなんですよね」
「そうなんだよ!10年前はひたすらシングルばかり出しててアルバムは1枚も出さなかった。後でベストアルバムとかは作られたけどね」
「なぜ作らなかったんですか?」と和泉。
「うん。アルバムなんて作るのに手間ばかり掛かって、高いからあまり売れないと事務所の社長が言うもので」
「それは言えてるなあ」
と政子。
「シングルを50万枚売れるアーティストでもアルバムは7-8万売れるかどうかということ多いですね」
と和泉。
「そうそう。だから和泉ちゃんたち、よく『三角錐』にあれだけ費用掛けたなと思ったよ。聴いた瞬間これはミリオン行くと僕は思ったけど、万一売れなかったら、とんでもない赤だったよね。費用1億5千万掛かったでしょ?」
と上島先生。
「いえ。その半分くらいです。それでも最低30万枚くらいは売れないと赤字でした。でもKARIONのアルバムって、今まででいちぱん売れたのでも26万枚でしたから、万一の時は私と歌月のダブルヌード写真集でも出してください、と社長には言っておきましたけど。歌月もその時はもう覚悟決めて顔を晒しますと言ってましたし」
「それは僕個人としては見たい写真集だ」
と上島先生。
「ああ、男性の方はだいたい、そうおっしゃいます」
と和泉は笑って答えていた。
「ヌードもだけど、歌月君の顔も見たいね」
「それは男女関係なく言われます」
「でもグリーンの方が良く売れてるというのが悔しいなあ。レッドにも良い曲が多いと思うのに」
と政子。
「あ、私もレッドの方が好きです」
と詩津紅。
「レッドはやはり通好みみたいね。グリーンの方が一般受けする」
と私。
「レッドの中で、やはり一番人気の『恋をしている』ですけど、あれ私もう100回くらい聴きました。あ、上島先生の『崩れ落ちる硝子』も好きです」
と政子。
自分で自分をフォローしている! 言ってから上島先生の作品ではないことに気づいて付け加えたようだ。上島先生も笑っている。
「あの作品は若さをそのままぶつけたような曲だよね。多分あまり作曲したことのない人の作品。凄く未熟だけど誰かに指導されてきれいにまとめた。もしかしたら高岡自身が指導したのかも知れない。でも天才を感じる。今どこかで音楽家になってないかなと期待したいけどね」
「高岡さんが出会った女の子ということだったんですよね?」
と詩津紅。
「そうらしいんだけどね。まあ『女の子』と言っても、6歳の少女だったのかも知れないし、30歳くらいの女性だったのかも知れないけどね」
「さすがに6歳には書けないかも」
「でもモーツァルト級ならあり得る」
「確かに」
「でももしまだ音楽やってたら、名乗り出ないんでしょうか?」
「恥ずかしがっているのかも」
「冬〜、話してたらあの曲、聴きたくなった、そのヴァイオリンででもいいから弾いてよ。冬なら弾けるよね?」
と政子。
「いいよ」
と言って私は《Rosmarin》を持つと、ワンティスの『恋をしている』を演奏した。和泉がそれに合わせて歌ってくれた。
「すごーい。ケイといづみ、なんて超豪華組み合わせ」
と声が上がる。
その声に一瞬政子がムッとした表情をしたら、上島先生が
「いや、ケイとマリだって、見慣れてるから思わないけど、超豪華組み合わせだよ」
と言った。先生がこんな所でフォローまでしてくださるなんて!
しかし私はそれより、先生が私と和泉の演奏中に一瞬何かに驚くような表情を見せたのが気になった。その時私は『私が蘭子だってのが上島先生にバレたんじゃないよな?』ということを気にしていた。
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