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■春行(7)

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美由紀と純美礼が「お腹空いた」というので、この階にあるビュッフェ(というよりただのフーズ売場)でブリオッシュとカフェオレを買って、景色を見ながら食べる。それでおしゃべりしていた時、近くに見たことのあるような女の子が来て、景色を見ている。あれ?あの子確か・・・と思った時、美由紀が彼女に声を掛けていた。
 
「Have you met at Narita?」
 
向こうはびっくりしたようである。
 
「Pardon?」
「That was hard time the immigration procedure at Narita」
 
美由紀にしてはなかなか良い英語だ。
 
「ああ、そちらも揉めてましたね!」
と彼女は日本語で言った。向こうもこちらを思い出したようであった。
 

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青葉の少し後に成田の出国手続きを通ろうとして、性転換者というのを証明できずに医師の診察を受けてくれなどと言われた子である。
 
彼女はリンダ・ザダカーさんと言って、日香理が推察したようにアメリカ国籍らしい。実際問題としてお祖父さんの代からアメリカに住んでいて、アラビア語なども全然知らないと言っていた。
 
「日本語うまいですね?」
「実は日本に留学しているんです」
「へー!」
「タイで性転換手術を受けたあと、親が近所の人たちに恥ずかしいとか言うもんですから。日本でいうところの《世間体が》ってやつですね」
 
「おお、日本的表現!」
「それでアジアに来たついでに日本の大学に入って。あと2年したら帰国しますけど、おばあちゃんが寂しがってるとかいうので今回は一時帰国するつもりで」
 
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「そういう話が出てくるのは良い傾向だと思う」
 
「ですよね〜。どうせ一時帰国するなら太平洋を渡らずに反対側を回って帰ってみようかと思って。ドイツのハンブルグ、イギリスのリバプールと見てから、最後フランスに来ました。このあとニューヨークに飛ぶ予定です」
 
「ビートルズの足跡みたい」
「実はそうなんです。私、日本で友人とバンドしてるんです」
「パートは何ですか?」
「私はリードギター。セカンドギターがイギリス人で、ベースが国籍はポーランドだけど実際はロマ、ドラムスが日本人です」
 
「国際色豊かだ!」
 
ロマというのは、いわゆるジプシーと呼ばれる人の一部だが、全てのジプシーがロマではない。ジプシーと呼ばれた人たちの中には様々な民族があり、文化も様々である。
 
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「Around the worldというバンドなんですよ」
「いいネーミングだと思う」
 
「ロマの子はオーソドックス、イギリス人は国教会、日本人の子は実はカトリックで宗教もバラバラなんですけどね。でも4人仲良くやってますよ」
 
「リンダさんはイスラム教ですか?」
「私は仏教です」
 
「おお、仏教徒! 私たちも仏教徒」
と言って美由紀がリンダさんに握手を求める。向こうも握手に応じて、それでけっこうお互いに打ち解けてしまった。
 
「元々インドに住んでいてパルシー教徒だったらしいですけど、お祖父さんの代に仏教に改宗して、そのあとアメリカに移住したらしいです」
「複雑ですね」
 
「成田では、前に2人性転換者が通過したのを見たので自分も何とか通れるだろうと思っていたらトラブってしまって」
 
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「医師に診察されたんですか?」
「です。CTスキャンまで取られて、卵巣や子宮が存在しないこと、前立腺が残存しているのを見て、性転換者であるという診断をしてくれました」
 
「私は出国前にこういうのを書いてもらったんですよ」
と言って青葉が医師の性転換証明書を見せると
 
「なるほどー。こういうのを取っておけば良かったのか」
と彼女も言っている。
 
「成田では診断書か何か書いてもらったんですか?」
「ええ。その診断書でドイツの入国も通りましたし、イギリスまで行ってフランスに来るのも何とかなりました」
 
「あれ?ドイツからイギリスに行くのってパスポートチェックあるんだっけ?」
「イギリスはシェンゲン協定にまだ入ってないんだよ」
と日香理が言う。
「そうなんですよ。めんどくさいですね。イギリスだけユーロじゃなくてポンドだし」
とリンダさん。
 
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「ユーロに合流するとドイツに主導権取られると思って抵抗してるんでしょうね」
「フランスへの対抗心もあるよね」
 

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話は弾んでいたのだが、移動する時刻になる。
 
「また日本で会いましょう」
などと言って、携帯のアドレスを交換して別れる。とは言っても向こうも下に降りるようで、結局一緒にエレベータに乗る列に並んだ。
 
しかし今度はこのエレベータの列がかなり長い。2階から1階に降りる時も10分ほど待ったのだが、今度の列はその程度では済みそうも無い。
 
「提案。歩いて降りませんか?」
と徳代が言い出した。
 
「え〜!?」
「階段ってどのくらいあるの?」
「350段くらい」
「金比羅さんの階段は何段だっけ?」
「本殿まで700段くらい、奥宮まで1400段くらいだったと思う」
「じゃ金比羅さんの半分じゃん。行こう」
と美由紀も乗り気である。
 
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ガイドさんも、実際に今できている列の長さからすると30分以上は待たないと乗れないだろうと言うので、結局全員で階段を降りることになった。するとその話を聞いて、リンダさんも一緒に階段の方に来た。
 
「階段から見ると、けっこうここは高い」
「57mということは15階くらいに相当するから」
「15階から地上まで降りる訳か」
 
しかしこの階段からの景色が実に素晴らしかった。下に行くにつれ町の見え方がだんだん変わってくる。
 
「これこの階段を登っていくのも気持ち良さそう」
と美由紀が言う。
 
ガイドさんも
「そうなんです。ここを登るのも景観が素敵なんですよ。もっとも身体は辛いですけどね」
などと言っている。彼女はツアー客と一緒にここを歩いて登ったことも何度もあるらしい。
 
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階段を降りたところで本当にリンダさんと別れた。
 
エッフェル塔近くのカフェで昼食を取ってからイエナ橋の所からセーヌ川の遊覧船に乗る。昼食では「疲れた〜」といってたくさん食べている子が多かった。ふだんは少食の青葉も結構食べた。
 
遊覧船はパリの名所のそばを通って行く。
 
エッフェル塔の対岸がシャイヨ宮だが、そこからケ・ブランリー博物館、パリ近代美術館、グラン・パレ&プティ・パレ、国会議事堂、チュイルリー庭園、オルセー美術館、ルーブル美術館、そしてポンヌフ(新橋)の下を通って、サント・シャペル、ノートルダム寺院。
 
とにかく見るだけ!である。
 
しかしエッフェル塔の階段が利いたのか、説明など聞かずにひたすら寝ている子も数人居た。
 
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船はノートルダム寺院のあるシテ島の先のサン・ルイ島までである。ここでバスに乗ってルーブル美術館に行く。約3時間ほどの観覧である。
 
「ここって3時間で見られるものなんですか?」
と質問がでるが
「本格的に見ようとすると3日掛けても見切れません」
とガイドさんは言う。
 
最初はタニスの大スフィンクスである。サイズは1.54×4.80m, 高さ1.83mある。だいたい日本の小型乗用車(ウィングロードやモビリオスパイクなど)規格程度の大きさといえばよいだろうか。1825年に第21王朝の首都であったタニスのアメン・ラー神殿で発見、ルーブル美術館が翌年購入したものである。
 
「大スフィンクスと言うから、もっと巨大なものを想像していた」
と美由紀が言う。
 
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「まあギザのピラミッドのスフィンクスとかと比べたらとっても小さいよね」
と日香理。
 
「ギザのピラミッドが作られたのは第4王朝のクフ王やカフラー王の時代ですが、このスフィンクスは第21王朝のもので、あの時代から1500年ほど経っています。この時代はあんな巨大なものは作らないようになっていて、スフィンクスって凄く小さなものになっていたんですよ。その中ではこのスフィンクスは充分大きな部類なんです」
とガイドさんが言う。
 
「スフィンクスが東に伝わってきて、狛犬(こまいぬ)ちゃんになったのかな」
と純美礼。
 
「そのあたりの経緯は分かりませんが、ひょっとするとスフィンクスと狛犬は共通のルーツを持つのかも知れませんね」
とガイドさんは言い、青葉も納得する思いだった。
 
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「でも、ギリシャのスフィンクスとエジプトのスフィンクスってやや性格が違うみたいね」
「うん。ギリシャのはけっこう俗化してる」
「まあギリシャ神話が形成されたのも時代が新しいから」
 
「朝は足が4本、昼は2本、夕方は3本で歩くものは、な〜んだ? ってのはギリシャのスフィンクスのなぞなぞだったよね」
「そうそう。エディプス王がそれを解いて町を救った」
「そして自分の母親と結婚する」
 
「あれ何で悲劇なんだろう。美人だったら母親と結婚してもいい気がするけど」
と美由紀が言う。
「うーん。少なくとも当時の倫理観では許されなかったと思うよ」
と青葉は言うが
 
「むしろ昔はそれが結構あったから、よくないよ、やめようよという方向に行ったのかもね」
と日香理は言う。
 
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「まあ家族であっても男女であれば、性欲を感じることはあるだろうしね」
「うん。父ちゃん殺して母ちゃんと結婚しようと考える男の子はわりと居る気がするよ」
「金枝篇の世界だね」
「でもそれ女の子の側も同様だよね。お父さんのお嫁さんになりたいと言う子はわりといる」
「まあ小さい頃限定でならね」
 
「ところでなぞなぞ」
と美由紀。
 
「ん?」
「朝は足が3本だけど、昼は2本になるのはな〜んだ?」
「いや、その回答は答えなくてもいい」
と日香理は言った。
 

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その後、通称『ミロのヴィーナス』正確には『ミロス島のアフロディーテ像』を見る。
 
「え〜?これヴィーナスじゃなくてアフロディーテなの?」
と美由紀。
「だってギリシャだもん」
と日香理。
「ヴィーナス、というか正確にはウェヌスはローマ神話の神様」
 
「アフロディーテなのにヴィーナスと言っちゃうのは、レオナルド・ディカプリオのことを草なぎ剛と言っちゃうようなものだよね」
と純美礼は言うが
 
「異議あり!」
という声が、結構離れた場所からも飛んできた。
 
「でもこの無い腕は本当はどんな形だったんだろう」
「それはもう知るよしも無いよね」
「いろいろ説はあるけど推測の域を出ないから」
「まあみんな勝手に想像すればいいんじゃないかなあ」
 
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「小説なんかもそうだよね。文字だけでは全ては伝えきれないから、伝えきれない部分は読者が勝手に想像すればいい」
 
「それで小説のドラマ化って、ファンの期待を裏切るんだよなあ」
 

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サモトラケのニケ、ホラティウス兄弟の誓い、ナポレオンの戴冠式、グランド・オダリスク、民衆を導く自由の女神、カナの婚礼と見ていく。
 
『グランド・オダリスク』はオダリスク(トルコの後宮の女性)を描いた裸婦像であるが、発表された1814年には当時の世相・批評家たちから凄まじい非難が寄せられた作品である。その解剖学的な身体特徴を無視してセクシーさを強調した描き方(この女性は肋骨が数本多いなどと言われる)は当時の画壇には受け入れ難いものだったろう。作者のアングル(Ingres)は100年早く生まれすぎたのかも知れない。
 
そして『カナの婚礼』の向い側にあるのが、今日の見学の中の最大の目玉ともいうべき『モナリザ』である。
 
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巨大な仕切り板の中央に、ただひとつ『モナリザ』の額だけが掲げられている。この絵画は度重なる「おかしな人」からの攻撃から守るため現在防弾ガラスの額に収納されている。
 
モナリザのモデルについては様々な説が飛び交い、作者レオナルド・ダ・ビンチの女装!?などという説まであったが、現在ではフィレンツェの商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リザ・ゲラルディーニ(Lisa Gherardini)であることが、2005年に当時の文書が発見されたことから、ほぼ確定している。
 
が・・・・
 
さすがにここは物凄い混雑である。
 
『モナリザ』だけがその大きな仕切り板の中央に掲げられているのだが、その前に物凄い人だかりがあって、そう簡単には絵の近くまで行けない。しかし折角はるばる日本から来たし、二度と来られないかも知れないと思うと頑張って我慢に我慢を重ねて、青葉たちは何とか絵の前まで辿り着いた。
 
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絵の前といっても柵があって5mほどの距離がある。この距離があれば物を投げつけようとしても、そう簡単には命中させられないだろう。
 
青葉も美由紀も日香理も純美礼も、写真など撮るのも忘れてその絵をじっと見ていた。
 
この絵がこれだけ世間に注目されるほどの大したものなのかどうかは分からない。でもその小さなキャンバスに、何かが凝縮されたような絵のように青葉は感じた。写真は徳代がLumixで撮影したのがかなりきれいに撮れていたので、あとでコピーさせてもらった。
 

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春行(7)

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