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■夏の日の想い出・振袖の日(2)
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それでふたりともぞうりを履き、スタッフさんに誘導されて店頭の方に行く。そこで屏風の前で記念撮影をしてもらったが、道行く人もけっこうカメラを向けて私や政子、また一緒に振袖を着ていた他の女性などの写真を撮っていた。私と政子の携帯でも写真を撮ってもらった。
店頭での撮影会が15分くらい続き、そのあとまた更衣室に戻って振袖を脱ぐ。私は洋服を着てきているので簡単に元の服を着るが、政子は小振袖を着付けてもらうので15分くらい掛かっていた。
記念品に縮緬製の栞、和風柄のハンカチ、それに振袖のカタログの入った紙袋をもらったが、このデパート内の喫茶のケーキセットの券ももらった。それで「食べて行こうよ」ということでその喫茶のある階まで上がっていき、ケーキと紅茶のセットを頼んだ。
「いろいろ突っ込みたい所があるなあ」
と政子は楽しそうに言う。
「そう?」
「冬、下着は女の子下着つけてるんだね」
「うーん。たまたま着けてただけだよ」
「なるほど、いつも着けているのか。ウェストがくびれてバストがあると言ってた」
「ウェストは私、細いんだよね〜。バストはパッド入れてただけだよ」
と言って私は服の中に手を入れ、左側のバストパッドを外して政子に手渡す。
「おお、こういうのを持っている訳か」
「何となく入れて来ただけだよ」
「やはり冬は今年は女の子で行くのね。学校にも女子制服で出てくるよね?」
「そんなの持ってないよぉ」
「作ればいいのに」
「民謡やってるから振袖は着てると言ってた」
「言わなかったっけ? 私の亡くなったお祖母ちゃんが民謡の先生だったんだよ。それで私も小さい頃から歌を習ってたんだよね」
「へー。じゃお母さんとかもするの?」
「うちのお母ちゃんの所は5人姉妹で、他の4人はみんな民謡の先生になったけど、うちのお母ちゃんだけが民謡やめちゃったんだよ」
「へー!なんで?」
「まあ性に合わなかったんじゃないかなあ。三味線なんて見るのも嫌だって言うよ。私は伯母ちゃんに仕込まれたんだよ」
「でもさあ、いくら民謡でも男の子に振袖着せる?」
「え?どうだろう」
「知らないの〜?」
「あ、従兄の薙彦君は青い和服着て袴穿いてたかな」
「なるほどー。でも冬は振袖なんだ?」
「あ、ちゃっきり節を歌った時は、茶摘み娘の衣装着たよ」
「やはり女の子衣装だ」
「あれ?そういえば」
「つまりあれだね。冬はやはり女の子なんだ」
「え〜? ボク男の子だよお」
「だいたいさっき更衣室にいた時、恥ずかしそうにもしてなかった」
「へ?更衣室で何を恥ずかしがるのさ」
「だって周囲、女の子ばかりで下着姿とかにもなってるのに」
「そりゃ着替える時は下着姿にもなるでしょ」
「女の子の下着姿を見て、むらむらとしない?」
「むらむらって?」
「やはり冬はちんちん無いんだよね?」
「あるよ〜」
「ね、一緒にホテルに行かない?それで冬にちんちんがあるかどうかを確認したい。ホテル代くらい持ってるよ」
「ホテルはまずいよ」
「女の子同士だから平気だよ」
「だからボク男だって」
「絶対それ嘘だと思うけどな〜」
その日は結局新宿界隈でカフェや楽器店、本屋さんなどを歩き回った。私はCDショップで今日発売のKARION『幸せな鐘の調べ』を1枚買い求めた。
「何それ?」
「うん。今日デビューしたアイドルユニットだよ」
「へー。冬がアイドルを聴くとは思わなかった。アイドルなんて下手くそなのばかりじゃん」
「この子たちはうまいんだよ」
「ふーん」
そんな会話を交わしたものの、政子はそんなことを話したことは覚えていなかったようである。
その日は更にカフェでおやつを食べたりした後、3時頃電車で帰宅した。
翌日は特に予定が無かったので、朝から楽譜の整理作業などをしていたのだが、10時頃電話がある。姉が取ったのだが
「冬、風帆おぱちゃん」
と言う。
私はいや〜な予感がしながら電話を替わる。
「明けましておめでとうございます。冬彦です」
「冬ちゃん、よかったぁ。自宅に居てくれた」
ああ、どこかに出かけておくべきだったなと後悔する。
「それでどこにいけばいいんでしょう?」
「話が早いな。さすが冬ちゃん。振袖着て、三味線持って、新宿のISデパートまで来てくれない?」
「新宿なんですか?」
「なんか正月から風邪引いたりお腹壊したりした子がいて頭数が足りないのよ」
「友見さんは?」
「もちろん出てきてる。三千花(小6)・小都花(小4)・七美花(小2)の姉妹も出てきてる」
「七美花ちゃんまでですか?」
「あの子、まだ小学2年生だけど、かえって6年生の三千花ちゃんよりうまい」
「あ、そんな話は聞いてました」
それで私は自分の部屋に戻ると急いで適当な振袖を着て、三味線を持ち
「ちょっと風帆おばちゃんに呼ばれたから行ってくるね」
と居間に居た母に告げる。
「風にって、名古屋?」
「ううん。新宿だって」
父は私が振袖など着ているのでぽかーんとしている。
「なんでおまえ、そんな女みたいな服着てるの?」
と父。
「だって昨日も言ったじゃん。ボク女の子になっちゃったから」
と私は答える。
しかし姉が
「民謡の伴奏のお仕事だから振袖着ているだけだよ」
と言ったので
「ああ、なんか集団で弾くんだ?」
「そうそう。ひとりだけ男の服着ている訳にはいかないじゃん」
「へー。そういうもんなんだなあ」
「じゃね〜」
と言って私は出かけた。母が頬杖を突いて「うーん」という感じで悩んでいた。
それで私は電車で新宿まで出た。到着したのはもう12時過ぎである。
「新春民謡演奏会・8F」などという看板が出ているのでそちらの方に行こうとしていたら、
「あれ?昨日来られた方ですよね?」
と店員さんに呼び止められる。昨日店頭で私たちに声を掛けた人である。
「こんにちは。昨日はどうもきれいな振袖を着せて頂いてありがとうございます」
「やはり振袖を着慣れておられるんですね。今日もきれいな振袖で」
「いえ、これポリエステルですから」
「え?」
と言ってお店の人は袖に触ってみて
「ほんとだ!ちょっと目には分からなかった!」
などと言っている。
「昨日着せていただいた振袖の100分の1くらいの値段ですよ」
「ああ、そんなものでしょうね。でもお嬢さん、背が高いから振袖が映えますね」
「ああ、振袖って、背が低いと袖を引きずっちゃうから」
などといった会話を交わしたあとで、お店の人が少し考えるようにして言う。
「えっと・・・お嬢さんでいいんですよね?」
「はい。まだ結婚してないですから」
「あ、いや。昨日は低い声で話しておられたので、男の子ではないよな?と一瞬思ったものですから」
とお店の人。
「ええ。昨日はちょっと喉の調子が悪かったんですよ」
と私。
昨日は政子と一緒だったが、政子にはまだ私は女声が出ることをバラしてないので男声で話していた。今日はふだん通り女声で話している。
「あ、すみません。変なこと言って。あれ?それは三味線ですか?」
「ええ。今日の新春演奏会に、頭数が足りないからちょっと来てと呼び出されてしまって」
「へー。でも凄いですね。お若いのに三味線とか」
「祖母が名取りだったものですから、なんかよく分からない頃から仕込まれて」
「なるほどー。そういうおうちだったんですね。それで振袖もよく着ておられるんですね」
それでお店の人は「頑張ってください」と言って私に控室に行くエレベータの位置を教えてくれた。
演奏会が終わってデパートを出、新宿駅の方に帰ろうとしていたら、バッタリと畠山さんに遭遇する。
「明けましておめでとうございます」
「明けましておめでとうございます」
と挨拶を交わす。
「化繊の振袖を着るなんて《通》だね」
と畠山さんが言う。
「あ?化繊って分かりました?」
「うんうん。うちの鈴木聖子ちゃんが結構そういうの好きなんだよ」
「へー!」
せっかくだし、事務所に顔を出して、お餅でも食べて行ってよと言われるのでまあ餅くらいいいかと思い、付いていく。∴∴ミュージックはISデパートより更に新宿通りを東に下っていった付近にある。
入って行き
「明けましておめでとうございます」
と挨拶する。
事務所内からも「明けましておめでとうございます」の挨拶がある。三島さんともうひとり三島さんと似たような年代の女性がいる。初対面だったが畠山社長の奥さん・千鶴さんということだった。
「お初にお目にかかります。柊洋子、あるいは天野蘭子です」
と挨拶する。
「初めまして。洋子ちゃんのことは色々聞いてるよ」
と千鶴さん。
この他に事務の女性バイトさんが2人出てきている。正月からご苦労さまである。
「蘭子ちゃん、御神酒飲む?」
「すみませーん。未成年なので」
「じゃ、お茶け(おちゃけ)で」
と千鶴さんが言い、三島さんが緑茶を入れてくれた。
「これ凄く美味しいお茶ですね」
「静岡の本山茶だよ。青島リンナ君が昨日来て置いてった」
「青島さん、静岡方面でしたっけ?」
「そうそう。代々お茶屋さんで、あの子のお兄さんが今実質切り盛りしてるみたいだけどね」
「へー。でもだったらこちらは昨日から営業してたんですか?」
「MURASAKIと青島リンナが年越しライブに出てたからね」
「大変ですね!」
「MURASAKIは1月4日に年明けライブもするし」
「頑張りますね!」
世間話をしている内に焼き餅の入ったお汁粉も出てくる。
「お正月らしい」
「やはり苦みのあるお茶に甘いおやつだよね」
(「お汁粉」と「善哉」の違いは「きつね」と「たぬき」以上に難しい。関西では粒あんにお餅の入ったのが善哉で、漉しあんに白玉の入ったのがお汁粉。これに対して関東では汁気の無いものを善哉、汁気のあるものをお汁粉と言う・・・・という説を聞きますが、これについては異論も多いです。善哉は焼き餅で焼いてないのがお汁粉、あるいはお餅なら善哉で白玉ならお汁粉など諸説入り乱れています)
「あ、それで明日のKARIONのデビュー記者会見なんだけどね」
と畠山さんは、どうも本題に入ってきたようだ。
「すみませーん。それは不参加ということで」
「うん。でも歌わないなら伴奏とコーラスしてくれないかなと思って」
「うーん。まあ、そのくらいはいいですよ。多少とも関わってしまったユニットなので」
「じゃ明日9時に★★レコードに現地集合でいい?」
「はい、いいです」
「入館証あげておくね」
と言って畠山さんは、私の顔写真入りの
「∴∴ミュージック KARION 天野蘭子」
と印刷されQRコードも入った★★レコードの入館証を渡してくれた。まああそこは顔パスで入れるけどな、と思いながらも私は受け取った。
「服装は?」
「伴奏者用の衣装を用意しておくから、着替えやすい服なら何でもいいよ」
「了解です」
翌1月4日。
私はいつものように朝5時から朝御飯とお弁当を作り、朝6時に出て行く父を送り出す。その後で起きてきた母と一緒に朝ご飯を食べる。女子大生の姉はいっこうに起きてくる気配が無い。多分昼すぎまで寝ているコースだ。
「萌依はバイトとかする気は無いのかね〜?」
と母が言う。
「お姉ちゃん、その前に勉強している所も見たことない」
「・・・・就職は大丈夫なのかしら?」
「就職活動もしている雰囲気はないけど、まあどこか適当に入るのでは?」
母は「うーん・・・」と悩んでいた。
「あ、そうそう。今日は青山で伴奏の仕事してくるから。帰りは夕方くらいになると思う」
「あんたは忙しいね!」
それで私は父の目も無いしというので、セーターに膝丈スカート、ハイソックスという格好で出かける準備をする。
「あんた、最近そういう格好で出かけることが多い気がする」
「そうだっけ?」
「例の歌手するという話はどうなったの?」
「それなんだけど、社長さんが1度お父さんと話したいと言っているんだよね〜。でもお父さん、なんだか仕事忙しいみたいだし」
「あの人も休んだのは結局1月1日だけだね」
「私も何とかお父さんとゆっくり話したいんだけど」
と私は言う。
「私からも冬とちょっと話す時間取ってくれないかと言うよ」
「うん」
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