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■夏の日の想い出・秋の日のヴィオロン(2)

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「卒論も既に終わってるんだし、行っといでよ」
と私は政子に言って、iPhoneを返した。
 
「そうだなあ」
と言って政子は電話を受け取ると、
「じゃ、11時に新宿のハチ公前で。あ、違った。ハチ公は渋谷だ!」
 
とても東京に15年も住んでいる人の言葉とは思えん!
 
でも結局待ち合わせ場所は、コージーコーナーの飯田橋ラムラ店、現地集合となったようであった。しっかり食べる態勢である!
 

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政子が「一応」という感じの割と適当な感じのメイクをしてから出かけた後、(出がけに避妊具を渡したら「貴昭が持ってるとは思うけど念のため持ってく」
と言っていた)私はノーメイク(化粧水と乳液のみ)でユニクロのTシャツとジーンズを穿くと、楽器倉庫と化している部屋の天井の板を外し! そこから古いヴァイオリンケースを取り出した。中のヴァイオリンを取り出してチェックし、弦を交換する(普及品のナイロン弦を張った)。それから楽器をケースに戻すと、それを持って外出した。
 
政子は地下鉄に乗って飯田橋方面に行ったが、私は少し時間差で同じ地下鉄の駅まで行き、反対方面に乗って、中野に出た。駅の近くのホールに行く。
 
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ここでこの日行われるコンクールに参加するのである。申し込みは先月の内に済ませてあったので(事前提出した音源で予備審査に合格している)、入口の受付の所で名前を言い、リストにあるのを確認してもらい、17番という番号札をもらって、会場の中に行こうとした時・・・
 
「あ、ちょっと待って」
と受付の後ろの方に居た、上等の背広を着た50代くらいの男性が言った。どうも今日のコンクールの主催者である楽器メーカー系音楽教室の割と偉い人のような感じだ。
 
「あなた、どこかで見たような気がした。ひょっとしてローズ+リリーのケイさん?」
「はい、そうです」
と私は笑顔で答える。受付の女の子が『あっ』という表情をしている。
 
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「えっと、あなたのような方がこんなコンクールに参加するって、テレビの企画か何かですか?」
「いいえ。その手のものではありません。ただ、私にヴァイオリンを教えている先生が、私がヴァイオリンの大会の類に一度も参加したことがないと言ったら、一度力試しに出てごらんよ、と言われたので参加させてもらうことにしました」
 
「ああ。なるほどね。この大会は評価点数を全員に通知するから、そういうのには良いかも知れないね。どこかからの推薦でしたっけ?」
「いえ、事前審査から受けました」
「おぉ。それにパスしたんだ?」
「はい」
 
この大会は、事前に演奏を録音したカセットテープまたはUSBメモリを送って事前審査してもらいパスする以外に、***音楽教室本部から推薦された人も出場できることになっている。推薦される人は地方大会などの成績優秀者が多いが特別な事情での推薦もある。
 
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「でもあなた、ヴァイオリン奏者としてレコード会社などと契約してませんよね?」
 
「はい。私は★★レコードさんと、歌手および作詞作曲家としての契約はありますが、ヴァイオリン奏者としての契約はありません。自分が参加しているユニットのCDでヴァイオリンは弾いていますが、あくまで伴奏の範囲ですね」
 
「あなたがヴァイオリンを弾いたCDのリストありますか?」
「念のため用意してきています。ただ、名前を出さずに弾いたものが大半でして、音源製作の制作側との契約で、参加していることを公開できないものがほとんどなんですよ。どこか他の方が見ていない所で、そちら様だけにお見せするというのでもよいでしょうか?」
 
「分かりました。こちらにおいでください」
と言って、その人は、私を会場の中の空いている楽屋に案内した。それで私がリストを見せると
「えーーー!?」
と驚きの声をあげた。
 
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「じゃ、あなたってもしや・・・・」
「そのことは★★レコードでもトップシークレットなので口外しないようにしていただけませんか?」
「分かりました。私の胸だけに留めておきます。でもあなたの参加資格は私が確認して承認したということにします」
 
と言って、その人は音楽教室の取締役の名刺をくれた。
 
「でも普通の人はあなたはただの歌手と思ってますよね?」
と取締役さんは笑顔で言った。
 
「でしょうね」
「その意味でもあなたの参加資格に疑念を持つ人はいないでしょう」
「ありがとうございます」
「まあ、頑張ってください。20位以内くらいに入れるといいですね」
「頑張ります」
 
このコンクールで20位以内に入ると、記念のメダルをもらえるのである。
 
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その日の参加者は50人ほどであった。1人の持ち時間は5分で途中休憩を挟みながら5時間超もの長丁場である。しかし私はみんなの演奏をしっかり聴いていた。
 
私は17番だったので、始まって1時間半ほど経ったところで順番がきた。
 
「東京都**市からおいでの唐本冬子さんです」
と司会者の人が紹介してくれて、ステージ中央に出て行く。客席で「え?」
みたいな顔をしている人が、そこかしこに居た。
 
気にせずヴァイオリンを持ち、大会側で用意されているピアノ伴奏者の人にお辞儀をすると、伴奏が始まる。ヴァイオリンを弾き始める。
 
いつも弾いている《Rosmarin》と違って、安いヴァイオリンなので音の鳴りがあまり良くないが、そのあたりは、安いヴァイオリンなりの音の出し方をして弾いていく。軽自動車を運転する時、普通乗用車に比べてパワーが無いのをアクセルワークとシフト操作でカバーするような感覚だ。
 
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演奏曲目は今年、アスカと一緒に夢にも見るくらいに練習したモーツァルトの『ヴァイオリン協奏曲第5番イ短調 K219』第1楽章である。
 
私の素性に気づいた人たちも私が一般受けする曲ではなく本格的な曲を弾き始めたせいか「ひゃー」という表情をしている。
 
私は普段のライブなどでは結構笑顔でヴァイオリンを弾いているのだが、さすがにこの曲では笑顔まで作る余裕が無い。自分の顔の表情など忘れて、ただ単に演奏だけに集中して弾いていた。
 
この楽曲は全部弾くと10分ほどあるのだが、大会規定で演奏は5分以内と定められているので、私は4分半ほど弾いた所で区切りのいい所で伴奏者の人とアイコンタクトで演奏を終了した。
 
なんだか凄い拍手をもらった。私は笑顔になって、会場の審査員の人たちと観客に向かってお辞儀をし、ステージを降りて自分がそれまで座っていた席に戻った。
 
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ヴァイオリンをケースにしまっていたら、隣に座っていた30代くらいの女性が
「ケイさん、こんなにヴァイオリンが上手かったとは驚きました」
と声を掛けてきた。
 
「ありがとうございます」
と私は笑顔で答えた。
 

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割と早い順番だったので、その後3時間以上、みんなの演奏を聴く。
 
休憩時間にサインを求めてきた人がいたが
「今日はアマチュアのヴァイオリン学習者として来ているので」
ということでお断りさせてもらった。
 
やがて全員の演奏が終わり、審査のための休憩時間に入る。私はトイレにも行かず、座席に座ったまま目をつぶって審査を待った。
 
そういえば小学生や中学生の頃に合唱のコンクールで来ていてトイレで少し揉めたなあ、というのを思い出し、ちょっと心の中で微笑んだ。
 
考えてみると私は男子トイレに入って「女の子は女子トイレに行きなさい」と言われたことは数多くあるけど、女子トイレに入って性別をとがめられたことは一度も無い。もっとも女子トイレで「あんた男では?」と言われると、そのまま警察に突き出される危険もあるけどね!
 
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やがてステージに机が置かれ、賞状を入れたお盆も置かれた。
 
私に入口の所で声を掛けた取締役さんが壇上に上った。
 
「20位から順番に発表します」
と司会の女性が言い、順番に名前を読み上げた。私は自分としては割と良いできだった気がしたので何とか10位以内に食い込んでないかなと思って発表を聞いていた。時々「きゃー」といった歓声が上がっている。ああいう喜ぶ様を見るのはこちらも嬉しくなる。ああいうのも、小学中学の合唱コンクールで見たなあと思って、昔のことを思い起こしていた。
 
10番までの中には私の名前は無かった。少し緊張する。9位、8位、7位と進むが呼ばれない。あぁ。ダメだったかなあ・・・と思う。私はセミプロとみなされて少し採点が厳しくなったのかも知れないという気もした。
 
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やがて5位からは壇上に呼ばれて表彰される。
 
5位になったのは30歳くらいの男性だった。雰囲気的に勤め人さんっぽい。凄く嬉しそうだ。こちらも心がほころぶ気分だ。4位は中学生くらいの女の子。3位も高校生くらいの女の子だった。やはり若くてうまい人がたくさんいたからなあとも思う。そして私は「アスカさん、入賞できなかった。ごめんねー」と心の中で言っていた。
 
2位は中学生くらいの男の子だ。その子の演奏は凄く印象が強かった。『ツィゴイネルワイゼン』を弾いたが、解釈が物凄く深くて、いろいろ気づかされることの多い演奏だった。
 
その2位の子の表彰が終わってから、司会の人が
「それでは最後に1位、今日の大会の優勝者です」
と言ってから一息置き
「第**回***ヴァイオリンコンクール、優勝、唐本冬子さん」
と言った。
 
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へ?
 
私は思わず周囲を見回した。隣に座っていて今日何度か言葉を交わした30代の女性が私の方を見て、拍手をしている。
 
私はヴァイオリンケースを座席に置き、席を立ってステージに上った。取締役さんが笑顔であらためて
「第**回***ヴァイオリンコンクール、優勝、唐本冬子。右の者は頭書の成績を収めたのでこれを賞す、***音楽教室理事長****」
と賞状を読み上げて
 
「おめでとう」
と言って渡してくれた。
「ありがとうございます」
と言って私は笑顔で賞状と、記念の楯を受け取った。
 

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コンクールが終わってから会場を出ようとしていたら、取締役さんが近づいてきて
「ちょっと、ちょっと」
と言って私を端の方に連れて行った。
 
「君の参加資格を認めたことをちょっと後悔したよ」
と笑って言っている。
 
「済みません。優勝しちゃって申し訳ないです」
「まあ、アマチュアの大会はこれを最後にして、次はプロの大会に出て」
と取締役さんは笑顔で言う。
 
「むしろプロの資格が無いもので。私音楽大学のヴァイオリン科とかも出てませんし」
 
「君は♪♪や芸大のヴァイオリン科を卒業した人のレベルあるよ。でもこの大会に優勝したので、プロ大会に参加する資格は得られたと思う」
「ありがとうございます」
 
「だけど、随分安っぽいヴァイオリン使ってたね。君ならもっと良いの買えそうなのに。というか、良くあの安物であの音が出せる、って審査員が皆感心してたんだよ」
 
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「ヴァイオリンを練習し始めた頃のを持ってきたんです。今日は初心に戻って演奏しようと思って」
 
「ああ、なるほど! じゃ、来年春の***ヴァイオリン・グランプリには普段使っている方のヴァイオリンで出てこない? 招待状送るよ」
「わぁ、ありがとうございます!」
 
と言いながら私は焦っている。練習時間取れるかな?
 

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私が少し強引にこの大会に出場したのは、実はアスカのためであった。
 
アスカは近々渡欧し、大きなヴァイオリン・コンクールに出場することになっており、実は国内の某私立大学から、そのコンクールで3位以内に入ったら准教授の職を用意するというのを内々に提示されている。(准教授とは言っても、集中講義のような形で教えれば良いだけで、演奏活動優先で良いらしい。要するに大学側がアスカの名前を学生募集の宣伝に使いたいということのようである)
 
しかしここにひとつ問題があり、そこの大学の内規で、准教授または講師として採用する人は、自身の弟子・生徒が2人以上国内のプロ奏者あるいは最上級のアマ奏者レベルの大会で優勝または「最終出場者数の5分の1以上の成績」
を収めたことがなければならないということになっている。
 
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アスカの生徒の内、真知子が既にこの条件をクリアしている。しかしアスカはこれまで自分の練習を優先していたので、指導している子の中でそういう優秀な成績の実績がある子が他に居なかったのである。それでアスカから
 
「冬さあ、ちょっと大会に出て、ちょっと優勝してきてくれない?」
などと言われて、この大会に参加したのである。
 
私はさっきの取締役さんにも言ったように、音楽大学のヴァイオリン科も出ていないし、スズキメソードのような評価の定まったヴァイオリン教室なども卒業していないので、プロレベル奏者の大会に出たいと言っても門前払いされてしまう。それで参加資格が緩くて、レベルとしてはハイレベルなこの大会に出たのである。
 
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一応この大会は参加者数が50人(予備審査に応募した人は150人くらいだったらしい)だったので、10位以内に入ればアスカの条件をクリアすることができるはずだった。それでそのくらいの成績を狙っていたのだが、優勝というのは自分でもびっくりした!
 
しかし優勝してしまったからには、このままプロ奏者レベルの大会には出なかったら「からかいでちょっと出たりしないでほしいなあ」などと言われそうだ。適当なプロ奏者レベルの大会に出る必要が出てきたみたい!! 取締役さんからも招待状送るなんて言われたし。
 

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夏の日の想い出・秋の日のヴィオロン(2)

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