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■夏の日の想い出・多忙な女子高生(2)
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目次 8
時間索引 #
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「この生徒手帳は・・・・」
「写真は女子制服で撮ってもらったのですが、名前はそこに書いてある通りで」
「うむむむむむ」
「で健康保険証はごらんの通りです。性別こんなにハッキリ印刷しなくてもいいのに」
「うーん・・・・・」
畠山さんはたっぷり2分くらい沈黙した。そして言った。
「そういうことであればさ、僕としては君の性別をちゃんとあらかじめ言った上で KARION のメンバーとして入れてもいいと思う」
僕は少し悲しい目をして答える。
「とてもありがたいお言葉です。でもその件、和泉にも言ったのですが、それをやると、KARION自体が色物として見られてしまうと思うんです。純粋に実力で売れるユニットですから、むしろ清純なイメージにしておいた方が絶対売れると思うんですよね。ですから、私のことは、もし可能でしたら、KARION の影のメンバーということにでもしておいてください」
「ああ、影のメンバーか。それはいいかも知れないね」
と畠山さんは和やかな表情で言った。
「じゃさ、いっそのこと、君ソロシンガーで売らない? △△社の方の活動が今月いっぱいで終わるなら、その後、来月くらいからこちらで稼働させようよ」
「そうですね・・・・。でも実は私、親に自分の性別のことカムアウトしてなくて」
「ああ・・・」
「何とか頑張って、今年中か来年の春くらいまでにはちゃんと親にも自分の性別のことを話して、女子高校生として通学するのを認めてもらおうと思っているんです。それまで待って頂けないでしょうか」
「分かった。それをボクは待つよ」と社長は言う。
「ありがとうございます」
「それとKARIONの音源制作では引き続き、コーラス・キーボード・エンジニアの1人3役、頼むよ」
「はい! 頑張ります」
そういう訳で私はこの8月に自分の性別のことを畠山さんにカムアウトした・・・と随分後になるまで思っていたのだが、後にその頃のことを話していたら
「何言ってるの? その件はKARIONデビュー前の11月に話したじゃん」
と畠山さんには言われた。
畠山さんによれば、当時畠山さんがほんとに熱心に私をKARIONに勧誘したので、それで私が「実は・・・」と言って性別問題を打ち明け、それなら仕方無いかと畠山さんも納得したものの、それでも君は準メンバーとして扱っていくからと言われたのだという。
という訳で、この付近の私の記憶はかなり混乱しているようである。
(私のこの年の5月頃から翌年3月頃までの記憶にはあちこち矛盾がある)
その週の木曜日にサウザンズの音源制作の収録作業は終了した。後はミックスダウン、マスタリングといったエンジニア側の作業である。ボクは金曜日の日中は都内の戸島遊園地でローズ+リリーのライブがあるのでスタジオには夕方から出ることにした。
金曜日、ボクは朝から政子の家に行き、女の子の服に着替えて、一緒に戸島遊園地に行った。この日は《ローズ+リリー》という名前が付いてから初めてのライブであった。8月3日の宇都宮のライブではボクたちは《リリーフラワーズ》を名乗っていたのである。
園内の広場に設けられている小さなステージ。そこにボクと政子は駆け上がって
「こんにちは、ローズ+リリーでーす」
と言った。
そしてその次の瞬間、ボクはまばらな客席の最前列に座っている女子高生が、こちらをポカーンとして見ているのに気付く。
奈緒だった!
うっそー! なんでこんなところにいるの〜?
気を取り直して、ボクは政子と一緒に最初の曲『七色テントウ虫』を歌い出した。
演奏が終わってから控え室に戻ったボクたちを奈緒は追いかけて来たようであった。控え室のドアがノックされ「済みません」との声。すると須藤さんが「あ、こちらは関係者以外立ち入り禁止なのですが」と言ったが、ボクは「その子、良かったら入れてください。ボクの友だちなので」と言ったので須藤さんは奈緒を中に入れてくれた。
「いつの間にふたり、歌手になったの?」と奈緒。
「一緒に歌ったのは、こないだの日曜が最初。でも《ローズ+リリー》の名前で歌ったのは今日が初めて」
と答える。
「へー。でも冬子ちゃ〜ん。ふふふ。可愛いね〜。見違えちゃう」と奈緒。
「そう言わないでよ」
「いつの間に性転換したの?」
「あ、こないだ私が去勢しちゃった」と政子。
「えー? 私の手で去勢してあげようかと思ってたのになあ」と奈緒。
「あはは」
彼女には《ローズ+リリー》の最初のサインを書いた。メジャーデビューしてからのサインはアルファベットで《Rose+Lily》なのだが、それ以前のサインはカタカナで《ローズ+リリー》である。この古いサインは後にネットオークションで結構な値段で取引されていたようである。
「もうCDとか出してるの?」
「そんなの出さない、出さない。このユニットも今月いっぱいの限定だよ」
「なーんだ。詰まらない」
などと言っていたのだが、ボクたちはその3日後に、CDを制作することになってしまった!
収録した曲は『明るい水』『ふたりの愛ランド』『七色テントウ虫』
『恋のコンチェルト』『甘い視線』という5曲。伴奏は須藤さんが作ったMIDIの打ち込みで、この5曲をわずか3時間でバタバタと収録し、そのあと30分でジャケット用の写真撮影をした。
これじゃ、先月ボクと政子がスタジオでバタバタと録音した自主制作アルバムと大差無い!
ローズ+リリーの方のCDはデータを持ち込んだら即プレスしてくれる会社で200枚プレスしたが、レーベルは雀レコードになっていた。ここは△△社と関わりのある○○プロの関連会社である。つまりこのCDは自主制作CDではなく、一応インディーズCDという扱いになっていた。須藤さんはこのレーベルを電話1本掛けるだけで使用してよい権限を持っているらしい。
その制作したCDは翌日、水戸で行われる予定だったイベントに持っていき、ライブ会場でサインをしながら手売りした。この時持って行った1箱200枚が全部売り切れてしまい、須藤さんは買えなかった人に「通販しますから」と言って「明日からオープンする公式ホームページ」のURLを印刷した紙を手渡していた。
なお、この当時の「公式ページ」のアドレスは、△△社のページのサブページであった。
(このページは2009年1月に削除された。それから2010年5月に roselily.netができるまで、ローズ+リリーの情報は★★レコードのアーティストページからのみ発信されていた)
そして更に8月16日、ボクと政子は△△社と「暫定的なアーティスト契約」を結ぶことになってしまい、ローズ+リリーの活動は、9月以降も継続していくことになってしまったのである。
「ほんとに申し訳ありません」
とボクは畠山さんに電話で詫びた。
「やはり、そうなってしまったか・・・。君が歌ったら、絶対人気出るもん。ほんっとに去年の内に君と契約してなかったことが悔やまれる。僕、君のお父さんの承認を得るのに日参して説得しても良かったよ」
「ほんとに申し訳ないです」
「でもKARIONのコーラスとキーボードをするのは可能かな?」
「ちょっと難しいかと」
ボクは電話をいったん切って、△△社と交わした契約書を∴∴社にFAXした。
「乙は甲の専属歌手として、甲の指示に従い、本契約有効期間中、乙の学業と健康に差し障りの無い範囲で、音楽演奏会、ラジオ放送、有線放送、インターネットWebサイトなどへの出演、レコード、ビデオテープ、CD、DVD、ブルーレイ、音楽配信、などを制作するための演奏をする労務を提供する義務を負う。ローズ+リリーの名称に関する一切の権利は甲に属し、乙は甲の許可無く、これを使用して演奏をしたり、音源制作をしたり、またローズ+リリーの名前を使用した商品を販売したりしてはいけない。なるほどねえ。。。」
「すみません。やはりそちらでコーラスとかもできない感じです」
「ふーん。。。。これさあ、ローズ+リリーの名前で勝手に演奏したりしてはいけないってしか書かれてないね」
「あ、それはそう書かないと音楽の時間に歌ったり教室で鼻歌を歌ったりもできないからということで、そういう文面になったようです」
「なるほどね。ということは、ローズ+リリーの名前を使わずに、別の名前でなら活動できたりして?」
「えー?そんなのいいんですか?」
「まあ、ボーダーラインだね」
「ですよね」
「あと、専属歌手としてとしか書かれていないから、キーボード弾くのはOKだったりして」
「それも微妙な気がしますが」
「うん。微妙。でも、歌ったり楽器演奏できなくても、作詞作曲は禁じられてないね」
「へ?」
ボクはあらためて△△社と交わした契約書を見てみる。確かに歌手としての演奏についてしか契約文面には触れられていない。
「確かに禁止されてない気がします」
「だからさ、今度作るシングルで1曲、書いてくれない? 君、前何度か見せてもらったけど、結構良い曲を書くよね?」
「でも、プロで売るレベルの曲が書けるかどうか・・・」
「和泉ちゃんがさ、けっこうたくさん詩を書きためてるんだよ。その中で特に出来のいいのをいくつかそちらにFAXするから、曲を付けてみてくれない?それを今度のCDでカップリング曲として出してみたい」
「分かりました。やってみます」
「それともうひとつ」
「はい」
「この契約書さ、契約期間が2008年9月1日から1年間になってるんだけど」
「はい・・・・」
「だから、8月31日までは何でもし放題」
「えーーーー!?」
ということで、ボクは、和泉が書いた詩を見て、特に自分のインスピレーションが湧いたいくつかの作品に曲を付けてみた。その中で『水色のラブレター』という曲が畠山さんに気に入ってもらえた。
「この曲、結構行けるよ。これさ、ギター・ベース・ドラムス・キーボード、グロッケン、サックス、トランペットの7ピースバンドでの伴奏に編曲してくれない?」
「はい。編曲します。つまり travelling bells 用ですね」
「そうそう」
このKARIONの次期CDは2008.09.06(土)〜15(月)に音源制作が行われ、この作業にボクはいつものようにエンジニア助手として参加したのであるが、それに先行して8月27日に既にできあがっているスコアに従って、ボクのコーラス部分とキーボード演奏を録音したのであった。(6〜15日の音源制作中もボクがキーボードを弾いたが、その演奏データは音源制作に使用しなかったので、△△社との契約には違反しない)
そして、ボクと和泉が初めて一緒に作った曲『水色のラブレター』には、森之和泉作詞・水沢歌月作曲編曲、というクレジットが付けられた。その後、長らく KARION が歌う曲のソングライトペアとして使用されていくクレジットだが、森之和泉は和泉のペンネームと明かされているものの、水沢歌月というのが誰かというのはずっと非公開のままである。恐らくボクが死ぬまで非公開のままであろう。
その正体を知っているのは、KARION のメンバー、畠山社長、エンジニアの麻布さん、そして町添部長などごく少数に限られる。
世間では水沢歌月について、坂井真紅の楽曲の作曲者名の「桜島法子」同様、数人の覆面作曲家集団の代表ペンネームでは?と推測しているようである。
このようにして、ボクはこの年の8〜9月、補習に謀殺される高校生、スタジオのエンジニア助手、△△社の設営スタッフ、ローズ+リリーの片割れ、そしてKARIONの実質的な準メンバー、更には家庭の主婦! という1人6役の活動をしていたのであった。
(この時期、姉は就職活動に必死、母は町内会長をしていて、ボクが朝晩の御飯や父のお弁当を作っていたのである)
「ところでさ」と畠山さんは言った。
「FAXしてくれたものって、最終的な契約書?」
「といいますと?」とボクは聞き返す。
「君、未成年だからさ、君の保護者の署名捺印が必要だと思うんだけど、これには入ってないよね?」
「えっと・・・実は、例の問題で、そもそもボクが女の子になっているということ自体を親が知らないので、親の承諾をすぐにもらうことは困難です」
「ああ!」
「実はマリも別の事情で親の承諾は絶対に得られない状況でして」
「だったら、その契約書は無効だよ。君のもマリちゃんのも」
「ですよね・・・・春くらいまでには何と親を説得して正式な契約を結びたいのですが」
「うーん。。。それまでに問題が起きなきゃいいけど」
と畠山さんは親身に心配してくれているようであった。
「ほんとですよね」
とボクもその問題に一抹の不安を感じていた。
ただ、この時点で、ボクにしても畠山さんにしても、ローズ+リリーがあそこまで売れるとは思いもよらなかったのである。それは須藤さんもだったであろう。政子なども一種の「課外活動」のようなノリであった。
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