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■夏の日の想い出・カミは大事(6)
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「キーボードのポールが停めに入ったんだけど、殴られて気絶しちゃって」
「うーん」
「で、結局、マイクもジャンもそれぞれ反対側のステージ袖に下がっちゃって、ステージに残ったのは、気絶しているキーボードのポールと、あっけにとられて見ていたドラムスのスティーブだけ」
「それで終わりですか?」
「取り敢えずスタッフの人が走り込んで来て、倒れているポールを担架に乗せて運び出して、幕が下りて、『しばらくお待ちください』のアナウンス」
「ああ」
「それで30分くらいしてから、ギターのマイクとドラムスのスティーブの2人で出てきて『Sorry for a little trouble. We will play on』とか言って」
「それ、リットルトラブルなんですかぁ?」
「ビッグトラブル、シアリアス・トラブルだよね。で、結局スティーブがベースを弾いて、残りの曲はマイクのギターとスティーブのベースという演奏でラストまで。でも観客はしらけちゃって、手拍子もほとんど無かったし、アンコールも無かったよ」
「ひどいライブですね。当然払い戻しですよね」
「それについて演奏終了後に主催者から説明があって。事故があって一部のメンバーが欠けたものの、一応クレマスのメンバーで最後まで演奏をしたので、公演としては成立していて、払い戻しには応じられない、ということらしい」
「うーん。。。でもその主催者恨まれそう」
「なんか詰め寄ってる人たち居たよ。そこも倒産するかもね」
「それで一部の人にでも返金に応じたら、結局全員に返金せざるを得なくなりますよ」
「そうそう。このチケットにはクレマスの公演って書いてあるのにさ。あれはクレマスじゃないもん。マイク&スティーブでしかないよ」
「たかが1枚の紙だけど、そこに書かれている内容は重いですよね」
「うん。だって2万円ものお金を払ってこのチケット買った人たちは、4人揃ったクレマスを見たかったんだから、それを見せなかったのは詐欺に近い」
私は昨日アスカから聞いた「半分ビリーブ」のことをちょっと思い出していた。それは無料ライブであったらしいけど、2万円であっても無料であっても責任の重みは変わらない気もした。そんなことを考えていたら、アスカが言う。
「それで許されるのはクレマスが引っ込んじゃった後で、代わりにビートルズとかクイーンが出てきたような場合だけですよね」
「ああ、もう天国に行っちゃったメンバーがいて有り得ないけど、ビートルズやクイーンが出てきていたら、みんな金返せとは思わなかったろうね」
と母は言った。
私はそれはちょっと面白い発想だと思った。そしてアスカが代役を務めた「ビリーブ」のライブはもしかしたら、本物以上に観客が満足するものだったかも知れない気もした。
私たちがたまたま近くで産気づいた女性を助けて出産まで立ち会ったことを話すと母は驚いていた。
「よほどの何かの縁なんだろうね」
「退院したらお礼状書きますって言ってた」
「その人、これを機会にそのお母さんとも和解できるといいね」
「娘と喧嘩していても、孫は可愛いですもんね」
「そうそう。孫って責任感が無い分、底なしに可愛いんだよ」
「ああ、なるほど」
「私も明奈ちゃんも萌依さんもその内赤ちゃん産むと思いますが、冬ちゃんもお嫁さんに行って赤ちゃん産む気らしいです」
「ああ、それは別にそうしてもいいよ。あんた産めるんだっけ?」
「あまり自信無いけど、産みたいなあ」
「ふーん。まあいいんじゃない?」
と言って母はスカートを穿いている私の下半身に目をやった。母はこのスカートの件については特に何も言わない。
「でもあの人は安産で良かった。私が生まれた時は凄い難産だったらしいんですよ」とアスカが言った。
「ほんと?それは大変だったね」
「なかなか出てこなくて、凄い長時間掛かって。母はもう神様でも仏様でもキリスト様でも誰でもいいから助けてって思ったそうです」
「ああ、普段信心してない人でもそういう時は神様、仏様って気になるよね」
「本当は神様とかとは普段の付き合いが大事なんでしょうげとね。それに神様って、こちらが相当努力してないと助けてくれない気がする」
とアスカは言う。
その言葉を聞いて、アスカは物凄い努力の末に神様に助けてもらったことがあるんだろうなと、私は感じた。
「で、結局その時は、あれこれ処置してもなかなか出てこないまま3日目に突入したので、お医者さんがこれはこのままではまずい。帝王切開しましょう、と言って準備を始めてもう麻酔を掛けようとしていた時に、やっと出てきたらしいです」
「わあ」
「私が生まれた時、母はモーツァルトのこと考えていたらしくて、だから母はモーツァルト信者です」
「おぉ!」
「うちの家にはモーツァルトの祭壇があって、お土産とかもらったらいったんそこにお供えするし、毎朝アイネ・クライネ・ナハト・ムジークをピアノ演奏で奉納してます」
「ほんとにモーツァルト教だ!」
「だから私にとってアイネ・クライネ・ナハト・ムジークって子守歌みたいなものでした」
「ちょっと素敵かも」
「でも、結局私を産んだことで母はもうそれ以上子供が産めない身体になってしまったんですよね」
「それは大変だったね」
「その分、自分が果たせなかった音楽家への道を唯一の子供になってしまった私に託して、小さい頃から無茶苦茶鍛えられましたけどね。だから、私、母の愛ってあまり感じたこと無かった。母っていつも怖い人だった。この曲弾けるようになるまで御飯無しとか言われて、もう涙流して弾いてたし」
とアスカ。
「きびしー!」
と明奈が驚く。
「でもそれも愛なんだよ。ただその愛の表現が分かりにくいだけなんだよ」
と母が言う。
「ええ。今は私もそのあたりが少し分かる気もします。それでも母に対しては少し身構えるような気持ちがありますけどね」
「アスカちゃんが凄くしっかりしてるのは、そういうお母さんとの関係の中で早く自立せざるを得なかったからなんだろうね」
と言って母はチラッと私を見た。
「はいはい。ボクは全然自立できてません」
「うん。分かってるならいい」
と母は言った。
その日、私がスカートを穿いていたことについて母は結局何も言わなかった。ただ東京に着く少し前に「冬、着替えておいで」とだけ言った。私は素直に従った。私はアスカに「洗って返すね」と言ったが、「ううん。それあげるから」と言った。
「じゃ、もらっておこう。髪切っちゃったらもう着られないけど」
そんなことを言いながら、下着は女の子下着のまま、ボトムもスカートをズボンに変えただけで帰宅した私たちに父は
「おい、中学の頭髪規則が変更になったぞ」
と言った。
「へ?」
「いや、こちらの方は大変だったんだぞ」
ちょうど私たちが九州に行く少し前、都内の公立高校で生徒が自殺した。それが、部活で試合でミスをしたことを責められ、罰として丸刈りにしろと言われ、本人が嫌がっているのを、他の部員に押さえつけさせて顧問の先生が丸刈りにしたらしい。そしてその日、その生徒は命を絶った。そもそもこの部では以前から、顧問やコーチの暴力、上級生から下級生へのいじめが日常茶飯事だったらしい。顧問とコーチが傷害罪で逮捕され、その学校の全ての運動部が活動停止になった。そしてこの後、この学校では校長・教頭が引責辞職した他、他にも数名の運動部顧問が退職する騒ぎになる。入学式も行われず、授業も教師の穴埋めが間に合わずに欠講がちになって落ち着くまで半年近く掛かることになる。
「ちょうどお前たちが向こうに行った日にその件で大騒動になって」
「へー」
「それで教育委員会から各公立中学・高校に、本人の意志に反して丸刈りを強要することは無いようにという通達があって」
「わあ」
「それで、部活でじゃないけど、●▲中学の男子丸刈りという校則も見直すことになったらしい」
「じゃ校則はどうなったの?」
「以前から生徒たちの間で、丸刈りはやめて欲しいという声があったらしいんだよな。それで生徒会の代表と、生活指導の先生とで話合いをしているらしいけど、すぐには新しい規則はできない」
「だろうね」
「で、取り敢えず、当面の間は、見苦しくない程度の髪ならOKということになったというので、ついさっき地域の連絡網で回ってきた」
すると姉が言う。
「へー。良かったね、冬、丸刈りしなくていいじゃん」
「うん。嬉しい」
「しかし、さすがに冬彦の髪は見苦しくないか? 少し切ろう」と父。
「冬の場合は、この長さの髪で可愛い感じになるから、むしろ短くした方が見苦しくなると思うよ」と姉が言う。
「むむ、そうか?」
「ああ。取り敢えず今の髪のままで学校に行ってみたら? それで先生から注意されたら、切ればいいよ」
と母も言うので、とにかく私の髪は入学式までに短く切られることはなくなった。
早速アスカに電話して、頭髪規則の変更のことを伝える。
「よかったねー!」
とアスカは素直に喜んでくれた。
「でも冬は学生服を着て出て行ったら、その学生服が見苦しいよ。だから服をセーラー服に変えれば見苦しくなくなるね」
「それ、唆さないでよ〜。姉ちゃんからもセーラー服で入学式に行っちゃえ、行っちゃえと言われてるし」
「行けばいいのに」
「うっ」
「せっかく持ってるんだし」
「うん・・・」
髪の毛に関しては、入学式前日に姉が
「冬〜、女子中学生らしく、かぁいい感じにしてあげるね」
などと言ってミディアム・ボブっぽい雰囲気に切りそろえてくれた。
(私が高校を卒業するまで、姉は私の髪をいつも切ってくれていた)
更に
「眉毛が伸び放題。ちょっと整えてあげる」
などと言って結構細く切ってしまった。
「いいのかなあ・・・」
「こういう髪型、眉毛にしたかったんじゃないの?」
「あ、うん」
「じゃ、これでいいじゃん。明日は頑張ってね」
ということで翌日、その髪・眉毛で、学生服を着て中学に出かける。
倫代が寄ってきて
「なんで学生服なのよ?」
と言う。
「え?だってボク男子だし」
と中学になったので使うことに決めた男声で言ってみる。
「それ嘘だと思うなあ。それになあに、その男の子みたいな声?」
「え?ボクも声変わりが」
「また、そんな嘘ついて。ちゃんと女の子の声出るよね」
「うん、まあ。出ることは出るけどこれは特殊な発声法で」
と私は女声で答える。
「むしろ男の子の声の方が特殊な発声法では?」
「まさか」
「だいたい喉仏もほとんど出てない。声変わりがしないように、去勢したんだっけ?」
「してないよー」
「まあいいや。それで、合唱部に入るよね?」
「ごめーん、ボク陸上部に入るつもり。それにこの中学の合唱部は女子だけでしょ?」
「うん。でも冬は女子だもん」
「でも学生服着てるし」
「セーラー服着ればいいじゃん。こないだ着てたし。あるなら着ればいい」
「あれは古い制服だもん」
「じゃ新しいの作ろう。採寸に付き合ってあげようか?」
「いや、いいって」
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