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■夏の日の想い出・ピアノのお稽古(7)

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20日に『言葉を要らない』の発売記者会見をした夜、上島先生から電話が掛かってきた。
 
「新曲発表の記者会見見たよ」
「わあ、ありがとうございます」
「いつもながら君たち仕事が速いね」
「上島先生には適いません」
「それでさ、ローズ+リリーが新生した時に作った曲と同時に発売するならね、ひとつ一緒に入れて欲しい曲があるんだけど」
「はい」
「『疾走』を歌ってくれない?」
「え、あれは・・・・」
「ちゃんと、正しい作詞者名で出す。長野夕香作詞/上島雷太・雨宮三森作曲としてね」
「いいことだと思います。それをきっかけに例の問題も決着が付くといいですね」
「実は高岡のお父さんと先日話した。向こうはそのことを全然知らなかったらしくて、少し考えさせてくれと言っていたので、また改めて時間を置いてから話に行く」
「はい」
 
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「で、雨宮や下川とも話したんだけど、『疾走』を収録する時は僕たちに伴奏をさせて」
「それは嬉しいです。ワンティス10年目の再稼働ですね」
「うん。まあ稼働はしないけど、集まれる範囲で集まるよ」
 

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この日の夕方、上島先生からの電話の2時間ほど前、頼んでいたグランドピアノが納入された。既に防音工事の終わっている「仕事部屋」に搬入してもらう。
 
「わーい、グランドピアノだ!」
と政子が喜んでいる。
 
「早速何か弾いてみよっと」
「猫ふんじゃった?」
と訊くと、政子はチッチッチと指を横に振る。
「ルードウィッヒ・フォン・ベートーヴェン作曲交響曲第九番第四楽章」
「ほほぉ」
 
それで政子はピアノの前に座り、ミミファソ・ソファミレ・ドドレミ・ミーレレ
と『喜びの歌』を右手だけで弾き始めた。
 
「へー。ちゃんと間違わずに弾けるじゃん」
「うん。何となく探り弾きだったけど、間違えずに弾けた」
 
「どういう練習するの?」
「バイエルから始めるよ。基礎が大事」
「うんうん。基礎は大事」
「神保町の古本屋さんで10円で売ってるの見て買っておいた」
「ほほぉ!」
 
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3月30日・土曜日。私と政子は車で一緒に成田空港まで行った。この日帰国する政子の両親を迎えに行ったのである。
 
「5年間のバンコク勤務、お疲れ様でした」
と私が言うと
「なんか娘夫婦に迎えられたって感じだ」
とお父さん。
「うん。私たち夫婦だから。今腕に付けてるブレスは結婚指輪代わり」
と政子は言っちゃう。
「へー、そうだったんだ!」
とお母さんが楽しそうに言った。
 
長旅で疲れているだろうということで、空港のレストランでお昼を食べてから帰ることにする。
 
「なんか今年の夏はたくさんライブやるみたいな話が」
とお父さんが言うが
「ああ。同じ構成でやるライブは1回やるのと変わらない」
と政子。
 
「結局、今年のライブは2月の名古屋で1回、3月の福島で1回、5月の仙台で1回、7〜8月のホールツアーで1回、夏フェスとその後の復興イベントで1回、9月のアリーナツアーで1回、というのが政子さん的な数え方で6回だそうです」
と私は説明した。
 
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「アバウトね。9月の後はしないの?」とお母さん。
「卒論をまとめる時期に入るので」
「ああ」
 
「卒論の提出はいつするの?」
「えっと、12月から1月の間に提出することになってる」
「だったら12月1日に提出しなさい。それがお父ちゃんが政子のその活動を認める条件だ」
「12月1日は日曜なので2日ですね」
「うん。それでいい」
「アイアイサー! じゃ12月2日に提出したら、12月中旬くらいに次のライブしてもいいかな?」
「うむむ」
 
私もお母さんも笑ってしまった。しかし政子がこんなにライブをやる気になったのは良いことだ。震災の頃まではローズ+リリーのライブというのは二度と無いかも知れない、なんて考えていたなと私は当時を思い出していた。
 
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そのまま私の車で家まで行った。
 
「結構きれいにしてるね」
「帰国するという電話もらった後、頑張ってお掃除したから。昨日は1日掛けて拭き掃除もしたし」
「リビングのフローリングとか階段もワックス掛けしたね」
 
「お部屋はどうなってるのかしら」
「お母ちゃんたちの寝室はそのままだよ。寝具は新しいのに交換して、古いのはマンションに持って行った。あちら結構友達泊めるから予備の寝具に」
「わあ」
「私と冬が十畳の部屋と、もうひとつ6畳か4畳半かどちらか使うから、お母ちゃんたちは、寝室と、そのふたつの部屋の内どちらか使って」
「ふーん」
 
と言ってお母さんが十畳の部屋を開けると、ドーンと巨大なグランドピアノが置いてあるのでびっくりする。
 
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「これ、秋に帰国した時は無かったね」
「うん。私がピアノの練習しようと思って買ったんだよね」
「へー。練習してるんだ」
「うん」
 
と言って、政子はピアノの前に座り、モーツァルトの『トルコ行進曲』を弾いてみせた。
 
「上手に弾くじゃん!」
「へへへ。ここ3日ほど猛練習したからね」
 
「でも何だか広いホールで弾いてるみたいな音の響き」
「防音工事したから」
「ああ」
「だから夜中でも弾けるよ。壁や天井は吸音板貼ってるし、窓は二重窓だし、カーテンは鉛入りだし。夏でも窓開けたら弾けないからエアコン入れたし。真上の部屋でも全然大丈夫。床も補強した」
 
「へー。それ結構掛かったんじゃない?」
「うん。工事代200万くらい掛かった」
「きゃー。ピアノよりそちらが高かったりして」
「ううん。このピアノは500万だもん」
「ひぇー!!」
 
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「でも税金をたくさん払ってるから。このくらい使った方がいいんだよ」
「ああ、そうかもね」
 
お母さんは納得していたが、お父さんは信じられんという顔をしていた。
 
結局、6畳の方をお母さんたちに使ってもらうことにし、私と政子のベッドは4畳半の方に移動した。この4畳半がちょうど1階のピアノ部屋の真上になるので、そちらの方が気兼ね無いだろうということにしたのである。もっとも実際にはピアノ部屋でピアノを弾いていても、4畳半の部屋では(畳に耳を付けても)全くその音が聞こえないことを、お母さんたちと一緒に確かめた。なお、ピアノ部屋の真上で4畳半の部屋以外の部分はクローゼットになっている。
 

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翌日は私たちの高校時代の友人たちが、政子の両親の「お帰りなさい会」をするというので集まってくれた。メンツはだいたい高校時代にここで勉強会をしていた顔ぶれである。
 
「ほんとにお疲れ様でした。向こうでは色々不便なことも多かったでしょう」
「お父ちゃん、言葉でだいぶ苦労してたみたいね」
「うん。普通の業務上のやりとりは俺も頑張ってタイ語勉強したからちゃんと話せていたんだけど、相手が感情的になっている時とか、あと方言でしゃべられると、もうさっぱり分からんかった。タイ人の秘書が頼りだったけど、彼も特殊な方言は分からないと言ってたね」
 
「タイは北部の方がけっこう複雑っぽいですね。あと深南部も」
「うん。深南部はもうマレーみたいなもんだからね。文化的な基盤から違う」
 
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「でもニューハーフさん多かったね〜」
「ああ。社員にもたくさんいたし、手術が済んでいる子とまだの子がいるから更衣室とかでも色々配慮していたね」
「わあ。基本的には女性に準じて扱うんですか?」
「そうそう。それでだいたい問題ないみたい。彼女達は他の男の子たちと違って出家もしなければ兵隊にも行かないし」
「私たちが住んでたアパートの大家さんの息子もある日突然女の子になっちゃったし」
「おお、すごい!」
「徴兵前に女の子になりたかったみたいね。私たちが帰国する段階ではもう手術も終えて完全な女の子になってた。なんか美人でね〜」
「へー」
 
「お母さんもタイ語覚えました?」
「全然。全部日本語と英語で押し通した」
「それはそれで偉い!」
 
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「バンコクで副支店長5年もやったら、日本に帰国したらどこかの支店長ですか?」
「最初盛岡支店長と言われたんだけどすぐ白紙に戻って。取り敢えず本店営業部長付なんだけどね。6月下旬の株主総会直前に次期社長が決まるから、その後支店長人事があってどこかに行くことになるんじゃないかと思う。それまでは取り敢えず東京勤務」
 
「まあ、北海道や沖縄に行くことになっても、タイよりは東京に近いしね」
とお母さんもさばさばした感じだ。
 

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今日集まったメンツも、十畳の部屋に巨大なグランドピアノがあるのを見て驚く。
「えー? 冬が弾くんじゃなくて政子が弾くんだ」
「うん。冬も弾くけどね」
 
と言ってピアノの前に座ると、政子は昨日も両親に聴かせた『トルコ行進曲』
を演奏する。
 
ほとんどノーミスで演奏した政子に思わず拍手が来ると、政子はきっちりみんなに向かってお辞儀をした。
 
「ウルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲『トルコ行進曲』でした」
「うまいじゃん!」
「でも今弾ける曲はこれだけ」
「おっと」
「あとは猫ふんじゃったくらい」
「おお!」
 
「でもいつ買ったの? 2月に来た時は無かったよね」
「うん。10日前に納入された」
「へー」
「それからバイエル上下1日ずつ、ハノンで2日、ツェルニーも2日で上げた」
「すげー!」
「その後、お父ちゃん・お母ちゃんに聴かせようと思って『トルコ行進曲』をひたすら3日間練習した」
「なるほど!」
 
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「ここのところ、毎日10時間くらい弾いてたね」
「うん。疲れたらヴァイオリンの練習したり歌ったり」
 
「でもそんなに長時間弾いて指傷めたりしないもの?」
「マーサはヴァイオリン弾くから指は丈夫だもん」
「あ、そーか」
「私、きつくなるまではしないから。スポ根少女じゃないしー」
「ああ、政子はスパルタ・コーチとは相性悪そう」
「あと指を休めてる間、ずっと手に湿布薬を貼っといたよ」
「なるほど」
「指のヒーリングも毎日してもらってたしね」
「うん。あれがまた気持ち良かった」
 

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翌日、4月1日。『100%ピュアガール』の音源制作に入る。
 
今回のCDに収録する曲は『100%ピュアガール』『疾走』『あの夏の日』
(以上トリプルA面)『快楽大王』『包まれて』『ラブ#』の6曲である。
 
このCD製作の発端となった『100%ピュアガール』に対して上島先生が書いて下さったアンサーソングが『ラブ#』で、先生は最後まで『ラブ#』にするか『オブジェクティブ・ラブ』にするか悩んだらしいが、『オブジェクティブ・ラブ』は、その言葉遊び分かる人が少ない、という町添さんの意見で『ラブ#』
になった。
 
『あの夏の日』『快楽大王』『包まれて』はいづれも先月、自宅に来た青葉が手書き譜面を発見してくれた古い楽曲である。『あの夏の日』は高校1年の時のキャンプで書いたもので、私と政子の最初の作品。『あの夏の日の想い出』というタイトルだったのだが、大ヒット曲『夏の日の想い出』と紛らわしいので『あの夏の日』とした。
 
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『快楽大王』は私が小学6年生の時に修学旅行で行った安曇野の八面大王の所で書いたもので、発見された譜面に政子が興味を持ち、新しい歌詞を書いて、それにあわせて楽曲も再構成した。
 
『包まれて』は中学の修学旅行で京都に行った時、東寺で書いたもので、これも同様に政子が書いてくれた新しい歌詞に合わせて楽曲を再構成している。つまりこの2曲は古い作品のスクラップ&ビルドをしたものである。
 
そして『疾走』は事情によって発売されることの無かった、ワンティス最後の作品である。この作品を書いた直後、作詞者の夕香さんと恋人の高岡さんがドライブに出て事故死してしまった。その時300km/hを越える速度を出していたので、その事故の性質上、こういうタイトルの作品は出す訳にはいかなかったし、また高岡さんの死でワンティス自体の活動が停止してしまったのであった。
 
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ワンティスのメンバーの多くが△△△大学の出身であったことから、同じ大学の後輩ユニットであるローズ+リリーに歌って欲しいと上島先生は趣旨を説明してワンティス全員の了承を得た。そして当時のワンティス担当者である加藤課長も「もうほとぼりが冷めてるから」と作品化を承認して10年ぶりの作品化が実現することになったのである。
 
1-2日は『疾走』以外の作品の収録を行う。スターキッズのメンバーを招集して1曲ずつ録音していく。
 
「先生!『100%ピュアガール』の前奏のピアノソロを弾きたいです」
と政子が言った。
 
「先生って誰だろ?」
「きっとプロデューサー然としてるキンタマちゃんだ」
「こら〜、その呼び名使うとキンタマ取るよ」
「おお、こわ!」
 
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近藤さんが笑って「じゃ弾いてごらん」と言い、政子に弾かせると結構良い雰囲気で弾く。
 
「ああ。使えるかもね」と月丘さん。
 
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夏の日の想い出・ピアノのお稽古(7)

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