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■春行(4)
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ここのマルクト広場(Marktplatz)にはこの故事を再現する仕掛け時計も作られているのだが、あいにく見学に行った時間帯ではこれを見ることはできなかった。
「でも実際に大量のお酒の一気飲みって膵臓がいかれちゃうこともあるよね」
と純美礼。
「うん。急性アルコール中毒程度ならいいけど、ひどい場合には膵臓が溶けてしまうことあるらしい」
と日香理。
「膵臓が溶けたらどうなるの?」
と美由紀が訊くので
「まあ死ぬだろうね」
と日香理は答える。
「こわ〜」
と言ってから更に美由紀は
「女性ホルモンの一気飲みで睾丸が溶けるってことないんだろうか?」
などと言っている。
「怪しい同人小説だと、美少年を監禁して、そんな実験をするとかあるかもね」
などと純美礼。
「ありそう〜。このお薬飲まなかったら、あれ切っちゃうよとか脅して飲ませる」
と美由紀も言う。
「あんたたち、どんな小説読んでんのさ?」
と日香理が呆れていた。
この日はローテンブルクに泊まり、翌12日(木)は移動から始まる。
朝から列車に乗り、何度か乗り換えてお昼頃、フュッセン(Fuessen)に到着する。ここはロマンティック街道の終着点である。
バスで近郊のシュヴァンガウ(Schwangau)に移動する。ここは日本の若い女性に絶大な人気のある名城・ノイシュヴァンシュタイン城(Schloss Neuschwanstein)やホーエンシュヴァンガウ城(Schloss Hohenschwangau)などがある。
ツアーで見学するが、この場合必ず先にホーエンシュヴァンガウ城に行くことになる。薄黄色の城壁の可愛い城だ。
バイエルン王・マクシミリアン2世が、シュヴァンシュタイン城と呼ばれていた古い城を買い取って改修したもので、その息子・ルードヴィヒ2世が幼少時代を過ごした城でもある。
ホーエンシュヴァンガウというのは「白鳥の里」という意味で、リヒャルト・ワーグナーのオペラでも知られる《白鳥の騎士 Schwanenritter》ローエングリンの伝説の地でもある。この城にも多数の中世の騎士物語の絵が掲示されている。
その後、ノイシュヴァンシュタイン城に移動するが、麓まで来た所でこの日のツアーに付き添ってくれている日本人のガイドさんが言う。
「お城まで登って行くのに、歩いて行く手と馬車で行く手とバスで行く手がありますが、どれがいいですか?」
「お勧めはどれですか?」
「歩きですね。眺めが美しいですよ」
「でもけっこう大変そう」
「あなたたち若いでしょ?頑張りません?」
「歩くとどのくらいですか?」
「私の足で30分ほどです。私は毎年100回はここ登ってますよ」
みんな顔を見合わせる。ガイドさんは土木作業ででも鍛えたかのような頑丈な体付きをしている。
「ああ、腰が痛い」
「持病の癪が」
「ばあさん、お茶がうまいね〜」
音頭先生が
「みんな年寄りなのでバスで行きたいと言ってます」
と言う。
それでガイドさんは
「なんだ。みんなひ弱だね〜」
などと言って、バスでの移動を選択する。
マリエン橋(Marienbrucke)というところで降りる。ここが城のビューポイントなのである。
「可愛い!」
「きれーい!」
と言った声があがり、みんな感動している。雪景色の城は青葉にもほんとうに美しい姿に思えた。
「私、夢でも見てるんじゃないかな。殴ってみて」
と純美礼が言うので、美由紀が殴ると
「ちょっと強すぎ!」
と文句を言っている。
「でも何か童話に出てくるお城みたいだよね」
と美由紀。
「カリフォルニアのディズニーランドにある Sleeping Beauty Castle はここをモデルにしたものだよ」
と青葉が言う。青葉は2011年にディズニーランドを訪れている。
「東京のは?」
「東京のシンデレラ城の場合はフロリダのシンデレラ城の改訂版なんだけど、ヨーロッパの様々なお城を参考にしたオリジナルみたい。でもこんな高い尖塔を持つお城ってのは、他にはなかなか無いみたいだね」
と日香理が言う。
「ノイって新しいという意味?」
と純美礼が訊く。
「うん。新しい白鳥の石という意味らしい。そもそもこのシュヴァンガウという村の名前も白鳥の河口という意味。元々シュヴァンシュタイン城というお城があって、その近くにもうひとつ作ったので、ノイシュヴァンシュタイン城になった。さっき行ったホーエンシュヴァンガウ城がその古い城を改修したもの」
と日香理は説明する。
「なるほど。新大阪とか新京極などと同じか」
「まあ原理は同じだね」
「でも新高岡駅って不便だよね」
と唐突に地元の話題が出る。
「まあ私たちの住んでいる地区からは遠いよね」
「それに停まる列車も少ないんでしょう?」
「うん。だから高岡市北部の住人としては、新高岡まで行くのなら、富山駅まで直接行った方がマシという気がするよ」
「でもこの城、あと2〜3本尖塔があるともっと格好良いのに」
と言う子もいるが
「計画はされていたのですが、予算が足りなくて工事中止になったんですよ」
とガイドさんは説明する。
「このお城は15-16世紀のものですか?」
と質問があるが
「いえ。1869年に建設が始まり17年の歳月を掛けて完成しました」
とガイドさん。
「何か新しい気がする」
「先程皆さんがいらしたホーエンシュヴァンガウ城に住んでいたルードヴィヒ2世が、ワーグナーの『ローエングリン』に感銘して、そのローエングリンの世界を実現しようとして作った、実は今の言葉でいえばテーマパークなんですよ。当初から入場料を取って見学させたりしていました」
「え〜?古い遺跡とかじゃないんだ!!」
「そもそもここは居住するための施設とか礼拝堂とかも全然無かったのです。作りも鉄骨作りですし、内部には電気や水道も通っていて水洗トイレですし、エレベーターもありますし」
「夢が壊れた〜」
などと言っている子もいる。
「この建設にあまりにも多額のお金を使ったため、ルードヴィヒ2世はこの城が完成してわずか102日後に強制的に退位させられ、翌日急死してしまいます」
「それって・・・」
「まあ、暗殺されたんでしょうね」
「なるほど〜」
「ルードヴィヒ2世は頭がおかしかったと言われていて、夜中にひとりでまるで多数の客がいるかのようにおしゃべりしながら広間で食事していたりしたそうです。でも、そういう話は、この暗殺を正当化するためにでっちあげられた話なのではないかと言う人もいます」
「実は見えない人たちと食事していたんだったりして」
「ありそう、ありそう」
「でもこのお城を作ったことでたくさん観光客が来て、それで結構潤ってるんじゃないんですか?」
という声もある。
「当時今でいえば2000円くらいの高額の入場料を取っていたにもかかわらず半年で1万8千人も見学者が来たそうです」
「19世紀にその人数って凄い気がする」
「現在では年間100万人訪れているといいますね」
「ここ入場料いくらでしたっけ?」
「おとなが12ユーロ、学生割引で11ユーロですよ」
「いくらだっけ?」
「日本円では1500円くらいかな」
「昔より安くなっている気がする」
「円高のおかげでは?」
「しかし12ユーロ 1700円で100万人なら17億円でしょ。ルードヴィヒ2世は結果的には物凄い利益を現代に遺したのでは?」
「こうやって日本とかからまでこの城を見に来る人たちがいることを考えると、交通機関や宿泊・食事なども含めた経済波及効果は凄いだろうね。たぶん年間1千億円近く行ってる」
「本人はお金儲けなんて、みじんも考えてなかったろうけどね」
このマリエン橋から15分ほど坂を下りて城まで行く。途中にホーエンシュヴァンガウ城のビューポイントもあるので、そこでみんな写真撮影していた。
やがてお城に辿り着き、見学の順番をしばし待つ。やがて電光掲示板にツアー番号が表示されるので、バーコード読み取り機のあるゲートをひとりずつチケットを持って通過する。
「やはりここはテーマパークだ」
という声が上がる。
見学は2階から始まり、階段で4階にあがって、そこと5階を中心に様々な部屋を見て回るコースである。2階から4階に上るのに「北の塔(Nordturm)」と呼ばれる塔内部の階段を登るのだが・・・・青葉が変な顔をするので日香理が
「どうしたの?」
と言う。
「この塔、北の塔というけど、こちら北じゃないよね?」
するとそれを聞いたガイドさんが
「正解」
と言う。
「どの方角だと思いました?」
とガイドさんが青葉に訊く。
「西のやや北寄りだと思います」
と青葉。
「そうなんです。この塔は城の西にあるんです」
とガイドさん。
「おお、さすが人間方位磁針」
と美由紀。
「この塔は68mありまして、展望台まで螺旋階段が続いていますが、上の方は現在観光客は立入禁止になっています。ルードヴィヒ2世はこの塔のほかに高さ90mの主塔(ベルクフリート Bergfried)の建設も予定していたのですがその建設に取りかかる前に亡くなってしまったので結局建設されずに終わりました」
とガイドさん。
「今からでも建設するわけには?」
と美由紀が訊くが
「それをやると城の外観がまるで変わってしまうので、反対されるでしょうね」
「確かに」
しかしどの部屋も豪華な調度であふれており、贅沢を極めた作りになっている。4階にある寝室の彫刻は14人の職人が4年半掛けて彫ったものである。
「このベッド大きい」
「ルードヴィヒ2世は身長191cmあったそうですので」
「バスケット選手かバレー選手になれば良かったのに」
「貴族がそんなスポーツとかするんだっけ?」
「いや、そもそもオリンピックは貴族の道楽として始まったもの」
「そういえばそうだった!」
「でもこの当時バスケットとかバレーとかあったんだっけ?」
「バスケットができたのは1891年、バレーができたのは1895年」
「どちらもルードヴィヒ2世が死んだ後だな」
「残念」
「しかし残念だ」
と純美礼が言っているので、
「何で?」
と訊くと
「ルードヴィヒ2世は実は女で、王位を継ぐために男の振りをしていたのが大臣に犯されて妊娠してしまったので、出産などに至る前に殺された、なんてストーリーを考えていたのに、191cmじゃ女ってことは無いだろうなと思って」
などと言う。
「どういう妄想をしているんだか」
と日香理はまた呆れている。
「実は男の娘で、夜な夜な女装して出歩いていて、大臣の愛人になっていたので、それが露見しないように殺されたという説は?」
と美由紀。
「うーん。夜中だと191cmの身長もあまり目立たないかな」
「遠近法が曖昧になるよね」
などと、美由紀と純美礼は言い合っている。
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