【娘たちのタイ紀行】(7)

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そして江美子が3つ目の鈴について占おうとしていた時、サクラたちが何やら騒ぎながらこちらにやってきた。
 
「キラたち何食べてたの?」
「飲み物だけ」
「それではお腹空くでしょう」
「あ。マクドナルド買って来よう」
と言ってわいわい騒ぎながら、食べ物を買ってくる。
 
何だかハンバーガーを20個くらいとポテトも大量に買ってきて、どーんとテーブルに置く。
 
「一緒に食べよう」
「サンキュー」
 
占いの方はこの騒ぎで中断してしまった。
 
「でも面白いものゲットしたんですよ」
と王子が言っている。
 
「何?」
 
「これ性転換するんですよ」
「へ?」
 
王子が手にしているのはキーホルダーなのだが、見た目は背広を着た男性の姿をしている。それがピンを引っ張ると、内側に隠れていたビキニの女性の姿が露出するようになっている。
 
「やはり性転換の国ですね〜」
などと王子が言っているが、桂華が
 
「それちょっと見せて」
と言って手に取っている。
 
「これMade in Japanって書いてあるけど」
「あ〜〜〜れ〜〜〜〜!?」
 
「いやこれ九州某所で似たのを見たことあったんで」
と桂華は言っている。
 
「このデパートは見てたら中東とかからの観光客が多いみたいだから、中東から来た人にはタイも日本も似たようなものかもね」
と千里は笑いながら言った。
 

「ところでサクラはタイバーツを日本円に両替した?」
「忘れてた!」
とサクラ。
「あ、私も再両替しなきゃ」
と華香。
 
「このデパートの近くにもお店あったはずだよ。行っておいでよ」
と千里は言う。
 
サクラが高額の現金を持っており、彼女たちだけでは不安なので、デパート内にいるはずのアミさんを呼び出し一緒に行ってもらった。
 
彰恵・江美子・桂華も一緒に残金を両替すると言って付いて行った。千里と玲央美はバーツをちょうど使い切るくらいまで使っており、残金は少ないので両替せずに残りはそのまま持ち帰ることにした。
 

手帳を見ていた玲央美が言った。
「今日はたぶん私と千里が大濠公園で会った日だよね」
「ああ。一緒にジョギングした日か」
「あれから何年経っているんだろう」
と玲央美は半分独り言のように言う。
 
「まあ歴史上は同じ日なんだけど、実際には半年経っているし、私の身体の年齢で言うと、あの日の私は2008年5月20日、今の私は2011年3月30日だよ。だから2年10ヶ月経っている」
 
「その約3年であの細かった腕がここまで太くなるのか」
などと言って玲央美は千里の腕を触っている。この子も結構腕フェチだよなと思う。
 
「女の子としてはちょっと悲しいけどね」
「でも千里って、彼氏ができたことで割と開き直って身体を鍛えたんでしょ?」
「それはあるかもねー。彼も私が身体を鍛えることを望んだし。玲央美はいいの?」
「私はそのうちバスケットボールと結婚式を挙げるから問題無い」
「なるほどー」
 
玲央美もちょっとレズっぽいよなという気はする。恐らく男の子にはあまり興味は無いのではなかろうか。むしろ玲央美のような子を満足させきれる男の子というのも、めったに居ない気がする。
 
「あれ?」
と玲央美が声を出す。
 
「どうした?」
「2011年ってことは千里何歳になる?」
 
「身体の上では20歳になったばかりかな」
「アンダー19じゃない」
「心は19歳ということで」
「うーん。。。まあいっか。男でなければ」
「そうだね。女だからいいよね」
 

「あ、そうそう。インターハイ、優勝おめでとう」
と千里は言った。
 
「ありがとう。純子が頑張ったね」
と玲央美。
 
「まあおかげで、うちはウィンターカップに行ける」
「この時点でN高校がウィンターカップに出場することを知っているのは私たちだけだね」
「うふふ」
 
この日日本の大阪ではインターハイの決勝戦が行われ、札幌P高校が東京T高校を下して2年連続優勝を達成した。MVPには札幌P高校の渡辺純子が選ばれた。純子は得点女王も取った。スリーポイント女王は岐阜F女子校の神野晴鹿が取った。千里の愛弟子である。
 
ベスト5には、渡辺純子、神野晴鹿、江森月絵(札幌P高校)、鈴木志麻子(岐阜F女子校)、夢原円(愛知J学園)が選ばれた。
 

タイの千里たちは、一息ついたところで、タイ料理で有名らしいお店で夕食を取った。ここで早苗も合流した。その後、ずっとお世話になったアミさんにお礼を言って別れ、選手団一同はスワンナプーム国際空港に向かう。
 
「次は来年の10月、U20アジア選手権だからね〜。みんな予定空けておいてよ」
と高田コーチはみんなに声を掛けていた。
 
「日程はいつですか?」
と彰恵が訊く。
 
「10月14-25日が大会。4月に代表候補を発表して、その後何度も合宿をする。9月頃、最終的な代表を決める。まあ竹宮君や花和君たちも候補には招集されるだろうけど、君たちも間違い無く招集するからよろしく」
と高田さんは言う。
 
おそらく今回16年ぶりの決勝トーナメント進出ということで、バスケ協会の上の方からは、来年のアジア選手権も基本的にこのメンバー中心でと言われたのだろう。
 
「場所はどこですか?」
「インドのチェンナイの予定」
「インドかぁ」
「それ、昔マドラスと言っていた町ですよね?」
「そうそう。現地名で呼ぶようになったから」
 
「ヨーロッパには行かないんですか?」
「アジア選手権だから」
「あっそうか!」
「次のU21世界選手権はアメリカのアトランタ」
「おぉ!行きたい」
「来年のアジア選手権でも優勝して、アトランタに行こうよ」
 
「私、日程大丈夫かな?」
と王子が言っているが、
 
「U20アジア選手権はもしかしたらウィンターカップの県予選とぶつかる可能性があるよね。でもそれは後輩たちに頑張ってもらおうよ」
と高田コーチは言っていた。
 
「U21世界選手権の方はどうですかね?」
と彰恵が心配そうに言う。
 
王子が出られるのと出られないのとでは戦力がまるで違う。特に体格の良い外人選手相手に王子は絶対欲しい。
 
「U21世界選手権は例年7月末か8月にあっていて、いつもインターハイとぶつかっていたんだけど、2011年の場合、会場になるアトランタでその時期には別のイベントがあるらしくてね。それで6月になったんだよ」
 
「じゃインターハイとぶつかりませんね。良かった!」
 
「インターハイの県予選とはぶつかる可能性があるけどね」
と高田コーチ。
 
「キーミンは県予選には出ずにインターハイだけに出るということで」
とサクラが言う。
 
「まさにプリンスにふさわしい出場の仕方だな」
と江美子は言った。
 

「でもU20アジア選手権,U21世界選手権は次が最後になりそうなんだよ」
と高田コーチは言う。
 
「無くなるんですか?」
「今度U16アジア選手権、U17世界選手権ができたんで、その代わりにU20/U21はやめようかという話なんだよね」
 
「あらぁ」
「君たちの世代まではU21をやるけど、その次の世代からはU19の後はもう大人の大会になるね。ただし大学生はユニバーシアードもある」
 
「ああ」
「この中で大学に進学している子には声が掛かると思うよ。次は2011年中国の深圳(シェンチェン)」
 
「今年うちの吉本が行って来ました。決勝ラウンドには行けずに9位でしたけど」
と朋美が言っている。
 
今年のユニバーシアードは7月1-11日にセルビア(旧ユーゴスラビア)のベオグラードで行われた。
 

千里たちは23:50発の成田行きに搭乗し、翌日8月4日朝8:10に到着した。みんな機内ではひたすら眠っていた。
 
天津子のネックレスは通関の間《たいちゃん》に持ってもらっておいた。
 
『この方法なら、覚醒剤とかも密輸できるな』
などと《りくちゃん》が言う。
 
『そんなの密輸してどうすんの?』
『覚醒剤はあまり楽しくない。***が楽しい』
『私まだ人間辞めたくないから』
『千里が本当に人間なのかどうかは俺は疑問を感じる』
『ああ、私も時々自信無くなることある』
 
《りくちゃん》の言っている意味と千里の言っている意味は微妙に食い違っているのだが、お互い深く追求しないことにした。
 

入国手続きをした後、都内のホテルに行く。ここでお揃いのパンツスーツ姿に着替えてから、まずバスケ協会会長でもある麻生太郎首相に結果報告をした。麻生会長(首相)は16年ぶりの決勝トーナメント進出7位、玲央美がアシスト女王、千里がスリーポイント女王というのに満面の笑みで「よくやったね。頑張ったね」と言って、選手全員と握手した。
 
記念品として白いオパールをブロンズ製のフレームで留めてバスケットボールの模様にした半球状のブローチと金一封の封筒をもらった。このブローチは世界大会で活躍した女子選手に贈るものらしいが、制作したのは久しぶりらしい。今回の大会で日本が決勝トーナメント進出を決めた段階で、急遽発注し、大急ぎで制作したと後から聞いた。
 
「おお、金一封嬉しい!」
と王子が声を挙げるのを麻生会長は楽しそうに見ていた。
 

そのブローチを全員、スーツの胸に付けて記者会見をした。監督に続いて朋美キャプテンが成績報告と支援に対する感謝の言葉を言い、そのあと賞をもらった玲央美と千里もひとことずつ求められた。
 
千里は事前に高田コーチと一緒に作文した内容の感謝の言葉、そして今後更に研鑽してもっと上を目指しますという誓いの言葉を述べた。
 
その後、バスケ協会の幹部さんたちと一緒にそのホテルで昼食会をしてから解散となった。
 

王子は都内に1泊してから、明日くらいの便でアメリカに戻ると言っていた。
 
「実家には顔を出さなくていいの?」
「え?顔出すもんですかね?」
「お母さんは顔を見たいと思うよ」
「そんなものかなあ」
「一度行っておいでよ」
 
と千里たちだけでなく、サクラや華香からも言われたので、結局王子は一度岡山に戻った後、再度アメリカに行くことにしたようである。
 
「タイに行って息子が性転換して女になってしまったりしてないか心配かもよ」
と百合絵が言うと
 
「大丈夫です。ちんちんはちゃんとあります」
と王子は言っている
 
朋美に没収されていたちんちんは飛行機に乗った後で返してもらっていた。
 
「息子が性別を隠して女子選手していたら、親としては気が気じゃ無いよね。そのうち本当の女になりたくなるのではって」
「あはは。私、お嫁さんもらうのもいいかなあ」
「キーミンのお嫁さんになりたいって言う女の子はきっとたくさんいる」
「私、人生考え直したくなるな」
 

「でも実は倉敷までの電車賃が無くて」
などと王子は言い出す。
 
「それ私が出してあげるよ」
と千里は言った。
「すみませーん」
 
「ついでに、きみちゃん、みんなからいくら借りたか書き出してみてよ」
と千里は言った。
 
しかし王子は全く覚えていない。
 
それで千里は全員に王子にお金を貸していないか。貸したならいくら貸したかを聞き出した。高田コーチにも借りていたよと桂華が言うので、高田さんも呼び出した。
 
すると、ほぼ全員から合計40万円借りていたことが分かる。借りていなかったのは彰恵だけであった。「怖そうだったので」などと言っていた。彰恵が苦笑していた。
 
その全員に千里は代理で返済した。
 
高田コーチが「村山君はお金大丈夫なの?」と聞くが「ちょっと臨時収入があったので」と答えておく。
 
全員に返し終わった所で
 
「あとはきみちゃんが私に返してくれたらいいから」
と王子に言った。
 
「分かりました!」
 
千里はこの問題は放置していたらチームの和を乱しかねないと心配したのである。お金の問題はみんな表面的にはあまり言わないものの、結構あとあとまで尾を引きやすい。
 
「それとこれ倉敷までの往復の新幹線代ね」
と言って1万円札を4枚渡した。
 
「助かります」
「少し多いと思うからお母さんに何かお土産でも買っていくといいよ」
「そうします」
 

朋美は夏休み期間中、早苗の所属する山形D銀行にお邪魔してそちらの練習に参加させてもらうと言っていた。
 
「悪いこと言わない。あそこの寮はやめといた方が良い」
と玲央美が言う。
 
「やはりあそこ出た?」
と早苗。
 
「千里が毎晩除霊していた」
「うーん。じゃ、私んちに泊まる?」
「それでもいいよー」
「同棲だな」
 
「それでもいいよー。私処女じゃないし」
と朋美。
「私、まだ処女なんだけど」
と早苗。
「ひと夏の体験になるかな」
 

彰恵と百合絵は名残惜しいねと言って、今日一日一緒に遊んでから帰るということだった。
 
「そちらもデートか」
「うーん」
「私は彰恵と結婚してもいいけど」
「ちょっと待ってくれ」
 

みんなと別れてから千里は天津子に連絡を取った。
 
「天津子ちゃん、ネックレス持ち帰ったけど、どこで渡せばいい?」
「今東京ですかね?」
「そうそう」
「明日、東京に行って受け取りましょうか?」
 
それは困る。千里は今の時間の流れの中には今日までしかいられないのである。といって郵送などができる品物ではない。眷属に届けさせる手はあるが、あまり自分の眷属を他人には見せたくない。
 
「それがまた合宿とかに入らないといけないんだよ。何とか今日中にどこかで受け渡しができないかなあ」
 
「うーん。。。。千里さん、青森か岩手には来られませんよね?」
「盛岡か八戸までなら行けるかも」
 
この時代は東北新幹線は八戸までしか通っていない。
 
「でしたら盛岡まで出てこられます?電車賃は私が出しますので」
 
「ちょっと待ってね」
 
千里は時間を調べた。今14時である。今から東京駅に行けば14:40の新幹線に乗れる。盛岡に着くのは17:52。それで天津子にネックレスを渡してそのまま東京にとんぼ返りする。18:41盛岡発で東京に21:08に到着する。
 
「行けるよ。今から行けば17:52に盛岡に着く」
 
「あぁ。。。。ごめんなさい。私今面倒な場所にいるので、盛岡に出られのは21時頃になるんですよ」
 
それで調べてみると、21時過ぎに盛岡を出て東京に戻ってくる便は無い。
 

「困ったなあ」
と言っていた時、隣に居た玲央美が言った。
 
「千里、車で盛岡まで往復したら?」
「あっそうか!その手があった」
 
車であれば遅い時間に盛岡を出ても朝までに戻ってこられるはずである。
 
「じゃ車で往復するから、22時くらいに盛岡駅というのではどう?」
「はい。それでは22時に盛岡駅で。ガソリン代・高速代は出しますから」
「サンキュ、サンキュ」
 

交代のドライバーがいた方がいいだろうから自分も付いていってあげるよと玲央美が言うので、一緒に車を置きっ放しにしていた北区のナショナル・トレーニング・センターに移動した。
 
「それに私、千里にくっついてないと、元の時間に戻れないかも知れないし」
「うん。明日の朝までふたり一緒にいた方がいいよね」
「そのセリフ、凄い誤解を招くね」
「ん!?」
 
顔パス!で合宿所に入る。
 
「ところで王子の借金は清算したけど、私たちが藍川さんから借りたお金はどうすればいいんだろう?」
「たぶん元の時間に戻ってからの精算になると思う。こちらではキャッシュカードは使えないみたいだから」
「うん。使えなかった。でもクレカは使えた」
「クレカはタイムパラドックス起こしにくいからね。たぶん1月の請求になる」
「なるほどー」
 

千里たち以外にも何人かここに荷物を置いていたようで、構内で渚紗・華香とも遭遇した。
 
「千里。今回の世界選手権は凄く刺激受けた。私頑張って練習して、来年のアジア選手権ではスターターを奪い取るから、よろしくね」
と渚紗は言った。
 
「うん。私も奪われないように頑張るよ」
と千里は笑顔で言って彼女と握手した。
 
彼女は現在、茨城TS大学に在学しており、彰恵・桂華のチームメイトである。
 
その3人とは、元の時間の千里たちが数日後にシェルカップで対戦することになる。
 

「華香はここまで大学の授業ほとんど出てなかったんでしょ?大丈夫?」
と華香にはこちらから声を掛けた。
 
「卒業が1年伸びるのは確実だけど、3年半後に中退する手もあるかと思っている。大学卒業の資格が必要な所に就職するつもりはないし。大学生であるという状況を4年間キープできれば問題無い」
「なるほどー」
 
「仮面浪人ならぬ仮面大学生だな」
 

事務所で声を掛けてから駐車場の方に行こうとしたら、顔見知りの事務の女性が寄ってきた。
 
「村山さん、メッセージが届いてましたよ」
と言う。
 
何だろうと思い、受け取ると藍川真璃子からである!
 
《千里ちゃん、玲央美ちゃん、お疲れ。7位とスリーポイント女王、アシスト女王、おめでとう。インプレッサに2人で乗って盛岡まで行って》
とある。
 
「このメッセージいつ来たんですか?」
「皆さんがタイに出発なさってすぐ頂いたんですよ。タイに転送した方がいいかなと思ったのですが、メッセージを持って来られた方は、帰国後でいいのでとおっしゃったので、そのまま預かってました」
 
つまり、今回の成績を藍川さんは千里たちが出発する前に知っていたことになる。それは要するに7月の藍川ではなく、12月の藍川なのだろう。
 

「ちょうど良かったね。これ名古屋に行ってとか言う話だと困ってた」
と玲央美。
「うまい具合に出来ているみたい」
と千里。
 
千里はこういう予定調和になることが多いのだが、そのことを千里自身はあまり意識していない。
 
「あ、盛岡行ったら、わんこそばでも食べようか」
「レオってもう食事管理してないんだね?」
「うん。疲れた」
「それもいいかもね〜」
 
恐らく高校時代はお母さんとの確執などもあって、自分を厳しく縛っていたのだろうが、どこかで開き直ってしまったのだろう、と千里は思った。
 

旅の荷物をインプレッサの荷室に積み込む。そして、千里が運転席に座り、玲央美は後部座席に行って、シートベルトをしたまま座席を大きくリクライニングさせ、乗せている毛布もかぶって仮眠した。
 
2時間交代で運転しようということにしていたので、那須高原SAで玲央美に交代、前沢SAでまた千里に交代し、20時頃盛岡ICを降りた。
 
「じゃレオちゃんの要望に従ってわんこそばを食べに行こう」
と千里は言い、盛岡市内でわんこそばをやっているお店に行く。
 
お店に入ろうとした所で、バッタリと見たことのあるような外人さんに出会う。
 
「マドモワゼル・ナミナタ・マール?」
「ムラヤマ・チサトさん?サトウ・レオミさん?」
 
どうも日本語で通じるようだというので以後は日本語の会話になる。
 
「おそば食べるの?」
「私たちわんこそば食べに来た」
「おお!じゃ一緒に食べません?以前別の店で挑戦した時は98杯でギブアップして認定証もらいそこねた」
 
「マールさんが認定証に届かなかったとは、なかなか手強いな」
 

それで3人で一緒にお店に入る。
 
「えっと・・・」
と言ってお店の人はどうもこちらの性別で悩んでいるようなので、千里は笑顔で
 
「わんこそば、女性3人で」
と言った。
 
「あ、3人とも女性の方でしたか」
とお店の人は言って
「女性の方でしたら、お試し15杯コースというのもありますが」
と言う。
 
「いえ、食べ放題コースで」
と言ってチケットを買って中に入る。
 

「マールさん、今どこのチームにいるの?」
と千里は席に着くと彼女に聞いた。
 
ナミナタ・マールは岩手D高校に来ていたセネガルからの留学生である。千里たちと同じ学年だったので、もう高校は卒業したはずである。
 
「岩手県内の**大学にいるんですよ」
「おお。だったら今年はインカレですね」
「うーん。出られたらいいですけどね」
「マールさんが活躍すれば行けるでしょ」
と千里は言うが、彼女は何だか考えているようである。
 
「ムラヤマさんはどちらのチームですか?」
「私はクラブチームに入っているんですよ。千葉県の方なんですけどね」
「へー」
「あそこは実質昨年出来たようなチームだよね」
と玲央美が言う。
 
「うん。それ以前の歴史もあるけど、ほとんど休眠状態だったから」
「そういう新しいチームいいですね」
とマール。
 
「玲央美の所なんて、まだ設立前だ」
「新しくチームを作るんですか?」
「まあ乗っ取るといった方がいいかな」
「凄い。そちらもクラブチームですか?」
「私の所は実業団」
「へー」
 

時間帯的にはもう夕食時を過ぎているので、店内はわりと空いている。少し離れた席に、40代くらいの夫婦と子供3人の家族がいた。高校生の男の子1人、中学生の女の子2人かなと千里は思った。女の子2人は年齢の上下がどうもよく分からない。姉かな?と思った方が、極端に顔の表情が無いのが気になった。発達障害の一種だろうかなどとも思う。
 

少し待つ内にお店のスタッフさんがやってきて
「本当に挑戦なさいますか?」
と言う。
「やります」
と玲央美が楽しそうに答えた。
 
わんこそばが始まる。
 
最初にお椀に入っているのはつゆだけである。しかしそこに、わんこに入ったおそばが投入される。それを食べると即次のが投入される。
 
早食い競争をしている訳では無いのでマイペースで食べていいのだが、とにかく椀が空になれば即次のそばが投入される。
 
「これすごいね〜」
「なんか楽しいね〜」
 
などと言いながら千里と玲央美はおそばを食べていた。マールは
 
「つゆはあまり飲まないようにして麺だけ食べないと100杯までたどり着けませんよ」
などと言っている。
 
「だけどこれおそば自体美味しい」
「うん。凄くいいおそば使ってる」
「前食べた所より美味しいです」
 
向こうの席に座っている家族連れはこちらを見て何か話している。向こうはごく普通のおそばを食べているようだ。
 

かなり食べた所で、千里はこのあたりで限界と思って、お椀にふたをした。ふたをすればそこまでというルールである。
 
すると千里がふたをしたら、そばに付いていたお店の人が言う。
 
「今のちゃんと全部食べました?残してません?」
「食べましたよ」
「見せて下さい」
「ええ」
と言って千里がふたを取ると、お店の人は即そこにそばを放り込む。
 
「あっ!」
「はい。食べましょう」
「やられた!!」
 
「それ私も前回やられた」
とマールさんは言っている。
 
それで千里はそこに放り込まれたものまで食べて即ふたをし、その後は何を言われてもふたを取らなかった。
 

結局千里は108杯、玲央美は130杯、マールも102杯食べて、3人ともお店から認定証をもらった。
 
「美味しかったね〜」
「また来たいね」
 
と千里と玲央美は笑顔で言い合ったが、お店の人は
 
「二度と食べたくないとおっしゃる方が多いんですよ」
と言って笑っていた。
 
「いや、私はもう挑戦しない」
などとマールは言っている。
 
その後お茶を飲みながら少し休んでいた。
 
「でもさすがにお腹が膨れたね」
「レオ、まるで妊娠しているみたい」
「千里もそれ臨月のお腹だよ」
 
その時ふと千里は思い出した。昨年秋にアジア選手権から戻って来て貴司とひとばん過ごした時に、貴司は避妊具を付けずに千里とセックスしたが、そのことで、千里は
 
「もしあの日妊娠したら予定日は来年の8月4日」
などと貴司に言った。
 
そのことを話すと玲央美も面白がっていたので、千里の大きくなったお腹を玲央美に千里の携帯で写真を撮ってもらい、それを貴司に送信した。
 
貴司とはタイムパラドックスを起こさないようにするためか、電話はつながらないのだが、この写真はメールできそうな気がした。
 
案の定送信成功し、貴司からは即
「千里、本当に妊娠してたの!? いつ生まれる?」
というメールが返ってきた。
 
千里と玲央美はそのメールを見て、大笑いした。マールさんは
「いいんですかぁ?」
と言っていた。
 

玲央美が「ちょっとトイレ」
と言って席を立った時《いんちゃん》が言った。
 
『千里、金色の鈴を渡せる相手が近くに居るけど、渡してきていい?』
『ほんと?よろしく』
 

その日、青葉は姉の未雨を連れて一緒に彪志の家に行った。この日彪志の父はお店が定休日なので、一緒に盛岡にでも遊びに行かないかと誘ったのである。青葉の家が貧乏で、夏休みなのにどこかに連れて行ってもらうなどというのもないようだというので、連れて行ってあげましょうよと文月が提案したのである。文月としても、盛岡で少しお買い物などしたいと思っていた。田舎暮らしでは、買物にも不自由することが多い。
 
それで宗司のCR-Vに宗司・文月・彪志・青葉・未雨と乗って盛岡まで行ったのである。
 
盛岡では買物したいという文月を商店街に降ろした後、宗司の運転で盛岡城址、県立美術館、啄木賢治青春館などを回った。宗司は足が不自由なので車の中で休憩しており、子供3人で見て回る。実は未雨をダシに使って青葉と彪志がデートしているようなものなのだが、無邪気な未雨はそのことには気付いていない。
 
彪志自身、この日のふたりを見ていて、この姉妹って精神年齢が逆だななどとも思っていた。いつも青葉が未雨を保護してあげている感じなのである。
 

ところで彪志は数日前から気になることがあったので、未雨がトイレに行っている間に青葉に訊いてみた。
 
「青葉さ、2〜3日前からかな。急に女らしくなった気がするんだけど、何かあった?」
「え?」
 
青葉はその言葉がまるで彪志の『愛の告白』のように聞こえたので真っ赤になった。
 
「もしかして去勢手術とかしたとか?」
「へ?」
 
どうも自分が思ったのと少し違う意味で言ったようだと気づき少し焦る。しかし実は青葉も思い当たる節があった。
 
「そういえば私、こないだも言ったように、あの付近を機能停止させているんだけどさ」
「うん」
「それが何というかな。機能停止しているだけじゃなくて、まるで存在していないかのような感覚になっちゃったんだよね。あれいつからかな・・・・・日曜日の朝起きた時から」
 
「存在はしているの?」
「存在してるよ。念のため見てみたし」
「存在しているかのように見えて、実は幻だったりして」
「うーん。そう言われると自信無いな」
 
「触った感触はあるんだっけ?」
「それは無い。ブロックしてるから。触る感触はあっても触られる感触は無い。洋服とか触っているのと同じ」
 
「洋服なら簡単にリフォームできるのにね」
「リフォームした〜い」
 

夕方、未雨が『ハリー・ポッターと謎のプリンス』を見たいというので一緒に映画館に行き、そのあと晩ご飯を食べてから帰ろうということで、おそば屋さんに入った。
 
わんこそばで有名なお店のようで、お店の人から「挑戦なさいませんか?」などと言われたものの「無理無理」と断って、ふつうのおそば定食を頼んだ。
 
それでおそばを食べながらのんびりと団欒のひとときを過ごしていたら、少し離れた所にある畳の席に、20歳前後の日本人2人と背の高い外人さんが入って来た。一見すると日本人女性1人と日本人男性1人に外人男性1人にも見えたのだが、青葉はハッキリと波動で3人とも女性であることを確認する。
 
彪志や未雨が一瞬性別の判断を悩んだふうの女性は身長が180cm以上ある感じである。ショートカットでもあるので彪志は悩んだようだが、青葉が
 
「間違い無く3人とも女の子だよ。チャクラの回転が女性型だから」
と言うと
「へー」
と言っていた。一見して女性と分かった人は身長167cmくらいだろうか。物凄く長い髪である。青葉は私もあのくらい伸ばしたいなあ、などと思った。青葉はショートカットの背の高い方の日本人女性が、かなりの霊感の持ち主であることも認識した。あの人、巫女とかもできそうなどと考えていた。
 
(それで青葉は玲央美の方ばかり見ていたので『あまり霊感は無さそうな』千里の方はほとんど見ていない)
 

見ていると3人はわんこそばを食べ出す。外人さんは行けるかなと思っていたのだが、日本人女性2人もなかなかである。ふつうなら女性は40-50杯でギブアップする人も多いのだが、3人が食べたおわんの数を目で数えていると、あっという間に50杯を越え、70杯を越え、100杯に到達する。
 
「凄いね」
 
と彪志は言っている。彪志は一度中学生時代にわんこそばに挑戦してみたことはあるものの、90杯でギブアップしたらしい。
 
「あと少しで認定証もらえるよ、と言われたけどもう無理だった」
「あの人たちよく入るね」
 
「スポーツ選手かしら」
と文月が言う。
 
「背が高いからバスケかバレーかもね」
と宗司は言った。
 
結局、その長髪で167cmくらいの女性が108杯、ショートカットで180cmくらいの女性が130杯、外人さんも102杯食べたようである。お店から認定証をもらって喜んでいた。青葉たちはついつい彼女たちの食べっぷりをずっと見ていた。
 

彼女らの挑戦が終わった所で青葉はトイレに行きたくなった。それで席を立ってトイレに行く。むろん女性用のマークがある方に入る。中には個室が2つあったが、ふたつとも空いているので、その内の奥側に入る。
 
青葉の後、別の女性が入って来たようで、隣の個室に入った。その後更にもうひとり入って来たようである。青葉は早く出なきゃと思い、あのあたりを拭いてあの付近が目立たないようにアンダーショーツで押さえ込んでからショーツをあげる。
 
(この時期、青葉はまだタックのことを知らない)
 
そしてスカートの乱れを直し、水を流して個室から出た。
 
個室の前には37-38歳くらいかなという感じの女性が立っていた。青葉が手を洗いに洗面台の方に行ったが、その女性は個室に入らないようである。青葉が手を洗った後で、あれ?と思い、手をハンカチで拭きながら何気なくそちらを見たら、彼女は青葉の所に寄ってきて言った。
 
「こんにちは、青葉ちゃん」
「私を知ってるんですか?」
「女子トイレ使うのね?」
「私、女の子のつもりです」
「うん。それでいいんだよ。それでね、これあげる」
 
と言って彼女が金色の鈴を出す。青葉は反射的に左手の掌でその鈴を受け取ってしまった。するとその鈴はそのまま青葉の掌の中に吸い込まれてしまった。
 
「え!?」
 
「その鈴は生命力を活性化させる力がある。自分が疲れた時にその鈴を鳴らすと、活力が湧いてくるし、青葉ちゃんがヒーリングする時に、その鈴を使うとヒーリングの力がパワーアップするから」
 
青葉はじっと彼女を見ていた。
 
「あなたは誰ですか?」
「私は美鳳さんのしもべ」
 
「美鳳さんのか!」
と言って青葉は思わず笑顔が出た。
 
青葉は顔面にロックを掛けているのに、この時はそのロックを破って笑顔になったので、そのこと自体に青葉はびっくりした。
 
「じゃ頑張ってね」
と言って彼女は今青葉が出てきた個室の中に入った。
 
青葉は出羽の方に向かって
「美鳳さん、ありがとうございます」
と言って、トイレから出た。
 

その時美鳳は思いがけないタイミングで青葉から話しかけられたので、飲んでいた檜山茶を喉に詰まらせ、ゴホッゴホッとした。
 
え〜っと何だっけ?と思ったものの、トラブルとかではないようなので、まあいっかと思った。
 
そういう訳で美鳳は青葉が使う「秘密兵器」の3番目である《鈴》については何も知らないのである。
 

一方、青葉はこの鈴の力を使って宗司のヒーリングを八戸に転勤する直前まで半月続けた結果、宗司は松葉杖無しで何とか歩ける所まで回復したのであった。
 
宗司は青葉に感謝して、ちょうど保険会社から入金した交通事故の見舞金100万円の半分の50万円を青葉に渡した。青葉は高額の礼金にびっくりしたものの、彪志は
 
「これで2〜3ヶ月は、青葉も未雨ちゃんも餓死しなくていいよね」
 
と言い、青葉も一瞬無表情の中から微笑みの表情が出て
「ありがとう。何とか1年くらいは生き延びられるかも」
と答えた。
 

千里は《いんちゃん》から鈴を渡して来たという報告を受けると、トイレから出てきた玲央美に言った。
 
「行こうか」
「藍川さんの用事は?」
「済んだ」
「へー!」
 
「マールさんもちょっと付き合いません?」
「あ、はい」
 
お店を出たのが21時すぎだったので、いったんそのまま盛岡駅に行く。千里が運転席、助手席に玲央美、後部座席にマールを乗せたが、駅に着くと玲央美に運転席に座って待っていてもらい、千里は天津子の波動を探した。まだ時刻には早いが天津子の性格なら早めに来ているだろうと踏んだ。
 
果たして駅の近くの不動産屋さん!にいるのを見つける。
 
お店は閉まっていたものの灯りは付いている。ノックして
「海藤天津子さん、います?」
と声を掛けると、開けてくれた。
 
「こんな所に居るのを見つけるって、さすが千里さん!」
などと彼女は言っている。
 
「これ大事な物」
と言ってネックレスの入った紙袋を渡す。
 
「ありがとうございます。嬉しい」
 

「ところで千里さんはこの物件どう思います?」
といって、どこかのアパートの写真を見せる。
 
「1年後に住人が隣人を刺し殺す」
と千里は言った。
 
「きゃー!」
と不動産屋さんのおばちゃんが悲鳴を上げる。
 
「そこまで具体的なことは私には分からなかった。買っちゃいけない物件とは思ったんですが」
と天津子は言っている。
 
「ここ買い取らないことにします」
と不動産屋さんは言っていた。
 

一緒に不動産屋さんを出る。
 
「不動産のことまで見てもらってありがとうございました。これ、交通費です」
「ありがとう」
と言って千里は封筒を受け取る。
 
「忙しいみたいね」
「夏休みの間に貯まっている仕事をこなしているんですよ」
「大変だね!」
 
天津子は青森にとんぼ返りすると言って駅構内に入っていった。千里は駅の近くにインプが無いのを見ると、少し考える風にした後、駅から離れて少し歩いた所にあるコーヒーショップに入った。
 

「ほんとに来た!」
と言ってマールが驚いている。
 
「だって、ここに2人がいるのに気づいたからね」
と千里。
「千里は人探しが凄く上手いんだよ」
と玲央美は言っている。
 
千里はコーヒーとローストビーフサンドを頼んだ。玲央美はコーヒーとポークバーベキューサンドを頼んだらしい。
 
「ふたりともよく入りますね!」
とマールが言っている。彼女はコーヒーだけのようである。
 
「だってね」
「うん」
「さっきは炭水化物ばかりだったし」
「蛋白質もバランス的にとっておきたいよね」
 
と千里と玲央美は言っているが
 
「私は2〜3日何も食べられない気がします」
などとマールさんは言っている。
 

それでしばらくたわいもないおしゃべりをしていたが、やがて
 
「やはり言っちゃおう」
と言って彼女は話し始める。
 
千里も実は彼女が何か話したがっているなと思ったので、おそばやさんを出る時にマールを誘ったのである。
 
「実は帰国しようかとも思っていたんです」
「ああ、それで悩んでいたんだ?」
 
「ほんとうは日本の工学博士取ってくるように言われて出てきたんですよ」
「凄いな、それは」
 
「だから取らずに帰国したら、これまでもらった学費を返さなきゃいけないんですけどね」
 
「国か何かから留学費出てたの?」
「国から半分と、岩手D高校を運営しているT学園から半分だったんです」
「なるほど」
「T学園から出たお金は渡航費と高校3年間の学費だけで、これは返さなくてもいいんですけどね」
 
「今の大学に何か問題があるの?」
「実はよく調べずに入ったら、この大学出て工学博士取った人、あまり居ないみたいで」
「え〜〜!?」
 
「それと差別もきつくて」
「あぁ・・・・」
「それでちょっと精神的に参っちゃって。実はバスケット部でも全然使ってもらえないんですよ」
「あらら」
 
「もう1人アメリカ人の白人選手がいて、監督は彼女ばかり使うんです」
「うーん・・・・」
「技術的にこちらが負けているなら納得するんですけど、負けない自信があるんですけどね」
 

「いっそ東京に出てこない?」
と玲央美は言った。
 
「東京ですか?」
「東京は外人さんは、白人も黒人も東洋人もたくさんいるから、まだ状況がいいと思うよ。田舎はどうしても閉鎖的だから」
「そうかも知れない」
 
「滞在費なら何とかさせるよ。うちのチームにはフランス出身でアルジェリアとスーダンのミックスの選手もいるから、居心地いいと思うし」
 
「え?でもそれなら外国人枠は・・・」
「彼女は日本国籍だから問題無い」
「へー!」
「でもフランス語が話せないんだよ。フランス生まれだけど、小さい頃に日本に来たから」
 
「ああ。それは問題無いです。私も実はフランス語やや怪しい。むしろ今はもう日本語の方がうまく使えます」
とマールさん。
 
「スーダンとセネガルって、民族的には近いんだっけ?」
と千里が訊く。
 
「セネガルはアフロ・アジア系で、スーダンはナイル系なので、かなり遠いですね」
「ほほぉ」
「でもアルジェリアはまだ近い」
「ああ」
 
「たぶん日本語でコミュニケーション取った方がいいな」
 
「大学続けて博士号目指すなら、関東方面の大学に入り直せばいい」
「ああ、その手もあるか」
「滞在が延びたらペナルティある?」
「学費・滞在費がその間出ないだけで、在学中であれば文句言われないと思います」
 
「じゃ関東方面の大学に移っておいでよ」
「でも実業団なんでしょう?大学行きながらとかいいんですか?」
「問題無い。実業団には、会社と契約する社員選手と、チームと契約するプロ選手がある。プロ選手になればいいんだよ。実際うちのチームは全員プロ選手」
 
「へー!」
 
プロと言っても現在の給料聞いたら考え直したくなるだろうなと千里は思った。しかしどっちみちシーズン途中の移籍はできない。来春からの参加になるならもう少し出るだろう。誠美たちのシーズン途中での移籍は日本代表に参加した帰化選手の処理に伴う玉突き退団になった誠美を救済する特例措置であった。
 
「あのチームもバラエティ豊かだよね」
「うん。元々2つの実業団を合体させてるから、空気が混じり合っているし、ママさん選手もいれば、怪我して大学を中退した人、ブラック企業から逃亡してきた人、元プロ選手に、性転換して女の子になった人」
 
「性転換した人もいるんだ?」
「本人は女子選手になりたいのに、男子の試合にしか出られずに悩んでいたから、性転換手術代も出してあげたんだよ」
「すごーい。やはり元男性なら体格いいですか?」
「むしろ普通の女子選手より華奢かな」
「へー」
「可愛い女の子になりたくて、体型にも随分気を遣っていたみたいだよ」
「なるほどー」
 

玲央美は
「詳細はこの人と話して」
 
と言って、藍川さんの名刺を渡した!
 
元の時間の千里や玲央美は、彼女とは遭遇していないから、玲央美に接触されても訳が分からないだろう。実際この時点で元の時間の玲央美は、藍川さんが「チームの乗っ取り」をして、新しいチームを立ち上げること自体、まだ知らないのである。
 
今日盛岡に来たのは、千里はネックレスと鈴を渡すため、玲央美はマールさんと会うためだったのかということに、千里は思い至った。
 
「分かりました。連絡してみます」
とマールは明るい顔で答えた。
 
「この人がチームの事実上のオーナー。私自身は今まだ九州の方に出張していて、東京に戻るにはまだ少し掛かるんだよ。今日はたまたま盛岡に来たんだけどね」
と玲央美は言う。
 
「それは凄い遭遇ですね!」
とマール。
「まさに邂逅だね」
と千里も言った。
 
実際にナミナタ・マールがジョイフル・ゴールドに合流するのは翌年春になるのだが、彼女はこのあと関東の大学を受験し直すことにし、9月いっぱいで今いる大学を中退。盛岡市内の予備校に通い始めた。そして予備校の先生のアドバイスに従って博士号を取りやすい大学にターゲットを定め、翌年2月に都内の大学に合格するとともに、チームに参加した。
 

千里たちはコーヒーショップを出た後、マールを彼女のアパート近くまで送ってから、車を盛岡ICに向けた。
 
東北道に乗って、ひたすら南下する。
 
「まあ慌ただしい往復だね」
「わんこそば食べるのが主目的だったからね」
 
帰りは1時間半交代で走った。長者原SAまでを玲央美が、安達太良SAまでを千里が、佐野SAまでを玲央美が運転し、その先を千里が運転する。
 
東京に戻ってきたのはもう朝の5時半頃である。玲央美は車内で仮眠していたものの首都高を降りたところで目が覚めたようである。
 
「どこ行くの?」
「札幌P高校の宿舎」
「そうか。そこに行く途中でタイムスリップしたんだった」
「だからそこに行く途中で元に戻れると思うんだよね」
「藍川さんが親切なら、そういうことにしてくれそう」
 

「そういえばふと思ったけど、レオ、今回、P高校の宿舎で高田コーチと会ってなかったの?」
「それが、高田さんはバスケ協会の用事で21日いっぱいまで居ないのよ。22日の朝合流することになっていた。実は高田さんに合わせる顔が無いからその前に逃亡しようかとも思っていたんだけどね」
 
「なんかうまくできてるね〜」
「巧妙にできてるね」
 
千里はわざわざいったん旭川N高校の宿舎そばまで行き、あの日タイムスリップが起きたのと同じ道を走った。時間の跳躍が起きた付近に近づくと車の時計をチラリチラリと見る。玲央美が「今8月5日水曜日、5;55」「5:56」と自分の腕時計を見ながら言う。玲央美が使っているのは昨年のアジア選手権でベスト5になりもらった時計で、千里も同じものを持っているが、今千里は貴司からもらったスントの腕時計をしている。
 
そして玲央美が「6時」と言った瞬間、あきらかに周囲の雰囲気が変化した。千里は車を脇に停めた。
 
「12月21日月曜日6:00」
と玲央美が自分の時計を見て言う。
 
「時計の日付表示が変わった瞬間を見た?」
「見た。あんな変わり方って初めて」
「まあ2度と経験できないかもね」
「何度もは経験したくないね」
「じゃレオの宿舎まで送るね」
「サンキュー。これから朝御飯を食べて朝練だ」
と玲央美。
「私は朝御飯作りの最中!」
と千里は言った。
 
 
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【娘たちのタイ紀行】(7)