【娘たちのタイ紀行】(3)

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サクラが王子と抱き合う。そこに華香も飛びつく。華香が興奮してサクラの頭を叩いている。王子には強く抱きしめられている。玲央美も「良くやった」と言って背中を叩いている。
 
千里も駆け寄ってサクラに言った。
 
「クララ、これでクララは完全に復活したね」
 
サクラは王子の腕力で抱きしめられた上に、頭や背中を叩かれていて、声も出ないようだったが、千里に向かって微笑むと大きく頷いた。
 

整列する。
 
「78 to 76, Japan won」
と審判が告げる。
 
プロツェンコと朋美が握手した他、モロゾヴァと千里も握手して、健闘を称え合った。
 
こうして日本はロシア戦で貴重な2勝目を挙げたのであった。
 

千里たちはみんなで相手ベンチに行って挨拶する。マシェンナもすぐ意識を取り戻したようであったが、まだ座ったままでボーっとしていた。
 
その後、千里たちは観客席にも挨拶する。日本チームはみんな笑顔であるが、千里はふと鋭い視線を感じて、そちらに自分の視線はやらないまま「見た」。フランス人と思われる大柄な選手たちが厳しい視線でこちらを見つめていた。 

試合終了後、着替えて退出しようとしていた時に病院に行っている森山さんから連絡が入った。早苗は千里が言ったように骨には全く異常は無く、内出血も軽いので、湿布をしておけば治るだろうということであった。ホテルの方に戻りますと言っていた。早苗を明日の試合に出すかどうかは、明日の朝の様子を見て決めることにした。
 

夕食の席で、サクラや王子が酔っているのでは?というくらい元気だった。王子は、日本出発前に留実子からもらったという《おちんちん》を部屋から持って来ていた。
 
「これどうやって使うんですかね?」
「これを取り付けるベルトのようなものがあるんだよ」
と千里は王子に教えてあげる。
 
「そうなんだ!」
「まあパンティの中に単純に入れておいたら、走ったりした時に落ちるかもね」
「ちんちんが落っこちたら大変ですね」
 
「まあサーヤは試合中にこれつけてて、審判から『君は男か?』と言われたことがある」
 
「やっぱ、やばいですかね?付けたまま試合に出てみようかと思ったんだけど」
「アクセサリーの類いを付けて試合に出るのは違反だよ〜」
 
「ちんちんってアクセサリーなのか!」
 
王子たちがあまり騒いでいたので、その《ちんちん》は結局キャプテンの朋美に没収されてしまい、大会が終わったら返すと言われていた。
 
「ちんちん没収されちゃった」
「ちんちん無いから、もう女の子になるしかないね」
 

この日の試合結果はこのようになった。
 
GrpA CAN 50-49 AUS / ARG 73-63 KOR

GrpB LTU 89-34 THA / BRA 86-76 CZE

GrpC FRA 82-38 MLI / JPN 78-76 RUS

GrpD ESP 89-35 TUN / USA 88-53 CHN

 
グループCは、今のところ何と日本が2勝で暫定1位、ロシアとフランスが共に1勝1敗だが、得失点差でフランスが2位、ロシアが3位となる。4位が2敗のマリである。
 
他のグループでは、ブラジルがチェコに勝っている。チェコは結構な強豪なのだが、ブラジルも頑張ったようである。アジア勢では、韓国はアルゼンチンに敗れて2敗、中国はアメリカに敗れて1勝1敗になった。
 

25日。
 
監督は朝の早苗の怪我の状態を見て、今日は休ませることを決めた。
 
「済みません。こんな時に怪我してしまって」
と早苗は恐縮しているが
 
「いや、その分きっと入野(朋美)君と中折(渚紗)君が頑張ってくれるよ」
と監督は言った。
 
監督は今日は渚紗をポイントガードとしても使うつもりである。
 
「まあ二次リーグに向けての選手温存だよ。変に無理せず今日明日は身体をしっかり休めておいてね」
と副キャプテンの彰恵は言った。
 

昨日、ロシアと日本の試合が激しい試合になり、結局日本が強豪ロシアを倒す金星をあげたことから、この日のフランスの選手たちはマジ100%であった。 
最初からおそらくベスト5と思われる選手をスターターに並べた。こちらもある程度向こうが本気で来ることを予測して、それなりの覚悟で出ては行ったものの、全く歯が立たなかった。
 
それはもう大学生と小学生の試合という感じである。
 
千里はプレイしていて頭が空白になる思いだった。マッチアップは全部止められてしまうし、向こうの攻撃を全く防げない。スピード、パワー、テクニック、どれひとつ取っても全然かなわない感じだ。
 
それで一時は点数が14-0という恐ろしい状態になった。
 
千里、玲央美、王子といった中核が相手に全く歯が立たず翻弄されているのを見て監督は、彰恵・百合絵・江美子といった、いわばソフトタイプのプレイヤーを投入する。彼女らは監督から指示を受けて、相手とあまり接近しないようにしてプレイした。1on1は絶対に負けるのでそういう状況にならないようにする。相手が近づいて来たら早めにパスする。ゴールから4m程度の所まで来ていたら外れてもいいからシュートする。
 
それで日本は何とか持ち堪え、前半を43-25というスコアで終えることができた。 

後半。渚紗をポイントガードに使い、玲央美をシューター、フォワードに桂華と百合絵という構成で出て行く。桂華も百合絵も今回のチームでは予備選手に近い使われ方をしているものの、ふたりとも体格が良いので、大きな外国人選手にもあたり負けない。加えてふたりとも緩急の使い分けがうまいタイプである。それで、第3ピリオドは彼女らの活躍で24-20という随分まともなスコアで終えることができた。もっとも、点差が開いているので、向こうもそろそろこのあたりで良いだろうと思ったようなふしもあった。
 
第3ピリオドまでの合計は67-45。実に22点差である。
 
そして千里は第4ピリオド出て行った。
 

千里はこの試合スターターに名前を連ねたものの、相手の圧倒的な実力にねじ伏せられてしまい、全くいい所無く引っ込むことになってしまった。その後、他のメンツが黙々と戦うのを見ていた。
 
第2ピリオドも第3ピリオドも声が掛からなかったものの、千里はフランスチームのひとりひとりの動きを頭の中で把握しようとしていた。
 
出て行く時に監督から言われたこと。
 
それは「試合のことは何も考えなくていい。ひたすらスリーを撃て」ということばである。
 

オルタネーティング・ポゼッションが日本なので、こちらから攻撃を始める。朋美からパスが来る。何も考えずに撃つ。
 
入る。
 
この一連の動作の間、千里はフランス選手を全く見なかった。
 

相手が攻めて来る。
 
向こうのポイントガードが一瞬8番の選手を見たような気がした。しかし彼女はそのままドライブインの姿勢を見せる。千里は半ば無意識に走り出していた。 
ボールが8番の所に飛んでくるが、千里がギリギリで途中カット。
 
弾かれたボールに必死で追いついてそのままドリブルに変える。全力で走っていく。スリーポイントラインの手前で止まる。
 
そして撃つ。
 
入る。
 
この千里の連続スリーで点数は67-51となった。
 

その後も千里はひたすらスティールを試み、自分がボールを持ったら、とにかく撃つ。
 
それで第4ピリオドの残り4分まで行った所で千里は5本のスリーで15点奪い、玲央美の4点も加えて19点、一方フランスはその間に8点しか取れず、スコアは75-70と、あっという間に5点差に迫った。
 
この間、千里がどんどんスリーを入れるので相手はブロックに来るのだが、この日の千里は巧みに相手選手のいない場所に移動してはボールを受け、受け取るとほとんど時間の溜めを作らずに撃っていたので、相手はブロックが間に合わない感じであった。また向こうはスピードはあるものの、瞬発力では今日の千里が上回っていた。
 
ここでフランス側は「センター5人」という天井チームで攻勢を掛けてきた。フランスチームにはセンターとして登録されている選手が6人もいるのである。「上空」でボールを運び、立て続けに3つゴールを決めて81-70と突き放す。しかし千里と玲央美が1本ずつスリーを入れて81-76と5点差に戻す。
 
フランスが攻めて来る。相手は背の高さと体格で強引に入り込んでくる。ぶつかり合いが生じるがこちらも気合いが入っているので平気だ。相手のシュートが外れる。しかしリバウンドを取って叩き込む。83-76.
 
残りは1分。
 
日本が攻めて行く。逆転するには8点が必要だ。尋常では追いつけない点数である。しかし日本は諦めていなかった。
 
できるだけ早く攻撃して点を取り、向こうからボールを奪い取り、また速攻更にボールを奪い取って速攻というのが必要だが、それをやるつもりでいた。 
相手は千里のスリーを警戒してダブルチームを掛けて来た。この試合で千里の次に点を取っている玲央美にも相手のエースが張り付いている。結果的に相手の警戒がいちばん薄かったサクラにパスする。
 
サクラはここまでリバウンドでひたすら負けて、自分自身に対して腹が立っていた。いくら格上の相手とはいえ、ここまで負ける自分が許せなかった。 
ドリブルで中に進入して相手選手とぶつかりながらシュート。
 
入る。
 
しかし笛が吹かれる。
 

判定はダブルファウルであった。
 
従って得点は認められる。
 
サクラとぶつかった相手選手の双方が手を挙げている。相手選手はこれが5つ目のファウルである。別の選手と交代する。
 
得点は83-78。残り46.2秒。
 
相手はゆっくりと攻め上がってきた。時間をできるだけ使ってしまおうという作戦のようだ。こちらはプレスに行くものの、向こうもそう簡単にはボールを取られない。
 
たっぷり20秒ほど使った所で中に侵入して来てシュート。
 
ボールはリングには当たった。つまり24秒計がリセットされる。残りは23秒である。
 
しかしボールはゴールには入らず落ちてくる。
 
サクラ、玲央美、相手の2選手がほぼ同時にボールに飛びつく。ここでフランスがボールを再度取れば、向こうの5点差勝利がほぼ確定する。
 
一瞬相手選手がボールを取ったのだが、玲央美が弾く。そこに王子とフランスの別の選手が飛びつく。またもやフランス側が取ったものの、そこに走り寄っていた千里が弾く。
 
しかしその弾かれたボールを取ったのはフランス側であった。
 

フランスがボールを取った以上、この後の時間、フランスはボールを回していれば良いことになる。
 
ところがその選手が味方にパスしようとした時、玲央美がその選手のユニフォームの端をつかんで派手に引っ張った。選手の手元が狂ってボールが転々とするものの、そのボールを押さえたのはまたフランス選手である。
 
しかし笛が吹かれる。
 
玲央美のファウルが取られる。
 
試合終盤でリードしている側が攻撃している場合、負けているディフェンス側のファウルは必ず取られるのである。いわゆるアドバンテージでは流さないし、こういうファウルは、正しい作戦上のファウルとして認められている。 
そして、実は日本側はさっきのサクラのファウルがこのピリオド3つ目で、今の玲央美のファウルでチームファウルが4つ目になることから、この後、スローインではなくフリースローになる。
 
残りは20.6秒。点差は5点。
 

相手選手がフリースローをする。
 
ところが1本目は外れてしまった。
 
フランス側は選手同士顔を見合わせている。
 
次のボール、わざと外してリバウンドを狙うか、きちんと入れるか迷ったのだろうが副将の人が「入れろ」という指示を出した感じであった。
 
2投目。きちんと入る。
 
これで84-78.
 
残りは20.6秒で止まったままである。
 
日本が速攻する。
 
フランスはこの攻撃を放置した。日本が得点すればフランスがスローインできるので全然問題無いのである。
 
千里がスリーを入れて84-81。しかし残りは15秒でフランスボールである。 

フランス側はゆっくり攻め上がろうとするが、日本はプレスに行く。これにフランスが意外に手こずった。相手パスを瞬発力で飛び出した彰恵がカットするも、転がったボールに飛びつくようにしてフランス選手が確保した。 
この場合、彰恵は「ボールに触った」ものの「ボールをコントロール」はしていないので、フランスが引き続きボールを保持していることになり、8秒ルールのカウントは継続中である。
 
そうこうしている内に7秒になってしまう。フランス側はひとりの選手がドリブルで目の前の玲央美を突破しようとするものの、ここで玲央美は絶妙なフェイントで見事にボールをスティールした。8秒ルールが成立しそうなので焦って向こうも心理的余裕が無くなっていたのもあるだろう。
 
玲央美が自らドリブルで攻め上がる。フランス側はこれを止めるべきかどうか一瞬迷ったようであるが、玲央美がスリーポイントラインの手前で立ち止まりシュートの姿勢を見せるので、慌てて止めに行く。
 
もう残り時間は5秒である。
 
玲央美はゆっくりした動作でシュートを撃った。
 
フランス選手は結局玲央美の近くで停止し、玲央美に触れなかった。うっかり玲央美の手などにぶつかり、バスケットカウント・ワンスローになる事態を避けたのである。
 
このあたりの判断が瞬時にできるのが、さすがに世界のトップレベルのチームである。
 

玲央美のスリーはきれいに決まった。
 
84-84.
 
日本は土壇場で同点に追いついた。
 
残りは2.9秒。
 

フランスは速攻に掛けた。
 
ボールを審判から受け取った選手が遠投する。
 
玲央美のシュートの瞬間から走っていた選手がボールをキャッチする。そしてシュートしようとしたが、サクラがブロックする。
 
笛が吹かれる。
 

かなり微妙な気もしたのだが審判はサクラのファウルを取った。サクラは5ファウルで退場になる。華香が交代で入る。
 
フランス側のフリースローである。
 
残り時間は1.2秒。フランスが1点でも入れたらフランスの勝ち、0点なら延長ということになる可能性が高い。
 
フランス選手が慎重にボールをセットする。
 
撃つ。
 
外れる!
 
観客がどよめく。
 
シュートする選手にチームメイトが「落ち着いて」とか「何も考えるな」とか声を掛けている。
 
撃つ。
 
ボールがリングの端で跳ね上がる。
 
フランス・日本、双方の選手が駆け上がってジャンプする。
 
しかし跳ね上がったボールはリングのど真ん中に落ちてきた。
 

85-84.
 
フランスが1点のリード。
 
残りは1.2秒のままである。
 
審判からボールを受け取った朋美が思いっきりボールを投げる。激しいキャッチ争いになる。一瞬華香がボールを取ったのだが、フランス選手がそれを強引に奪い取った。
 
そのまま試合終了のブザーが鳴る。
 
千里は頭を抱えた。
 

最後にボールを取った選手はそのボールを胸にしっかり抱いたまま、華香と見つめ合っていた。しかし、やがて審判が整列を促すと、ふっと息をつき、華香に手を伸ばした。華香も悔しそうな表情がらも彼女と握手した。
 
「85 to 84, France won」
朋美と相手チームのキャプテン代行さんとで握手をし、その後は、お互いに握手したり、あるいは肩などを叩いたりしながら健闘を称え合った。
 
こうして日本はあとわずかの所でフランスに敗れたのであった。
 

試合後、サクラが悩んでいた。
 
「あの場面、僕は相手選手を止めない方が良かったですかね?」
「いや、あのシュートは止めなければ入っていたと思う。結果的に2点取られる所を1点に抑えたんだから、サクラのファインプレイだと思う」
と彰恵が言った。
 
「でも負けたら1点も2点も関係無かったかなという気もして」
とサクラが更に悩んでいたのだが、そのサクラに高田コーチが声を掛けた。 
「この試合の結果、日本とフランスとロシアがみんな2勝1敗になった。これは決勝トーナメント進出は得失点差の勝負になる可能性が出てきたから案外この1点の差が効くかも知れないよ」
 

この日の結果は下記の通りである。
 
GrpA CAN 61-58 ARG / AUS 99-41 KOR

GrpB CZE 97-45 THA / LTU 69-65 BRA

GrpC RUS 93-27 MLI / FRA 85-84 JPN

GrpD ESP 77-75 CHN / USA 100-38 TUN

 
これで一次リーグ(Preliminary Round)は終了し、二次リーグ(Eighth-final round)に進出する12チームが確定した。
 
GrpE : A(CAN AUS ARG) B(CZE BRA LTU)

GrpF : C(RUS JPN FRA) D(ESP USA CHN)

 
アジア勢では日本と中国は二次リーグに進出したものの、韓国(KOR)は3敗で脱落である。13-16位決定戦に回ることになる。13-16位決定戦に出る他のチームはタイ(THA)、マリ(MLI)、チュニジア(TUN)である。
 
グループCでは、ロシア・フランス・日本がいづれも2勝1敗になったものの、相互得失点率で1位ロシア(1.0483)、2位日本(1.0062)、3位フランス(0.9492)となった。
 

26日(日)は全チーム休養日となった。
 
千里は午前中許可を取ってホテルから外出する。天津子はレンタカーでホテルまで千里を迎えに来た。
 
「ちょっと家系に関わる呪いの処理をしていたんですよ」
と天津子は説明する。
 
「クライアントは日本人なんですけどね。依頼者のお祖父さんが、昭和初期に商売でインドシナ方面に来ていて、そこであるヨーロッパ軍人から恨みを買ってしまった」
 
と天津子は言うが千里は質問をはさまない。こういう問題は余計な興味を持つことは、自分自身を危険にさらす。
 
「逆恨みもいいとこなんですけどね。そのヨーロッパ軍人がタイ人女性に悪いことしようとしていたのを彼が停めたんです。しかしそれで事が明るみになったことから憲兵に取り調べられて、それでその人、過去に何人か現地の女の人に悪いことして、しかも2人殺していたことが分かった。それで軍規違反ということで銃殺刑になった。その処刑される前にその日本人商人に呪いを掛けたんです」
 
千里はポーカーフェイスである。
 
「まあそれで呪いの生まれた地で処理しちゃおうということなんですよ。呪いって元から絶たないとダメだから」
 
と言って天津子はある公園の駐車場に車を駐めた。
 

歩いて公園の一角にある慰霊碑のような所に行く。天津子が杖のようなもので地面に魔法陣を描いた。そこにビニール袋に入った何か赤黒いものを3つ並べた。 
「それは身代わり?」
と千里は初めて質問した。
 
「身代わりでもあり、本体でもあります。3つとも呪いを受けた人の体内から摘出したものなんです」
 
千里は具体的に何なのかは聞かない方が良さそうと思った。しかしよくまあ人体の一部とかを日本から持ち込めたものだ。
 
「ちなみに、これ左から、クライアントさんの肝臓の一部、その長男さんの十二指腸、次男さんの陰茎海綿体と睾丸です」
と天津子は言う。
 
訊いてないのに!
 
しかし肝臓は肝臓癌か何か、十二指腸は十二指腸潰瘍か何かだろうか。陰茎海綿体と睾丸って、まさか性転換手術でもしたの!?そんなものを取った以上もう「男」の身体ではなくなっているはずだ。
 

天津子がマントラのようなものを唱える。千里は霊鎧をまとったままその声を聞いていたが、やがて巨大な虫のようなものが慰霊碑の向こうの方から来るのを感じる。その虫(千里はこういうのが見えないがカマキリか何かのように感じた)は身代わりの並べられた魔法陣の中におびき寄せられるようにやってきたが、そこに掃除機か何かで物凄く強い勢いで吸引する風のようなものが吹き、その虫のようなものは、魔法陣の中に吸い込まれてしまった。
 
千里は、ごきぶりホイホイにゴキブリが掛かった様を連想した。
 
直後魔法陣が燃え上がる。
 
青い炎なので、かなりの高温のように見える。
 
千里は天津子の呪文を聞きながら、じっと見つめていた。炎は15分ほどで消えた。身代わりにした「体内から摘出したもの」は全部燃えて灰になっていた。蛋白質が焼けたような臭いがした。
 

雨が降ってきた。
 
千里は手に持っていた傘を差して天津子をその下に入れた。
 
「ありがとう」
「終わったの?」
「終わりました」
 
「静かに消えて行ったね」
「地獄送りにしましたから。後は閻魔様にお任せです。でも千里さんがなんで傘を持ってきたんだろうと思ってたら、ここで雨が降るからだったんですね」
 
「うん。必要なものは分かるんだよ」
「さすがですね。さっきまで晴れていたのに」
「ところでさ」
「はい」
「物凄くお腹が空いたんだけど」
 
「ですよねー。凄まじいパワー使ったもん」
「バスケットの試合2つ連続でした後みたいな気分」
 
「3つくらいかも。マンゴツリーかトンクルアンにでも行きましょうか?どちらも美味しいタイ料理を食べさせるんですよ」
 
「そろそろタイ料理飽きてきたんだけど、日本食とか無い?」
「ええ。いいですよ。焼肉がいいですか?お寿司がいいですか?」
 
天津子は様々な事後処理でまだ1週間くらいタイに残るという話であった。 

千里が天津子に送ってもらってホテルに戻ると、ロビーでサクラ・華香・王子がなにやら話していたのが、千里を見てビクッとした顔をした。
 
千里はサクラにヘッドロックを掛ける。
 
「こらこら、あんたたち、悪い相談してたでしょう?」
 
「いや、タイに来たらオカマショーとか見てみたいねとか話していたんだけどね」
とサクラ。
 
「見に行ってもいいけど、全部の日程が終わってからにしなよ、その手のものは」
と千里。
「あ、私と同じ意見だ」
と華香。
 
「ああいう人って、やはり全部取っちゃった人なんですかね」
「半々だと思うよ。おっぱいは大きくしてる人がほとんどだろうけど、玉だけ取った人がおそらく半分と、まだどちらも付いてる人が半分」
 
「あれ?性転換手術済みの人は?」
「多少はいると思うけど、手術済みの人はふつうの女の子を置いてるお店に行くかもね」
「なるほどー」
 

「いや、それで盛り上がっていたのは、金玉って言うけど、あれって金色なんですかね?」
と王子が訊く。
 
「内臓の一種だからね。お肉っぽい色、まあピンク色じゃないの?私は見たことないけど」
と千里は答える。
 
「千里、手術して取った時は見なかったの?」
と華香が訊く。
 
「見てないなあ。それに昔のことだし」
と千里は言う。
 
「小学校の3〜4年生くらいで取ったんだっけ?」
「うーん。その噂、なんか結構流布しているみたいだけど、あながち間違いでもない気もする」
「やはり、そのくらい前に取ったのか」
「千里って骨格が女の子だもんね」
 
「じゃ、金色じゃなかったら、なんで金玉って言うんですかね?」
 
「色々説はあるみたいだよ。『きのたま』が音便で『きんたま』になったのは確かなんだけど『き』とは何かというので諸説ある。気力の元だというので『気の玉』という説、貴重なものだから『貴の玉』という説、生命を生み出す元だから『生の玉』という説、更には精液の色がドブロクに似ているから『酒の玉』から来たという説」
 
「精液ってどんな色なんですか?」
「白濁した色だよ。ドブロクも見たことあるけど、まあ似ているといえば似ているかも知れない」
 
「精液はやはり自分のを見たんですか?」
「彼氏のを見たんだよ。私、自分では精液を出したことないし」
「おぉ!」
「おとなの世界だ」
「だって千里は小学3〜4年生で玉取っちゃったんだから、自分では精液出た訳ないよね」
 
「玉取ったら精液出ないんだっけ?」
と王子が訊く。
「出ないでしょ」
と華香とサクラは言うが、千里は
「出るよ」
と答える。
 
「嘘!?」
「精子の入ってない精液が出るんだよ」
「へー!」
「まあ私はそれも出たことないけどね」
「やはり」
 

「それで金玉の語源として、さっきここで出ていた説は、玉同士がぶつかってキーンという音がするからキン玉ではないかと」
と王子が言う。
 
「ぶつかっても音はしないと思うよ」
と千里は笑って言う。
 
「ぶつけてみたことあります?」
「ぶつけたら悶絶すると思う」
 
「ああ。野球で玉に玉がぶつかってキャッチャーとかが当たってうずくまってますよね」
「それ別の玉だと思うけど」
 
「キャッチャーを女房役って言うのって、玉取ってる人がやったほうが問題ないからですかね?」
「それはさすがに違うと思う」
 
「でもバスケでも男子がボールをまともにくらって立てずにあそこ押さえてるの見たことある」
と華香。
 
「あ、分かった。ぶつけたら頭がキーンとなるからキン玉とか」
と王子。
 
「うーん。それは新たな見解かも」
と言って千里は苦笑した。
 
「でも容器の中に玉がふたつ入っていて、ぶつかると音がするなら、金玉って鈴の一種かな、なんて意見も出てたんですけどね」
と華香。
 
「それも面白い見解だね」
 
しかし18-19歳の女の子の会話とは思えない話題だ!
 

早苗の怪我の快復は順調で27日からの二次リーグには問題無く参加できるようであった。
 
2009年7月27日、二次リーグ(Eighth-final round)が始まる。日本はFグループに属しているが、これは一次リーグ(Preliminary Round)のCグループとDグループの各々上位3チームが合体したものである。そして今回は一次リーグで当たっていなかったチーム、つまりDグループの上位3チームと試合をすることになる。スペイン、アメリカ、中国である。
 
「中国に勝たないことにはどうにもならないよね、これ」
と江美子が言う。
 
「それは決勝トーナメント進出の最低条件。できたらスペインかアメリカにも勝ちたい」
と彰恵。
 
「アメリカにはさすがに無理って気がする」
と百合絵は最初から弱音を吐いている。
 
「玲央美、2年前はアメリカとやってるんだっけ?」
と千里は2年前のU19世界選手権にも出場している玲央美に訊く。
 
「やってない。前回はチェコ、カナダ、セルビアに3タテ食らって、素直に13-16位決定戦に行った」
 
「あぁ・・・」
「カナダとは接戦だったんだけどなあ」
「凄いじゃん」
「まあ最初の内向こうが油断していたというのはあったけど。第1ピリオドが接戦になったから、第2ピリオドで向こうが猛攻してきた。そのあと頑張ったけど追いつけなかった」
 
「なるほどねぇ」
 

二次リーグ、初日の相手は「最低勝たなければならない」中国であるが、それは中国側も事情は同じである。
 
一次リーグで、日本・フランス・ロシアが2勝1敗だったのに対して、中国は1勝2敗であった。中国は二次リーグの3戦の内最低でも2つに勝って3勝3敗にならない限り、4位以内に入ることはできない。2勝4敗の場合は、その3国の内の2つが3勝になることになるので(アメリカが日本に勝つ前提で)脱落してしまう計算になる。
 
ともかくも日本も中国もこの試合は「絶対に勝たなければならない」試合であった。
 

この日の第1試合はスペイン対ロシアで、スペインが勝っていた。スペインはこの大会、調子が良いようである。アメリカとロシアに勝ったのは凄い。第2試合はアメリカ対フランスでアメリカが勝っている。
 
日本は19:45からの第3試合であった。
 
日本側は昨年から誠美が抜けて王子が入っただけであるが、中国側は半分くらいメンツが変わっていた。昨年は「隠し球」として使われて日本を悩ませた勝(シェン)さんは今年は9番の背番号を付けており、成長していることをうかがわせる。
 
その勝さんもスターターで出てきた。
 
試合はどちらも勝たなければならない試合ではあったのだが、試合前は何となく和気藹々であった。
 
「イッショ・ガンバロネ・デス」
などと王(ワン)さんなどは笑顔で言っている。誰かに変な日本語教えられたのではと思う。シューターの林(リン)さんも試合前から千里に握手を求めて 
「Let's three point race」
なんて言っていた。意味は分かるが、微妙に怪しい英語だ。
 

その笑顔の中国チームが試合が始まると同時に超マジ顔に変化する。こちらもそのくらいの変化は織り込み済みで、マジに対抗していく。
 
試合は前半、接戦が続いた。
 
最初からお互い全力投球である。
 
点を取っては取られ、どちらも良く守り良く攻める。それで前半を終わった時点で38-38の同点であった。
 

第3ピリオド、日本は千里を休ませ、彰恵・江美子・王子と3人のフォワードを並べて猛攻を掛ける。中国側がこのピリオドで最初主力を休ませていたこともあり、これで10点差が付く。特に「アメリカ型」のフォワード王子は中国の体格の良いフォワードをパワーで蹴散らして得点を重ねた。慌てて中国も主力を戻すものの、その後は均衡が続き、第3ピリオドを29-17と12点差で終えた。 
第4ピリオド、日本は今度は千里・渚紗・玲央美と3人のシューターを並べた。どこからでもスリーが飛んでくるというシステムに中国は守備に混乱が生じ、一時期は25点差までも行く。加えて中国の主力はさっきのピリオドで疲れ切っているのもある。しかしそれでも頑張って少し追い上げ、結局この試合は78-60で決着した。
 
試合終了後、中国の選手たちが首を振ったり、天を仰いだりしていた。こうして日本は決勝トーナメント進出の望みが膨らむ貴重な3勝目を手にしたのであった。 

この日の結果

GrpE CZE 72-60 ARG / AUS 69-53 LTU / CAN 75-67 BRA

GrpF USA 88-75 FRA / ESP 70-54 RUS / JPN 78-60 CHN

 
GrpF.暫定順位 ESP(4-0) USA(3-1) JPN(3-1) RUS(2-2) FRA(2-2) CHN(1-3) 
中国は厳しくなったが、残りアメリカとスペインに連勝すれば、理論上はまだ二次リーグ突破の可能性はある。スペインは決勝トーナメント進出が濃厚ではあるが、まだ確定はしていない。残りの試合で万一このような結果になると、上位5チームが全部4勝になり5チームで得失点差勝負になる可能性があるのである。
 
28 USA○−×JPN FRA○−×ESP RUS○−×CHN

29 RUS○−×USA JPN○−×ESP FRA○−×CHN

 

さて日本は翌28日アメリカ戦であった。
 
千里、玲央美、彰恵、江美子などはこの日の試合がかなり気が重い感じであったのだが、王子は「今日は20点差で勝ちましょう」などと威勢が良いし、サクラや華香などもそれに乗せられて元気が良かった。高田コーチが
 
「君たち元気いいね。今日は頑張ってね」
と言うと
 
「はい。アメリカを倒して優勝です」
などと気勢を上げていた。
 

「元気な君たちでやってごらん」
 
と言って高田コーチは先発を、彰恵/玲央美/王子/華香/サクラ、とした。相手はおそらく日本を舐めては掛からないだろうということで、物理的に激しい戦いになる可能性が高いので、大柄な選手を並べたというのもある。彰恵は副将でもあるし、お世話係のようなものである。
 
千里はベンチスタートになったのだが、試合開始早々、アメリカの凄まじい気迫を目にすることになる。
 
むろん、王子、華香、サクラは全く相手にしてもらえない感じである。かろうじて玲央美が何とか防御しているものの、ひとりではどうにもならない感じだ。冷静な彰恵でさえも頭が空白になっている感じであった。
 
10-0になった所でタイムを取り、華香とサクラをいったん下げ、江美子と百合絵を投入する。彰恵は親友の百合絵がコートインしたことで、やっと自分を取り戻すことができた。
 
それで玲央美−彰恵−江美子の連携で何とかこちらも得点ができるようになる。王子も一方的にやられたことで、最初はお手上げ状態になっていたものの、そういう自分の状態を怒りに変えてパワーで押してくるアメリカ選手にこちらもパワーで対抗する。
 
しかしパワーを使いすぎて、このピリオドだけで3つもファウルをおかしてしまった。
 
第1ピリオドを終えて33-16である。
 

第2ピリオドは、朋美を出すが、彼女には絶対に無理するな、絶対に怪我するな、というのを強く言い聞かせた。千里・渚紗、桂華・華香と出して、千里と渚紗のダブル遠距離砲で攻めるのを試みる。
 
しかしアメリカは第2ピリオドになっても攻撃の手を緩めなかった。フランス戦で最初フランスが日本を圧倒していたのに、最終的には試合終了間際に同点にされ、かろうじて1点差で逃げ切ったのを見ているので、この相手には最後まで気を抜けないと考えたようである。
 
千里はアメリカ選手と対峙していて、フェイント合戦とか位置取りなどというのが圧倒的なパワーの前には全く無意味であることを知った。こういう相手とやるには、今までのような自分では歯が立たないということを身をもって知ったのである。
 
スポーツというのは、やはりパワーとスピードだ。
 
強くなりたい。
 
そう千里は思った。
 
千里はこの日のアメリカ戦で一種のパラダイムシフトが起きた思いだった。 
結局このピリオドも27-16の大差で終わる。
 

第3ピリオド、王子やサクラを戻す。彼女らは第1ピリオドでコテンパンにやられて、アメリカの恐ろしさを肌で感じた。そして20-30分休んでいる間に彼女たちなりに再び戦う姿勢を取り戻した。
 
それは試合前の段階で何も考えずに軽口を言っていたのとは違う、本気の覚悟であった。
 
王子(184cm)やサクラ(182cm)の体格で本気で気合いを入れていけば体格の差はあっても似たような背丈の相手選手にそう負けるものではない。またこのピリオドは相手の中核選手は前半頑張りすぎてさすがに疲れているので控え組中心のオーダーになっていたこともあり、王子はもちろんサクラもひたすらゴールを決めた。
 
それでこのピリオドは25-19という、比較的上品なスコアで終えることができた。 

第4ピリオド、彰恵、千里、玲央美、江美子、王子というラインナップで出ていく。おそらく点を取りまくるのには最高のメンツである。しかし相手も主力が戻って来る。
 
激しい戦いが続いた。千里も頑張ってスリーを入れる。千里はこの短い時間の中でだが、こういう相手とやる場合の距離の取り方を、つかむまでは行かなくても、指先に触れるくらい分かり始めていた。
 
終わってみると、向こうの主力を相手にしたにしてはまあまあの24-17であった。 

合計では109-68と、41点差の大敗であった。
 
しかし試合終了後のアメリカ選手たちに全く笑顔が無かった。こちらも完全燃焼だったが、向こうも力を出し切ったように見えた。
 
彰恵と向こうのキャプテンが握手したのに続き、千里も玲央美も、王子もサクラも、相手選手と握手したりハグしたりして、健闘を称え合った。
 
余裕がある相手なら15点とか20点とかの差でお茶を濁す場合もある。しかしこの点差を付けて日本を叩いたのは、アメリカがそうせざるを得なかったからであり日本は本気のアメリカという貴重な相手と戦ったのである。
 
この試合は後から考えてみると、千里や玲央美世代の選手にとってその後の大きな成長のきっかけになった試合でもあった。
 

この日は試合が終わった後のミーティングは1分で終わった。そしてホテルに帰ってからは、練習無しで自由時間!と言われた。
 
それでも桂華・百合絵・サクラの3人がどうしても練習したいと言ったので、高田コーチが付いて練習場所に割り当てられている高校の体育館に行って汗を流した。
 
サクラと同室の王子は千里と玲央美の部屋にやってきた。
 
「今日の試合やってて真剣に思いました。強くなりたいって。どうしたら強くなれますか?」
と彼女は訊いた。
 
「練習すること」
と玲央美は言った。
 
「この3人で練習しませんか?私、パワーとスピードさえあれば、たいていの相手は倒せると思っていた。でもパワーもスピードも上回る相手にはどうしても勝てない。そんな時にテクニックが必要なんだと思った。私にテクニックを教えて下さい。どこかで一緒に練習しませんか?」
 
「うーん。じゃ、少し酸素の薄い所で練習しようか。そうすればゲームの後半疲れている時でも身体が動いてくれるよ」
と千里は言った。
 
「高地トレーニング?」
と玲央美が訊く。
 
「そそ。エミも呼ぼう」
と言って千里は電話で江美子を呼び出した。
 
江美子は
「早苗たちはアミさんに案内してもらってカラオケに行くと言ってた」
と言う。
 
「エミは良かったの?」
と玲央美が訊く。
 
「カラオケに行っても今日は暗い歌ばかり歌ってしまいそうな気がするんだよね。でも普通に練習してもと思ってた。あそこに行くの?」
 
「うん。じゃ行くのはこの4人でいいね?」
「まあ4人なら1on1が2組できるよね」
 
「じゃ全員バッシュと着替えを持って。あとジョギング用かウォーキング用の底がしっかりした外履きシューズ」
と千里。
「防寒具も要る?」
と玲央美。
 
「持ってるなら持って行った方がいい。なければサマーセーターとかでもいい。ウィンドブレーカーはみんな持っているよね?」
 
「待って下さい。バッシュ取ってきます」
と言って王子が取りに行った。
 
そして王子が戻って来た時は華香も一緒だった。
 
「僕も入れて」
「いいよ。カラオケに行くのかと思った」
「元々ちゃんと力のある人は気分転換で復活すると思うけど、僕みたいに実力が足りない人は少しでも練習しなきゃ」
 
「それソラさんのレベルで言われると、私困っちゃいます」
と王子は言っていた。
 
「ボールはここには2個しかないな。5人で行くならあと1個は欲しい」
と千里が言うと
「私のを持ってくるよ」
と言って江美子が自分の部屋からボールを3個持って来た。
 
ボールの空気を抜いて荷物に入れる。空気入れも一緒に入れる。荷物は各自リュックなどに入れさせた。
 
それで千里は美鳳さんの居る方角を正確に向いて言った。
 
「よろしくお願いします」
 
美鳳さんは頬杖を突いていたが
「まあ、いっか」
などと言って、千里たちを転送してくれた。
 

「ここどこです?」
と言って王子はキョロキョロしている。おそらくタクシーか何かで移動することを考えていたのだろう。
 
「ここは日本の月山(がっさん)の八合目。まずは頂上まで行くよ」
「それだけで結構なトレーニングだよね」
「準備運動だよ」
「トイレ行きたい人はそこのレストハウスで行っておいて。途中トイレは無いから」
 
「行って来ます」
「ちゃんと女子トイレに入れよ」
「だいじょうぶです。ちんちんは取り上げられちゃったし」
 
それで王子と華香が行ってきていた。
 

それで千里が先頭に立ち、登山道を歩き出す。
 
「これ何分くらい掛かるんですか?」
と王子が訊く。
 
「まあ私や千里は2時間で歩くけど、普通の人なら3時間」
と江美子が答える。
 
「じゃ1時間半で行きましょう」
と王子は張り切る。
 
「お、元気だね」
 

実際には王子は最初は元気に歩いていたものの、15分もすると
 
「これきついです」
と言い出す。
 
そして少しずつ遅れ出す。最初は遅れたと思うと走って追いついてきていたものの、とうとう追いつけなくなる。
 
迷子になられては困るので待ってあげる。
 
「1時間半で歩くんじゃなかったの?」
「どのくらい来ました?」
 
「まあ1割程度かな」
「まだこの9倍あるんですか!?」
 

王子が追いつくのを待って歩いていたので、結局2時間40分ほど掛けて何とか頂上にたどり着いた。それでも普通の人の登山速度よりは随分速い。
 
お祓いを受けて月山神社にお参りする。
 
そして神社の裏手に行く。
 
「こんな所に立派なコートがあるとは」
と王子。
 
「半分だけだけどね」
と千里。
 
「まあ個人的な練習にはこれで十分だよね」
と江美子。
 
「ここ、いつの間にフローリングとか作ったの?」
と玲央美。
 
と言っていたら小さな男の子が出てきて
「お母ちゃん、頼まれたから作ってみたけど、こんなんでいい?」
と言う。
 
「うん。ありがとね、京平」
と千里は笑顔で言った。
 
「サンの弟?」
と華香が訊くので千里は
 
「私の息子」
と答える。
 
「いつのまに子供産んだの?」
「6年後に産むんだよ」
 
「うーん・・・・」
 

ボールに空気を入れ、バッシュに履き替えて練習を始める。
 
京平は何人かお友達を連れてきていて、その子たちがボール拾いをしてくれた。その子たちも余っているボールでパス練習したりしていて、楽しそうであった。 
最初は千里−江美子、玲央美−王子で1on1の練習をする。その間に華香はミドルシュートの練習をしている。
 
アメリカに派手に大敗した後なので、みんな開き直っている。これがかえって惜敗のような点数差であったら、逆にもやもやしたものが残ったかも知れないと千里は思った。世界最強のチームがマジに戦ってくれて、そのマジな相手に派手に負けたことで、みんな気持ちが吹っ切れてしまったのである。
 
それで5人とも雑念無しで、黙々と練習に取り組むことができた。
 
途中で組み合わせをどんどん変えていく。
 
「ソラには何度か勝てたけど、レオにもサンにもキラにも全く勝てない!」
と休憩した時に王子が嘆く。
 
「まあ3年くらいやってれば上達して勝てるようになるかもね」
と江美子は言う。
 
「その時は私たちは、もっと先に行ってるけどね」
「よし。追いついて追い越します」
「うん、その意気」
 
京平たちは佳穂さんに可愛がられている。サツマイモをふかしたのをもらって食べていたが、千里たちにも佳穂さんは甘酒とかおにぎりとかを差し入れてくれた。
 

「あれ?今何時ですかね?携帯忘れてきたから時間が分からない」
と王子が言う。
 
「まあ、明日の試合が始まるまでには帰るから心配しないで」
「じゃ、いいことにするか」
 
実際には千里たちは、ここで京平たちと一緒に12時間ほど練習したのである。佳穂さんもずっと付き合ってくれた。
 

「かなり自分を取り戻せた気がする」
と江美子が言った。
 
5人はかなりの時間練習した後、差し入れのキリタンポと串焼きを食べていた。 
「これ何のお肉ですかね?」
と王子が訊く。
「山羊の肉だって」
「へー。何か力が付きそうですね」
と言って王子はもりもり食べている。
 
「でもこのくらいやったら実践練習もしたくなりましたね」
と王子。
 
「うーん。。。練習相手がなあ」
と言っていたから、華香が言い出す。
 
「これって一種の夢のようなものですよね」
「まあそれに近い」
「だったら、こないだクララと一緒にお邪魔した茨城県内の高校にお邪魔して練習相手になってもらえないかなあ。ハンバーガー100個くらいで」
 
「ハンバーガー!?」
「千里、そのくらいお金ある?」
「うん。出していいよ」
 
それで千里が佳穂さんを見ると「いいよ」と言う。
 
「京平君たちは私が伏見に送り届けるから」
「よろしくお願いします」
 
それで千里は京平を抱きしめた上で「またね」と言って別れを告げる。 
そして5人はどこかの体育館のような所に来ていた。
 

また王子がキョロキョロしている。華香がそこで練習していた男子高校生たちに話しかけた。
 
「こんにちは〜」
「あ、こんにちは。大会とかいうのはもう終わったんですか?」
「まだなんですよ。それでちょっと実践練習の相手が欲しいんですけど、もし良かったら相手してもらえないかと思って。ハンバーガー100個で」
 
「やります!やります!」
 
それで彼らと練習試合をすることにした。幸いにもこちらは5人である。玲央美がポイントガード役を務めることにする。
 
「でも今日はそちら男子選手も混じっているんですね?」
と彼らが言った。
 
「ん?」
と言って千里たちは王子を見る。
 
「ああ。私、手術してチンチン切って女になったんだよ」
と王子も悪のりして言うと
 
「へー。そうだったんですか」
「でもオカマさんって、もっとなよっとしてるのかと思った」
 
などと彼らは言っていた。元男だったのを手術して女になったというのを完璧に信じられている。
 

相手は高校生だし、インターハイにはあと少し届かないレベルの高校なので、技術的には大したことはない。しかし男子だけに背が高いし体格も良い。180cm以上の部員がこの日は7人も居た。
 
彼らには性別気にせずどんどん当たってきてと言った。それで彼らも遠慮無く制限エリア内でぶつかってくる。
 
彼らにはハンバーガー100個+得点数と言ったので、かなり張り切った。どんどんシュートしてくるが、こちらもそう簡単にはゴールを許さない。こちらの攻撃に対してもマジでボールを奪いに来る。それで本当にいい勝負になった。 
試合自体は女子とはいっても日本代表の貫禄で96対66で千里たちが勝ったものの、充分やり応えのあるゲームだった。
 
「じゃハンバーガー券166枚ね」
と言って千里は《きーちゃん》に買ってきてもらったチケットを渡す。 
「おお、これ凄い!」
 
千里たちは高校生たちにお礼を言って体育館を出た。
 

それで5人とも、バンコクのホテルに戻っていた。
 
「あれ?あれ?」
と王子は周囲をキョロキョロと見ている。
 
「じゃ、晩ご飯に行こう」
と千里は言った。
 
「え?今から晩ご飯なんですん?」
「そうだよ」
「今何日です?」
「28日19:00」
「うっそー!?」
 
「まあ、あそこに行く時は歴史的な時間の外にいるみたいなんだよね」
と江美子は言う。
 
「でも、あんたたち、よくあんなところで修行やってるな」
と玲央美は言った。
 

夕食の席にはカラオケ組はまだ戻って来ていなかった。体育館に行って練習していた桂華たちと合流する。
 
「江美子たちもどこか行ったの?」
と百合絵が訊く。
 
「軽く汗を流してきたよ」
と江美子が答える。
 
「やはり、何か身体を動かさないとすっきりしないよね」
と桂華は言っていた。
 
 
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